2011.08.09

8/9 管理会社から「ビラ投函禁止」の札を勝手に貼られる

管理会社と良好な関係を続けたいので本当は書きたくないが、やはり業者は免じても罪は免じたくないので、ここに書きます。

Dscn1926先日、私の住むマンションに、集合ポストに「ビラ投函お断り」の札が、管理組合名で掲出されていた。私は管理組合の理事長なのだが、まったく預かり知らない話で、驚いて管理員に確かめたところ、管理会社の会議で貼ったらいいと渡されたらしい。

この札が貼ってあると、ビラ投函した人は、マンション住人の誰かか管理員に迷惑だと判断された段階で、住居不法侵入で容疑者に仕立て上げることが、2009年11月30日の最高裁小法廷の棄却で可能になった(この裁判の告発者は警視庁公安課の職員である住人で、被疑者が共産党の活動家だったというところが、おとり捜査のようにしか見えないが)。単に、意識啓発の掲示物とは全然意味が違うのだ。

私は今まで、マンションの集合ポストに「ビラ投函禁止」の札を管理組合名で掲出しているのは、本当に管理組合で合意形成取ったのが疑義を呈してきたが、まさにそのことが行われたわけで、管理会社には、厳重に抗議して、顛末について文書にして提示するように求めた。管理会社は平謝りだったが、業界としてごく当たり前のこととして、こうした半ば違法行為を管理員に指導していることが、今回明らかになった。

国土交通省のマンション政策課にも電話で問い合わせたが、やはり集合ポストへのビラ投函まで禁止するのには、情報を遮断されるリスクを全住民に理解されるべきなので、管理規約になければ全住民が参加する機会が与えられている総会で諮られるべきことだ、と言われた。理事長や理事会の判断だけでやることも、実はグレーゾーンのことなのだ。

●迷惑なことなのだから規制して当たり前、という意見が出てきそうだが、集合ポストとなるとそう言い切ってよいものなのだろうか。迷惑なビラというものの判断に客観性を求めることはできず、ピザ屋のビラなど迷惑だと思う私のような人もいれば、逆に宅配ピザをよく利用する人には大切なものかも知れない。私と関わりの深い政治ビラなんかは全く両極に分かれるのだろう。そうしたものを取捨選択し判断するのは、あくまでも受取人でなければならないだろう。ましてビラなんてものは、読まずに棄てればよいだけのことで、迷惑といっても、その労苦はたかが知れている。また、ビラ投函おことわりを集合ポストの各戸の投函口に掲出することもできる。全員を巻き込む必要は全くない。
ビラ投函の禁止と容認の判断を、間に管理会社や管理組合が入ることは、自由への侵害である。これはあんたにはいらないと思う手紙だから棄てておくよ、なんて第三者がやったら普通は怒るべきことだ。しかし誰も怒らないどころか、そうしたことが裁判で有罪判決にまでなっているのが、この国の異常な現実だ。
まったく近代的自由にはナンセンスな「ビラ投函禁止」の掲示と判例である。

●このブログを読まれている方で、マンションにお住まいの方は、ご自分のマンションの「ビラ投函禁止」の札が貼られているかどうか確認してみてください。もし、貼りだされている場合は、誰がいつどのように判断して貼りだしたのか確認してみてください。悪質な事例があれば私に教えてください。

●しかし、たかがビラ投函のためにここまで怒って、自由を確保しようなんて人は、あまりいない。そういうことが、規制をしたい側にやりたい放題させている面があるのだろう。

●基地跡地にできる国家公務員宿舎にもビラ投函禁止の札が掲出されるのだろう。政治的問題の焦点となる建物なのだから、余計に神経質になるのだろう。

●政治や運動について言えば、ビラ投函の自由が保障されて、それでようやく言論の質が高まる。今みたいに配ること自体にタブーな意識がある社会では、スキャンダリズムしか言論にならない。政治家が馬鹿ばかりに見えるのもそういう社会の背景があるからだと思う。

