2010.10.13

10/13 鈴木亘氏の再評価は中止。相変わらず改革勢力vs抵抗勢力の新自由主義神話

文芸春秋の鈴木亘・学習院大教授の保育所の論文を読む。

少しはまともになったかと思ったが、やはり勧善懲悪物語。東京の公立保育所にお金がかかりすぎるという話をむりやり待機児童問題に結びつけ、世間のルサンチマンに呼びかけて、自らの経済イデオロギーを押し込むパターン。

とにかくこの人の頭にあるのは民=効率的、公=非効率という決めつけと、世の中改革勢力対抵抗勢力という単純な社会に対する理解。
民と公は統治・被統治の関係しか思い浮かべられないのかも知れない。それぞれ一長一短あって、その時々にその目的に応じて使い分けるべきものだと私は思うのだが。

儲かりもしなくて、労働集約型産業で、ガバナンスが容易でない保育所事業は、公費の積み増しがなければ儲からず、人件費が高騰すればたちまち経営方針を転換しなければならない。規制緩和したからと、バウチャー制にしたからと、容易に公立保育園以上の質の保育事業者が参入するとは思えない。
いきがかりに思い入れがあったり、脈略のある人が経営していない限り、長続きしない。
下手な小細工をして、制度を複雑難解にしたり、収拾のつかないトラブルに備えながら民間参入を無理矢理促すことがどうなのかと思うところもある。
規制ゆるゆる民間参入促進路線をいくらやっても効果がないと私は思う。あまりやりすぎると、劣悪事業者を招き入れる危険性が排除できなくなる。
それより、待機児童問題が問題なら、保育所が増えるかだけを考えるべきだ。いくらやっても事業者が出てこないなら、明治期の鉄道建設や製鉄事業ではないが、東京都内では公立保育所を肯定して公立保育所の新設を求めた方が問題解決が早いのではないかと思っている。そもそも23区全体では税金が余っており、保育所が思うように増えないのは、コストの問題より、土地取得や、開発とのバランス、住民の専業主婦率の高さなど、もっと別な複雑な問題があると考えた方がよい。

鈴木氏のような勧善懲悪物語を信じて改革やってみて、今の保育所にまつわる諸問題、特に、最大の問題となっている待機児童問題が解決するんですかということ。この問題、そんなに甘い問題じゃないというのは、いろいろな話を聞くとよくわかる。

●また鈴木氏が取り上げる事例が、分権のゆがみというか、保育料2万円で保育コストが50万円などと指摘するが、これは東京の自治体の独特なやり方のせい。それを厚生労働省の周辺に圧力団体が暗躍しているというような評価の仕方は、保育制度について全く理解していないとしかいいようがない。厚生労働省はこのような極端な保育料とコストのアンバランスを認めるような路線は敷いておらず、むしろここ10年は逆方向の施策を打っている。平均所得が300万円ぐらいの自治体で、月5万円以上の公立保育所の保育料を徴収するよう指導している。東京の極端な話は、地方分権的な文脈のなかで形成されてきたもの。

●鈴木氏が保育所不足で苦しんだいわれが書かれて、それはそれでよかったが、どうも話の内容から武蔵野市ばかり出てくる。
富裕層が住み、専主婦率が高く、安価に保育所を整備できた高度成長期に十分に整備してこなかった自治体。そういうところが急に共働き率が高まり、保育ニーズが急激に発生して困っている。認可外保育所などの緩和的なシステムも十分に地域に育っておらず、ひどい思いをするのは当たり前という状況。つい最近まで、給食もなかったという。
共働き+子育ての人が住むべき街と住んではならない街とがある。

●鈴木氏を再評価できるかと思ったが、やはりダメ。もっと役に立つ議論をしてほしいものです。

| | コメント (2)

2010.10.09

10/9 鈴木亘先生が宗旨替えか?

これまでオリックス宮内流の構造改革・規制緩和の残骸みたいな話しかしない鈴木亘が、今度は文芸春秋に記事を書いたらしい。

学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学) 迷走を続ける社会保障改革へ怒りの提言
公立保育所の給料が高すぎる 2010/10/8(金) 午後 10:38
文藝春秋11月号に、「待機児童八十万人の元凶:公立保育所の給料が高すぎる」と題する記事を書いた。どんな雑誌でもそうであるが、タイトルをつけるのは雑誌の編集部の権利である。正確に内容を反映するのであれば、「公立保育所の運営費用が高すぎる」、あるいはもうひとつ、「認可保育所の公定価格が低すぎる」と入れるべきかもしれない。ご参考までに。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm

あれ、鈴木先生、昨年の週刊ダイヤモンドの記事では、認可保育所自体が利権の巣窟になっている構造でコスト高、待機児童を発生させると書いたのではなかったのですかね。
公立の保育所か保育士かはともかく(どちらにしても保育所の経費のほとんどは保育士・調理員などの人件費のかたまりなのでほとんど同じ意味)公立園がコスト高という議論をふっかけたのはともかくとしても、認可保育所=悪の巣窟という決めつけから、認可保育園の公定価格が低すぎるという主張に変えたわけですから。
本文を読んでみないとわからないが、主張を変えたなら、過去のご自分の理論を修正されるということでよろいしいのですね。
それなら共通の議論の土俵ができたと思い、歓迎するところです。

