2008.10.23

10/23 埼玉県のコンビニ規制

環境問題から自治体がコンビニを規制する動きがブームになりつつある。埼玉県もその1つ。しかも埼玉の田舎だけの規制かと思ったら、24時間都市を抱える、東京、神奈川、千葉にまで呼びかけて共同歩調を取るというのだ。

これについて毎日新聞埼玉版が記事にしている。

コンビニの好き嫌い、評価についてはいろいろあると思うし、一般的に言えばコンビニが環境に悪いというのはその通りだと思うが、しかし全体への影響力を考えると、コンビニがスケープゴートにされているようにしか思えない。もっと環境に悪い現象は埼玉県内にはいっぱいあると思う。例えば、脆弱な公共交通機関(都市の密度の割にバスが少ないなど)によるマイカー利用の多さとか。これなんか、私は若い人口が多いことをいいことに、バス路線を撤退するに任せ続けた県内自治体の怠慢によるC02増加ではないかと思ったりしている。マンション業者に阿って開発を次々に認め、結果として、交通量や自然環境の破壊に手を貸してしまった県内自治体の対応も、コンビニの弊害どころではない問題がある。

県の役人は「もちろん微々たる量であることは分かっている。その積み重ねを大きいとみるか、小さいとみるかは見解の違いでしょう」と言って、あえてコンビニだけを焦点にしていることを開き直っている。小さいことの積み重ね、そのためには自由権を抑圧しても構わない、そういう発想の環境運動は最も私は苦手だ。まして、県は権力である。他人の自由を規制するときにはそれなりの被害や公益性、優先度を証明する必要があるだろう。それがなくて見解の違いの一言で済ますのは、公正な行政なのかどうか、疑問である。自由権と公共の福祉のバランスを判断して、効果が大きいとなって、初めて権力による規制が行われなくてはならないはずだが、この県の姿勢ででは民主主義社会にあるまじき趣味の狙い撃ちでしかないように思う。

地域の保守的な感覚の人と話すと、コンビニの回りで起きていることはすべて良くないような話が多い。そういう感情までない交ぜになって、こういう話になってしまうのだろう。地域福祉計画づくりで、10代の子どもたちの活躍の場所をどうするか、という議論をすると、活躍の場所をどう作るかということよりも、コンビニにたむろして、という話ばかりが盛り上がってしまって、くだんの県のような態度になりがちだ。

夜子どもがうろうろするのが問題かどうか、私にはよくわからない。そのことの好き嫌いなら嫌いで、近所に学習塾があって、夜中の9時ぐらいに終わって、にぎやかに帰っていくのだが、ああいうことを子どもにさせていいのか、と感覚的には思う。それから、年中夜更かししていたら、お祭りの日の夜更かしなどが面白くなくなるだろう。

一方で、バンコクや那覇では子どもたちが22時過ぎてもうろうろしている。それで問題は起きているが、ではそれが本質的に社会をダメにしているのかどうなのか、全く証拠がつかめない。証拠がつかめないことを、社会全体で規制してしまうことがどうなのか、冷静になるべきなのだろう。

話が青少年問題になってしまった。

コンビニの公共性に着目した利活用の方法だってあろうし、最近は直営店が増えたが、それでもそもそもは自営業者がやっている仕事で、地域社会に責任を持たせるかたちで公共性のある仕事に協力してもらうことだって可能ではないか。環境問題以外にもコンビニに問題があるとは思うが、営業規制以外の方法で解決したり、乗り越えていけそうに思わないのだろうか。

そもそも満足な商店街を育てなかったために、どこの駅降りてみても、コンビニとスーパーとチェーンの居酒屋しかなくて、コンビニで買い物するしかない生活環境になっているのは、埼玉県の都市計画や商店街育成の問題ではないかと思ったりする。

上田知事は政治家として有能だと思うが、政策に関しては冷静さや客観的視点が足りないように思うところがあって、居酒屋談義的な感覚にとても弱いところが弱点じゃないかと思う。

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2008.10.18

10/15 日経新聞の保育所制度観

国の財政制度等審議会で「保育園行政が少子化を促進」という報告を日本経済新聞の浅川澄一がしている(全労連系だが、保育労働運動をやっている方のブログで紹介されていた)。

子どもを産まないキャリアウーマンが自分を納得させるためにちょうどよい論調が日経新聞で、公立保育所や社会福祉法人の保育所を悪者にして、市場原理が働かないからいけないという落としどころである。しかし、そうした考え方が間違っているということをこのブログは再三再四指摘してきた。そういうやり方の改革を鵜呑みにして進めた介護や医療ではサービスの崩壊が始まっている。

大上段の少子化と保育園の民営化度が関連あるかのような設定自体にムリがある。その上で保育園の未整備が子育てを控える原因になっている部分を取り上げても、それが保育所そのものの主体的な努力が足りないことに問題があるのではない。そこが日経新聞の保育に関する議論の最も間違ったところである。

言っている内容も、民間企業立保育園が善、公立+社会福祉法人立の保育所は悪、という単純な善悪二元論から議論が組み立てられている。

少子化の原因が、株式会社であるか社会福祉法人であるか、という問題設定や、直接入所方式がいいのか今の制度がいいのか、そういうことは無関係である。こういういいがかりをするなら、その因果関係を証明してもらいたいものだ。それは形式や手法の問題でしかない。保育所に関する少子化との関連性では、ひとえに保育所がどれだけ整備されるか、保育所の時間拡大にどれだけ公費が使われるか、それだけのことである。それをせず市場化しても、大量のワーキングプアによって支えられる保育所ができるだけである。就労を支援すべき保育所が、貧困労働者を生産するというのでは、官製ワーキングプアのような問題が起きることになるだけである。

この日経の浅川氏の主張は、イデオロギー過剰、はじめに結論ありきの、論理的検証のない立場である。その上、新自由主義で発言力を得て政治家化している「民間人」と呼ばれる経済人(おそらく子育ても子どもの保育園の送り迎えもしたことのないような、子どもの病気や妻の仕事の都合で残業しない同僚を退職に何度も追い込んで出世した自称「経済人」のオヤジたち)にはこういう論調は受けるようで、論証不可能なこうした言いがかりをまじめに取り上げようとしている。

いくつか個別に間違っているところを指摘したい。

①社会福祉法人の保育所は税金で建設していて、民間企業は自前と書かれているが、社会福祉法人には事業失敗にあたって国が法人ごと没収する制度があるが、民間企業にはない。社会福祉法人の建てた保育所については、個人財産や企業財産にできないし売却もできない。社会福祉法人並みの制約を民間企業が受け入れるのだろうか。それなら民間企業に補助金を出すべきだ。
ただし、今でも、市役所が建設して所有権は市役所で、運営だけ民間企業というかたちが増えている。その場合、民間企業は最も楽な経営ができる。それでは問題だろうか。朝霞市でも10園の公立保育所のうち2園が株式会社が運営している。ただし、民間企業の運営している保育園は、従業員に過大に守秘義務だとか何だとか、箝口する締め付けが厳しすぎて、地域にとってブラックボックスのような保育園になっている弊害も指摘したい。
話を戻し、新築ならともかく、改築のための施設整備を一括で補助金で出すやり方がいいのかという疑問は持っているが、減価償却の考え方で損金として経費計算して運営費に加えて前渡しすることが考えられる。企業会計に慣れているとこちらの方が親しみやすいが、ただし、今の少ない保育所運営費補助金のもとでそれをやって流用されて、何十年後に「施設建て替えの資金がありません」などという問題が起きないのか、中小零細企業の倒産なんかで原価償却費に手をつける話を聞いたりすると、それもまたどうかと思ったりする。

②自治体立の保育所に問題があることは確かだが、それは財政構造や、本庁=出先という関係性から生じるマネジメントの問題で、市場原理で解決できる問題ではない。

③(首都圏の)保育園関係者が、自己満足な論理を展開しがちで、それが非社会化、反ワークライフバランス批判と結びつけるのは、言い得ているところもあるし、そういうところが浅川氏のような批判に結びついていることは共感している。
「親の因果は子に報いさせない」「因果のある親でも適切な支援があれば自ら立ち直っていく」という児童福祉でとってもいい理屈を勉強しながら、保育園に入ったとたんに、「親の因果は子に報い」みたいな価値観の保育をやらされる。関西のような人権教育が意識されない首都圏では、保護者に過大な義務を押しつける保育園が多い。憲法第11条~28条をふまえた保育をきちんとやってほしいという思いはある。
そういうことの苛立ちに、確かに市場化をちらつかせるのは意味がないわけではないが、それは本題の少子化とは関係ない。サービスの内容と評価、苦情解決制度の未整備の問題である。子どもを産むときに保育園のそうした内情なんか意識して産む親はいないから、少子化とは関係ない。保護者は入ってみて「何だこりゃ」と思うか「親の因果は子に報い」思想に染まるかどちらかである。

④貧民救済事業を否定することは妥当なのか。子どもを産めずに働いているのはキャリアウーマンばかりではないだろう。大多数はシングルマザーだったり、パートの女性ではないか。キャリアウーマンこそ、公的な保育でなくても何とかなるだろうし、保育園に余裕のある自治体を選んで引っ越すこともできないわけではない。保育園問題は、今どきのワーキングプアの切実な問題ではないか。しかも就労証明を書きたい放題の自営業や経営者階層のほぼ専業主婦のいる家庭が定員枠を横から取っていってしまうような話もあるし。

⑤介護保険的な保育をめざしているようだが、「介護保険で施設が充実」と主張しているが、特別養護老人ホームなど、保育所以上の待機問題があることが無視されている。そもそも前提に施設整備がなければどんな制度にしても破綻するのだ。好き勝手に中抜けや休める職場か専業主婦なしには介護保険のもとで介護はできないのが実態だ。結果として、利用者に過大な負担を強い、有料老人ホームの蔓延を許してきた。それが成功といえるのか、今の保育所制度より良いと言えるのか、自己選択権のない子どもの福祉に適用できるのか。冷静な検証が必要だろう。
そのなかで、介護の世界で企業参入の効果があったと言えるのは在宅介護だけだが、それも8年経過した現在、日経的価値観のもとで介護保険制度改革を繰り返した結果、ヘルパーの確保が難しくなっている。不景気の下でのビジネスモデルでしかなかったし、参入した業者も人件費をピンハネすることに何の痛みも罪悪感もないような業者が多かった。そうした業者に子どもの保育に託せるのか不安である。
したがって育児保険のナンセンス。待機児童問題の解消なくして、保険などありえない。さらには劣悪業者の排除システムはほとんど無く、人が死んだり虐待でもなければ市場から淘汰もされない。

⑥制度いじりをするにも、認証保育所制度をある程度追認し基準を引き上げていくことが限界。待機児童問題を抱えているのは富裕自治体に多く、そこが真剣に独自財源を使っても保育を推進させることが重要だが、そういう政治的インセンティブはない。
そのためには保育財源をどの程度自治体に渡すか、という問題につながる。民間保育園に対する補助金を、市区町村が出すというしかけになるのかどうか。それが良いのかどうなのか。

●政治的インセンティブで言うと、保育所がちょっと整備したりない、という状況が市議会議員たちにとって口利きなどの仕事の機会を与えているみたいで、どこのまちにも保育関係であの人に頼めばという議員がいたりする。市場原理にすればそれが市役所ではなくて施設と議員と直接結びつくわけで、そういう面倒さも考えたことがあるのだろうか。

●産経新聞が言うように、日経新聞も、もっときちんとした市場原理にさらされたらどうだろうか。新聞の価格カルテルの上に安住している。電車で日経を読んでいる人を見ると、半分の人は、手持ちぶさたそうに、1面と政治欄と社会面と文化面しか読んでいない。
日経って会社も読者も何かずうずうしくなっていると思う。
子どもの頃は、日経を読んでいると、投機に手を出しているような恥ずかしい感覚があったように思う。株をやっている親戚も恥ずかしそうにしていた。いつからこんなに開き直る新聞になったのか。必要な経済紙だと思うけれども。

●日本保険医協会がまとめた、医療の問題を提起するパンフレットを入手。内容の精査のない医師不足を解消せよという主張(今の医療制度のままで医師を増やしても、きつい診療科目からの医師の逃避はなくならず、ザルに水を入れていくようなことになるのではないか)だけは我田引水だが、それも自分たちの集団がそういう立場なら仕方のないこと。労組も業界団体も最低限のそうした主張はしなくてはならないだろう。それ以外の問題の認識はきちんと整理されていてわかりやすいしまともである。小泉構造改革による医療制度改革の批判はきわめて的確である。日経の浅川氏も読んだ方がいいと思う。

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2008.08.13

8/13 規制改革会議が教員の採用や人事に口出し

規制改革会議が、教員の採用・人事で目安箱を設置するという報道。

違和感がある。規制改革とは、そもそも経済の効率化のために規制の改廃を提案する場ではないのか。そういうところが教員人事に首を突っ込んで何か意味があるのだろうか。教員採用や人事は、規制だろうか。制度の問題ではないか。教員の採用や人事が、規制緩和の問題とどう関わりがあるのか見えない。これは教育改革の文脈でやるべきことではないか。

いつもは縦割り行政の批判をする側だが、これは越権行為ではないかと思う。
人事の不当とか集めるのだろうが、いったいそんな情報を集めて何をしようというのだろうか。汚職ではなくても、人事というのは生々しい話がつきものなだけに、教育界の怨恨や内部密告みたいな情報が、政府のさまざまな審議会の中で最もイデオロギー色の強い規制改革会議が掌握することになる。嫌な感じである。

規制改革会議は、政府の諸会議の中で議事映像も、議事録も公開していないような不透明な運営をしているところだ。収集した情報が委員の企業経営者を通じて、政治的な発言を繰り返すような企業経営者やそれに支援されている特定の政治家に流れ、政治利用されていくのだろう。

●インターネットで目安箱を設置するのは、「教育問題」に関心の高いネットウヨを利用しようという魂胆だろうか。

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2008.04.24

4/23 またまた規制緩和ちちんぷい

経済財政諮問会議が正社員化の数値目標を立てるという。

数値目標、という言葉になんとなく嘲笑したくなる気持ちが。根拠のない数値目標って、国家統制みたいな感じがあるし、米袋に石ころたくさん入れる社会主義国のノルマ制の滑稽さを思い出す。

さておき、内容も笑ってしまう。相変わらず職業訓練だとか、ジョブカードという教化所的なもののオンパレード。それからいつも出てくる保育所制度の規制緩和。もう規制なんかほとんどないのに、これ以上引き下げて、何がしたいのだろうか。劣悪業者に公費をばらまく話になるだけではないか。

保育の規制緩和で雇用拡大は実現できないと思う。
規制緩和で保育所が増える、保育所の保育時間が拡大できる、そんな保障はどこにあるのだろうか。保育所を増やすのにネックになっているのはカネと土地確保であり、規制を緩めてもカネや土地が天国から降ってくるわけがない。保育時間の拡大は、保育スタッフへの報酬増につながるが、そこもまともに手当てがされていない。

今日、保育所に入れない人が多いのも、保育所が時間延長をできないのも、規制緩和で保育コストを削ることばかりやってきたからだ。公費をきちんと盛ることなしに、保育園が良くなるわけがない。
あと、入所に地方議員の口利きや申請書類の偽装などが横行し、しかもその偽造や口利きをして入所した子どもの方が保護者が早くお迎えに来たりして、保育園側も歓迎していたりするから、なかなか本当に必要な人に順番が回ってこないという事情もある。

これまでデフレ経済で、人が余っていて人件費を買いたたけたから保育コストを削っても問題は起きなかったし保育事業への参入も楽だった。しかしこの間保育コストを削り続け、規制緩和で質の低い保育所を認めてきたその上で、景気が回復して他産業の人件費が上がれば、保育の担い手が逃散し、ますます保育所が不足する。また、保育士のうち保育をする人も減ることから、現場での人員不足が起き、無資格者や無経験者の保育スタッフが増え、おそらく事故も増えると思う。実際、すでに東京都の認証保育所でそういう問題が起き、認証を取り消された事例もある。

それから今日、保育所が時代に合わないのは、保育の規制にあるのではなく、保守の人間たちが母親に過剰な期待をするイデオロギーをまきちらしていることにあるのではないか。保育所が過剰に保護者に課題を持ち込む、例えば、生きる力だ、親育てだ、食育だという言葉のために、仕事で疲弊している保護者に専業主婦でも要求されない水準のことを要求される。働いて税金納めて、生き方まで保育所に説教されたら、バカバカしくなるものだ。

待機児童問題、保育所のサービスのミスマッチ、保育スタッフ不足、それぞれきちんとした真因分析が必要なのだが、子育てもしたことのない経済財政諮問会議の連中は、思いつきばかりで制度いじりをしたがる。

お金の出所も、サービスの担い手も考えない規制緩和ちちんぷい神話、いつまで続くんでしょうかね。

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2008.03.18

3/18 人間を商売道具にする社会

●堤未果「貧困大国アメリカ」を読む。宮内義彦&八代尚宏の理想社会の地獄絵巻である。
一度転落すると、病院を入口に、医療費のツケから、金融業に隷属して、人材派遣業に半ば人身売買しなければ生きられない社会をルポルタージュ。国家がファストフードに委託して配給するデブ食に依存して生きる人が3000万人。産院で子どもを産湯に浸けてもらっただけで9万円取られる社会。派遣会社に年収650万円の仕事をちらつかされて応じたら丸腰でイラクの戦場で仕事しながら、劣化ウラン弾の放射能で汚染された水を飲む生活。規制緩和&民営化の言葉の裏に、利権まみれの民営化ビジネス。

規制改革会議の甘言に弄されると20年後の日本はこうなる、という見本が書いてある。取材力や問題提起力はすばらしいし、アメリカ社会のとんでもなさが、リアルな表現と適切な言葉選びで紹介されていて、ぐっと実感できる。
しかし、まとめが憲法九条だの環境だの無駄遣いしない社会だの、なんかがっくり。それともっと知らなくてはならないのです、という啓蒙思想。
そういう楽観的な価値提起をする人は、きっと足立区や板橋区やその先にあるようなところに住んだことがないんだろうなぁ。啓蒙なんかされなくても、ひどい扱いをされない社会をつくることが本当は大事なんだと思うけども。貧困ってもっとリアルかつ普遍的な課題だろうに。

●岡本太郎「明日の神話」が渋谷に飾られる。人にいっぱい見てもらいたいという岡本太郎の精神からだと。そんなので東京に決まるんなら、ほんとうにばかばかしい話だ。東急資本が動いたんじゃないかなぁ。絵画や演劇が東急沿線とその延長線上にばかり集中するのはどうかと思う。絵の主題から言えば、広島市にもっていくべきだと思う。

●尼崎市役所の住民票入力オペレーターである派遣労働者のストライキに対してメッセージを書く続きに本文)。

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2008.01.28

1/27 洗脳番組「日本とアメリカ」

会議漬けの毎日。こんなんでいいのだろうか。今日、動かしたことは、音楽テープを確保したことだけ。

●「NHKスペシャル 日本とアメリカ」をきょうも見る。いらいらしながら。
在日米国商工会議所の市場開放要求や金融庁支配の経済構造を作らせること(彼らは縦割り行政の弊害打破という)を紹介し、それがwinwinの関係であり日本人のためにしてやっているんだ、という彼らの宣伝を垂れ流していた。日本に対して、一部の日本人とつるんで行う脅迫的な要求を紹介し、それがあたかも、それらを呑まなければ世界に取り残されるかのように洗脳する番組だった。日経新聞か竹中平蔵にさせられていくようである。
番組終了後に「ブッシュの一般教書演説をもらすことなく紹介する」という番組の案内が流れたことも、何だか嫌な気分にさせられた。私はナショナリストでもないのに。

共済生協の仕事に携わったことのある身から言うと、在日米国商工会議所の主張は、金融業者のメシの種を増やすことではないかと思うようなことがある。在日米国商工会議所は、「イコールフッティング」という名目で営利目的で商品構成も多岐複雑な民間保険業者と同じ社内体制を共済生協に要求している。その結果として、単純な商品構成で、営業費を抑えてローコストでやってきた共済生協に、商品のラインナップにはふさわしくないぐらいさまざまな金融専門職を雇わせることを強要している(私の携わった共済生協では年24億のコスト増)。その結果として、高コストの共済商品となる。

またさまざまなハンディギャップや同業者の互助活動として行われてきた保険的互助会事業をすべて金融庁の監督下におかせることに成功し、高コストで運営することを強要し、それに耐えられない当事者団体や同業者団体は、高い保険料を払うか低い保障で我慢しながら、保険業者に事業譲渡をせざるを得なくなっている。

どこがwinwinだろうかと思う。
こうしたことに何の疑いもなく、反証もせず、ビジネスチャンスだとか、グローバル化とか、winwinとか、定義不明の言葉で国民を脅かす番組に意味があるのだろうかと思う。サブプライムローンの失敗が日本にどんな影響があるのかちゃんと伝えるべきだろう。

売国とか勇ましいこと書いている連中は、中国や韓国より日本を実質的に占拠している在日米国商工会議所に民族感情は起きないのだろうか。経済を支配するこの連中へのチェック機能をサヨクに渡していていいのだろうか。愛国心大好きな古森経営委員長は、こういう売国番組をどう思っているのだろうか。

●戦前の政党政治の興亡をまとめた、岩波「昭和政党史」を読む。
今の日本とは違う時代とは言え、しかし政党が不信をまき散らしていること、政党に自治能力がないこと、貧困層が増えている中で、財界が国民を犠牲にする中で資本の蓄積を進めていること、対外的な脅威に対する脅迫観念が強いことなど、昭和初期によく似ている政治状況ではないかと思う。

●夕方、教員組合に働く友人と自宅近くで再会。伝統ある3000人の研究集会を開くために予約したプリンスホテルにドタキャンされているという話を聴く。労組は舐められていると思う。裁判所もキャンセルは無効だと仮処分を下しており、損害賠償を思い切り取るべきだろう。一方で、何でプリンスホテルなんかに頼んだのかと思う。同社は体育会系を愛好し右翼的体質ではないか。だいたい労働組合のない業者を使うべきではないだろう。しかしこの労組の集会担当者は辛いだろうなぁ。

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2008.01.20

1/22 近江八幡市民病院がPFI事業で行き詰まり

公立病院の改革として注目されていた滋賀県の近江八幡市民病院が、経営難に陥っているというニュース。

「公立病院の非効率な経営」という言い方は、これまで集客能力と医師以外のスタッフの待遇が指摘され、民営化や民間資本の導入などが実験的に進められている。
しかしPFI方式の改革が、高知に続き高コスト体質になって問題を起こしているということは、PFI方式の公益事業に問題があるということを示しているのではないか。

PFI事業とは、公共施設や公共サービスのリースのようなものだと考えるとわかりやすい。自治体や国が民間事業者と契約し、民間事業者が資金を調達し、建物や必要なサービスを作り、一定期間自治体や国はそれを利用料を払って使い、住民サービスを実現する。一定期間経過後は、建物やサービスは自治体や国に移管される。民間資本を民間の自助努力で調達できるというのが効率的になれるような幻想を持たせるが、民間事業者には国や自治体のように入札を義務化されているわけでもなく、PFI事業の背景に、金融業者やゼネコンが入り込んでしまうと、自治体の利用料を狙うカモネギビジネスとなる。

