2020.01.24

1/23 飛来物への対応~朝霞市上空への航路設定

23日、羽田国際化による陸上ルートの説明会に出向きました。この夏から、羽田空港A滑走路に、15~19時に着陸する場合、朝霞市の内間木~根岸台4,7,8丁目の越戸川沿いの地区に、上空に1時間15本の着陸便が設定される計画が進められています。そのための説明会で、2016年頃から6回にわたり開かれたもので、今回がおそらく最後の説明会となります。

24日17~20時
25日14~17時
パネル展示に説明員がつく方式で説明をしてもらえます。

当初ルートでは、朝霞市と和光市にかけて並行するA滑走路15本/時、C滑走路30本/時の着陸便両方がかかっていたものが、荒天時以外は、A滑走路15本/時のみがかかるように第2回の説明会から変更になっています。ルート変更による軽減はこれ以上にはなく上空に航路が設定されることがほぼ確定です。
今回の説明では、落下物の対応体制、落下予防の出発時・機材への対策、騒音調査地点の追加が前進した内容です。当初は破棄されると伝えられた大田区と国との協定も、(いい条件ではないものの)改定されて残るとも聞きました。辛うじて航空行政に制約をかける自治体の数少ない手段が、大田区と限定された場でありながら残ることとなったようです。
説明員の国土交通省職員からは、飛行時間の拡大は、ないと何度も明言されていましたが、根幹には、日米交渉のなかで羽田着陸便を増やせというアメリカ航空業界の圧力があること、航路の設定や運用は自治体の拒否権も国会承認事項もなく、どこまで守られるかわからないものです。航路に関しては、何ら当事者や自治体の同意が必要ないという恐ろしい制度のもとで、何ができるのか考えさせられました。

2015年夏のニュースで悪い予感がして国交省に電話したところから取り組んできた課題、一つの到達点で、あとは騒音の迷惑をもろに受ける品川区・大田区の方々がどのように運動を展開するかにかかっているように思います。

また基礎自治体である朝霞市としては、これから、航空機災害の対策を検討する課題と、埼玉県警が取り組むとされているものの落下物への対応体制の明確化と市民への周知が取り組むべきこととなったように思います。

●テロ、CO2、新型ウイルス、出張の多い働き方と、航空機が関わる社会問題が次々につきつけられているなか、ただただ羽田着陸便を増やし続けて密度を上げる航空行政の志向に疑問ばかりです。
通勤電車に国費はほとんど投じられないなか税を使って新幹線を誘致した地域に、航空便を飛ばすべきなのか、ということも検討していくことが必要ではないかと思っています。見解の違いはありながらも、羽田の過密化が、週末の航空機の遅延を常態化させているところもあります。航空行政の担当者ではあったものの、説明員には、羽田空港へのそもそもの負荷軽減を新幹線や働き方改革などと分担しながらやる必要があるということも申し上げておきました。あまり意味のないメッセージですが。

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2016.04.05

4/5 規制改革会議こそリストラせよ

昨日、「自治日報」を読んで、規制改革会議がやっていることのレベルが低すぎて吹きました。

保育園の入所申請に自治体が提出を求めている、就労証明書の書式が自治体によってまちまちで民業の圧迫だから厚生労働省が規制せよ、という方針を出したことをめぐって、地方六団体が地方分権に逆行していると反発していることを伝える記事でした。
冗談だとおもって内閣府のホームページに当たったら、真剣にそうやって記者会見をしていました。

その中の法規制というのは時々に見直すのは当たり前にしても、いつまでも規制が強すぎる社会だ、という前提に終わらない規制緩和の革命をやり続けているうちに目的と手段が入れ替わってしまっているような感じです。

天下の大企業のトップや、一流大学の先生たちが集まって、保育所の就労証明書の書式が自治体によって違うからけいしからん、なんて議論すべき場所なんでしょうか。行政改革の一環として規制改革の運動があるのだとすれば、日給何十万もするような大企業のトップに就労証明書の書式をめぐって議論させている方が、もったいない話です。

