2023.10.09

10/8 子どもの自立と保護を公権力がどう支えるか

埼玉県議会で、児童虐待禁止条例の改正が自民党から提案されて、その提案があまりにも粗雑で大騒動になっています。
条例改正の内容としては、小学校3年生の子どもを大人のいない状態にしておくと保護者が児童虐待に問われること、そうした子どもがいたら通報しなければならないことが追加されるものです。

一般的に聞けばは聞き流してしまう話になりかねませんが、子どもだけの状態におかざるを得ない場面というのは日常のなかでいろいろあります。子どもが一人になる様々なケースを、非自民の民主フォーラムの辻こうじ議員、無所属県民会議の八子議員がどこからが違法で、どこからが許容範囲なのか質疑をしたところ、提案者側の自民党の議員の答弁では、ごみ出しで少しの間でも子どもだけにすれば虐待に該当するという答弁が行われて、保護者や子育てを経験した人たちから、非現実的だし、子育てが行き詰まるとして大きな批判になっています。マスコミの報道にもなっています。(埼玉新聞,テレビ朝日,毎日新聞 )

私も批判している方々と同じ受け止めをしています。改正条例は廃案にした方がよいと思います。悪質なネグレクトは今も児童虐待防止法で法的に対応するものとなっています。それ以上のネグレクトの定義拡大と子どもの安全確保策は、県民生活の自由にも関わる案件だったり、子どもの育ちの自立と関わる問題で、もっと慎重に取り扱うべき問題です。
議会の議事テクニカルな話としては、詰め切れていない話が多いので、もう一度、委員会に条例改正を再付託して、次回の県議会以降に継続審議にするのが穏当な対処法だと思います。

子どもの育ちのなかで、親をはじめとするおとなの保護から離れていくことはきれいに線を引ける問題ではなくて、だんだん手を離れていくものです。子どもだけの集団や、子どもだけの時間のなかで、本を読んだり、遊びを体得したり、身近な未知の世界に触れながら、問題解決する力を体得していくものです。もちろんそこにリスクはゼロではありませんが、リスクを避けられる限り、子ども自身の力を信じていく時間と空間が必要です。またそれが有意義な時間にもなります。
もちろん、その逆で、かなり長期間保護を求める子どももいて保護してやらねばならず、それが人間社会の多様性があります。

子どものためだけではありません。生活を維持していく必要もあるし、おとなも平常心を作る時間も必要です。そういう意味では、すべて子どもを保護下に置けというのは無理筋の話で、埼玉県のように核家族が多い地域では、現実離れした話とも言えます。私自身がそれを経験しています。

子どもがひとりでいたり、子どもだけの場所があったりすることを、どこから放置の虐待「ネグレクト」と定義するかは、難しい問題で、県議会の答弁で常識外れな定義は虐待ではない、と提案者側が言い切らない限り、この条例は、こうした子どもの自立に向かった力をそぐことになると思います。
また国の子ども家庭庁で推進している、こどもの居場所づくりという政策目標にも矛盾する条例になる可能性もあります。学校と家庭しかない子どもの居場所が人によっては苦痛しかないという現実に、学校でも家庭でもない子どもの社会空間をどうやって形成するかという政策が動かなくなる可能性があります。

おとな社会からの子どもへの管理の欲求というのは、今ものすごく広がっているなと思っています。これは今回の自民党に限らず、市議会の放課後児童クラブの運営のあり方の議論なども、子どもが自分で生活する空間を見つけていくことのリスク要因を高く見積もりすぎて、ハコからハコに子どもを移し替える話ばかりが増殖してしまっています。これは非自民の側の議員が突っつきすぎて起きている現象で、公権力に近いところにいてもの言う人が、子どもの自立と安全とのバランスをどう見守るかというセンスが問われていると思います。

地元の自民党所属の市議会議員と意見交換をしましたが、県議会議員からは今回の条例改正の動機は「パチンコ店の駐車場の車内で子どもが放置される」ようなネグレクト事例を想定して作った、と説明を受けている、と聞きました。朝霞市とその周辺での過去の深刻な虐待事例は、子どもを置いて旅行に行ってしまった話がありました。その限りにおいては私も問題は共有できますが、そこで保護者の責任だけに帰すアプローチをするのが自民党らしいと感じています。
過去の虐待事例からは、産んでしまった、産ませてしまった親たちの子育ての技能支援や、息抜き、子育ての苦労の共有など福祉的なアプローチが重要で、親としてしっかりしろ、犯罪になるぞ、というおどかしではあまりうまくいかないだろうと見ています(この観点で、ただ単に母子手帳の交付事務の便利さだけが評価項目に成り下がっている朝霞市の子育て包括支援センターの仕事のあり方は大問題だと思っています)。

