2024.06.05

6/4 国民健康保険税に投入した3000億円どこへ~人頭税毎年1万円値上げ

5月30日に開かれた市の国民健康保険運営協議会の資料を入手しました(朝霞市会議結果、本日現在資料アップなし)。それによると、国民健康保険の運営を県に集中させていく改革の一環として、保険税を県として一律にしていく話になっています。

そのなかで、県の提案では、均等割(1人あたり均一保険料)が年間約4万2000円となっていて、朝霞市の現在の1万2千円から3年かけて毎年1万円ずつ値上げする提案になっています。
均等割ですから、扶養家族の分だけ取られることになるので、子どもの多い世帯は子どもの分だけ負担させられることになります。びっくりするぐらいの値上げです。また人頭税みたいなものなので、低所得者には軽減措置というお恵みがあるものの、低所得者に定義されないボーダーから上の低所得層の人にはものすごい重い負担になります。
朝霞市の社会保険の加入者の大半が、勤労者向けの健康保険で、一人あたりの保険料がない、完全所得比例のものばかりなので、国民健康保険の均等割を拡大することの異様さなかなか伝わりにくいてのですが、実際に計算するとひどいことになります。これが失業たり、自分で起業したときにそうなるのですから、痛めつけ方がきついものです。

私は県への国民健康保険の一元化には様々なトラップがあると議会で何度も指摘してきましたが、やはりそうなったか、という感じです。
市町村が国民健康保険の保険料の合計を県に納めていれば、市町村のなかでどんな保険税体系で取るかを県が強制する筋合い、地方自治法のどこ見てもありません。どんな権限があって、県が市町村に子どもの多い低所得者を痛めつける権利があるのかさっぱりわかりません。

この均等割を正当化する論理に「応益負担」というイデオロギーがあります。どの人もサービスを受けた分への負担をすべきだ、という考え方で、収入に応じて負担する、というものへの対抗する考え方です。近年、「応益負担」という観念を振りかざして、国民健康保険でも後期高齢者医療でも介護保険でも、1人あたり保険料はいくら、という部分が年々拡大しています。厚労省は均等割:所得割が1:1になるのが望ましいみたいなイデオロギーを振りまいています。
しかし、これは低所得者にとってはとんでもなくきつい考え方で、とりわけ低所得者が集中しやすい国民健康保険でそれをやってよいのかと思うばかりです。

「応益負担」という魔の言葉が人頭税を正当化するので、いろいろ調べてみたら、最初に出てきたのは介護保険制度でした。制度設計されたのが1993~1995年で、最後の非正規雇用が少ない時代だったからできたレトリックであり、新自由主義の経済理論が蔓延し始めた頃の歴史のない考え方なのです。その介護保険制度も、所得に応じて負担の軽減、割り増しをせざるを得ず、当初5段階だったものが、今では最低13段階まで拡大せざるを得なくなっています。
本来の「応益負担」は、低所得者でも払わされる医療でも介護でも負担させられる利用料のはずで、社会保険料まで人頭税をやるのはいやらなしい批判ですが「二重」取りです。

さてこうして問題点はいろいろ指摘できるのですが、市として何ができるのか、改めてきちんと考えなくてはなりません。
財政的な制裁があるので、できない、できないと言っていた、子ども医療費無償化もどんどん拡大してきました。県内の自治体では子ども分の「均等割」人頭税をゼロ軽減している自治体もあります。
あるいは県の方針に楯突いて、人頭税部分を下げて、所得割部分を引き上げて、総額では県にきちんと納入してみてどのような制裁が待っているのかやってみる、ということもあろうかと思います。

残念なのは、県に対する意思を伝える民主主義が、この問題では機能していないことです。市町村と県の間でどんどん決まってしまっています。県議会でもこの問題が争点化された痕跡が見当たりません。民間人でもできる子ども食堂の活動に参加している県議会議員は少なくありません。そうした善行は評価されるべきですが、子ども1人4万2000円もの保険税をかけるような制度をナントカする政策決定は民間人ではできません。本業をちゃっとやってほしいと思ったりします。
あるいは市長会・町村町会の会長がこうした「改革」に、待った、見直せ、とかけなかったわけで、そんなことも問われるのだろうと思います。

