2015.07.03

7/2 公民の教科書の労働者の権利の扱われ方

2日中央公民館でスクールガードの研修会。犯罪データはいろいろ参考になる。埼玉県は警察官が少ないので検挙率が低いというのは実感する。重大事件解決してほしいものです。
スクールガードを10年務められている高橋さん、7年されている榑松さんのお話も含めて、防犯は機械やルールよりコミュニケーションが重要というのは同感です。
自転車のベルをやたら鳴らすと道交法違反、という県職員の説明にややがやがや。中学校の部活なども含めて、自転車に乗れない人の交通権、人権が埼玉県内の課題だと最近思っています。バスが貧弱なのでしょう県内。

Dscn6313その後、同じ建物の中央公民館でやっている教科書展示会に行き、公民の教科書を拝見し、労働問題を確認しました。何せ朝霞市民の多くが(ビジネスマンやサラリーマンという言い方もありますが)賃金労働者です。

清水書院の教科書が、労働の意味から、労働三権の背後にある労使交渉や不当労働行為など原理的なものからていねいに説明されています。加えて、現在的な労働問題まで書かれていました。きちんと読み込むことができれば労働に関してはこの教科書がベスト。
一番ダメなのは育鵬社の教科書で、何を書いているのか抽象的な言葉ばかりでさっぱりわからない。働くことの尊さのような話が前面に出すぎ。似た思想の自由社の教科書は育鵬社よりましですが、通り一遍の説明で分からない人にはわからないでしょう。
その他の、東京書籍、帝国書院、教育出版、日本文教出版の4社は、労働三権に関して形式的にしか説明していなくて、これだけでは団結権・団体交渉権・争議権という型どおりの記憶しか意味を持ちません。説明不足を感じました。ただ、深追いしていて、今どきの非正規労働の問題やブラック企業のことなども書いてフォローしていることは、私たちの時代よりよい教科書のように思いました。

後日他の教科書を確かめてみようと思います。

●労働問題の基本のきを子どもに伝えるなら私は「レモンをお金にかえる法」を勧めています。話は夏休みにレモネードの屋台を経営するティーンエージャーの話なのですが、店が大きくなって従業員を雇うあたりから労働問題が出てきて、労働力の売り惜しみ、買いたたきを経て、最後に和解して利益を分け合う、という資本主義にとって労働問題は切っても切れない話だ、ということを学び取ります。
新しい労働のかたちなどと言って、安易に労働問題がなくなるかのように考えている人もいますが、経営と労働が一体、という組織だって、誰かが誰かを働くように空気を作ったり、雰囲気作ったり、場合には場の空気を制圧していたりするもので、大なり小なり労使関係の問題を抱えているものです。

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2015.01.29

1/28 請願した市民の意見陳述が行われました~市議会・給食への放射能検査の強化をめぐって

28日の市議会・教育環境常任委員会で、11月に市民から市議会に提出された「学校・保育園の給食の放射能測定の改善に関する請願書」をめぐって、提出した市民の意見陳述が行われました。

内容が専門的なものであり、市側の収集する情報だけでは十分な判断ができない、と思うところもあり行われたものです。
請願をめぐって、提出した市民をお招きしてご意見をうかがうのは、市議会としては久しぶりのことでした。私の所属する民生常任委員会も同じ請願が提出されており、都合のつかない1人を除く民生常任委員も、この議論に参加いたしました。

市民からの請願は、現在の朝霞市が熱心に放射能検査をしてもらっていることは理解しているが、さらに精度の高い検査を行うために、現在の機材のほかに、10ベクレル以下も検出できる検査器の導入を求めるほか、市の放射能検査の結果も市の基準値以下のものを「不検出」と記載するだけではなく実測値も記入してほしい、などを内容とするものです。

昨日は請願者に来てもらい、請願を提出した経緯や理由、市議会議員が市職員に聞いてもわからない疑問点などを質疑しました。その後、委員会採決をするか判断しましたが、次回以降の判断となる「継続審査」とすることを決して終了しています。

