2017.06.16

6/15 プレイワーカーによるロンドン報告を聞く~子どもとコミュニティーをどうつくるか

Dscn900115日の市議会の委員会終了後、自然を守る会の主催の、朝霞市のプレーパークのプレーワーカー関戸さんのロンドン視察の報告会を聞きに行きました。
脳の役割の大きいヒトの子どもにとっての遊びの必要性から、ロンドンのプレイパークの実践や歴史、政権交代による支援策の変化、人と人とのつながりをつくる都市環境からの様々なアプローチ、道路を時々通行止めにして遊び場にする取り組み、病院での子どもの遊びの支援など様々な示唆がありました。

Dscn9003このうち道路の遊び場にする課題は、私がクルマ社会があまりにもひどかった札幌市に住んだときに運動として取り組んなたことを思い出しました。9年あけて帰ってきた朝霞市もそうなってしまっていました。市役所どおりの裏通りなど昔は子どもが走り回っていて、ときどき沿道の商用車が遠慮がちに通るだけでしたが、今は路上の子どもの落書きなど滅多にみられなくなりました。コミュニティーって自治会町内会に所属「させる」ことだけではなくて、こういうことでのつながりから起きてくるのではないかと思っています。ベンチも何もなく、広くもないのにクルマだけが通るためだけの生活道路に、近所で助け合う人間関係ができるかという感じもしています。

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2016.10.26

10/23 人口減少は収縮ではなくスポンジ化で進行する

23日「市民と議員の条例づくり交流会議」主催の「スポンジ化する都市にどう向き合うか?人口減少時代の自治体議会の役割」に参加してきました。

講師は首都大学東京准教授、饗庭伸さんが。昨年発刊された著書「都市をたたむ」で明らかにされた、人口減少時代の都市の人口減の話と、議員や地方政治の課題を論じ合う場でした。

都市は拡大過程に見られた同心円状のスプロール化と逆に向かって収縮してコンパクトシティになるのではなくて、スポンジ状に気泡が入るように人口が減っていくから、その気泡となった部分を市場で処分できれば市場で処分してもらうように促し、時々何か有効な活用があればそれは公共空間として議論してみんなで使うことを考えて埋めていけば、幸せな都市になっていくのではないか、という問題提起を受けて、後半の首都圏各地の議員、市長の取り組みと対応策の紹介でした。

各地の報告は4都市から。
・鶴ヶ島市の山中市議:公共施設の再編に取り組んでいることと、それでできた余剰空間の使い道を市民参加でまとめているのに苦悩している報告
・流山市の近藤市議:人口増のいびつな進み方と、市内で旧来の住宅地などを使ってスポンジを埋めるように起業を支援して、通勤とは別の働くモデルを開発している報告
・東村山市の伊藤副議長:人口減が始まっていることと、駅のいびつな配置から苦労している報告
・八千代市の秋葉市長:旧来型の住宅地と、最近開発された住宅地と双極的な開発に、旧来型の住宅地のワークショップを通じててこ入れを図っていること、住生活基本計画の予備調査をしたことがいろいろなまちづくりの基本的なスタンスを決めるのに役に立ったことが報告

●饗庭伸さんの会場、報告者とのやりとりのなかで興味深い話がありました。東京のベッドタウンが最もクルマを使わない地球上エコな生活をしている人たちだ、という紹介と、それを維持するように、という釘がさされていました。東京のベッドタウンもマイカー依存のライフスタイルが広がりつつあります。そのなかでよいこと言ってくださいました。鉄道会社の過度な減便ダイヤ、バスの衰退、郊外型ショッピングモールの誘致合戦など首都圏でも杞憂する事態が進行しつつあります。

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2016.05.12

5/11 朝霞台駅周辺の商業地区の規制対象が変わります

10日、朝霞台地区の地区計画(個別の地域の土地利用や都市計画の規制の例外を設定できるしくみ)の見直し案の説明会がありましたが、11日、担当課に確認してきました。

内容はクラブ営業で話題になった、風俗営業法の改正にともなって、6月23日から、規制対象外になったナイトクラブ(深夜営業なし)、ダンスホールの開店が可能になることの説明でした。