近江八幡の場合も、市民病院の新築でゼネコンにやりたいようにやらせてしまったことが問題だったようだ。身の丈にあわないPFI事業費のツケを、市が市民病院に拠出する運営費に回されるし、今回契約解除を市は検討しているようだが、損害賠償や、民間事業者によるPFI事業の放棄などが行われ、何らかのかたちで市は実害を被ることは避けられないだろう。

●朝霞市も基地跡地の開発でPFI方式を採ると言っている。
朝霞市役所は社会的規制と民法的な所有権とを混同しているし、市民もそれで納得してしまっているから、一度PFI事業体が事業を着手すると「民間事業者が事業推進をしているので、その内容については市としては何も言えません」などと言って、行政責任や社会的規制の問題を財産権や所有権の問題にすり替えて言い逃れし、市民の見えない裏側で市役所とPFI事業体でやりたい放題のことをやって後から市民につけ回ししてくる可能性は高い。PFI事業体での仕事が始まった途端、どんなグレードの施設を作るのか、どんな経費をかけるのか、口出しできないと思った方がいい。市役所が情報の全面公開と、厳しいコスト管理をしていかない限り、基地跡地のPFI事業について市民は管理できないと言ってよい。もっとひどいことを想像すると、公務員が談合に関わったり見返りを受け取って業者選定をやれば犯罪になるが、PFI事業体の幹部が、談合をやらせたり、個人的な見返りをもらって恣意的な業者選定をやっても、相当な損害でも与えない限りは犯罪にはならない。民間業者は社内処分しかありえず、朝霞市民に対するコスト責任などまずないからだ。

シビックコアなど400億円もの事業を、市民がコストチェックできないまま、暴走していく可能性がないわけではない。近江八幡や高知のPFI病院の経営難を見ていると不安でならない。

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2007.12.28

12/27 山口二郎氏に嫉妬したからといっても

パキスタンのブット元首相がテロで死亡。いつかこうなるのでなはいかと恐れていた。ほんとうに残念なことである。

●反小泉ブロガー「世に倦む日々」がまた山口二郎に因縁をつけている。民主党が政権担当能力を示したいなら、一定の増税に言及すべきではないか、という山口氏の話に、官僚すりよりと批判しているのである。
また山口二郎に対する嫉妬と羨望のためにする批判である。こういうところで、世界標準の社会民主主義を知らない日本の左派の限界を感じてしまう。

しかし、これは今日、民主党を雰囲気的に応援している左派のもつ幻想を象徴する文章でもあるので、少し私なりに反論してみたい。

はじめに指摘した方が良いが、社会保障政策を充実せよ、という左派の主張から、増税をせず、税金の無駄遣いを一掃するだけで財源不足を解消てきるなどと考えるのは甘い考えだと思ってよい。そういう甘言を弄されて、増税反対を左派の主張とすることは、後々、社会保障制度の貧困になってしっぺ返しを食らう。保育所待機児童問題、生活保護行政のダメさ加減、ホームレスへの無策、これらは財源不足によって始まったことである。国民負担率だけアメリカや中国並みで、社会保障だけ北欧並みなどという政策は、人口が急膨張して、20歳~60歳人口がたえず急増している事態しか、可能にならない(それも後に年金給付でしっぺ返しを食らう)。

これは私が保育所政策で、規制改革委員会(当時)の市場化路線に対抗する作業の中で、どうしてもぶちあたった壁である。規制改革委員会が指摘するもっともな批判を解決しようとすれば、どうしたって財源投入が必要だが、小さな政府という枠組みをはめる規制改革委員会は、財源投入をせずに解決せよということになる。そうすると、ワーキングプアを大量に使って保育をやれという結論しか出てこない。厚生労働省関係の予算でムダそうだなというものも洗い出してみたが、そんな予算削ったところで、保育の問題を解決できる予算など捻出できるものではないというのが結論だった。政府のいう「中負担」という中では、個々の自治体による差はあるにしても、大枠で今の水準程度の社会保障を維持するのがやっとで、「中負担」では憲法25条の理念など実現できないという実感を抱いた。

税金の無駄遣いを排除すれば、増税しないで済む、というのが「世に倦む日々」の反論だが、ムダの根拠となる数字が何も示されていない。来年度予算での国債返還額と国債発行額の差額が実質的な赤字として、その額5兆円。景気が回復して税収が伸びている中で、やっとこの数字である。5兆円の不足というと、道路特定財源の倍、防衛費総額の1.5倍、支出のきりつめなんかで解決できる数字ではない。景気が悪くなれば、また10兆、20兆という数字にすぐ化けてくる。

この赤字分の支出切りつめをやろうとすれば、支出の半分近くを占める社会保障支出、なかでも割合の大きい年金や医療に切り込まなくてはならない。ところがどうだろうか。年金は世代人口のアンバランスで保険料収入に未来がなく、ますます税金に期待がかかるし、医療は医師不足だ、病院の赤字だ、ということで次々に財政投入の請求書がまわってきている。赤字の自治体国保の問題を解決することも課題である。その上に介護保険はますます大きくなることが予測されている。安倍晋三のように、それらの切りつめをやる、社会保障は家族の責任だ、と言い切ってしまえば、筋が通るが、「世に倦む日々」のような左よりの立場では、そんなこと言えるわけかないだろう。

私は小さな政府論者じゃないので、この5兆を埋め、かつ年金改革など社会保障政策の変更によって必要な財源が求められれば、財源と使途の地方分権も絡めてもう少し増税してもよいと思っている。その選択が、消費税なのか、法人税なのか、相続税なのか、道路特定財源やガソリン税の暫定税率部分なのか、議論のしどころはあると思っている。

赤字国債の発行も選択肢にあるが、今の日本の人口減、高齢化という状況のもとでは、景気の悪い時代にしか許されない。
景気回復期にあっては、赤字国債の返済に取り組まないと、不況期に赤字国債が発行できなくなる。小泉構造改革は、バブル期に赤字国債を解消しおかなかったことによって、赤字国債が発行できないという制約の中から、合理化されて採用された政策であった。小泉構造改革のような愚を繰り返さないためには、景気回復時に赤字国債を少しでも返済しておくことが必要だと思う。

今日発表された公金着服の未回収残高がせいぜい100億。会計検査院が見つけてくる税金の無駄遣いなんて多くたってこの程度。税金の無駄遣い一掃などといったって、個々の選挙区では、民主党の議員は、無駄遣いの一部にはぶらさがっているわけで(うちの埼玉4区も、民主党を支援する地方議員たちが基地跡地の開発の利権にぶら下がっている)、自分が公共事業の恩恵に浴していないからと、勝手なことを言って民主党支持層を煽るのもいいが、それでは政治にも選挙にも政策にもならない。
税金の無駄遣い一掃に期待するのもいいが、それは財源不足の問題とは別問題で、公正な行政が行われているかどうかの問題である。同時に解決しようというのは無理がある。
もう少し新聞でも拾えるような客観的な数字を出して言ってもらいたいと思う。

また経済思想の歩みから言うと、80年代前半に労働界が野党4党(当時)を通じて減税要求をし、後半に当時の野党が売上税・消費税反対に熱を上げ、増税に反対することがあたかも左の正義、弱者保護であるかのように宣伝された。しかしそれは労働者の多くが正規職員で安定雇用にあることが前提の話である。この時代には多くの労働者にとって社会保障給付など考えなくてよかった。安定雇用と安定した賃金がもたらすもののなかで家庭内で社会保障は解決できたからである。
しかし、90年代に入り、不況になって、労働者が不安定雇用に置き換えられていくと、低賃金で税負担がほとんどない代わりになんの社会保障もなく首切りが行われる、という時代に入っていった。一家の大黒柱に稼ぎを期待するのはリスクが大きくすぎるようになった。親が子を育て、子が親を養うには、人口バランスも雇用環境も変わった。企業や家庭内での福祉で対応できなくなった以上、政府部門による社会保障制度にぐっと救済を求めなくてはならない場面が増えてきた。
そうしたときに、右派は、増税反対、個人ががんばれ、家庭を取り戻せ、という主張ですっきりすることはいいと思う。しかし、左派が相変わらず増税=弱い者いじめ、という論理にすがって税金のことに向き合っている限りは、規制改革会議や、経済財政諮問会議、それらのイデオローグであるいわゆる小さな政府論者や新自由主義者などのイデオロギーの軍門に下らざるを得ない。00年頃の社民党の保育政策に多様な保育(時間)に対応するため「規制緩和を進め」という文言が入っていたことを思い出すのだ。

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2007.12.26

12/25 住宅喪失に手を貸す規制改革会議

規制改革会議が、つまらない規制にばかりねちねち蒸し返す、水虫のような答申を出す。
混合診療、保育所の直接契約、マンションの建て替え手続きの簡素化、保育士試験の受験要件の緩和など、かつて議論にけりがついた話の蒸し返しである。

この中のそれぞれが看過できないものが多いが、今回、注目はマンションの建て替え手続きの緩和である。マンション含めコンクリート建築は本来70年はもつものである(地下鉄銀座線や、国会議事堂はまだもつし、同潤会アパートはまだもつけど再開発屋に取り壊された)。しかし、粗悪建築の告発者などの問題提起を悪用して、あたかも35年しかもたないように流布し、40年経たら建て替えなくてはならないような強迫観念を植え付けられている。最近では耐震問題が輪をかけて、公共建築など、耐震強度自身が根拠がなく、さらには耐震強度も大きく割り込んでいるものでもないのに、あちこちで建て替えなくてはならないような雰囲気が蔓延している。

大地震が来てみないと本当のことはわからない。阪神大震災のときの経験からは、耐震強度を割り込んでいるものでもその多くが、部分的に破損しながら使える建物として残るであろうし、耐震強度があると言われている建築物でも倒壊したり、大きく破損する建物も出てくるだろう。

そこにデベロッパー系列の管理会社に任せきりのマンション管理があって、建て替え手続きが容易になれば、どのようなことがおこるのか、恐ろしい話である。

35年かけてローンを返済して、5年、管理費だけで住んで、40年経たら、新しもの好きな人が騒ぎ出して、なんとなく建て替えが前向きなことという「空気」ができて、お金のない人が住宅を喪う、そんなことが部分的に起こってくる。そういう住宅喪失のプロセスを規制改革会議は促そうとしているのだろう。

●レッテル貼りと、嫌韓・嫌中パブロフの犬のような、反戦市民運動系サヨクに共通するダメさを、最近のウヨクに感じているが、そのことを宮台真司がKYという言葉の考察を通していろいろ書いている。参考になる。
政治的取引というのは、「お手討ち」の連続なのだが、それをわからないバカが、国際社会に通用しない自己満足な自己主張だけしようという目標で前政権に群がっていたウヨの人たちだということ。念力平和主義という言葉があるが、あれは念力ナショナリズムというべきだろう。

●NHKは安倍晋三の置きみやげの古森富士フイルムCEOが新会長を推挙し、そのまま決定。民間経営者という肩書きのもとに行われた政治介入に近い。
NHKに民間活力という言葉がよく使われるが、私はまゆつばだと思う。民放は視聴者が番組制作に関して監督したり物を言う立場にない。それがあるのはスポンサーで、民間活力とは、視聴者よりスポンサーを向けという言葉でしかない。
金主のない映像がほとんどない民放のアナログ放送の内容は惨憺たる状況。芸能人どうしがおしゃべりしている番組しかなくて、たまにルポルタージュらしきものがあると、だれでも思いつくような公務員バッシングか官製北朝鮮報道の垂れ流ししかない。そんな現状を見るにつけ、金主がスポンサーであるテレビには構造的な行き詰まりがあるのだろう。
今週の週刊文春にそのあたりをうまくまとめた記事がある。対価を払わない番組はろくでもなくなるということだろうし、対価を払う放送局どうしが競争しあう関係がほんとうはあるべきなのだろう。

●かつて交際していた相手にストーカー行為を受け続けた友人と、長崎・佐世保の銃乱射事件を他人事に思えないなどとメールでやりとりする。
この事件を契機に銃規制の議論が進んでいるが、一方で、一方的な逆恨みの精神病理について、どのように認識してどのように対処すべきか、きちんと共通理解が進んでいないように思う。一方的な逆恨み犯罪は、ストーカーという恋愛問題がからんだことばかり関心が特化している。しかし、今回の事件はストーカー的でありながらストーカー問題ではなく、親友を集め殺害する準備が見られたことから、逆恨みという観点で問題を捉え直すべきだと思う。
また加害者の家族が、いい歳をした息子に経済面で溺愛し、年金生活者でありながら多額のカネを送金していただの、銃だの高排気量のクルマだの、次々に買う資金を与えていたことがとても気になる。

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2007.12.12

12/12 マンションでのビラ配布が違法という高裁判決の暴挙

共産党のビラをマンションの住戸に投函した僧侶を、住民(公安警察の職員だという)が警察に告発し、住居不法侵入罪で起訴された事件があった。それに対して、一審の東京地裁は無罪判決を下したが、検察が抗告して持ち込まれた二審の東京高裁判決が昨日おり、有罪判決とした。

この判決は、共産党ざまあみろなんて思っていると偉いことになりそうだ。政治活動のビラだけではなく、マンションでのちらしを配布されることに迷惑を感じたり嫌だと思う住民が存在するだけで、ほとんど無制限にビラ配布を禁止できるので、すべてのちらし配布、具体的には、商業活動や地域活動、地域のボランティア活動のビラまで、出前のメニューの投函した飲食店の店主まで住居不法侵入による犯罪を成立させる危険性も含めている。

また、事実関係の争いもなく罰金5万円という微罪のために被疑者を23日も拘留し、控訴まで行った検察庁の意図を考えると末恐ろしいと思わざるを得ない。新聞では、やはり検察内でもまずいのではないかと慎重な検討を求める意見もあったことが伝えられている。

被告は最高裁までたたかうと言っているので、がんばってもらいたいし、最高裁の多数派の判事に民主主義の原理にのっとった判決を下してもらうよう期待したい。

●この事件について事実関係について争いはなく、上位法である憲法解釈をめぐって違法性の有無が争われてきた。住居不法侵入の構成要件はあるものの、それが犯罪とするほどの違法性があったかということと、取締の側が表現の自由を規制できるほどの違法性があったか、ということである。
それから両方の面から違法性を認めた内容で、マンション住民に対する社会的働きかけがかなり規制されることになる。

高裁の判決の要約は以下の内容。
①オートロック方式であるか否かにかかわらず、玄関内ドアより先は部外者の立ち入りが予定されていないため、立ち入り禁止できないというのは住民の権利を不当に制約する。
②立ち入り禁止を知っていた以上、玄関ホールを含めて住居侵入罪を構成する。
③政治活動のビラ配布は違法性はない。しかし住民が住居の平穏を守るためマンションに部外者の立ち入りを禁止でき、管理組合の理事会により決定が行われ、住民の総意に沿うものであると認められる。
④しかし住民の許諾を得ていない。
ということで、住居不法侵入罪の構成をしている。
さらに、表現の自由とのかねあいでは、
⑤表現の自由は絶対的無制限ではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限を是認する。
⑥そのため財産権を侵害すること許されない。
⑦マンション共用部分といえども財産権の及ぶ範囲内であり、住民は立ち入りを受忍すべき地位にはないから住居不法侵入罪で処罰しても憲法に違反しない。
さらに
⑧ドアポストの投函以外の方法でビラ配布をすることは可能(マンションの出入り口で待ち伏せしてビラ配布をすべきか)
⑨個別の住民の許諾を得て(どうやってするのか)ドアポストにビラを投函されることは禁止されていない。
⑩住民等が管理組合の決議等を通じてビラ配布のための立ち入り規制を緩和することができないわけでもないことから、マンション住民の情報受領権や知る権利を不当に侵害しているわけでもない。

全体的に判決の内容には、立憲政治の根幹にかかわる問題があるが、とくに問題なのは②の玄関ホールを含めたこと、⑥表現の自由の上位の権利として財産権をもってきたこと、⑩表現の自由について原則自由・例外規制ではなく、原則規制・例外自由を認めたことではないか。
②で玄関ホールを含めると、集合ポストへの投函もアウトということになろうか。このあたりは新聞報道の限りでは不明確なままであるが、「共用部分」「玄関ホールも」ということであれば、マンション住民の情報入手の権利(情報受領権や知る権利)自体まで相当広く否定されていまうことになる。
⑥は、公共の福祉は何を価値に置くかということだが、自由主義社会では、ほぼ無制限に権利を肯定されるべき表現の自由や政治的意思の自由によりも、共用部住居侵入による財産権の侵害に、価値かがあると裁判所が認めたことになる。極端な話になれば、財産権が優先されたということは、持てるものの権利のために公権力が発動されてもいいが、持たざる者の権利のために非暴力の行動を取って公権力が弾圧されても保護される法的解釈はないかもしれないと宣言されたようなものである。
⑩については、自由主義社会の基本的なルールをこの裁判官は理解していないといか言いようがない。私たちは自由主義社会に生き、原則自由・例外規制という社会の根本ルールで生きてきた。それがおかしいということでここ10年、社会全体で規制緩和、規制の見直しを進めてきた。中には乱暴な規制緩和も多かったが、その前提自体は否定されるべきものではなかった。しかし、今回の高裁の判決では、マンション理事会で配布を許可しなければ、住居不法侵入は成り立つと解釈したわけで、迷惑さが明確にならず、情報受領権とのかねあいで、平穏な生活を維持する権利の濫用ともいえる規制強化が認められたということになる。

また過去の政治活動などの現場をふんだ経験からは、③の部外者立ち入り禁止については、マンション管理組合が開かれていないようなできたてのマンションにも管理組合名で掲示されている事例も多い。つまり竣工直後からマンションデベロッパーがエントランスに管理組合名で警告プレートを掲示している事例も多く、これが住民意思かどうかは実に微妙な問題になる。
⑧の異なる方法をとるなどということは極めて不合理な方法であり、マンション住民の多い地域では、今後は駅頭やスーパー前、交差点でのチラシ撒きしかできないということになる。
⑨のちらしを渡すために個別の人の許諾をもらうという手続きを求めている。現在も公選法の解釈では資料の送付等はそのことを求められているが、それがどれだけ難しく、浮動票が爆発的に増える90年代半ばまで、地方選挙ではしがらみだらけの団体しか選挙を動かせなかったことを思い出す。

裁判所が、今回の検察の強硬姿勢を追認し、このような危険な判決を下したことを、社会問題にしないでいいのだろうか、と私は思う。私は管理組合の理事長だったときに、住民の情報受領権を否定することはできず、ちらしなど個々でごみとして処分すればいいことなので、管理員が配布を断ったり、ごみ回収をすべきでないとして対応した。

●この判決を下した池田修という裁判官は、国策捜査と話題になったムネオ事件の鈴木宗男の高裁判決や、オウム事件の遠藤誠一に対する裁判など、政治色の強い刑事裁判をいくつか担当されているようだ。刑事訴訟法の手続きでは有罪にしにくい事件に「そんなの有罪に決まっているだろ」というときの判決書きに使われる裁判官か。検察筋にかなった判決を製造する才能のある裁判官のようだ。

●関連記事
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和光市議・松本武洋さんのブログ
こんな御用判決なら九官鳥で足り

●この判決に対して、ポスティングを、支持者ボランティアの組織化・育成の中心的な取り組みとして位置づけている民主党や、同じくビラ配布を主要な戦術として採っている公明党など、強く批判すべきではないだろうか。共産党だから摘発されたという色彩は強いが、対岸のことだと思っているといつかこれは政治的に厳しい局面で使われることになるのではないか。
ポスティングを活用している民主党の若手議員、人権を重視している社民党の保坂展人などからコメントが見られないのが残念である。

●また、逆にこの判決を利用して、取り締まりが、他の政党の政治活動や、地域の住民運動のビラ配布の規制にまで立ち入ってきたら、逆に、市の広報を投函する町内会の役員や、防犯ビラを配布する協力員、ドアフォンを勝手に押す保健など、ふだんは権力の側でマンションに無断で立ち入っている人々を告訴することを検討しなければならない。あと、権力寄りの読売や産経の販売員なんかも告発してやりたい。読売に関しては無理矢理ドアをこじあけ、「景品だけ受け取って」といって物をとんどんドアの隙間から押し込み、「はい受領書書いて!」とよく見ると契約書だったりして、住居不法侵入どころか、ほとんど押し売りだ。

●過去のビラ配布の経験から言うと、ビラ投函禁止の看板が出ているマンションや、ビラ棄て用のごみ箱がポスト下に用意されているマンションほど、エントランスの汚れがひどいと感じている(調査したわけではないけど)。ポストに投函されるものは自分の家の財産である、という意識が徹底しているほど、ポストまわりをきれいにするものである。必要じゃないものは誰かが片づけるものだという意識で公共の場がつくられれば、汚くなるのは当たり前で、管理人、管理会社任せの対応をしていれば、全住民的に綺麗にする努力が積み重ねられないのは当然である。

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2007.12.04

12/4 利権官庁の独法は守り、国民生活の安全のための独法は潰す

研究機関を中心とした国の独立行政法人が廃止されようとしている。
渡辺喜美行革担当大臣が、国の独立行政法人全廃に取り組んでおり、この影響である。

労働関係の研究機関・医療機関を抱える舛添厚生労働大臣は、あっさりこの提案を前向きに呑み込み、一方で、利権関係の独立行政法人だらけの国土交通省は冬柴大臣挙げて反対し、結局、やりやすいものから廃止ということで、利権関係の独立行政法人が温存されることになりそうだ。

厚生労働省関係の独立行政法人では、労働政策研究・研修機構が挙がっている。大学が産学協同に突っ走っていく中で、企業の研究機関と成り下がっている。その中で、経営側、労働側それぞれの立場で労働政策、労働経済、人事管理について研究している機関で、国の労働政策のシンクタンク的要素も持つ。これが民営化でも、文部科学省に教育機関として改革するのでもなく、廃止ということは、この国の労働政策をどう舵切ろうとしているのか、見えてくる。これは被害妄想だろうか。

一方国土交通省の独立行政法人のうち、都市再生機構、住宅金融支援機構は、天下り先であり、研究機関などではなく営利事業をやっている法人である。まさに利権である。実際、各地でやり方が強引だと問題になっている駅前再開発は都市再生機構が事業を推進しているものが多いし、住宅金融支援機構は、今や大手金融機関のリスクヘッジ機能のためのものだ(それでも役割はないとは思わないが)。
冬柴氏はぬけぬけと「民でやればいいというものではない」と言ったが、そうであるなら今一度厚生労働省関係のものもよく考え直すべきではないか。

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2007.10.30

10/30 いったい誰のPRなのか

食品に関する表示偽装があちこちで摘発されている。第一義的には、偽装する業者が悪いに決まっているが、こうあちこちで出てくるというのは、業界の常識だったのだろう。食品業界でアルバイトしている人たちは、製造している自社の食品について、ほとんど良く言う人はいなかったことも思い出す。

