2015.01.11

1/10 3000円配るために全国で100億円

国の 来年度予算、いくつか筋悪な話があります。その一つが、消費税の逆進性の緩和のために、子育て給付金を3000円配るそうで、全国で1000億円使うそうです。
その一方、学校の教職員の人件費は、退職分以上に人を減らさせるみたいで、3100人、直接の補助金で40億円をカットするようです。以前は、小学校1年生の35人学級をやめさせる、という案だったものです。

OECDの報告でも、日本の学校の先生は拘束時間が長い割に、勉強する力を子どもにつけさせるための時間が他の国より少ない、という結果が出ていました。そんな状態はきちんと物量を投下して解決しなけりゃならないのではないかと思うのですが、逆のことをしています。

学校現場から人を引っこ抜いて、子どもに勉強させるための有用な雇用を減らして40億円浮かせた一方、1000億円使って、1回飲んだら、1回ガソリン満タンにしたら、競馬や競艇だったら2~3レースやれば消えてしまうような現金を、子育ての名のもとに配ってしまうのです。
教育のためにも、雇用情勢のためにも、景気にも全く良くない判断です。

仮に1000億子どもに使うにしても、その金額で完全に問題解決できる使途に使うべきです。児童相談所の職員配置は足りているのか、児童養護施設の職員配置は十分なのか、低学年の補助教員がちゃんとつけられているのか、雇用も創りながら、国民が伸びきれない課題を解決するための使途ならいくらでもあるはずです。

道徳教育の強化とか偉そうなことを言う安倍政権ですが、自堕落を促すようなこんなとんちんかんな政策決定が、道徳的なのでしょうか。

私も昔から問題にしていますが、都議の音喜多さんが問題にているのはこの事務コストです。
この3000円配るコストが、普通にただ封筒に入れて配ればこんなにはコストがかからないのですが、最近の役所は何でも電算機を通してシステム改造して事務をやらないと気が済まない。今年限りの配布なのに、朝霞市でも、これだけで300万円~1000万円近くの改造コストを電算機のシステム会社に払うハメに陥ります。
私は配り間違いのロスがあったとしても、払うべき人のリストを作って、蛍光ペンで消し込みながら、本人確認して現金を窓口で渡してしまう方が効率的ではないかと思いますが、財政が悪かろうが現金がなかろうが「こういうもんだ」というところから来る発想法。発想が不自由でダメなんでしょうね。
さらには、どんなに高いシステム改造やっても、国が払ってくれるので、その自覚がない。その裏側で教員配置が悪化しているのです。
他にも、郵便で申請書を送って戻して、支払通知を送って、銀行に振り込み手数料を払って、それぞれ膨大なコストがかかっています。それで3000円を配るのですよ。
何かバランスが狂っているとしか思えません。

来年度予算では、介護報酬の切り下げもまたひどい話です。
介護労働者の低賃金ぶりは有名で、結果としてなかなか良い人材が集まらない、結果として職場の雰囲気が悪化して、崩壊状態にある、ということは昨年あたりに出た新潮新書でも話題になったはずです。
介護報酬を切り下げたら、介護労働者の賃金改善なんかできません。そういう声を受けて、また自民党的な「親心」として、「介護労働者の処遇改善加算」をやるらしいのです。しかし以前同様の加算が行われ、革新政党も含めて喜んでいたら、ただではもらえず、いろいろ制約がかかって、うまく申請できない、ということがありました。そのための事務手続きもバカにならなくて、事務職員の残業も増えたとも聞きます。

国民に向けてはどうせ介護保険なんか使えないんだろう、というメッセージを出すことになります。そうすると、介護施設の青田買いや、民間の介護保険に加入したりして、結果として個人としてはかなり非効率な介護コストの負担をしなければいけない社会になるかも知れません。

介護施設は玄関やパンフレットに「財務省出身者の利用おことわり」ぐらい出した方がよいのではないかと思いますね。

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2011.12.28

12/27 子ども手当が目的外使用されるのが問題なら現物給付中心に切り替えるべき

子ども手当が子ども以外に使われていると報道されて、あたかも子ども手当が問題政策だという宣伝がされている。こんなことは導入以前、児童手当の時から分かり切っている話であり、もっと言えば、扶養控除も含めて、子どものために使われるという縛りはないものだ。