朝霞台駅・北朝霞駅はそれぞれ13万人が利用し、9万人が乗り換え客。頭数では、朝霞市の人口以上の17万人の方が利用している駅です。駅ナカビジネスがうまくいくなか、鉄道会社が違うことで、わざわざ改札の外に出てきてくださる乗り換え客が9万人もおられます。
まちとして可能性も高いし、乗り換え客が一息つくことができるサービスがもっとあった方がよいように思います。その中で、お店の多様性や数がもっと増えたらよいと思っています。

一方で、朝霞台駅周辺は、武蔵野線が不便だった時代に早くから静かな住宅地として開かれた歴史があったり、開発可能性の高い商業地域ということで、かえって居住用の分譲マンションが林立してしまったことから、商業地としての利用を活性化することと、すでに住んでおられる人を守ることとの調和をさせる仕組みが大切ではないか、と考えています。頭ごなしにダメか解禁という規制だけではなくて、迷惑を出しそうな営業活動が始まりそうになったら、近隣住民と話し合って落としどころをさぐる仕組みを考えなければならないのだと思います。

●低照度飲食店がダメということで、おそるおそる暗めのバーはだめなんかい?と確認したところ、10ルクスなのでほとんど客同士が見えないような店のことです、という回答でした。人も飲食物も見えない飲食店って…。

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2015.02.04

2/3 「成長管理型」開発の佐倉市・ユーカリが丘を見学

昨日、市都市建設部長のご紹介で、佐倉市の副市長を訪問し、佐倉市役所とユーカリが丘にうかがいました。佐倉市役所の都市開発の進め方をお聴きし、ユーカリが丘の「街ギャラリー」でのジオラマと実際のまちなみを見学しています。

開発業者が、7800戸3万人の開発人口を一気に売らずに、200戸程度を微弱に売り続け、世代が偏らない「成長管理型」ニュータウン開発が、藻谷浩介さんなどの紹介で知名度が上がっています。
居住者には厳しい建築協定を設定し、それが佐倉市の地域づくり政策にのって住民たちの提案による地区計画として強制力を持つものとして完成され、まちなみは美観は保たれています。ライフスタイルにあわせてユーカリが丘の中で、マンションと戸建てを移動できるシステムを整備して、「ゆりかごから墓場まで」の居住を保障していることは勉強になりました。保育所や介護施設などの住民ニーズにあわせて事業を整備しています。これらを民間事業者がほとんど自らの手で絵を描いて実現していったことは評価されるべきものです。

ユーカリが丘の開発が普遍化できるか難題なのは、土地の付加価値を維持するビジネスなので、中・高所得者を対象としたまちづくりとなる限界があること、そのための副作用はいろいろあるなぁ、と感じました。市の担当部長は、開発当初、お受験や塾の蔓延などは課題だったと申されました。
こうした問題意識は、東京の南西部型の成長モデルでは限界がある、北東部型の様々な所得層や働き方の人がいる社会構造に対応する、獨協大学地域政策研究所が提言するポスト・ベッドタウンによるものです。

佐倉市役所は、道路やペデストリアンデッキの開発など、行政が担わなくてはならないことも多くあり、その調整には多大な労苦をともにしていることもうかがえたと思います。
また同市は、住宅開発の都度、高度な景観保持の条件を要求し地区計画の設定を支援してきたことや、国土交通省に規制される1994年頃まで住宅開発に際して、公共施設整備目的の負担金を請求していた歴史など、積極的に開発を調整して良質な住宅地を残そうとする職場の伝統と職員の経験・能力を感じました。

●1995~2004年に大量にマンションが供給されてそれっきりになっている朝霞市が、保育所不足や、これからやってくるであろう介護サービスの不足、地域の人脈の空洞化など、課題が山積している状況と対比させながら、課題を洗い出して行きたいと思います。

