2016.08.22

8/22 選挙は人気投票ではなくて当選者を決めること

昨日、知人が議員をしている某市で市議選がありました。知人は幸い再選しましたが、その自治体の選挙管理委員会が公表した開票結果が、開票数が掲載されているだけで、定数も書かれておらず、誰が当選者かまったくわかりませんでした。
(ホームページに役に立ったかどうかのコメント記入欄があったのでそのことを申し上げたところ、今朝には改善されていました)

開票における選挙管理委員会の一番重要な仕事とは何か。それは当選者を確定させることです。だからこそ選挙管理委員長が、当選者にうやうやしく当選証書を授与するわけです。
票数も大事ですがもっと大事なのは誰が当選者となり議員となることができるのか、と決定することですから、開票結果は、誰が当選者か告知することにあるのだと思います。

日本の選挙は、個人名を選ぶことに偏りすぎて、誰に政治を担わせるかを選ぶ機会ではなく、立候補者の人格の肯定/否定の機会になってしまっているきらいがあります。票数だけを公表するのは、まさにそうした実態にさらに拍車をかけ、選挙を主宰する立場がこれは人気投票にすぎませんよ、と言ってしまっていることになりかねません。もっと大事なことは当選者を公表することなのです。

●朝霞市も2011年市議選までは、得票数しか公表していませんでしたが、2015年市議選から、当選者決定の選管委員会臨時会の終了後、当選者の情報が付加されるように改善されています。

●少なくない自治体で、得票数の公表しかしていない実態があります。かつて総務省や中央選管がそういう指導でもした歴史があるのでしょうか。

●得票数と当選者が別概念だと気づかされたのは、2000年のブッシュvsゴアの大統領選でした。接戦の州で複雑な投開票のために大統領選挙に投票する選挙人が確定できなくて苦労した事件がありました。小選挙区制をベースとする国では、1票差が問題になる接戦は稀で、精緻な開票をしなくても大勢はわかるというので、複雑な投開票の仕組みに何の問題意識を感じなかったということです。
実際に、労働組合でもマンション管理組合でも、役員選挙と選ばれた役員を役員として承認する手続きを二段階にしているところが多くあります。開票結果は原資料、当選人の決定はそれにもとづく判断、判断基準は公選法の当選人決定の規定ということになるのだと思います。

●細かい話ですみません。

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2015.07.11

7/11 政務活動費で購入した本をどうするか

少し古い話題ですが、自治体議員の政務活動費の使途に問題が多く発生しています。朝霞市議会も4月下旬に各会派・議員からの使途報告が締め切られ、そろそろ公開できる状況になっていると思います。

私は議員に交付される政務活動費(月2万円)を広報物の印刷に使わないことにしています。
広報物に使っていけないことではありませんが、もともとは政務調査費の本来の目的からすると、優先度が低いはずで、それより優先すべき支出に充当していると広報費までまわらない、ということです。
政務活動費の使うべきまず第一は、専門家にお話をお聴きしたり、研修や個人としての視察(現地に見学に行くというのが実際の感覚に近いです)に行ったり、本を買ったりする「政策調査」の経費だと思っています。
続いて、議員になったことにともなう「事務経費」、私で言えば、ファイルを買ったり、プリンターのトナーを買ったり、ペンやノートを買う費用に充当します。事務所家賃に使っておられる議員もいますが、朝霞市内で月2万でおさまる事務所などなく、それで全てになるので、調査にお金を使えなくなってしまいます。
さらに余れば市民との意見交換にかかる「広報経費」となるのだと思います。ここは選挙を意識した政治活動とは一線を引くことは難しいと思っているので、優先度は最後です。
朝霞市議会議員だと月2万円、年24万円ですから、「政策調査」「事務経費」でほぼ金額を超えてしまいます。「広報経費」に当てる余裕はありませんでした。この3年8ヵ月の議員活動のなかで、全てをこうした費用に使ってきました。

困っているのは、こうした政務活動費で購入した書籍の使用後です。公金で買った本ですから、まだ読めるし資料的価値があるのに捨てるものでもありません。細かい政策に関わる専門書は、高額です。
それらを市立図書館や議会図書室に寄贈しようと思うのですが、ここにあの悪名高い公職選挙法が立ちはだかります。国会議員が有権者にうちわを配って問題になりましたが、買収と間際らしい行為を防止する目的で、政治家は選挙区内には一切の寄附(プレゼント)をすることができません。したがって、図書館や議会図書室に寄贈することはできない、と解釈されます。
結局、自宅でうずたかく、役所の備品などの保存年限ぐらいまで保管しておくことになります。積極的に他の市議会議員と共用してほしいと思えば、自分の所有権を明示して、図書室に預けるという手もある、という案内も受けましたが、それより他にないかと思います。