●朝霞市の自治体議員の選挙の投票率の分析をしているが、見事にマンションの多い地域の投票率が大きく低下している。ビラ投函禁止による地域情報からの隔絶も、一つの原因だろう。マンションに住んでいると、地域情報は官製情報しか入ってこない。

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2011.01.22

1/21 統一自治体選が近づき・マンションへのビラ配布が話題に

統一自治体選挙が近づいていくる中で、マンションへの政策ビラ投函が話題になり始めている。

立川反戦ビラ事件や、葛飾区の政党ビラ配布事件の摘発とその後の最高裁判決が尾をひいていて、マンションには政治ビラは投函しない方が無難という、候補者側の態度が起きている。この最高裁判決は読み返せば読み返すほど不思議な判決で、自由権の根幹にあるビラ配布程度の政治的自由より、住居不法侵入という受忍限度とも言えるような「迷惑行為」の防止を優先したものと言える。

マンション住民が3分の2を超える朝霞市のようなまちでは、それだけの市民が地域の政治情報を手に入れられないでいる。結果として、有権者数が65000人の30年前から、100000人を超えた今に至るまで、市議選の投票数は37500人前後で固まってしまっている。市民の過半数が何の情報もなく市議選、市長選に挑まざるを得ないのだ。

つくづく、共産党や新左翼を警察・検察・裁判所が一体となって摘発するために、法律の応用を効かせすぎたあの一連のビラ配布に関する判決の弊害を思い知る。先進国どころか開発途上国でも、ビラ配布自体が迷惑行為として取り締まっている国なんて聴いたことがない。自由のない国ではビラ配布自体で逮捕されるじゃないか、と言われる人もいるだろうが、そういう国が取り締まっているのは、ビラ配布自体の政治行為やビラの内容と、明確に政治弾圧として取り締まっていて、日本みたいに政治ビラの配布が立ち小便と似たような犯罪として扱われながら実体は政治弾圧しているというのもおかしな話である。

背景にある日本の政治文化も問題だと思っている。合法の政治活動や選挙運動をしても、有権者から「違法だろ」って食ってかかられることが少なくない。政治に関わっている人がやっていることは違法行為に違いないと思わせるような文化や、それに支えられている、およそ一般国民には何が合法で何が違法か明確に理解できないような公職選挙法の選挙運動規制に問題があるし、源流をたどると、昭和初期の普通選挙の導入に対する内務省が音頭を取って始めた選挙粛正運動に源流がある。

ところで、現時点で最高裁判決をもとにビラ配布の可能な範囲について再確認すると、
○マンションに政治であろうがそうでなかろうがビラを配布するのは自由。
○ただし「ビラ投函目的の立ち入り禁止」と書いているマンションにビラ投函をすれば「住居不法侵入」で摘発されるおそれあり。
○「立ち入り禁止」札があっても、知り合いの人だけにビラ投函するなら問題なし。
ということになろう。

しかしこんな違憲判例を守ることが、社会を良くするコンプライアンスなのだろうか。国民が権力をコントロールする民主主義の基本原理に抵触するようなものを悪法も法として済ませていいのか疑問である。

●一方、近隣の中堅デベロッパー(リ●ンとか●)が開発したマンションに多いが、竣工時から「ビラ配布の立ち入り禁止」という札を管理組合名で掲出しているところがある。これは管理組合運営のデベロッパーによる私物化だろう。住民の合意なしに住民の合意を装って情報を遮断していることは、住居不法侵入以前の、妨害行為である。

●配布されたビラが迷惑と思う感覚はわかるが、だからと言ってビラ投函禁止となってしまう考え方が理解できない。もらったらすぐごみにして処分すればいいだけで、精神的ダメージを食らうようなものでもない。
有益なビラしか受け取りたくない、というのはずいぶんなエゴではないか。どこまでがビラでどこまでが有用な情報なのかは受け取る側の趣味の問題。
また、他の配布物のどこまでが違法なのか。たとえばマンション管理組合が配布するニュースもビラの一種だが、違法にならないのか。不動産屋の「マンション斡旋します」、ピザ屋のちらし、同じ会社から同じ日に違う担当者名で毎日のように投函されていることが珍しくないが、こうしたことが逮捕されたり裁判になったりした事例を聴いたことがない。日本郵政が市内や町内一斉配布郵便を受け付けているが、これはビラの全戸配布同様のことを郵便配達員にさせているサービスだが、同様にマンションに配布したら住居不法侵入になるのだろうか。