また子どものために使っていないとしても生活費のためなら、まだいいではないかと思っている。実際に公務員の7割以下の賃金の人たちにとっては、生活費はかつかつなはずである。生活環境全体を向上させて子どもと保護者の関係が良くなる可能性はないわけではない。

それでも目的外のばらまきだと騒ぐなら、そもそも扶養控除を含めて現金を通じた子育て支援という発想をすべきではないと思う。

そういうことを心配するなら、私はずっと昔からパチンコや自動車のローン、ガソリンに消える可能性は高いと指摘してきたし、そういうことを排除したいなら、私は、子ども政策が保育所、幼稚園、学童保育の整備、給食や高校授業料の無償化など現物政策でやるべきと書いてきた。

気分だけで、「必要だ」という声の裏側にある本当のニーズの把握をせず、政策効果の見込みや一貫性のない気分や感情的な政策判断をすると、こんなことになるといういい見本である。

●目的外でも消費されているなら、それでも雇用を作り、働けない人を救済することになる。一番まずいのは貯金やローンの返済といったかたちで金融機関に回収されていくことである。満足な利息を稼いでこれる生産的な投資先がない今、金融機関にお金が集中することがデフレを悪化させることになるからだ。

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2011.08.05

8/5 後出しじゃんけんが続く自民・公明の子ども手当批判

子ども手当の見直しを妥協したと思ったら、また自民党はハードルを上げてきているらしい。国対の逢沢一郎がいきがって記者会見していたが、まぁ民主主義も、議員という職も貶める行為をしてきたものだと思う。

同志のブログだが、もうこうなったら特例国債法案を採決に回したらいいんじゃないかと思う。そうして国の財政が詰んだら、与党も痛手だが、ここまで強行に抵抗した自民党や公明党への批判も強まるであろうし、執行されている予算、補正予算の中には、自民党や公明党にとっての政策もあるはずだが、国が破産して事業ができなくなりました、ということを自民党や公明党を通じて政策要求した人や団体が黙っていられるのだろうか。

また子ども手当をバラマキと批判しているが、児童手当も自民党と公明党が与党だったときにほとんどバラマキ政策として構想されていて、批判を受けて所得制限などのたがをはめている。私はこの時代から批判(カテゴリー「児童手当を考える」)しているが、当時は、公明党などは数ある選挙で成果だ成果だと宣伝してきたものだ。そして民主党がバラマキと批判していた。私は児童手当から現金給付に批判的に見てきたものだから、自民党と公明党の今になっての難癖が、まったくわけがわからない。そういう天つばのような批判が、自らの過去を貶めることだということがわからないことと、有権者が全く振り返らない状況が恐ろしい。

●自民党は4kと言っているが、高校授業料無料化を否定することだけはやめた方がいい。国際的にもそんなことが実現できていない方が不思議だし、国際機関からも批判されている。またほとんどの人が高校に入学するようになり、実質的に義務教育になっている現状で、公立高校程度の授業料が無償でないというのは、貧困者が努力する余地を狭めることになる。

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2011.05.04

5/5 子ども手当廃止・扶養控除復活という政策判断がされる政治的土壌 

震災復興や税と社会保障、最も目先の様々な政策を推進するために、与野党での歩み寄りの障害になっている子ども手当が廃止または縮小される方向で検討されている。

行政による子育て支援は、施設やスタッフの充実による福祉サービスの基盤整備におくことが優先されるべきと考える私は、子育てに関する現金給付に批判的な立場。しかし、子ども手当導入前の、金持ちの子育てばかり優遇する所得税の扶養控除(子ども部分)が廃止され、子ども手当に置き換わった分については、率直に評価してきた。

そうした観点から子ども手当の廃止についてはともかく、「元に戻せ」=扶養控除の復活というような議論は全くナンセンスだと思っている。
扶養控除の復活となった場合、そもそも所得税をほとんど納税できない年収200万程度の人にとっては子ども手当の廃止がされるだけ。逆に年収2000万円ぐらいになると年18万円も納税額が減ることになる。こういう人たちの収入を増やすことに、政治が大議論してまで踏み切ることなのか疑問。

