2019.05.01

5/1 祝メーデー・メーデーとGWと有給休暇

きょうはメーデー、労働者の祭典です。集会としてのメーデーは27日に開催済みだけども、きょうこそは、労働者が団結して交渉して、労働力を買いたたかれないようにすることが大事だと再確認する日です。
GWのど真ん中ということで、週休二日制が定着した頃からメーデーは連休初日に開くようになりました。労働界やそこに近い運動家業界では、祝日の日付に固執する保守派よろしくメーデーは5月だという名詞にこだわる人と、GWど真ん中に組合員に県庁所在地の公園広場に来てよ、と誘う側の都合とで、論争が繰り広げられます。労働組合というのは社会のサブシステムであり、GWに帰省か旅行か子どもの面倒などを理由に参加を断られながら勧誘を続けて疲弊する在職の組合の支部・分会の役員たちのことを考えれば、参加しやすい日に設定してよいのではないかと思います。
日本のメーデーは、2~4月の春闘が終わってお疲れさま集会(もちろん4月になっても妥結できない中小零細企業の組合もありますし、追い込みの目安にもなっている面は否めませんが)のような意味もあるので、戦術的な意味はなく祭典で、記念日に固執して、参加者を減らしてコアな活動家だけのものにする必要はないように思います。

しかしGWなんですよね。宿泊料金や航空運賃が変動相場制になってから、連続休暇は金持ちのための休暇みたいなところがあり、あまりありがたいものではなくなった感じがします。またサービス業が増えて、女性が休日に出勤することが多い状況は、国民の祝日があべこべの意味を持っているのではないか、と感じるところがあります。今年のGWの保育実施の調整などはそれを痛感しました。

さて日本の労働者はGWしかまとめて休めないのでしょうか。
労働基準法の有給休暇の条文は不自然な文になっています。
「第39条 使用者は、(中略)労働者に対して、継続し、又は分割したた十労働日の有給休暇を与えなければならない」
労基法39条に「、又は分割し」と挿入されたのは、戦後の生活困難で「生活物資獲得のため、週休以外に休日を要する状況にあり」つまり東上線名物だった芋の買い出しで付け加えられたものです(濱口「日本の労働法政策」P512~514、「働く女子の不幸」など)。
本来は有給休暇は「継続して」一括で与えるべき休暇で、欧州ではまさに「バカンス」のことです。

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2017.01.28

1/27 職の必要性に無関係な雇用期間の設定に問題あり~自治体の非正規労働者に新制度「会計年度職」?

自治日報の最新号のトップ記事で、自治体で増大しつつある非正規労働者の処遇が問題になっていることを受けて、総務省は、地方自治法で制約をかけている手当等を支給できるようにするために、「会計年度職」という珍奇な制度を持ち出してくるようです。

現実社会のダイナミックな動きに対応して人を雇わなきゃならないところ、地方公務員制度とそれが過去積み重ねてきたドグマが求めるスタティックな雇い方では間尺にあわなくて、結果、専門職や現場への対応に必要な人員が非常勤職員・臨時職員になっている、という構造を全くつかまえられていないようです。
正規職員では重すぎる雇用のあり方、公務員を減らせと叫ぶしか能のないバカな政治家のごり押しを受けて、公務員数を無理に抑制した結果、増大しながらも民間の担い手がみつからない公共サービスを、自治体の臨時職員・非常勤職員が吸収して地域を回している構造があります。
そこには、市民サービスがあり、職があるわけです。その必要性をすべて無視して、雇う側の固定観念にあわせて無理に期限を区切って雇うところから、話がおかしくなると考えないのでしょうか。

いまの非常勤職員の制度の方が、雇用の期限に関しては論争の余地を残しているおかげで、自治体ごとの雇用の逼迫性、需給バランス、労使関係、議会の承認する判断力でいかようにも運用を展開できる。「会計年度職」は今の地方公務員法の臨時職員と同様の、ぶつ切り雇用を開き直る概念ではないかと見ています。
恒常的に雇う臨時職員や非常勤職員を任期付短時間職員制度に移行させるのに頓挫したのも、手当や退職金以上に、雇用期間を厳密に指定されたことでした。雇う側の都合も含んでも、雇用期間を実態に合わせない制度改正はいずれも頓挫すると見ています。