●不動産屋やピザ屋のちらしにクレームつけている奴を見たことがない。ぶつくさ言いながらごみとして処理しているのが普通だろう。それらのちらしも有用か無用かは、配布する側が判断できないし、受け取る側で判断していくしかないものだろう。しかしなぜ政策ビラだけが、ビラの内容ではなく配布したこと自体にクレームをもらうわ、配布する側にあまりにも過大な配慮の要求が求められわ、そうなるのがわからない。不動産屋やピザ屋の情報以上に大事な情報のはずなのに。

●最高裁判決は、自分の家のポストの管理もしたことない、近所つきあいもしないような人たちが下した、矛盾だらけの判決だとしか思えない。

●また公選法や政治資金規正法が変な法律で、選挙運動期間前の政策ビラの全戸配布は自力でやっても他力でやっても違法ではないのに、郵便で無差別配布を行うと、郵便代が有権者への寄付とか何とかで摘発要件になるらしい。

●政治活動の自由をできるだけ保障して、運動のやり方について重箱の隅をつつくようなことではなく、言論には言論で対抗する政治風土を作らないと、まともにならないという感じがしている。菅・岡田が雇用はじめ政策そっちのけで小沢を必要以上に追い詰めているのも、そういう政治風土の延長の行事みたいなものでしょ。

●余談ですが、地域主権とか、自治とか声高に言っている人が、統一地方選挙という言い方をするのは矛盾です。統一自治体選挙と呼びましょう。

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2010.06.15

6/15 形式的法治主義による政治家の質の低下

関西のある都市の知人の市議が落選した。非常に残念である。

昨年の衆院選で、彼の所属する地方政党が、衆院選の立候補者を推薦するという内容のチラシを配布したら、選挙違反で逮捕され、現在係争中。それまで結構な票を集めて、地域社会にも支えられ、中位当選を重ねていた彼から、一気に地域の支援者が引いて、仲間うちの地方政党の議員たちによって選挙は支えられた。

彼は、そのまちの大企業の工場が吐き出す噴煙問題に取り組み、地域社会にとっては不可欠だった議員にもかかわらず、地域社会は、選挙違反者という名目があるために支援を差し控えられた。

こういうことが、違反は違反、法治国家などということになるのだろうか。

そもそも選挙の際に、自分がどういう候補者を応援しているんだ、それはかくかくしかじかの理由だ、という説明書を配ること自体が違法などというのは、民主主義社会の選挙の姿としてどうなのだろうかと思う。そして、自由主義社会として妥当なのかと思う「選挙違反」のために、公害に苦しむ人の問題解決が遠のいたと思うと、この国の最近の「法治国家」的議論のやり方というのは問題が多いと思わざるを得ない。

●佐藤幸治「日本国憲法と法の支配」を拾い読み。
「法治主義」と「法の支配」の違いを論証し、規制緩和や官僚支配からの脱却、分権自治社会の中での法のあり方を形式的な法治主義から、いきいきした自治の論理による法の支配にしていくべき、という。
いささか異論はあるが、しかし、不安社会のなかで形式的法治主義の議論に傾斜し、悪法が市民社会の成熟を阻害していることに何ら疑問を持たない最近の雰囲気に対して、きちんと論立てしていると思う。
そして選挙違反の取締りなんかは、まさに形式的法治主義。成熟した民主主義なら、そろそろルールを全面的に変えていく段階に入っているように思う。