規制緩和委員会から始まって、21年。後半15年は公共サービスに対する鬱憤晴らしみたいな世界で迷走していて、もうそろそろ規制改革会議を解散させて、リストラした方が民業の圧迫にならないのではないか、と思っています。

●民進党に再編され再出発した野党陣営も、規制改革会議のような枠組みの規制改革の片棒を担ぐことが改革派だ、なんて言うのやめてみたらいかがかと思います。

●動きにくい閉塞感って、もはや規制の問題ではなくて、規制をはぎ取った後に残っているベタっとした社会風土や、我々が先入観で正しいと思い込んでいるものが根強いということなのではないかと思っています。

●だめな社会で権力を握り続けるのは、敵がまだ潰れていないと言い続けることです。規制改革ってどうもそういう感じがしています。規制強化VS規制緩和という構図じゃなくなっている分野に、いまだに規制があるはずだ、だからこの分野はだめなんだ、と言い続けると、どんなにだめなことやり続けても存続できる。やることなくなったらさっさとやめて次のやるべきことをやる、これが本当の改革のはずです。

●天下の大企業のトップや一流の先生たちが集まって、保育所の証明書書式を議論しているところに、日本でイノベーションが起きない最大の原因だと思います。

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2015.04.27

4/27 保育制度を議論する方に読んでほしい小林美希さん「保育崩壊」

Hoikuhoukai岩波新書から小林美希さんの「保育崩壊」が出版され、私にも本を送ってくださいました。

小林美希さんは、小泉政権全盛期、若者の失業と貧困は彼らの努力不足で片付けられていた時代に、若者がほんとうにひどい働き方をしている、ということを克明にルポルタージュし、経済誌に特集を組んだ人。若者の失業や貧困問題、今日の「ブラック〇〇」とされる問題に最初に目を向けさせた記者でした。
朝霞市の男女共同参画セミナーで講演すると聞きつけ、仕事を休んで講演を拝聴、そこで知り合いになり、時折意見交換をしています。

今回の「保育崩壊」は、保育制度ではなく、入れるか入れないかだけではなく、保育所で保育士と子ども・保護者の間で何が起きているのか、保育士はどのような状況に置かれているのか、ということを中心に書かれています。

思い起こせば、1999年自治労で保育労働運動を担当せよと辞令を受け、保育所は高コスト体質でだから待機児童問題がなくならない、と強引に展開する世論と、その結果として小泉純一郎から樋口恵子さん(時には労組内の女性労働運動)まで「抵抗勢力」と呼ばれて防戦一方のなかで、職場のシステムや職員配置基準は守ったけれども雇用の流動化や賃金水準に関してはかなり犠牲を払った結果に終わった経験があります。
最近、ようやく保育士の確保不足がクローズアップされて、雇用のあり方、働かせ方、そして賃金のあり方も注目されて、「高コスト体質」と批判してきたことの弊害が出てきていることが明らかになっています。
著書は、直接、そうした経済政策論争に首を突っ込んでいるのではありませんが、この間、経済政策論争の犠牲になってきた保育現場をフォローする意味で、保育制度の議論をする方々には必ず読んでほしい一冊です。

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2014.04.21

4/21 自治体の「後援」と公共施設の貸し出し

さきほどNHKニュースで、今まで自治体の「後援」を出していたイベントが、急に出さなくなったことが問題として取り上げられていました。このニュースは、バランスのよい報道で、久しぶりにNHKニュースらしいバランス感覚が出ていたと思いました。

さて、中学生の頃から、政治的反骨精神が強い私からすると、自治体の「後援」って何で必要なの、という疑問をかねがね持っていました。

札幌市は公共施設が多く、あまり自治体の承認の有無によって公共施設が借りられたり借りられなかったりということは少ないのですが、朝霞に戻って、千代田区が職場になって、それぞれの自治体で、会議室を借りようとすると、参加者の名簿を官僚に提出させられ(当時)、利用者が市民であることが問われるほか、自治体の「後援」を得る得ないで借りられる条件が全然違うということによく直面しました。