もちろんこの新しい概念で、ボーナスや退職金が払えるということを可能にするというプラスの面はありますが、私はカネの話も大事だけども、雇い方を公正で、雇用の実態にあわせたものにすべきではないかと思います。

●正規職員と結果的に常勤的に働いている非常勤職員の違いは、議会の定員の承認と賃金の出所の会計科目ぐらいです。いつも書いていることですが、国民の統治の仕事が中心だった1950年の地方公務員の職の概念と、東京オリンピック以降、地域のサービスを引き受けるようになった自治体における地方公務員の職の概念は大きく変化しているし、西欧並みに福祉サービスを整備してくると、そのサービスの調整・提供やその補助事務に追われる公務員が増大するので、官民との著しい雇い方の差など制度としてもたない、と私は考えています。行政法特有の観念的な思考に限界がきていると思っています。

●憲法第15条などの国民の公務員の選任・罷免権を根拠に、自治体の非常勤職員の雇用を「会計年度ごと」にこだわる考え方に私は矛盾があると思っています。正規職員が何で毎年自動更新で雇われているのか、説明がつかないのです。議会が議決している正規職員の定員管理は、あくまでも定員数が対象で、今まで雇っていた人をそのまま雇い続けることを憲法第15条に沿って承認していることは明白になっていません。あくまでも法律の反対解釈や社会慣習から導き出している理屈です。
一方で非常勤職員は程度の差こそあれ毎年4月に能力実証されて雇用の更新が行われ、シビアに査定されているのです。非常勤職員だから、という説明しかありません。非常勤職員を雇い続けた職がなくなれば別ですが、同じ職がありつづけるのに毎年毎年新規雇用みたいな概念を持ち出すのはおかしいのです。

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2013.09.21

9/20 解雇規制緩和の神話と、市役所の非正規労働者の雇用の安定

昨日、解雇しやすい特区を作ると安倍首相。そんな特区に誰が住みたいっていうのかと思いますし、解雇が日常茶飯事に行われる自治体など、まばすハローワークの失業給付の窓口が、続いて生活保護の窓口がパンクするんだろうなぁ、と見ています。
年々、急激に増大する生活保護給付費に向き合って、自治体の社会保障政策に関わっていると、とにかく無年金者を減らしていく政策が必要、、という思いとともに、失業者を出さないでくれ、と思わざるをえません。そんな特区では自治体首長も議員も絶対にやりたくありません。

景気の一点だけでみたときに、解雇を流動化させれば景気が良くなる、という仮説は、景気がよいときの労働政策。ミスマッチを解消し、それぞれが能力が最適の職場に向かって動き出すこともあるのだろうと思います。
今のようにとにかく雇用の量も質もよくないときにそういうことをやってしまうと、今ある仕事にしがみつく強さはますます強まるばかりか、さらに稼いだ収入も消費にはき出さなくなり、失業おそれてせっせせっせと貯金を始めます。

バブル期~バブル崩壊の数年後あたりににつくられた政策提言を、金科玉条に「改革」だと思って信じ続けている間違いではないかと思います。

また解雇自由ということですが、日本の裁判所は、裁判官の常識がそうだからか、介護があろうが保育があろうが配偶者の仕事があろうが、転勤に応じなければクビにしても何の問題もないという判決を出し続けていますし、パワハラの末の解雇を満足に否定した判決もあまりありません。気に入らないヤツはクビ、フリーの社会です。「日本の雇用終了」を読むと、「凍土の共和国」という在日朝鮮人の北朝鮮訪問記の次にうなされそうな話がオンパレードです(一方で採算悪化による事業終了や事業閉鎖を理由とした解雇は難しい判例となっていて、そのアンバランスさは問題だという指摘には、生活が崩壊するような転勤を無制限に認める結果を誘発する問題を抱えるなど、一部うなづかなければならない部分もあります)。

正社員の多くが、「クビになるぞ」という言葉を恐れて企業のなかで能力発揮ができていない現実もあり、そんな単純な経済理論でうまくいくとも思えません。

まぁ、消費税の増税を要求しておきながら、自分たちは税金を負けろ、という経済界の要求を、麻生、高村の大御所たちに値切られて思うように実現できなさそうな首相が、一つぐらいおみやげを持たせなくてはという思いからなのでしょうか。