●いずれにしても、今の認可保育所制度は、公費によって運営される事業として、民間参入を阻んでもいないし、地域社会が公営の保育所がよいと思えばそれでも整備できる、国の制度にしてはフレキシブルな制度であり、小泉構造改革派も私のような彼らのいう抵抗勢力派も共通に乗れる基盤ではないかと思う。結果ややり方にいろいろ問題点があったにしても2000~1年の規制緩和の着地点、民間参入は促すが認可保育所制度を維持して質に関する数字的規制は必要、というところが社会合意だったのではないかと思う。
今の問題はやはり需要を超えるサービス量の確保である。
認可保育所の是非をめぐって不毛な議論をしてきたのは無駄だと思うし、今の民主党政権も幼保一元化や規制緩和という自己目的化したドグマのためにまた無駄の道を走りつつあること、よくないと思う。

●コスト高でも自治体が公立保育園を運営し維持ないと、他に誰も保育園を経営したがらない、という問題をどう考えるべきなのだろうか。保育所が利潤をあげない限り民間参入などめざましくは起こらない。公費でまかなわれる保育所が利潤をあげるということは、税金で利潤を保証するか、税金で補助したものから人件費のピンハネを認めるか、どちらかになる。そんなことを認めたら、それこそ利権構造のできあがりである。それが小泉構造改革派の論理矛盾に行き着く。

●コスト論でやるなら、公立保育所の保育士の人件費が最後に問題になる。これについて、地方分権を前提にするなら国レベルの問題にすべきことではないし、よく考えると保育制度ではなくて公務員制度、とりわけ富裕自治体の公務員制度の問題である。
しかし保育士は、看護師のように専門教育と実習を繰り返して受けて就職した資格職であり、引き下げ派が大好きな同一価値労働同一賃金の職務給の原則を貫徹させて年功序列賃金をやめるか緩和したとしても、大学時代に文系大学で何勉強してんだかわからないで、シューカツしかしなかった人たちよりは高い賃金にしないとバランスが悪くなる(そうでなければ女の職場だからというジェンダーバイアスがかかっているとしか思えない)。したがって民間認可保育所含めてさらにコストは上げざるを得なくなる。そんな問題もはらんでいる。

●待機児童問題があるからこそ、首を長くして民間参入を待ち続けるのではなく、積極的に公立保育所を開くべきではないかと思うことがある。問題は財源と、ここのところ運営の官僚化著しい公立保育所のマネジメントをどうするかという課題だと思う。
コストの話では、ここのところ団塊の世代の大量退職や、非正規化で保育所の人件費コストは大幅に低下していると見込まれる。

●待機児童問題をコスト高にのみ原因を求めるのはそろそろ限界だと気づいてほしいものだ。それよりこの国の政府は先進国にふさわしいだけの社会サービスを維持するだけの財源を持っていないということだ。

| | コメント (0)

2010.10.08

10/7 また鈴木亘が厚生労働省官僚陰謀史観の展開

学習院に、鈴木亘という同年代の困った経済学者がいて、いわしの頭も信心というか、小泉構造改革的なものを崇拝し、それに抵抗するものは問答無用で抵抗勢力だと、およそ学者らしからぬ先入観丸出しの評論を繰り返し書いているので、このブログでさんざん批判してきた。

最近また、朝日新聞社の論座のウェブサイトで、長妻昭前厚生労働大臣が続投できなかったのは、官僚を中心とした抵抗勢力のせい、みたいはバカなことを書いている。厚生労働省の官僚が悪いと書いていれば何でも許されると思っているらしい。学者・研究者としての資質はわからないが、政治評論としてはそれで成り立つのだろう。しかしレベルが低い。そんな内幕話なら、政治評論家や政治家周囲からいくらでも話を聴けるし、正確な情報があがってくるが、政治の当事者でもない鈴木亘という若手学者が書くべきことか、私には違うように思う。第一、証拠がない。

今回長妻昭が厚生労働大臣を続投できなかったのは、単に官僚を統制することしかやっておらず、社会保障に関しての発展的ビジョンを作成する作業を怠ってきたからだ。また社会保障制度は、人権を保障するものであり、その制度の背後には、空気や水のように制度を必要としている人々がいて、ぬくぬくと学者をやってこれたような人間には理解できないような切実な課題があり、長妻昭の考えるような乱暴な改革提言など、およそ社会不安を引き起こさざるを得ないものだったのではないか。

また厚生労働省の官僚をこけにするような言い方をしているが、長妻昭や行革系民主党国会議員なんかより、はるかに厚生労働省の官僚の方が、現場に足を運び、ときには官僚を手厳しくののしるようなインディーズな受益者団体とも意見交換をしている。それだけのことを民主党の国会議員や、秘書、事務局がしているのか、と思ったりする。

それが官僚が圧力団体におしまける抵抗勢力、無知な長妻昭が改革勢力なんてバカな図式を学者ともあろうものが信じ込みプロパガンダするなど、愚の骨頂としかいいようがない。

●こんな政治的策動にしか興味のない若輩学者に給料を払うために、政府は、私学関係団体の圧力をうけながら私学助成補助金を、憲法違反の疑義を指摘さなれがらも私大に垂れ流している。しかも傾斜配分など差別的取り扱いをしながら。鈴木亘氏はまずそのことを自己批判したらどうだろうか。

| | コメント (0)