そうしたナンセンスな政策判断を、どうも野田財務相がしてましったという新聞報道もある。

子ども手当の議論のされ方については、政局談義について批判的な人であっても、結局政局的な議論に振り回されているということしか感じられない。
この間、子ども手当を評価している高齢層の人からよく「子ども手当をもらえてよかったね」と言われるが、子ども手当が家計を支える力になっても、具体的に子どもに関する社会サービスが改善された実感はない。保育園事情は保育園経営者の努力以外に良くなったとは思えない。よかったねなんて言われて、こいつら子育ての何がわかっているんだ、と思うが、わからないんだろうと思って反論もしにくいごろついた不満を残す。こうした人が言いたいのは、何とか政権交代のプラスの面を自分たちで確認しあいたいという欲求の消化に過ぎない。
一方、子ども手当反対派は、私と同様の問題意識がありながらも、彼らが語りたいのは、民主党が推進したという政局談義的な批判と、結局はお父さんが子どもを肩に乗せて耐え、お母さんは自分のやりたいことをほとんど我慢してその力をすべて子育てに注げ、という、戦後民主主義・高度成長期に形成された価値観を語りたがっているだけである。
まじめな政策効果について議論されているのは、ごく一部の人たちだけ。そこで反対論も賛成論も何の意味もないということになっている。

そうした中で、中身の検証もなく政局取引の材料にされ、廃止と抱き合わせで、逆進性が最も強い扶養控除の復活という最悪の金持ち優遇税制が復活されようとしていることを、とんでもないことだと思いながら、結局、政局談義レベルの子育て支援策の語られ方しかしなかったところに、「元に戻せ」という最悪の選択に抗する力は持てないと、政策にあきらめ、そんな政策判断しかできないこの国の力に諦めを感じている。

●CMで「日本は強い国」なんて強弁されると、苦笑してしまう。自分たちの所属する集団について、根拠なき優位性や愛情をみんなで公言しあい語りたがるときというのは、その集団にとって最もろくでもない状態になっているという経験を、右よりでも左よりでも何度も体験してきた私には、うすら寒いものを感じる。

●福島県内の小学校のいくつかの校庭が放射能汚染で使えなくなっているという現実を前に、反原発の市民運動が子どもたちを緊急避難させよ、と騒いでいる。汚染の問題だけ取り上げたらその問題意識は正しいのだろうが、体育や外遊びができないことはかわいそうだが、緊急避難させるということは、公権力によって、生活が切り離されていくことで、稼ぎがなくなるわ、人間関係が全部リセットされるわ、それはそれなりに汚染と同じくらいその子どもにとって、生活環境が大変なことになるということを考えなくてはならない。そういう騒がれ方をしてちりちりバラバラになっている南相馬市民と行政関係者の苦労を考えると、何だかなぁ、と思わざるを得ない。
反原発運動の問題意識やあるべき将来は私の考えはほとんど同じだが、危険だ危険だという話ばかりで、原発をめぐる生活問題に関心を払わないでいることには、いささか違和感がある。ただただ現地の人たちの子どもとの関係を不安にさせるだけである。
社会システムに組み込まれた原発の側面を見ずに、自然科学者による危険性の議論だけに埋没しているのは、1980年代の反原発運動から全然進歩していないと思ってしまう。

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2010.04.25

4/25 民主党が子ども手当で大もめ

読売の記事から。

2万円?満額?金券?子ども手当で民主大もめ

いずれも現金満額支給を修正して何らかのピンハネ、使途制限をしようとしている議論は、親のモラルに関するもの。現金であげたらろくなことに使わないんだから、自治体が政策経費に使うか、使途制限してしまえというもの。

さんざん現金支給の政策を打ち上げておきながら、有権者のことを民主党の議員がどう見ているのかよくわかるようなエピソード。

税金を現金で還流させるのはろくなことがないと私はかねがね言い続けているが、国民と政府が信頼しあえない関係の中でそうなっていっている。内閣府の参与で阪大の小野教授が言うように経済効果がない上、現金などと生々しいものを支給すると、外国人が受給するのがけしからんだとか、どうでもいいが深刻な政治的問題を引き起こす。