政治家なので政治的な話もします。
今回、そうしたなかで反対運動が起こり、廃案をめざすことになるわけですが、廃案のエネルギーを高めていくために、提案した県議会自民党に、統一教会などの影を指摘するツィッターの投稿が目立ちました。
擁護するのではありませんが、そのような流れではないと見ています。先に申したように駐車場での車内放置案件のような、善意が発端だとみています。提案者にならなかった6人の自民党の議員名を見ていると、もっと強烈な右翼議員もいて、右翼イデオロギーから出てきた条例というよりも、県民の生活の自由に関わる条例を、自分たちの通俗道徳のなかで雑に処理して提案、説明、答弁した結果、こんなことになっていると見ています。

この3年ぐらい埼玉県議会では自民党が、議員立法で条例をたくさん作っています(非自民の私としては自民党の宣伝みたいになって癪ですが)。そのことはこの夏の自治体学会の分科会でも、地方議会の議員立法のあり方の一つの題材として県議会自民党の議員がパネリストとして登壇し、取り上げられ、議員立法のあり方として研究材料になっています。
こうして誕生した条例は、(内容の妥当性や十分さは横においても)エスカレーターで歩くのを禁止したり、ヤングケアラーへの支援、犯罪被害者への支援、住宅確保が困難な人への支援などがあり、非自民の側が問題提起することが得意だった課題を、自民党的にアレンジして、数の力を誇示するように実現してきたのが現在の県議会の状況です。
議員自身が話し合って政策を作り、社会問題を解決していこうという流れは、行政にお願いや正解を要求するような行動しかなかった地方議会人としては、自律した前向きなものです。ただし、そのやり方に問題があり、さらに今回の条例に関しては作業が雑だったのではないか、ということと、意見の違う議員との共同作業が足りなかったのではないか、と指摘したいと思います。
昔、議会改革のイベントで、議員立法をがんばろうという基調に対して、鳥取県知事をされた片山善博さんが「条例って、住民に義務や負担を課すことができる本質があるから、ただ作ればいいと考えるのは危険だ」と警鐘を鳴らしたのを思い出します。何かの正義を条例で解決しようとするときには、その必要性や副作用などを慎重に検討する必要があるのだろうと思います。
議会なので、考え方の違う政党の議員もいるのですから、もっと話し合って、問題点や副作用が起きそうなところをバグ潰しのように検証してもらい、できるだけ歩み寄って条例を作るというお作法が必要だったのではないかと思います。これみよがしの党派による正義の独占は政治論としてありえますが、県民生活に関われ政策ではこのような間違いを起こすのだと思います。

本来それらを是正するのが県議会の委員会審議だと思うのですが、深刻な問題提起をしても継続審議にもせず、止まらない状況や、答弁者が法を作るときに意識するべき「可罰的違法性」みたいなものを考慮していなかったのではないかと思わざるをえない展開などを聞いていると、数で結論を急ぐ正義のあり方の問題を改めて認識するものです。

政治家をやっていると、一般人がつい口をつく、多数派の他人の自由を奪うことになる無自覚な意見にしばしばさらされることがあります。そこに公権力が動くべき問題があるときには何かすることになりまが、まずは起きていることを、社会全体や自由や民主主義からはどうとらえるべきかと相対化して、問題の原因を抽出していくことが必要です。そのために本を読んだり、勉強会出たり、学識経験者に意見求めて整理をする必要があります。その作業を甘くみて急ぎすぎて、自分の思い込みを思い込みと相対化せずに政策を作ってしまうと、今回のように現実離れした話になるなと思っています。
私も、地域の方々と話をしていると、あの人はネグレクトしているよね、親としての資質がどうかと思う、みたいな会話をされることがあります。そういう会話を蓄積して、無責任な問題親が最近は多い、みたいな像をつくって議論するとこういうことになるんだろうなと思っています。その親がどうしてネグレクトをしているのか、ということに着目していかずに逮捕するぞみたいな脅かしだけでは問題解決にはならないだろうと思っています。