●昨日の市議会で、共産党の斉藤議員が、臨時職員の待遇改善に関して、非常によい質問をしていただきました。斉藤議員は、常勤的な勤務実態にある臨時職員に、賃金の経験加算などできないか、という問いでした。総務部長が数年前の総務省通知を出して、経験加算を踏み切るには研究不足だ、と答弁を回避しましたが、経験加算を実現するためのハードルは明らかになったことは収穫です。昨日の私の質問とあわせて、朝霞市役所の常勤的臨時職員の安定雇用と待遇改善が大きく進みそうです。

余談ですが、この総務省通知、裏返して読むと、自治体正規職員が地方公務員法第23条に書いてあるように、職務も定めず、明かな職階も定義せず、その職務も職階も変更せずに定期昇給するのはそもそもおかしいのだ、とも読める不思議な通知ではあることを、議会終了後、廊下で会った総務部長にお伝えし、職種によっては2~3年経験詰まないといつまでも能力蓄積過程の労働者ばかりになる分野もあるんじゃないの、という話をしながら軽度の経験加算は何ら違法ではない、と説明しましたが。

さらに優先課題としては、詭弁や都合のよい論理で解雇されない、ということが大事で、毎年、更新時のどこかで解雇されても文句は言えない、という地方公務員法の臨時職員の扱いをそのままにしておく限り、賃金改善も労働者の仕事の質が上がらなくても文句も言えない、ということになります。

右肩上がり賃金の正規職員にすることが難しければ、雇用を安定させて、悪いことしたり、職場がそもそも市民にいらないと言われるまでは、職を失わないというメッセージを出さないと、働く人は能力を発揮したり、創意工夫をしようとしないものです。

●昨日の他の方の質問では、事実誤認も甚だしい内容がありましたが…。決算議会のなかで資料請求して細かくチェックした事業の担い手に、税金泥棒呼ばわりされても、その人たちが反証することは、手間がかかり、一度税金泥棒と思われた方はその印象をぬぐえないものです。小泉構造改革のときに、そういう場面を良く見たものです。
その話のなかで、介護より保育に金を使いすぎだ、待機児童問題の解消は急ぐな、という話がありましたが、決算書を見る限り、保育園には約2200人に対して26億円、学童保育約900人分足して3100人に31億円、高齢者介護は介護保険の直接給付だけで約3000人に対して41億円となっています。特別会計からの保険給付として行われる介護施設整備は、個々の施設増設が議案に掲載されないので、議案に載せられる保育園のように見えないものです。印象操作とはおそろしいものです。これも支出ベースですから、介護に関しては利用者から施設に入る利用者の利用料は入っていない上での数字です。
まぁ、保育ばかり柱の政策にしないで介護もやってね、という意味に捉えましたが、まぁ、その質問が言わんとする公費が適正に使われているの、という疑問では、労働者賃金の水準が事業者監査に入らない介護ビジネスの方が課題は多いのですがねぇ(そうなってしまった原因を言うとまた話が長くなるんですが…)。

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2013.08.09

7/30 一部事務組合議会/消防士さんたちの賃下げに反対

30日の一部事務組合議会の臨時会。給与の7.8%カットの議案が出されていました。朝霞市職員の同様の議案に反対したように、この議題にも反対いたしました。
20人の議員のうち、私を含めて5人が反対、15人が賛成で可決となってしまいました。

賛否を検討する際、一部事務組合職員の8割を占める団結権のない消防職員の扱いについて、論理的に混乱しています。

団結権や団体交渉権の一部が認められていれば、労使の間の納得性はどこにありますか、というところに話は尽きますが、団結権のない労働者が大半である場合、労使合意は論理にならないし、かといって労働基本権の制約の代償措置を越える大幅賃下げを一方的にしてよいものか、という論理にたどりつきます。団結権がないんだから使用者が何してもいいんだ、と考えるのと、団結権がないから賃金と労働時間に関してはいけないんだ、と考えるのと両極に導かれていきます。

私は今回の国の提案そのものがむちゃくちゃすぎるので、後者の判断を採用いたしました。

●一部事務組合の職員の賃下げで問題になるのは、それで浮いた財源をどうするかです。
市は、国から入る地方交付税が削減されるので、それに相応した引き下げをすれば行政サービスにかかる経費には中立になります。ところが一部事務組合は、構成する、朝霞、志木、新座、和光の4市の拠出金はすでに予算で決まっていてすでに払われているため、財源が浮いてくることになります。
地方交付税の削減は市を経由して一部事務組合に波及するという考え方もありますが、一方で消防士をはじめ一部事務組合職員のカットした給料を、 構成自治体が取り戻して、何かに使ってしまうとすれば何か本末転倒な気もしますし、消防士などは労働安全衛生が完全にならない職場で命を賭して働いているわけですし、救急隊にしてもどこの病院に運ぶかということでは医師に近い専門的な判断力を求められる職場でもあるわけで、そういう職員にとって必要な志気を保つためには、給料カットして余ったからって親会社である構成市が持ち帰ってしまってよいのか、と思うところもあります。