この際、手詰まりになった子ども手当は、給付付き税額控除制度のような形か、生活保護の加算のようなかたちで、夫婦ともワーキングプアと言われる年収200万×2、世帯収入年収400万以下の家庭に集中的に投下するようにし、余った分については、義務教育にかかる様々な経費の無料化、保育所待機児童の解消、学童保育の施設の改善、障害児支援のもろもろの政策経費、高校完全無償化、大学奨学金の充実、子どもの難病に対する公費助成の拡大などに使うことが必要ではないか。
こうした諸経費について保護者負担がなくなれば、保護者は生活費の稼ぎに集中できるし、正社員の年功序列賃金も緩和することの障害がなくなる。

●問題はもう一つ、財政均衡である。
ムダを削ってどうのこうのというレベルを超えているのに、道路ではたかりみたいな連中がいたり、事業仕分けで何とかなると楽観している連中がいたり、本当の課題をどうするのかと心配になる。菅大臣が奮闘しているが、彼が増税を言い出せば、党内は菅アレルギーを全面的に発症されるのではないかと心配している。
将来のことを考え、まともな先進国と同じになりたいと思うなら、いわゆる「大きな政府」になるしかないのだが、若手議員や若い政治家志望者の多くは、若者しかいない席では、世代間格差の話にすりかえ、上の世代から収奪すれば自分たちの不安がなくなるかのような言説を吐いて、幻想をふりまいている。そのことを今さら撤回するのは難しい。
それが本当に議員になって、そういう話でないとわかってくると、事業仕分けぐらいでお茶を濁して、官僚や天下り財団を叩いて、数億円浮かせて、「数億円というのは国民感覚から言っても大きな金額なんですよ!」と言い放って、正当化している。この国が足りないのは数十兆円。そして子ども手当の使途のモラルをネタに困った困ったとやっているのが今の民主党の中堅世代の議員の問題。

●子ども手当の導入と抱き合わせで廃止されるはずの配偶者控除も廃止されなかった。富裕家庭ほど専業主婦を抱えれば有利になるというモラルハザード、何とかならないものか。
アンペイドワークだとか何だとか言う人もいるが、それなら無償で社会貢献活動をしている専業主婦だけ配偶者控除をするとか考えてもらいたい。無償で社会貢献活動をしている専業主婦と、していない専業主婦とあまりにも一律に扱うのがどうかという感じもしている。まぁ、社会貢献活動って何、という話もあるが。

●今回の事業仕分けではネタにされなかったが、民主党が政権に就いたとたん、認可保育所バッシングをしたことを私は忘れないようにしたい。

●保育所の請求書が届く。6桁の大台に乗った。認可外保育施設を使っているし、彼らの賃金労働条件を考えると下がれとは言えない。認可保育所を擁護している私がいつまでも使えず、認可保育所を攻撃しているような人たちが認可保育所をちゃっかり使っていたりして、ほんとうにこの社会は嫌になる。

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2010.04.18

4/18 子ども手当の自治体ピンハネ、検討へ。

子ども手当の自治体ピンハネが推進されている。

民主党は子ども政策に対して知識も見識もなく、場当たり的、後付け政策のオンパレードで呆れている。

だいたい地方議員発の政策提案というのが不愉快。仕事もしない彼らに横取りをされているような気分である。
選挙で一番大見得切った政策をこんなふうに国民に相談もなくピンハネするようなことはすべきでない。
子ども政策にお金が足りないなら、子ども手当を撤回、減額して、きちんと必要な福祉や教育のために子ども政策のための予算をつけるべき。
子ども施策にお金が必要だと言っている自治体は、これまで子ども施策を十分にやってきたのだろうか。基地跡地に100億使える朝霞市が、1園2億円の保育園増設をずっと渋ってきたし、もっともっと安い学童保育の増設は市の幹部が握りつぶしたという話もある。またマンション建設を規制すればそもそもこんな問題が起きなかったのに、他市に比べて都市計画の用途規制は緩く、必要な条例も整備せずにマンション建設を許してきたから子ども施策の資源が足りなくなったと言える。
そういう子どもに何になるのか考えてもこなくて、施策をサボってきた自治体が、国民がもらえるはずの子ども手当をピンハネして後処理する経費にするのはモラルハザードとなる。賃金で、支払う賃金を各部門が減額して事業展開に使えますよ、なんてことをすれば労基法違反となる。その意味を踏まえるべきだろう。