ただし、今回、あまりにも同じパターンで同じような情報が流れていることに、作為的なものを感じざるを得ない。この程度の偽装は、どこでもありふれた話であるし、過去、内部でいろいろな思いをした人があちこちで取り締まる監督官庁等に垂れ込んでいたことがあったろう。それらはみな握りつぶされてきたと思って間違いないと思う。

妄想に近いものだが、今回の日本の食品業界の信用失墜で得をするのは誰か、なんて考えると、アメリカの食肉業界とか、過去、日本の食品安全基準の規制と国民感情の要求の高さに痛い目にあった人たちが、PR会社雇って、様々な情報を新聞や週刊誌に持ち込んでいるからではないかと思うこともある。

摘発されるパターンが類似していることが怪しく感じる。

●食品安全に関するマスコミの報道がいやらしい。守屋氏の問題もそうだが、最初にいろいろな情報を入手しているはずなのに、毎日小出しに、それも話の本筋とは違うスキャンダルまでほじくり返して、垂れ流している。私の職場も過去にそういうかたちでマスコミにやられた経験があるが、検察がマスコミに証拠情報をリークすることを通じてスキャンダル報道を制御しているらしいという話を聴いたことがある。

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2007.10.17

10/17 29兆円もの財源不足?嫌なイデオロギー宣伝

社会保障をこれ以上切りつめなければという試算を内閣府の太田が発表。

ベクトルには真理があるし、一定の社会の水準を維持していくためにはある程度の増税は必要だと思うが、数字が誇張されているように感じる。数パーセントの消費税のみ増税の地ならしと、社会保障を切り込み、自助自立を強調して民間保険業者にビジネスチャンスを提供しようという、金融業界の手先・経済財政諮問会議の既定路線を強調しようという魂胆だろう。

政府発、あるいはこ経済財政諮問会議系の学者の発表する社会保障コストの数字は計算根拠が不明確だ。国民に公開されていない部分も多い。与党や政府は野党の年金改革を根拠薄弱とか言うけれども、年金を中心に十分な統計データの公表していないんだから、考え方の提示しかできなくて当然だと思う。野党の年金改革が税方式になるのも、負担と給付に関係する数字データやほんとうの計算の仕組みが発表されていないからだ。医療や介護などは、将来動向に確たる数字がないから、どうにでも鉛筆を舐められる。そうした根拠を明確にしないうちに、こうした数字を鵜呑みに信用してはいけないと思う。

人間開発という点から、先進国でいようと思えば一定の社会保障の水準を維持することが欠かせない。お産や介護の崩壊というのは、人間開発という面で遅れを取っている現象に過ぎない。

たとえ社会保障費の増大が主に財政を圧迫する問題があるという視点に立ったとしてもだ。社会保障費総額を抑制する議論からスタートするとろくな結果にならないことは、この間の小泉構造改革での社会保障制度の変更で問題が露呈している。

1つには財政構造そのものに何のプラスにもならないで、これまで効率的な給付サービスとなっていた部分からまっさきに潰れていっている。とくに介護も医療も高齢者や障害者の部分では、重度になる前にサービスを受けると負担がひどいので、重度化して手遅れになるまで、家庭内の素人介護、素人療法で症状悪化してから持ち込まれる傾向が出てきている。

また元気のよい高齢者の福祉ばかりが声高に主張されるので、最大の財政支出圧力である厚生年金・共済年金の2階建て部分の制度変更が遅れている。結果として、社会的発言力の弱い、あるいは引け目のある、ひとり親支援、生活保護、障害者介護、高齢者介護、医療、基礎年金の順にしわ寄せが行われ、社会保障給付が豪華客船で海外旅行する高齢者を作りながら、一方で倒れた高齢者がいても何の手当もできないようなことになっている。

また生活保護やひとり親支援などの現金給付も、規制改革会議や経済財政諮問会議が進めてきた無秩序な労働規制緩和で、雇用保護が外され労働条件が労働者にとって極度に悪化したから、受給者の自立が遠のいている面も強い。社会保障を切りつめたかったら、自助自立しながら家庭生活を両立できるような良好な雇用を確保するための施策が必要で、そのためには、何かと労働規制の緩和ばかりを訴える規制改革会議・経済財政諮問会議の考え方は逆効果である。

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2007.10.02

10/2 御手洗会長、八代先生、参考人招致へ

なんか胸がすうっとするようなニュースのようだけども、やりすぎのような、しかし議会って本来こうあるべきとも言えるし、いろいろなことを考えさせられるニュースである。

民主党が、経団連の御手洗会長と、国際基督教大学の八代尚宏教授を、参考人招致して、偽装請負の違法性や、労働法制の規制緩和について質問し追及をするという。

参考人招致というのが、汚職や犯罪の追及というイメージが強すぎるのが問題であるため、やりすぎのような感覚をもってしまうのだろうが、立法と行政監視という議会の役割からすると、本来、もっと日常的に議員以外の人が議会に入るということがあって当たり前なのだろう。行政である内閣や各省が、さまざまな諮問会議を設置して、民間人の意見を聞いて合意形成を図ってるのに、国会がやっていけないという考え方はないだろう。
悪い例としては、本会議も委員会も参考人招致がほとんど行われない地方議会の惨憺たる立法機能を見る限り、その確信を強くする。

労働法制の規制緩和に関しては、民主党も同罪みたいなところもある。労働関係にこだわる専門的な議員たちの誠実な対応の結果として国会内での議論や採決では規制緩和に反対しているものの、労働法制にこだわりのない議員や民主党関係者にはそうした論調を「抵抗勢力」と唾棄するように言う人も少なからずいた。連合の働きかけがなければ2000年前後あたりはどこに転んでいくかわからないようなところもあった。議員も秘書も不安定雇用の見本みたいな業種のなかでそこそこうまく泳いで生きてきている人たちなので、労働法制の規制に冷ややかだったように思う。

この頃、労働法制の規制緩和に疑義を呈している経済評論家の内橋克人さんが、言論界では時代に乗り遅れてお話にならない人、というような扱いを受けていた。「今は女工哀史と同じような時代ですよ。若い人の雇われ方みてみなさい」と話す右派労組の幹部に新鮮な思いをした。あまりにもひどい不況で、規制緩和に反対すると、なんとなく世の中動かないのかなぁ、なんて思ってしまうほど規制緩和チチンプイ神話に毒されていたように思う。

結果として、ひどい労働条件で働く若い人が、ひどい人生、ひどい社会保障、家庭すら持てない展望を抱かせてしまった現実がほころび始めたことや、あまりにもひどい少子化、社会保険制度の空洞化、技能の流出・崩壊など、社会全体にも与える影響が大きくなってしまって、結果として労働法制の規制緩和が問題だったことが認識されるようになった。
あの時代には少数派だった民主党が下した決断も結果的にいい判断をしていったことがわかってもらってきたように思う。

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2007.09.17

9/16 オリックスが民営化病院の院長に賄賂

医療の市場化を要求していたオリックスが、高知の民営化モデルの病院の前院長に賄賂を贈っていたことが発覚。政商宮内のやること、さもありなんだ。

公共サービスの民間払い下げには、こうした問題がつきまとうことを考えなくてはならないが、国鉄方式の行政改革が成功したという神話に、明治時代以来の官業の民間払い下げにこうした汚職めいた話がつきまとい、そのことの損失をどうするかということが、ここのところおざなりになっていたように思う。

社保庁も、民営化すれば効率的な業務になるという話だけが強調されているが、運用されている何百億円もの年金財源というのは、払い下げを受ける金融業者にとっては魅力的な財源である。それがどのように守られるのか、あまりにも議論されていないように思う。
社保庁職員の数億円の使い込みに世論はいきり立っている。それはそれで正しいと思うが、6兆円の政治家・官僚による合法的な目的外使用については、使い込みではないとして、甘く見られている。おかしなはなしだ。

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2007.07.26

7/26 国立大学学長が文部科学省の天下りポストに

●山形大学が、前の文部事務次官を学長にすることにしたらしい。
独立行政法人化で、国立大学は「癒着」という問題に対する変な開き直りをしているように感じる。独立行政法人は、補助金を貰う民間団体という中途半端な存在。倒産もありうるにもかかわらず、公的な補助金を受けざるを得ないという組織である。

そこに監督官庁の経験者がトップでやってくるとは、天下り先の確保ということにほかならなくなる。例え、その前事務次官がどんなに能力のある人であろうと、天下り先としての実績となれば、監督官庁は人事の矛盾となるような人物を次から次に送り込んで寄越し、不明朗な経理操作の舞台にするのが目に見えている。

企業名の冠をかぶせた研究を恥じらいもなくやったり、最近の国立大学は何か変である。
また、独立行政法人の職員の給料が、国家公務員より相当高いというのも問題になり始めている。公的機関の職員の給料が何でもかんでも国家公務員と同じというのも、結構無理があるし気持ちわるい話ではあるが、財政の効率化のために導入された制度にもかかわらず、なにか矛盾しているような感じもする。役所の直営事業と異なり、運営が議会のチェックが効かず、監督官庁と補助金を出す役所だけが口を出せるシステムであることから問題が多いんではないかと思う。
官業の民営化が行政効率の指標になるが、こうした隠れ公務員と、不正を潜在化させるような行政改革を改革というのだろうか。

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2007.05.27

5/27 タクシーは規制緩和で質が上がったのか

●タクシーの供給過剰地域に参入規制が導入される。増車を抑制するインセンティブが何もないため(ふつうの市場は過当競争になれば経営者の収益減になるが、タクシーの場合、そのリスクの大半はすべて運転士の収入にしわ寄せされるため、経営者は同業他社がせっせと増車していればシェアを失うリスクより増車のリスクを選択するい)、タクシーの品質を守るためには社会的規制しかないと思う。
しかし、朝日はわざわざこの記事に解説をつけていて、「規制緩和自体は消費者に利益をもたりした。過当競争のために、既存の業者の保護につながる規制を政府が安易に認めるなう事態になれば、その負担は消費者に回る」などと断定しているが、何をもって「消費者に回る」などと断定できるか。毎度毎度のこうした朝日の論調に、タクシー問題を取材している朝日の記者の質を疑う。規制緩和ちちんぷい万能論の信者だ。日経新聞にでも転職した方がいい。

今は、運転士が睡眠時間切りつめて営業していて、そのことで消費者は安全と引き替えに規制緩和を受け入れているだけ。つまり、過当競争のつけは乗客の安全リスクの低下にしわ寄せされているだけ。サービスなんかちっとも良くなっていない。タクシードライバーの流動化が進んで、道の知らない地雷に当たることも増えた。それでも規制緩和が消費者に利益があるなどと強弁できるのが不思議だ。朝日の記者は国会議員みたいに黒塗りの社用車で動き回っているからわからんのだろうけど。

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2007.05.20

5/19 蒸し返しの規制改革会議

水虫のようにしつこい規制改革会議。昨年のホワイトカラーイグゼンプションへの国民の反発を受けて、安倍政権として格差問題の解決に向けてようやく取り組むことの大半を放棄するよう求めている。

 報告書は、労働分野の問題について「労働者保護の色彩が強い労働法制は、企業の正規雇用を敬遠させる。労働者の権利を強めれば、労働者保護が図られるという考え方は誤っている」と指摘。最低賃金引き上げや、労働時間の上限規制などを疑問視している。
 女性労働者については「過度に権利を強化すると、雇用を手控えるなど副作用を生じる可能性がある。あらゆる層の労働者のすべてに対して開かれた平等な労働市場の確立こそ真の労働改革だ」と表明している。
 具体的には(1)解雇規制の見直し(2)労働者派遣法の見直し(3)労働政策立案のあり方の検討--を掲げている(毎日)

経営者が解雇しやすいように、しつこいぐらい否定されても否定されても同じような答申を出す。一度否定されたものを事実関係や前提条件がひっくり返りもしないのに何度も同じようなことを言い続けることができるのは、規制改革会議ぐらいだろう。国会も、裁判所も、そんなこと認められない。判決も議決も意味をなさなくなる。今や規制改革会議は審議会といったものではなくて、ただの特定権益を要求する圧力団体でしかない。圧力団体はいくらでも同じことを主張しても咎められることはない。もちろん規制緩和で社会の桎梏を取って、国民が暮らしやすい社会にしようなどという当初の大義は誰かのためだけのものである。

なぜ規制改革会議が、新規雇用が発生することを理由に解雇しやすいようにするかは、労働者は解雇を何よりおそれているし人間の尊厳を否定されることを良く知ってるからだろう。新規雇用のためには、今いる人をクビにすることより、新たな雇用創出の方が効果的であることに決まっている。雇用創出のために解雇が必要なら、毎月何人もの人が入れ替わる職場にならなくては意味がない。そうなったら職場は、生産性を上げたり、職場のモラルを維持できるとは思えない。政府になりかわって、社会団体になりかわって、企業が君臨し国民を締め上げる社会、それをめざしているのだろう。この間の景気回復で、新規雇用は非効率な先輩が市場から退出することでは生まれず、やはり経済のパイが拡大して雇用量がそもそも増えなくては始まらない、ということが証明されている。

「開かれた労働市場」などという言葉は笑ってしまう。だったら社長やOBが政府審議会の委員をやっているような大手企業、リクルーターを使った事実上のコネ採用やめたらどうかと思う。昨日も、メガバンクの若手社員ののリクルーターが就活中の女学生にセクハラし逮捕された。大手企業はいまだにこうした先輩・後輩関係で採用をしていることを明らかにした。こんなことが「開かれた労働市場」なんて言えるのだろうか。

また、女性労働者に対する「過度な権利」とは何だろうか。雑誌「エコノミスト」の「娘・息子の悲惨な職場」では、妊娠や結婚したという事実だけで職場を追ったり、子会社の派遣会社に移籍させる会社がたくさん出てくる。この中には政府に最も関与の深い人物が社長をやっている会社もある。「過度な権利」は誰が濫用しているのか、多くの人が改めて共通認識すべきだ。

男女差別的思考の強い規制改革畑の学者・財界人は、「女性労働者に対する保護」という言い方になってしまうが、出産・育児をしながら働く人への保護を言っているのだろうか。社会の次世代の再生のためには、こうした問題は市場原理では動かず、社会的規制でしか動かないため、保護を緩和することは考えるべきではないだろう。今のままでは、最低限の人口の再生産ができず、結果として、需要も労働力も収縮していくことは間違いない。出産・育児が地獄の道でしかない。
財界人はことあるごとに需要と労働力の収縮は問題にするのに、その背景にある自らの経済活動の都合による生活時間の収奪については頬被りだ。

労働政策の決定についても、審議会の労働側委員がいるところで議論するのはおかしいと言っている。この規制改革系の連中は勝手なことばかり言う。経営側と労働側で意見調整できる機関があるから、ストも労働裁判も頻発しないでやってこれたのだろう。労働側の意見を封じられれば、労働条件をかちとるために労働側もストや裁判闘争に移行せざるを得ない。

さらには労働時間の上限規制の撤廃といい「ホワイトカラーイグゼンプション」以上の強烈な主張も入ってきている。残業代不払いどころではない。危険だ。
最低賃金の引き上げも否定している。彼らは低い賃金に見合わない労働者が雇用される口がなくなる、という言い方で正当化しているが、ウソつけである。生活保護水準以下の労働者を放置して利用するだけ利用する社会の果てに、国際競争力以前に、国内市場の衰退が待っているだけである。効率性や社会の維持のためにも、人が家を借り、独居し、適度な余暇を取りながら働ける水準の時給にすることは、決してマイナスではない。また最低賃金の引き上げは、高給取りの給与引き上げと違い、その影響はほぼ全額消費に回り、市場規模を拡大することになる。個々の労働者を雇い入れる判断をする企業は反対しても、社会としては推進すべき課題だろう。規制改革会議の委員たちは1929年の大恐慌を悪化させた発想のままなのである。

最低賃金の引き上げ案で高いと言われる連合・民主党の時給1000円としても、月17万、年収200万に届かない。このぐらいが独居して生計を維持できる最低水準だろう。その程度も払わないで人を雇う企業は、労働者賃金を通して払うべき家賃や生活費の負担を他の家族など誰かに肩代わりさせている。そうして雇われる人はこれまでバラサイトシングルとか、主婦のパート労働だった。しかし、高齢社会になっていくことと、「主人」の年収が上がらない時代に、パラサイトシングルは老親を抱えた大黒柱になり、主婦のパートは先細って行く。

この規制改革会議の連中は、労働組合のある企業の労働者をやっかむ未組織労働者を焚きつけようという魂胆なのだろう。まったく下品な議論ばかり繰り返す。

規制緩和は、人々の経済活動や、国民生活を守ることと無関係な規制を排除して、経済活動を活発化させるために、村山内閣がスタートさせた。その後、99年ぐらいから経済分野の規制緩和に取り組まなくなり、一方で社会的規制の解体にばかり力を入れるようになった。1920年頃のアメリカ社会が理想であると言うようなノリである。
最初には、産業か国民福祉か線引きできない、医療・福祉分野が狙われた。そこでも規制改革会議が自分たちの利権あさりみたいな答申ばかり出し続けて(もちろん中には1つ2つは有効な対策もあったが、頭ごなしに規制改革としてやるのではなく分野で解決すべき課題だったと思う)、制度がねじ曲がったり、地方分権に抵触するようなことがあった。しかもそこまでやっても、待機児童問題も、医療問題も、何一つまともに解決してこれなかった。にもかかわらず、論理的にも、実証的にも否定されていることを、自らの主張の不徹底さにあるような自己評価をし、何度も何度も蒸し返し続ける。自己肥大化する官僚と、それと対決するように見せながら自分たちの主張を勝手に自己肥大化させる規制改革会議は、同じ問題を抱えている。規制改革会議による市場や国民生活への過度な介入とも言える。
規制改革会議の委員なんかに比べたら明らかな社会的弱者にも、安易に既得権者などという言葉を浴びせかける。政財界インナーサークルの運営する公式会議ではもっともいやらしい人たちである。

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2007.04.11

4/11 他人のせいばかりにするな

KDDIの要求で自分の住むマンションで行ったテプコ光の回線増強の工事後、光回線は使えるのに我が家の回線電話が使えなくなった。
KDDIに調べてもらおうとあらかじめ教わった電話番号は、6時すぎていたので留守番電話。KDDIの番号がわからない。やっと見つけた電話では自動応答の声でたらい回しにされたあげくに、出た肉声電話が「ここはauなので関係ありません」。そんなばかな関係あるところに回せと要求したら、NTTの116に聞けと突き放される。

こういうような、ユーザーに不具合が発生したことと、自社の工事のタイミングが一致すれば、自分のところの責任かも知れないと考えるのがまともな感覚だと思うが、KDDIの論理ではそうではないらしい。
埒があかないので、NTT116に電話かけたら、これまた直接担当の人につながらなかったものの、折り返し電話がかかってきて、「何らかの回線異常でつながりませんねぇ。わが社では何もしていませんが、念のためあす伺って調べます。ご在宅でなくても結構です」と気持ちの良いこたえ。

日経新聞を中心に、NTTはお役所仕事で非効率、KDDIは民間企業だから効率的、と宣伝され、私たちは刷り込まれている。NTTが塗炭の苦しみで全国の回線網を維持しているのに、競争が働いていない、と競争神話の人たちから罵声を浴びせかけられ続けている。
しかし、テプコ光がうちのマンションに開通して以後、何度か回線がらみでトラブルがあって問い合わせても、テプコの回線を保有している会社(最初は東電、今はKDDI)から毎度「うちじゃない」「知らない」「NTTに確かめてくれ」「プロバイダーの責任なのでそちらに聞いてくれ」という回答しか来ない。商売道具の回線を何だと思っているのだろうか。私鉄電車が事故を起こして、鉄道会社が事故について「警察に聞いてくれ」、「技術がわからないから国鉄に聞いてくれ」と言っているに等しい。言葉使いは綺麗だが、またそれが余計に人をバカにしているみたいで腹が立つ。
NTTは自社のミスではない問題にも対応するために、24時間スタンバイしている。決して誰かのせいとは言わなかった。

営業の説明が下手だったために、我がマンションの光回線の導入でNTTは敗退した。が、トラブルの対応の姿勢を見ると、これでよかったのか疑問を感じる。KDDIは、民間企業は効率的だ、という神話にあぐらをかいた会社だと思う。

●給食費滞納がやたらにクローズアップされている。その非科学性については、共同合宿所というブログにうまいこと書いてあるので紹介するが、宇都宮市では給食費に保証人まで要求しているという。どうかしている。

宇都宮市の給食は水準が高いことは、見学に行って知っているが、こんなことをやっているとは残念な話だ。
払いたくても払えないような人には、保証人が見つけられない人がいる。一方、払えるのに払わないような人は保証人をいくらつけたって意味がない。

そもそも義務教育課程は無償が原則だというのに、ほぼ義務として食べなくてはならない給食が有償なのはおかしい。公が子どもに押しつける教育の一環なら無償化すべきだろうし、有償なら、食べなかったり、えり好みする権利を与えたらどうかと思う。

さらには、児童手当を引っ張り込むとおかしな話になる。給食費踏み倒している保護者も児童手当を受け取っている。給食費を踏み倒している親が、受け取った児童手当を子どものために使っているとは思いにくい。集合の概念になるが、どう考えても、自分の家計を省みても、児童手当を他目的使用している保護者>給食費を払わない保護者である。

そもそも動機が不純な児童手当という何に使われるかわからない補助金をばらまく前に、給食の完全公営化をやるべきだろう。児童手当をばらまいてお金をあっちに動かし、給食費を徴収してお金をこっちに動かし、銀行に手数料を払っているだけである。不払いだ何だと嫌な思いをさせられるような制度設計をしていることが問題だ。保証人を頼む手間だって、コストがかかる。
少なくとも、滞納される心配があるなら、児童手当から天引き徴収して、実質持ち出しをゼロにしたらいいじゃないかと思う。

●離婚後300日以内に生まれた子どもの父親の問題で、自民党は法改正案を提出しない方向に行くようだ。非科学的な陋習、因果のない因果関係の好きな政党だと思う。

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2007.01.15

1/15 改革ってなんだろうかね

大量の事務作業があった。

●クローズアップ現代で金属価格の高騰を取り上げていた。
欧米の大量な年金資金が投機先を探して、資源価格にまで手を出している結果、使用価値を大幅に超える投機が行われていて、生産の現場にとんでもない影響が出始めている。
私は原材料価格はある程度高い方がいいと思っている。ここ数年、原材料が為替とデフレであまりにも価格が低かったので、省エネやリサイクルがないがしろにされてきた。構造改革イデオロギーのおかげで、社会的価値を規制だ非効率だとぼろかすに言っては無視し、経済的価値の追求に邁進することが、「努力した」ことの証として崇高な人間的価値のように言われてきた。そのしわ寄せは原材料や労働力のコストなき浪費というかたちで現れた。原材料価格が上がるということは、そのイデオロギーの歪みを調整することになる。また、自治体が独占化する傾向があったごみ処理を、かつてのように民間の自律的な経済活動に取り戻すことができる。町内会やボランティア団体の資金確保にも道が開ける。
しかし、今日のように投機の結果として生産現場が傷つき、金属泥棒が横行するような状況はよくない。原資が年金資金ということで、改めて年金制度が積立方式である弊害を感じ、賦課方式の利点を確信した。積立方式だと、大量の不労所得の確保のためにお金が動き回り、結果として働く現場が痛む。ヘッジファンドがアジア経済をぶっ壊したその教訓は今も何も変わっていない。
この裏をかいて何ができるかな。そういえばアメリカのごみ処理は分別もせず原野に放り捨てているだけだったような気が。アメリカの大きなごみ捨て場に再処理工場を造って、ごみの山をほじくり返し、原材料を発掘するのがいいのかもしれない。