●請願を提出した市民に、意見表明をしていただいたり、議員からの質問に答えてもらう機会をつくるのは、市議会の改革のテーマとなっています。

現在は提出者を市議会に呼ぶことはめったにしていませんが、その場合、市民が市政に困っているから課題があるからと請願を出しているのに、現状の仕組みのもと精一杯仕事をやっている市職員と議員だけでその扱いを議論するのは手続き的に問題があるのではないか、と思います。もし、請願に応えられない判断をするとしても、何が課題で応えられないかを市役所の事情だけではなくて、全体状況から正確に突き詰めておくことが大事ではないかと思います。それがその後の市政の改善につながっていくはずです。

また、これは市議会の課題ですが、昨年来の自治体議員の相次ぐ不祥事で自治体議会不要論が根強くあります。朝霞市民も口には出しませんが、投票率が3分の1を下回ろうとしていることは、潜在的に市議会に意味を見いだしていない市民が多くいるのだと思います。いったい市議会は市民とどう向き合おうとしているのか、従来の後援会を通じた市民の組織化だけではなく、こうした表玄関からも市民と向き合い、議論に巻き込んでいくことで、かえって市議会の機能や議決権の意味を理解していただく機会になるのではないかと思います。

●委員会でどのような議論が出たかは、続きを読むでご覧ください

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2014.04.01

4/1 県議会文教委員会での修学旅行感想文の資料提出などに弁護士会が抗議声明

2013年12月の埼玉県議会で、修学旅行に参加した生徒の感想文を県議会文教委員会が検閲するような決議を出したことを問題として取り上げましたが、それに3月29日の毎日新聞埼玉地方版対して、埼玉県弁護士会から抗議声明が出されました。
抗議声明の全文を入手いたしましたので、お読みになりたい方は文末「続きを読む」をクリックしてください。

公教育は、どんなに所詮、国家や社会や学校秩序の要請という呪縛から逃れられないものだ(それでもできるだけそうしたところから距離を置く学問の自由は保障されるべきですが)、という限界をふまえた上で、どのように子どもの自由、とりわけ思想などの内面を守り知的能力を向上させるか、という私の考え方とアプローチとは大きく異なりますが、法解釈を引用するなど、学校への政治介入を警鐘を鳴らす立場からは正当な内容ではないかと思います。
いずれにしても、①政治的には非力な子どもの感想文を政治家が点検するなどという検閲を想起されるようなこと、②権力的な多数決原理によって教育への介入など、やるべきことではないことは言うまでもありません。

●地方自治としては2つの問題を孕んでいます。1つは、教育委員会制度が独立王国制度になっていて、首長部局以上に、市民の声が通じない世界がある、ということです。そのことによってかえって、右も左も、教育政策は、副作用も考えないでもの言う政治家が言いたい放題の世界になっている。今回の県議会文教委員会の動きは、そのことの政治サイドの甘えの結果ではないかと思っています。

●もう1つは、直接的なつながりではないにしても議会改革との関連。今まで議会はサボタージュの面ばかり問題になってきましたが、こうした二元代表制としての権能を使い切って自治体議員がデタラメなことをしたとき、従来と違って働き過ぎて人権侵害を起こしてしまったときにどうするのか、ということがあまり考慮されていないのではないかと思います。

●台湾人軍属での思い出があります。私が大学生4年生、1ヵ月だけ社会党代議士(後に離党・落選)の政治家の秘書アルバイトをしたときに、国会事務所にお見えになったのが台湾人軍属の方々でした。日本を大切に思い、蒋介石の圧政のもとで我慢してきた彼らが、戦後補償を受けられないでいることを切々と訴えられていました。その方たちを思い出すと、そこに修学旅行に行き、当事者の話をお聞きすることが、右派とみられる政治家から、反日教育と断定することに強い違和感があります。

●政治家の正義への欲求を満たすために教育現場にいたずらに首突っ込むのはやめた方がいい。私だっていろいろ思うところはありますが、運営的な問題以外は言わないようにしています。政治的な冒険をしたい欲求にかられたら、反対の立場から同じことされたらどうなるか、と想像することが大事ではないかと思います。