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2009.07.19

7/18 民主党の子ども手当の損得と政策効果

民主党の子ども手当2万6000円/月/1人という政策に、議論が出始めている。

読売は、子無し世帯は増税として、主に専業主婦家庭を的に批判を喚起する内容の記事を書いている。
私は事実の指摘としてはその通りだと思うが、それに煽られて損得で議論するのは間違いだと思う。税は、財の再分配をする機能があり、誰が損して誰が得するか言いだしたらきりがない。財政支出を受ける側がトクで、財政を支える側が損である。
高速道路1000円に、犠牲になっている業界以外全然文句を言う声が挙がらないが、私のようなマイカーを持たず、自動車をできるだけ利用しない人間にとって損でしかない。
医療費にしてもそうである。
この記事に触発されて損だトクだと議論するのは愚かでしかない。諸外国の子育て政策への予算配分と比べると、日本の予算配分はあまりにも少なく、財源配分の問題では、子どもや子育て世帯への支援ということで、今よりましということになろう。

読売の記事を裏返せば、低所得者で子どもが多い家庭がトクをし、高所得者で専業主婦で子どもがいない人が損をする。そうなるのは子ども手当だから当たり前の話だ。これまで、高所得者ほどトクをする所得税の扶養控除で子育てを手当したとしてきたことの軌道修正が必要で、民主党の政策はその点、整理したものと思い、配分の問題としてはいいと思う。

しかし考えるべきは子ども手当の政策効果である。

いったい児童(子ども)手当の増額で、何を狙っているのか。少子化対策(多産化)なのか、子育て環境の充実なのか、若年家庭への支援なのか、子どもの能力開発なのか、まったくわからない。金持ちも貧乏人もほとんど一律に配分されることも意味がなさそう。
子どもへの支援は、教育、福祉、医療、文化と具体的なサービスとなって提供されてはじめて結実するはずだが、具体的なサービス提供を保障する方策がなく、価値判断なしにとにかくお金を配布すればいいという発想は、克服したはずの小泉構造改革と大して変わらない価値観であり、麻生首相がやった低額給付金とあんまり変わらない。給付金はあくまでも最低生活費+αぐらいを基準に、それを割り込むような低所得者に限定して行うべきではないか。
子どものための医療、福祉、教育、文化の施策に、具体的なサービスを作っていくためには、財源が必要である。しかし子ども手当で何兆円もばらまいてしまっては、その財源がことごとく食いつぶされてしまう。それが私がこれまで児童手当増額論に反対を続けてきた理由である。
子ども手当ではなく、直接サービスの充実、提供体制の確保に政策転換してもらいたい。お金もらっても小児科はない、保育園はない、教育は生徒指導にうつつを抜かして質が低い、子どもの居場所が塾とコンビニの前しかない、そんな社会に何らかの手当をすべきである。
この間、高齢者や障害者にやってきた政策は、働ける人が働けるようになる支援(そのことが自己目的化していることの妥当性は問われる)であって、現金バラマキはもっとも最初に削減された政策ではなかっただろうか。子どもの場合は全く逆のことが起きている。児童手当を充実させると、働かないインセンティブが生まれるのではないか。
世界の保守政党に対抗する政党は、子どもや家族政策をきちんと確立している。保守政党以上にお金を払っておしまい、というのは日本だけである。

やるべき具体的な施策の中で、大都市部の認可保育園の整備が緊急課題だろう。前回の待機児童問題が起きたときから10年以上も課題でありながら、育児休業期間の上限の延長(1年→3年)とか、父親の育児休業取得とか、ワークライフバランスとかそれ自体は反対できない言葉でまぶされて、ヒト、カネ、モノの投入を怠ってきたのではないか。

さらには昨年秋からの世界同時不況で、専業主婦の多かった首都圏、近畿、中京圏で働きに出る女性が急増し、保育園不足が深刻な事態になっている(地方都市をみればそれが当たり前の姿に近づいていると思うが)。
保育園に当たらなかった家庭にとっては、月数万円の現金をもらうより、保育園を何とかしてもらいたいのに、現金バラマキで数兆円の支出をしてしまったら、保育園の整備なんかやっていられないだろう。