2010.07.03

7/2 保育所の規制緩和派は、質はともかくオレにも補助金くれと言っているようなものだ

今日、私の勤務先の労働組合の組織内候補の屋内集会で、都議会議員の松下玲子さんが応援に来ていただいた。

話の中で、自らの子育て体験を引き合いに出して、保育スタッフの賃金を下げて良い人材による保育ができるのか、安心の社会保障のためにがんばってほしい、というようなコメントをいただいた。

短絡的な保育の規制緩和やコスト切り下げがよろしくないという体験を表明したもの。当事者になってみないとわからないことだ。

●保育の規制緩和せよ、と叫ぶ経済評論家やベンチャー保育事業家は多いが、保育事業の参入は市町村への届け出だけでできる。規制も何もない。事業を始めるなら誰でもできる。
規制緩和派の彼らが言っているのは、基準に満たない保育園でも補助金をくれ、その補助金を本来の使途でないもの(配当金、内部留保、役員報酬)に使わせてくれ、と言っているに過ぎない。そのために待機児童問題と新自由主義の経済理論を利用しているに過ぎない。基準もルールもないで税金をくれる制度など作れるわけがない。

基準に満たない保育園でも基準に満ちた保育園でも同じ補助金なら、誰もバカバカしくて基準に満たない保育園しか運営しなくなるだろう。
補助金を本来の目的外に使えとなれば、人件費の塊の保育所で、ただでさえ低い保育スタッフへの賃金を経営が搾取して配当を出したり、内部留保にしたり、他の事業に使ったりしてもよいということだ。これはまさに事業仕分けなどでやり玉に挙がった、補助事業による委託先企業役員の厚遇や補助金のピンハネにほかならない。

結局そういう変な下心を隠すために、公立保育所批判というのが利用されている嫌いがある。

●厚生労働省の幹部が、保育制度の改革が、介護保険の導入のようにうまくいかない、介護保険のときには先取的な運動をした団体が保育になると現行制度を守れになってしまう、と嘆いているらしい。
介護保険制度になって、必要な予算が手当されていないために、給付制限になる、低賃金労働を前提にして制度設計したのでスタッフが居着かない、過酷な労働をさせられている。そうした現状が放置されている以上、保育制度を介護保険制度のようなドラスティックなものに変えるということに合意が取れないのも当たり前だろう。

| | コメント (1)

2010.01.07

1/7 また保育所を事業仕分け

また民主党政権が保育制度を事業仕分けの対象としてぶち上げるつもりだ。保育所をそういうふうに捉えているのは相変わらずだ。

事業仕分けというシステムの制約からは、現状維持以外はみんなリストラを目的とするものだ。何度も事業仕分けなど、行革論議で保育所をネタに試みがされたが、待機児童問題の解決はそんなものではないだろう、ということが明らかになっている。国が保育財政にほとんどお金を使っていないことも赤裸々にあらわされた。夫婦ともに正社員ぐらいの所得で子ども1人月8万円も保育料を払え、という基準で国は認可保育所をオペレーションしていることが明らかになった。月19万円の保育士の人件費が低いと評価された。しかしそれでもまた同じことをする。これこそムダではないか。こんなこと書き続ける私もムダだと思う。
もう一度、民主党政権の行革担当者は、保育所運営費補助金の議論をした事業仕分けの議事録を読み返すべきだ。HPで公表仕分け結果はあれは財務省の提案意向を薄めて書いてあって、議論の実態を表していない(議論の過程を無視した仕分け結果など、だましが事業仕分けにある。早急に議事録を公表すべきだろう)。

保育所には改革しなければならないことは多いし、今の勤労者家庭の生活を支えるという観点では、まだまだやらなければならないことも多いが、この間の「改革」談義、新政権の事業仕分けでの取り上げ方は、そういうことではなく、単に行政改革ゲームの戦術ネタとしての問題提起しかされず、それに対して、担当官庁や利用者がやむにやまれず抵抗するという構図が続いている。
そこに新自由主義者の経済学者が、自らの政治思想に矛盾する制度として保育所を槍玉に挙げ、理論の矛盾もわきまえずに政治家周辺で非難し続けているようだ。

現在、保育制度の見直しについては、厚生労働省で議論が積み重ねられており、それを無視して政治的に槍玉に挙げ続けるこの政権の態度は本当に許しがたい。
まして、当事者の意見などほとんど聴かず、都内の保育所を数ヶ所見ただけで、あとは新自由主義経済学者の残骸みたいな人たちの話を聴いているだけ。

問題は事業仕分けを使って「広く国民に聴く」といいながら、いったいどの国民なんだということである。
聴いているのは当事者や子育て中の人がほとんどいなくて、仕事を犠牲にして子育てをやったことがあるのかわからないようなエコノミック・アニマルみたいな連中ばかりではないか。

保育所が何のためにあり、誰のためにあり、当事者は誰なのか、という議論が無くて、まるで抵抗勢力がいるかのような妄想に取り付かれて、道路や橋や港湾、同じ子ども業界では幼稚園などと違って声が小さく無視しても選挙に影響がないからと、政争のネタにし続けるのは本当に納得がいかない。

この政権にこのようなことを何度も繰り返されると、この社会で働き続けることが馬鹿馬鹿しくなってくる。市役所や議員会館におしかけて政治家に気に入られるように説明できるヒマと立場のある人たちだけの声が届くのだろうか。働く人間を痛めつけるのもほどほどにしてもらいたい。