そのため市民活動団体が、自治体の「後援」をもらいにいくということが当たり前のこととして行われているこどかわかりました。実際には便宜的なものとして後援を扱い、自治体の側もよほどのことがない限り、トップマネジメントの一環として「後援」を出すということが行われています。
しかし、やはり政治的色合いがチラチラする催しになると、行政の裁量として妥当なのか、という問題が表出し、そのことが貸館や、イベントの案内としてのビラ置きまで含めての、表現の自由、結社の自由が左右されることになるのです。

本来は公権力から自由に集会を打ち、言論活動をし、表現をしてよいはずで、公共施設はそのための場であるのだから、本来は自治体の「後援」から自由に、平等に、機会が与えられるべきなのではないかと思っています。本来はそうしたことは「後援」とは自由にあるべき姿ではないかと思ったりもします。

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2014.01.23

1/23 いまだに前川リポートのままの細川陣営

ようやく公開された細川氏の都知事選の公約が小泉・宮内義彦時代の構造改革のままです。
(日本独特の公職選挙法上、なかなか候補者や陣営どうし、候補者と有権者の間の論戦ができないしかけになっているなかで、選挙準備段階から政策を公表して、批判や指摘などを受けながら修正して作り上げられたわけでもない政策を政策と呼んでいいのか、単なるインディアンポーカーのカードぐらいの意味しか感じませんが)。

「国家戦略特区を活用し、同一労働同一賃金の実現を目指すとともに、ハローワークは、国から都へ移管し、民間の職業紹介とも合わせてきめ細かな就業支援を実現します。また医療、介護、保育、教育などの都民生活に密接に関係する既得権のしがらみを断ち、国ができなかった思い切った改革を進めます。それぞれの分野で、新しいサービスの創出と産業としての発展につなげます。」

医療福祉分野の長い歴史をかけて考慮されてきた政策を「しがらみ」と決めつけて、政商に売り渡そうという政策。1986年に前川リポートとして書かれ、1993年以降の政治改革ブームで政治テーマとなってから20年間、しがらみつづけたものの見方です。
これだけの時間同じこと言い続けることがどれだけしがらみか。
1945年~高度成長期の1970年→25年
1973年のオイルショックからジャパンアズナンバーワンの終焉1992年→19年
というぐらい長い時間、構造改革をもっと、と叫び続けた。その源流にあった細川氏が東京都を舞台に「構造改革」をやってさらに民生をやせ細らせようとしています。
経済政策については、そろそろものの見方を変えなくてはならない段階に入っています。それができないというのが、細川・小泉連合軍ではないかと思います。

1997年から規制改革委員会が保育や医療など、彼らの「しがらみ」をつぶせと打ち上げて、2010年頃まで待機児童対策も解決しなかったし、周産期医療も小児医療も救急医療も崩壊する一方でした。医療界で増えたのは当たり外れの大きい心療内科と美容整形と、コンタクト眼科ばっかりです。
雇用政策も含めてその矛盾が出てきたのが2007年、今は新たな経済モデル、社会モデルを模索すべきときに、30年前のカビのはえた「しがらみ粉砕」で選挙やってよいのでしょうか。またそれらは、都政が密接に関わってくる政策そのものです。

脱原発政策は、都政ではできない政策ですから、それ以外の政策がどうなのかきちんと吟味しなくてはならないのではないかと思います。都知事選で国政の重要課題が判断ができるかのように思わせて他の政策の判断力を奪ってやる選挙、ナントカ商法みたいなものです。

●というような批判をすると、おまえは脱原発の大義の前に裏切るのか、というようなご批判を左派陣営から受けますが、そういう権限にもないことを踏み絵にさせる選挙をやるから地方自治が育たないんです。また、つかめもしない大義のために生活がどうなっても構わんという考え方こそ、第二次世界大戦への道からの反省ではないんでしょうかねぇ。

●非自民の崩壊、つまり民主党の失敗を検証すると、勢いだけでものを言うことが政治と勘違いする、日本新党の政界参入にまでもどって考えなきゃいけないことじゃないか、と思うんですが。そのパターンは変わっていないということです。あの人とあの人とあの人とあの人の製造責任があるんじゃないかと思いますが。