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2014.11.19

11/18 まちづくり関係の2つの会議を傍聴

まちづくりに関する2つの審議会・委員会をチェックするために傍聴しました。

18日夕方は、朝霞市の総合振興計画審議会を傍聴。2016年からスタートする10ヵ年の総合計画の策定をしています。市の全体計画なのに、議会には抽象的・基本的な事項しか審議にかけられないので、詳細は傍聴して逐一、感想を言っていくしかありません。そのためしつこく傍聴するようにしています。

18日の審議内容は、総論と基本構想。今回、話題になったのは、ここにリンクさせる「都市マスタープラン」というどこをどういう地区にしていくのか、という図面。リンクさせるはずなのに、審議会の全体会に初めてかけられ、承認してくれ、という提案だったので、委員からは猛烈な反発がありました。その反発のなかには一部思い違いもあるように見受けられましたが、公開された全体会で揉んでこなかったことは、確かにあるな、と見ていました。
市民がまちづくりというと、やっぱり地図とハコモノに向かってきます。そこは大事だし、委員のみなさんもそれは気にすると思います。

来年1~2月頃に30日間の第一次のパブリックコメントが行われることも決定しました。

19日朝は、基地跡地利用計画検討委員会を傍聴。
私が市議会議員になった大きなテーマの一つなので傍聴したかったのですが過去3回とも用務とぶつかって聞けず、ようやく傍聴いたしました。今回は、いくつかの重要な提案がありました。
①公務員宿舎跡地の用地を公園ゾーンとし、図書館・中央公民館隣接地を公共施設用地のゾーンとして入れ替える。
②新たにすでに小中学校や福祉施設、体育施設等があるところはそうしたゾーンと位置づける。
③いわゆる「シンボルロード」の計画を市役所前交差点まで伸ばす。
④商業のゾーンを朝霞駅周辺から、旧イイダ前の通り、城山通りまで拡張する。
⑤新たに旧川越街道沿いを商業ゾーンとして位置づける
という内容です。
公共施設用地の確保をめぐって委員間で大きな意見の違いがあり、今後の課題となります。

単なる安らぎの空間として作っても市民に大事に思ってもらえない、という大事な提案がありましたが、それが、世界一の公園とか、起業の場に、という実体があるように思えない話になってしまったのはちょっと残念な感じがしました。その関連でシンボルロードのあり方について自由な議論があったと思います。

最近のまちづくり系の議論は、集客力と経済的利益に議論がひっぱられるな、と感じています。池袋には勝てない、池袋ではできないことをする場、周辺の商業のあり方を模索しないと、集客力や経済的価値の創出に議論が引っぱられると、結構しんどい展開になるのではないかと思います。
朝霞市民は県内4位の所得水準で、人口も13万人と地方の県のナンバーツーぐらいの都市と同じくらいの人口があるのですから、池袋の向こうをはって集客力などいうよりも、市民が寄って使っていく仕組みがあれば相当なことができるのではないか、と思っています。

また副会長から、ハローワークの位置一つ調整できなかったのに大丈夫なのか、と不安を指摘する意見がありました。名前こそ出さなかったものの私が市議会で問いただしたことも言及していただきました。

そういうことはありながらも、歩きたくなるような利用をしていきたい、という市、委員全員の共通した価値観はできあがったのではないかと思います。

●もちろん美しい表現をしようと思ったのでしょうが、「バスに乗っている人がバスに乗らずに歩きたくなる」という委員の発言があったので、終了後、認識が違う、バス利用者は歩いていないのではなく歩くこともあるけれども、歩きたくなるまちづくりの最大の敵はマイカーの濫用なので、バスと歩行者を対立するものという価値観を改めてほしい、と申し上げました。
朝霞市の公共施設の過剰な駐車場へのニーズは、公共交通の不足と公共交通への誘導の不足にあります。

●商業ゾーンとして位置づけされて、それが都市計画上でも商業地として指定されると、土地の付加価値を最も生む活用が分譲マンションの建設・販売となってかえって商店がなくなる、ということにならなければいいなと思っています。この点、金融資本と不動産業が何より強い産業になっていて、身内でもこうした状況をめぐる深刻な意見のちがいがあって、胃の切れるような思いもしています。