国民健康保険の改革では、消費税から年3000億円の財源が捻出されて、各都道府県に財政支援として振りまかれています。しかしそのお金はどこかに消えて、結果として低所得者がさらに負担させられる「改革」を民意との接点もなく決まっていく、歪んだことが進んでいるな、と思っています。
来年以降、徴収の現場である市町村の窓口でトラブルが増えることも杞憂しています。

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2019.11.16

11/15 効果の薄い医療費・介護の利用料負担率の引き上げは大問題

日本経団連や健康保険組合連合会(健保連)が、医療費や介護の自己負担を早く引き上げるよう政府に要請しています。大問題です。特に高齢者の医療を1割から2割負担に引き上げ、「無駄な利用」を抑制していこうという考えで、最もらしく聞こえます。
私はこうした主張は、効果が少ない割に、医療や介護の保険制度の役割を否定するものとして、危険視しています。

医療や介護の自己負担を引き上げて、医療や介護のムダつかいがなくなって、保険料や、国や自治体の財政負担が大幅に軽減されるのでしょうか。国全体で国民医療費は42兆円、介護費は10兆円かかっています。医療だけでみると、自己負担を引き上げて軽減できると見込まれる金額が3700億円で、金額で見ると大きいものの、全体からするとたった1%の削減効果しかなく、この程度の金額はあっという間に高齢者増や医療の高度化でかき消される程度の話です。
本当に財政的な効果があるかどうかではなくて、医療や介護を利用する人に、何らかの悪いイメージを投影して、敵視する政策と思わざるを得ません。

一方で、医療を必要とする人は、いざというときに持ち出すお金が増えていくわけですから、生活防衛のために消費を抑え、貯金をせっせせっせとすることになります。そのことが消費の伸び悩みになり、日本経済が縮小志向にならざるを得なくなります。また金融機関は膨大な高齢者の貯金の運用先を用意しなくてはならなくなり、社会は金融業の収益に多大な利益をつぎ込まなくては社会が安定しないことになります。
厚生年金加入者でさえ、老後、介護が必要になって、自宅介護が不可能になると、月々20万円前後の介護費用が取られて、年金はほぼなくなります。この話から、貯金していないと老後の医療も介護も満足に受けられない、と考えている人がたくさんいます。
高齢者がせっせと老後に向けて貯金する副作用としては、高齢者は貯金を抱え込まざるを得なくなり、その結果として、そのお金を狙う特殊詐欺のターゲットとされてしまうこともあります。

医療費の自己負担、介護の自己負担の比率を上げると、逆効果な面もあります。高額療養費の設定額にすぐ到達してしまい、慢性疾患や高度医療、高額な薬の投薬を受けている人にとっては、かえって医療費の使用が青天井になっているところがあります。
自己負担上げを主張している経団連や健保連は、この高額療養費の設定をさらに高めようという鬼のようなことを考えているみたいですが、それこそ、難しい病気やけがをした人が借金漬けの人生になりかねない、とんでもない話だと思います。

高齢者の医療費の自己負担がゼロだったときに、医療が濫用されて、診療所の待合室は集会所と化し、大病院は軽度の患者で埋め尽くされて大病院でなければできない医療に割ける資源が、ということがありました。医療費の自己負担を1割として、その問題は大きく改善されましたが、そのときの成功体験が強すぎるのではないかと思います。1割が2割になったからって、2割が3割になったからって、医療の必要性を患者自身が判断して使いすぎているから行かない、などということにはならないと思います。