県議会自民党の暴走に、自民党の国会議員の何人か(県内では柴山代議士と牧原代議士)が懸念を示して手を突っ込もうとしています。止めてくれればありがたいのですが、地方自治という観点からは問題ではないかと思います。また両代議士は、この条例以上に、もっと保守的な家族のあり方まで手を突っ込んでくる政策を提唱しています。注意が必要だと思います。

最後に県議会のあり方です。自民党が数の力をごりごりやれるのは、所沢、越谷、川越などの一部の選挙区以外、県議会で定数1~2人の選挙区ばかりで占められ、衆議院みたいに比例復活という制度がないため、長く政権政党にあって、町内会や商工会やPTAなどの社会団体の役員経験者に応援されやすい自民党以外の候補者が出にくい環境があるからです。そのなかで低投票率、無競争という環境のなかで自民党が6割もの議席を取っているところがあります。
国政選挙の比例代表の得票結果などを見ると、必ずしも埼玉県は自民党が6割も議席を占められるほどの県民の支持はありません。数の力で良いことをやろうとすることは過渡的にあったとしても、県民の多くの考え方を反映していないかも知れない、という謙虚さが必要だと思います。

●先の統一選で当選した、朝霞市選挙区の県議は、この議案にどうするつもりなのでしょうか。一人は自民党なので党議に拘束されますが、もう一方は自民党に入りたがっているという話を聞いています。試されると思います。

●改正条例が成立したとき、「可罰的違法性」という法律を超える判断が入るので、県議会委員会の答弁で違法だと例示された、ごみ出しに子どもを独りにしたぐらいで違法、通報されて役所が動く、ということは直ちに起きないと思います。
一方、罰則のない法律の運用であることなのですが、離婚訴訟や、事故における損害賠償訴訟などで、この条例改正が参照されて判断に入る可能性は否定できません。また長期的には、親の自己責任を強調し、子どもにおとなの保護を埋め尽くすべきという英米のような議論になっていけば、この改正条項が引っ張りだされ、どのように法の運用が展開されるかはわからない条例改正だと思います。

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2018.08.14

8/11 議員が自治体の監査委員になるのが行政監視に効果があるか

11日山梨学院大学で開かれた「内部統制・監査委員党の改革と住民自治」というシンポジウムに参加してまいりました。私が幹事をしている自治体学会議員研究ネットワークも共催です。
そのまま泊まって翌日、山梨県内を旅しようかと思っておりましたが、朝霞地区に集中豪雨のおそれあり、家の前の二本松通りが一時水没したというので、日帰りで戻りました。

シンポジウムの内容は、地方自治体が不正や不公正な業務をしないようにするための諸制度が整備される一方、地方自治法の改正で問い直されている、地方議員が市長の任命のもとに監査委員に就任することに対してどう考えるか、という2つの柱でした。

自治体は今、多重な不正防止システムを持っていますが、それで完成なのか。不正を見抜く力は会計的手法だけで十分なのか。人為的な意図をもった政治的な判断には対応できるのか。
その際、地方議員から選ばれた監査委員が嗅覚が働き政治構造を理解しているから機能するのか、むしろ市長の任命制のもとで事なかれ主義の対応を取るのか、課題になるのではないかと思っています。

私個人は、地方議員は監査委員を返上して、議会の決算審査を豊富化されていった方がよいと思っていますが、地方議員のなかではどうも少数派みたいです。
そんな私がシンポジウムを拝聴してきた内容です。

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2018.05.25

5/23 入間市の交通再編と地域公共交通会議の取組をヒアリングしました

23日、入間市役所を訪れ、都市整備部さんから入間市の公共交通の再編と、それを動かした地域公共交通会議の運営のヒアリングしてまいりました。

入間市のすぐれているところは、地域公共交通会議がきわめて生産性の高い議論をしていることと、数字を見極めながら市内の公共交通の見直しに、バス会社やタクシー会社と連携しながら取り組んでいるところです。朝霞市も地域公共交通に関する政策は努力しているところですが、民営バス会社やタクシー会社との恒常的な協議体制がないため、どうしてもパスモチャージと市営のコミュニティーバスをどうするか、しか手を打てない状況で、これを打破するのが入間市の事例かなと思っています。

印象的だったのは、西武バスでさえ埼玉県内は赤字路線ばかりで、できれば都内の団地路線や儲かる路線に運転士や車両を集中させたい環境のなかで、なんとか都市計画道路の整備とともに既存バス路線の一部経路変更を実現したことです。これには利用者がどう動くかという数字での裏付けが重要だったと言います。
バス会社との良好な関係がないと、朝霞市でさえどうなるかわからない今後ではないかと思います。