●あまりにも企業寄りのコメンテーターばかりをそろえた今回の東洋経済の「労働」特集。人買い会社の社長の奥谷礼子か暴走コメントを寄稿しているらしくて、ブログの世界でちょっとした話題になっている。8年ぐらい前の規制改革委員会での奥谷氏の発言のめちゃくちゃさにびっくりして以来、改革利権のコメンテーターである、宮内義彦八代尚宏と並んで批判してきたが、ようやくそのめちゃくちゃさが世間にも認知されてきて、孤独にやってきた主張が少しだけ報われた気分だ。
愛読している「LovelessZero」が紹介するだけでも10本近いブログ。その中で労政審議会の奥谷氏の暴論が紹介されている
奥谷氏は、ホワイトカラーエグゼンプションを強烈に推進する立場から、労働時間は多様化して出勤時間・退勤時間を多様化すればホワイトカラーエグゼンプションをやっても労働時間は守られるはずだ、労基署は存在意義がない、ひどい働かせ方をすれば裁判で経営者は負けるからそんなことはしない、というむちゃくちゃ楽観的な我田引水発言をしていた。労組でもないほかの委員から、日本の労働者は些細な遅刻で罰則を食らったり、サービス残業を断れば人事で報復されるような国だし、裁判でたたかうといっても資力にそもそもの格差があって話にならない、と諫められている。その腹いせを連合推薦の長谷川裕子委員にぶつけて、「労組が甘やかすからいけないのよ(日本人は労働者が努力しないのよ)」といった発言をしている。
このやりとりをみて、奥谷氏の認識能力を疑ってしまう。個々の労働者の状況については、奥谷氏を諫めた委員の言う通りだろう。企業は金の力をもって顧問弁護士を雇い、文句をいうステークホルダーに話の本筋ではない損害賠償や名誉毀損で恫喝して、相手に法律的費用の負担をさせて屈服させることもできる。個別労使関係など、よほどのずるい労働者でなければ、屈服する自由しか与えられていない。
労働組合が労働者を甘やかしているというのはどういう事実を指すのだろうか。自分の仕事の恥かもしれないが、個々の労働者に労働組合に甘やかしてもらったことがあるか聞いてみろ、と思う。
エキセントリックな経営者は、自分の思うように動かない職場の仲間に、努力しない、使えないという言葉をすぐ投げつける。どうせ、その文脈での「甘やかす」という言葉だろう。奥谷氏の人間観のなかには、自分の政治的支配に屈しなくなることを、努力しないという見方があるのだと思う。改革利権系の経営者は前近代的な人間観、労働者観を持ったこういう手合いが多いと思う。

●山口二郎「強者の政治に対抗する!」を読み始める。改革利権の政商を厳しく批判していてこぎみよい。日本人は人格の統合しているものだという前提が崩れ、矛盾を平然と受け入れる精神になってきている、という香山りか氏の分析を紹介し、批判が批判として成立せず、政治家の責任転嫁が社会の正当性としてまかり通ると前書きで分析している。ここのところの自民党と民主党若手議員の、社会保険庁へのスケープゴート報道、教育水準の低下を教育基本法の改正で解決しようとするやり方、みんなそうである。あまり効き目がないけど奥谷氏の労組批判も。何の因果関係もないところへの煽動でしかない。

●山手線がまた人が線路に立ち入って止まっているらしい。毎週のように同じような問題が起きて、ホームドアもつけるなど物理的な問題解決をせずに、30分から1時間もの全線運行停止ばかりしている。これだけ同じ問題が起きて何の改善もしないのは馬鹿だと思う。首都圏3000万人もいれば線路に入るなと言って通じる人間ばかりじゃないことぐらい想定すべきだろう。モラルだけに頼る問題解決はダメだという見本だ。山手線を使うというのは、かなりの頻度で時間リスクを背負うことになる。私はできるだけ使いたくないと思って、乗り心地や雰囲気が悪くてもなるべく地下鉄を使うようにしている。山手線を使わないと行かれないようなところはなるべく行かないようにしている。

●近所から猛烈なカレー粉のにおい。最初はいい匂いだとおもったが、だんだん強くなって頭が痛い。

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2006.12.25

12/25 いったい誰を何のために守るのか

●規制改革会議が、職場で一定割合の組合員を組織しない労働組合に交渉権を与えないように規制緩和する方向を出していたが、厚生労働省が何とか阻止した新聞記事があった。
最近、派遣労働者や非正社員のひどい労働実態が、個人で入れる労働組合「ユニオン」に加入する人たちの勇気で、明確に社会問題化してきている。労働条件に向かいあった彼らに、経営者たちはひどい仕打ちを行い、正社員との格差をさらに強く印象づけ、働く人たちを分断し、傷つけ合わせている。
1人でも入れる労働組合として勇気ある非正社員や派遣労働者を守り、励ましてきたユニオンの活動を規制するものとして、規制改革会議の企てはとんでもないことだと思う。結社の自由を規制し、労働三権を規制するようなことが平気で行われている。
一方で、社会資源を無視した乱開発とか、景観を壊す土地開発とか、焼畑式の郊外型スーパーの開店、規制外の常設の広告看板、無許可の産業廃棄物処分場についてはほとんど規制されない。やったもの勝ちで、たとえ違法と指弾されても現状復帰されることはまずない。
規制緩和が景気回復と社会改革の特効薬のように伝えられてきたし、前川リポート以来、規制緩和=社会改革とパブロフの犬のように考えさせられてきた。そしてまじめに警鐘を鳴らしてきた内橋克人さんなどを抵抗勢力や左翼よばわりしてきたけど、ほとんうにそんな態度でいいのだろうか。今は経済分野の規制緩和はほんどと行われず、ほとんどが個々人を守る生活分野や労働分野の規制緩和ばかり行われている。規制緩和は何のために行うのか、深い洞察をしていかなくてはならない。

【追記】同じ朝日新聞で、あまりにもむちゃくちゃな規制改革会議の主張が斥けられたことを官僚に屈服して「後退」かのように表現した。平和と文化人のための民主主義を守ることには必死なのに、人々の生活が壊れていることに鈍感な朝日。まったくな左翼リバタリアン新聞だ。

●横浜市で、高さが足りない電線に、ショベルカーを積んだトラックが引っかけて、とおりがかりの子どもが亡くなった事件が報じられている。この高さの足りない違法電線が監視カメラのための電線だったというから、ほんとうに何だかはなしがあべこべだ。監視カメラで犯人は捕まったが、犯罪を予防したことってあるのかな。監視カメラで守られた人っているのかな。
マンションの管理組合の理事長やっていて、設置している監視カメラが意味のないものだと実感してばかばかしい思いをしたことがある。というのも最近、私の住むマンションで根性のねじくれた住民が違法駐車の警告票を毎日数枚ずつ盗んでは1階住民宅の廊下側ベランダにまきちらすことが続いてきた。目撃証言は定まらず、証拠を押さえるのに監視カメラを使おうと思ったが、刑事事件でもない限り見てはいけない、とルール化されていて、見ることを断念した。もちろん、そのルールは大事で、おかしな運用がまかり通れば、財産権を担保する管理組合が治安活動を始めていくことになり、それはとんでもないことが起きうる。したがって監視カメラは使えない。こんな役にもたたないもののために、セキュリティー会社に毎年20万円を垂れ流してきている。設置しないで何かあって住民どうしがもめるより、という組織のガバナンス的判断で設置されて数年になる。新幹線や高速道路と同じで、監視カメラを設置するコストは住民に対する政治工作料みたいなものだ。多分、どんなに意味のないものだと理屈で説明しても、撤去するとなればきっと住民どうし大もめになり、将来にわたって禍根を残すだろう。
最近は、都道府県によっては警察までが監視カメラの営業活動に加担しているという話も聞く。でもやっぱりマンション内の安全のためには、おかしなことに出会ったら、注意する、お互い気を付ける、住民どうしで話題にする、そういうことを不断に続けること以上の特効薬はないと思った。
話は戻して、監視カメラを通じて管理組合や商店街などから吸い上げた高い利用料から、監視カメラを設置したセキュリティー会社がマスコミにばらまく広告宣伝料が効いているのか、マスコミが伝えるのは横浜市の監督責任ばかりだ。違法な電線を設置した当の会社がやりたい放題やっておいて、市役所ばかりが謝罪するのはおかしい。横浜市は電線設置したからと税金を貰っているわけでもないだろうに。マスコミはきちんと設置した受益者の責任を問うべきだろう。

●田原総一郎がおかしいのは、たまにチャンネルを変えるすき間に見るとよくわかる。ずっと見ていると彼の独特の強引さにひきづられて気付かない。
私を含めて視聴者は政治家とか学者の言う言葉はわかりにくい、という先入観がある。田原は気に入らないと、「何言っているんだかわからない!何言ってるんだかわからない!ちょっと○○さん(といって自分の懇意にしている文化人に話しを振る)、この人何言っているんだかわかる?」とわめき始める。すると視聴者はその人の話の難しい部分やあいまいにしか言えない部分を見て「何言っているんだかわからない人」という刷り込みが行われ、たえず「わかりやすく話すべきだ」という脅迫観念に駆られてる当の政治家や学者は一瞬うろたえたえる。そこに田原の主義主張を押しつけて、こう言わなくっちゃ国民にはわからないよ、と断罪する。
一方で、電通と仲良しの政治家には、「ご意見拝聴させていただきます」という態度で、どうでもいいエピソード話を延々垂れ流させる。小泉純一郎や安倍晋三など森喜朗を除く森派の政治家や、胡散臭いベンチャー起業家などたちはこのやり方でヨイショされ続けた。民主党においては前原や小沢側近、松下政経塾出など右シフトがこうしてヨイショされた。ときには同情までして。
田原の出る番組のスポンサーって、日榮とか、KSDとか、怪しい企業ばっかりなのも気になっている。

●地方の同僚が昔、本間正明阪大教授の講演の話題をしていたことを思い出し、我が社とどんなつながりがあるのか調べていたら、90年に社会党が提出した消費税廃止法案のブレーンだったという情報が出てきた。自民党の津島雄二氏がそれを指摘しているらしい。
したがって、本間氏に対して「消費税を上げようとしているのに自分は愛人と官舎で」という安易な批判は間違っている。本間氏は本気で税金を上げようとはしていない可能性がある。今回も、社会党の消費税廃止法案も、自然増収という言葉が飛び交った。根拠のない減税論を信奉しているフシを感じている(だから私は嫌いだし、その政策の帳尻あわせにマイノリティーの支援策が次々にやられていることが下品だと感じている)。したがって消費税増税と官舎問題は別物だ。私は本間氏の税制に対するスタンスの危険性はそれはそれで指摘すべきだと思う。一方、官舎に愛人と住むということは、そもそも小さな政府=官舎を無くすという思想と大きく矛盾するんではないか、と糾すべきだろう。
また本間氏は辞任したが、本間氏に官舎を勧めた財務省官僚が一番のワルで今のところ不問に付されている。当の職員たちがクレクレと言ってできたわけでもない社会保険庁職員の官舎は、マスコミの好餌にされ批判を浴びて、一同雇用すら失いかけていることと対比すると、政治的な悪意を感じる。

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2006.12.21

12/20 まず八代先生が範を示して非常勤講師並みの給料で「既得権益」を手放してみてください

経済財政諮問会議のメンバーである八代尚宏ICU教授が、労働市場改革の方向について、正社員と非正社員の格差是正のために、正社員の待遇を非正社員の水準に合わせる方向で検討する、と発言したようだ。

労働市場の規制緩和が今日のような労働ダンピングを引き起こしていることを無視して、正社員批判。「既得権益」で話をすり替えるのが八代先生の十八番。何だか正体ははっきりしないけどずるそうな「既得権益」というと、正社員を面白く思っていない自営業、不安定雇用労働者、さらにはそうした労働形態の集積ともいえる政治業界の人たちはフィーバーする。正社員と呼ばれる人が、安倍首相のように「給料返上」すればほんとうに公正で公平な社会がやってくるのだろうか。そもそも公平や公正を否定してきたのが八代氏の立場だから、正社員をやっかむ人に「ざまあみろ」というのが仕事じゃなかったっけ。

それにしても、今回の八代氏の処方箋が本当に日本人の働き方の歪みを直す特効薬だというなら、まずは大学、なかんずく八代先生の職場のICUの雇用改革からやってほしい。
大学の常勤の先生は、給料額面こそ高くはないが、研究活動費、出張手当、場合によっては日々の通勤の送迎の自動車やらタクシー代、グリーン料金まで手当されていたりする。しかも大学の経費で研究した成果で、商業雑誌に原稿を書いて原稿料貰っても自分のフトコロに。一方、大学の非常勤講師たちは、時給労働で、研究活動での出張はたいてい自腹、さまざまな経費を削ってなんとかやりくりしている。しかも教授会政治で、有力教授に可愛がられなければ使い捨てだし、教授会の権力構造が変われば、連座して4月から「理由もなく」失業することだってある。その中身は市井のサラリーマンの正規・非正規の格差なんてレベルではない。

八代先生の言っていることが正しければ、まずご自身の大学から労働市場改革のビックバンをやって、自分の待遇を若い研究者たちに「開放」してみせてほしいものだ。年収1000万は取れる経済財政諮問会議の委員をはじめお金になる政府委員をいくつも掛け持ちし、政府情報をネタにあちこちで講演料収入を稼いでいるのだから、非常勤講師なみの給料で生活していけないわけではないでしょうに。

それもせず、せいぜいが年収1000万の大企業正社員と、年収300万の派遣労働者をケンカさせて楽しむような下品なことはやめるべきです。

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2006.12.14

12/13 聖域ある構造改革

東上線の怠慢運転に憤る。
ふだんは最高速度時速70キロ~80キロで走る東上線(それでも遅く感じる)だが、遅れているにもかかわらず時速50キロぐらいで走って、志木駅に着く頃には5分遅れ。
志木駅の駅員が利用者に遅れて申し訳ないと大声で謝罪のアナウンスを入れ、運転士にあてこすったのはナイス。
混雑するし、それなのに前で座っている愚か者(顔はそのまんま東で服装はメンズクラブのまんま。胸にハンカチまで入れている)は足を伸ばしているし、腹が立つことばかりの通勤電車である。

●小さな政府構造改革の旗振り役の本間正明が、あれだけ公務員の特権、公務員削減を声高に主張していたのに、渋谷の公務員宿舎を借りていた。しかも、彼が借りている国家公務員としての籍は大阪大学教授。大阪の大学なのにどうして東京の官舎を借りれるのか。与党の御用学者にはいろいろ便宜を図ってもらえるらしい。まさに聖域ある構造改革だ。転勤で官舎がなくなって不動産屋をさまよう一般公務員はいい面の皮だと思う。

【追記】
実際に住んでいたのは愛人らしい。もてることは悪いことじゃないと思うので、私生活がどうであってもいいけども、自分のカネでやれ、と思う。公共財産を使って愛人宅を借りるのはどうか。本間氏お得意の財政構造改革のしわ寄せで、ばっさり給付がカットされることになった母子家庭の呻吟を聞くと、こんなこと許されるべきではない。我が国は政策決定に影響の大きいこういう国家公務員を放置しておいて、金正日のことが笑えるのだろうか。

小さな政府構造改革系学者は、口を開けば、どんな社会的弱者にも「既得権益」「抵抗勢力」と呼び、自分たちの原理論に見合わない現実は「改革が徹底しないからだ」と非科学的なイメージで世論誘導をしてきました。
ところが彼らの大半は、新たな産業(人材派遣業者など)の利権のために動いたり、こうして自分のコネクションが利用できる公共施設をタダや格安で利用していたりするのが実態です。
政府の審議会で、恩義も借りもないのに、特定の業界に有利な発言をして、タダで済むことがないというのは常識です。

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2006.12.02

12/1 企業は豊かになっても個人が豊かになるとは限らない

ひどいデフレのときには、早く不況を脱出したいと思ったが、景気が良くなっても、この国はちっともよくならない。先のバブル景気のときには、社会の24時間化が進んだ。今日、若者がこき使われるのも、この時代に深夜残業を社会全体が当たり前にするようになってからではないか。景気回復のたびに企業だけが豊かになって個人は摩耗していく。今度の景気回復では、労働者への分配は上がらないし、ワーキングプアが解決される見通しもなく、サービス残業はもっとひどくなるような傾向がある。働く人たちは何を失っていくのだろうか、ほんとうに心配になってしまう。
国益という観点から見ても、金融か知的財産かサービスで食っていくしか未来が見いだせないこの国で、猛烈に悪いホスピタリティーで暮らしている国民が他国に勝る知的財産やサービスを提供できるか疑わしい。バンコクのBTSという都市高架鉄道の受注に土壇場で川崎重工がひっくり返され、シーメンスに決まった。そのシーメンスの作った高架鉄道のホスビタリティは高く、すし詰め満員電車か窮屈な新幹線しか作ったことのない日本のメーカーの弱さを感じた(そう思ったら、日本でも一番高密度なのに遅れないダイヤを組んでいる京急はシーメンスの車両を購入しているという日経流通の記事を思い出す)。

個人の豊かさにつながらない景気回復が、経済成長に悪影響を与え始めているのではないか。昨日読んだ「生活経済研究」の報告で、この間の景気回復は、アメリカの過剰消費、中国のバブル経済、労働コストの抑制でもらたされたと分析されている。さらにこれ以上の経済成長にとってブレーキ役になっているのは個人消費の下支えが弱いことだ、とも分析していて、それはとりもなおさず、労働コストが低すぎる人たちが大きな固まりでいるということだろう。アメリカでの過剰消費にはストップがかかり始めているから、この状況のままでは中国のバブル崩壊や、労働の質が低下することで簡単に経済成長は止まってしまうという。

そういう状況に対する政権の処方箋は、相も変わらず財政を痛めつけながら企業の蓄積を増やすことだけだ。個人消費への処方箋はまったくない。つまり、企業の富を支えるために、企業に対して減税などで直接富を補填するやり方や、労働分野の規制緩和や職安の民営化による労働力コストを抑制するやり方しか出てこない。その方便が「企業が豊かになれば個人にも豊かさがまわってくる」という。サラリーマンが会社が儲からなければ給料がもらえない、という一般常識をすりかえた理屈だ。給料が上がるのは企業が儲からなくてはならないが、儲かった企業が給料を上げるとは限らないし、今回の政権の経済政策は、まさに儲かった企業が給料を上げる必要性を薄らぐ施策ばっかりなのだ。

安倍政権になってメンバー入れ替えした経済財政諮問会議は、人材派遣業の利権づくりに加担するICUの八代尚宏と、偽装請負でやり玉に挙がったリベンジを企むキャノンの御手洗が、労働市場のさらなる規制緩和と職安の民営(営利事業)化を企んでいる。無産者相手に、金持ちや権力が最低限の生活をちらつかせて労働力を買いたたく光景はあさましい。さらに、公務員がやっている職安は非効率なはずだという非科学的な思い込みを前提に、人材派遣業を野に放とうとしている。人身売買を正当化する暴挙と言ってよい。時給3000円受け取って、本人には半分しか払わない人材派遣業の搾取率は、3K労働の風俗産業以上なのだ(都会の話。アルバイトの時給が低い地方では搾取率は6割にもなる場合がある)。

手数料を払う企業に阿って、社会的規制を守らせるインセンティブが働かない、民営化された職安が、働く人の立場を考えた人材募集をするとは思えない。労働分野の規制緩和は、労働契約を企業と無産者個人との契約におきかえ、社会的規制を空洞化させてきた。企業と無産者労働者との関係は一方的なものになっていると言わざるを得ない(中野麻美「労働ダンピング」を読んでほしい)。

法人税率の引き下げも一部(減価償却の残存率の廃止など)を除けば、引き下げそのものはめちゃくちゃな話だ。実効税率が高すぎるという言い方をするが、「実効税率」とは国と地方の税率を合算したもので経費算入や、政策減税などを無視しているから、GDP比の法人税の割合は国際比較でいえば日本は高くない。そもそも実効税率はアメリカの豊かな州の方が日本より高い。
また法人税率が高ければ税金に取られるぐらいならと給料を払うインセンティブが働くか、税率が下がってしまえば内部留保にしておいても損は少なくなる。
どう考えても、この改革で法人の利益が個人に還元されるインセンティブはどこにもないから、個人消費に火が付くとは思わない。

さらに道路特定財源の一般財源化では猛反対する自民党議員たちを野放しにして、財政を食い物にする道路族を甘やかしている。

こうした企業亡国とも言えるような状態は、この国が社会民主主義政権をほとんど経験してこなかった弱さを感じざるを得ない。重要政策を決める政府税調も、経済財政諮問会議も、今は連合推薦委員はいない。中曽根政権時代の自公民路線の財産とも言える、政府の審議会委員を確保して政策実現をめざす連合のスタンスも、そろそろ限界が近づいているのではないかと感じる。無産者を守るために、政権交代の王道を歩くべきなのだろうけど、野党も野党でそこは無産者の味方というよりは、大学教員になりそこねた大学院卒の互助会組織に成り下がっていて、さらに見通しが暗い。

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2006.10.21

10/21 教育バウチャーは子どもの主体的な学習権を保障させるのか

教育再生会議で、保護者に教育用金券を配布して、利用高に応じて学校に納付する「バウチャー制度」の導入が検討されている。教育関係者はあわてふためいているし、当然、日教組や革新政党は反対声明を出している。
保育所の規制緩和のときに、規制緩和派はさかんにバウチャー制導入を打ち上げて、保育園を考える親の会や、保育関係団体が反対したが、共産党以外の政党や、教育関係者は冷ややかだった記憶がある。証拠が手元にないが、社民党の保育政策も、バウチャー制導入含みだった。何を今ごろ、という思いもある。

教育の場合、保育と違い、多くの人に関心のあることなので、バウチャー制導入の効果は出る部分もあるかも知れない。その場合に必要なことは、保護者にバウチャーを渡すのではなく、本人に渡すべきである。また、基礎教育である義務教育課程でのバウチャーなど意味がない。選択制授業のあり、また子ども自身が社会に出ることを意識しながら勉強させる可能性を持つ大学や高校で導入すべきだろう。
またバウチャーを導入するなら1回1回の授業で、電車の回数券のように使うスタイルにすべきだ。それだけのことをやれば、利用者、すなわち子どもの教育権を保障するバウチャー制となる。意欲のある子どもだけが教室にいるようになり、教室の光景も一変するだろう。しかし、通年で一括して使うようなバウチャーなら、授業のオリエンテーションで騙してしまえばいいので、意味はない。また、現在の私学入学のように入学と同時にバウチャーを使うようなものなら受験時に騙してしまえばいい。