●私は公共施設用地の「種地」の解釈をめぐってどうしたらよいのか、時間軸を加えて考えていった方がよいのではないかと思っています。
もちろん私はハコモノ公共事業で都市開発されると活性化するなどという、ピカピカツルツルの無機質さを求めているわけではありませんが、じっくり考えながら、市民が参加するということが徹底された上での公共施設の再配置と、それにともなう空間を作ることに全く否定できる論理ばかりではないと思っています。とにかく一足飛びに何かを作るのではなくて、じっくり議論と思考を重ねて、基地利用を展開していくことが大事ではないかと思っています。
公園として保全したいという考えと最もぶつかる大きな課題は図書館ではないかと思っています。人口9万・マンションがあまりない時代の都市条件で作られた図書館は、敷地不足が深刻な状態で、読書や蔵書スペースの確保が課題、市民活動団体からの要望も提出されています。将来的には想定される公文書保存などの業務など、対応できないなど新しい朝霞市のための課題も出てきます。そのあたりを公園だけ、という主張でよいのか考えなくてはならないところもあります。
朝霞市は現在、財政難で、複雑な金融工学を利用した公共施設向けのリースを使わない限り、施設建設はできない状態です(仮に今すぐ金融工学を使って建てたら、今度は債務残高が問題になり、本当に財政に黄色信号がともり、総務省からの介入を受ける危険性があります)。市の貯金と、健全に借りられる市債の範囲からしか公共施設を作らせない、というタガをはめることが、大事ではないかと思っています。

●都市計画系の構想図の独特なペインティングって何とかならんか、と思うところがあります。20年ぐらい前から使われている手法ですが、地図に素直に線を引けばいいのに、太いカラーの点線と両矢印、太いカラーの楕円をあちこちに乗せていきます。
説明を聴かないと全くわからない図面で、誤解も生まれるし、疑いも生みます。正確な図面なら混乱しない話が、この手の書き方をした地図がでてくると、議論の混乱が多いな、という感覚もあります。
都市計画畑の文化なのか、コンサル業者の体質なのか、改善してほしいものです。

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2014.11.08

11/5 地方創生の矛盾

11月5日、自治体議員政策情報センター虹とみどりが主催する、地方×国政策研究会に出席しました。
勉強したテーマは地方創生とマイナンバー。

政府が推進する「地方創生」の前提となる東京一極集中とそれ以外が地域崩壊に向かう現状と、なんとかしなくてはならない、という問題意識は共有しますが、その手法にいくつか問題があるのではないかと思っていましたが、改めてそれを感じました。

その問題点としては、全自治体に新たな計画づくりを「努力義務」にすること、そのために「縦割り」排除や「数値目標」設定など結果的には無個性な計画しかできあがらないことが目に見えていること、そのことで自治体職員が余計な労力をかけることでかえって地域の問題解決に向けての行動がされなくなること、などが挙げられます。また財政としては、交付金の話がちらちらしていますが、中央政府のお墨付きが着いてお金がもらえる仕組みより、現在の地方交付税が将来にわたって安定的に維持されることが大事では無いかと思います。

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2014.07.30

7/29 空き家問題は適正な固定資産税の課税から

今晩のニュースでは空き家問題がクローズアップされています。都市部の不動産屋に弱い自民党政権のもとでは、固定資産税の減税を拡大することばかり提案されそうな状況です。

私は、生存のための居住用住宅として固定資産税の減免があるのだとすれば、建物があるというだけで住んでもない家・土地の税金を減税していることの方が奇異に見えます。
少なくとも朝霞市の市街地は、土地があいて市場に放出されれば人が入ってきます。そういう状況であるならば、住みもしなければ管理もできない家を後生大事に持ち続けるより、貸すなり、売るなり誘導すべきなのではないかと思います。そのためには居住の実態がない家屋・土地には固定資産税を本来税率で課税して、ムダに相続財産を持ち続けるインセンティブを外すべきではないかと思います。