わずか1年半で15回も開き、運賃改定、既存バス路線の経路変更、コミュニティーバスの再編成などを住民、事業者、自治体、警察等関連行政機関で話し合う「地域公共交通会議」の生産性の高さの背景に、委員どうしでの非公式なコミュニケーションが役に立ったということも確認しました。本当の意図を認識しあう関係性のなかで非生産的な議論が陰をひそめるのだと思いました。

ワゴンタクシーによるバス運行を始めていますが、あまり欲張らないスペックを設定すれば、朝霞市の狭隘道路しかない地区にも投入できるかなと思っています。ただし採算は厳しい。このあたりは、指定地域の移動困難者を福祉サービスの利用認定などとからませながらタクシー券を配ることとの効率性の比較次第だ、ということも助言いただきました。

ドアまでのお迎えなのか、バス停まで歩ける人までを対象にするのか、そのあたりの見極めも大事だということでバスを強化するなら割り切りが必要、という点も明確に示していました。

改革によってこの3ヵ月、利用者は微減にとどまっていて、経路変更を伴う改革やると3割減るという業界の常識からはまずまずの成果だということと、ワゴンタクシーの1路線は乗り残しを出して、タクシーによるチャーター便を追走させることもある、という状況です。

最後に大事なことで、バスは経営なのでどうしても割り切らざるを得ない。そのなかで議員さんからは個別要求ばかりが挙げられてくるが、どうやって理念を伝えて改革に取り組むかが大事なことと、交通政策に精通している議員が調整役をやらなきゃダメだという示唆を与えていただきました。

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2018.05.23

5/22 公文書管理を学ぶ

旧知の情報公開クリアリンクハウスの三木さんからご案内をいただき、「公文書管理条例制定の課題とポイント」を勉強して参りました。

森友加計学園問題など、役所が証拠文書をきちんと保管しない問題が露呈していますが、自治体も公文書管理では、ルールは整理されているものの、文書が地域社会における共有財産という認識はまだ不徹底であることは否めません。そのなかで、国ほどひどくはないけれども、単に執務スペース確保だったり、生活感覚の断捨離思想みたいなもので、過去を説明づけられないような文書廃棄がされています。例えば、部活がいつから毎日やるようになって全国大会が意識されるようになったのか、とか、待機児童問題はいつから発生したのか、とか、ようやく全通した道路が全体でどのくらいお金や手間がかけられているのか、次の自治体の計画改定に向けて前回の計画の議事録を取り寄せる、というときに資料が特定できなかったことがあります。

そのような問題意識から過去何度も質問していますが、単なるファイリングシステムの自慢に終わってしまっています。でも、企業の所有物の保管にとどまる民間企業のファイリングシステムと、住民や地域の共有財産である公文書の保管は根本的に思想が違うというのが実感です。

東洋大学の早川教授からは、共有財産という認識の徹底が重要であることと、役所が簡単に破棄して外部が所有する証拠書類があった場合は抗弁できないこと、破棄における住民同意のモデル、紛失の対応スキームなどについてお話をいただきました。

データキーピングサービス常務執行委員の渡辺さんからは、公文書管理に関する条例制定の過程研究を紹介してくださり、なかなか政治主導にならず行政主導で立法が行われているが有意義であること、志木市の山崎東吉議員の一般質問の見識の高さなどが紹介されました。また、公文書管理がファイリングシステムとの相性の悪いことが指摘されたものの、一方で整理することに関しては共通なのでそこから保存に向けての取組をすることの有意義も話されました。朝霞市はこれが参考になりそうです。

情報公開クリアリンクハウスの三木理事長からは、政府活動が不適正になるとつじつま合わせのために公文書が問題を起こし始める、ということから話が始まり、公文書の定義のはぐらかし、文書管理規則のタイプによる対応、行政運営の適正化・自治体活動の説明責任・共有財産としての文書という理念を確認すること、文書のライフスタイルを想像しながらの保存に向けてのルール整備、電子化されたデータの扱いの難題さ、永年保存(いらなくなったら廃棄可能)と移管文書(保存文書になること)の使い分けに注意すること、などがお話されました。また市政施行○○年というのが歴史的文書を保存させる契機ともなると示唆とれましたが…。