電車の回数券方式のバウチャーなら、子どもにとっては、勉強するコストを実感できるようになるし、意味のない授業と感じれば期中でそんな授業に浪費する時間を無駄にすることがなくなる。それくらい本人の権利性を保障するなら、教育バウチャーありだけど、今の私立高校の生徒獲得競争みたいに、子どもそっちのけで保護者を幻惑させ騙すようなことを拡大する改革なら絶対に許してはならない。

●革命的な速度で走る関西の通勤電車「新快速」が福井県の敦賀まで運転し始めた。むかしは京都と西明石の間だけで、京都・大阪・神戸の間の利用客中心の電車だったが、いつのまにか運転区間が伸びて、全然座れない電車になってしまった。おかけで滋賀県の新幹線新駅は要らないという議論ができるわけであるけども。

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2006.10.03

10/3 続再チャレンジなるものの正体

以前のブログ記事で、自民党総裁選の安倍陣営が打ち上げた「再チャレンジ」なるものの正体は、経営者にとって都合のよい雇用の流動化にあるのではないか、と懸念をしたが、やはり本当だったようだ。あちこちで再チャレンジというものに中身がないとさんざんコケにされているので、中身の検証がほとんどされていないが、小泉時代よりさらに悪い色が出てくる可能性がある。

定数4人の経済財政諮問会議の民間委員に選ばれた八代尚宏氏のインタビューが今朝の朝日新聞に掲載された。見出しは「この人に聞きたい安倍新体制 基礎年金全額消費税で賄え」となっていて、その中で「安倍首相の説く再チャレンジ支援策にはどう取り組みますか」という質問に

中心は労働市場の流動化だ。正社員の身分を持ったものだけが雇用が守られるというのは一種の身分社会。非正規社員を正社員に転換する制度を導入するなら、同時に正規社員の過度な雇用保障も見直すべきだ。雇用制度を弾力的にしておく方が、全体として雇用は増加する。企業も安心して正社員を雇える。

と答えている。
「正規社員の過度な雇用保障」って何だろうか。我が国で、正規社員の過度な雇用保障なんて実体があるのだろうか。「雇用制度を弾力的」というのは、おそらくただで残業させる自由(現在議論中)、休暇剥奪の自由、賃下げの自由、解雇の自由(現在一部議論中)、ということだろう。そうでなければ「企業が安心」という理屈がわからない。非正規社員が困っていることを正規社員にも広げ、全ての労働者を経営者にいいように利用できるシステムにしようということだ。

また前々から八代氏は、雇用や社会保障が効率的になるために「市場が決めるべきだ」という論理しか展開したことがない。労働分野については、労働法の諸規制や労使の社会合意などを社会の効率性をそぐと言ってきたことから(本当は規制改革会議の議事録があれば八代氏のトンデモ発言は追いかけられるが、なぜか小泉政権以後作られてきていない)、労働者を守る公的なシステム、自主的なシステムを保障する法律や社会慣習そのものを壊そうという意図があるとみた方がいい。「正社員にしてやる」という甘言で、正社員になれた人たちを妬んでいる階層と、実社会で働いたこともない観念的な研究者や政治家志望の若者が飛びつく、羊頭狗肉の論理だろう。

一方、八代氏の主張の羊頭の部分、つまり非正規雇用を正規雇用にするようなことを言っているが、そんな強制力をどのように持たせるのか。残業させる自由や賃下げの自由、解雇の自由を規制できない社会で、非正規雇用を生活できるような正規雇用に転換させることなど不可能だ。それとも、とんでもない悪い労働条件を法律が認めるような社会になって、それを「正規雇用」と呼ぶのだろうか。

八代氏は、規制改革会議の議長を10年以上も務めた宮内氏の片腕として、雇用、福祉の市場原理による「改革」だけを提言してきた人物。他の3人の委員(御手洗冨士夫キヤノン会長、丹羽宇一郎伊藤忠商事会長、伊藤隆敏東大大学院教授)が専門分野がもっと別にあることから、安倍政権のもとで改革という言葉が使われれば、雇用に関しては八代氏のイデオロギーが色濃く出てくるものと考えられる。

仕事柄、雇用・労働関係のサイトをいくつか見るが、経営者よりの研究家も、雇用の流動化では生産性は上げにくいということを言っている。
私は、社畜型の人材養成は転換すべきだと思う。が、OA化とその後のIT化で仕事の前提となるシステムが複雑化しており、仕事の各現場でスキルやノウハウの蓄積が重要になっている。焼畑農業的な労働政策を取っている限りは、それらの蓄積が各現場でされなくなり、社会進歩があちこちで停滞することになるだろう。八代氏の議論は、労働力を買う売るという関係でしか捉えない、19世紀の経済モデルの議論だと思う。

八代氏の雇用政策を採用した場合の弊害はもう1つある。雇用政策がより流動的で市場原理的にしていくとなれば、労働運動も法律に定められた方法ではない合意を求めていくところが出てくるだろう。日本の労働運動はどんな左翼的組合でも、およそ職場を愛し、経営者側の要求にも応えてきた。それは法律や社会慣習で労使交渉とその結果が守られてきたからだと言える。しかし、そうした法の保護を外せば、今も暴君の支配する中小零細企業の労働運動であるように、経営者を屈服させるために労働者側の破れかぶれの抗戦が頻発する可能性がある。せっかくマルクスの予言を外してきた資本主義の進歩の歴史のねじを巻き戻すことになる。

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2006.09.30

9/30 オリックス宮内の生き霊が政権入り

オリックスの宮内CEOが規制改革会議の議長を退陣し、ようやくひどいイデオロギー支配がなくなると思っていたら、宮内の子分の八代尚宏が経済財政諮問会議の民間委員として入ることになったという。八代氏は、福祉事業の運営は官がやるのがいけないという批判にとどまらず、株式会社が運営しなければサービスの質が悪いはずという、結論から何もかも政策を組み立てようとするトンデモ学者。

私は保育所の規制緩和問題で八代氏の議論をずっと追っかけてきたが、すべての民間保育事業を評価しているというわけでもなく、実は大手保育産業の立場を代弁する発言ばかりだし、大手保育産業に敵対するような保育政策を持つ利用者団体や研究者、専門家を「既得権益」だと質の低い非難を続けた人物である。

首相も大田弘子も、地域で保育所を利用している人たちのことなんて考えたこともないだろうから、宮内氏の生き霊とも言うべき八代氏の意見を鵜呑みにするのだろう。ああ頭が痛い。

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2006.08.04

8/4 ラテンアメリカ左派政権が築く新世界秩序

●今日放送されたNHKスペシャル「ラテンアメリカ」は思ったよりショックを受けた。新自由主義に対する開発途上国の挑戦程度ぐらいしか紹介しないだろうとたかをくくっていたし、私自身はラテンアメリカの左派政権の相次ぐ誕生を喜んだものの、実績については全然注目してこなかったからながら見するつもりで見た。しかし、番組で紹介された南米左派政権の国々では予想外にリアルな国内開発が進められていて、北欧を除く欧州のアイデンティティーを失った左翼陣営より、面白い、と思った。
番組で紹介されたブラジルのルーラ政権が進める、さとうきびを原材料としたアルコールエネルギーによる経済開発政策の効果や層の厚みみたいなものには衝撃を受けた。ブラジルやベネズエラが独自の経済体制をつくってしまい、両国が米州機構の席で規制緩和&何でも民営化に猛然と反発するので、米州機構を新自由主義経済の実験台にしようとしているブッシュが苦虫かみつぶしている顔がいい。
これまでの左翼陣営は、どこかマルクス主義の発展段階論みたいなことや、生産手段の公営化や共有化をどのように進めていくか、というドグマから出発してきたが、南米左派政権は、社会民主主義からも、もちろん共産主義からも全く自由なところから発生しているので、リアリティーから物事を考えているようで学ぶところが多そうだ。
ただし、日本でブラジルやベネズエラと同じことができるかというと、エネルギー問題と、米国との軍事同盟をどう整理するかが問われるけど、今の政権と次期首相内定者はそれを考える以前のレベルで、何もアメリカのネオコンたちの言いなりだからなぁ。小泉構造改革の信者、日本経済新聞の愛読者、規制改革会議の教祖たちのように、アメリカの言うことの10年後を追いかけることが「構造改革」だと信じて疑わない人たちに対する有効なオルタナティプが南米左派政権の国々だと思った。

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2006.08.02

8/2 規制改革会議の保育所改革に拍手喝采していると痛い目にあう

規制改革会議の答申本文の保育所制度の部分を読む。多様な保育とか、利用者の選択とか、高コスト体質などと言うが、いいがかりに近いイメージで議論している。改革の視点が1990年頃に議論されたステロタイプから一歩も出ていない。

多様な保育といっても、規制改革会議の連中はイメージ貧困で、長時間保育と、調理室や園庭をカットしたローコスト運営ぐらいしかイメージがない。利用者の選択は強調するが、保護者が保育所を選ぶ視点を高める仕組みや、保護者が保育所を育てていく仕組みについては全く想定していない。高コスト体質と言うが、それこそコストを無視した暴論である。保育所運営費の算定根拠になっている保育士の月給は、名目19万5千円程度である。これをオリックスのceoや、本業があるくせにあちこちで講演料稼ぎをしている八代尚宏は、高コスト体質と呼んでいる。

彼らは激烈なことを言うと、厚生労働省や保育所を異様にまで守ろうとする労組や保育団体を観念の敵にしているキャリアウーマンやシンクタンクの観念的研究員から拍手喝采受けているが、実は、彼らの議論は働きながら子育てする人のことをこれっぽっちも大切にしようと思ってはいない落とし穴なのだ。

今回見逃せない議論が、「保育に欠ける」要件を撤廃しようと規制改革会議は言っている。つまり、就労しているしていないにかかわらず保護者に平等に保育所運営費をならしてばら撒くと言っている。余談だから、小泉政権や民主党右派の児童手当の異様なまでの執着はこの議論の延長にある。
つまり規制改革会議は、保育所利用者への補助金をカットして、専業主婦にもならしてばらまき補助金にしようと言っている。また応益負担とか言って保育所を利用した人ほど負担を高くなる。つまり今、フルタイムで保育所に預けている人は、専業主婦にばら撒く分の公費負担が無くなるから自己負担を上乗せされ、専業主婦がちょこちょこ保育所に子どもを預れば逆にトクをするという制度改革になるのだ。ましてや保育所と保護者が勝手に契約しろというのだから、保育事業者にとっては金払いのよい夫を持つ専業主婦の方が、保育所がなければ生活が成り立たない母子家庭や父子家庭より優遇されかねない。そうなれば、保育所の激烈な規制緩和のために利用された理論、M字型雇用が少子化をもたらすからM字雇用にならないように保育園を整備する、という前提そのものが崩れる。

前々からオリックスの宮内氏や八代尚宏氏は「保育所に預けている保護者は既得権者」という言い方をしている。今は議事録を取っていないが、規制改革会議の前身の規制緩和委員会(当時は議事録あり)では、八代尚宏氏とポピンズコーポレーションという全国規模の保育産業の社長が一緒になって、参考人として出席した保育園を考える親の会の普光院さんに投げかけた非難・攻撃の言葉が「既得権者」だ。
私は子どもを無認可保育所に預けているが、認可保育所に預けている人を既得権益と思ったことはない。これは多くの保護者の実感だと思う。無認可保育所にジャブジャブ公金が流れればいいのだろうか。モラルハザードにならないか。やっぱり無認可保育所しか選べない地域は、そこの基礎自治体の怠慢が最大の原因だ。

保育所に関しては、きちんと考えもせず、単純な市場経済原理によりかかった観念的議論が多すぎる。規制緩和や民間活力の導入で生産性を改善できるのは製造業だ。JRは民営化で嫌なことされなくなってはきたけど、新宿駅の埼京線ホームを見ても、電車の本数を見ても、満足な設備投資がされているとは思えない。大和総研のこんなレポートもあった。このようなステロタイプなレポートを書いて金になるのだから、うらやましい。少子化と保育所の「高コスト体質」といわれるものに相関関係がない。保育所は少子化対策のツールとは少し立ち位置が異なることを認識しなくてはならない。高齢者にたとえるとわかりやすい。高齢社会だからと介護を整えるのではなく、高齢者が多かろうが少なかろうが介護が必要な人に介護をつけるのと同じである。

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2006.07.31

7/31② 保育所が入所者を選ぶ制度に変わるのか

疑惑だらけのオリックス宮内義彦CEOが率いる政府の規制改革会議(議事録なし)が、保育所の直接入所申し込み方式を再度答申した。1999年に否定されてから、この話を何度も蒸し返して、ほんとうにしつこい。

保育所の直接入所方式は待機児童問題だけを考えれば、いいことだと錯覚してしまうが、これは毒薬だと思ってよい。実際、そうやっている幼稚園を見てみるとよい。朝霞市のように幼稚園も足りない地域では、保護者が入園書類をもらうために早朝から幼稚園の前で並んでいる。受験競争の厳しいときの私立高校受験もそうだった。自由に選べるといのうは、こうした体力任せの選抜が進むということだ。まだ能力も不明確な乳幼児にそんなことをしなければならないのか、というのは疑問だ。
園側も親のサイフを見て子どもを選ぶ可能性が高い。幼稚園では障害児入所が排除され、一部の良心的な幼稚園しか障害児を受け入れていない。受け入れていない幼稚園の言い分は「他の子の発達に十分力を入れられないから」と。いかにもなことを言う。

また、保護者にお金を渡すたぐいなので、行政からの規制が無力化する。保育士の人件費を思い切り切り下げたり、目に見えないコストなどはどんどん切りつめていくことになる。規制改革会議の宮内や八代、専門委員会に出てきている無認可保育ビジネス業界の代表者たちは、例えば調理室の設置など不必要だという議論をしてきたことから、給食は弁当搬入がどんどん進むだろう。園庭がなくたっていい、親がそういう園を選ばなければいいのだ、と言ってきたから、遊び場も十分に確保されないことも違法ではなくなる。食育とか言っている時代に、どうか。

しかも保育所が選べるなんて幻想を振りまいているが、認可保育所が足りない地域は認可保育所水準の保育所もこれまで通り選べない状況は続く。
今は市役所が一定の基準にしたがい秘密主義で入所順位を決めているのが、これが保育園長など現場の裁量だけで後からの検証不可能なかたちで利用者を決めることになる。利用者が園を選んでいる気持ちでも実際には園が利用者が選ぶことになる。これを「逆選択」という。決定過程が密室化し、母子家庭や障害児、発達障害の子など面倒な子をあからさまに入れなかったり、地域の有力者や市議会議員のコネクション、寄附の多い人などを優先入所し既得権益化するのは、介護保険移行後の特別養護老人ホームの事例を見れば避けられない。

選ぶのが子どもでないことが問題だし、専門家ではない保護者が専門家である保育所経営者と情報非対称の関係の中で選ばなくてはならないということから起こる問題である。役所の規制もお金の流れから外れるから、朝霞市のように市の事業でも民間委託しているものは民間事業者のことだから知らないと言うような監督能力がない自治体では、救いようのない事態が起こるだろう。たとえこれ以上の規制緩和していくにしても、石川県のように、しかるべき第三者がアセスメントやケアマネジメントする仕掛けこそ先行してつくるべきだろう。

認可保育所が足りないからと、無認可保育所をそのままお金を流すなどというのは、低水準を固定化させる暴論である。2000年以降の相次ぐ規制緩和で、園庭も敷地内でなくともよくなったし、面積基準もどんどん緩和されたし、常勤規制も緩和された。認可保育所の求められる水準が高いものだとは思わない。それを達成させようとしない事業者たちに、「保護者の選択」という美名のもと公金を使わせるのは利権づくりとしか思えない。

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2006.07.29

7/29 外国人ヘルパーで人身売買をもくろむ人たち

●規制改革会議(宮内義彦オリックスCEO)が、社会福祉士と介護福祉士の外国人参入を開放するよう答申するらしい。宮内氏の盟友に人材派遣業アールの奥谷礼子社長がおり、規制緩和をぐいぐい進めている。利益背反もいいところだ。

本題に戻すと、外国人だからと差別されてはいけないという大義名分を使いながら、実際には差別的価値観にもとづいて導入することなのだ。ヘルパー程度の仕事は、と思っているのだろう。
でなければ、介護労働だけが名指しして外国人を使うなんて制度になるのがおかしい。全ての労働市場を外国人に開放して、外国人も日本人も同じ労働条件・労働法制の適用・団結権や団体交渉権、争議権などの実質的な人権を保障しないと話が通らない。低賃金で不安定な労働条件の職場をねらい打ちして外国人に明け渡すことがよくわからない。
ちょっとでも気に入らないことする外国人は入管送りにし、おとなしい外国人はとことん低賃金で搾取するこの国の外国人の使い方がある以上、美しい話しなんか信用できない。

景気が良くなって、雇用が逼迫してくれば、重労働な割に時給制のホームヘルパーは、なり手が足りなくなることは明らかだ。その時こそ、医師の年収の8分の1程度のヘルパーの労働条件を改善するチャンスだと思う。ところが既得権益の上にいる医療業界や、人なんて安く買いたたければ買いたたいた方がいいという質の低い経営者仲間がこれを回避するために労働力の供給を増やして、ヘルパーの賃金の高騰を回避しようという考え方と、それに一枚噛んで人材派遣業界が金儲けしたいという下心が見えてくる。

社会福祉士に限れば、役所の福祉課職員より相当なスキルで相談業務をする。言語はともかく、文化も違えば生活習慣も違い何でも医療が担うような国の人間がソーシャルワークをやることが適切なのか、ようやく社会的認知が始まった日本人のソーシャルワーカーがそういう人たちと人件費競争させることが適切か、再考が必要だ。

外国人も福祉で働くことも馬鹿にしているとしか思えない、規制改革会議の議論である。

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2006.06.30

6/30② ジンギスカン屋、住宅密集地で屋外営業するな

帰宅してみると、家の前のジンギスカン店「かかし屋」が、ガーデンをつくり営業を始めた。

建設中、煙の臭いや、洗濯物への付着など、マンション住民にとって問題になると思い、過日、マンション管理組合として話を聞きに行った。その際、店長はガーデンでの営業開始前にマンション管理組合との間で営業時間や煙害防止に話し合う、社長に伝えると約束したのに、その後の何の報告もなく一方的に営業を始めた。近隣住民の生活権など無視した、問題行動だと思う。早速、対応をとらなくてはならない。

●職場の研修が終わる。
職場の未来はあまり明るくないなぁ。組合員数が減少することが要因だが、単純な数字の問題だけではなくて、団塊の世代が引退して共通一次世代が組合リーダーになってくると、恐ろしく運動が内向きになっていくような感じがしてならない。また、この世代ぐらいから公務員は競争率が高い中をくぐりぬけたエリートが多数派になってくる。また現業職なども少ない。
組合員数の減少という量的な問題だけではなく、質的にも変化がおきてくる。その中で連帯感の根底にあるものが職からステータスに移行していくことも心配している。

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2006.06.09

6/8 改革は何のため

負け戦となった東京都知事選挙を、先頭立ってたたかって、私などをリードしてくれた村井宗明さんの結婚パーティーがあった。
選挙は負け戦となってくると、投票すら諦めてしまう人が出ないよう、とにかく元気が必要だった。街頭で人一倍元気良く声をかけ、ビラを配り、仲間を励まし、そうしたことができる大切な友人だ。
後に、富山で代議士になる。タカ派のイメージのある小沢派の一新会に属しながらも、平和の尊さや、すべてにおいてアメリカにふりまわされる我が国の政治を嘆いてがんばっている。

●フランス社会党がロワイヤル氏のタカ派路線を否定した。少し安心した。しかし、70年代の社民主義左派の与えられる経済をベースにした復古的なものにならないか、という心配もある。大きな政府という手段で国民の自立支援をめざす北欧の社会民主主義は福祉と経済の両立に成功しているが、大陸の社会民主主義はドイツもフランスも迷走している感じがする。

●家の書籍を整理していたら、93年の規制緩和委員会の答申の冊子が出てきた。職場で廃棄するものをもらってきたものではないかと思う。それを見ると、当時は規制緩和は競争によって生産力が上がる分野に対する産業政策として推進されてきた。各項目ともそんなに違和感がなく、規制緩和が生産性を上げることが洞察できる項目がほとんどだ。
しかし、90年代後半からの規制緩和は、社会サービスや労働など、人間の身をきりきざむ分野、人の安全と取引しなければならない分野だけをターゲットにし始めた。いったいどういう因果関係でその規制緩和が社会全体の生産性の向上や豊かな価値を生むのか、ほとんど説明されてこないで、規制緩和→改革→効率よくなるという決めつけを信じ込まされて洗脳されてきた。
そして、規制緩和委員会・規制改革会議の決定に反する者がすべて「抵抗勢力」と扱われ、その主張は「改革に逆行する」などと報道されてきた。
93年当時の資料を眺めながら、もう一度、規制緩和が何の目的で、どのように進めるべきだったか、スタートに戻って検証した方がいいと感じた。

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2006.06.06

6/6 インサイダー規制緩和

共済の地方組織に加入のノルマを課す会議に出席。

労働組合をベースにした保険・共済が価格でも給付でも有利なのに、なかなか営業力が追いつかないことが痛感。また、職場の仲間という関係性のために、職場の風土によっては売りにくい、統制の強いタイプの強い組合はなかなか売れないという話なども聞く。

●規制改革会議の論調には甘々だった朝日新聞が、ようやく同会議の本質を批判する記事を掲載した。「改革看板、民間人に逆風 村上容疑者と関係/出身企業の不祥事」。
規制改革会議に反する政策決定=改革が止まると決めつけ、規制改革会議の委員たちは、自分の親交のある企業人たちの便宜を図るようなことばっかりやってきた。それに異を唱える委員がいれば政治に泣きついて委員を差し替えしてきた。そんな旧態依然とした「改革」手法を暴露したことはいい仕事だ。

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2006.06.05

6/5 93年政変の歴史解説はうんざり

竹中治堅「首相支配」中公新書を読む。ちっとも面白くない。93年政変以後の権力闘争をおさらいし続けるだけで題名の権力分析が全然されていない。新進党がピケを張ったから崩壊したとか、河野洋平は村山から政権をもらい損ねたとか、政治改革ごっこをドラマ風に話したがる政治少年のおしゃべりを超えない。「筆者を叱咤激励し、完成を待ち続けた中公新書(あとがきより)」は辛かっただろう。

首相の権限は少しずつ強くなっていることを政治学的に考えることは、重要なテーマだと思う。その原因の大きな理由は小選挙区制を中心にした選挙制度にあると思うが、それだけではない。透明性を重んじる市民社会への移行や、社会の中間組織の求心力の低下を背景にしながらも、さらに経済財政諮問会議に代表される首相の権限行使を支援するシステムが少しずつ整えられていることもある。そうしたメカニズムの解説は歴史解説の中で全く語られていない。そして、最後は郵政民営化は首相支配の成果だと歌い上げて歴史解説はおわる。これでは政治学じゃない。