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2013.05.27

5/27 政労使三者協議は共産主義という細野幹事長の問題

民主党の細野幹事長が、安倍政権が構想している政労使三者構成による労働政策の合意形成の場を、「共産主義的」と抗議したらしい。

まったく認識不足としかいいようがない。

北欧や西欧では、労働政策や社会保障政策制度の変更にあたっては、政府・労働組合・使用者団体の三者による協議で運営するのが当たり前であり、日本ではそれが十分に機能しないために、生活に困る人がいきなり生活保護や最低賃金のような限界の制度のお世話にならなくてはならない社会になってしまっています。

安倍政権の魂胆があまりしっかりしていないのは確かですが、しかしだからと言って「共産主義的」と全然的外れな非難するのはどうかと思います。政労使三者の合意形成のシステムは、「共産主義」に批判的な北欧や西欧の労働組合が、政治参加を通じてかちとってきたものです。

民主党の最大の応援団である連合としても、こうした反応の仕方しかしない民主党に対して、厳しい抗議を申し入れるべきでありましょうし、それが叶えられないなら次の参議院選挙では、象徴的な選挙区で自民党支持に切り替えるぐらいの厳しい姿勢が必要ではないかと思います。

連合としても、今どき民主党政権を作ったからといって政策を丸呑みさせることはできないし、せめて労働者が組合さえつくれば社会参加できる社会システムをつくってくれ、というところが限界だと思いますが、そこすらメンツまるつぶしにされたわけですから、組合員に選挙運動への参加を求めていくには、非常に厳しい状況ではないかと思います。

●この件は民主党として自己批判して撤回された方がよろしいのではないかと思います。

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2013.03.14

3/14 春闘集中回答に感じること

金属労協、製造業大手の春闘の集中回答日に、ボーナス改善を中心に満額回答が続出した今回の結果、当該の方々の苦労と喜びの理解をしつつ、これでよかったのか、と思うところがないわけではありません。

今回の、春闘の賃上げは、インフレターゲットによる景気回復を狙う安倍政権が、インフレの先食いと言われないよう、経営者に手を打って賃上げを要請したこと、インフレターゲットを織り込んだ円安によって輸出産業の業績が回復していることに相応して、「ボーナス」を改善したということです。

当初、今年の春闘について経営者側に、定期昇給なし、ボーナス圧縮などと予告され、出血することを覚悟していた労組側も、取れないより取った方がという今回の急転直下の情勢変化に合意したのだと思います。

しかし当該の方々の努力や喜び安堵とは別に、社会全体ではこれでよかったのか考えどころのところもあります。

1つは、基本賃金のアップ「ベースアップ」がなかったので、ボーナスが出ない、少ない中小企業や非正規の労働者の改善が進むかどうか。それがなければ、単なる労働者間の格差が広がることになり、大手企業が多い連合や全労連など組織労働者の社会的立場はますます「既得権益」と言われるところに追い込まれていくことになります。
これに対しては、大手企業労組が下請け、孫請け、請負、派遣などすべての関連労働者の賃金改善に取り組んで、社会的影響力を拡大する努力に期待したいと思っています。しかし現実にはどうなんだろうなぁ、業績回復には大手製造業がコストカットで捻出している部分もあるとすれば、それはまたいくら労組ががんばっても期待薄ということになるかも知れません。

1つは、ボーナスという一過性の賃金改善が、消費の拡大につながるかどうか、ということだと思います。上げた分、今まで我慢していたのだからと使ってくれれば、社会全体の収入増につながるわけですが、一時的な収入増だからと気持ちを引き締めて貯金されれば、逆効果になるわけです。どうやって消費につなげるか考えていかなくてはならないところだと思います。