●ロシア革命の理想が崩壊していく過程を苦虫潰して味わった人たちの話を読むと意義深い。

続きを読む "1/7 また保育所を事業仕分け"

| | コメント (0)

2009.11.23

11/22 保育関係者はエコノミストに「質が維持しよう」と言うよりも、それで待機児童が具体的に減るんですかと問い直すべき

新政権で待機児童対策をどうするかということで保育に意見したい人たちがいろいろ動き回り始めている。

保育園の送迎をやったことがあるのかも怪しげなエコノミストと称される新自由主義者(以下「エコノミスト」というときには評論したがる新自由主義の経済学者や評論家のことをいいます。本当のエコノミストには申しわけありません)と、保育関係者との意見の断層が大きく、議論にならないなかで、政治側が安易な選択をしたがっているところに恐れを抱いている。

保育所の質を下支えしてきた最低基準を下げなければ待機児童対策ができない、という仮定の理論をもって、保育所の規制を取っ払おうというのがエコノミストの陣営。それに対して保育の質を守れというのが保育業界関係者。どうもこの対立図式の中では、規制を取っ払えという側が勢いづかざるを得ない。

エコノミストは、何においても市場が決めるんだという。1つには市場原理という神の手で最適選択がされるというメカニズムの議論と、もう1つは個々の保護者がまるで選べる権利があるんだという非常に矮小化された議論をないまぜにして、質を問うことはしなくていいんだと迫ってくる。保育の財源や質のことなんか面倒くさくて考えたくもない一部の政治家たちはこれになびいていく。

保育の質ということの内実はいろいろあるのだろうが、質といっても、求める水準が死亡事故が起きないからはじまってエリート校に行かせる教育を求める水準までいろいろなレベルがあって、それをどこに設定するかということのコンセンサス(児童福祉法や厚生労働省は家庭の代替機能と位置づけているが)ができていない上、さらに仮にそれを決められたとしていも、どういう職員配置やどういう面積ならその質の水準が実現できるのか、ということは科学的な証明は不可能である。
もちろんし、実際に最低基準などが機能しているのは、さすがにそれを割り込んだらひどい保育環境だと経験則的に理解しているからで、エイヤッと決めたものだとしても、それはそれで大きな意味があったと言える。しかし科学的に証明せよというと、論立てがなかなか難しい。

だからお互い神学論争の中に安住していて、10年一日、待機児童対策に対しての有効な対策について結論が出ない。
ところが、一昨年ぐらいからの格差社会の問題、昨年末の反貧困運動の成果で、ようやく保育というのが若年者家庭の生存権につながる問題だと認識されて、予算出動してでも保育を充実させるベクトルが動き出したものの、それは民主党が野党の間だけだった。
概算要求をまとめて、子ども手当の財源すら用意されていないことが明らかになると、途端に先日の事業仕分けでも見られたように財務省発の保育料の値上げと、エコノミストたちによる規制緩和による安上がり保育を画策する動きが跳梁跋扈してきた。政治家側もそうした議論を支える学者と接触し始めているのだろう。経済雑誌などで規制緩和派の保育談義が掲載されている。

ところが、これに対する保育関係者の反論は、待機児童問題の解決のために質を下げてはならない、という言い方になりがちである。この議論の仕方は、待機児童問題の解決と質の維持を取引材料に出すものであり、完全にエコノミストたちの議論の術中にはまっているのである。
エコノミストたちに眼の前にいる認可保育所の子どもだけいい思いすればいいのか、と反撃されたら詰である。認可保育所を利用できなければ、若干規制が緩い自治体独自認可の保育所を利用し、それが不可能な質の担保のないらベビーホテル、親族による育児、育児放棄とどんどん低い方に選択が進んでいくだけである。保育所が見つからないからって職場を欠勤できないことを考えてもらいたい。保護者は保育の質のために、稼ぎや生活を犠牲にできない存在だからだ。したがって、待機児童問題があるということ自体、保育の質が維持されていないことの証明なのである。それを直視しないで、エコノミストどもに対抗できるわけがない。

だから、待機児童問題は重大な人権侵害であるという前提をきちんと呑み込んだ上で、エコノミストたちの挑戦に対して反論していくことが重要だと思う。そもそもの話の設定は大都市部と沖縄県においての待機児童問題の解消なのだから、それができるかどうかを突っ返して反論すべきだろう。

私はエコノミストたちが言うような規制緩和で、数百人程度の限定的な待機児童の解消に効果を生むとは思うが、2万5千人、潜在的ニーズとしては10万人を超える保育ニーズを解消できるとは思わない。やはり一定の財政出動をともなう対策を講じなければ、絶対に保育所の収容人数は増えない。

保育コストというのは、建物と運営コストに分かれ、運営コストは保育士や調理員など人に対するコストと、給食や教材費など日々の保育活動に対するコストに分かれる。これらの積み上げの内訳を削るしかコストは下げられない。運営コストの積み上げを入所した子どもの数で割返したのが「保育単価」で補助金の計算から保育料の計算までの算定根拠になっている。
一方、保育コストの原資は、保護者の保育料か、国の補助金や地方交付税か、自治体の持ち出し補助金か(あと社会保険を使うというのもあるが、これは国民から徴収して国民に返すのだから国や自治体を経由する支出と意味は変わらない)、どれかしかない。
このバランスの中でしか保育所の運営はできない。そして今の保育所運営費補助金は、この計算をそのまま表現した仕組みになっている。上記の計算式のどこにお金を入れたり、お金を差し引けば、どういう効果が起こるか、それが政策判断の話になっていく。
規制緩和や市場原理で、この今の収支の水準のままで2万5千人分も保育する余力は生まれるとは思わない。事実、2000年前後の規制緩和で、保育事業者が増えたんですか、と聞きたいところで、強力に規制緩和を求めたベネッセスタイルケアにしたところで、今現在、認可保育所は10園前後しか経営していない。人数にして1000人分程度の待機児童を解消したに過ぎない。

