2013.06.06

6/5 盗作戦略のアベノミクス・規制緩和で保育所不足は解消しない

昨日、アベノミクスの三本目の矢となる「成長戦略」が発表されましたが、その内容は、民主党政権時代を含めての小泉政権以降に提起され、政策効果が不透明ということで却下され続けた政策を、高支持率のドサクサまぎれに押し込んだものです。
あたかも、過去の政権や審議会が主張したものを、自分が発想したかのように宣伝する、戦略を盗作するアベノミクスのお家芸炸裂という感じです。

その規制も本来的な産業の規制緩和より、そこの既得権益は守りつつ、「エネルギー・環境」「保育」「健康・医療」「雇用」「創業」とした社会政策の分野ばかり規制緩和だけを求める、2000年頃からのずれた規制緩和ばかりです。

そこで出てきたものは本当に副作用を考えているのか、国民生活の向上より、ある種の経済学者のイデオロギー的満足感を満たすことばかり考えられているのではないかと思わざるを得ません。

薬のネット販売については、ほんとうにどうするんだろうか、と思うところがたくさんあります。しかし最高裁がやれという判決なわけですから、これも大したオリジナリティがない。とにかくいけいけどんどんというだけの頭の悪い判断なだけです。薬剤師が既得権益、という批判をしているだけ。
後々、副作用問題で国賠訴訟を抱えざるを得ないということ、最高裁判所はそういうリスクについてあまり考慮せずバラバラに判断をしているだけのことなので、どんなことになっても後の祭でしょう。

保育所の株式会社参入を監視するなんてのも愚策もいいところ。保育所は公立保育園でなくてはならない、というイデオロギーと全く同じ裏腹のもので、保育園不足の解消とは全く無関係なものです。
株式会社が保育事業に参入したがっている、という神話にもとづいた誤りで、株式会社が保育所に参入したがる場合は、①配当や内部留保、他の事業をやるより高い役員報酬が見込める、か、②単に保育所事業がやりたい経営者の志がある、ということでしかありませんが、②なら社会福祉法人でもNPO法人でも構わないわけです。①であれば大事な血税を、配当や内部留保、役員報酬に大々的に使ってよろしいという話で、そういうことが自治体内で合意できるのかという問題を全く考えていません。また市民感情からすると、自治体の税金が金儲けに使われている感情的な問題につながり、かえって保育所の整備に関して、大枠から否定論が出てきかねません。
保育園不足に悩んでいる自治体の議員をしていると、経営形態なんかどうでもいい、とにかく子どもを大切にし、不正をせず、事業撤退をしなくて、子どもが減って高齢化したら高齢者福祉に転業する覚悟のある事業者であればいい、と思いますが、株式会社じゃなくちゃ新規参入はダメなんて言ったら、ほんとうに参入してくる事業者が見つからない、ということにもなりかねません。事業撤退と高齢者福祉への転業はなかなか難しいのではないかと思います。
手段と目的が入れ替わって、つまらない経済イデオロギーの呪縛を個別政策の中に持ち込むという過ちを重ねているところが、規制緩和がらみの保育所制度の議論です。
結論からいいますと、保育所の新設は株式会社じゃなくちゃならないなんて政策をやったところで、大都市部での女性の社会進出の数ほど保育所は増えない、と思います。その結果2017年に待機児童問題を解消するなんて目標は達成できません。2000年から2009年までそういう規制緩和で保育政策やって待機児童問題が悪化してきたんですから。
保育所を増やすのはやはり圧倒的に補助金の力なんです。儲からない公益事業を推奨するには、具体的な行動を促す政策が必要です。

●昨日、保育担当課長と意見交換しましたが、公立で保育所を作れる補助金制度や交付税が増額される制度があれば、民間参入をまたずに公立保育所を作ったり増築して解決できるんだが、とぼやいていましたが、神の見えざる手じゃ保育問題は解決できないんです。誰かの見える手で解決しなければならないのです。

●経済再生のためには内需が必要だし、そのためには、消費できない人たちへの雇用と所得の再分配が必要なのですが、安倍政権はリフレ派に依存し、日銀で何とかなるというだけの政策なので、結果としてうまくいかなくなり出すと、いつもの自民党政権のとりまき経済学者の言いなりで、自民党の利害の少ないところで規制緩和を打ち出して、こんなことになるのだろうと思います。無視されて話が変わっていくことにつきあわされる当事者にはいい迷惑です。

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2013.05.03

5/3 保育所事業に株式会社の参入を認めるだけでは待機児童問題は解決しません

昨日のニュースで、規制改革会議が「保育所の待機児童対策のために株式会社参入など規制緩和を行う」と報道されましたが、話が変です。

2000年に労働組合職員として、保育所事業への株式会社参入の政策変更に関わり、保育士組合員に反発されながら、株式会社が参入するゆえの課題について整理し、厚生省に意見する作業を行いました。このときにすでに、認可保育所の運営に株式会社が参入できる規制は撤廃されています。今さら自分たちの英断かのように扱うのはミスリードだと思います。

昨日の報道ではさらに、実は緩和されています、という前置きの後、自治体が株式会社参入を阻んでいて進まない、という問題意識から、自治体に株式会社の運営する保育所を認可せよ、と強制するらしいのですが、これは地方分権を通じて保育所の事務の権限を市町村に移してきた、保育制度の規制緩和派も強く推進してきたことを全否定する問題ある政策です。

