6/4 国民健康保険税に投入した3000億円どこへ~人頭税毎年1万円値上げ
5月30日に開かれた市の国民健康保険運営協議会の資料を入手しました(朝霞市会議結果、本日現在資料アップなし)。それによると、国民健康保険の運営を県に集中させていく改革の一環として、保険税を県として一律にしていく話になっています。
そのなかで、県の提案では、均等割(1人あたり均一保険料)が年間約4万2000円となっていて、朝霞市の現在の1万2千円から3年かけて毎年1万円ずつ値上げする提案になっています。
均等割ですから、扶養家族の分だけ取られることになるので、子どもの多い世帯は子どもの分だけ負担させられることになります。びっくりするぐらいの値上げです。また人頭税みたいなものなので、低所得者には軽減措置というお恵みがあるものの、低所得者に定義されないボーダーから上の低所得層の人にはものすごい重い負担になります。
朝霞市の社会保険の加入者の大半が、勤労者向けの健康保険で、一人あたりの保険料がない、完全所得比例のものばかりなので、国民健康保険の均等割を拡大することの異様さなかなか伝わりにくいてのですが、実際に計算するとひどいことになります。これが失業たり、自分で起業したときにそうなるのですから、痛めつけ方がきついものです。
私は県への国民健康保険の一元化には様々なトラップがあると議会で何度も指摘してきましたが、やはりそうなったか、という感じです。
市町村が国民健康保険の保険料の合計を県に納めていれば、市町村のなかでどんな保険税体系で取るかを県が強制する筋合い、地方自治法のどこ見てもありません。どんな権限があって、県が市町村に子どもの多い低所得者を痛めつける権利があるのかさっぱりわかりません。
この均等割を正当化する論理に「応益負担」というイデオロギーがあります。どの人もサービスを受けた分への負担をすべきだ、という考え方で、収入に応じて負担する、というものへの対抗する考え方です。近年、「応益負担」という観念を振りかざして、国民健康保険でも後期高齢者医療でも介護保険でも、1人あたり保険料はいくら、という部分が年々拡大しています。厚労省は均等割:所得割が1:1になるのが望ましいみたいなイデオロギーを振りまいています。
しかし、これは低所得者にとってはとんでもなくきつい考え方で、とりわけ低所得者が集中しやすい国民健康保険でそれをやってよいのかと思うばかりです。
「応益負担」という魔の言葉が人頭税を正当化するので、いろいろ調べてみたら、最初に出てきたのは介護保険制度でした。制度設計されたのが1993~1995年で、最後の非正規雇用が少ない時代だったからできたレトリックであり、新自由主義の経済理論が蔓延し始めた頃の歴史のない考え方なのです。その介護保険制度も、所得に応じて負担の軽減、割り増しをせざるを得ず、当初5段階だったものが、今では最低13段階まで拡大せざるを得なくなっています。
本来の「応益負担」は、低所得者でも払わされる医療でも介護でも負担させられる利用料のはずで、社会保険料まで人頭税をやるのはいやらなしい批判ですが「二重」取りです。
さてこうして問題点はいろいろ指摘できるのですが、市として何ができるのか、改めてきちんと考えなくてはなりません。
財政的な制裁があるので、できない、できないと言っていた、子ども医療費無償化もどんどん拡大してきました。県内の自治体では子ども分の「均等割」人頭税をゼロ軽減している自治体もあります。
あるいは県の方針に楯突いて、人頭税部分を下げて、所得割部分を引き上げて、総額では県にきちんと納入してみてどのような制裁が待っているのかやってみる、ということもあろうかと思います。
残念なのは、県に対する意思を伝える民主主義が、この問題では機能していないことです。市町村と県の間でどんどん決まってしまっています。県議会でもこの問題が争点化された痕跡が見当たりません。民間人でもできる子ども食堂の活動に参加している県議会議員は少なくありません。そうした善行は評価されるべきですが、子ども1人4万2000円もの保険税をかけるような制度をナントカする政策決定は民間人ではできません。本業をちゃっとやってほしいと思ったりします。
あるいは市長会・町村町会の会長がこうした「改革」に、待った、見直せ、とかけなかったわけで、そんなことも問われるのだろうと思います。
国民健康保険の改革では、消費税から年3000億円の財源が捻出されて、各都道府県に財政支援として振りまかれています。しかしそのお金はどこかに消えて、結果として低所得者がさらに負担させられる「改革」を民意との接点もなく決まっていく、歪んだことが進んでいるな、と思っています。
来年以降、徴収の現場である市町村の窓口でトラブルが増えることも杞憂しています。