●そういうことを乗り越えられる政治家というのが、鈴木宗男や田中角栄や小沢一郎みたいなタイプしかいないというこの国の政治家の厳しさというのを改めて感じる。

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2010.04.29

4/29 自民党がインターネット選挙をほぼ解禁する方針

自民党がネット選挙を全面解禁の方針。
これまで公式にはインターネット選挙に抵抗しつづけた自民党が、あっさり自由化を認めて、選挙運動の自由、言論の自由をめぐる状況は大きく前進しそう。
すくなくとも選挙中に候補者間の主張の違いを確かめたり、論争の発展を確認する方法ができることになる。外で大声挙げるだけの選挙スタイルを変える一歩になるかも知れない。

一方、元々全面解禁が持論だった民主党がここにきてHPのみ、メールダメという方針になっていることと好対照。大いに政党間で議論してほしい。

いつも繰り返しここでは書いているが、大事なことはツールごとの自由化という官僚支配的な手法であってはならないということ。インターネット以外の他が規制があって当たり前という前提であれば、いつまたインターネットそのものが規制されても仕方がないという話になる可能性がないわけではない。
1933年以前のように、選挙・政治に関する表現の自由を原則に、弊害の大きなやり方だけ禁止するというやり方に変えるべきだ。

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2010.03.29

3/29 国家公務員の政治活動は合法の幅が認められる

国家公務員(当時)が私的な時間に、政治的自由としてビラ配布をしたところ捕まり、国家公務員法違反で逮捕される事件があった。

それに対する一審の判決は有罪。ところが今日あった東京高裁の判決では無罪となった。
私的な時間に公務員という立場を利用せずビラ配布を行ったことは、政治的自由としての一つとして、刑事罰を科すのは違憲という内容。国家公務員の政治活動の一切を否定した猿払事件の判決を見直す判決となった。

公務員が著しく民間労働者と異なり、政治活動が一切してはならないなどという、前時代的な法解釈がまだまかり通っている。私的な時間すらいかんというので、公私の峻別すら認められていない。
公私の時間を問わない身分であるという公務員観は、公務員を特権階級化していることの裏返しで、今の公務員の実態にはそぐわない。今の多くの公務員は、官僚よりも、一般的な事務員や現業員であり、民間の労働者と著しく働き方が違うとは言い難い。

そういう中で、「政治行為の禁止の範囲が広すぎる」と指摘した判決は、先進国には不十分であっても、時代の流れの方向に合う判決だと思う。

公務員のとらえ方と、政治活動一般に保守的な裁判所にしては画期的である。

●公務員の政治活動の禁止は、役所というマシンを使わない、市民の立場の弱いことに付け込んだ地位利用しない、事業の見返りなどをしない、などの範囲にとどめるべきだろう。あんまり他の民間労働者との違いを強調してストイックにすると、ますます不透明なところに追い込むように思う。

●この事件の頃、共産党のビラ投函が次々にやり玉にあがり、共産党以外も政治活動としてマンションや公務員宿舎へのビラ投函ができなくなったり、風通しのよい政治ができなくなるようなネジが巻かれた頃である。

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2010.01.01

1/1 新年早々、選挙のビラ配布とネット選挙の解禁問題について


ブログネタ: ネット選挙、賛成?反対?参加数

niftyがyahooのネット選挙解禁を求める署名を募集している。

基本的に賛成したが、ネットだけ解禁だけではなく、すべての文書図画の解禁を国連は日本政府に求めていることを忘れないで。

このブログで、そもそも政治活動の自由とは、文書図画の全面解禁が必要なのではないか、と何度も書いた。
ビラは旧態依然の政治家的イメージで汚いから禁止しても構わないけどネットは進歩的でよい、みたいな感覚は強い。そういうツールの議論は、進歩的に見えて、実は日本人的旧態依然とした感覚だ。正社員は保護されて当たり前だけども非正規労働者は何されても仕方がない、とか、派遣労働者はそんな賃金では働かないけどパートなら仕方がない、みたいな感覚と同じ。