では株式会社に保育所をやってもいいよ、そのためのハードルを下げます、ということで保育所は増えるのか、ということですが、保育事業は機械化や「カイゼン」で生産性を上げる余地が少ないため、設定された公費と利用料の範囲でしか、収益は見込めません。事業拡大しても収益率はほとんど変化しない事業です。したがって、単に規制を緩めるだけではなかなか保育所事業に参入する事業者は増えません。何らかの社会的意義や、これまで関わった保護者からの強い要請、本人の保育への強いこだわりのある事業者でなければ、参入規制緩和しただけでは増えない分野です。

じじつ、2000年以来小泉政権の終わりまで、地方分権のための事務的なものも入れると数次の規制緩和が行われていますが、この間、増える保育所ニーズを上回る量の保育所は増えず、待機児童問題は解決しないどころか深刻度が増してきました。これを規制緩和派は「規制緩和がまだ足りないからだ」と言うわけですが、それは手段と効果について全く整理されていない、先入観による政策判断ミスです。これはきっと政策をミスリードするか、実務者たちにはほとんど無視されることになると思います。
ただこうした効果のない政策打ち上げの対応に追われる実務関係者たちが、本来の保育所不足の解消や保育の質を改善していく仕事が後回しになってしまうことが問題だとは思います。

保育所が増えないのは、保育所の建設費と運営経費を負担する自治体が財政事情の悪化を避けるために、増え方を抑制しているからです。待機児童問題を抱える自治体が、保育所を作っても財政事情は悪化しません、という政策を打たない限り、いくら規制緩和してハードル下げても、十分な保育所が整備されないのは当たり前です。
そういう観点では、福田政権から検討が始まり、民主党政権時代に実現した、年額150億円程度の「子ども安心基金」を通じた保育所新設費用の補助金の上積みは効果を上げて、朝霞市もそうですが、横浜市などで待機児童問題が縮小に向かっていくことが可能になっています。

私は株式会社が保育事業に参入しても構わないと思います。しかしそれは公費を使う事業であること、保育所の補助金制度の大半が人的コストを積み上げて割返した内容であることから、営利企業としての青天井な自由があっても構わないという考え方はまずいと思っています。

おととい、アップル社が株式配当に不満を言う株主のために社債を発行して現金を調達し、株主配当を行う、と報じられましたが、本来やらなくていいはずの株主へのガバナンスに保育所が追われるようにならないことを願うばかりです。もちろん資金調達コストがゼロということはありえないので、そのことの適正な規制が必要ですが、規制改革会議のようなところにかかると、それで保育所が増えなければ、撤廃しましょうということになります。
人的な裏付けを保障しようとする補助金体系ですから、内部留保や配当に流用するということは、人的なところに何らかの犠牲がかかっていると考えるべきです。

また株式会社の効率性の最大の源は倒産の存在です。
倒産があるから民間企業は運営の自律性があり、倒産回避に向けて事業が合目的化し、顧客にはサービスが向上する、ということになっています。
しかし、効率性のためだからといって、介護や医療もそうですが、保育事業において、ある日倒産しました、今日からサービス提供はできません、などということが通用するのか、ということです。
倒産のリスクのある株式会社を参入させるなら、事業破綻後の利用者保護のスキームを作るべきですが、規制改革会議はおそらく反対することでしょう。現在の社会福祉法人であれば、出資という考え方がいなので、事業破綻した法人は公的に接収され、他にサービスをする事業者がなければ暫定的に、自治体などが直接サービスを継続することができます。ところが株式会社が事業破綻した場合は、土地や建物が債権者や出資者によって分配されますから、その権利確定まで、債権者等の同意がなければ、その施設を使ってサービスを継続させる、ということができないのではないかと思います。
そうした株式会社が参入するからこその解決しておかなくてはならない課題について、私は2000年の参入規制の緩和が始まったときに、労組職員として厚生省との協議でもテーマにしましたし、パブリックコメントにも書いて出しましたが、国も自治体も全く考えられた形跡がないのです。
こうした株式会社参入にあたっての、リスク管理みたいな政策について、おそらく規制改革会議は、参入規制のためのハードルだ、と一蹴するのでしょう。

2008年にさいたま市や足立区などで手広く保育事業をやっていたベンチャー企業が倒産して、多くの保護者と子どもがあすからの保育をめぐって路頭に迷いかけた事件がありました。自治体の努力や、借家に開設した保育所の一部で自治体が暫定的に認可外保育所として運営したことで、問題は短期間に終息しましたが、あすから預かってもらえる場所がすぐにはみつからないという保育にとって、こうした事態を想定した危機管理が必要だと思います。

このときには、経営者はベンチャー型の経営者であり、急成長の副作用として、出資関係が複雑になっていたことも明らかになっています。そうした場合の、倒産した会社の債権者は誰なのか、そういう問題も出てくるであろうと思います。

もちろん、財務情報や出資者情報などの利用者への公開など、社会福祉法人やNPO法人など共通のリスク管理が必要だと思います(痛感しています)が、株式会社が参入するというのはそれだけでは解決しない問題だと思っています。