エコノミストは自らの信仰とまで化している経済学の一部の理屈、原理原則を、保育業界に機械的に適用して実験しようとしているだけであり、実際に待機児童が減るメカニズムについて十分な検討をしているとは思えないから、真剣に待機児童がどれだけ減るんですか、とつきつけたら、どこかで何も答えられなくなる。改革が足りないんだ、がんばっているところもあるんだ、という理屈にならない話になるのがオチである。
保育所の建設費を誰が払うんですか、1人あたりの金額が減る保育支出でどうやって保育やっていくんですか、ということに詳細の検討がされているとは思えない。追及していけば、「保育士の子どもの見る人数を増やせばいい」か「保育士の人件費を下げろ」という答えしか出てこない。そういう改革は、すでに2000年の段階でもやっていて見事に成果が上がらなかった。

そもそもの財源を担保しなくて、保育所は増えないし、エコノミストぎ期待する新規参入業者なんかも、ごく奇特な例外を除けば、いるわけがないのである。介護保険で、財政を締め始めた後には、新規事業者も介護士の新規就労も増えていないことがそれを証明している。

●たまに朝霞市の保育政策を褒めると、決して質を厳しく問うていないところが問題だが、1997年から、いち早く認可外保育所で質を維持しているところに自治体独自で公費の支出を行ってきた。その結果、最近まで待機児童問題は存在しても、ある程度のお金さえあって仕事も通常勤務の範囲であれば、実際に保育サービスが全く無くて行き詰まる、ということは回避できた。
しかし、やはり最近、こうも共働き率が高まると、その認可外保育所も不足しているらしくて、新規入園は4月までとりあえずストップしているところが多いという。自然な新規参入に期待するのも、共働き率3割から5割ぐらいに上げる分に対応するところが限界だろう。また補助を受けている保育事業者も、余裕のある経営をしているところはない。市内だけではメリットが薄くて認証保育所制度のある23区内に展開しはじめた業者もいる。
北陸のように7割、8割の共働き率になる水準までは、もはや思い切った財政出動なしに保育ニーズに対応できない状況というべきだろう。

●行政刷新会議のホームページの事業仕分けの保育所運営費補助金の議論の報告(第二WGの17日)から、。どうも実際に行われた議論の流れと違う、財務省の元々の問題提起に近い報告になっている。しかも議論の後半、5分以上は議論を費やしたはずの、保育士の賃金単価が低いんではないか、という仕分け人の意見が全く拾われていない。正確な議事録を公開すべきだ。
こういう意図的な改ざんをするから、事業仕分けってうさんくさいといろいろ言われるんではないか。事業仕分けの品質を高める努力をしてもらいたい。

●増税はしない、子ども手当は月2万6千円撒きます、そう言った時点で私は保育園が犠牲になるだろうと予測したが、どうも的中しそう。嫌な感じである。

●権丈善一氏のホームページから、11月20日付「勿凝学問46 歳出削減はいつまでつづくのか?――この国には新自由主義とか市場原理主義の政治家などいない」から
「医療、教育の荒廃、介護の後退、保育の未整備をまねいたのは、首相の個性ゆえではなく、増税をしようとすれば政治家を酷い目に遭わせる日本の有権者のせいであるというのがわたくしの診断でもある。」

| | コメント (3)

2009.11.22

11/21 国の制度をいじってもすでに財源の分権化は進んでいる

保育ネタをもう1つ。

先日の事業仕分けで、国が認可保育所の運営に使っているお金がごく僅かであることが明らかになった。費用徴収基準表で、3歳児未満で中の中の下ぐらいの所得階層、3歳児以上で最下層の所得階層の子ども以外は、設定した本人負担額が保育単価から割り戻した自己負担額を上回り、国が補助を出さない対象であるからだ。

したがって、認可保育所ということで、国が守っているのは認可保育所に入所している子どもの半分もいないという結果になっている。
で、認可保育所には、保護者が生活保護受給者で、求職活動や病気のために子どもを入所させている場合やすでに就労先のある母子家庭などが優先されて入所することになる。

したがって、以下のような議論は全くナンセンスと言ってよいことになる。
①保育財源の分権の推進または反対→結論は変わらない。認可保育所の入所児童に使っているお金があまりにも低すぎて、自治体は持ち出しをしている。結果として分権型の財政運営になる。
②保育士の給料が高すぎるから認可保育所は良くない→給料の妥当性はさておき、公立保育所の保育士の給料を決定したり監督しているのは自治体であり、保育制度ではない。
③認可保育所に使っているお金を待機児童対策に平等に回せ→国レベルの政策提言としては全くナンセンス。国が保育所運営に使っているお金は、貧困対策分+αしか出していないということから、待機児童対策として認可外保育所に国費を平等にならしても同じ結果分のお金しか出回らない。