有権者が本当に必要な情報を気軽に入手でき、政治家を人格やイメージだけで判断せず、仕事の出来・不出来で選択するためには、ビラや看板が目障りだという人に我慢しても、文書図画の配布、回覧の自由を保障しなければ、民主主義なんて進歩しないし、自分の立身出世のためなら人柄良さそうに見せておけば公約やマニフェストを説明責任も果たさず破って構わないと考える政党や政治家ばかりになっても仕方がない。
消費者保護では、モノを買うときに、価格が上がる原因だからパンフレットや契約書を渡してはならん、などということにはなっていないだろう。むしろ、説明責任を果たせ、と消費者行政は指導しているのではないか。

また、選挙運動が結局は文書やメールの送信、電話での交信による有権者との情報交換なしに成り立たないことから、文書図画を規制するということは常に選挙違反で逮捕される危険性と背中合わせで政治参加しなければならない。曲学阿世の徒と言われるような難解な法解釈を理解しなければならない。それとて、解釈の余地が大きく、ある日突然、警察や検察の方針転換で原理原則論をふりかざされ、逮捕される危険性もないとは言い切れない法律である。たかが選挙での文書配布ぐらいで立法権に参加しようとする者が、行政権に属する警察や検察に拘束され断罪される危険があるというのでは民主主義は進歩しない。
ポストにビラを投函されて迷惑する人の法益を守るんだ、というような言い方もされるが、ごみ箱にビラを棄てる手間を惜しむ人間のために、志あるチャレンジャーが逮捕されても構わないんだ、という考え方はとても危険である。

文書図画を解禁するとお金がかかるというのは確かだが、それは選挙運動にかける資金について制約すべきこと。一定の金額の枠内でどんな文書図画の手段を使おうが規制すべきでないと考えるべきだし、また表現ツールが多様化している中で、ツールごとに規制をすることは難しく、禁止を残せば、論理的に全面禁止に近いことをせざるを得ない。

●小沢一郎氏は選挙制度に精通しているため、こうした解禁には積極的だと聞く。民主党政権になって何が大切かというと、今まで政治システムは野党の存在まで含めてすべて自民党の政権維持のためにあったことをやめること。陳情システムや意思決定システムなどについて、いろいろ疑問はあるにしても手を加えているところ、肝心要の政治の活性化は遅れ、市民が参加しやすい選挙制度にする話はなかなされていない。
官憲優位で、国連から重ねて批判されている選挙制度や政治活動の自由に関する諸規制を原則廃止・解禁にする改革が必要であり、期待したい。

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2009.11.30

11/30 「ビラ配布お断り」マンションのビラ配布に最高裁が有罪

ビラ配布禁止の札を掲げたマンションにビラを投函したことが、逮捕拘留までされる違法なことなのかどうかを争った裁判で、最高裁が有罪判決。

私は被告の側と同じで、こうしたことに逮捕をすることは違憲だと思っている。何度も書いたが、自由は尊重されるべきで、とりわけ政治的自由は、自由を取り締まる側の統治者を被治者の側がコントロールするために保障されなくてはならない権利である。自由権の根幹をなす自由である。

大上段に迷惑論をふりかざす人もいるが、ビラをマンションに投函されたからといって、どれだけの実害があるのだろうか。嫌ならごみ箱に棄てれば済む話である。政治的自由をかたちにする上で、選挙カーのように騒音を立てるわけでもなく、電話のように時間を拘束するわけでもなく、比較的、有権者も運動する側も自由でいられる関係性が保てるビラ配布が違法とはおかしい話だ。

これに続く逮捕で、集合ポストの投函も違法という判決もある。行政が配る広報も、警察の防犯のよびかけのビラも無許可配布として刑事告発できるということなのだろうか。もちろん鮨屋やピザ屋のちらし、マンション買いますという大手不動産販売会社のビラ、みんな迷惑ビラである。でも逮捕されたなんて話は聞かない。政治だけ標的にされるのは、あきらかに政治的自由に対する権力の挑戦か、でなければ今回共産党ということで共産党に対する弾圧だと思ってよい。今の共産党にビラ配布まで弾圧する意味なんか全くない。

