住宅に関する思いこみは捨てなくてはならない。そういう中、友人が読んで衝撃を受けたというので、山下努「不動産絶望未来」を読む。ほとんどの前提と、予測について8割方同意する内容。埼玉、千葉、奈良の住宅地は資産価値なしと言いたいことの内容はだいたい同意。
人口減、若者の収入減、少人数世帯化、持ち物の減少、勤務形態の多様化など、従来の住宅取得を前提としたライフコースが崩壊している以上、そうならざるを得ない。
世田谷区ですら不良債権という書き方をしているからには、山手線の駅から何とか歩ける範囲の地域しか住宅としての資産価値はないということで、私もだいたいそうだと思う。
また埼玉や奈良の自治体は、介護難民が大量に発生し、地域社会を圧迫していくことになると予測。東京都や一方の極にある高齢化の進んだ過疎地に比べて問題認識能力が低いこのあたりの自治体がこのままのことをやっていったらそんなことになるだろう。
住宅を買おう、埼玉や千葉や奈良の自治体に関係する人、必読の書だと思う。
●この本の難点もふまえた方がいいと思う。
著者はマンション寿命35年説を前提にして書いていることがどうもひっかかる。
若者の低所得化や長期的には退職金の廃止や定期昇給などの圧縮などが考えられ、35~40年で建て替えることができる社会構造ではなくなっているし、老朽化しようが機能劣化しようが、住み続けざるを得なくなるのではないかと思う。その上で管理組合の運営に脱落したマンションからスラム化が始まり地域を覆うという議論の立て方が必要ではないかと思う。そうなると、建て替えられるマンションがいいという議論ではなくて、住み続けられる地域やマンションがいいという維持営繕の議論になっていく。どうも建て替え論の背後には、従来型の不動産業の論理がへばりついているように思える。
山岡淳一郎氏の著書など読むと、35年建て替え説の強弁をしている側というのがバブル期の建設省に期待させられた需要のための論理ではないか。還元率期待など右肩上がりの経済成長神話の残骸の議論ではないか。
また住宅のクラウド化となれば機能劣化は情報インフラなど限定的なものになるだろう。私は今の多摩ニュータウンのようにダメだ終わったと言われながらも、そこそこの人たちが高齢化を迎えつつ60年~100年維持し、住み続けるということにならざるを得ないと思う。どんな修繕工事をしても建て替えるよりおおかたはやすく上がる。
ただしこれは建て替えできる・できないが住宅価格に反映できるかどうかのところで論が代わるだけであり、売却でなきいという現実など、人口減少圧力などもっと大きな前提の議論を変えるものではない。
●取材源が不動産業と建設関係者が中心で、住み続ける選択をしようとしている人たちの取材が見られない。
●千葉ニュータウンや鳩山ニュータウン、つきのわフランサを埼玉の代表例として紹介しているのが印象操作のきらいがある。今の埼玉の住宅問題は、こうした高度成長期にだけ人口の増えた地域と、その後バブル崩壊のマンションブームで人口増をしてしまった埼玉県南部や市川市、船橋市などの問題とてやや中身が違うように思う。
●けちょんけちょんに書かれた埼玉、千葉、奈良の対抗戦略は。
私は奈良や千葉、埼玉の一部の自治体は東京都編入を求めるべきではないかと思っている。これらの地域は、東京に経済的に依存し、東京がその税収を23区に囲い込んでいるのに対して、住宅や福祉などコストのかかる部分だけを東京から押しつけている。東京抜きにその地域の存在意義も示すことはできないため、その現実を肯定した県域の再編が必要ではないかと思う。
周辺自治体が怠慢であればという前提だが、埼玉県、奈良県、千葉県の自治体どうしの中での差別化を図り、永住都市としての価値を高めることが相対的な地域の価値を高めて、周辺自治体の落ち込みを踏み台にして生き残ることができる戦略となるだろう。
そのためには、介護、保育、医療サービスの整備と、マンションや個人持ち家の管理修繕に関する支援を行うことが最低限必要である。ただしこれは埼玉県なり奈良県の自治体がみんなやれば、相対的な価値は低くなるので、住宅地としての価値はまた平準化してくる。しかし、不動産業者や土地持ちの利害にかんじがらめの自治体の首長、議員が多くいる限り、自治体に土地を買わせたりすることを唯々諾々と続ける、既存の自治体の運営モデルから脱却できず、なかなか転換は図れないだろうから、この戦略は当座有効だと思う。
●どうも著者は豊洲のマンションを買ったらしいが、あの殺風景なビジネス街、あんまり流行していないショッピングモール、いずれもなんとかニュータウンと発想がそんなに違うと思えない。超高層マンションも、建設技術によるものであって、維持管理に関するノウハウの蓄積は感じられない。