さきの都議選では、民主党の保育園政策がいちばん悪い。自民公明が認可保育所+自治体独自認証保育所の組み合わせ、共産党が認可保育所、社民党や生活者ネットワークが認可以外も含めた保育所の質の向上を政策に掲げているが、民主党は質は問わずに保育サービスを増やすと掲げているだけ。具体的な財源や技術的裏付けは何もない。
当面は、低劣な保育サービスでも、貧困にあえいだり、育児放棄されるより充実して保護した方がいいが、そうして提供した保育サービスを、認可保育所(都基準ではなくて国基準でいいから)、せめて認証保育所まで到達できるロードマップを示すべきだろう。

民主党はいっとき規制緩和委員会などと、保育園業界を既得権益として規制緩和の対象としてみなしていた時期があった。さらに党内の脳内保守派の一部の議員(脱党してなんとか新党に流れた連中もいる)が、ネット右翼におもねって保育園は育児放棄みたいな議論もしたりしていて、保育園問題に直視した政策を打ち出したことはなかった。一部の良心的議員が何とかおかしな政策を打ち出さないようにしていたところもある。

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2008.10.05

10/5 インターネットで手続きできるようにすれば負担軽減になるという国の誤解

出産・育児での女性の負担軽減、ネットでの手続きを検討、というニュース。

出産育児の手続きがどうして女性ばかりなのか。

それはさておき、仕事そのものの整理もしないでインターネット化すればいいという発想がお役所的でムダの温床である。妊娠届と母子手帳交付申請がなぜ別なのか。出生届と児童手当や児童医療費助成の手続きが別々なのか理解ができない。仕事を整理していけば、手続きの数そのものを減らすことができ、逆にインターネット化する必要性がそもそもない。

これらの届をインターネットでできるようにするためには、国民層背番号制と、医師による認証システムへの参加が必要になる。あるいは国税の申請のようにそれに代わる本人認証のための事前手続きが必要になる。事前手続きというのがこれがとてつもなくばかばかしい。一生に何回あるかわからない所得税の申告のためにわざわざ事前手続きするのはムダ(税務署の職員の作業の方が圧倒的に速い)で、それより回数の少ない出生のために事前手続きするなら、手続きとITゼネコンへの財政支出を増やしているだけである。

まして出生は時を選ばない。そういう仕事は人間系システムの維持を軸にやっていくべきだ。災害や戦争などの混乱でコンピューターが動かなければ出生届の受理すらできなくなってしまう。そういう失敗は、所得税の申請の電子化の失敗ではっきりしているはずだ。

ITゼネコンの誘導にそのまま乗っかってしまう国の体質、何とかならないものか。

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2008.01.09

1/9 高福祉高負担を正面から紹介する東洋経済「北欧」特集を読む

組合づくりの技術者向けの教材VTR作りの仕込みのために、埼玉の地方組織に行く。

埼玉県の地方組織は、16年前、共産党を支持するグループが根こそぎ組合を連れ去った後、連れ去られるのが嫌だという組合だけで再建したところ。なけなしの組織で再出発したので、自治体の委託先や臨時・非常勤職員の組合員化に熱心なところである。VTR作りの協力依頼をする話の3倍ぐらい、労働運動のさまざまなヒントをいただいた。

自治体の臨時非常勤職員のワーキングプアぶりに関心が高まっているのか。夕方、新聞記者の取材の前の予備調査を受ける。自治体の臨時・非常勤職員にとって悩ましき地方公務員法の制約について話をする。
自治体の職員の定員抑制、自治体の財政難、広がる公共サービスのニーズとそれを必要以上に煽る無調整な国の補助事業、出世競争させることでのスキルアップしか想定していない最近の自治体職員の人事の運用、そんなことの矛盾を臨時・非常勤職員に、責任がありながら最低賃金すれすれの労働者として使われる実態になっている、と話す。

●東洋経済「北欧はここまでやる 格差なき成長は可能だ!」を拾い読み。

これまでの「北欧はいいなぁ、だけど税金はあんなに払いたく無いなぁ」という負担と給付の関係にとどめず、質の高い社会をどう作るか、という課題設定から負担が実際にどのようなものかという議論をたてたのがよい。それから税金を払わないことばかり考える日本の左派が、どうしてダメなのかを教えてくれるいい教材でもある。「軍事費削って福祉にまわせ」とあまり実現可能性と効果が見えない念仏唱える前に、いい社会サービスを実現するためにはそれ相応のコストを払うものなのだという認識を持つべきだろう。今自民党政権が観測気球を打ち上げている増税に反対するのは結構だけども、本当に質の高い社会サービスを作ろうとすれば、いつかそれとは別の何らかの増税案を提起せざるを得ない。それが嫌ならば、今よりももっと、手持ち現金がなければ良い教育も、良い福祉も受けられない社会がやってくることを覚悟しなければならないと思うべきだろう。