●罪は罰金5万円。この程度の罪状のために、逮捕し、勾留し、社会生活をズタズタにするのが、政治絡みの取締りのやり方の良くないところ。微罪で終わるので、世の中もお金で済んで良かったねと、そもそもの違憲性などまじめに考えてくれないし怒ってもくれない。政治的なことに関わっているやつが悪いんだと総括されて終わり。
でも逮捕された方は、20日にわたって牢屋に入れられ、逮捕されたということで社会生活がうまくいかなくなり、政治家であれば有罪ということで失職し政治生命を失う。
司法権力はよくそのあたりを見ている。裁判官も微罪の判決を下すことで罪悪感にとらわれずに違憲性を見逃すことができる。

●今回のビラ配布に対する摘発と有罪にした一連の司法の判断は、国連で人権侵害として問題にされ、日本政府に勧告が行われている。

●朝霞近辺に建っているリゾン系マンションは、どこも建設された直後から「ビラ配布お断り、●●管理組合」と貼りだしてあるが、管理組合のメンバーで話し合わせて合意を取っているのだろうか。ビラ配布迷惑というのは、あくまでもほぼすべての住民合意があってのこと。十分な議論にもとづいて住民合意をせずに、マンション販売会社や管理会社が勝手に入居者をおもんぱかってやっているとすれば、善意にしろ悪意にしろ、政治的自由や、表現の自由(情報アクセスの権利)を侵害していることになる。
私がこれまで地方選挙にかかわったり、政治を考えてほしいという運動をしてきた経験から、有権者の多くは「候補者が何をやってきたのかよくわからない」「説明責任を果たしていない」という声をたくさん聞いてきた。ビラが迷惑だというクレーマーの声はでかいが、しかしまじめな市民は政治家の情報をほしがっており、選挙では候補者を比べて主体的に選択したがっている。政治的情報を入手する回路を遮断するのは、地域や社会を絶対に良くしない。

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2009.07.10

7/10 マンションビラ投函禁止が、選挙公報すら配れない事態に

マンションへのビラ投函禁止などの掲示があるマンションにビラを投函すると住居不法侵入罪が成立するなどとふざけた最高裁判決のために、選挙公報が配られないという問題が立ち上がっている。都内では新聞購読者が減っているため、選挙公報を各戸配布しているが、それが住居不法侵入罪に抵触する可能性があるのでできないというのだ。

だからビラ配布を排除するような立て札を、居住者全員の合意もなく掲示したり、その掲示をもってビラ配布している人を逮捕したり、有罪判決を下したりするなどということはナンセンスなのである。

ごみ棄てが面倒だからといって、必要でない情報を誰かがフィルタリングして排除し、必要な情報だけ都合良く手に入れようなどという考え方は、虫が良すぎて、実務にたえられないことなのである。管理人が画一的に必要のないビラと必要なビラをどうやって判断するのだろうか。何のためにポストがあるのだろうか。ビラが必要ないならポストなんかなくしてしまえばいい。郵便物は管理人が配達すればいい。

自由な社会が大切だと思うなら、配られるビラを受け入れて、個人で必要か必要でないか取捨選択すべきである。自立した人間であるためには、その程度のことぐらい受忍限度として受け入れるべきだろう。

●最近、都議選の運動で電話かけをすることがある。忙しいいろいろな人に電話に出てもらって申し訳ないと思いながらも、いい歳したおとなが、そういう対応するかね、と思うようなこともある。名乗った途端、「選挙に関する電話はお断り」と言ってガチャ切りする中年が増えた。