●待機児童問題を解決するのは、①「子ども安心基金」のような保育所を開設するための補助金、②自治体が保育所を増やしてもあまり財政に悪影響を与えないような補助制度のありかた、インセンティブ、③保育士や事業者の確保、④自治体における保育所政策の実態にあった細かいチューニング能力、だと思います。このうち今の最大の課題は②、横浜市や朝霞市など待機児童問題が解決に向かい始めている自治体においては③④ではないかと思います。また大阪府など一部の都道府県では①子育て安心基金を保育所整備に十分に回していないと思われるような運用があるように聞きます。

●安倍政権は10年前の政策でも自分の手柄のように宣伝する能力がすごい。

●この問題での民主党の大半の議員の不勉強さが、今になってツケとなっていると思います。実は保育所待機児童問題に向けての政策は、(福田・麻生政権時代に仕込まれたものも含めて)民主党政権下で良質なものが打たれているのですが、自治体の保育担当者以外ほとんどその内容は知られず、当の民主党議員でも良く知らない人が多いからです。
2000年代前半、民主党内では、保育所政策の拡大を打ち出すと、①国民生活と無関係な財政規律ばかり主張する議員、②規制改革会議的な価値観が絶対に正しいという議員、③家庭責任とのトレードオフと捉えて保育そのものに反対する議員、が党内で議論をぐっちゃんぐっちゃんにするため、話が前に進まなくなってしまう場面を良く見ました。2000年代後半から、民主党において保育政策は部分的な政策として、政策通の議員や専門分野にしている議員を中心に決めてきたからではないかと見ています。
いずれにしてもそういう政策効果と無関係な信仰にもとづく議論が横行する党内事情のために、お手柄はすべて安倍政権の手に渡ってしまっていることは残念でなりません。

●保育業界の労組は、保育所の営利企業参入に反対または冷ややかではないかと思いますが、必要なのは、全保育労働者の横断賃金づくりではないかと思います。今は、最適な経営形態選択のためではなく、労働力を安く調達できるから、規制緩和が行われるわけですから、経営形態がどうであれ、規制がどうであれ、保育所の運営コストが変わらないということであれば、保育を事業とするに最適な経営形態の保育所が自然に増えていくことになると思います。
そのためには、官民・正規・非正規問わず保育労働者をどんどん労働組合に入れて行き、地域統一賃金を地域地域で作っていくことではないかと思います。あの人は違う、この人は違う、と正社員クラブの「空気」に安住するような労働組合である限り、保育所を作る側は、その枠外に労働力調達の方法を移していきます。

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2013.03.21

3/21 規制緩和をすればと言い続けて15年 保育所の待機問題

2年以内に保育所待機児童を解消する、とまたまた息を吹き返した帰省改革会議がほらふきを始めています。

保育園の待機児童問題は、参入規制があるから発生しているのでしょうか。すでに規制緩和を繰り返して15年、それだけでは一向に待機児童問題は解決してきませんでした。待機児童問題の尻ぬぐいをさせられてきた認可外保育の事業者からの圧力、要求などが背景にあるのでしょうが、彼らだって参入規制を緩和したからって、膨大な待機児童のすべてを引き受けるような事業拡大を一朝一夕にするような無謀な経営ができるわけがありません。

保育所事業そのものは効率化の余地はあまりなく、利用者が増えればその分、土地にかかる経費と人にかかる経費が比例して増えるだけの事業です。公費が投入されますから、公費の使い道として許容される範囲しか利潤的なものや資本的な支出は社会合意が取れません。したがって事業拡大の効果はあまりなく、新規参入をして市場を開拓していくメリットの少ない事業です。したがって規制緩和の参入促進効果は薄く、事実、2000年以来、度重なる規制緩和を繰り返しても、全国的に待機児童が解消したということはありません。

待機児童を大きく解消している自治体は、規制緩和ではなく、地道に保育所を作り続けた、作る人を支援してきた自治体です。変化球ばかりに期待して、保育に対するポリシーもお金も用意しない自治体が、いつまでたっても手をこまねいて、待機児童問題を深刻化させてきただけです。

●そもそも規制改革会議に委員を送り出しているような企業が、子育てしている従業員が勤務できるような働き方を備えているのか、と聞きたくなる。長時間、突発的な残業への許容、精神的献身性を問う勤務のあり方こそが、こんなに保育所のニーズをふくらませているのではないかと思わざるを得ません。規制改革会議を牛耳ってきた人物が幹部をつとめている会社が、妊娠した従業員に肩たたきをするとか、そんな話も聞いたことがあります。厚生労働省が言うように、そんなことでは待機児童問題の解消は「難しい」と思います。

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2010.10.13

10/13 鈴木亘氏の再評価は中止。相変わらず改革勢力vs抵抗勢力の新自由主義神話

文芸春秋の鈴木亘・学習院大教授の保育所の論文を読む。

少しはまともになったかと思ったが、やはり勧善懲悪物語。東京の公立保育所にお金がかかりすぎるという話をむりやり待機児童問題に結びつけ、世間のルサンチマンに呼びかけて、自らの経済イデオロギーを押し込むパターン。