とくに健康保険組合連合会が主張していることには問題と感じています。健康保険組合の加入者は、賃金労働者です。老後に財産を殖やすめぼしい資産を持たない人がほとんどです。そのなかで、老人が医療費を使いすぎるからという仮定で、自己負担を増やせ増やせの主張を、ときに高齢者に対する反感を利用して宣伝しています。国民を分断するとんでもない手法です。加入者がいずれは高齢化、あるいは退職して、国民健康保険や後期高齢者医療で、職場で過酷に働いていたときの体や心を傷つけてきたツケを払うことが、ポロッと見落とした議論をしています。
健康保険組合は、組合健保の財政から抜かれていく、高齢者の医療費の負担の平等化をする「前期高齢者交付金」の拠出金や、「後期高齢者医療」への負担を問題視していますが、私は高齢者どうしでは負担しきれない高齢者医療の負担を国民健康保険の加入者だけに押しつけないための重要な制度を批判するのは、加入者の老後に責任を持たない考え方だと思っています。

健康保険組合連合会の主張には、保険料の水準をどうするかばかりで、健康を害して職場に出勤できなくなったり、あるいは、不幸にも健康を害して退職に追い込まれて、健康保険組合を同時に脱退して、国民健康保険に移った人のことなどほとんど関心がありません。
大都市圏の市町村で国民健康保険財政を見ていると、高齢者の問題より、失業者や非正規労働者、ダブルワークしている生活困難なシングルの親たちなど貧困者の保険となっていて、職場で健康を害して退職するのは自己責任と言わんばかりに、現役世代で健康を害した方の負担がドーンとのしかかっていて、国民健康保険財政を通じて貧困者どうしで、所得が同じなら正社員の倍を超える高額の保険料で支えあっているのが現状です。そのしわ寄せを健康保険組合から国民健康保険に押しつけられているのではないか、と思うところです。
本当に健康保険組合の保険料負担がきついというのなら、健康保険組合を解散して、協会けんぽに合流していただけたらよいのではないかと思う面もあります。一部の、若者が入職してこない厳しい産業の健康保険組合以外は、協会けんぽより保険料は安く、また、国民健康保険よりはるかに保険料は安いはずです。

こんな議論になりがちなのは、元気な人にとって、医療や介護の議論が、保険料水準の話ばかりに矮小化されて、政治問題化されてきた問題がここにあると思います。保険料、医療水準、利用のときの負担のあり方をワンセットでバランスを取って、どこが一番負担しにくく、どこが日頃から負担しておけばということを考えたときに、医療や介護などは、利用料の負担をあまり過大にすべきではありません。

●市議会議員としては守備範囲を超える議論ですが、ベッドタウンの市民にとって重要な課題だと受け止めています。とくに同世代で、職場で過酷な労働に耐えた結果、職場にいられなくなり、地域で、国民健康保険加入者となって、療養生活を送っている人を少なからず接することがあります。健保連が組合員の保険料の話ばかりではなく、職場にいられなくなった人にまで想像をめぐらせた議論の展開をしてほしいと思っています。

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2018.11.30

11/29 国民健康保険の制度改革のミステイクと県の問題

20181129kokuho写真は埼玉新聞の29日の記事です。
国民健康保険は今年から、雑な言い方をすると市町村営から県営の保険になりました。県が必要額から各市町村に集める金額を定め、市町村は加入者に対する国民健康保険税をそれぞれ定めて、足りなければ市町村の一般財源から、余れば国民健康保険特別会計にプールすることになります。

その県が市に払えという金額が今年も、1人当たりで上がる自治体がたくさんある、という記事です。国民健康保険が市町村から手が離れて、誰が運営しているんだかさっぱりわからない制度になっているなかで、観念的な数字だけが一人歩きするようになりました。また、住民の負担能力と、給付との間を調整しながら議会もからんでバランス取ってやってきた制度も、どこからかわからない天の声で負担が決まるようにだんだんなっていきます。
その結果、社会的に最も弱いところにいる人たちが、最も負担しなければならない変な医療保険制度になってしまいました。改革のミステイクです。