公職選挙法の改正や、解釈の改正などによって、せっかく公金で買った資料を、市民(市立図書館)や市議会(議会図書室)で共有できる仕組みに道を開いてもらえたらと思います。

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2015.05.08

5/8 史上初の任期満了による英国総選挙

英国の総選挙の開票が進み、第三勢力の進出が話題になりましたが、結果としては保守党が勝利するようです。
地域主義を色濃く出した第三勢力の進出による不安定化、王室のおめでたいできごとなどが保守党を勝たせたようなところがあります。私は「女王陛下の労働党」びいきなので、結果だけは残念だとは思っています。

●今回の英国総選挙は、初めて任期が設定され、解散によらない任期満了で行われました。英国は王様が議会を持ち、解散する体裁になっているので、任期もなく、王から執行権を授権されている首相が解散を決定する、という体裁でした。しかし、首相がタイミングを選んで選挙することを、解散前の政権のパートナー自民党が問題視、首相の解散権を制約させることを要求し、保守・自民の連立政権のなかで法律として通っています。
首相が任意に解散できる議会は、先進国では、残るところ日本の衆議院だけになってきました。

●英国は、買収や脅迫、選挙妨害以外、選挙運動の方法に規制がほとんどありません。戸別訪問中心の選挙運動で、お金がかからなければ騒々しいこともないようです。逆説みたいな話ですが、そうなのだろうと思います。

●日本では、行進や卒業式などに使われる「威風堂々」という曲、作者ホルストエルガー(同じCDに入っていて誤解してしまいました。訂正します)は、保守党政権の英国を鼓舞する趣旨で作曲したので、労働党員には使わせるな、と言っていたらしくて、残念な話だなぁ、と私は思っています。

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2015.04.20

4/20 選挙ポスター用掲示板のムダをなくす法

Dscn6106いくつかの自治体議員選挙を手伝っていますが、選挙ポスターの公営掲示板から考えさせられることがいっぱいあります。あんなにたくさんの欄が必要なのかということです。必ずいくつも使われない欄があってムダなんです。

選挙の公示と、選挙の届出と、選挙運動の開始日がすべて一緒にしているからこんな馬鹿なことがおきるのです。当日、ふらりと選挙に出たいという人がいたときに公営掲示板が足りないことが許されないからです。それなら、届出を確認してから掲示板を作るように日程組んだらどうか、と思うのです。
そのためには立候補届出締切日と、選挙運動の開始日に間をあければいいんじゃないかと思うのです。いろいろな矛盾が解決します。

届出次第、選挙運動開始というから、届出が落ち着かない。実際には届出の前に事前審査をされて、それに通らなきゃ、選挙の準備もしていられないほど催促電話がかかってきます。実務では、事前審査が届出日のようなものです。掲示板も、立候補者説明会の出席陣営数、事前審査を通した陣営数を見て、掲示板を準備していくわけです。

有権者にアンケートを取ると投票に最も参考にしているはずの選挙公報が公示日に配布されていることはありません。自治体の選挙なら、投票日の前の水曜日~金曜日あたりに配布されています。期日前投票が何日も進んだところで配布されるのです(期日前投票をやたらに促す議論にはこういう点からも問題があります)。

●外国では選挙運動開始日という概念がない国も珍しくありません。届出も、1日限りではなくて、締切日という考え方を取っています。個人名で投票する選挙をやっている国は、そもそも届出の制度がない国もあります。
選挙に関しては合理化する余地がいっぱいあるのに、誰もゼロベースで考えられず、いつまでも1926年、治安維持法と抱き合わせで作られた議員選挙法のやり方のまんまで、機械化しろとか、電子化しろとか、そんな提案しか出てこないところに日本人の民主主義の水準があるのかなと思います。いずれ議会改革のように、そもそも論からの見直しが行われる時代が来るとは思いますが。

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2013.11.05

11/5 徳洲会選挙違反の報道は厳密に行うべき

徳田毅議員にも徳洲会にも今まで義理はないのですが、どうも選挙違反事件の報道が、有権者に誤解をまきちらすおそれがあるのではないか、と考えています。

徳洲会が徳田毅議員の選挙応援に全国動員かけたことがそもそもいけないかのような報道がされていますが、それがただちに選挙違反になるのでしょうか。こういう報道をすることは、団体が選挙をやってはいけない、という誤解になります。