●村上氏の「みなさんが私のことを嫌ったのは私が儲けすぎたからだ」と言ったが、それだけじゃないと思う。本業が何だかわからないような会社や、投機仲間ともいえる不動産業者の株をあれこれやってぼろ儲けしても、変な奴がいるなぁ、ぐらいにしか思わないが、鉄道会社や百貨店、TBSなど、必ずしも株主が育てたとは言い切れないような公益性の高い仕事に手を出したからだ。暴力団ヤクザと同じで、カタギに手を出したことが間違いだったと思う。
村上氏を育てたと、マスコミに追っかけ回されるオリックスCEOで規制改革会議の議長、宮内義彦が逃げ回る姿が笑える。規制改革会議と規制緩和業種の間のインサイダー・ブローカーそのものだ。

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2006.05.14

5/13② 運動体が金融事業に噛むことのメリット・デメリット

マンション管理組合を支援するNPOの会議に出席をする。全国団体が各加盟組織の意向に気を配らず、共済事業をやりたいとアクセルを踏んでいることに対して、共済を抱えている組織にいる私から意見を聴きたいという話だった。

労働組合の共済事業は、かつて生命保険が未開拓の分野を保障する運動として始まり、全労済がそれなりに知名度のある共済に成長したことを見て、成功と評価できる。しかし、全国団体が提案するマンション保険は、内容も不明で、民間保険の不備や問題点をきちんと整理されずに共済事業に乗り出すような話だった。それは市場性の見えない話で、事業失敗を想定すると危険だから反対した方がいいと意見した。
昨今のアメリカ政府、在日アメリカ商工会議所、金融庁の共済締め付け(規制強化)政策を見ていると、資力のある民間損保に改革を求める方が実現しやすい。後発の共済は何かと規制されるだろう。
マンション管理組合の全国団体としては、民間損保会社にマンション保険の制度改革や保障充実を求めた方がいいのではないかとも意見した。

運動体と共済事業との連携と緊張関係のバランスもなかなか難しい。また事業のお金や事務工数に振り回されるのではないかと思う。

●村上ファンドが国内を廃業して、シンガポールに脱出。税金逃れを指摘する意見が多いが、何か後ろ暗いことがあるのだろうか。本当は金融庁が要求する報告書提出などの規制から逃げるためだろう。
嫌なことしかしない人物だ。彼が手を出しているのは公益性の高い企業ばかりで、TBSも阪神も松坂屋も、不動産の再開発計画で周囲からあれこれ取りざたされている企業ばかりだ。株主価値とか言っているけど、土地利用に一枚噛んで、再開発利権の分け前に首突っ込もうというのが真相だろう。

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2006.05.05

5/5③ タクシーより朝日新聞の規制緩和はどうなのか

帰省先の大分から帰宅した。風邪のキャッチボールで寝たり起きへぼたりの一週間だった。
別府市では、市内楠港跡地の郊外型スーパー誘致をめぐって、賛成反対論がねじれ入れ替わり大混乱のもと市長が辞任、市長選挙の前段でいくつかの話を聴いて帰れた。跡地利用の決定に影響を与える市の有力者がその隣接地に土地を買っていたり、そんな利権めいた話もあるようだった。
朝霞市においても、基地跡地利用についてさまざまな議論があり、混乱しているようだ。混乱はいいと思うが十分な合意なく前に進むと、別府市のような混乱に発展するのではないかと思った。また逆に前に進めることに抵抗する側も正しいことだけではなく反論をしていかないと、利権がらみ政治がらみで進む計画なのでなかなか容易ではないと思う。

●毎度のようなタクシーの規制緩和について論じているようで論じてない朝日の社説に腹が立つ。
受験競争に勝ち抜いて、自助努力だけで生きてきた記者らしい記事だと思うが、規制緩和以後、働く人のおかれた状況と安全軽視のタクシーの状況に同情しながら、規制緩和・市場原理で進めた改革は逆回転できないから、働く人の給料と事故件数を公開して客が選べるようにしろ、と。
あほかと思う。朝日に入るような高学歴のリベラル派は、戦争反対と大学の学費値上げ反対ぐらいしか政治的ポリシーを持っていないんじゃないだろうか。自分たちは高給取りで会社からさまざまな特権を与えられており、自分たちより弱者の規制緩和・市場原理を享受できる立場だから否定できない。左翼連中を応援したり、格差社会について結果についてわあわあ騒ぐわりに、規制緩和については同情しか見せず、システム的問題を何一つ掘り下げられない。毎日新聞より相当認識が悪い。
また、客が主体的に全知全能の情報力で選べるということを過信している。数あまたあるタクシー会社のどこがどうでなんて誰もしるよしもない。タクシーにうんちく垂れる奴と一緒には外出したくないな。
安全を考えて働く人の給料が高いタクシー会社を選ぶ人はいるだろうけど、より多くの人はもっと人件費の安い会社があるではないか、人件費を下げればもっと運賃下げられるんじゃないか、という風になるのではないか。
こんな論説をする朝日の幹部社員には、記者の給料や経費、誤報の内容などを比較検討できるように朝日新聞は公表できるのか、と聞いてみたい。高い給料払っているのに誤報やでっち上げ記事が多い新聞社はどこだ、という風になるのではないか。
さらには、業界団体が報道という力を武器に、政治家や自治体に働きかけまくって、一切の規制緩和の議論を発生するところから潰しているのが新聞業界ではないだろうか。記者クラブ制度という独占システムと、タコ部屋労働の販売店という搾取システムで読者に高い新聞を売りつけ、高給と他の業界ではありえないが一介の記者が黒塗り社用車を利用できるのが朝日新聞ではないのだろうか。

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2006.05.03

5/3 公益企業は誰のものか

阪神電鉄の株を村上氏がほぼ半数抑えたことで、役員の半分をよこせと恫喝されている。

阪神電鉄は、この間の不況下でも民営化後スピード勝負でやってきたJRとの対抗上、電車の本数も増やしたり、神戸からは行きにくい大阪のミナミに直通する新線を建設する計画を打ち出すなど、施設は古くても、乗客サービスをあげてきた。しかも沿線はほぼ開発を終えた成熟市場のもとで。私は東京のとにかく詰め込んで運べというメッセージしか感じない通勤電車に対比して、阪神電鉄は公益企業としての使命をよく果たしてきたと感じている。

ところが村上が目をひんむいて乗り出してきて、株主の利益優先主義をおしつけてきている。阪神電鉄のおかれた状況からいって、梅田の土地の間接的な投機狙いであることは間違いないだろうし、経営体質の改善ということになれば、すでに成熟市場に走っている電車で、売上高も思うように伸ばせないだろうから、経費削減しか考えられない。となれば、無駄に電車を走らせるな、バスを整理しろ、と公益企業としての責任やサービスの切り落としになりかねないと思う。

こうしたみんなのためにある公益企業が、特定の株主のために翻弄されている。村上氏もおそらくその取得した株式のうち大半は自腹ではなく、どこかから資金調達したか、あるいは誰かが買ってくれた株を借りているのだろう。何かおかしいし、こうした電鉄会社はいったい誰のためにあるのか、ということを考えると悲しくなってくるような話だ。公益企業を対象にしたこうした投機には一定の社会的規制が必要ではないかと思うし、一歩間違えると公益企業はすべて国営でなければならない、という議論をひきおこしかねないと思う。

村上氏には、すでに取得時の株式価格の倍程度になっている株を放出しキャピタルゲインをほどほどに取って、早々にお引取りをお願いしたいと思う。

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2006.04.21

4/20 会計検査院の仕事の妥当性

会計検査院が、日銀の出張手当が不正に支給していたと報じる記事があったから、よく読んでみると、何のことはない、規定が実費だから、格安切符で出張いった職員が差額をうかせていたことが問題だと。

そういうものかな。不正と言えるかな。

実費とは何か。実際にかかった費用なら、格安切符など使わず、場合によっては席が空いていなかったなどとウソをつきグリーン車やファーストシートに乗った方がいいことになる。
出張旅費や交通費は、席の格や、割引運賃の使い方、経路など、条件によって測定不可能な要素がある一方、例えば、正規運賃なり、往復割引運賃なり、最短経路と条件を決めれば、一定の費用が算出できる。そうやって合理的に基準を杓子定規に当てはめて支給するものではないだろうか。

実費をほんとうに使ったお金としてしまうと、ほんとうにいくら使ったのか、公務員や日銀の庶務担当職員を増員していちいち点検しなくてはならないし、その持ってきた領収証が妥当かどうかもチェックしなければならない。そんな公務員の内々のための職員増員が会計検査院のミッションからして妥当なのかどうなのか。
あるいは、出張のふくらみも無くすだろう。たまさか出張先に旧知の人や親戚がいて会いに行ったり、泊めてもらったり、場合によっては公費では見にいけないような視察とまでいかないような見学をしてくることもあるだろう。そういう場合に、出張の前後に有給休暇などを取ってやりくりすることになるだろうけど、それが実費を厳格に捉えてしまうと、どこまでが実費なのかわからなくなってしまう。

公務員や準公務員のモラルについて厳しい視線が注がれていることと、ポピュリズム政治が増税なき財政再建みたいな夢物語をまきちらすから、会計検査院がこんな細かいことに目くじらを立てて喜々としている。しかし、公務員や準公務員になりたかったけどなれなかった庶民のひがみを鎮め、溜飲を下すだけで、何の意味もないだろう。

会計検査院はもっと大きな不正に目を光らせてほしいと思う。あまり旧橋本派を叩きたくないが、日本歯科医師会が1億円もヤミ献金しようとしたのは、1億円の何十倍もの税金が歯科医師に流れてくるメリットがあるからだろう。だとするとその何十倍ものお金が不正ではないのか、政策的に妥当性があるのか、判断する方が効果的ではないだろうか。マンション耐震偽造事件などでも、業者のミスや不正が、なぜか自治体に請求書が回ってきている。こんなことも会計検査院が検査し、妥当かどうなのか検査すべきではないだろうか。

公費で接待がまずできない昨今、格安航空券で浮かせたお金で出張先の人たちと十分にコミュニケーションを図り、出張先でお金を落とせばいいんじゃないかと思う。

●衆議院千葉7区(松戸・流山・野田)の補欠選挙で、民主党の候補がキャバクラ嬢だったという怪文書が出回っている。敵陣営よ、職業差別するなよ。キャバクラ嬢に一財産巻き上げられた恨みでもあるのかな。
ありとあらゆる仕事が機械やコンピューターが取って代わるこの時代、キャバクラの仕事は、人間でなければできない数少ない仕事ではないか。また、戦前の女性文学者や社会運動家の妻・パートナーなどにも、当時でいうキャバクラ嬢的な存在、カフェーの女給を経験した人が多い。
埼玉とか千葉は、選挙になると、公職選挙法もおかまいなしに、差別感情に全面的に訴えかける下世話な怪文書がよく配られる。それだけ、良く言うと保守的というか、悪くいうと出自や品行などへの下世話な差別感情で選挙の判断をする人がいるのだろうか。愛人がいようが、不倫をしていようが、風俗嬢であろうが、息子がグレていようが、政策には全く関係ないと思う。本人の政治的能力や主張によってのみ政治家を選ぶべきであろう。まだ利益誘導に乗る有権者の方が健全だ。

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2006.04.19

4/19 ヤマト運輸が賞味期限偽装に協力

ヤマト運輸が水産会社と一緒になって、イクラの賞味期限のラベル張替えをして偽装に協力していたというニュース。ヤマト運輸は当局から受けた「注意について」という釈明を出しただけで、謝罪ひとつしていない。

ヤマト運輸は構造改革商人のなかでも比較的良心的だとは思うが、普通の企業では謝罪しないで済ますことは通用せす、企業イメージに甘えたおごりに見える。

郵政公社がローソンと取引しようとしたら、独占禁止法すれすれの圧力をローソンにかけたり、最近のヤマト運輸のやり方はあまり誠実ではない気がする。

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2006.04.17

4/17 そもそもから考え直そう

文部科学省が教員OBを使って、学習塾に通えない子どものための公立塾を始めるというニュースがある。これについては和光の松本たけひろ市議と同意見なので、リンクを紹介します。

最近、学力低下だからとどんどん子どもを拘束して勉強させ学習塾に通わせ、人間力やコミュニケーションが足りないからと義務的に遊ばせ、ガリ勉じゃいけんからと芸術やスポーツの習い事までさせて、とにかく子どもたちを縛ろうとする。その結果、子どもはコンビニで晩御飯を調達しなければならず、深夜街をうろうろせざるを得なくなっている。そして子どもが深夜に超えだして帰宅しているのを見て、深夜徘徊や非行が深刻化していると問題にして騒ぎ立てる。いったい、子どもをどうしようとしているのだろうか。

子どものときの思い出がそんなことしかない子どもが我々より豊かな社会をつくれるとは思えない。

マンション耐震強度偽装問題で話題になったきっこのブログから、日経の社長の歯医者をやっている弟が診療報酬の架空請求をしていたらしい。民事訴訟になっている。
民間活力崇拝の日経社長にして、弟が公共事業である歯医者をやっていたとは・・・。さらには公務員の存在は税金の無駄遣いというような論調を張る日経社長の弟が、最大の税金の無駄遣いである診療報酬の架空請求をやっていたとは。
構造改革を声高に言う連中の言行不一致にはあきれるばかりだ。

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2006.04.07

4/7 外患罪を適用できないものか

毎日新聞の「縦並び社会」は今週から規制緩和委員会の活動の弊害について、深く掘り下げていてよい。何だかよくわからないけど規制緩和はいいことだ、というばかな風潮のなかで、自分は改革派と呼ばれたいと思っている人たち相手にしんどい会話を続けてきた私にとっては、規制緩和派のえげつないやり方を次々に露わにしてくれる毎日新聞の連載は、とっても胸がすっとする。

きょうの毎日新聞では、規制改革会議の委員が、国内の規制に外圧をかけるようにアメリカに要請している話が紹介されている。そのことで、障害者家族どうしの保険的な互助組織が弾圧されている話を紹介している。

障害者の家族どうしがお互いが潰れないように、予期せぬわが子の入院などで生活が立ち行かなくならないようつくっている保険的な互助組織が保険屋と競争条件が同一じゃないと規制がかかる。では、保険屋も障害者を受け入れてやってみろと言いたい。意味のない人海戦術の営業、内勤の職員には高い人件費を払い、テレビコマーシャルをバンバン流し、それでいながら障害者を拒絶して、自由競争において、自主的な互助組織や、民間共済事業に勝てないとは、何が規制改革だと笑ってしまう。しかも自分たちでは解決できないからと、外圧を使うなど。

障害者の家庭の生存権なんかちっとも顧みない保険業界、昨日紹介した行政支出を搾取する大手保育業界、そしてそうした業種に甘い汁を与える規制改革会議は、外国と通じ、国内の生活や社会保障をずたずたにし、税金を浪費している。私はナショナリストではないが、こうした態度は、日本の中立化という国策をめざすソ連のために便宜を図った一部野党政治家と非難されるべき条件に遜色はない。国民生活に影響も大きいだけに刑法の外患罪を適用できないものだろうかとも思う。

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2006.04.06

4/6② 構造改革の推進が口伝でされているとは


●小泉首相の規制緩和を推進している、政府の総合規制改革会議が法律で定められている議事録も作成していないというとんでもないことが、毎日新聞で明かされた。
規制緩和は、国民生活のさまざまな犠牲や収奪の上に成り立っており、そうした政策を推進するにあたって、オーラルヒストリーしか残らないというのはどうかと思う。保育の規制緩和がどんな議論されているのか私は確かめたくて、前身の規制緩和委員会の議事録(今は非公開となり議事概要しかない)を読んだが、おそろしく人民裁判的な審議だった。
ちょっとでも議長や座長の意に反する意見を言うと、委員であろうが公聴会の参考人であろうが「既得権益にしがみつく」などの罵詈雑言に近い批判を、規制緩和で儲かる業界の委員と一緒になって浴びせかける。そんなことやっていることにやはり後ろめたい思いがあるのだろう。自分たちの都合の悪いことは証拠を残さず、しかし、自分たちが攻撃する相手には、評価だドキュメント管理だと現場では実行不可能な水準のことを求めて追いつめるやり口は、公正ではない。

次期政権には、この規制改革会議の解散を公約にしてほしい。

保育の規制緩和のその後の動きを見ると、大手教育保育産業は、自治体からの保育事業を受託し彼らがそれまで批判してきた「高額」な補助金を受け取りながら、保育士に満足な賃金を払わない。マルクスの言うところの剰余価値の搾取そのものをやって既得権益化しているのは、まさに大手保育教育産業だった。どんなに劣悪な保育をやっても、保育士が逃げ出そうとも、自治体の弱みを握って委託解除されない。改革の結果にびっくりである。

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2006.03.14

3/14 最悪を回避する格好良いライバル

池袋の西武百貨店で買い物していたら、品切れで、店員さんが申し訳なさそうに「東武百貨店ならあるかも知れません、電話で聞いてみます」という。お願いしたら、うれしそうに「ありました、お取り置きするように伝えておきますね」と言い、気持ちよく見送ってくれた。
一方、東武百貨店も、気持ちよく待っていてくれた。

この西武と東武、池袋の駅をはさみ、熾烈な競争を繰り広げてきた。売上高では西武の方が勝っているが、質の面では、東京一の面積を活かして、ゆったりとした陳列、品揃えの豊富さで、やや東武の方が軍配あるような感じがする。ウインドウショッピングでも東武の方が見応えがある。

そのライバルのデパートも、自分の方にこうして売り物がないときには、お客さんをお金を使わせずに返すのではなく、ライバルでも品物を買ってもらって満足してもらう、そのことを優先していることに奪い合う競争だけではないいい社会のヒントを見せてもらった気がした。
商売にもならないことに手間をかけてくれたのだから、西武百貨店にお礼状だそうと思う。

一方、帰りは急いでいて池袋からまっすぐ東上線で帰りたかったけど、有楽町線回りしか乗れない定期券。ここではライバルでもない鉄道会社どうしが縄張りを厳格に守って不便を強要している。残念だ。

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2006.03.12

3/12② 構造改革推進の知識人は足立区に住んでみよ

ゆすり・たかりの西村真悟が未だに拉致被害者の救出という任務があるから議員辞職しないと。ヘンだ。有罪になったらどうせ辞職させらるのだから。
国会議員が拉致被害者の救出をしなければならないと思うが、西村氏は適任ではない。犯罪容疑者が外国に向かって人権の正義を唱えても、揚げ足を取る材料にされるだけだろう。早く他の政治家に拉致被害者の救出という任務を委ねるべきだろう。西村真悟がいなければ救出運動ができないという状態も本来は困ったことではないか。

●今回の文藝春秋が面白い。佐野眞一「ルポ下層社会 改革に棄てられた家族を見よ」は圧巻。修学旅行の費用や給食費、教材費、果てはノートや鉛筆など学校にかかるお金を自治体が補助する「就学援助金」の受給する子の比率「就学援助率」が42%2万人もいるという足立区に佐野が入り、区役所、前の共産党区長、貧困の当事者たちを取材したレポート。
足立区でもたった13年前までは就学援助率が16%だったのにあっという間にこんなになった。区の区税収入が339億だが、今では生活保護費だけで300億の支出。この比率は全国一ではないか。東京都23区の交付金制度がなければ破綻している。

景気回復で周囲が勝ち組だらけになってきた世田谷や目黒に住んでいる人には実感されないが、首都圏でも特定の地域に、増加した「負け組」が集中的に住む様相を示している。足立ほどではない朝霞も含め、「負け組」が住める地域に政権に意見を具申できるような学者や評論家はまず住まない。だから格差社会の実感が政府のコメントから出てこない。
足立区は、何を考えてか学校選択制を取っているが、就学援助金が話題になるような区だから、バス代も払えない子が42%もいる。その子にとって学区外通学なんて夢のまた夢の話になっている。足立区の非負け組家庭は学区外通学で不人気校を露骨に避けて特定の学校だけに入ってくる。足立区の不人気校は、希望喪失のふきだまりになる構造をもっていて、深刻な状態のようだ。

本田由紀、山田昌弘、世耕弘成、宮崎哲弥の「日本人は格差に耐えられるか」の対談も面白い。本田、山田が格差を個々人の内面や努力の問題ばかりにして、と責めるのを、世耕が人間性で吸収していく。一般社会でチームワークできなさそうな宮崎は格差肯定論で本田を冷やかす。宮崎に説得力なし。世耕がいちばんトクしている感じもする。
高橋紘「現代版壬申の乱への危惧」の論点は興味深い。天皇になるべき人は物心つく頃から帝王教育を受けなくてはならず、物心ついてから帝王学を教えても意味がない、そういう観点から皇位継承はなるべくもしもの条件を排して長子が継承すべきと言う。まさにその通り。また昭和天皇と西園寺公望公が、野心ばかりでできのわるい宮家の始末にどれだけ苦労したか紹介している。
武部の過去の政治的足跡を検証した「日本一のイエスマン武部勤の正体」も面白いが、武部の今がわからん。岡田尊司と斉藤孝の対談「脳内汚染が子どもをむしばむ」は思想的願望を科学のように見せて話し、めちゃくちゃ。このことについては別に書きたい。

西村真悟被告、地元講演で衆院議員辞職を改めて否定
 自民、公明両党から辞職勧告決議案を提出された衆院議員・西村真悟被告(57)(弁護士法違反などの罪で公判中)は12日、地元の大阪府堺市で開かれた集会で講演。

 自身の進退について、「私の議席には拉致被害者救出という任務が付与されており、その職責を果たすためにも議員の職は放棄できない」と述べ、改めて議員辞職しない考えを明らかにした。
(2006年3月12日20時32分 読売新聞)

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2006.02.14

2/14② ハゲタカ業者に狙われる自治体業務

マンション強度偽装事件で問題になっているデベロッパーヒューザーが関係の深い伊藤公介議員を使って産業再生機構のホテル競売に口利きをお願いし、結果としてヒューザーが落札したというニュースが出ている。

官製談合で公務員を処罰する法律が検討されているが、やっぱり官製談合の裏側には、こうした政治家の圧力があるということを状況証拠ながら裏付ける結果となっている。そしてもちろん伊藤公介代議士は、ヒューザーの舎弟議員だということも。

●今国会で立法化される国や自治体業務の民営化の手法「市場化テスト」の学習会が職場であり出席する。
これまで役所の仕事の民営化は、役所が実施するかどうか決め、利用者や市民の賛成反対にもまれながら決定されてきた。市場化テストでは、民間業者が役所の仕事の中からやりたいと思う仕事を申し出たものを入札に付し、民間業者と役所の担当部門が競争入札して安い方に仕事をやる、という制度。