高福祉高負担の内容について、公的セクターは明確な役割分担として、国は現金給付を中心とした経済的保障(歳出の49%が社会保障費)県は医療サービス(歳出の71%が医療費)市町村は福祉・教育サービス(歳出の80%が福祉・教育費)と図解しているのがわかりやすい。日本の場合、これらの比率ががくんと下がり、道路や橋(朝霞では国家公務員宿舎とシビックコアと地区センターと児童館)ばっかり作っている財政支出内容になる。
北欧諸国は、高い税金を取っているが、現金給付、医療、福祉、教育で実益として国民に8割方を返している財政構造といえる。税金で生活のリスクを調整しているとも言える。日本の場合、税金は低いものの、社会保障や教育で返ってくるのが半分。それも高所得ほど高い給付を受けられる年金制度とか、児童手当、敬老祝い金などの再分配にもリスク管理にも結びつかない支出も目立つ。

また、国地方の関係についても興味深い。日本の場合、国、県、市町村それぞれの社会保障の権限が不明確で、中央官僚が補助金で権限を手放さないで、帯に短したすきに長しの社会保障政策をやっている。自治体も独自財源を手に入れると、地方議員の顔色をうかがってハコモノ投資や祭に使ってしまうので、分権の効果がなかなか出ない。

公共サービスの民営化についての報告もよい。福祉サービスの民営化もスウェーデンで行われているが、同じ仕事には同じ賃金という賃金決定の社会合意があるために、日本のように民営化の効果を人件費ダンピングによる財政効果ばかり説得する下品な議論にはならない。日本では、臨時・非常勤職員や委託先労働者を官製ワーキングプアとして送り出し、ときには生活保護受給者まで発生させている状況から考えると、民営化の内容も大きく違う。

福祉を手厚くすることの問題に対して、サービス提供者とは中立的な認定士(日本ではケアマネージャーに認定委員会の権限を付加したような職)や、相談員などをきちんと整備している。日本のように財源不足からケアマネージャーや地域包括支援センターが介護事業者の営業活動を事実上やることを認めて福祉の押し売りが横行していること、それを見て福祉を削れ、介護を削れ、という議論が起きている悪循環とは逆の仕組みが動いている。

少子化対策ではノルウェーが紹介され、デイケアセンター(保育所と同内容)の整備と最低6週間認められる男性の育児休暇制度が後押ししていることを紹介している。産前産後・育児休暇制度は、有給であることが日本より優れているが、休暇期間は、日本より短い。産前3週間、産後6週間、育児39週間、父親のみ取得可が6週間で、日本の母親がおおむね1年産後+育児休業を取得するのに比べ少し短い(もっとも親族の支援がない場合は、保育園の入りやすい4月に育児休業を止める親も多い)。464万人の人口で6000ヵ所も保育所があり、5歳以下児童の80%が入れる定員があれば、育児休業期間が短くてもしのげる(日本はその25倍の人口で保育所の数は4倍。幼稚園と統合しても8倍)。その上で、在宅育児の保護者に手当を給付している。
日本の場合、子育てというと税控除と現金給付の話ばかり進んでしまって、所得の再分配も、機会の再分配も、親たちの経済的自立も、何も考えないまま、感情的なばらまき政策が進められている。必要で効果が上がる政策は何かという十分な検討がされずに、親たちに迎合する政策ばかりが進められる。
参考 原田泰さんのレポート「どうしたら子どもを増やすことができるのか」児童手当より保育所整備の方が少子化対策に有効というレポート

●よく国民負担率という言葉が使われるが、これは強制徴収となる税や社会保険料だけを指しているにすぎない。
実質的な国民負担率は、ここから社会保障費や教育など国民の能力開発に使われた支出を差し引いて国際比較すべきだろうし、逆に、公共サービスの怠慢や未整備による支出、いわゆる税外税とも言える、塾や私学の教育費、無認可保育所の保育料、有料老人ホームの入居一時金や利用料、民間の年金保険料などは、負担に加算すべきだろうと思う。そうすると日本は実質的な国民負担がかなり高い国ということになるし、何のために税金を払っている国なのかと思える感覚がついてきても仕方がないと思う。