今回の問題は、選挙運動に動員するために、徳洲会の従業員に旅費を渡したり、その間、休暇手続きを取らせず業務時間中にさせていたということになります。そのことが買収である、ということです。

そこをぼかして、そもそも団体が選挙運動に関わると選挙違反であるかのような報道の仕方は厳密性に欠けるのではないかと感じていることです。

今回は企業ぐるみ選挙の話で、従業員の自発性も合意形成もなさそうなので、法律的ではなくて道義的に問題だと言えますが、今回のような報道のされ方をすると、公害病患者の会とか、保育所問題を解決してほしい団体とか、道路建設を推進したり、あるいは反対したりするグループ、公益的に政治との関わってきた団体も選挙運動に参加することがいかん、という議論にもなりかねません。

実は選挙や政治家のしてよいこと、してはいけいなことに関する誤解はあまりにも強くて、何もかもしてはいけないと思い込んで合法的なことについてクレームをよくもらいます。そうした誤解があまりにも広いので、当たらず触らずを処世訓のようにしている政治家もいないことはありません。

選挙違反の取締は、政治的自由の抑圧になる可能性もあるので、その犯罪の立件した前提をもう少し正確に報道してほしいものです。

なお、団体が選挙に関与することの是非論はあるのかも知れませんが、いくつかの留保をして私は認めざるを得ないと思います。安易に団体の関与を否定する議論が大流行ですが、あんまりやりすぎると政治家の本当の出自がわからなくなります。むしろ応援した団体側が積極的に支援した政治家を公表して、政治に入るバイアスを透明化する方が重要です。

●団体のすべてが選挙運動に関わってよいとか悪いとかあるのではなくて、法人格や事業の認可基準、補助金の受取の有無などによって変わってきます。

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2013.09.29

9/28 福島に行けず間の時間でドイツと日本の選挙規制の違いを学びました

Dscn3864昔の職場、自治労に加盟する民間労組の組合員が福島県新地町にボランティアに行くというので、昨朝は見送りに行きました(左写真)。在職中の信頼関係である加盟組合が総会に私を呼んでくださっているので、お誘いいただき、同行する予定でしたが、市内行事や会議の都合で行けなくなり、見送りとあいなりました。

2011年4月2日、交通機関がマヒして、かつ原発の放射能被害の全貌がまだ明らかになっていないこの時期に、福島県の沿岸部北側の相馬市、南相馬市、新地町に入るボランティアはまばらでした。そうしたなか自治労が災害対応の組合員ボランティアを派遣することになったのですが、その第一歩が新地町でした。その後どうなっているのか直に見たかったので今回の機会に行けず残念な思いです。

それで行けなくなって、ちょうどできた空き時間に自宅で作業していたところ、日向小平市議のツイッターで、生活クラブ組合員などで構成する地域政党「小平市民ネットワーク」主催の「公職選挙法のおかしさを知る~政治の情報を市民の手に~」が開かれるのを知り、急ぎ武蔵野線で訪ねていきました。

ドイツ総選挙から帰ってきたばかりの早稲田大学の坪郷教授から、日本の選挙規制はそもそも自由な選挙とはほど遠いのに、①選挙運動の自由は政治家や政党にしかなく市民どうしの選挙運動の自由はほとんどない、②ルールが難しく役所にうかがわないと違法になるかどうかわからない自由な社会の法律としてどうかという問題、③運動スタイルを規制するやり方が憲法や人権に反するのではないか、という問題提起をいただきながら、先週あったドイツの選挙運動のやり方を紹介していただきました。
日本では違反してはいけない約束としてマニフェストが位置づけられていますが、ドイツではむしろ連立政権協議や政党間合意をするにあたり修正するための、交渉の基礎資料として「選挙綱領」が詳細に書かれているという話には、重箱の隅をつついて相手の失点待ちを続ける日本と、異なる考え方の人たちと話し合って合意形成をめざすドイツの政治風土の違いを感じるものでした。