最大の問題は、民間業者が任意に役所の仕事から自分たちのやりやすいものを見つけて、国や自治体に入札実施させる過程で、そこで今まで仕事していた職員はおろか、肝心のサービスを受けている人たちの声や住民が意見する場がまったく想定されていないことである。

ほとんどの自治体の入札は金額でしか評価していない。言い出しっぺの民間業者より有利な金額を後から知った他の民間事業者が入札で提示できるか疑問だ。後出しが仕事を取るということは業界モラルを壊すことにもなるから、同業者どうしの競争は期待できない。結果として、官民入札なんて言っても、実際は民間どうしでは競争が行われる保障はないし、官は負ける可能性が高ければ不戦敗で応札を放棄する可能性も高いということで、いいように民間事業者が国や自治体の仕事を食い荒らすことになる。

国や自治体が民間業者に仕事の内容を守らせる保障は契約しかない。しかし、朝霞市の宮戸保育園のように、自治体との契約はおよそ守っているものの、結果的に、職員が次々に交代するなど、子どもの養育に不適切な運営をしている民間業者もいる。そうしたことには契約外として、民間の創意工夫を邪魔することとして、国や自治体、住民が文句言えるようなことにならない。契約だけでどこまで民間業者に国や自治体が求めた事業責任を期待することができるのかも不安である。

市場化テストを経て事業を取った業者はいいように公務員を利用できる制度になっていることも問題だ。今まで役所がやっていた仕事が民間に急に移るために、当該業務に携わっていた公務員は民間業者に移籍でき、また役所に復帰できる道も開く。
と、聞けば聞こえがよいが、民間業者は人材育成もせず公務員を利用し、不要になれば役所が合意すれば返せる制度になっている。結果として、天下り問題や、特定業務にかんする民間業者との公務員の癒着などの問題を引き起こさないか疑問である。

無理矢理民間委託を進めたいものの、権力的にはできないために考え出された歪みに歪んだ制度と言える。こうした法案に民主党がどんな態度を取るか見物である。前原執行部が主張するもっと小さな政府論に沿う主旨だから賛成だろう。安全や信頼、不正の排除などはわかりにくいからとあえて考えない態度を取るだろう。私たちの公共サービスが切り売りされていくのである。

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2006.01.30

1/30 ホリエモンよりがんばっていないと断定される人々

ipodは欠陥商品だと思う。朝の地下鉄の車内、音漏れがひどい。きょうは3重奏で、気がおかしくなりそうだった。満員電車のない外国メーカーはこうしたことに注意が回らないからダメだ。

その電車の中で「ニートって呼ぶな!」を読む。
就職できない若者の問題を、雇用の側の責任から眼をそらすために、若者の主体性や内面の問題にすり替えるのが「ニート」問題の真相じゃないか、という本書のモチーフにエールを送りたい。
また、育て上げだの若者自立塾だの、教育で内面支配を図ろうとする右+左の教育好きのいやらしさを余すところなく指摘していて共感。若者の自立というと、自発的な能力を力づける発想ではなく、どうして合宿だの強制労働だの、そんな発想しか出てこないのだろうか。

小泉・前原の「構造改革」は、通俗的にはがんばったものは報われるという価値観をベースにしている。だから報われるためのがんばりを邪魔する規制は少しでもない方がいいし、富の再配分なんかされないように「小さな政府」の方がいいと言うのだ。場合によっては、できない人の力づけなんかも余計なことだと言う。
では、何をもってがんばったかというかについては、がっばっているから報われた人がいるという主観的な説明しかできず、報われた人ががんばっていると決めつけられる。
でも世の中には経済的ヒエラルキーがあって、どんなに必要とされていても、どんなに大変な仕事でも報われない仕事はある。民間保育士やヘルパーなどいい例だ。一方、ホリエモンや三木谷、村上なんかは大変なんだろうけど、別に人の命を預かっているわけでもないのに何百億も紙切れコロがして金儲けする。ヒューザーのように顧客の生命を危険にさらしても成長企業と言われる。がんばっていることとして賞賛されてきた。
社会の関係性を無視して、内面重視でしかものをみない失われた10年の構造改革談義を今こそ打ちきるタイミングだと思う。ニートががんばらない人と断定してきたのは、この構造改革のイデオロギーメガネのものの考え方から出てきたものだ。

●中川農林水産大臣が、アメリカ牛輸入再開で農水省がアメリカに監視団を送っていなかったことを国会で白状。正直でよろしい。
野党は、中川大臣の罷免を求めて委員会審議を空転させている。民主党のこうしたスキャンダリズムがイヤだ。中川大臣は本当のことを話しているのだろうから、もっと話させればいいのだ。審議を空転させるのは、要求を無理に通すときか、相手が本当のことを話さないときに行うことではないのだろうか。

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2006.01.22

1/22 見直しが始まるか構造改革

朝の討論番組を見る。
ライブドア、耐震強度偽装事件、アメリカ産牛肉の背骨混入という規制緩和の膿を象徴するような事件が3連発で出てきて、珍しく規制緩和派の形勢が悪い。共産党の小池議員の突っ込みが的確。社民党は情報不足なのか、突っ込み不足な感じ。民主は「役所は予算消化ばかりやってきてルールをコントロールする仕事をしてこなかった」と。そうだろうけど、その理屈からどうしたら公務員が減らせるなんて話が出てくるのかわからない。少ない公務員だから予算消化しかできないのであって、ルールのコントロールなら、たくさんの監督業務が必要になる。

がんばった者が報われるだとか、天職を探そうだとか、経済情勢や社会のヒエラルキーの構造を直視せず、主体性の問題にすり替えるとんちんかんな物言いが流行し、そのツールとして規制緩和が推進されてきた。しかしその結果として、今回の事件が起きているし、格差社会や、若年者の挑戦の機会が奪われるパラドックスも起きている。

小さな政府、民でできるものは民で、など美しい言葉と、「抵抗勢力」などという品のない言葉は、根拠の薄い言葉だと気づくのが遅かったのではないだろうか。

朝ちょっとしかテレビを見れなかったが、「ここがおかしい日本の営業」というビジネス書を書いた宋氏が紹介されていた。根性、人情を商売道具にする日本の営業は下品で無意味だ、という宋氏の意見に感じるものがあって、書店に買い求めに行くが無かった。ビジネス書って宗教書みたいだ。そして、横には株の本のコーナーがあって、おとなたちが群がる。株で一発逆転の夢を見るしかないのかなぁ、この社会は。

●東京証券取引所の西室社長がまだ犯罪が立証されていない段階で、ライブドアの株を上場停止するだとか、監理ポストに移行するだとか、少し発言が暴走していないだろうか。こうしてライブドア株の投げ売りを煽ってしまっていいのだろうか。西室社長といえば竹中平蔵の後見人であり、小泉構造改革の推進勢力なわけで、ホリエモンをこれまで礼賛していた勢力だ。形勢が悪くなると手のひらを返している。実業家が政治に深入りして大成したためしはないという話は本当のようだ。

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2006.01.02

1/2 元日に働けという偉いお客さまたち

年賀はがきを送っていただいた方にお礼申し上げます。ありがとうございます。年賀状が少し復活してきているようですね。逆に新年のあいさつメールはほとんどなくなりました。某野党の党首のメールマガジンだけです。

今年からなのか、年賀状が2日に配達されるのには驚きましたが、一方、私製はがきが全然来ません。私製はがきで早めに送ってくださった方がいなかったからなのか、別ルートで後回しにしているのか、わかりません。印刷店の窓口が混雑していたのを見てきたので、私製はがきで出す人が少なかったとは思いにくく、すこしいぶかしい思いです。

年賀状の2日配達はおおむね好評のようです。しかし、ネット上では、73年の労使合意で廃止した経緯をあげつらって、今まで何さぼってきたんだ、という論調が散見されます。何だか嫌な感じです。
最近の、客の要求があるならどこまでも命令を聞けという「お客様」たちの態度はどうかと思います。郵政省が2日配達することの経営の合理性や、従業員たちの有効な労働と休暇のバランスを考慮して決めればいいのでしょう。それと、あいさつ文である年賀状の配達が3日にまわされて、問題があるのでしょうか。
私も遅刻組ですが、1日に配達されたかったら、この日までに出してください、と郵便局は毎年再三再四アナウンスし、年賀状販売窓口でも知らせているのですから、その日までに出せばいいのです。それをやりきらないで文句言うというのは偉いものです。客だからと約束の日までに出せなかったものをすぐ出せというのはずいぶんな態度です。

と、こんなこと言うのも、私も流通業にいたとき、スーパーの正月営業に随分面倒な思いをしたからです。ここ数年、スーパーが当たり前のように元日営業するようになりました。それに対して、商店街や市議会が自粛を求めると抵抗勢力のような言われ方をしてきました。「そうやって商店は努力しないんだ」と。
しかしメーカーが物を作らない正月に、金融機関が閉まっている正月に、物流業者がいつもより配達日数が遅れる正月に、スーパーに納入する業者は欠品をしないように(すればスーパーから逸失利益の補償を求められる)神経をすり減らす思いをします。さらには納入業者のコンピューターシステムは年替わりで思わぬプログラムが障害で止まる危険性も高まっています。そうした危険をいくつもくぐり抜け、開店するメリットって何でしょうか。
確かに他のスーパーが元日営業しないなら元日開店はセールスポイントになりますが、そんなものはすぐ次の年には他のスーパーも真似します。元日開店してもしなくても、全体ではスーパーに人々が落とすお金はそんなに変わりないのに、正月営業しただけ、スーパーもパートのおばちゃんたちも納入業者も物流業者も負担になりますし、電気や水道の無駄遣いになってしまいます。社会全体では労力のすりへらし、エネルギーの無駄を重ねるわけです。ケインズ経済学ではないけども、これはまさに「合成の誤謬」です。

環境問題では豊かになるためにエネルギーの浪費をする社会を何とかしようとしています。豊かにならないのにエネルギーの浪費をする、明らかに不合理です。

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2005.12.27

12/27 改革勢力の卑しい思惑

地域福祉計画づくりの仲間とささやかな忘年会をする。メンバーの高い志しやいろんな経験を知ることができてほんとうに有意義だった。

●竹中平蔵がNHKの改革を言及するたびにうさんくさいものを感じる。当面、スクランブル放送化らしいが、どうせそのシステムを売り込む業者との変な関係があるのではないかとうがってしまう。

●航空会社が値上げの構想。しかも全日空が値上げを提案して、日航がそれに習うということらしい。寡占の弊害の見本で、規制緩和をあざ笑うような態度だ。
確か、バブルの真っ盛りの物価高の中でも、東京・札幌の往復チケットが41000円だったと思う。それでさえも高いなぁなんて思いながら使っていた。規制緩和やエアドウの登場で一時、特割切符がべらぼうに安くなって、おっ、これはありがたいなんて思っていたら、エアドウが全日空の子会社になって、競争相手がいなくなって、手のひらを返したように、どんどん値上げする。今や変更不可能な特割切符でかつての往復チケットと同額になっている。しかも、前日までに切符を買えばよかったものが、次に6日以内になり、今は3日以内に買えという。乗客に効率性を求めながら、航空会社は値上げを繰り返す。その態度は全く理解不能だし、公益企業に関しては規制緩和があれば消費者のためになる、なんてウソのうそっぱちだという見事な証明である。
今度の値上げで東京・札幌が片道運賃が30000円近くするという。スチュワーデスの賃金を半分近くに切り下げ、整備工やフロントに過酷なリストラをして、その結果として、値上げをしていることは何なんだろうか。ふざけた話だ。

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2005.11.22

11/22 懲りないオリックス宮内CEO

終業後、マンション管理組合を支援するNPOに忘年会で呼ばれたので行く。マンション強度の偽装事件でマスコミのコメント取りの対応でてんてこまいだった。

●規制緩和でおきたマンション強度の偽装事件、そして、その尻ぬぐいを国土交通大臣がしかねない状況のもとで、規制改革会議の宮内義彦議長(オリックスCEO)は、戸籍、住民謄本の交付業務の民営化まで提言した。規制改革会議は我が社会にどこまで損害を与え続けるのだろうか。

まったくこの人は反省というものを知らないのか、マンション強度偽装事件の事の重みを理解していないのか、それとも利権のために働いているのか、自分の政策判断が失敗している今、国民が一番センシティブになっている自分の情報を民間業者に与えてよい、という道を開いた。その感性に驚くばかりだ。

プライバシーもくそもない。委託された民間会社はうはうはだろう。弁護士でなければ入手できないような種類の情報が自らの手の中にある。
公務員だからと秘密を守るとは限らないが、少なくとも兼業が規制され、入手した情報の流用すれば厳しい処分がある。民間企業に委託して、その委託した企業が情報を流出させたり副業に利用しても、せいぜい委託停止程度だろう。

規制改革会議は私たちの社会の安全弁を次々に壊そうとしている。

●マンション強度偽装問題の渦中の「木村建設」が不渡りで倒産と。自ら不渡りを出したのではないだろうか。倒産してしまえば、新たに補償金という債務を背負わなくていいことになる。自らつくった倒産ではないだろうか。

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2005.10.14

10/13 層化していく風景

1日伝票とにらめっこしながら帳尻あわせをする。

●今月末、有楽町線にも女性専用車が入ることになる。しかも一番便利な上り電車の最後尾がそれになる。痴漢がいることがそもそもいけなくて、被害予防の選択肢として女性専用車があるというのはわかるが、一番便利なところに女性専用車を置くことにあまり納得できない。もっとも混雑がひどくて私は使わない車両ではあるが。

●三浦展「下流社会」を読む。読み終えた本が書類の山に埋もれて見つからない。とにかく健全な中産階級はこの日本から消えつつあり、年収400万未満の無教養でファーストフードや郊外型スーパーだけで生活する人と、年収1000万以上の高学歴を再生産する層とに分化するらしい。そのどちらにも付けない商売はこれから廃れるらしい。通勤電車なんか典型的な例かも知れない。
あと、下層団塊ジュニアの5Pというのがあって、パソコン、携帯電話(phone)、プレステーション、ペットボトル、ポテトチップスを愛用しているとそうだという。なるほど。
下流社会におちていく若者は、「自分らしさ」を大切にし、寝てばかりいて、自分を安売りして生活満足度が低い。だから瞬間的な幸福感を得られるカーニバル的なノリが大好きで、サッカーや小泉ブームに熱狂的になる。

結婚は階層固定化しているという話が面白かった。題材は宮台真司。エンコー少女だブルセラだといろいろ言ってきたのに、そうした少女の身元保障をするわけではなく、結婚した相手は大学教授の清純そうな若い娘で、宮台真司の生い立ちそのものだったという事例には笑えた。
篠田節子の「百年の恋」というドラマ化された小説があって、主人公の年収200万のライターが年収6000万の外資系金融機関で働くキャリアウーマンと電撃結婚し、主夫生活に入るという小説。三浦の説では、年収が低くてもライターという知的労働だからありうることで、単純な肉体労働や、もっと苦労が見えにくい工場労働者だとキャリアウーマンが相手として選ぶことはほとんどありえない。

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2005.10.01

9/30 注文の多いレストラン

先の衆議院選挙をたたかった同志で、上京組と一緒に飲む。
新宿で待ち合わせだったので悪い予感がしたが、大当たり。新宿の「星の雫」というありがちなネーミングの居酒屋だったが、今時のダイニングなんちゃらで内装こそきれいなものの、店が客に注文ばかりするありさま。なんちゃらコーディネーター、なんちゃらコンサルタントの言われるままに従ってこんな店ができてくるのだろう、という感じがしだか、客を大切にしていないことがありありで、一見さんしか行かないだろうなぁ。私は二度と行きたくない。
プラスチックに派手なイラスト、筆文字で店の名前を出している、和風ダイニング風の店にいい店はないと、再び確信。
まさに、注文の多いレストランという感じだった。
最後に、割り勘で支払をするために両替を頼んだら、まず会計をしてからにしろ、と偉そう。客の言いなりの店も困ったものだが、ここまで居丈高なのも嫌だ。はやく潰れてしまえ。

で、こんな店でも売り上げや利益を上げてれば、日経や小泉構造改革の価値観では努力したと評価されるんだから、オレオレ詐欺だって、やっている側からすれば努力したつもりになれる社会なのだろう。

家に戻って家族が玄関におかえりなさい、という立て札を立ててくれて、それで心が洗われた。

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2005.09.28

9/28 ガソリン・道路使いたい放題からの転換

道路特定財源の見直しが踏み出され、歓迎したい。これが公共交通の建て直しの交通総合財源化すればベストだし、一般財源化しても、マイカー族のつまらない欲求のために行われる無駄な道路整備が抑制されて、よい。

ただし心配なのは、単にガソリン税の減税になってしまったら、道路は整備されないのに、マイカーに乗る人、乗る距離が増えてしまう。鉄道、航空など公共交通は走行路面を受益者負担で整備しているのに、マイカーだけがただで道路使いたい放題というのも、どうなのだろうか。
すでに選挙中、公明党が自動車保有税を半減させるとわめていてて、マイカー族しか喜ばない政策を訴えていた。それでいいのだろうか。

私のように基本的に自分では自動車・自転車は運転しない、と決め込んでいる人はともかく、交通弱者は高齢者や母子家庭など社会階層である。そうした人たちの暮らしを犠牲にした、大衆迎合的な「小さな政府」にならないことを願いたい。

●経済同友会の北城狢太郎が原油高に悩む運輸業界が運賃値上げを考えていることに「官の発想」と批判。北城のIBMはどうなのか。つまらないシステム開発を頼んでも100万単位の請求書を回してくる会社が言うせりふだろうか。

これまで運輸業界は無謀な料金競争を続けてきた。北海道では、段ボール一箱、100キロの道のりを300円で運ぶ業者もあった。石油をじゃぶじゃぶ使い、労働力をこき使い、限界で運送業者はたたかってきた。そこまで追いつめて、原油高というやむを得ない経済情勢の中で値上げすら許さない、財界の勝ち組。

安いことに勝ることはない、という単純な理屈が我々の生活の首を絞めていくことは、先日、努力貧乏働きすぎの時代に書いた。

北側国土交通相の判断は正しいと思う。原油が高くなっていることはいろいろな意味で環境に犠牲をして知らぬ顔してきた経済活動のあり方を問い直すことになるし、運賃の見直しは物流(流通業者の低賃金労働)と道路インフラ(無駄な公共事業)に在庫調整を押しつけるような商売のやり方を問い直し、社会の富と負担の適正な配分をめざす機会と受け止めるべきだろう。

余談だが、その勝ち組会社の労組は共産党系だったりするのだ。

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2005.09.19

9/18② 視聴率競争の枠を超えて

NHKの新シルクロードが面白くない。旧番組がその後の再放送でやっている。比べて見ると、今の方が面白くない。映像のクオリティーは今のほうが圧倒的に良いが、人々の生き生きとした暮らし、取材班の苦労、政治体制の桎梏による取材制限とのたたかい、辺境の地の圧倒的な存在感、そうしたものは昔の番組の方が良い。無駄なアナウンスもない。松平アナの声も日常すぎる。取材経費を掛けすぎているのか、しつこく宣伝を見せられ盛り上げさせられるものの、結局、宣伝を大きく超えることはなく、がっかりする落差も激しい。

昨日のNHKスペシャルのタクシーの規制緩和の番組は良かった。
大阪ってひどいところだと思った。昨日までタクシーの規制緩和に反対していた業界団体のボスが、規制緩和された翌日には自分の会社は中小零細企業を圧殺するような競争に飛び込み、大阪のタクシー業界は働く人を吸い尽くすような競争を強いられた。
番組に出ていた大手労組の委員長が、新興タクシー会社の労使一体の違法行為脱法行為三昧の状況を摘発する様子が面白がったが、その執拗さに特定党派の執拗さを感じた。でもそれくらい労組ががんばらないと、やりたい放題無秩序の規制緩和から現場を守るのは難しいのが現実だ。うちのまちの民間委託されている保育所も市民がそれくらい監視しないと、ダメなのかも知れない。
時折、こうしたNHKでないとできない番組もあったりする。朝日新聞を出汁に小泉=安倍に押され気味のNHKだが、目立たない番組だけでもいいから、こうした硬派の番組をちゃんと続けてほしい。視聴率が悪くてもやっていけるNHKならではというものがあるはずだ。

●麻薬で捕まった民主党・小林憲司のポスター、勘弁してほしい。燃えさかる火に、議員太りしたデカい顔。よくこんなんで選挙に勝とうと思ったねぇ。民主党の候補者、ナルシスな教宣物多いね。おえっ。

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2005.08.11

8/10 機会のインサイダー取引 

あすは徹夜に近いイレギュラーな仕事が待ち受けていて、そのための仕込みで一日中、調整の電話。

社会人になって最初にシステム部門に配属になって、電話で難しい話を延々しなければならない仕事について以来、電話が苦手になった。かけている間はまだいいが、昼休みとか、一息つくと精神力が吸い取られていることがわかる。古い人たちが長電話を戒めるのはよくわかる。

マックシェイクが安いからと、乗り換え駅でつられてマンゴー味のを買い求め飲む。えらくまずい。バニラにしておけばよかった。

自分の将来の進路について、ふと考える。30超えると、何をやるにしてもそこそこ先が見えてしまって、踏み出す勇気や変えていく楽しみの奥行きをついつい計算してしまう。夢がない。その割に自分に策略がないので、こんなもんか、と落ち着いてしまう。日々の桎梏は昔と変わらないのに。

●島本慈子「住宅喪失」を読む。我々の世代は年金のことばかり心配しているが、実は持ち家も食い物にされることになっている。S●NYの製品がぴったり5年で故障して買い換えなくてはならないのと同じように。
つまり、耐久年数60年あるマンションを、あたかも耐久年数がないかのように信じ込まされ、さまざまな検査で過剰に不安を煽られ、その結果として、住民の多くがマンションの建て替えに同意していってしまう。その結果、年金生活になっても、住宅ローンが消えない、という話。そうした社会を煽っていった政府の規制改革会議への批判。

より民間に開放すること、より規制がないこと、そうしたことが「改革」で、どんな副作用があろうとそうしたことに反対するのは「抵抗勢力」という決めつけが社会にほとんど浸透している。「改革」が自己目的かしていて、今度の選挙で、民主党だって社民党だって、もちろん公明党も「改革」がテーマらしい。民主党が郵政民営化に反対することが後ろめたい気分で言い訳するような態度はよくない。

小泉改革が進んで、「改革」と称して、雇用が流動化して仕事は選べるようになったかも知れないけど、生活の質は選べなくなった。「改革」と称して「がんばった人」は報われるようになったが、がんばる機会はなかなか与えられなくなった。既得権益はどんどん強くなって、一部の人でインサイダー取引のようにがんばる機会をわかちあっている。多くの人はその人たちのために、生きる力をどんどん吸い取られている。しかもそれを自ら喜び受容するように躾られている。いじめられないと関係を認識できないような情けない態度だ。

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2005.06.01

6/1 取り立て屋が社会保険庁を乗っ取る

情報が古いが、社会保険庁の市場化モデルの入札で、厚生年金と健康保険の未加入事業所に対する加入促進が入札に出された。落札したのは、東京・港、渋谷、足立社会保険事務所管内が東京社会保険労務士会、福岡、久留米社会保険事務所管内がICRという債権回収業者だ。