そんなことをあれこれ考えて、どうして日本人は選挙運動と距離を置きたがるのか、選挙で投票するのに情報が必要ないのだろうか、そんなことを感じている。

選挙を忌避している。それはそれでいい。投票に行かないまで徹底すれば。
しかし、そういう人に限ってきまじめで、投票に行ったりする。今回の都議選や、次の衆議院選挙はそれなりに大きな政治変動になるはずで、有権者として一定の情報が必要なのではないだろうか。投票所やポスター掲示場に並んだ候補者名からインスピレーションや、天啓で投票する候補者を選ぶのだろうか。有権者として情報収集は怠るべきではないと私は思っている。どうしてこんな政治家が選ばれるのか、と思うようなことが続いているのは、有権者が自分の選挙区の政治家に関して十分な情報収集をしていないからだろう。

いっそのこと、他の国や終戦直後のように、有権者となるためには選挙人登録をしなければならない制度を取ったらどうだろうか。情報もいらないような人は、有権者にならない。有権者でないのだから主権者ではない。それならすっきりする。

●それに関連して、民主党が国家公務員宿舎が無駄で、民間アパートを借り上げたり、家賃補助すべきだと政策に掲げるという。それはそれですばらしい。
であるなら、朝霞地区の民主党の議員たちは、これまでの国家公務員宿舎建設と抱き合わせの基地跡地開発計画をどこの党派よりも熱心に推進してきた。このことの真剣な反省表明をし、少なくとも政策転換をし、基地跡地の国家公務員宿舎建設反対を掲げない限り、有権者を欺いていると言わざるを得ないし、増税なしの子ども手当政策などまやかしだという自民党の批判を交わせないだろう。
今の選挙制度のもと、有権者が十分な情報を得られないことをいいことに、怠慢は許されない。

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2008.11.04

11/3 マンションビラ投函の取締りについて国連が批判

選挙や政治的主張を目的にマンションのポストにビラを投函することを取り締まることについて、国連自由権規約委員会の最終所見で、日本政府の態度について批判を加えている。

以下アムネスティーインターナショナルの記事から。

ジュネーブ時間10月30日(日本時間10月31日)、市民的および政治的権利に関する国際規約にもとづく自由権規約委員会による第五回日本政府報告書の審査の最終見解が発表されたのを受け、アムネスティ・インターナショナル日本はこれを歓迎するとともに、そこに記載された具体的な改善措置について、日本政府が直ちに必要な措置をとるよう強く呼びかける。
最終見解は10月15日と16日の委員会による審査を受け、28日と29日にわたる会議で採択されたもので、日本が今後とるべき人権保障政策のためのグランドデザインを示している。(中略)
表現の自由
パラグラフ26の表現の自由の制限については、公職選挙法の個別訪問の禁止がこれに抵触すると懸念されたほか、政治活動や市民運動でのビラ配布行為が住居侵入罪で逮捕、起訴、処罰されている現状に懸念を示し、そのような表現の自由の制限を排除するよう勧告している。これは立川のテント村事件などでの一連の警察、検察、裁判所の判断の動きを踏まえた勧告であり、日本の人権状況が国際的に見て極めて重大な問題を含んでいることを明確に示している。

該当部分の最終所見訳文は、
26.委員会は、個別訪問の禁止など表現の自由と広報活動に参加する権利に対する不当な制限について、さらに公職選挙法に基づく選挙の事前運動期間中に配布されるべき文書の数と種類に対する制限について、懸念する。また、政府を批判する内容のちらしを私用の郵便受けに配布したという理由で、政治活動家と公務員が、侵入に関する法あるいは国家公務員法により逮捕され起訴されているという報告について懸念する。(第19条、25条) 
当該締約国は、規約19条と25条によって保護されている政治活動とその他の活動を、警察、検察、裁判所が不当に制限することを防止するために、表現の自由と広報活動に参加する権利に対する、当該締約国の制定法におけるいかなる不当な制限も廃止すべきである。

と、公職選挙法からして人権問題だと指摘しているのに加え、近年のマンションへのビラ投函逮捕が繰り返されていることについて、政治的自由権の保護という立場から懸念を加えているし、そうした制限は廃止すべきと行っている。

近く行われる衆議院議員選挙。政党間、候補者間の論戦をきちんと見守り、証拠を押さえて確認して投票していくためには、ビラの投函ぐらいは自由でなければならないし、それができなければマンション住民は念力やこっくりさんで投票する候補や政党を決めて投票するしかないのだろうか。