ドイツの総選挙は、全体の議席数を比例代表で決め、配分政党のうち誰を当選させるかを小選挙区制で決める制度になっています。選挙は主に比例代表をめぐってたたかわれ、政党が人の集まりそうなところに小さなブースを作り、パンフレットを配りながら市民の質問に対応したり議論をしたりしながら進め、時々党幹部クラスの街頭演説会がある、というスタイルで、日本のように個人名をガンガン押し込むようなことはしていないということです。
小選挙区の個人名選挙の運動はほとんど行われていないということで、個人的な知り合いを集めてミニ集会を少しやる程度だそうです。そこは個人名を覚えさせなきゃ何も始まらない日本の選挙との大きな違いを感じます。
選挙の判断基準として「政党より人」ということがもてはやされていますが、(私の支持者以外は)それじゃ日本の政治風土が属人的なものにとどまり、そこには政治家個人をめぐる嫉妬や定まらない評価をめぐって生産的な議論にならず、良くならないのかも知れない、と思いました。

先生が持ち帰ってきた配布文書を見せてくださいましたが、作成と配布の規制がないので、非常にセンスのある凝った印刷物が作成されている一方、候補者個人のものとしては名刺サイズの政党パンフレットに多少候補者名が書いてある程度のものしか作られていませんでした。

坪郷先生との意見交換では、細かすぎる日本の公職選挙法が、政治家のリクルートシステムとしては、マニアックな制度理解が好きな人を優位に立たせるシステムとしての問題があるんくじゃないか、ということもおっしゃっておられ、選挙事務所も市民が開かれた運営より、コンプライアンスを優先するあまり防衛的な運営になることが否めないなぁ、と感じました。

何より、市民が政治をつくっていくんだ、という前提になっている制度とシステムであり、日本のように政治が政党や政治家に独占され、しかも彼らとてうかつに市民に近づけないようにしている制度と大違いだということは、とても面白い学習でした。

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2013.07.18

7/18 投票所入場券で本人確認をすることを考える

選挙ネタばかり続いて申し訳ありません。今回はみなさんの投票の手続きについて、前から考えている疑問です。

朝霞市では選挙の投票上に入るための切符、投票所入場券を世帯単位で配布しています。自治体によっては有権者一人ひとりに郵送しています。昨今、DVが問題になったり、単身赴任や就学で住民票を移さない人たちの問題が話題になっていますが、そうした観点から、私は投票所入場券は個人配布にすべきではないか、と考えています。しかしそうするためには選挙にかかるコスト論が立ちふさがることでしょう。しかし民主主義の手続きの基礎的な部分においてコスト論で話をごまかしてしまっていいのか、と思っています。

そのようなことを言いましたら、政治学者の方から、そもそも投票所入場券で本人とみなしてしまうことの方が危険ではないか、きちんと本人証明できる書類を見せてもらうなど、他の手段で本人確認を取るべきではないか、とご指摘を受けました。

確かに、とくに統一自治体選挙などのたびに、投票所入場券でなりすまし投票をした、という事件が後をたちません。昔は入場券が売買されたなんて話もありました。入場券を持っている、ということで本人かどうか確かめる注意力が低下してしまう、ということは否定できないと思います。

そして今の選挙制度においても、投票所入場券がなくても本人確認できれば投票所では投票を拒まないということで、むしろそのことをきちんと広げていくことが必要なのではないかと思っています。

家父長が厳しすぎて自由に投票に行けない、DVで避難している(しかしまた住民票を残した自宅近傍をうろうろすることは危険かも知れませんが)という人も、入場券がないからと投票できないということはない、ということを覚えて、ぜひ大事な公民権を行使していただけたらと思っています。

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2013.07.10

7/10 ネット選挙が始まって

今回の参議院議員選挙からインターネットの選挙運動が解禁になりました。
以前は、インターネットに投票依頼をしたり、候補者の売名行為につながりかねない文言を入れると一律違反で、選挙運動期間なのに、インターネットに限らず何も政策を語り合えないという、変な選挙でした。そういう意味では、候補者やその政策について、限定はあるにしても、インターネットやソーシャルネットワークサービス上で自由に書けるようになったことはよかったのではないかと思います。

ネット選挙が解禁になって、いくつか反省点もあります。ここをきちんと是正していかないと、ネット選挙なんか情報の氾濫だからやめろ、とまた日本人的な規制がはじまりかねません。

①TwitterやSNSの掲示板のようなところで、選挙運動の報告をやるのはほどほどに。
  誰が演説していようと、何しようと、有権者には意味ありません。陣営内部の元気づけでしかない情報ですから、そういう事後報告的な記事は極力絞ってもらうか、blogやホームページなど読みに行きたい人だけが見るツールでの公開にした方がよいです。