●市内にいろいろポスターが貼られるようになり県議会議員選挙にいろいろな人が手を挙げているらしいですが、県営になった国民健康保険をどうしたらよいのか、有効な対策を持たない人が手を挙げるべきではない、と思っています。市町村議員の国民健康保険運営をめぐる真剣な議論と同等のことが県議会で行われている感じがどうもしません。

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2018.06.11

6/9 認知症当事者が社会で生きる~佐藤政彦さんのお話を聴く【動画を掲載しました】

9日午後、15年も続けている関係の上にある「地域福祉を考える市民の会」主催で、若年性認知症のご本人と認知症の医師を招いて講演会を開きました。

会場の定員を大幅に上回る参加者があり、残念なことにかなりの参加者には帰っていただいたり、聞きづらい廊下で聴いていただいたり、大変心苦しいことになりました。主催者の一員としてお詫び申し上げます。

それではまずいと思うので、録画していた佐藤政彦さんの講演映像をユーチューブで公開いたします。
佐藤政彦さん講演その1(8分19秒)
佐藤政彦さん講演その2(5分42秒)
佐藤様彦さん講演その3(15分11秒)
※音量等を調整してご覧ください。

実はこの内容を要約してお伝えしたいのですが、満員のため主催者は運営に必要な最低限な人以外は退場して席を空けました。そのような事情で話の内容を聞くのは、私もこの動画でこれからとなります。

●市議会議員では、松下昌代議員、岡崎和広議員、遠藤光博議員が会場に来ていただきました。お礼を申し上げるとともに、一部の方は入場がかなわず、お詫び申し上げます。

●「地域福祉を考える市民の会」は、2004年から始まった、地域福祉計画策定で、市役所に集められ策定作業をした市民の集まりがそのまま月1回、続けているものです。いろいろ失敗しながら、今は主に高齢者福祉に関わる講演会を年に1回開催して、在宅医療を利用した地域生活のノウハウの紹介や、市の説明会ではなかなかご紹介できない、介護や老後生活、死に関して新しい選択をしている事例を紹介しています。在宅医療を紹介した頃から、看護介護関係の専門職の方々が近年は入会していたいています。この場で知り合いになった専門職のみなさまが地域で新しい取り組みをどんどん始めています。

●不特定多数を対象にするイベントを市内で開くと、たいていは会場の定員を大幅に下回る参加者となることが多く、会場設定に本当に苦労します。いずれにしても次回開催の反省と改善の材料です。

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2018.01.12

1/11 2018年4月~3年間の介護保険料の動向

11日、市の高齢者福祉計画及び介護保険事業計画推進会議が開かれ、来年度からの介護保険事業計画の審議が行われるとともに、介護保険料の現段階の改定幅の案が示されました。月末に国から正式な介護報酬改定が確定することから、それをさらに計算に入れて、介護保険料が決定します。現在、委員会では事業計画を最終決定する前まできて、それにもとづいて介護保険料のたたき台が示されています。

体系は今のまま、最も標準的な第5段階で、65歳以上の第1号保険者で月額4650円から4950円となる提案がされています。
保険料増加分として
・介護報酬0.54%上昇分見込み 約25円増
・地域区分の改定(上昇)分 約40円増
・消費税改定や人材確保のための報酬改定相当 約60円増
・特別養護老人ホーム入所増分 約90円増
・1号被保険者の負担割合が介護総額の22%→23%増分 200円増
保険料減額分として
・国からの調整交付金増 約200円減
・介護保険基金からの取り崩し(2015~7年度の残金) 415円減
という内訳が明らかになり、合計200円減分が明らかになりました。
委員が、以上200円減という明らかにされた数字と、介護保険料300円上昇ということの差額500円が、高齢者人口増に連動する要介護者の増加や、介護予防や低介護者への地域支援事業の増加分など、サービスの利用者増分の値上げか、と確認質問したことに、説明する担当次長からそのとおりという答えで内訳を確認しています。
また他の委員からは、4950円となった計算式を示せ、ということになり、次回の委員会で何らかの資料が提出されることが確認されています。