1つは、今回の春闘の満額回答は、当該労使の苦労もあると思いますが、何より政権側の要請であったことが大きかった、そこに財界側がようやく取り戻した自民党政権を壊してはならない、という危機意識が乗っかったところで原資が生まれてきたと思います。そのこと自体の政治的評価に関心がいきがちですがそれはさておき、昨日も深夜番組で労働経済の研究者である山田久さんが指摘しておられましたが、これを契機に、法制・規制ばかりではなく、賃金に関しても社会横断的な合意形成の仕組みとして、欧州のような政労使協議の体制づくりにつなげていくことが必要ではないかと思います。
ただしこれが政労使協議の確立ができなければ、逆に労組には政治依存の運動になりかねません、その心配があるところです。
高度な資本主義に一物二価はありえないんだ、と言いますが、日本の賃金単価に関しては、一物二価どころか、同職種間にありとあらゆる価格差があり、そのことに資本主義を守るべき経営者はあぐらをかいて足下をみて人を使っているところもあります。そうならないためには欧州のような職種ごとの統一賃金ということを形成していく方向をめざしてやり方を考えていくことが必要で、昨日の山田久さんの指摘は、例外的状況を逆手にとって機会をつくっていく局面にあるということだと思います。

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2013.02.07

2/7 みんなが労働者でみんなが経営者

NHKクローズアップ現代で、協同労働が取り上げられ「働くみんなが経営者、注目される協働労働」というタイトルで放映がありました。

私は時代背景から協同労働は必要だし前向きな評価が必要だと思う一方、本来、社会主義的選択肢の1つである協同労働を、新自由主義の文脈から「みんなが経営者」と前向きに評価することに危惧を感じています。

というのも、世の中には、経営者的な創造性や企画力がなくても、まじめに職務を誠実にこなすことができる人がいて、その方が多いわけです。
「みんなが経営者」という人がそういう環境に放り込まれて、経営者としての才覚を発揮できず、みんなが決めたことを誠実にこなすだけの役割となったときに、その人は「みんなが経営者」という理念の職場で大切にされるのでしょうか。それは属人的なものにならざるを得ないのではないかと思います。

また複数人間が同じ仕事をしている中では、どうしても職場の世論をリードする人と、まじめにやりますから決めて下さい、という人に分かれがちでそうしたときに、「みんなが経営者」という理念がどのように動き出すのか、心配しています。

すでにブラック企業では、薄給の賃金労働者に対して経営者のように働けということを要求していますし、世の中も不況の中でそれぐらいのことは我慢しろ、という雰囲気になっているなかで、創造性も企画力も要求されないまま経営者並みの勤務時間で馬車馬のように働かされ、困ったことだけ現場で経営者のように解決するように求められる、そういう環境が知られています。そこでは労働者が守られているとはとてもじゃないけど思えないからです。

またかつて労働者階級が作った国と標榜していたソ連などでは、すべての人が国家の主人公というタテマエでしたが、実際にはみんなが主人公の国なんだから不幸なはずはない、と国や社会制度に対する批判を暴力的に封殺してきたことも思い出されます。そしてこういう自己完結した論理は、社会の多数派が圧殺する側を追認するということもあります。

そんなことを考えながら、協同労働は必要、という立場にいながらも、協同労働に従事している人は経営者でありながら「労働者でもある」ということを忘れないような、既存労働法の網がかかる保護が必要だと思っています。

すでにシルバー人材センターでも、実態は自治体の委託業務なのに個人請負という体裁を取ることによって、労働法の適用が外れ、業務中の事故が労災保険も健康保険も適用できない(実態は本人と医療機関の配慮で健康保険を脱法的に適用させているようですが)問題などが浮上しています。
経営上の都合でしかないのに理想社会のような大義名分で、実態が労働となっている人を労働者とみなさないやり方というのが、様々な副作用を呼ぶということをふまえていかなくてはならないと思います。
日本では、労働者という言葉に対する差別的ニュアンスが強く、どうしてもあなたは労働者だ、と言われることを忌避する傾向があります。福祉労働者や教育労働者、NPO団体の従業員、未組織公務員など、単なる労働問題として処理するのが最も効率的な問題解決なのに、本人たち自身がそうした呪縛にとらわれていて呪縛を解くのに手一杯ということはよく見聞きしてきました。

●報道する側には、ブラック企業や暴力団、カルト宗教団体、狂信的な左翼団体が、協同労働の団体を乗っ取ったときにどういうことが起きるのか、そういうシミュレートを充分に行ってから、「全員が経営者」という言葉を使ってほしいと思いました。