自民党あたりは取り壊して更地にしても固定資産税を減免を継続させようということを考えているようなのですが、全くナンセンスで、今度は使われもしない空き地が、紙幣の代わりに相続財産として遺族によって持ち続けられて、再び相続でどんどん持ち主が細分化していくだけです。そのようにして権利が複雑な死に地がいたるところに出てくるだけです。

一方で密集住宅地には、ポケットパークなどの憩いのスペース、公共駐車場など必要なところもあるので、その地域地域にあったニーズに関して、更地にして公共目的に無償貸与してくれるのなら固定資産税を思い切って減免するようなことはあってもよいのではないかとは思います。

よく言われるのは危険な空き家の取り壊しを市として積極的に代執行せよ、というご意見ですが、他の自治体の事例では取り壊し費用の回収が建物の持ち主からできていません。朝霞市では、税金の滞納や給食費の滞納の取り立てをかなり厳しくやっています。払えない人も苦労して払っているなか、遊休資産の処分をきちんとしない市民のために役所が代わりにやった費用が踏み倒されて、市が最終負担するということは認められないのだろう、と思います。
もちろん、これも取り壊した後の土地を市として強制処分して取り壊し費用が回収できるのなら話は別です。そうしていくためには、まずは固定資産税の課税強化をして、公債権の未納・滞納という状況を誘発していかなければ、土地の処分というところには持って行けません。

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2014.01.15

1/14 占領改革の研究者・雨宮昭一先生の退職記念講演を聴く

Dscn4562今日、総力戦体制から占領改革に(人的ではなくて)文脈的連続性がある、ということを指摘した、雨宮昭一先生の最終講義を聴きに獨協大学にうかがいました。友人で、雨宮ゼミ出身の玉造水戸市議の誘いです。

先生の講義では、1920~40年にかけて自由主義の国家・社会運営から総力戦体制に移行し、そのしくみや体験が戦後の占領改革や高度成長のベースになったが、それは冷戦によって温存されてきた、冷戦を前提とした、日本の安全保障、経済、政治体制が終わったのは冷戦崩壊によるもの、そしてそれは資本主義一色となるなかで、その最も先鋭的な新自由主義による改革として進んだ、これが脱戦後体制PARTⅠである、と。

次は脱戦後体制PARTⅡに移行する段階に入るが、それは何らかの共同主義になっていくだろうと、それは里山資本主義であるのか、コミュニタリアンになるのかまだ未知の世界である。それを今のインテリたちが試行錯誤しながら提示しなくてはならない、という話でした。

最後に、獨協大学で地域政策の研究をされていて、ポストベッドタウンという課題に取り組まれていること、東京の南・西という階層を選んだ地域と、北、東という多様性を含んだ地域とどちらが可能性を持っているか、とか、働きに行く男と仕える女という社会構造のベッドタウンがいつまでもつかわからない、とか、ベッドタウンが自己循環社会になれるかどうかが生存の要件だとか、参考になる意見ばっかりでした。
自己循環が可能な地域社会にしているかどうかが、これからのグローバリゼーションが進むなかでの耐性をつけるんだという話のなかで、わがまちはその準備ができるのか、と考えると頭を抱えるところが多くありました。私がマンション化した地域社会の課題や、保育所の問題を取り組むのはその文脈で正しいと思いました。

その後、退職記念パーティーにまぜてもらい、雨宮先生の茨城大学時代の武勇伝が飛び出すことに、バンカラゼミの本領発揮でした。相撲番組が潰れたからと、家で呑んでいるゼミ生に「天覧相撲」をさせて血が出るまでやらせた話など、とにかく面白くて仕方が無い話ばかりでした。

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2013.08.11

8/10 あやうい「住んで得する街・損する街」の評価

週刊東洋経済の先週号の特集が「住んで損する街得する街」というもので、首都圏・関西圏の212自治体の行政サービスを比較するものです。

こうした特集は、読者の自治体政策への関心を呼び起こす効果があります。個々の自治体への取材にもとづく記事はできがよいです。三浦展氏の「共働きしやすい街がこれからのよい街の条件」という記事も価値があります。