次回31日に、介護保険料改定関連の資料が提出され、推進会議として決定して、市長決裁の後、議案となって市議会に提出されます。

●若年世代の多い朝霞市では介護のピークが他市より20年遅く、2040年と設定しているなかで、基金取り崩して介護保険料を抑制することに不安があるものの、一方で今の介護保険料の残金は、本来受けられるサービスを受けられないことで貯まったものなので、確かに直近で払ってきた介護保険の加入者に戻すことの必要も認識しています。
ただ、介護保険料は、高齢者世代だけが負担しているわけでもないので、全額吐き出さずに、現役世代負担分の28%は将来の介護増大に向けてとっておくべきではないかとも考えます。

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2015.11.08

11/8 安倍首相が和光市のネウボラを見学

安倍首相が和光市の「わこう助産院」を見学して、妊娠から出産、産後生活まで一貫した支援をする「ネウボラ」を視察したというニュースが入りました。

安倍首相にはあれこれ思うところがありますが、これはよいことだと思っています。

私も、4年前に市議会議員になったときから、委員会審議や一般質問でこうした取り組みが必要ではないか、まずは全額自己負担になったとしても、まずはサービスを形成していく努力を役所がしないと、妊娠で戸惑って動けなくなったり、出産直後の育児と生活の両立でつまづく核家族が出たりして、妊娠~産後の朝霞の生活を暗い思い出にしてしまう人が出てこないか、と指摘してきました。

これに対して行政側からは、おとなり和光市であまりにもうまくスタートさせているので、どうも朝霞市はこの問題に尻が重く、やらない理由、理解しようとしない返答が続いてきました。妊娠とお産と育児は完全に自己責任だという考え方です。しかし、妊娠とお産と育児は人間社会があってこそ成立するもので、個人的な責任だけではないのです。
安倍政権が妊娠から産後生活までの政策が必要だ、と提示してから少しずつ風向きが変わっています。

私は、子どもが増えればいいとは考えませんが、せっかく授かった人の命が大切にされるような安心が必要ではないかと思っています。そのために必要な自治体の政策があるのですが、それをピックアップした首相の今日の行動は評価したいと思います。

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2015.07.21

7/21 エスカレーターの片側あけをやめようと鉄道会社が広報へ

鉄道会社と昇降機業界がエスカレーターの片側あけをやめよう、と広報を展開しはじめます。
私は賛成したいと思います。ただしこの宣伝の仕方に問題を感じていて、確かに片側あけをやめるのは、安全最優先のためですが、それを言い募って行動が改まるとは思えません。

片側あけは、急いでいる人が「どけどけ」と言うから行われているのではありません。そんな人はごく一部です。
急いでいる人に迷惑をかけてはならない、と片側に寄っている人たちの謙譲の気持ちから、片側あけが定着しています。その方たちが安全のためだからと、あいている側に、ずうずうし居座ることを始めるとは思えません。

実験では、片側をあけずに2列でエスカレーターを利用した方が、大量の人を早く運搬できるという結果もあります(片側をあけても一部の人だけが早く昇降できて、あけた分、多くの人がエスカレーターの前で行列を作って待たされています)。宣伝としてはそのことを宣伝しないと、ダメなのではないかと思います。

●朝霞台駅のような短いエスカレーターで歩けないからとイライラしている人を見ますが、あの短いエスカレーターで急いで乗ったところでどんな効果があるのかわかりません。そもそもバリアフリーのために設置しているのではないか、とようやく歩けるぐらいの子どもを連れていたときにいつも思っていました。

●デパートやマンションに比べると、駅の昇降機の数は、利用者数に対して少なすぎるのではないかと思います。また、大手私鉄が空前の利益を出しているときに、自治体の公金の支出がない限り設置しないというのもどうかと思っています。

●そもそも・首都圏のJRの快速と各停の乗り換えのような階段利用を前提とした乗り換えを少しでも減らしてほしい(最近は関西でも階段をのぼりおりしないと新快速と各停の間を乗り換えられなくなっている)。