とにかくこの人の頭にあるのは民=効率的、公=非効率という決めつけと、世の中改革勢力対抵抗勢力という単純な社会に対する理解。
民と公は統治・被統治の関係しか思い浮かべられないのかも知れない。それぞれ一長一短あって、その時々にその目的に応じて使い分けるべきものだと私は思うのだが。

儲かりもしなくて、労働集約型産業で、ガバナンスが容易でない保育所事業は、公費の積み増しがなければ儲からず、人件費が高騰すればたちまち経営方針を転換しなければならない。規制緩和したからと、バウチャー制にしたからと、容易に公立保育園以上の質の保育事業者が参入するとは思えない。
いきがかりに思い入れがあったり、脈略のある人が経営していない限り、長続きしない。
下手な小細工をして、制度を複雑難解にしたり、収拾のつかないトラブルに備えながら民間参入を無理矢理促すことがどうなのかと思うところもある。
規制ゆるゆる民間参入促進路線をいくらやっても効果がないと私は思う。あまりやりすぎると、劣悪事業者を招き入れる危険性が排除できなくなる。
それより、待機児童問題が問題なら、保育所が増えるかだけを考えるべきだ。いくらやっても事業者が出てこないなら、明治期の鉄道建設や製鉄事業ではないが、東京都内では公立保育所を肯定して公立保育所の新設を求めた方が問題解決が早いのではないかと思っている。そもそも23区全体では税金が余っており、保育所が思うように増えないのは、コストの問題より、土地取得や、開発とのバランス、住民の専業主婦率の高さなど、もっと別な複雑な問題があると考えた方がよい。

鈴木氏のような勧善懲悪物語を信じて改革やってみて、今の保育所にまつわる諸問題、特に、最大の問題となっている待機児童問題が解決するんですかということ。この問題、そんなに甘い問題じゃないというのは、いろいろな話を聞くとよくわかる。

●また鈴木氏が取り上げる事例が、分権のゆがみというか、保育料2万円で保育コストが50万円などと指摘するが、これは東京の自治体の独特なやり方のせい。それを厚生労働省の周辺に圧力団体が暗躍しているというような評価の仕方は、保育制度について全く理解していないとしかいいようがない。厚生労働省はこのような極端な保育料とコストのアンバランスを認めるような路線は敷いておらず、むしろここ10年は逆方向の施策を打っている。平均所得が300万円ぐらいの自治体で、月5万円以上の公立保育所の保育料を徴収するよう指導している。東京の極端な話は、地方分権的な文脈のなかで形成されてきたもの。

●鈴木氏が保育所不足で苦しんだいわれが書かれて、それはそれでよかったが、どうも話の内容から武蔵野市ばかり出てくる。
富裕層が住み、専主婦率が高く、安価に保育所を整備できた高度成長期に十分に整備してこなかった自治体。そういうところが急に共働き率が高まり、保育ニーズが急激に発生して困っている。認可外保育所などの緩和的なシステムも十分に地域に育っておらず、ひどい思いをするのは当たり前という状況。つい最近まで、給食もなかったという。
共働き+子育ての人が住むべき街と住んではならない街とがある。

●鈴木氏を再評価できるかと思ったが、やはりダメ。もっと役に立つ議論をしてほしいものです。

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2010.10.09

10/9 鈴木亘先生が宗旨替えか?

これまでオリックス宮内流の構造改革・規制緩和の残骸みたいな話しかしない鈴木亘が、今度は文芸春秋に記事を書いたらしい。

学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学) 迷走を続ける社会保障改革へ怒りの提言
公立保育所の給料が高すぎる 2010/10/8(金) 午後 10:38
文藝春秋11月号に、「待機児童八十万人の元凶:公立保育所の給料が高すぎる」と題する記事を書いた。どんな雑誌でもそうであるが、タイトルをつけるのは雑誌の編集部の権利である。正確に内容を反映するのであれば、「公立保育所の運営費用が高すぎる」、あるいはもうひとつ、「認可保育所の公定価格が低すぎる」と入れるべきかもしれない。ご参考までに。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm

あれ、鈴木先生、昨年の週刊ダイヤモンドの記事では、認可保育所自体が利権の巣窟になっている構造でコスト高、待機児童を発生させると書いたのではなかったのですかね。
公立の保育所か保育士かはともかく(どちらにしても保育所の経費のほとんどは保育士・調理員などの人件費のかたまりなのでほとんど同じ意味)公立園がコスト高という議論をふっかけたのはともかくとしても、認可保育所=悪の巣窟という決めつけから、認可保育園の公定価格が低すぎるという主張に変えたわけですから。
本文を読んでみないとわからないが、主張を変えたなら、過去のご自分の理論を修正されるということでよろいしいのですね。
それなら共通の議論の土俵ができたと思い、歓迎するところです。

●いずれにしても、今の認可保育所制度は、公費によって運営される事業として、民間参入を阻んでもいないし、地域社会が公営の保育所がよいと思えばそれでも整備できる、国の制度にしてはフレキシブルな制度であり、小泉構造改革派も私のような彼らのいう抵抗勢力派も共通に乗れる基盤ではないかと思う。結果ややり方にいろいろ問題点があったにしても2000~1年の規制緩和の着地点、民間参入は促すが認可保育所制度を維持して質に関する数字的規制は必要、というところが社会合意だったのではないかと思う。
今の問題はやはり需要を超えるサービス量の確保である。
認可保育所の是非をめぐって不毛な議論をしてきたのは無駄だと思うし、今の民主党政権も幼保一元化や規制緩和という自己目的化したドグマのためにまた無駄の道を走りつつあること、よくないと思う。