しかしダメなのは、212自治体の行政サービスの比較をした評価です。その評価軸がどうも前時代的で、高度成長期の利益のパイをばらまけた基準しかあてはめていないのではないかと思いました。

自治体の評価が、①人口、②小児医療助成、③保育所の定員や待機児童数、④公立小学校の選択制、⑤放課後児童クラブの数、⑥図書館の蔵書、⑦新築住宅の利子補給の有無、⑧増改築の助成の有無、⑨移住支援の有無、⑩新世帯向けの家賃補助、⑪上下水道料金、⑫介護保険料で構成されています。

この評価軸では、放漫財政をして後でひどい緊縮財政をすることになる自治体が評価を高くなりがちです。また東京23区のように都からジャブジャブお金が入ってくるところと、埼玉や千葉や神奈川の市部のように地方交付税の水準ぎりぎりで財政運営しているところと、同列に評価されることになります。

またこれからの自治体は住民・市民が自治体の運営にいかに責任をもって参加することができるか、が問われると思いますが、そうした評価指標はまったくありません。

⑫の介護保険料の高低を決定づけるのは、人口構成とともに、介護サービスの供給量を絞るという方法もあります。それでいいんですか、ということなんです。
⑦~⑪の住宅関連の指標も、災害で住宅再建の支援を受けられないのに、平時の新築に自治体が独自に補助を出すなんて私には理解不能です。価値基準が狂っているとしか思えません。そうやって人口増と乱開発を奨励した結果、保育所の待機児童問題や不動産価格の高どまり(補助が出る分高くできる)による商業の空洞化という副作用をもたらします。
②の小児医療無料も自治体の持ち出し政策、自治体の個別政策として競争させるのはどうなんでしょうか。やるならナショナルミニマムでしょうし、また小児医療の供給面にも配慮が必要ですが、残念なことに市町村にそんな権限がなく、市民に医療をどう保障していくという点では弥縫策にならざるを得ません。
③の保育所も、保育所定員を比較しても意味が無く、待機児童もあるタイミングのフローを捉えたものでしかありません。未就学児に対する保育所定員の比率で評価しないと、ほんとうに保育所をきちんと整備している自治体かどうかなんてわかりません。

ここで取り上げられている多くの価値基準は、この自治体からお金をいくら引っ張り出せるか、ということでしかありません。

さらに50~51頁の「目からウロコ、行政サービス使いこなし術」に至っては、自治体がタダでサービスを垂れ流す事業者という位置づけしかされていません。タダで使い倒せるサービス、自治体から金を引っ張り出せる制度を評価し続けています。そんな姿勢で自治体に関わっていていいんですか、とも思いますし、そんな小技ばかりに力を入れている自治体が、保育や介護など根幹に関わる公共サービスをきちんと確立できるのか、私は疑問に思います。
副題に「まずは情報収集が鉄則 基本は早い者勝ち」という文章を見たときには、こうした自治体がタダで垂れ流すサービスや現金給付をする助成金の多くが元気な住民にしか使えない、ということかも知れません。そうであるなら、アクセシビリティの公平性に問題のある政策が多いということを言い表しています。

また自治体の財政に少し言及していて、「負債比率ランキング(ワースト)」なんてものを持ち出していますがこれがどうも危ない。負債比率というのは「負債合計÷資産合計」ということなのですが、この資産には何か含まれているのか記事を読む限りは不明確で、おそらく公共施設の本体など資産として計上しているのでしょう。これで比較すると公共事業をやりまくった自治体はお金が払底していても比率が低く良く表され、公共事業より福祉や教育に力を入れた自治体はいくら現金残高があっても比率が高く、悪く出ます。
またこのランキングには人口増の自治体は負債が大きくても問題なしとしてランキングから外しています。しかし、今は高度成長期と違って、人口増は福祉ニーズを引き出すので、借金の増大にたえられるほどに支払余力が増えるということもないわけで、人口増の自治体を除外して不問に付すというランキング表の前提は信頼性がないと言えます。