大阪市の地下鉄は、御堂筋線と郊外の一部路線を除いて、日中は5分間隔でそろえてあり、焦って乗り換えても全く効果がないようになっています。そのようなダイヤを組むことも大事ではないかと思います。
大阪市の対比でいうと、東京メトロに関しては、路線によって運行間隔がまちまちで、かつ混雑していない時間でも頻繁に入る「後続電車遅れ」の時間調整があるため、階段乗り換えを必要とする駅で、焦って乗り換えをしているのではないかと思います。

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2015.06.15

6/14 埼玉県の子どもの貧困政策を聴く

Dscn630814日午後、浦和で埼玉自治研センターの公開セミナー「子どもの貧困と自立支援」を拝聴しました。講師は、PHP新書などで貧困問題の著書がある、大山典宏さん。

貧困問題を総合的に救済できるのは生活保護制度をとりまく、「適正化」と「人権」のせめぎあいを示し、そのなかで貧困対策三法として、生活保護法の改正という「適正化」重視、生活困窮者自立支援法という中間的なもの、子どもの貧困対策法という「人権」重視の政策が打たれた。この改正のなかで、自立支援のあり方はほとんど議論にならなかったことが問題と指摘。マスコミも「地味だから」と全く取り上げなかったことも報告されました。

続いて、大山さんが児童相談所勤務だった経験から子どもの貧困の話が紹介されました。親との摩擦でホームレスとなった17歳の少年と出会いながら制度的な穴から自立につなげられず親元返し、その後、18歳を超えたところでまたホームレスになって万引き「終わってしまった」と知った無力感の経験。
数字にも出ていて、相対的貧困率が上がっているわ、ひとり親家庭の貧困率はOECD加盟国で最低なのに、子どもの生活保護利用者数は絶対数からして減り続け、さらには保護されない家庭の方が深刻な貧困を抱えている現状などを示されました。

埼玉県として取り組む政策として、生活保護世帯の子どもの教育支援「アスポート」事業の展開を紹介され、不便であっても特別養護老人ホームという、他人が介在し、仕事も存在する場所で、同じ問題を抱える人たちどうしで集まって勉強していく意義を語られました。関係性が自立支援につかながっている、と力説しました。
この政策によって、埼玉県の保護世帯の高校進学率が86.9%から、97.8%まで上昇する成果を上げています。
また、最近では、18歳から20歳まで、親元にいては人生が台無しになるような人が、落ち着いて進学できるように、貧困家庭に対して住宅提供を開始して、これによって生活保護家庭の子どもの大学進学率が13.9%(東京都が40%、全国が20%)を24%に上げることができたことも報告がありました。

●埼玉県の貧困対策は先進的な取り組みだと言えます。フロアから市町村や教育との役割分担の質問が出たことに対して、大山さんは、役割分担といって仕事を押しつけたのでは解決には進まない、相手がやらなきゃと思うほど踏み込んだことをやっていかないと、改善には進まない、と話されたことが、事態の改善に向かって動いている現実なのだろうと思います。

●翻って朝霞市は、アスポート事業が県の丸抱えでなくなった今年から、単なる学習塾の通塾費の経済的支援の政策に変わってしまいました。議会のやりとりで、行政側は一方的に県がやめた、という被害者意識です。
しかし、子どもにとっては混乱状態にある保護家庭が少なくなく、直接的な経済的支援だけではどうにもならないことも多いということを改めて認識させられました。学力的にも、家庭環境的にも、比較的良好な状況にある子どもしか使えない制度に変質してしまったのではないかと思います。

●18歳から20歳まで、親元から自立しなければ守られない子どもの住宅をどう保障していくのか、課題だと認識しました。親との関係性が悪い子どもが、親の毒から逃げようとしても、住宅を借りるという法的行為には、法定代理人である親に取消権があることから、ダメになってしまう事例はいろいろ聴きます。18歳選挙権でシルバーデモクラシー云々するもの結構ですが、18歳という節目に子どもをどうするのか、もっと自立支援の政策が必要です。