●こういう争点設定に何の疑問も投げかけないオピニオンリーダーの知性って何だろう、と思います。また地方自治や自治体に関しての研究者から、自治も何もなければ、原発立地という当事者性もない国政テーマで選挙戦を争われている現状に、何の批判も出ていないのが不思議です。保育分野や職業紹介分野なら、自治だ分権だとかまびすしい議論があったのに…。

●自治体の選挙で、当事者でもないのに国政課題が自治体の権限の政策に優先させることをやっている限り、自治体議員は、ネットウヨみたいなものから絡まれて踏み絵を踏まさせられる状況は打開できないんですわ。多くの若手議員が、彼らの本質と乖離してものすごい右翼的な発言をしていくようにOJTされてしまうのも、できることをきちんとやる、ということではなくて大義ばっかり議論したがる、政治の議論のあり方に由来しているのです。

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2013.11.06

11/6 NHKのいう「岩盤規制」って何ですか

NHKの「時論公論」で国家戦略特区が「岩盤規制」を切り崩せるか、という前提から話に入っています。

ここ15年の規制緩和、規制改革の議論の果てに、やはり規制を緩めることは難しい、と結論づけてきたものを、「岩盤規制」として論証もなしに不合理で経済の足を引っぱっていると決めつけたこの報道のあり方はおかしいと言わざるを得ません。

むしろ規制緩和で、競争がダンピング合戦になり、生産性が下がった世界も少なくありません。規制緩和でガンガン働かされ、働けども働けども豊かにならない、とすれば、それは規制緩和で豊かになったということにはならないのだと思います。規制緩和を議論するときに、そういうマイナス面もきちんとふまえて、規制があれば、官僚がいて「岩盤規制」とレッテル貼って、シロウトを騙すような商売をマスメディアがすべきではありません。

また、そもそもテレビ業界ほど規制業種はありません。インフォーマルな部分でも、かつての国営企業・電通が広告の半分以上を握っていて、まさに「岩盤規制」そのものです。独禁法を適用して広告代理店の寡占をやめさせることは重要じゃないかと思っています。
さらには、そのなかでもNHKの存在は、「岩盤規制」への批判のロジックから言えばまさに「岩盤規制」そのものの存在じゃないのでしょうか。私は、規制も必要なものがある、という立場ですから、そういうNHKでもよいとは思っていますが、当のNHKの解説委員が「岩盤規制」という前提から話をするなら、NHKこそ市場化テストをしてみたり、分社化して競争させたり、してみてそれで放送の質が上がることを証明してもらいたいものです。

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2013.03.07

3/7 パスポート申請・交付が市でやらされる問題

海外に行かないので、自分のまちにふりかかってくるまで考えてもみなかったが、パスポート申請・交付事務を県から市町村に移譲することになっていて、朝霞市でも来年度予算で10月開始を前提に予算案に組み込まれています。

しかしよく考えると、どうよ、と思うことばかりで

1.県の事務を押しつけられているだけではないか。経費に対する県の補助があまりにも低く、市町村は県の行政改革のつけまわしをさせられています。朝霞市はそのために、申請チェックのために常時3人の職員を配置しなくてはならなくなります(3人新たに配置させて、県からの交付金は140万円弱に初年度加算で90万のみ。申請事務の職員を年収45万円でフルタイムで働かせるように雇えというのですかねぇ)。
2.現在、埼玉県のこの地区は川越駅の上のパスポートセンターで交付を受けているが、そこまで電車で20分、電車賃で往復600円に過ぎません。そのコストを考える、年間5000人の申請者のためにいくら使うことになるんだということが出てきます。極端な話、パスポート申請した市民全員に電車賃をプレゼントしても、県のセンターを使ってもらった方が朝霞市にとっては合理的です。
3.そもそも国の事務を県がやらされていることで、さらにそれを市町村にやらせるというのは、事務の複雑化以外何者でもないように思います。
4.県のセンターであれば、パスポート審査だけに特化できますが、朝霞市ぐらいの規模の市町村の窓口だと、住民票交付や印鑑証明の交付など並行して行うことから、仕事として混乱するし、専門的なチェック能力は低下せざるを得ないように思います。
5.テロリストや犯罪集団の脅威へのディフェンスという観点では非常に弱くなるのでなはいかと思います。県がやっていることだから、官僚的にお役所仕事的に不備の申請を門前払いできていますが、顔の見える市町村職員が強い圧力を受けたときにどこまで抗しきれるのか、不安です。
6.市の他の事業との相乗効果は見られません。保育園や介護施設の設置認可の権限移譲みたいな話とは全然違う、別の仕事がポンと地方分権の名前を借りて降ってくるだけという感じがしています。
7.申請書をチェックして送り、パスポートを受け取って市民に渡すという業務が県の事務の両端で市がやることになるので、申請から発行のリードタイムが延びます。