●2014年3月12日
埼玉県議会文教委員会による高校の修学旅行への介入行為に抗議し
教育現場の自主性の尊重を求める会長声明
埼玉県弁護士会 会長 池本誠司
(以下声明本文)

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2012.05.03

5/3 発達障がいの原因は親説を橋下大阪市長は否定

前掲の、大阪維新の会大阪市議団の条例案のうち、発達障がいの原因は保護者のネグレクトにあり、と決めつけて、保護者の根性をたたき直さなくては、という部分について、橋下市長自身のtwittwerで、非科学的とコメントし、この部分については採用したくない意向を示したようです。

最悪の事態にならずほっとしていますが、橋下氏の子分たちが話し合って採用した政策なわけで、そして維新の会というのは、政治業界ではトレンドとみなされていることから、政治業界の改革派がこういう感覚に飛びつきやすくなっていることに、不安と危惧を感じています。

またこの条例案は、他にも問題項目が多いと思うので、それはそれできちんと注視していかなくてはならないと思っています。

●いつまで高橋史朗みたいなトンデモ研究者を教育政策の提言者として採用するんですかね。

●政治家の倫理としても恐いものを感じます。維新市議団のような政治家たちは、「今の親はバカ」と本音では思っていながら、選挙になれば「子育て支援」「待機児童解消」とか演説しているわけですよね。本来の保守的な人であれば、バカな親をみたらその場で「ちゃんとしなさい」と注意すべきではないかと思うのですが、そんな親たちにぺこぺこ頭を下げておきながら、内心では「このバカ、いつか行政にとっちめさせてやる」と思っているとしたら、非常にシュールなものを感じます。

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5/3 大阪維新の会議員、発達障害は親の問題と条例に

映画「選挙」「精神」の監督、相田さんのtwitterから詳細の内容を知りましたが、大阪維新の会の議員たちが、橋下市政の教育改革のための条例として、5月の市議会に提出する「家庭教育支援条例案」。問題になっている保育士体験の義務化だけではなく、発達障がいは親に原因があると位置づけることが盛り込まれていることが、自由法曹団の弁護士によって明らかにされています。

家庭教育支援条例 (案)平成24年5月 「大阪維新の会」 大阪市会議員団(自由法曹団資料)

深刻な虐待などを除き、ほとんどの発達障がいは、親の育児に原因があるわけがありません。私の周囲でもその保護者たちは、全身全霊で子どもを支え、ダメ親になることなど許されない状況のなかで、本人たちはそんなつもりはないと思いますが、模範的な保護者として生き方をしています。それでも、障がい者の保護者はいまだに偏見のまなざしや肩身の狭い思いをして生活している人が少なくありません。そういう人たちに根拠もなく原因はあんただ、と言って社会の片隅におしやるこの条例は悪質です。

●「親学」という中で、あの維新の会の議員のうちどれだけきちんと子育てをしているのか(こういう言い方は子どものおられない方には大変申し訳ない言い方なんですが)、当然子どもの目をみながら授乳(男性議員だったらミルクを与える)ぐらいやったことがあるんだろう、そうでなければ子どもはグレでいるんだろうかと、ビデオでも持って追いかけ回してみたい気もしています。

●この条例の下敷きになっているのが、埼玉県の高橋史朗前教育委員長の考え方のようです。
衆議院議員下村博文ブログ「「親学」推進議員連盟設立総会のご案内」2012.4.5
(そしてそこには、鳩山由紀夫氏が顔を出しているではありませんか。下村氏「親学推進議員連盟設立総会」)
以前私はこの高橋史朗氏の発達障害に関するとらえ方、提言についてかなり問題があると指摘してきました。
2010.04.23 高橋史朗前県教育委員の問題ある発達障害児への見方
2005.07.19 教育者のような顔をした宗教家
そして埼玉県もマイルドながらも高橋氏の考え方に従って、発達障がいの予防として、発達障がい児の発見のためのスクリーニングなどいくつかの実害が少ない施策が展開されています。それでも上田清司埼玉県知事の立派なところは、高橋氏は政治的象徴として任用したにとどめ、大阪市のようにどぎつい政策にしなかったことではないかと思います。そういうゆるさが埼玉県の良いところです。