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2014.10.15

10/15 財務省出身者の介護を拒絶せよ

財務省が6%もの介護報酬の引き下げを厚生労働省に押しつけようとしています。

介護労働者の賃金があまりにも低いことは広く知られていることですが、これをさらに下げてくうや食わずの状態にして、どのように人の支援をしてもらう体制を継続しようとしているのか不思議でなりません。

安倍政権が進めるアベノミクスは、企業を豊かにしてやれば労働者の給料も上がる、という神話をもとに、企業への保護を広げ続けて、ついには法人税を下げることまでしようとしています。
給料が上がらなければ個人消費は増えない、個人消費が増えなければ内需が生まれない、内需がなければ景気回復しない、という前提は共有するのですが、問題は、給料上げてちゃんと消費する人と、貯金しかしない人がいて、ちゃんと消費する人の給料を上げない限り、景気なんか良くならないわけです。

そのなかでまさに介護労働者というのは、限界に近い低賃金で、機械化できない人でなければできない仕事を担っているわけで、彼らの給料の改善は、景気回復のために重要なステップになるはずです。月収40万も50万もある人の給料上げたって将来不安で貯金されますが、月収20万、ボーナスや退職金すらあやしい介護労働者の賃金を改善すれば、間違いなく抑えていた消費にお金を回し始めます。

それから、最近の安倍政権が言い始めた「地方創生」が必要になったのは、増田寛也さんたちが衝撃を与えた「地方消滅」するという未来予測です。
増田さんの未来予測は、高齢者がいなくなると、介護や医療の従事者も地域からいなくなって地域が消滅する、という説ですが、そのことは、今が、介護や医療が高齢者の多い地域で若者・中年の雇用を創出し、地域経済を支えるための再配分が行われている、という現実があるわけです。そこを絞ったら、今から「地方消滅」が始まることになります。

こんなことをやって、介護を担う人材が確保できるか、問題が起きてきます。
中村淳彦さんの「崩壊する介護現場」では、賃金が安い、人が来ないのなかで、やってくるのは他の産業では雇わないタイプの人の割合が高く、そのことで、サイコパスのような問題人間と、無気力な人間が職場の空気を支配してしまい、まともな人がどんどん職場を去っているという現実を告発しています。
看護だって良くはありませんが、せめて看護の世界のように、安定した賃金と雇われ方と、社会的ステータスが形成されてこないと、人の老後によりそう仕事の質を維持することは困難です。

そこで今度出てきたのは、介護労働者の条件を引き下げる、というまた「参入規制の緩和」という一見最もな話なのですが、前の段落で申し上げたとおり、そうやって要求する質を引き下げれば引き下げるほど、ダメな労働者が流入することで、良質な介護労働者がやってられなくなる職場ができあがります。

官僚がこんな政策しか打ち出さなくなっていることに、創生だの異次元だの言ったところでどうせろくな未来が待っていないのじゃないか、と不安だけが倍増ということになります。

こんな財務省のあほな企画力でも権力です。しかし財務省の職員は自分たちの将来の介護なんかまともに考えたことがなくて、相変わらず明治維新ばりの天下国家なんでしょう。
そうだとするなら死ぬまで天下国家を夢みてもらっていたらいいと思います。

恐らく、財務省の官僚の年金は、現役の介護労働者(39.54歳月20万1435円日本クラフトユニオン調査)より高いでしょう。それだけの資力があるのに、あんたがたの仕事は社会的には地位が低いんだ、と繰り返し言うような人たちを、介護事業者や介護労働者が介護しなければならないのでしょうか。
全ての介護事業所は、財務省出身者の介護を拒絶するような運動をした方がいいのではないかと思います。