●朝霞市において戦後の歴史保存がほとんどされていません。米軍基地があった時代のいろんな歴史に限らず、今生きている我々の都市計画やまちがどのように展開したのかということを裏付けていく資料がどのように保存されているのか心配になるところです。

●日本もヒミコ以降、6世紀まで忽然と歴史がないことが言われていますが、梅原猛の「神々の流竄」では、8世紀に公定日本史となる記紀編纂の過程で、地域史の資料の大半が消されてしまったのではないか、と指摘しています。どうもそういう歴史を背負っているようです。ただ、徳川政権は文書主義が徹底していたのですが、江戸城の火災でその文書の多くが焼失しているようです。

●新書「公文書管理」では、公文書の保管は国対国の約束の多い大陸の国では徹底されていたのですが、公文書を公開するということが定着したのは、ロシア革命で、新生ソ連政府が帝政ロシアが各国と密約していた文書を公開しながら、外国に第一次世界大戦の和平交渉や干渉戦争終結への交渉に活用したところから始まることが紹介されています。

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2017.04.30

4/29 「PDCAクルクル教」!

面白い評論を紹介されました。「「PDCAクルクル教」だから変化に弱い日本企業」。

最近は自治体も何かというとPDCAが管理手法として最も優先されるものとして扱われ、ただでさえたくさん作られている計画や審議会や行政委員会の運営に、PDCAが機械的に適用されてい運用し、役所のなかは行政評価で蔓延して、アイディア貧困な状態になっています。
そして市民も「PDCAをちゃんとやれ」という何の目的も目標もないご尤もなご意見をすることで、企画部門あたりのクルクル教の布教活動に加担したりしています。年柄年中Check業務に追われ、Checkにはまりやすいようにしか仕事をしなくなり、ただでさえ官僚的な仕事になりやすい市役所を、さらに官僚的にしてしまっている原因の一つです。
必要なところでPDCAを取り組めばいいけど、それがすべてになることは弊害もあります。理念を重視したり、顧客を想像することを優先したり、業務そのものの対話を重視したり、部署や場面によって計画や目標はPDCAクルクル教から自由に運用することが必要だと思います。

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2016.08.14

8/12 自治体のLGBT政策を当事者議員から学びました

2015年の統一選の渋谷区長選で、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)政策が主流派候補の政策となり、一気に社会的認知が進みました。
日本経済新聞では、自民党と公明党が、この秋の特別国会にLGBT支援法を国会に提案する、と方針を決めています。生活困窮者や、消費者保護の政策のように、日常生活に関与する政策は、おそらく自治体にも政策実施を振ってることになる可能性が高くあります。しかし今まで強い差別のもと、可視化されていない当事者や問題であっただけに、急に振られてもどう考えてよいかわからない政策になろうかと思います。
当事者である中野区議の石坂わたるさんを講師に勉強会を設定し、東上線沿線、埼玉県内の市町村議員など19人の参加を得て勉強会を行いました。

内容としては、LGBT+様々な性なマイノリティーがいるなかで、定義が難しく、定義や政策の視点は変化しながら前に進んでいくことになろう、婚姻に関しては民法改正が必要になり大がかりになる、婚姻は国の政策変更が必要、自治体としてできることは同性パートナー間の相続・医療・契約委任など男女間夫婦でできることの権利を公的に誘導したり保証したりすること、公営住宅の課題、人権誘導や権利擁護などの施策が可能ではないかと指摘されました。
またやり方を間違えると差別をさらに強めてしまうところもあるので、やり方は注意が必要ともアドバイスを受けています。

●朝霞市は、LGBTが受け入れやすいコミュニティーがある東京に近いため、他のいくつかの政策課題と同様、東京が機能を代替してしまうことで、地域での政策の改善が、他の地方都市より遅れる可能性があります。

●夏先、渋谷区の同性パートナーシップ証明制度の利用しようとした当事者の同級生の証人として、私は手続きに立ち会いました。大切な機会をいただきました。男女間の婚姻とほぼ同等の法的効果を民法の契約によって積み重ねて、パートナーとしての証明を受ける手続きを行います。相続、事務委任、成年後見と3つの公正証書手続きが必要で、かなりの手間を必要とするなぁ、と実感したものです。