●コスト高でも自治体が公立保育園を運営し維持ないと、他に誰も保育園を経営したがらない、という問題をどう考えるべきなのだろうか。保育所が利潤をあげない限り民間参入などめざましくは起こらない。公費でまかなわれる保育所が利潤をあげるということは、税金で利潤を保証するか、税金で補助したものから人件費のピンハネを認めるか、どちらかになる。そんなことを認めたら、それこそ利権構造のできあがりである。それが小泉構造改革派の論理矛盾に行き着く。

●コスト論でやるなら、公立保育所の保育士の人件費が最後に問題になる。これについて、地方分権を前提にするなら国レベルの問題にすべきことではないし、よく考えると保育制度ではなくて公務員制度、とりわけ富裕自治体の公務員制度の問題である。
しかし保育士は、看護師のように専門教育と実習を繰り返して受けて就職した資格職であり、引き下げ派が大好きな同一価値労働同一賃金の職務給の原則を貫徹させて年功序列賃金をやめるか緩和したとしても、大学時代に文系大学で何勉強してんだかわからないで、シューカツしかしなかった人たちよりは高い賃金にしないとバランスが悪くなる(そうでなければ女の職場だからというジェンダーバイアスがかかっているとしか思えない)。したがって民間認可保育所含めてさらにコストは上げざるを得なくなる。そんな問題もはらんでいる。

●待機児童問題があるからこそ、首を長くして民間参入を待ち続けるのではなく、積極的に公立保育所を開くべきではないかと思うことがある。問題は財源と、ここのところ運営の官僚化著しい公立保育所のマネジメントをどうするかという課題だと思う。
コストの話では、ここのところ団塊の世代の大量退職や、非正規化で保育所の人件費コストは大幅に低下していると見込まれる。

●待機児童問題をコスト高にのみ原因を求めるのはそろそろ限界だと気づいてほしいものだ。それよりこの国の政府は先進国にふさわしいだけの社会サービスを維持するだけの財源を持っていないということだ。

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2010.10.08

10/7 また鈴木亘が厚生労働省官僚陰謀史観の展開

学習院に、鈴木亘という同年代の困った経済学者がいて、いわしの頭も信心というか、小泉構造改革的なものを崇拝し、それに抵抗するものは問答無用で抵抗勢力だと、およそ学者らしからぬ先入観丸出しの評論を繰り返し書いているので、このブログでさんざん批判してきた。

最近また、朝日新聞社の論座のウェブサイトで、長妻昭前厚生労働大臣が続投できなかったのは、官僚を中心とした抵抗勢力のせい、みたいはバカなことを書いている。厚生労働省の官僚が悪いと書いていれば何でも許されると思っているらしい。学者・研究者としての資質はわからないが、政治評論としてはそれで成り立つのだろう。しかしレベルが低い。そんな内幕話なら、政治評論家や政治家周囲からいくらでも話を聴けるし、正確な情報があがってくるが、政治の当事者でもない鈴木亘という若手学者が書くべきことか、私には違うように思う。第一、証拠がない。

今回長妻昭が厚生労働大臣を続投できなかったのは、単に官僚を統制することしかやっておらず、社会保障に関しての発展的ビジョンを作成する作業を怠ってきたからだ。また社会保障制度は、人権を保障するものであり、その制度の背後には、空気や水のように制度を必要としている人々がいて、ぬくぬくと学者をやってこれたような人間には理解できないような切実な課題があり、長妻昭の考えるような乱暴な改革提言など、およそ社会不安を引き起こさざるを得ないものだったのではないか。

また厚生労働省の官僚をこけにするような言い方をしているが、長妻昭や行革系民主党国会議員なんかより、はるかに厚生労働省の官僚の方が、現場に足を運び、ときには官僚を手厳しくののしるようなインディーズな受益者団体とも意見交換をしている。それだけのことを民主党の国会議員や、秘書、事務局がしているのか、と思ったりする。

それが官僚が圧力団体におしまける抵抗勢力、無知な長妻昭が改革勢力なんてバカな図式を学者ともあろうものが信じ込みプロパガンダするなど、愚の骨頂としかいいようがない。

●こんな政治的策動にしか興味のない若輩学者に給料を払うために、政府は、私学関係団体の圧力をうけながら私学助成補助金を、憲法違反の疑義を指摘さなれがらも私大に垂れ流している。しかも傾斜配分など差別的取り扱いをしながら。鈴木亘氏はまずそのことを自己批判したらどうだろうか。

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2010.07.03

7/2 保育所の規制緩和派は、質はともかくオレにも補助金くれと言っているようなものだ

今日、私の勤務先の労働組合の組織内候補の屋内集会で、都議会議員の松下玲子さんが応援に来ていただいた。

話の中で、自らの子育て体験を引き合いに出して、保育スタッフの賃金を下げて良い人材による保育ができるのか、安心の社会保障のためにがんばってほしい、というようなコメントをいただいた。