②いつ演説会があるのか、何を手伝ってもらいたいのか、と有権者に働きかける情報が少ない
  広く市民参加が行われる選挙に向けては、インターネットで伝える情報に、有権者への行動提起が重要です。いつ演説会があるのか、手伝ってほしいのか、手伝ってもらう業務があるのか、公開していくことは重要です。いささか、追い風選挙になれきった陣営に、自己防衛的にそういう広がりの輪を作る情報公開に弱いところがあります。

③政策がない
  政策論争についてちょっとでも書いている記事が少ないです。紙媒体では禁止してできませんし、じっくり考えたい人にはふさわしいツールなのですから、もっとインターネットを活用してほしいものです。
  本来、そこをやりとりするのが大事なインターネット選挙だと思います。そうでなくて日本的なコミュニケーションの手段を義務的に一つ増やしただけとするなら、もったいないことです。

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2013.03.27

3/27 今頃裁判所が一票の格差で選挙無効を言うなよ…

一票の格差が2倍以上開いているからと違憲判決が相次ぎ、なかには選挙無効を宣言するものまであります。
メディアも法曹界もやったやったという雰囲気ですが、私は少し待てと思っています。

私は高校生のときに、政権交代がおきないのは選挙制度のせいと本気で思い込んで(後でそれは誤りとわかりますが)、1980年代末の定数是正の議論を追いかけて調査したことがありますが、その時代の一票の格差など、4~5倍はざらでした。
13万票取って落選(1983年千葉4区染谷誠候補、1986年竹村泰子候補)する人もいれば、4万票ちょっと(1983年新潟3区桜井新候補)で当選できる不公平さを、裁判所はほとんど違憲判決を下さず、ましてや無効などありえない、という扱いをしてきています。当時は中選挙区制で、選挙区の現職のうち落選するのは1~2人しかいないため、どうしても現職議員が選挙区の定数変更に否定的になりがちだということがあったのだと思います。選挙区をいじらず、定数不均衡の上と下を1つずつ移動せさるような調整を続けたので、なかなか抜本的な変更ができなかったため格差は広がる一方でした。

それにかえて今の選挙区制度は、47議席を各県1議席に配分して、残り253議席を県別人口で比例配分するルールが確立されていることと、高度成長期と異なり激しい人口移動がないことなどから、中選挙区制時代に比べて「格差を放置」している度合いは少なくなっていると思います。各県1議席を上積みしている制度が、どうしても2倍以上になる原因になっていますが、現在では中選挙区制時代のように著しい当選者の最低票と、落選者の最高票が大きく逆転する事例は解消されつつあります。

そういう意味では、裁判所が「格差を放置」などと断罪するのはどうなのでしょうか。高度成長期の一票の格差を放置したのはその頃の定数不均衡に関する裁判で、甘い判決を下し続けた裁判所の責任は大きいのではないかと思っています。

●ちなみに選挙制度をいじって政権交代が起きるかどうかの検証結果ですが、1986年の選挙結果で言えば社会党が86議席が140議席になるのがせいいっぱい。それでも政権交代は起きません。1989年の選挙結果に至っては、社会党が140議席が165議席ぐらいにしかなりません。選挙制度の問題は少なくありませんが、それだけでは政権交代はおきない、ということを確認した次第です。

●一票の格差を縮めていくと、どうしても都会ばっかり議席が増えることになります。都会に議席をたくさん渡せば、どうしても地域間格差の痛みを理解しない人の声が大きくなり、地方交付税を削れ、規制緩和をしろという人の政治的発言力が強くなります。したがって、一票の格差を縮めろという運動は、かつては社会党シンパや新自由クラブシンパの弁護士が多かったのですが、今では、こうした裁判は新自由主義者がたくさん応援しています。

では地方の議席配分を手厚く盛るということですが、それに合理的な手法がありません。しかし明らかに地方と都会では政治に求める具体的な期待の有無の差は大きいものがあります。
私は、その差は投票率にあると見て、前回総選挙の総投票数で衆議院議員の議席配分を行うのは1つの手段じゃやないかと思います。そこに住んでいる有権者や人口によって自動的に議席を与えるのではなく、積極的に投票に行った地域には議席を手厚く盛る、棄権者が多いところにはそれなりにしか議席を配分しない、という方法です。