●育児は機械操作ではありませんから、完全にできるものではありません。問題にならない程度の「間違い」とみなされる、たとえば抱っこをする時間的割合とか、泣いたときの対応とか、離乳食を与え始める時期とか、離乳食の栄養素の割合とか、抱っこしていたらうっかり落っこちてしまったとか、さまざまな将来への心配事があって、あとであのときああすればというのは全ての親の心にひっかかっているものがあります。そういう親の弱みに、全く非科学的な言いがかりを、もっとも深刻な状況にある人たち、しかもどうしてこうなったんだろうと原因探しをしてしまいがちな人たちに投げつけて、人生すべてに負い目を持たせるのは、やってはいけないことだと思います。
またそういう負い目に対してつけ込んでくる人たちに、冷静になれるだけの十分な社会保障が必要なのだと思います。
昨年、新興宗教の勧誘を受けて、勧誘者の人生を逆に聞き出して、ほんとうにそういうことは人間としてのマナー違反だと思いました。

●この社会は、社会の問題を構造の問題としてとらえるのが苦手だし、その問題解決のための労力やコストの負担について「税金の無駄遣い」的な議論でいつも議論が宙ぶらりんになっています。そうした中で、社会の問題の原因をついつい人間の主体性の問題にすりかえたくなります。人間の主体性の問題だけなら、教育が悪い、という話になってしまいがちです。
そうすると勇ましい改革を掲げ奮っている政治勢力は、いつも教育改革ばかりやって、この社会で多数派の常識や既成概念では理解できない現象を教育の問題にしたがるわけです。かつての中曽根政権、安倍政権、鳩山政権などがそうでした。今は橋下維新一派や、みんなの党などがそうしたスタンスを取っているわけです。

●政策について風見鶏な橋下市長は、この条例について今朝、趣味的にあわないような発言をされています。どうかこうしたトンデモ教育改革は実行に移されないことを期待したいと思います。不勉強な、社会体験の少ない子分たちをたくさん抱えて、こんな批判を受けてご愁傷様と言いたいところです。

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2012.02.16

2/17 学力テストの計測で大学生の学力を高まるか

文部科学省がこんなことを考えている。

大学生に成長度テスト検討 「勉強しない」汚名返上へ  日本の大学生は勉強しない――。そんな汚名を返上しようと、文部科学省は、現役学生向けの「共通テスト」を開発する検討に入った。入学後と卒業前に2度受験すれば、在学中の学習成果の伸びが客観的にわかるようにする。結果を分析してカリキュラムの改善に役立てたい考えだ。

こういう学力テスト的なもので測る勉強の仕方は高校生までにしておくべきだと思う。

日本の大学生が程度が低いのかよくわからない。昔の大学生より最近の大学生の方が、就職との関係で授業の出席率やテストの得点などでよく勉強しているのではないかと思うが、それが大学生卒業にふさわしい見識や判断力につながっているのか疑問で、そういうことがこうしたテストで測れるのか、学習指導要領みたいなものがないし必要もない大学において可能なのか疑問だ。より間違った大学改革にいきかねないミステイクを誘いそう。

日本の大学生の質が低いのは能力の問題よりおかれた環境にあると思う。
入口レベルでは、文部科学省が学校法人への補助金ばらまきのために、申請するだけ大学を作ることを認め、大学全入という事態を招いたことである。
大学より上の教育は特殊なもので、全員に受けさせるべき教育ではないと思う。人口の1割しか大学にいかない社会であれば大学生は(多少の歩留まりがあっても)意欲と頭の良い人間しかなれない。そのことを全面肯定しているのがヨーロッパの大学で、優秀な一部の国民しか行かない代わりに大学の学費どころか寮の無料支給、返還無用の奨学金の支給などが行われている(日本では学費がタダという話ばかりされているが)。貧しいけれども優秀な人を社会が見落とさない仕組みになっている。日本は理論上希望すれば10割行けるから、本人は意欲も力もないし大学出てキャリアアップする見通しも立たないのに、親はじめ周囲が薦めるままに大学に行っているわけで、そうした大学の学力の平均値が諸外国より上になるわけがない。まじめな労働者として社会に参加してその中で技量を磨いた方が幸福感を得られる人まで、学校法人に貢がされているのが日本の実態だ。