など鈴木恒氏、週刊ダイヤモンドの記事の思いこみは待機児童対策に全く効果がないと言える。

| | コメント (0)

11/21 保育園:業界団体と労働組合を政治的悪者にしてちゃっかり政治的発言力を作っている師匠はどうなの

最近アクセス数が急増していたので、リンク元をたどる。大口は保育関係。週刊ダイヤモンドの記事をこてんぱんに批判したことが、保育関係者の溜飲を下しているようだ。保育のプロでもないのに、いきがかり上、保育所の政策と財務についてある程度の知識を得てしまった私には、そういう役回りをすることが最適なのだろうと思っている。
保育関係者はどうもどぎつい政策判断について意見を言わないきらいがあって、労働組合と共産党と経営者団体以外は、子どもの最善の利益とか、良い保育とか抽象言語で対立する意見の価値判断を避ける。

●民主党の周囲を跳梁跋扈し、週刊ダイヤモンドの記事ネタを提供したと見られる学習院の鈴木恒氏が自身のブログで悪あがきをしている。鈴木氏と週刊ダイヤモンドはどうしても話を

ダイヤモンドの記事は、こうした利権に関連して、保育業界内では有名であるが政治的に絶対的タブーとなっていた話題(認可保育所の高コストぶり、私立認可保育所の一族経営の状況、その旨味と利権、東京都23区の「正規」保育士の高給ぶり、保育3団体の異常な政治活動と労働組合活動、それに対する厚労省と自治体の弱腰ぶり等)にも踏み込んでおり、やや不正確な記述や、若干の勇み足があるものの、全体として非常に勇気ある内容となっている。ダイヤモンドの記者には大いに敬意を表したい。

待機児童問題を、保育所経営者団体や保育関係労働組合の責任になすりつけてスケープゴートにしようというやり方が見え見えで、下品極まりない。先に言っておくと、小泉構造改革系の連中は、かつて年金改革がデッドロックに乗り上げたときに、メディアを利用し社会保険庁の職員労組をスケープゴートにすることで、年金改革を誤魔化した。しかし結果は年金制度がなにがしか良くなったかね、ということを問いたいところだ。
で話を戻して、上記の引用に対して、
①認可保育所が高コストなのか、東京23区が高コストなのか、学者なんだから正確に決めて言うべきだ。ここでは認可保育所が高コストなどと書いていながら、その後のところでは東京都市部が高コストで他は妥当というようなことを書いている。全く矛盾しているか二重基準で印象操作をしながら議論をしている。東京都市部以外が妥当なら、認可保育所制度そのものをコスト論で攻撃する鈴木氏の態度は的外れと言わざるを得ない。
何度も私は指摘しているが、富裕自治体の東京23区にとって保育所の運営コストがネックなのではなくて、土地や施設の確保と、保育所建設費が各自治体年1ヵ所みたいな予算支出の制限、保育所需要と供給を制御できる土地計画法制がないことが待機児童解消のネックだ。
②私立認可保育園の一族が利権化しているということについて具体的な事実や事例を示すべきだろう。私は社会福祉法人が厳しい会計制度のため、世襲を通じて土地を実効支配しながら免税を受けられることぐらいしかないと思っている。学校法人に比べたらオーナーの自由度などないに等しい。そんなにうまみのある話なら、もっとたくさんの土地持ちが保育所経営を始めているだろう。
③「保育3団体の異常な政治活動と労働組合活動、それに対する厚労省と自治体の弱腰ぶり」というのは過大評価ではないか。保育3団体には日本医師会のような国会代表も送っていなければ、政治資金団体も持っているかどうかですらあやしい。自治体が利用者の入所を決定するため、保育所が利用者に対して集票能力はないだろう。「保育3団体の異常な政治活動ぶり」というのはどういうことなのか挙げてもらいたい。労働組合にしてもそうで、自治体労組の代表は国会にいても、それがそのまま保育所政策を左右するなどと言うことは聞いたことがない。

それより鈴木氏の師匠の八代氏が、オリックスの宮内義彦氏の庇護のもと、盛んに規制改革会議などの政治的審議会を経由して、当事者の利害を無視して福祉政策を変更させていったことは、政治活動ではないのだろうか。21世紀に入ってから、保育3団体や労働組合より、八代師匠の方が好き勝手にやってきた。ベネッセやポピンズコーポレーションなどの新参保育業者とタッグを組んで。
八代師匠がよくやった、業界団体と労働組合が世の中歪めている、みたいな陳腐な勧善懲悪ドラマで視聴率を稼げる時代は終わったんです。違うやり方で、鈴木先生の立派なバウチャー制を普及させる宣伝活動をされるようおすすめしたいところです。

●読み進むと、矛盾だらけです。保育士の賃金が高いから待機児童が発生するなどと言いながら、一方で、保育士の賃金が福祉職給料表の導入で下がっている、などと書いている。

福祉職給料表(の是非について議論があるが、それはさておき、それで保育士の賃金が「妥当な水準」に下がり、さらには非正規労働者の保育士が増えて、公立保育所の運営コストがここ数年で大幅に低下していることは間違いない。コストが高いから待機児童が解決しないという鈴木恒氏の言い方なら、賃金水準の低下で待機児童問題は自動的にその分解消されるはずなのに、むしろ待機児童は増加している。小泉構造改革系の保育談義の待機児童問題の解消策は矛盾したことになっている。

| | コメント (0)