●一票の格差よりも、選挙運動の不自由さの方が政治的自由をめぐる人権弾圧であり、憲法問題を抱えているように思いますが、そうしたことをきちんとやっている弁護士は自由法曹団しかいません。自由法曹団を顧問に抱える政党が選挙の現場でやっていることは、違反告発合戦の主人公だったりするし…。

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2012.12.22

12/22 インターネット選挙運動の解禁の動き

選挙前はインターネットによる選挙運動の解禁に後ろ向きで、終始決めきれなかった自民党。しかし選挙後、安倍首相は新経済なんとかの三木谷氏と会見し、早期にインターネット選挙の解禁をしたいと言ったことが、話題になっています。

私は日本の選挙制度が「文書図画」の規制として、ありとあらゆる表現手段を制限し、自由な表現手段が、宣伝カーによる連呼と、投票してくれとしか言えないような電話かけにおしこめられ、政策も理念もない選挙になっていることは問題だと考えていますし、これは国連からも国民の政治参加を奪う権利侵害の一つとして指摘されていることです。

そういう意味で、インターネットだけを解禁するとか、そういう議論自体がナンセンスだと思っていますが、一つでも表現手段が増えることは、表現手段を増やす突破口を開くことにはもちろん賛成です。

いろいろな弊害を言う人がいますが、またそんなことでつまらない規制をたくさんつくり、今以上に、政治参加の道が、公選法の抜け穴解釈に長けた人しか政治家しか開かれないというのは問題です。政治家どうしの議論が、しばしば、企業家や官僚に比べ、揚げ足取りの矮小な議論に終始するのも、そういう関心や注意力の払い方をしないと選ばれないからでしょう。

さて今回問題だと思うのは、①改選前、民主党が提案したインターネット選挙の解禁が自民党の抵抗で葬られた経緯について誰も何も指摘していない、②インターネット選挙の解禁を打ち上げる相手が間違っている、と思っています。
①については、自民党がインターネット選挙解禁の優先順位を上げ、放置から推進に代わった理由づけや説明が必要です。さっきまで反対していたのに、国民受けしていいことだからやるという最近の政治の政策決定の態度が混迷を呼び、有権者に混乱をもたらしています。
②については、選挙制度の変更は、全議員の合意、それを抽象化した全政党の合意で進めるべきことで、どこの議会でもそういうやり方をしているはずです。したがってインターネット選挙をしたいというなら、まず話すべきは野党であるべきではないかと思います。また解禁を打ち上げた相手が、そのことがビジネスになるインターネット業界の社長さんたちというのも、なんだかなぁという感じがしています。インターネット選挙解禁は、政治家や政治運動をしている主体の側から、有権者に語りかける手作りの選挙宣伝を取り戻す動きであって、そこにインターネット関連業者が選挙ビジネスとして流入してくることは、杞憂される金のかかる選挙、手の届かないところで決まる政治の復権じゃないかと思うのです。よくよく注意して進めてほしいと思います。

●今回の総選挙を通じて、よかったと思うのはインターネット選挙に関する世論が少し成熟したことです。以前は表現の自由、政治活動の自由とは別にインターネットという技術だけを切り出して語る解禁論が中心でしたが、今回の選挙では、表現の自由、政治活動の自由としてインターネット選挙の必要性を語る意見が増えてきたことです。

●赤木智宏氏が、選挙時の政党バナー広告だらけになったことをさして、インターネット選挙になるとああいうものが氾濫するぞ、という意見をツイッターで言っていますが、少し違うと思います。
金のかかる選挙という戦前の内務省がまきちらした誇張が、文書図画による選挙運動を規制し、選挙で政策が語れないというばかばかしい事態を招いているのであって、金をかけないことよりも政策判断できる選挙にすることが優先順位じゃないかと思います。
また運動側の陣営も、政策や主張を伝えられれば、あのような金ばっかりかかって無意味なバナー広告を氾濫させる意味は少なくなり、むしろまともなところに落ち着くのではないかと思います。
金の話で言えば、解禁してもしなくてもかかるお金は変わらないと思います。今のような規制を続けても、選挙運動期間前の文書、インターネットがやまほど行われています。その段階で使う金が選挙運動期間に後ろ倒しにされるかどうかという違いでしかないと思います。
選挙期間中に文書図画による選挙運動手段が増えることで、その分、選挙運動期間中に他にやることが減らさなくてはならないわけで、無関係な人にかけてくる電話や、宣伝カーによる必要以上の派手なパフォーマンスに力をさく候補が減っていくのではないかと思います。

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