●中野区議の石坂さんは、2015年統一選で応援した政治家の1人です。

●詳細は以下のとおりです。

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2014.08.08

8/8 享楽主義で地方財政を壊すふるさと納税

政府が、住んでいない自治体に寄附をするとその寄付額のうち2000円を除く額の住民税を減税する「ふるさと納税」を広げ、事務手続きを簡素化しようと動いています。

「豊かな都市部の住民」が「貧しい地方の住民」を救う美談を制度化し、その後、自治体側が高額な地場産品で寄附を釣るようになって、最近では、税金が負けてもらってさらに高額商品がもらえる、とマスコミでもキャンペーンが張られています。

私はこうしした個人の嗜好性によって税収が変わる制度はおかしいと思っています。また地方財政のあり方としても、さまざまな複合的な問題もあるし、高額商品で、縁もゆかりもない住民に寄附させるよう釣るようになったことは、納税がどうあるべきか、という問題もあります。釣られる高額商品も、脂質の高い高級食材が多いために、税金を使って享楽をしたあげくの、糖尿病や心疾患の誘発など、長期的には健康被害も考えられます。

そういうことを考えると、政府の「ふるさと納税の拡充」はまずいのではないかと思います。

※それぞれの理由を言うと長くなるので、詳細にご覧になりたい方は「続きを読む」以降をご覧ください。

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2013.10.26

10/25 公契約条例の全国的取り組みについて勉強してきました

昨日、地方自治総合研究所が主催した「セミナー公契約条例-実践と理論」に参加しました。1日コースの研修で、公契約条例の考え方、効果などをみっちり勉強してきました。

役所が発注する事業の契約で、従事する賃金水準やワークルールを義務づけていく条例を先行取り組みした自治体の事例から、課題を確認しました。

公共工事の価格を下支えするという批判もありますが、せっかく使われる公的な支出が無意味なピンハネに使われたり、劣悪な雇用によって福祉ニーズを創出してしまったりすることのないように、取り組む意義がある、というのは従来の観点でしたし、地元の建設・ビルメンテナンス事業者などの仕事の質を高める効果もある、というのは今回の発見でした。

話の内容は以下のとおりです。

・公契約条例は、公権力の行使ではなく、役所の行う契約内容を規制するもので、契約の考え方を応用して指導から約束として実行を担保させていく前提をきちんと理解することが大事。
・公契約条例を実現する上では、庁内の同意、地域の建設業者とビルメンテナンス業者の合意が重要で、そこが無理解な場合に猛反対されたり、庁内の場合には条例無視の発注が行われてしまう。
・事業者に対しては、ダンピング受注、とくに域外の「ギャング業者」(さらに安く請け負う地方の業者に丸投げしたり、地方の低賃金労働者を連れてきて仕事をさせる)の応札を他にどのように防げるのか、ということに困っている。公契約条例は、実際に払われる従事者の賃金を縛ることで、遠方から労働者を連れてくるようなコスト高なことはできなくなる効果がある。
・地元業者しか入札させない、という公的規制は、①地元に誰もいない支店を置く、②二次三次下請けを他市にやる、③仕事をモジュール化している建設などでは実行担保不可能、などから無意味。交通費や宿泊費負担で経済原理で同心円的に地域の事業者が優位に立つように設計せざるを得ない。
・公契約条例を導入すると、建設業者やビルメン会社は納得してもらえているし、むしろ悪質な応札が減っていることを実感してもらえている。最終的な労働者にいくら払われたがチェックされ、多段階に発注すると業者が損するので、下請けの重層構造はシンプルになっていく。
・公契約条例を入れると、入れない自治体より良質な職人・労働者をその自治体に優先的に入れることになる。
・議員提案だと庁内や事業者に根回し不足であまりうまくいかない。政局議案にすべきではない。首長提案で全会一致を模索すべき。
・入札基準を点数化する総合入札制度は様々な要素が入って効果が薄い。また事前の元請け会社の質だけが評価されるので、その発注がどうなるかは評価対象外。それで改善できる効果に限界が出てきている。
・契約原理を明確化することなので、事業者と役所は対等平等のタテマエになる。役所は土木建築での設計変更を正式な事務として対応していかないといけない。今みたいに途中で仕様変更が発生したのに、「次の発注で悪いようにしないから」って業者を泣かせるような仕事の仕方は許されない。議会もそれに対応する契約変更の議案を出すことが許されないというような姿勢を改めなくてはならない。
・TPPに入っても、すでに加盟国で公契約法など取り組まれているので、非関税障壁という扱いは受けない。

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