2009.11.17

11/17 国の事業仕分け:保育所運営費補助金が安すぎる、保育士の待遇改善をせよという展開に

国の事業仕分けの「保育所運営費補助金」で何がやり玉にあがるのかと聴いた。

民主党の議員がタイトルを読み上げ、続く、財務省の役人が何かを言い出すのかと言えば、保育サービスの拡充の財源のために保護者は保育料をもっと負担せよ、とりわけ世帯年収932万以上の世帯の保育料基準の月8万円は少なすぎて、もっと負担せよ、というもの。

夫婦で年収932万と言えば、夫婦ともに年収480万円程度、あるいは夫が650万円と妻が300万円でこの水準に達する。そういう家庭が1人月8万円を超える保育料を払えば、2人、3人となればどういうことになるのか、財務官僚はわかっていないらしい。元々共働きの人たちがいなさそうな職種。わからないのだろう。

さすがにこれが暴論であると仕分け人たちも気づいたみたいで、前高島市長がまともな指摘をしたところから、財務省の問題提起や、そもそもの保育料負担額が高すぎるという話が出された。

財務省の役人が押しつけようとしたことは、子育て税そのもの。子育て共働き世帯を狙い撃ちにした増税策にほかならない。それを保育サービスをあまねく供給するためなどと美しい言葉を使っているに過ぎない。

厚生労働省が提出した「保育単価と費用徴収基準額」という資料に驚いた。これは国が自治体に、保育料をこれだけ取りなさい、という基準額で、保育単価がコスト算出に使われ、この徴収基準額が保護者負担額の算出に使われ、その差額を国が自治体に保育の補助金として支払われることになる。
この財務省の役人が少なすぎるという徴収基準額表で示された保育料を見ると、あまりにも金額が高すぎて、2歳児以下は世帯年収932万円以上、3~5歳児で世帯年収334万円以上から国の費用が使われていないという事実が示されている(保育単価限度という言葉で書かれる)。
保育はお金がかかる、お金がかかるのは規制業種だからだ、といういい加減な言説がまかり通ってきたが、国に関して言えば、保育費用を国が負担しているのは、2歳以下の子どもの中の中から下ぐらいの所得層の家庭の子と、3歳児からは貧困家庭の子のみ、ということのようだ。したがって全国で215万人の子どもが保育所を利用しているが、国の予算は3621億円しか使っていない。
これは私も気づかずうかつだったと思う。確か2000年頃の保育料基準額はもっともっと低くて、最高ランクですら国費が使われていたように思う。

さすがに財務省役人の暴論は斥けられ、子育てにお金を使うことをバカにしてきた財務省の姿勢が問題視された。おまけに所得税の捕捉というサラリーマン差別の話まで出てきて、やぶ蛇だったようである。

最後に、厚生労働省が示した保育単価の内訳の保育士人件費を見て、「金額が低すぎる」と口をつく仕分け人が多く、ようやく小泉構造改革系の有識者たちが保育コストに対する正しい認識ができたようである。「財団の何もしない幹部たちが1600万もらう一方で、保育士の人件費が月19万円だけですか?現場で汗して働いている人を大切にしてもらいたいものです!」という発言や保育士の待遇改善を求める意見まで出てきた。構造改革系の文化人に高コスト体質と叩かれ続ける保育所に同情し、何年もそういうデマはデマだとブログに書き続けた私としては、涙が出るほど嬉しい展開となった。

ずっと事業仕分けをこきおろしてきたが、今日は大きく見直した。今日仕分けされたのは財務省の役人であった。

●構造改革系の経済学者たちは、保育所が規制業種で子ども1人あたり月50万かかっているというようなデマを流し続けた。215万人もの子どもに月50万円を配っていたら、年間12兆円、話半分でも6兆円を超える保育予算になるはずだが、そんな話はない。たった3600億円、子ども一人あたり年30万円も使っていない。

●もちろん保育費用の国費負担をそれだけ低い水準においてあれば、しわ寄せは自治体に来るわけで、自治体が新たに保育所を作りたがらなくなるような構造ができている。朝霞市のようにマンション売りまくって固定資産税をガバガバ集めておきながら、保育所の整備を率先してすることもなく、基地跡地の自然破壊や地主たちが働かずに食べるために政治的圧力で土地を買うために税金を使おうというのがいちばんひどい例。
分権で保育所のことを何もかも自治体に権限持たせる危険はここにあると言ってよい。事実、公立保育所は、財源の地方移譲をしてから、臨時やパートの保育士ばかりになった、延長保育を新たにやるところがなくなった、などの弊害が出ている。

●厚生労働省の児童家庭局長、21世紀職業財団から今回まで見ていて、悪い人ではなさそうだが、不勉強なところが目立つ感じがしている。今の保育料体系についてうまく説明できなかった。1997年の児童福祉法の大改正による保護者負担の増加をもって形成されたもので、ここ数年保育政策に関わっている人には調べるまでもない話だと思う。まぁ、仕分け人みたいにだからダメ官僚みたいなレッテルを貼るつもりはない。

| | コメント (0)

11/16 週刊ダイヤモンドの書き散らし保育談義

経済誌・週刊ダイヤモンドが「新規参入は断固阻止!! 保育園業界に巣くう利権の闇」(週刊ダイヤモンド編集部 清水量介)といった記事を掲載している。

記事として問題なのは、取材した内容がなく、論評しかないことである。それなのに客観的事実のように装って、一方的な断定で、特定のイデオロギーに偏った書き方を進めていく。