短絡的な保育の規制緩和やコスト切り下げがよろしくないという体験を表明したもの。当事者になってみないとわからないことだ。

●保育の規制緩和せよ、と叫ぶ経済評論家やベンチャー保育事業家は多いが、保育事業の参入は市町村への届け出だけでできる。規制も何もない。事業を始めるなら誰でもできる。
規制緩和派の彼らが言っているのは、基準に満たない保育園でも補助金をくれ、その補助金を本来の使途でないもの(配当金、内部留保、役員報酬)に使わせてくれ、と言っているに過ぎない。そのために待機児童問題と新自由主義の経済理論を利用しているに過ぎない。基準もルールもないで税金をくれる制度など作れるわけがない。

基準に満たない保育園でも基準に満ちた保育園でも同じ補助金なら、誰もバカバカしくて基準に満たない保育園しか運営しなくなるだろう。
補助金を本来の目的外に使えとなれば、人件費の塊の保育所で、ただでさえ低い保育スタッフへの賃金を経営が搾取して配当を出したり、内部留保にしたり、他の事業に使ったりしてもよいということだ。これはまさに事業仕分けなどでやり玉に挙がった、補助事業による委託先企業役員の厚遇や補助金のピンハネにほかならない。

結局そういう変な下心を隠すために、公立保育所批判というのが利用されている嫌いがある。

●厚生労働省の幹部が、保育制度の改革が、介護保険の導入のようにうまくいかない、介護保険のときには先取的な運動をした団体が保育になると現行制度を守れになってしまう、と嘆いているらしい。
介護保険制度になって、必要な予算が手当されていないために、給付制限になる、低賃金労働を前提にして制度設計したのでスタッフが居着かない、過酷な労働をさせられている。そうした現状が放置されている以上、保育制度を介護保険制度のようなドラスティックなものに変えるということに合意が取れないのも当たり前だろう。

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2010.01.07

1/7 また保育所を事業仕分け

また民主党政権が保育制度を事業仕分けの対象としてぶち上げるつもりだ。保育所をそういうふうに捉えているのは相変わらずだ。

事業仕分けというシステムの制約からは、現状維持以外はみんなリストラを目的とするものだ。何度も事業仕分けなど、行革論議で保育所をネタに試みがされたが、待機児童問題の解決はそんなものではないだろう、ということが明らかになっている。国が保育財政にほとんどお金を使っていないことも赤裸々にあらわされた。夫婦ともに正社員ぐらいの所得で子ども1人月8万円も保育料を払え、という基準で国は認可保育所をオペレーションしていることが明らかになった。月19万円の保育士の人件費が低いと評価された。しかしそれでもまた同じことをする。これこそムダではないか。こんなこと書き続ける私もムダだと思う。
もう一度、民主党政権の行革担当者は、保育所運営費補助金の議論をした事業仕分けの議事録を読み返すべきだ。HPで公表仕分け結果はあれは財務省の提案意向を薄めて書いてあって、議論の実態を表していない(議論の過程を無視した仕分け結果など、だましが事業仕分けにある。早急に議事録を公表すべきだろう)。

保育所には改革しなければならないことは多いし、今の勤労者家庭の生活を支えるという観点では、まだまだやらなければならないことも多いが、この間の「改革」談義、新政権の事業仕分けでの取り上げ方は、そういうことではなく、単に行政改革ゲームの戦術ネタとしての問題提起しかされず、それに対して、担当官庁や利用者がやむにやまれず抵抗するという構図が続いている。
そこに新自由主義者の経済学者が、自らの政治思想に矛盾する制度として保育所を槍玉に挙げ、理論の矛盾もわきまえずに政治家周辺で非難し続けているようだ。

現在、保育制度の見直しについては、厚生労働省で議論が積み重ねられており、それを無視して政治的に槍玉に挙げ続けるこの政権の態度は本当に許しがたい。
まして、当事者の意見などほとんど聴かず、都内の保育所を数ヶ所見ただけで、あとは新自由主義経済学者の残骸みたいな人たちの話を聴いているだけ。

問題は事業仕分けを使って「広く国民に聴く」といいながら、いったいどの国民なんだということである。
聴いているのは当事者や子育て中の人がほとんどいなくて、仕事を犠牲にして子育てをやったことがあるのかわからないようなエコノミック・アニマルみたいな連中ばかりではないか。

保育所が何のためにあり、誰のためにあり、当事者は誰なのか、という議論が無くて、まるで抵抗勢力がいるかのような妄想に取り付かれて、道路や橋や港湾、同じ子ども業界では幼稚園などと違って声が小さく無視しても選挙に影響がないからと、政争のネタにし続けるのは本当に納得がいかない。

この政権にこのようなことを何度も繰り返されると、この社会で働き続けることが馬鹿馬鹿しくなってくる。市役所や議員会館におしかけて政治家に気に入られるように説明できるヒマと立場のある人たちだけの声が届くのだろうか。働く人間を痛めつけるのもほどほどにしてもらいたい。