懇意にしていただきながらも、税負担や政府の規模について主張が全く違う松本和光市議が、増税は国民への虐待であるという意見をおっしゃるのも、日本の国や自治体の収入と支出の内容を見るとそう言われても仕方がないと思う。自治体の支出の増やすべきところ減らすべきところについて、具体的な部分では意見が合うことが多い。

●朝霞市の未来が暗澹たるものだというのも、基地跡地のシビックコア建設での巨額投資が予定されており、この自治体負担分の支出で、3年後ぐらいから、福祉や教育の財政支出をおそろしく刈り込まなくてはならなくなるということである。
このままいくと朝霞市が北欧の自治体のような機能を果たすことなど夢のまた夢であり、市外のセメント業者、鉄筋業者が食い散らかすだけ食い散らかして、去ったあとには借金の山と赤字PFI事業をどう始末するかという重い課題だけが残されるだろう。とても教育や福祉の質を上げられる状況ではなくなる。高度成長期に家を買った60代の老後は本当にお気の毒だ。

●もう一つ、東洋経済の特集の中で「政策決定に当事者参加」という項目があり、パブリックコメントを超えて、政府が政策形成をする過程で、関係するあらゆる団体に原案を送付し意見を求めなければならず、さらには対象とならない団体や個人も自由に意見を述べられることになっている。
「パブリックコメントを実施するが、意見反映はさせない」と幹部が公言してはばからない、常識はずれのどこかの自治体と大違いである。

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2006.12.12

12/12 不良息子にお金だけ渡す親

児童手当がまた積み増される見込みだ。子育てしていて、もらえるものはありがたいけど、助かる感じはしない。
公明党の参議院選挙の候補のビラがマンションのポストに投函されていたが(共産党なら無実の罪で逮捕されて、公明党ならいいのか。暗黒選挙だ)、その中で「児童手当を7倍に」と、公明党が与党入りしてから対象者が7倍に増えた実績を自慢していた。対象者を増やすことがよかったのかどうか私は疑問に思う。ワーキングプアの家に生まれてしまった子も、実質年収1000万円の家庭の子も、月1万の児童手当が出ていることに意味があるのだろうか。
同じ財源が7倍でも、それは貧困家庭や母子家庭や父子家庭にもっと集中的に手当を出した方がよかったのではないか。あるいは、現金じゃなくて保育サービスとか子育て家庭へのヘルパー派遣とか、現物サービスを出すべきだったのではないか。いろいろな反問が出てしまう。

教育再生会議やら教育基本法の議論で、親として責任を果たさない親が問題にされている。不良息子の親で一番ダメなのが、子どもとまともに話もしない、目も見ないで、アンタッチャブルに扱って「カネがたりねぇんだよ」と言われるままにお金を渡す親だ。国民が「お金がかかるから子育てしない」と言っているからお金を渡せばいいんだ、と、児童手当拡大には不良息子にお金を渡すような感じがしてならない。子育てなんて、女がやる為政者にはわからない世界だ、ごちゃごちゃ考えて下手に政治的に火傷するよりお金でも渡しておけばいい、そういうメッセージが取れる。そこには展望が全くない。

今度の児童手当は財源もまたあやふやで、これまた良くない。今、少し景気がいいからと財政の大盤振る舞いしているが、これでまた景気が良くなったらどう始末するつもりなのだろうか。
財政は今もって赤字なのに、必要な増税もせず、やり散らかしの放漫財政構造である道路特定財源をほぼそのまま残しながら、黒字企業に補助金をばらまくような法人税の大幅減税に続いて、子育て支援していますという言い訳のような児童手当の増額、ほんとうに大丈夫なのだろうか。景気が悪いときに財政を絞めて、景気が良くなったら放漫財政をやって、政府のニーズと逆なことばかりやっている。
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●タウンミーティングのやらせが「教育」と「司法制度改革」だけだったと報告する見込み。ほんとうか。この2つだけがやり玉にあがって、国会でも指摘されている「再チャレンジ」がなかったことになっていることがあやしい。

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