人間の社会的な存在価値というのは多種多様で、そのことと密接に関わって人間は幸福感や自己存在を確認できる。そのことを充足させる方策もなく、啓蒙主義を全面展開して、世の中全ての人に高い教養をつけることは不可能だしやるべきことではない。教養が必要な人間もいれば、実学が必要な人もいる、人それぞれに生きる社会的意義というのは異なってくるものなのに、一律に高等教育を受ければ受けるほど世の中が進歩する、という前提がおかしい。
大学全入をやれば、本来大学など行かなくても十分に世の中に役に立っていける人をいたずらに教育機関につなぎとめ、人間をおかしくしているような気がしている。行くべきでない人が行っていれば、それは学力が下がるのは当たり前で、同世代の1割しか大学に行けない社会の方が大学のレベルが高いに決まっている。
また、高卒したら必ず大学に行くというのではなく、80年の人生のなかで必要になったら高等教育を受けるという社会にしていくことが大学にとっても社会にとっても個々人にとってもベターな社会になっていくのではないかと思う。

もう一つ、今の大学が就職活動にあまりにも力を注ぎすぎることに問題がある。一番大学が大学たらんとする3年生から脅迫観念的に就職活動をやり続ければ学問は受け身にならざるを得ない。無駄な議論、ややこしい話はしないように慎むのがマナーになる。個々人の努力で人間力を磨くことばかりになる。そんなところで学究的な態度が育つとも思えない。大学が機能していない。

文部科学省が勉強する大学にするためにやるべきことは、違うだろという感想を持たざるを得ない。少なくとも日本の大学を勉強する大学にするためには文部科学省は、従来の常識に対する真剣な自己批判が不可欠である。

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2011.09.02

9/1 税金使って「バカはなおせる」

多分、子どもが学校でもらってきたビラだと思うが、市の教育委員会の企画で、全市の学校を通じて動員がかけられる講演会の内容をみて、口あんぐり。

「脳科学!子どもも大人も、育脳!!
本当はもっと凄い!あなたの潜在能力を引き出す、脳の訓練法
(中略・講師紹介で)
主な著書に「バカはなおせる 脳を鍛える習慣、悪くする習慣」「脳力で手を伸ばす」…」

自己啓発セミナーか、いんちきなエステティックサロンの広告みたいな言葉が次から次へと並んでいる。
もうその言葉遣いから、長田百合子や、高橋某のようなノリが感じられる。
親どうしの子育てのあら探しをあおるようなものなのだろう。

●こういう疑似科学みたいな講演会に限って、手話通訳や要約筆記や、保育がついて、弱者対策が行われるんだな。うちのまちは。
もうちょっと市民が本当に自信をもってレベルアップできるような、市民どうしが役立てられる関係が作れるような講演をやってもらいたいものだ。

●バカは治せるという発想が、共産主義の啓蒙思想を感じる。昔、ソ連の社会主義の輸入元の権威がバカや変態性癖は資本主義特有のもの。科学が発達した社会主義になったらなおせる、とのたまわった発想と似たものを感じる。

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2011.02.04

2/3 広田照幸「教育論議の作法」の痛快

広田照幸「教育論議の作法」を読む。とてもおもしろい。

教育談義には、実体のない思考停止させる言葉に満ちあふれている、教育政策に慎みが必要、教育改革にゾンビとエイリアンがいる、日教組に入れ、組合に入らない利己的な公務員が問題、など私の常日頃思っていることを書いてくれた本だと思う。

うちの知事は「親学」だのを主張するわけのわからん教育者が大好きだが、親の教育力があった時代など高度成長期の一時期だけという過去の研究結果を紹介してくれてなるほどと思う。就職するにあたって電話のかけ方を中学校が教えてくれたなんて話しも出てくる。