その割に便利になるのは朝霞市に日中いる人だけで、勤務地によっては今より申請しにくくなる人も出てきます。外交に関する事務ですし、そこでえた情報を市町村が勝手に使って何かできるというものでもないのですから、自治体にさせるべきものなのか、疑問です。

コミュニティーとしての自治体には、コミュニティーの業務の分権をしてもらいたいものです。

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2011.08.30

8/30 都会の人の払う電車賃だけで複々線化は進んだか

八代尚宏「新自由主義の復権」を読んでいる。この本を紹介していただいた濱口桂一郎さんのブログではそこそこ高い評価をしているが、私はやはりイデオロギーにがんじからめになっているものの見方が随所に見られるところを感じるし、公共投資に関しての考え方は全く間違っているように思う。

p79で、都市部の鉄道の利益は都市部の投資に回されるべきだった、と書いていてそうすれば都会の通勤混雑はいまほどひどくなかったかのようなことを書いている。
しかし現実を見ればそれは違うことがわかる。東京にしても関西にしても複々線化は国鉄の方が先行し、一番遅い総武線でも国鉄時代の1979年に終了している。それが都会の運賃でまかなえたかということには、wikipediaなどでは疑義を呈する書き込みもされている。分割民営化時に処理に苦しんだ累積債務額はこのときの複々線化の投資五方面作戦によって膨らんだという説がかかれている。

一方の都市内で運賃を循環させてきた関東や関西の私鉄が、複々線化を先行させていれば八代氏の論は当たっているが、最も早い東武伊勢崎線で1974年(北千住・竹の塚間6.3㎞)、続いて13年も間をおいて1987年に東武東上線がわずか5キロ足らず(和光市・志木間)、次は東急東横線(田園都市・武蔵小杉間)、西武池袋線(練馬・高野台間)にとどまり、小田急線に至っては30年近くかけて大部分の工事が終わったもののいまだに十分に増便できる複々線にはなっていない。京王線と西武新宿線は、混雑がひどいにもかかわらず、経営状態がさほど悪くないにもかかわらず、財務的に耐えられないからと複々線化を断念し、事前に運賃に加算して作った積立金を運賃値下げで乗客に返してしまっている。

新自由主義の限界がこういうところにある。規制緩和や参入規制の緩和、公的事業の収益使途の制限緩和をしても、そもそも増収額を大きく圧迫するような設備投資は、私的事業では限界があるのだ。社会主義と言われようがある程度、公的な力を使っていかないと社会基盤は整備されない。

このことは最近では保育所問題がそうである。保育所不足がいっこうに抜本的に解消されないのは、参入規制の問題ではなくて、参入してくれる事業者がいないからだ。公立保育園を民間委託したくてしたくてしょうがない自治体の企画部門の職員たちが頭を抱えるのは、委託を受けてくれる保育所経営者がいないからだ。私のような労働組合の側からすると、自治体が描いた公立保育園の民営化計画も、このことで何度も先延ばしになって救われた事例もある(代わりに猛烈な非正規職員化が進んだが)。
参入する事業者がいなければ国や自治体がやるしか選択肢はないのに、それを頭から社会主義などとレッテルを貼って避けているから、いっこうに社会基盤、セーフティーネットが整備されないで、みんながたくさんの貯金を抱えながら、公的資源のもとではひいひい限界のような生活をしている。通勤電車現象といってよい。