小泉構造改革で、官民対立が煽られ、民でできるものは民で、ということがことさら強調されたが、その結果、社会保険の取り立てが債権回収業者に、たった1円で委託された。

社会保険事務とはプライバシーのかたまりである。それを1円で落札する業者は、絶対何かを狙っている。

社会保険庁改革は、そもそも変なところから出てきた話だ。
数500兆円と見込まれる年金財源不足をどうするか、という議論をしているときに、意図的とみられる動きで、保養施設の建設など数百億円の年金財源の不適切な使用
が露呈し、それにかかわった政治家が追及されると思ったら、政治家が年金払っているか払っていないか、という問題にすりかえられ、そしてその情報がどこから流れたか、ということをめぐって、社会保険庁の職員のリストラ問題にすりかえられ、御用「エコノミスト」たちが横から民営化して効率化せよ、と脈絡もない話を持ち込んで今日に至る。そして、官業の民間払い下げを委託費たった1円でプライバシーが商売になる2団体に委託されてしまった。

福岡、久留米社会保険事務所管内の事態は深刻である。
債権回収業者にとって、プライバシー情報はのどから手が出るほどのおいしいものだ。それがただで把握できる。もちろん委託にあたってさまざまな守秘義務などの制約はかけられるが、おそらくそんなものは精神訓だろう、千葉市で産廃処理場建設に反対した住民の名簿を産廃業者に流されたこともあるように、守秘義務なんて、属人的なものでしかない。たった1円の委託料がそうしたものを守らせる規範を持つとは思えない。この地域の住民や企業の保険加入状況や財力などは、社会保険加入状況の調査などとして、公権力に裏打ちされた債権回収業者が立ち入り、踏み込み、調査できることになる。

同様のことが駐車違反取締りでも言える。
政府は駐車違反の取り締まりの民間委託を可能にした。私も駐車違反はビシバシ取り締まるべきと思ってはいて、警察の対応が手ぬるいと思うこともある。
しかし、この業務に暴力団まがいの会社が入ったらどうするのだろうか。駐車違反の対応が恣意的に行われる可能性が高くなる。暴力団の多い街では、暴力団関係の自動車の駐車違反は摘発されない、という噂があるが、取り締まる側が暴力団の息がかかっていれば、こうしたこと自体を不正と言うことすらできなくなるだろう。おそらく警察はそういうことがないよう資格審査はする、というが、いくらだってかいくぐる方法を考えるだろう。

JRやNTTのように事業部門の民営化ならともかく、公正さや権力行使にあたるきわどいところを民間に市場開放するということが危険に思えてならない。

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2005.04.02

4/2② キャリアウーマン考

NHKの格差社会でのキャリアウーマンたちの意見を聴いたり、日頃出会う、日本のキャリアウーマンたちの考え方にふれ、思うところがある。

というのもNHKの格差社会の番組では、格差社会についてどう思うか、という(あまり意味のない問いだが)、①問題あり(金子勝・斉藤貴男)、②問題はあるがやむを得ない(本間正明)、③格差はあったほうがよい(奥谷礼子・ホリエモン)と、番組参加者に三択でこたえさせる場面があった。

そのシーンについて詳細な画面を記憶しているわけではないが、③の格差社会全面肯定論は、成功者のなかでは男性より女性のほうがたくさん出てきているのだ。男性の成功者の多くは②の格差社会は問題があるがやむを得ない、という立場を選択したが、女性の成功者のほとんどは③格差があったほうがよい、とこたえている。貧乏は自業自得という考えだ。ホリエモンがそうこたえるのはそんなもんだろうけど、今は得策じゃないと思うなぁ。
コメンテーターで出ていた人材派遣会社の社長の奥谷礼子、番組で成功者として紹介された女性、いずれも格差があったほうがよい、と考えている。

80年代後半からのかつてフェミニズムは、女が実力を評価されないことに問題提起をし、また女性が社会的マイノリティーというところが出発して、土井たか子さんにイメージされる「平和・女性・フェミニズム」というパッケージのイデオロギーを否定できなかった。サッチャー英国元首相がフォークランド戦争で敢然とアルゼンチンに戦っているにもかかわらず、女が政権とれば戦争はできないとまで言い切る女性国会議員もいた。つい最近まで、1950年の社会党の派閥抗争の末に出てきた「青年よ銃を取るな、婦人よ夫を戦場に送るな」のスローガンのままだった。しかし冷静に考えると高度成長期に、夫を企業戦士として職場という戦場に送り続けたのは「婦人」だったのだが。

これは実感のレベルだが、まわりのフェミニズム的価値観を重視する女性の多くが、格差社会に男性以上に肯定的になっている。能力主義に疑義を挟むこと自体が野暮のような感じだ。私は、女性だからといって、無思考に平和運動や人権運動や平等志向につきあわす考えのほうが間違いだとは思う。女だってタカ派はいるだろうし、人権が嫌いな人もいるだろうし、平等が嫌いな人もいるだろう。
こんなにまでバランスの悪い考えが突出しているのは、彼女らが敵視する「男性社会」が男性だけの談合による安定社会であったこと、能力ある女性を認めようとしなかった現実への反逆なのかも知れない。

それでも、私は、今のキャリアウーマンや経済的成功者の中に、極めてイデオロギッシュな能力主義を開陳する人が猛烈に増殖していることに、なんだか割り切れない気持ちを持っている。
とくに、人が人を売る商売の経営者や、たまたま株で一気にチャンスをつかんで投資のチャンスが広がった人が、自分に能力があったから成功したのだ、あなたも努力しなさい、努力しないから報われないのです(現実にそういう人もわずかにいるが)、と説教するような意見には、どうしても与したい気持ちにならない。

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2004.11.13

11/13 アンチワンストップサービス

労働組合のない電話会社の跳梁跋扈に、何となく不公正競争の臭いを感じて、NTTにこだわり、不利を承知でISDNを使ってきた。また私の住むマンションがISDNを全面的に導入することを前提に建設されたために、ISDN以外の通信が入らなかったこともある。
しかしわがマンションでも工事が行われ、いよいよ東京電力の光ケーブルが入ることになり、そちらに乗り換えることにした。以前、マンションにNTTのADSLを導入する話が持ち上がったが、NTT東日本の担当者が要を得ない説明しかできなかったために、管理組合はブロードバンドはNTT以外のところに頼む、と方針を変え、マイナーな通信会社の提供する遅めのブロードバンドが入った。本当にお気の毒だが、現場の営業に商品知識がないのでは仕方がない。
NTTにこだわりたかったが、最近、病んだ同級生から続けざまにかけられた嫌がらせ電話を何とかするためにNTT116番にかけ対応策を聞いたところ、ものすごく高い工事費と安くはない毎月の付加料金がかかるものばかり提示され、泣く泣く諦めた。迷惑電話を掛ける人の自由を野放しにして、被害者に過度な負担を押しつけるやり方に憤慨して、必要以上にNTTの味方をするのはやめた。選挙でも情報労連の候補はしばらく協力しない。

以前、一般回線からISDNに切り替えたとき、私のノートパソコンがISDNルーターしか認識しなくなり、一般の電話回線ではインターネットに接続できない羽目に陥って、出張では全く役に立たなくなった。パソコン本体か、その設定か、LANカードかケーブルか、ルーターか、ルーターを動かしているソフトか、ISDNのシステムそのものか、どれに問題あるのか、結局わからずじまいだった。

そんなんで今回は業者にいろいろ確認したが、対応はもっと悪かった。光ケーブルでも自宅以外ではインターネットに接続できなくなってしまうのではないか、と確認したところ、回線を提供する当の東京電力は「わかりませんので」他の者に代わります、と来るかと思いきや、「ブロバイダーに聞いてください」と責任を放棄。ブロバイダーは回線にまで責任を持つ存在なのだろうか。仕方ないので、ブロバイダーであるニフティーに聞いてみたら、申し訳なさそうに「わかりません」というだけ。どこに聞いたらいいかも教えてくれなかった。
ブロードバンドのトラブルは、一貫した責任がないのでたらい回しにされる、とよく言われる噂は本当だった。腹くくって、再度ブロバイダーのニフティーに光ケーブルに切り替えることを申し込んで、ついでに再確認してみたら、やっと、電話担当者の個人的体験から、大丈夫です、という回答をもらった。
この人に知識がなかったら、わからずしまいで不安におびえながら回線を取り替えことになった。「お役所仕事」というが今や、地方公務員はワンストップサービスとか、総合受付輪番制などが導入されて、たらいまわしはしないように対応しよう、ということぐらい常識になっているのに、ブロードバンド業界は未だにそういう常識がないらしい。
こんなことに2時間も費やしてしまった。ほんとうにブロードバンド時代なのだろうか。それにほいほい載せられて契約を変えようとしている自分もどうか。

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2004.11.06

11/6 NTT固定電話

NTTが電話加入権の財産的価値をゼロにする案が、もめにもめて結局半額にするという。最悪の選択だと思う。
まともな解決法は、残して、今までどおり財産としての価値を残すか、廃止して、携帯電話や新参入の電話などと対抗していくことのどちらかしか方法はない。

私は廃止派だ。NTTを中心とする固定電話を国民の財産として残すには、固定電話を持つためのこの高いハードルを解消しなくてはならない。財産権の問題があるなら、以後、20年とか30年の長期にわたって、NTTには厳しいが、分割払いで財産権にあたる金額を加入権保有者に返済する、あるいは、割引料金とする、などの方法を考えるべきだ。

半額で残すということは、固定電話を持つハードルが下がったが、新規参入が予測される電話やIP電話、携帯電話にまったく太刀打ちできない。加入権を持っている人は、中途半端に財産権を半分放棄させられることになる。固定電話の空洞化はいっそう進み、財産権は半分否定され、NTTにとっても最悪の結果に展開していく。
この背景には、おそらく電話加入権を売買する業者が、訴訟などをちらつかせて抵抗したことにあるのではないか。電話加入権を売買する業者のためにNTTの固定電話というシステムが崩壊しそうだ。

電話のことでは、NTTがあまりにも大きいから、日本の電話は競争原理が働かない、という。電話料金が高すぎる、という。
しかしそれでも85年頃より、電話料金は相当安くなっている。そして電話料金が安くなってどうだろうか。仕事も生活も電話とインターネットにぶらさがりっぱなしで、かえって払う電話料金や通信料金は大きくなっている。一本一本の電話を神経使いながら掛けているだろうか。かつてはたくさんあった電話のマナー本はほぼ見なくなった。
ブログなんかやっていて、言うのも変だが、そこまで電話会社にこだわるような生き方がどうよ、ということを問い直さなくてはならないと思う。
電話料金を安くするために、電話システムをぶった切ってしまうのも、本末転倒といえる。

NTTがきちんと固定電話システムを残す、という腹をくくり、対応してもらいたい。個人的に財産権を消滅させられるのは悲しい。でも、使うのに面倒くさい知識が必要で、一時の携帯電話みたいに、つながるかどうか、そのことを電話で確認しあうような、電話機の機種などの制約を受けるような、わけのわからない会社の電話は使いたくない。NTTの固定電話の奮闘を願いたい。

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2004.10.20

10/20

きょうから、23日まで、わが労組の組合員が職場の研究集会があり、群馬に出張。23日土曜日まで更新ができませんのであしからずご容赦ください。
それにしても、台風。開会時刻にぶつかりそう。
昨日の朝霞市地域福祉計画策定市民委員会の拡大運営委員会で、広報体制について、私が検討して提案することに。

宮城県タクシー協会が、規制改革特区の申請をした。
今までの規制改革特区というと、市場競争の激化を促す内容ばかりだったが、同協会が申請したのは、仙台市内のタクシー業の新規参入の制限や、増車の制限を内容とし、規制強化を行うものは初と報道。
サービスが良くなる、運賃が安くなると宣伝されて始まったタクシー業の規制の緩和で、実際どうなったのかと言えば、サービスはそんなにあがらず、運賃もさして下がらず、なわばり拡大の増車で1台あたりの収入とドライバーの賃金が下がり、タクシードライバーが不安定雇用となったことだ。また客待ちのタクシー行列が全国各地で大渋滞の原因になっている。訓練を受けていないドライバーが増え、都内では主な施設がどこにあるかもわからないドライバーが増えた。
デメリットの方が上回っている。規制緩和派は失敗の現実にぶちあたると、さらなる規制緩和が必要だとか、他業種の雇用が流動化していないからタクシーにばかり労働力が集中する、などと問題解決にならない議論を展開する。規制緩和は薬にも毒にもなる、という視点に立たず、規制緩和は絶対的に正しい真理である、それで矛盾が起きればそれは過渡的現象や、改革が足りないからだ、というのは、このブログで再三指摘した単なるイデオロギーだ。
ほんとうは、市民生活の足を守るタクシーをどのように育てていくか、という改革提案がほしい。その中で前向きな対応ではないが、宮城県タクシー協会は、規制緩和ファシズムとも言える世論に対抗して、よく提案したと思う。
高齢社会の到来とクルマ社会の進展=鉄道バスの弱体化で、タクシー業は交通弱者の生活を支える重要なインフラになってきてる。そのことを前向きに捉えて、市場に放り出す改革ではなく、高齢社会のニーズに合わせた改革を促すことが欠かせない。
英国のように命と市民生活を預かるタクシードライバーが、消防士のようなステータスのある仕事になっていかなければならない。タクシー業界を守って改革し、育てていくことが重要だ。タクシー近代化協会という規制の権化のような団体が、東京のタクシーの質をかろうじて守っている。

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2004.10.05

10/5 競争ではない協力による効率化

03年の統一自治体選挙で佐世保市議になった三浦正明さんから「ハリセンボン通信」が送られる。労組の役員時代から、行動力と政策通は抜群。三浦さんの行動力につきあうのに大変だったが、物事の問題を受け止める感性、まっすぐな姿勢に尊敬している。佐世保市はリアス式海岸に囲まれ、カトリック教会が経営している離島保育所が多い。その運営問題の解決に取り組んできた。また、連合系ではない組合に所属していた長崎の造船所の過労死事故の労済認定を働きかけたり、立場を超えた人にも信念を貫ける姿勢に私も学ぶべき。

東武鉄道とJR東日本が協力して、2006年から新宿や池袋から日光に乗り換えなしで行けることになるらしい。利用客にとってはありがたい話だが、それだけではない。大昔は日光への観光客を奪い合って国鉄(JR)が敗北したが、今回、お互いに協力して儲けようという話。JRは不利な宇都宮回りをショートカットできるし、東武は、稼働率の低い栃木県内の線路の部分だけJRとの直通電車に貸して稼働率を上げられる。競争だけではなく協力によって効率を高める1つの見本だ。

●ホーキング青山「ユニバーサルセックス」を読む。バリアフリーで最後の大きな障壁になるだろう障害者の性。セックスボランティアが注目され始めている。セックスワーカーをどう評価するか、という課題も浮上する。

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2004.10.04

10/4 融和

日中、勤務。と書かないと、なんだか風邪ばかりひいて働いていないように思われそう。

AERA、働く女の味方のような顔した雑誌だが、とんでもない差別表現みっけ。

日本看護協会出身の南野知恵子さんが法務大臣になった。それを評価したAERA67ページ山田厚史編集委員の原稿。「抵抗勢力」看護協会が反対しているからと、南野さんが看護士の輸入自由化を解禁できるのか、と疑問を呈し、輸入自由化を促す記事。そのいい方に問題。「強い産業のないフィリピンは出稼ぎが暮らしを支える。看護婦は米国はじめ世界で働き、カトリックが多いためか献身的で評判がいい。その送金を待つ貧しい人がいる」。と。

看護婦という職業に性を特定する表現は、使われなくなったはずだが、朝日新聞編集委員は枠外なのだろうか。カトリック女性は献身的という表現はどうだろうか。もって産まれた宗教で、職業を特定するのは、金融業者はユダヤ人に向いていると言っているに等しい。

さらに、この手の労働力規制緩和論は何か見落としていないか。

専門学校や、単科大学でほとんど遊ぶことせず勉強し、やっとの思いで資格を取得し、夜勤も何もある職場に就職して、患者やその家族に叱られ、医師に権限を握られている看護士。
大学でマスコミ志望とちゃらちゃらしてなって、社内政治ばっかりやっている朝日新聞の記者なんて、看護婦の倍賃金もらって、何やってんだろ。
コンサルタントや新聞記者のような情報に接するような仕事だけが、高級な仕事のように扱われ、実際に、人を癒し、物を動かし、物をつくる仕事が、見下されていないか。そういう社会はいつまでもつのだろうか。

フィリピンになぜ満足な医療が発達しないのか。せっかく育てた人材を先進国にどんどん吸い上げられるからではないか。その結果フィリピンが仕送りで豊かになっているのか。専門技術者の雇用を流動化すると、現地の国は人材流失に苦しむ。
フィリピン政府も、きちんと経済成長させるべきで、家族を分断し、人を輸出するような経済政策はやめるべきだ。
そういう検証がなく、自由貿易は世界を豊かにする、という経済勝者の観念的なイデオロギー記事だ。

日本はいまだに戦前戦中に労働力としてひっぱってきた在日韓国人・朝鮮人・中国人との融和に苦しんでいる。強制連行の有無をめぐっていろいろな議論があるが、強制でなければ「在日」と言われる人々の問題はおきなかったのだろうか。生活スタイルも人間関係の作り方も異なる人たちを労働力として利用して、融和することができず差別しつづけたのが問題ではないか。フィリピン人看護士だからと、その問題がないとは言えないだろう。

●ここでも取り上げたが、3日の朝日新聞の書評で「中国権力者たちの身上調書」が取り上げられる。「昨今の感情的、扇情的な反中論」が有害無益、20年もかけて選び抜き育ててきた権力者たちは単純ではない、と戒めている。

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2004.09.29

9/29 虫の良さ

ヤマト運輸が日本郵政公社を独占禁止法で訴えた(訴えられた日本郵政公社の言い分)。競争優位に立つ郵政公社が、ローソンと組んで営業を拡大することが争点になる。
一方、ヤマトを扱うコンビニは、宅配業者についてほぼ独占的な契約を結ばされており、郵政公社のゆうパックも扱いたいローソンが契約の見直しを申し出たところ話し合いにも応じず、ローソンはヤマトとの契約をきらざるを得なかった(ローソンの言い分)。こちらのほうが独占禁止法違反のような気もする(ヤマト運輸の言い分)。
もともとヤマト運輸は、運輸業の規制緩和と郵便局の民営化を推進してきた。労使一体小泉とも仲良しで、今脚光を浴びている。郵便局が民営化されればもうかる事業にしなければならない。最低でもJRのように周辺事業の開発が求められるのは当然だ。ヤマト運輸は税金を払っていないだとか、そういうことで公正な競争ではないと言っている。しかしそういうことは民営化をするなら過渡期の問題で、民営化されれば税金を払わないでいい理由はなくなる。実際郵政公社もそういうコストを払って成り立つ経営を目指して努力している。それくらいの事態を想像しての民営化推進論だと思っていたが、そうではないらしい。
都合のいいときに民営化を唱え、都合が悪くなれば国営のような運営にせよ、というのは虫がよすぎる。ヤマト運輸はヤマト運輸の良さがある。ヤマトの信頼というのは、ローソンと郵政公社が組んだだけで崩れるものなのだろうか。

そういう虫の良さは、小泉首相のお友達に多い。小泉の御用経済人、宮内義彦オリックス社長もそうだ。自らは規制緩和、民間開放と大声で叫び、保育所、教育、病院、果ては職安の民営化を推進している。さらには医療や福祉のコストダウンのために、賃金の安いアジア各国から、看護士や介護労働者の輸入まで解禁しようとしている。
しかしプロ野球の新規参入問題では規制緩和に背を向けた対応に終始。そのことの是非はあるとしても、宮内氏がふだんいう立場とずいぶんことなる偽善的な対応と言わざるを得ない。

●石田衣良「池袋ウエストゲートパークⅣ電子の星」読む。池袋という地域社会で法律ではどうしようもないいろいろな難題の解決にあたる主人公マコトの活躍はソーシャルワーカー、コミュニティーワーカーのようだ。地域福祉計画を考える上でも感性を養うのに役立つ。著者の取材量や情報チャンネルをのぞいてみたい。

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2004.09.19

9/19 いわしの頭

今日は一日中在宅。夕方、食事に近所に出る。

日曜の朝は、たいてい洗濯をしながらNHK「さわやか自然百景」と「課外授業」を見ている。今日はなぜかその後の日曜討論まで見てしまった。テーマは地方の経済回復。

金子規制改革担当大臣が、規制緩和、構造改革特区をやればそのうち誰かが努力して何とかなる、と発言、それに対して内橋克人が、規制緩和こそ、中央の企業の暴走やリストラを止められず地方経済をボロボロにした、と反論。内橋のほうが説得力があったものの、他の2人の発言者は地方経済が楽観できないという点と現状認識で内橋と共通したものの、解決策にあたっては、内橋を公共事業拡大論者と決めつけ、規制緩和しかないと結論づけた。

公正にやる気のある人のチャンスを奪う規制は撤廃しなければならないが、それだけで景気回復になるとは思えない。コストダウンのため賃金が下がり、個人消費が縮小し、規制緩和が景気を収縮させている面もある。労働集約型産業など業種によっては、規制がなければ逆にきちんとした競争と選択が不可能になる業種もある。

努力した者が報われ、努力しない者が報われない、世の中そうあってほしい。規制緩和の議論に関しては、この理屈を全面展開され、逆は正になりえない、という論理学の基本が見失われ、報われている者は努力した者、報われなかった者は努力しなかった者という日経新聞的理屈がまかり通っている。その結果、努力とは運と理解する人が増えている(橘木他「隠蔽される不平等」)現象が起きている。こうなると努力とは、個人の能力の開花ではない、運のない人が努力することは無駄、というモラルハザードにつながっている。

規制緩和をすれば何とかなるというイデオロギー的神話は、共産主義より低俗で、共産主義より根強く、ゴキブリのような単純構造だ。さらに問題なのは、景気問題を語るときに、規制緩和で何とかなる、と言わないと、「公共事業拡大論者だ」とレッテルを貼られることである。これは共産主義でいうところの「人民の敵」というレッテル貼りである。

時代の変化が激しいと言われて十数年になる。それなのにイデオロギー神話という最も楽で安定した逃げ場をつくって改革論議をしてきたことが停滞の原因じゃないか、と考えるべきだと思う。
世の中、そんなにちちんぷいで変えられるものではない。個々の持ち場で、日々経験と研究を重ねて技術も、仕事のありようも、社会のつくりも変わっていく。それは90年代に共産主義の失敗から学び取ったことではなかったのか。

そのままテレビをつけっぱなしにしていたら、どこかの社長が出てきて、延々とご教訓を語っていた。やはり努力すれば何とかなるという言い分。裏番組の田原総一郎の団塊エネルギーも同じようなゴキブリ構造。テレビに振り回されてはいけない、と思い、うんざりしながらテレビを消した。

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