教員免許更新制やPDCAサイクルの過剰な氾濫の問題も指摘していて痛快。

以下おもしろい言葉から。
●うちの知事→「いうなれば、『教育力の低下』という言葉は、味噌もクソもいっしょにしてしまうような概念なのである。品のない喩えで言うと、味噌とクソとの作られ方の違いや、成分や味の違いなどを無視して、粘り気だけを単一の尺度にして比べるようなものである」
●インテリ層にとっての少子化の原因でもありそう→「あまりにも単純な要求のリストが果てしなく広がってしまうのが『○○力』の困った点です。そんなにあれもこれもと求められても、決して生身の親や生身の子は、その通りに生きられるわけではありません。親の個人的な努力の問題として、改善できる部分は限られています。下手すると、最後には『子どもを産んで、育てようとしてきた、私の人生の考え方そのものが甘かった』と絶望的な気持ちになりそうです」
●ゾンビ→「上に立つ者が権威や威厳を持ち、下で指示や命令に従う者がその権威を受け入れているような状態を、好ましいと考えます。だからあらゆるメンバーが対等な関係で社会や集団をつくる、といったあり方は「行き過ぎた平等」と考えます。…こうした人たちは「昔はよかった」とすぐに口にします。昔のムラや昔の家族を理想化して賛美します。また、まるで、昔のムラは、差別も人権蹂躙も、無知も因習もなかったかのように考えている」
「『今の個人主義の蔓延は、日教組の教育が悪い』という人がいますが…とんちんかんな議論です。共同体の解体-個人主義の広がりは、先進諸国で共通に進んでいて…経済変動の結果として生じている現象だからです」
●「町村派…しかし、まぁ、彼らが考えている『ニッキョーソ』って何ですかね?こんな発言や思考をする人たちは、はるか大昔の冷戦時代のイメージから脱却できない『旧時代の遺物』のような感じを受けています。こんな人たちが教育改革をガンガン進めちゃっているもんだなぁ、と悲しくなってしまいます」「もしも日教組がなかったら、あの人たちは、途方に暮れていたかも知れません」「時代の変化を受けて日教組自体もまったくその役割や方針を変えているわけですから、日教組にしてみると、右翼からの攻撃は一方的な迷惑そのものですね」
●「ヨーロッパ諸国の教職員組合は、多かれ少なかれ、中央・地方レベルでの教育政策の協議や決定の場に影響力を持っています」…塩谷立元文科相(当時)は…「文科省としてはそんなことは考えていない。日教組は一九九五年に方針転換し、それ以降は、お互いに日本の教育のために努力するという関係になっている」と述べています。
●「それにしても『日教組の組織率の高いところで学力が低いことを実証しようとして、全国学力テストを導入した』という中山元文科相の発言には改めて驚きます。もしその導入意図が本当だったら、ひどい話です。与党の政治的な狙いのために膨大な税金が使われてしまった上、全国の子どもたちはウソの理由づけで学力テストを受けさせられてきた、ということになります。ひどいですねー。ウソはいけませんよ。もっと道徳を勉強してください、中山さん。」
●ニッキョーソを悪役にする理由→「現実の教育がさまざまな問題を抱えているとすると、誰かがその『犯人』役にしたいという、単純な思考法があるからではないかと思います。…誰かのせいに違いない、という思いこみです。少年による凶悪事件が起きたら「ニッキョーソの教育が悪いから」。いじめや不登校も学力低下も、何もかもニッキョーソのせいにすれば、話は分かりやすい」→①埼玉県は全国でも日教組の組織率が最も低い部類の県だと思うが、青少年問題はないかというとそんなはずないからね。②同じような仕組みで役所の問題をすべて自治労のせいにしたがる、右翼、マスコミ、一部のNPO業界人、自民党町村派と半分ぐらいの民主党地方議員。NPO業界人と民主党地方議員は私の肩書きを知ると引いた顔したり、敵意むきだしの会話を始める人も多いね。
●「『非行を防ぐために道徳を教え込め』などという政治家の方には、ぜひ一度、教育困難校あたりの教壇で手本を見せてほしいものです」
●「私に言わせると、組合に加入しない先生の方が問題だと思います。だって、もしも職場の労働条件や環境を、労働組合として教職員組合が守ってくれている部分があるとすると、数千円のお金を惜しんで組合に加入しない人は、ちゃんと組合費払っている人の善意にただ乗りしている格好になるからです」
●「『今の社会は、お互いを助け合う気持ちが希薄化している』などと保守政治家がもしも言うのであれば『ニッキョーソ、フンサーイ』などと叫ばず、『教員はもっと教職員組合に入れ』と言うべきですね。『組合費を払うよりは、そのお金を自分の趣味に使った方がよい』という先生がもしもいるとしたら、それは保守政治家が嫌いなはずの、社会的関心も連帯意識も欠如した、利己的な個人主義者に違いないからです。」