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2010.06.19

6/19 子育てしない政治家が決めること

経済成長のために、混合診療を認めるなどという菅政権の政策。

混合診療は、公的医療保険に取り込まれない診療を助長するというもの。結果、経済力による医療を受ける権利に格差を広げるもの。映画「シッコ」を見てみろと思う。小泉政権でも、逡巡して解禁をしなかったものだった。
子育ても人間のケアもしたことのない菅、仙谷、枝野が引っ張る政権の限界を感じる。消費税の決断は評価しているが、しかし個別政策では生活よりゼニカネの論理なんだよなぁ。
反対すれば、事業仕分けみたいな場所で、抵抗勢力というレッテルを国民の前で貼られて「何を言ってもムダ」と思わせるような権力的なことをするところが、小泉政権と似た体質がある。

●民主党のマニフェストで分かっているんだか分かっていないんだかで書かれた、保育所の規制緩和の方針。

規制緩和論者が誤解しているのは、規制緩和で成長する産業は、もともと消費者の負担するお金だけで儲かる産業だから。
何かの基準を設定して、それをもとにルールでもって公的助成を入れないと維持できない産業については、規制緩和とは、質の悪い事業者ほど公金を持っていく制度になるということ。

また、地方分権と規制緩和を混同して、保育所の規制緩和ネタに地方分権を引っ張り出すような政治家も多いが、東京や川崎や横浜で規制が高すぎるから保育所が整備できないとすれば、その規制はこれまで地方分権の論理でかさ上げされてきたもの。他の地域では、そこまで規制は高くない。
規制を引き下げるために分権の論理をふりかざせは、東京では全く意味がないことになる。

●同僚が「民主党を応援するモチベーション下がるなぁ」とため息。
世論を煽動すれば、支援団体の一運動員がモチベーション上がろうが下がろうが関係のない政治風土なので、どうということはないのだろうが、命と健康に関わる政策については、一歩踏みとどまって考える冷静さを持ってほしい。経済学的な価値判断だけが、社会の善悪の全てを決定するということではないのだから。

●原発14基増設も追認。右肩上がりの論理だな。

●正直、すっきり投票できるところがない。小選挙区制がいけない、二大政党がいけないなどという一部の政党があるが、それ以上に選択肢が提供されていない。選択肢が提供されていない以上、二大政党制であろうが、比例代表制による多党制であろうが、変わりはしない。

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2010.06.15

6/15 著作権法違反で中学生が逮捕とは異常ではないか

マンガをyoutubeでアップロードした中学生が、著作権法違反で逮捕された。

違反は違反なのだろうが、それぐらいで中学生が逮捕されるべきものなのか疑問だ。中学生が逮捕されるというのは、暴力や殺人など、ごく稀なことだ。

著作権の保護は大切だと思うが、それが何のためにあるのか、ということが重要。本人の著作活動のため。一方で著作物は社会的財産という側面もある。著作権法が厳しくなって、著作権の所有者が明確でない芸術作品に触れることができなくなったり、著作権の長期化で、著作物が株や土地のように作者を離れて取引されて利権化し、社会に出回らなくなってしまっている面もある。
最近、著作権の私有財産としての価値ばかり強調して、それを保護しようということが過度に重んじられていないかと思う。

●テレビで出てきたコンピューター著作権の団体の専務が「倫理やモラルではなくてルールですから」と言い張っていたが、倫理もモラルもないルールを押しつける論理というのは、ハゲタカファンドのやり口と同じだと思う。著作権は何のために守られなくてはならないのか、そこをきちんと説明する必要があるのではないか。

●鳩山前首相・平野前官房長官の退陣で、著作権の期間を、著作者の死後70年まで延ばす法律がとりあえず先送りになっていったことはよかった。著作権の保護は、著作者と、著作者と生計を一として巻き添えで生活が犠牲になった人たちが死ぬまでが限界だろう。著作者と縁もゆかりもない人が所有して保護されることは弊害が大きい。

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