この指標にしたがって「得する自治体」にお住まいになれば将来どういうことになるのか、ということはあくまでも自己責任だと思いますので、ご注意された方がいいと思います。

●この記事をめぐっては、同業者や自治体関係者から自治体の住民を「主権者ではなくお客様と取り違えている」という批判をお聴きしています。自治体は何のためにあるのか、という観点で自治体については記事を書いてほしいところです。

●朝霞市はこの記事のなかのどのランキングにも出てきません。ということはバラマキ的な施策は限定的です。

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2012.12.19

12/18 大規模災害での居住権の回復には、日頃から地域で住宅建設する経済のしくみが必要

Dscn1692昨晩、法政大学五十嵐敬喜先生のゼミが主催した「福島県の震災復興と原発への対応」という題で、福島大学鈴木浩名誉教授の講義を聴く機会がありました。

鈴木先生のお話
野田首相が昨年12月16日の原発事故終息宣言は臭い物にふたをしたもので憤っている。
仮設住宅が、それを供給してくれるプレハブ建築協会との協定で、プレハブ一本槍で被災した地域の大工や建設従事者を活かせないという問題意識を持っていたが、東日本大震災においてはプレハブ住宅が供給しきれないというところから、福島県は、福島県内の事業者、福島県産材や労働力を活用することを前提に、建築資材を再利用できる木造仮設住宅を4000戸建設した。また高齢者を支援できる「地域高齢者サポート拠点事業」の適用の仮設住宅も10ヵ所2000戸設置した。
福島でこういうことが可能だったのは、2008年から福島県は住宅建設と材料確保を地産地消でできる仕組みを模索してきたからだ。
災害救助法の現物給付は、物不足の時代の産物でこのことが被災者の多様な生活状況に応じた生活再建を阻害しているし、救助に使われた住宅など使い捨てになるので無駄が多い。
震災を受けて、地域の工務店が住宅を建設しメンテナンスする関係性を残しておくことが重要。震災発生後、山間部で木造応急仮設住宅を地域の材木店や工務店を動員して提供した岩手県住田町の事例など参考にすべきだ。
全建総連、工務店団体、建築士連合会などでこうした取り組みは始まっており、災害時の住まいの確保のために協力する協定を都道府県と結び始めている。

福島の被災生活はいつ終えるともわからない。避難は長期化、広域化、そして問題が複合化していく。全てが高台移転とか、ある自治体に全員が移るとか、そういうことはもはや難しい。住宅だけではなく教育、福祉、医療など複合的な対処が求められる。避難して避難先の地域に溶け込んでしまって戻れないケースも増えてきている。
被災者に対する避難と残留のどちらも選択できるような政策メニューが必要で、「原発事故子ども・被災者支援法」が制定されたが、実行するための基本計画はまだできていない。

福島の沿岸自治体の苦労は、初期の放射能飛散の情報不足と、その後の除染への過剰な期待によって、今後のあり方について住民をまとめきれなくなってしまったことにある。復興といったときに、まちの復興よりも、被災者一人ひとりの生活の復興が語られることが重要だ。

●災害時に必要なことは、生活に関係することは過度に分業しないこと、というのが印象に残った。経済原理だけで言えば比較優位論にもとづく分業を推進していくのがいいのだろうが、それは輸送や通信、エネルギーが万全に確保できる状態での話で、それらがずたずたに断たれる災害時には、地域社会が衣食住と糞尿の始末を自己完結できる体制をどれだけ持っているということが重要ということで、私に新しい課題を示していただいたと思っています。

●私も2011年4月1日から3ヵ月間、職場のボランティア活動の事務局で断続的に福島を訪問しましたが、放射線量が危険だ、、という言葉だけでは言い尽くせない現状がありました。視覚化しにくい状態をうまく言葉にできないため、もちろん私自身は反原発ですが、反原発にためにするような議論でうまく言葉にできない状況を雑に扱われるのもイヤで、ボランティアに参加してきたということもあまり告白しませんでした。そんな一年を過ごして昨日、鈴木先生の語る被災者や被災地自治体の状況に感傷的になって聞かせていただきました。

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