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2010.10.22

10/21 首都圏の親元でぬくぬくしている学生ばかり甘やかす文部科学省

文部科学省が、奨学金の受給資格に社会貢献活動への参加を追加する方針を固めたという。
バカのバカであいた口がふさがらない。
この政策はどうも私の階級的憎悪を呼び起こす。

①奨学金のいらない学生はのびのび4年間過ごせて、奨学金の受け取った学生は4年間、授業にアルバイトにシューカツに社会貢献活動までしなければならない、ということ。

②現在問題になっている、教育の地域間格差がさらに拡大する。奨学金を受け取るのにさらにハードルが高くなれば、大学の多い東京や大阪近辺に実家のある子と、そうでない子の間の教育にかかる費用格差はさらに広がる。そのことで地方の優秀な人材を埋めてしまうことになる。

③受け入れ側の問題。社会貢献事業とは何か。その指定を受けた業者が、タダ同然で学生を働かせることができるということ。そのことはしいては外国人研修生問題と同じようなことにつながるということ。文部科学省や奨学金の支給を司る機構の指定をめぐって利権が発生する。

④いやいや社会貢献事業に参入する学生が増えることで、受け入れた社会貢献事業が腐る。

⑤逆に奨学金を受け取らない学生に対して社会貢献事業をしなくて良いという免罪符を与える。

⑥親のすねかじって、東京近辺の実家から大学に通学する学生ばかりをますます優遇する。こういう属性がニート問題の温床ではないか。地方から東京や大阪の大学で勉強している学生がアルバイトに社会貢献と、戦時中の学生や北朝鮮の学生みたいに疲弊させられていく。これは明らかに差別政策である。

⑦奨学金にお金がかかっていると言うが、日本の奨学金は単なる学生ローンである。返済された奨学金が必ず機構や国庫に入っているはずなのに、それが国民に知らされず、新規貸与額ばかりが知らされ、こんなにお金がかかっていると宣伝されている。

⑧奨学金財政が肥大化しているという問題意識の前に、文部科学省が少子化になっているのに私大の増設、学部新設をつい最近まで認め続けてきて、大学全入というバカな状態を作っていることが問題ではないか。最近問題になっている法科大学院も同じ。教育施設数ばかり増やして、質を低下させてきた。学生数は水ぶくれしていくわけだから奨学金が必要になるのは当たり前だろう。

⑨新設大学や学部新設というのは文部科学省の利権ではないかと思うことがある。学費抑制のための補助金を受け取っているにもかかわらずデフレ経済でも学費を上げ続け、学部を作るからと、その資金で超高層ビルを造ったり、バブル基調の建築物の新築に明け暮れている大学経営が、利権と言わなくて何だろうか。補助金の使途に厳しい制限がかかる社会福祉法人や混合医療を禁止されている医療などと比べると、公費を受け取ってやりたい放題不動産屋まがいのことをしているのが学校法人と印象を持たざるを得ない。事業仕分けが必要である。

⑩若者を社会貢献事業に漬ければ何とかなるという発想は、徴兵制で鍛える論者と同じ次元にいる。教育をそういう水準でしか理解していない人が、教育政策を決定しているというこの国のとんでもなさ。精神教育なんかやろうとする前に、学校にいる大学生には勉強させることを考えろ。