この記事のタイトルにあるように、保育所に利権なんかあるんだったら、ありあまるぐらい認可保育所が増えているだろう。保育所を建設する土建屋以外と、保育所の入所あっせんを請け負う悪徳地方議員以外に利権なんかほとんど発生しようがないところに、保育所問題が市場原理で解決できない難しさがある。

記者なんだから保育所の財務分析ぐらいしてみたらどうよ、と言いたい。
記事中に私腹を肥やす認可保育園などという言葉が出てくるが、何を裏取ってそんな記事を書いているのだろうか。営利企業にこんなこと書いたら訴訟になりかねない。人の善なる部分を見いだそうとして反論や訴訟を起こさない福祉関係者につけいるようなやり方だ。
儲からないわ、財産寄附して成立した社会福祉法人からお金を引き出すこともできないわ、というのが、私立認可保育園の経営実態。副業として教材販売会社とか、写真現像なんかやって、しこしこ保護者からお金を引き出すしか、私腹を肥やせない。

後継者を指名して二世、三世と引き継ぐのは、土地持ちが社会福祉法人に財産寄附した土地への実効支配を維持するため。社会福祉法人にしておくことのメリットは、土地を維持するための税金軽減ぐらいだからだ。その代わり、革命でも起きない限り、土地を寄附した地主にとって土地を処分して現金化することは永久に不可能になる。

30歳で退職させるというくだりもあるが、国の保育所補助金の算定基準の人件費が、25歳賃金を前提にしているからだ。平均賃金25歳なら、短大や専門学校出た20歳の保育士であれば30歳で退職しなければ赤字経営になるからだ。早期退職を促して儲けをピンハネしているというこの記事はデマであり、記事に裏を取ったのか確認してもらいたいところ。

過去にも書いたが、都内の公立保育所の保育士の賃金が高いと書くが、その問題は認可保育所制度ではなくて、公務員制度の問題である。また都内の保育所の問題は、税金が余りがちな23区内の独特の問題であり、地方に行けば状況は、公立も厳しい。

筆者は株式会社が参入しないことをもって規制緩和を骨抜きにしたと言うが、保育は、国民から強制的に取った税金(こういう言い方、規制緩和派や小泉構造改革派、新自由主義者は大好きなはず)を注入しなければできない事業だから、利潤まで保障することは難しい。供給過多ならともかく、供給不足で利潤まで保障する余裕はない。
保育にかかるコストから、人件費をピンハネして不必要な内部留保や、グループ内企業への流用、配当金などでの流失など簡単に認めたら、それこそおかしな話にならないか。そういうことを禁止したら株式会社が参入しにくいということだけである。株式会社が保育所を経営することは何のおとがめもない。自治体が株式会社に委託をすれば、参入障壁なんか何もない。

こういう認可保育所=抵抗勢力言説は、小泉構造改革のときに、政商・宮内義彦の後ろ盾を得た八代尚宏などの学者たちが繰り返し水虫のようにしつこくやってきたやり方。日保協、私保連、共産党、自治労、自治労連がそれぞれ何を主張し、何を改革せよと言い、何を改革するなと言い、そういうことを検証せず、団体名を並べて陰謀渦巻く既得権益・抵抗勢力のように演出し、断定するやり方もひどいやり方である。しかもしたたかに保育園を考える親の会だけは外している。八代尚宏大先生が公式の席で既得権益と断定した保護者団体である。保育所で苦労している保護者を敵にまわさない政治的策略であろう。

社会福祉法人の経営者で、社会福祉法人からの上がりで裕福に暮らしている人を見てみたい。多くの保育園、幼稚園経営者は清貧で、清貧であるからこそ、労働者にもひどいことをしてしまう問題の方が大きい。

実際に認可でも認可外でも保育所を使ってみたら、こんな単純な論調で記事を書くことはできないだろう。

最後に民主党はしがらみが無いんだからなどと書く。しがらみがないことと、因果関係がない話を信じ込まされることとは全然違うことで、日々子育てと仕事に追われている家庭の立場に寄り添い、こんなあほな言説をまともに取り合わないよう切に願うばかりだ。

●こういういい加減な記事を書いているマスコミの苦情処理機関はないのだろうか。共働き家庭はこういう記事に文句言ったり、反論したりする場もなく、こういう記事に影響された有識者や政治家による、事業仕分けだとか、行革ツールを使って必要なインフラが一刀両断にされていくことが続いている。煮えくりかえる思いである。これまでよく生命線を守ったと思っている。
規制緩和しないから待機児童問題が解決しない、などと事実関係のない報道をするテレビがあったら、それは校閲能力の問題だろう。テレビであればBPOにでも訴えてみようかと思う。

●保育所の改革というときに、規制緩和が進んだか、株式会社の参入が進んだか、それだけで計測するようなアホな改革談義はもうやめてもらいたい。国民に有効なサービスが提供されたかどうかという評価をきちんと確立してもらいたいものだ。今どき延長保育を抵抗する愚は、ぬるま湯体質、あるいは閉鎖的体質として叩いてもらった方がいいと思うが、どんな経営体であるかどうかは、目的と手段が入れ替わってしまった議論である。

続きを読む "11/16 週刊ダイヤモンドの書き散らし保育談義"

| | コメント (1)

より以前の記事一覧