●高校生のときに私の通学していた高校では、何だかんだと毎週のように学内集会があって、校長から「本当の自由と自立」みたいな話を聞かされ、そして学校行事は「ほんとうの自由と自立」に感動したくて来校する観客のために振り回され、校内で非合理なことがあっても「ほんとうの自由と自立」のために我慢するよう求められ、そういうことを横目にみながら「ほんとうに自由になっているのかい?」と場の空気を壊すようなことをやっていたので、実態が不明確な理想の言葉は簡単に信用できない悪い癖があります。そうしたときに労働法の解説書に出会い、労使間の自治の論理と、集団的労使関係という合意形成に向けた交渉システム、団結権保障のための様々な考え方などを知り、空虚な理念語を振り回すより、問題解決の手段なんだと認識して今に至っております。

●労働者が尊重され最もフェアで安心できる社会というのは、資本主義体制のなかで、①労働者集団の形成、②労働法などの労働者の人権保護法制の確立と、③さらにドイツや北欧で行われているような労働者集団による経営参加なのかと思っています。

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2013.02.06

2/3 福岡・久留米で自治体の臨時・非常勤職員の課題を話しました

3日午前、福岡県の久留米市職員の労働組合「久留米市労連」に招かれて、自治体の臨時職員、非常勤職員の組合づくりの重要さをお話してきました。対象は、久留米市労連の全役員で、支部・分会レベルまで合計60人に聞いていただきました。青年部、支部・分会クラスの役員も含むということなので、臨時・非常勤職員の組合員化は初耳だということを前提に、と要請されていました。

130203以前、労働組合の職員として担当していたということと、今は自治体議員という半ば経営者としての立場としての両方の視点から、自治体の仕事をスムースにやってく上で、臨時・非常勤職員に組合がどう向き合ったらいいのかということを話すよう求められていると理解してお話しました。

今の自治体の仕事内容は、サービス産業化していることは避けられず、そのために労働力を弾力的に確保したり、あるいは通常の公務員の人事異動ルールにはまりにくい専門職を大量に雇用しなければならない状態にある、したがって、良い自治体になろうとしたら、いまのがちんごちんの総合職採用しかない正規職員の慣習制度からすると、臨時・非常勤職員の活用はコスト以外の理由からも避けがたい。その中で、「一時的・臨時的」職員として組合が直視しなくて済むのか、別物として無視し続けたら組合はエリート公務員だけのものになって、行き着く果ては第2人事部・御用組合という実態にならざるを得ないのではないか、と申し述べました。

労働組合の本来機能は「(休暇等労働条件も含めた)賃金カルテル」であり、臨時・非常勤職員や外部委託で働く人の労働条件を放置すれば、正規職員はどんどん仕事が大変になり、臨時・非常勤職員に仕事を奪われ、また仕事の現場の状況を正規職員が理解できなくなる危険姓がある、ということをお話しいたしました。

そして、臨時・非常勤職員の組合員化には、職場にいる正規職員の協力があるに越したことはない、臨時・非常勤職員の人権侵害事件が起きてから組合員化しても混乱しがちだ、ということで、平時に組合本部が臨時・非常勤職員の組合員化を提案した場合に、正規職員の役員のみなさんにはできるだけ前向きに理解してあげてほしい、ということを申し述べました。

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2013.01.28

1/26 神戸市でパート労働法のお話をしました

Dscn183726日、自治労兵庫の臨時職員の組合員のみなさんのお招きで、神戸市でパート労働法の初歩的な内容についてご説明してきました。

パート労働法は、パートやアルバイトなど時間給や短時間労働をしている労働者を保護する目的で、均等待遇、均衡処遇、福利厚生や身分的な差別取扱禁止、苦情解決機関の設置などを求めた法律です。この法律によってただちにパートやアルバイトの格差がなくなるということはありませんが、雇っている人たちに、仕事のバランスに応じて、格差をなくしていくことを考えなくてはならない法律になっています。