民主党が本当に政治主導などというなら、こういうことを考えて公表し固めたバカ官僚はクビにすべきだろう。業者選定にまつわるつまらない汚職をする政治家や官僚よりも社会に害毒を垂れ流す。こんなことやれば必ず日本国内の知的能力はどんどん低下する。

地方の優秀な学生が大都市部学ぶ機会を奪い、アルバイトと社会貢献事業への「奉仕」に明け暮れる状態にするなら、優秀な人材の供給源は明らかに細る。東京や大阪などの周辺だけの富の再生産が繰り返され、地方の優秀な学生は埋没し、地域社会の疲弊はどんどん深刻になる。国全体としては知的能力はどんどん低下する。あたかも、ピョンヤンに住む高級幹部の子どもばかり優遇される北朝鮮と同じような問題を抱えることになる。

●身分制度である激しい年功序列賃金をやめようというのが最近のあるべき賃金の議論になっているが、激しい年功序列賃金のニーズは子どもの学費を保護者が負担しなければならないというイデオロギー。激しい年功序列賃金がまずいというなら、西欧のように大学を絞って社会が負担するか、英米のように奨学金で大学に通い将来の本人による自己負担する、という方向に舵を切らないと、優秀/優秀でないということより、親の資力で教育が決まってしまう、つまり国力が低下する。そういう観点から、奨学金を絞ろうなんて発想はナンセンスである。

●奨学金という学生ローンが無利子だからと文部科学省が威張っていることについて、赤木智弘氏はtwitterで、デフレ経済の下では返済額を減額しないと利子が付いているのと同じ、と指摘している。その通り。

●取り立て能力も満足にないらしい奨学金の機構が、社会貢献事業への参加なんかチェックできるのか、という問題がある。そんなヒマあるなら、ちゃんと取り立てに必要な人を揃えろということだろう。

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2010.06.02

6/2 党派性を明確にして公平な判断をさせよ

知人の報せで、文部科学省が先進国の教員担当省とは思えないような実にくだらない通知を出している。

教職員は私人の時間も含めて選挙運動や政治活動をするな、というもの。日本人にはそれが常識かも知れないが、日本以外では、独裁国家や、言論の自由を規制されている国でない限り、公務員といえども、少なくとも私人である時間に、地位を利用しないかたちでの政治活動、選挙運動を規制する法律などまずない。基本的に人権侵害である。
こういう規制を見て、教員が私人として政治をやって何が迷惑なのか、全く理解できない。

先日、スウェーデンの若者政策と政治参加の学習会に参加したことはこのブログでも書いたが、スウェーデンでは学校で行われる模擬投票に際して、実際に存在する政党がアピールできるようになっている。もちろん、すべての党派を生徒が比較・選択できるうよに紹介されるようになっている。

日本では、政治活動の禁止と称して、学校に政治を持ち込むことをタブー視していることから、若者が政治に対してネガティブな印象しかできず、自らが参加して改革するものだ、という意識と行動様式が形成されないでいる。結果として若者が政治や社会参加に背を向け、消費生活に逃げ込み、社会や政治にとてつもないドロドロとした怨嗟しか持たなくなっている。それが公務員バッシングや、不安定な政治となって現れている。

●文部科学省の無菌室教育よりましだが、政治好きの教員たちが特定のイデオロギーしか教えないような授業も、受講生たちの判断力を尊重しないという点では問題だと言える。子ども、受講生に、政治について自ら考え判断する力をつけるようなことをしないのは、文部科学省も、イデオロギー的教育にのめりこむサヨク教員、ウヨク教員ともに同罪である。

●党派性をオブラートで隠すようなことをするのは嫌いだ。私は学生時代に、大学自治会に比例代表制の選挙を入れろと主張したぐらい。党派性を明確にして、折り合えるところはどこか、と考えることの方がすっきりするし、好きだ。そういうおとなの政治のたしなみを知らないから、日本ではワイドショー的な政治運営しかできないでいる。

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