●社会保障というと年金のことばっかり関心向けていると、こうした本当に困ったときのシステムがもっと壊されてしまうことになります。
年金の帳尻なんて、100年スパーンのもの。そこにばっかり関心を持っていると、年金財源が足りない、崩壊する、もらえないという恐怖感につけこんで、体よく財務省が増税しても保険料上げても、お金を巻き上げて借金返済にしか使いません。しかもそんな余裕ができると成果に焦る政治家が、国土強靱化だの地方創生だのと横からもぎ取っていきます。
年金が多少下がることの問題より、本当に困ったときに、機能しない社会保障の方が絶対的に困ります。その困った状況に着目した社会保障政策への関心を高めてほしいのです。

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2014.06.02

6/2 福祉労働者を地獄に叩きこむ朝日新聞の一連の社会福祉法人叩き

朝日新聞が、連日社会福祉法人の内部留保たたきをしている。全国で2兆円ある、といい、税金にたかる前に、待遇改善のためにはき出せというもの。そしてその情報源が財務省である、と臆面もなく書いています。

2兆円という金額に驚いて、思考停止しまいがちですが、この金額が1法人あたり、1施設あたりどのくらいの金額になるのかという感覚が重要でしょう。
その金額で驚かせて社会福祉法人に埋蔵金がある、と思わせる手口だと思います。日本全国に社会福祉法人は1万9206法人(2011年)あり、1法人あたり1億円程度の内部留保がある、ということになります。
これが多いか少ないかは、評者によって分かれますが、私はその程度の金額だと思います。社会福祉法人といえどもその福祉事業をするための建物は、減価償却が必要であり、それは内部留保になる。社会福祉法人には数十ヵ所の施設や事業を運営しているところや、自治体ごとにある社会福祉協議会のように大量の福祉事業をしている法人もあり、1施設になおすと数千万円程度となります。
やや高いかも知れないが、法外という内部留保ではないはずです。

一方、こうした社会福祉法人叩きを始めた経産省は、民間企業を管轄している。その民間企業の内部留保は270兆円にものぼります。赤旗あたりは、それをはき出して賃上げ、と言っていて、私はそのすべてに賛意を示すわけではありませんが、過剰な内部留保を日本の民間企業が貯め込んでいる、ということには同意する。その一部を賃上げや、非正規労働者の正規化、請負、下請け企業への圧力をやめることに使えば、消費の限界にあえいでいる人が消費に使い、日本の景気が良くなるのだが、「非現実的」「内部留保がすべて現金だと勘違いしている」などと反論して、必死に冷笑して却下しています。さらには法人税減税しろしろ政治に圧力をかけまくっているのです。

こうした経産省の手口は、まことに矛盾した姿勢と言わざるを得ません。

こうした力学を読者に紹介せず、経産省やそれに乗じている財務省のいうまま、福祉サービス基盤を不安定化して、壊そうとする朝日新聞の姿勢には不勉強と言わざるを得ないと思っています。

利権という問題よりも、福祉労働者が、奉仕の精神にがんじがらめになっている上に、利権・利権という人たちによって福祉のワークルールの「岩盤規制」を壊され、低賃金、不安定雇用にあえいでいる中で、内部留保が貯まってしまっている、という現実もあるはずです。というなら、利権を壊せではなくて、福祉労働とその対価を記事にすることが大切で、福祉利権などとやってしまったら、ただてさえひどい福祉の労働環境がさらに悪化してしまいます。

多分、この記事を書いた記者たちは、福祉の必要な人、支える人の視点になって何かを見たり聞いたりした経験がないのでしょう。


朝日新聞 5月31日 社福の内部留保2兆円 「待遇改善の財源に」 財政審推計

朝日新聞 報われぬ国第二部 福祉利権

朝日新聞は根拠のない理由で年金不信を煽って、民主党と心中した失敗をしたはずです。

●私は民主党政権誕生直後、労組があるから政治がおかしい、というような産経新聞以下のキャンペーン記事を貼ったので、お金を払って読むのはやめました。つくづく「リベラル」な社会的強者の常識のための新聞だと思います。

●メディアスクラムという悪習で、朝日新聞は指折りひどいやり方をするところだ、と認識しています。

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