●ロシア革命の理想が崩壊していく過程を苦虫潰して味わった人たちの話を読むと意義深い。

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2009.11.23

11/22 保育関係者はエコノミストに「質が維持しよう」と言うよりも、それで待機児童が具体的に減るんですかと問い直すべき

新政権で待機児童対策をどうするかということで保育に意見したい人たちがいろいろ動き回り始めている。

保育園の送迎をやったことがあるのかも怪しげなエコノミストと称される新自由主義者(以下「エコノミスト」というときには評論したがる新自由主義の経済学者や評論家のことをいいます。本当のエコノミストには申しわけありません)と、保育関係者との意見の断層が大きく、議論にならないなかで、政治側が安易な選択をしたがっているところに恐れを抱いている。

保育所の質を下支えしてきた最低基準を下げなければ待機児童対策ができない、という仮定の理論をもって、保育所の規制を取っ払おうというのがエコノミストの陣営。それに対して保育の質を守れというのが保育業界関係者。どうもこの対立図式の中では、規制を取っ払えという側が勢いづかざるを得ない。

エコノミストは、何においても市場が決めるんだという。1つには市場原理という神の手で最適選択がされるというメカニズムの議論と、もう1つは個々の保護者がまるで選べる権利があるんだという非常に矮小化された議論をないまぜにして、質を問うことはしなくていいんだと迫ってくる。保育の財源や質のことなんか面倒くさくて考えたくもない一部の政治家たちはこれになびいていく。

保育の質ということの内実はいろいろあるのだろうが、質といっても、求める水準が死亡事故が起きないからはじまってエリート校に行かせる教育を求める水準までいろいろなレベルがあって、それをどこに設定するかということのコンセンサス(児童福祉法や厚生労働省は家庭の代替機能と位置づけているが)ができていない上、さらに仮にそれを決められたとしていも、どういう職員配置やどういう面積ならその質の水準が実現できるのか、ということは科学的な証明は不可能である。
もちろんし、実際に最低基準などが機能しているのは、さすがにそれを割り込んだらひどい保育環境だと経験則的に理解しているからで、エイヤッと決めたものだとしても、それはそれで大きな意味があったと言える。しかし科学的に証明せよというと、論立てがなかなか難しい。

だからお互い神学論争の中に安住していて、10年一日、待機児童対策に対しての有効な対策について結論が出ない。
ところが、一昨年ぐらいからの格差社会の問題、昨年末の反貧困運動の成果で、ようやく保育というのが若年者家庭の生存権につながる問題だと認識されて、予算出動してでも保育を充実させるベクトルが動き出したものの、それは民主党が野党の間だけだった。
概算要求をまとめて、子ども手当の財源すら用意されていないことが明らかになると、途端に先日の事業仕分けでも見られたように財務省発の保育料の値上げと、エコノミストたちによる規制緩和による安上がり保育を画策する動きが跳梁跋扈してきた。政治家側もそうした議論を支える学者と接触し始めているのだろう。経済雑誌などで規制緩和派の保育談義が掲載されている。

ところが、これに対する保育関係者の反論は、待機児童問題の解決のために質を下げてはならない、という言い方になりがちである。この議論の仕方は、待機児童問題の解決と質の維持を取引材料に出すものであり、完全にエコノミストたちの議論の術中にはまっているのである。
エコノミストたちに眼の前にいる認可保育所の子どもだけいい思いすればいいのか、と反撃されたら詰である。認可保育所を利用できなければ、若干規制が緩い自治体独自認可の保育所を利用し、それが不可能な質の担保のないらベビーホテル、親族による育児、育児放棄とどんどん低い方に選択が進んでいくだけである。保育所が見つからないからって職場を欠勤できないことを考えてもらいたい。保護者は保育の質のために、稼ぎや生活を犠牲にできない存在だからだ。したがって、待機児童問題があるということ自体、保育の質が維持されていないことの証明なのである。それを直視しないで、エコノミストどもに対抗できるわけがない。

だから、待機児童問題は重大な人権侵害であるという前提をきちんと呑み込んだ上で、エコノミストたちの挑戦に対して反論していくことが重要だと思う。そもそもの話の設定は大都市部と沖縄県においての待機児童問題の解消なのだから、それができるかどうかを突っ返して反論すべきだろう。

私はエコノミストたちが言うような規制緩和で、数百人程度の限定的な待機児童の解消に効果を生むとは思うが、2万5千人、潜在的ニーズとしては10万人を超える保育ニーズを解消できるとは思わない。やはり一定の財政出動をともなう対策を講じなければ、絶対に保育所の収容人数は増えない。

保育コストというのは、建物と運営コストに分かれ、運営コストは保育士や調理員など人に対するコストと、給食や教材費など日々の保育活動に対するコストに分かれる。これらの積み上げの内訳を削るしかコストは下げられない。運営コストの積み上げを入所した子どもの数で割返したのが「保育単価」で補助金の計算から保育料の計算までの算定根拠になっている。
一方、保育コストの原資は、保護者の保育料か、国の補助金や地方交付税か、自治体の持ち出し補助金か(あと社会保険を使うというのもあるが、これは国民から徴収して国民に返すのだから国や自治体を経由する支出と意味は変わらない)、どれかしかない。
このバランスの中でしか保育所の運営はできない。そして今の保育所運営費補助金は、この計算をそのまま表現した仕組みになっている。上記の計算式のどこにお金を入れたり、お金を差し引けば、どういう効果が起こるか、それが政策判断の話になっていく。
規制緩和や市場原理で、この今の収支の水準のままで2万5千人分も保育する余力は生まれるとは思わない。事実、2000年前後の規制緩和で、保育事業者が増えたんですか、と聞きたいところで、強力に規制緩和を求めたベネッセスタイルケアにしたところで、今現在、認可保育所は10園前後しか経営していない。人数にして1000人分程度の待機児童を解消したに過ぎない。