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2008.09.20

9/20 プライベートな時間の国家公務員の政治的自由をどう考えるか

赤旗を配布した共産党員の国家公務員が国家公務員法違反で有罪という判決。

そもそも国家公務員法が、職権も何も関係のない全くの勤務時間外、サービス残業時間以外で、役所の用務ではなく私人としての政治信条として政治活動をした分について処罰するのは憲法違反ではないかと思う。

憲法が公務員に要求していることは、第15条に書いてあるとおり、一部の奉仕者であってはならない、ということと、第99条の憲法遵守である。

そこから考えると、国家公務員法が規制している政治活動の禁止は、極力最小限に留まるべきでだろう。なぜなら、政治活動の自由は基本的人権の中でも最も優先度が高い自由権ではないかと思う。なぜなら個人の自由を否定する政治勢力を抑制する担保は、政治活動の自由を保障しなければならないからだ。一方、公務員の政治活動の規制の目的は、公務員が政治活動することによる害悪を阻止すればよいわけで、国家公務員がその身分を示さずその権限の範囲外の相手に、勤務時間外に、私人として行っている分には、とくにビラ配布程度のことは、政治活動による害悪が発生しないはずである。

しかし、そんなことを規制しても公務員が政治活動を行うことの害悪はなくなっていない。全く無法地帯になっているが、官僚が与党議員の選挙区や後援組織が利益を受けるようなかたちで個別に便宜を図る政策を打ったり、箇所づけ順位を便宜図ったりということはほんとうは害悪だが、そうしたことはよほど悪質な事例でないと取締りが行われないし、国家公務員が省庁ごとに与党の族議員のために業界団体などを使って動いているというのは半ば常識だが、そんなことも国家公務員法違反として取り締まられないでいる。露骨に賄賂でも贈らない限り規制の外にある。しかし、税金を使った後援組織の培養なわけで、これは害悪というしかない。
不思議な現象である。となるとこの国家公務員法の政治活動の規制は、キャリア、ノンキャリアの差別法として機能していることになる。

町村官房長官とか、国家公務員を経験し、かつ自らの親を政治家としてもっている人は、完全にきれいだったのだろうか。国家公務員時代に、親の選挙を多少とも手伝わないなんて考えられるのだろうか。

政治活動規制の適用範囲を考えるほかにも、考えることがある。
近年、国や自治体の業務の民営化や民間委託が進んでいる。そうすると、身分としての公務員と非公務員という切り分けで何かを規制したり、別な法体系で管理することは、矛盾が出てくる。極端な例だが、民間委託した体育館で、支持政党によって利用者を選別して優先順位をつけても、法律には違反しない(普通はそんなことないよう委託契約でやんわりとそうしたことが書かれているはずだが、公共施設が自民党系の団体なら演説会に貸し出してくれて、野党の団体には政治目的利用の禁止とか言って断ったりすることも多い)。しかし、一方で国家公務員であれば、アフターファイブでさえ一切の政治活動ができないとなれば、町内会が推薦している議員の講演会すら出られないということになる。

こんなものが妥当な法律解釈だといえるのかどうか。身分で切り分けるのではなくて、国民との関係で解釈すべきなのではないだろうか。
公務員が政治活動をしてはならない、という日本人の常識だが疑ってみる必要がある。第一に、地域の署名から何から実にささいなことまで政治活動とみなすことができてしまう問題点がある。実際、司法に関する市民シンポジウムに出席したことが契機に政治活動をしたとして最後は解任されている裁判官までいる。どこまでひっかけられるか、警察や検察の裁量にあるようなものだ。それが法律としてどうなのか。第二に、公務員の市民的権利を制約することで防げる害悪より、市民と公務員の間の壁を厚くしているように思う。そのことで公務員が囲われた特権性をさらに強めてしまうようなところがありやしないか。そんなことを考えてみるきっかけにすべき判決である。

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