現在、自治体の臨時職員・非常勤職員にはパート労働法が適用されていませんが、自治体の臨時職員・非常勤職員の職場の多くは、公権力の行使ではなく、役所が実施した方がよいサービスに従事するサービス労働者であり、パート労働法を適用しないことの方が不自然なところもあります。自治体職員行政の法解釈を握っている総務省も2011年、2012年で地方自治法や地方公務員法と矛盾しない範囲という前提で言っているのだと思いますが「パート労働法の趣旨」を自治体に知らせていく、と言っており、これからはパート労働法を全て無視することはできないということになっています。職場での差別解消や、休憩室の整備、職務範囲に応じた研修権の確保、休暇の実現などについてはパート労働法は効果がありますし、公務といえども実現しない理由はないと思います。
現実に民間企業におけるパート労働法の適用される条件や、メニューについて簡単にご説明してきました。

しかし一方で、賃金面で活用するにはまだ難しさがあることも話をしています。
パート労働法がめざす均等待遇を実現していくには、大きな壁があり、年功序列賃金との整合性が問われます。たとえば、40歳勤続3年の自治体の臨時職員が、どのくらいの時給単価にあわせるべきなのかは、高卒3年目なのか、大卒3年目なのか、学校卒業後ただちに入職した40歳職員なのか、議論が分かれます(多くの自治体では毎年更新なので高卒初任給の時間割の金額以下の金額で毎年固定しています)。
年功序列賃金は、入職~10年ぐらいにかけて生産性との対比では我慢の賃金を強いているので、そこにあわせれば今よりは良くなったとても、それだけで生活できるパート賃金になりません。逆に、40歳や50歳の賃金にあわせれば、無制限な会社への忠誠を誓っている人たちと同じ期待がされてしまい、パート労働者の多くの実態である職務が限定された労働力としての妥当な対価にならない面もあります。
そのため、「均衡」という概念が作られ、職務とのバランスを取るというところが到達点として法律には示されているということをお話しし、そのなかで個々の職場に埋没して均等待遇を求めるのではなく、職種・職務ごとに地域で標準賃金を作っていく努力が不可欠で、それは個別の組合ではなく産業別組合としてたたかう必要がある、と話してきました。

また臨時職員や非常勤職員の定義である、「一時的・臨時的」な業務への採用という定義をしていることがあてはまらない職員も増えていて2~5年ごとにあらゆる職場を異動して出世していく正規職員が「恒常的・総合的」業務に携わるのだとすれば、臨時職員や非常勤職員のうちに「恒常的・専門的」業務に携わる実態にあり、そうした現実を受け入れた、労使とも対応が必要ともお話しました。

均等待遇を理解するのに、日本の賃金や雇用慣習の特殊性を理解する必要があり、そのためには、濱口桂一郎さんの「日本の雇用と労働法」を読んでみることをおすすめしました。

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2013.01.08

1/8 同級生の実家に郵便物が届かないわけ

市議会議員になってから、同級生の親御さん宅を伺うことがあって、親御さんの名前を聞き忘れて、同級生の名前で議会報告を送ると「配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません」と返ってきてしまうことが相次ぎました。2~3回送っても「配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません」と返ってくるのに、行ってみると、親御さんのご自宅は現に存在しています。

昔の郵便局員は、住所がメチャクチャでも郵便物を届けてくれたもので、札幌に住んでいたときには「〒060 札幌市東区七条 ●●ハイツ 黒川滋様」(本当は〒060 札幌市東区北●条東●丁目 ●●ハイツ●号室というのが最低限必要な正しい住所なんですが)でも届いたびっくりな郵便物もありました。

郵便局員から職人性を追放し、機械で何でも仕分けすることによる結果ではないかと思っていたらやはりそうでした。労働政策研究者の濱口桂一郎さんのブログ「配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません」に同じような経験が書かれていて、濱口先生の話では、海外赴任した人が転居届を出すと、1年間は転居先に転送されるが、その後はもどってきて自宅に平然と暮らしているだけでは郵便物は届けてもらえないということになるそうです。


つまり、私も同じようなことで、同級生の実家に送っても、同級生本人名ではいない人になっているので届かないということになります。郵便番号7桁化で配達仕分けを機械化する過程で、こうしたファジイに処理すべきものが処理されなくなっているのでしょう。

私の反省としてはフルネームを聞き出すということが大切だという教訓ですが、しかしまぁ、人間のファジイな能力というのは見捨てたものではないなぁと思います。

●どうも最近の郵便局は、システムと手作業の整合性があまりうまくいっていなくて事務が混乱気味という感じがしてなりません。乱暴な郵政改革による影響が少なくないのではないかと思います。

●近所のおばちゃん・おじちゃんが自転車で配達しているヤマトメール便の方がこういう事例は届くのかも知れません。

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