エコノミストは自らの信仰とまで化している経済学の一部の理屈、原理原則を、保育業界に機械的に適用して実験しようとしているだけであり、実際に待機児童が減るメカニズムについて十分な検討をしているとは思えないから、真剣に待機児童がどれだけ減るんですか、とつきつけたら、どこかで何も答えられなくなる。改革が足りないんだ、がんばっているところもあるんだ、という理屈にならない話になるのがオチである。
保育所の建設費を誰が払うんですか、1人あたりの金額が減る保育支出でどうやって保育やっていくんですか、ということに詳細の検討がされているとは思えない。追及していけば、「保育士の子どもの見る人数を増やせばいい」か「保育士の人件費を下げろ」という答えしか出てこない。そういう改革は、すでに2000年の段階でもやっていて見事に成果が上がらなかった。

そもそもの財源を担保しなくて、保育所は増えないし、エコノミストぎ期待する新規参入業者なんかも、ごく奇特な例外を除けば、いるわけがないのである。介護保険で、財政を締め始めた後には、新規事業者も介護士の新規就労も増えていないことがそれを証明している。

●たまに朝霞市の保育政策を褒めると、決して質を厳しく問うていないところが問題だが、1997年から、いち早く認可外保育所で質を維持しているところに自治体独自で公費の支出を行ってきた。その結果、最近まで待機児童問題は存在しても、ある程度のお金さえあって仕事も通常勤務の範囲であれば、実際に保育サービスが全く無くて行き詰まる、ということは回避できた。
しかし、やはり最近、こうも共働き率が高まると、その認可外保育所も不足しているらしくて、新規入園は4月までとりあえずストップしているところが多いという。自然な新規参入に期待するのも、共働き率3割から5割ぐらいに上げる分に対応するところが限界だろう。また補助を受けている保育事業者も、余裕のある経営をしているところはない。市内だけではメリットが薄くて認証保育所制度のある23区内に展開しはじめた業者もいる。
北陸のように7割、8割の共働き率になる水準までは、もはや思い切った財政出動なしに保育ニーズに対応できない状況というべきだろう。

●行政刷新会議のホームページの事業仕分けの保育所運営費補助金の議論の報告(第二WGの17日)から、。どうも実際に行われた議論の流れと違う、財務省の元々の問題提起に近い報告になっている。しかも議論の後半、5分以上は議論を費やしたはずの、保育士の賃金単価が低いんではないか、という仕分け人の意見が全く拾われていない。正確な議事録を公開すべきだ。
こういう意図的な改ざんをするから、事業仕分けってうさんくさいといろいろ言われるんではないか。事業仕分けの品質を高める努力をしてもらいたい。

●増税はしない、子ども手当は月2万6千円撒きます、そう言った時点で私は保育園が犠牲になるだろうと予測したが、どうも的中しそう。嫌な感じである。

●権丈善一氏のホームページから、11月20日付「勿凝学問46 歳出削減はいつまでつづくのか?――この国には新自由主義とか市場原理主義の政治家などいない」から
「医療、教育の荒廃、介護の後退、保育の未整備をまねいたのは、首相の個性ゆえではなく、増税をしようとすれば政治家を酷い目に遭わせる日本の有権者のせいであるというのがわたくしの診断でもある。」

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2009.11.22

11/21 国の制度をいじってもすでに財源の分権化は進んでいる

保育ネタをもう1つ。

先日の事業仕分けで、国が認可保育所の運営に使っているお金がごく僅かであることが明らかになった。費用徴収基準表で、3歳児未満で中の中の下ぐらいの所得階層、3歳児以上で最下層の所得階層の子ども以外は、設定した本人負担額が保育単価から割り戻した自己負担額を上回り、国が補助を出さない対象であるからだ。

したがって、認可保育所ということで、国が守っているのは認可保育所に入所している子どもの半分もいないという結果になっている。
で、認可保育所には、保護者が生活保護受給者で、求職活動や病気のために子どもを入所させている場合やすでに就労先のある母子家庭などが優先されて入所することになる。

したがって、以下のような議論は全くナンセンスと言ってよいことになる。
①保育財源の分権の推進または反対→結論は変わらない。認可保育所の入所児童に使っているお金があまりにも低すぎて、自治体は持ち出しをしている。結果として分権型の財政運営になる。
②保育士の給料が高すぎるから認可保育所は良くない→給料の妥当性はさておき、公立保育所の保育士の給料を決定したり監督しているのは自治体であり、保育制度ではない。
③認可保育所に使っているお金を待機児童対策に平等に回せ→国レベルの政策提言としては全くナンセンス。国が保育所運営に使っているお金は、貧困対策分+αしか出していないということから、待機児童対策として認可外保育所に国費を平等にならしても同じ結果分のお金しか出回らない。

など鈴木恒氏、週刊ダイヤモンドの記事の思いこみは待機児童対策に全く効果がないと言える。

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