2024.12.04

12/3 悩ましい大統領制の政治体制~日本の地方政治も

12月に入りました。3日に市議会建設常任委員会があり、水害対策で不足してきた道路修繕工事の予算の追加や、武蔵野線をまたぐ橋の工事代金の減額などを審議して4議案とも全会一致で可決して、本会議に戻しました。

●近況です。
11月30日には市民のトラブルの対応、朝霞の森のプレーパーク20周年の芋煮に顔出し、子どもの進学の対応、会派への相談の対応をいたしました。
12月1日は2ヶ月ぶりの本格的な休日をいただきました。
2日には会派の会議、図書館友の会を会員として参加、連合の地域組織の政策要望の調整会議に参加しました。

●昨晩の韓国尹大統領の戒厳令には驚きました。また議会が察知して集まって、きちんと戒厳令を解除する議決ができたことにも拍手喝采したいほど驚きました。尹大統領の身分以外は、無事に解決しそうなのでほっとしています。
北朝鮮が武力に任せて国際社会に進出しようとしているときに、何をやっているのか、という感じもしています。
尹大統領は、国会が思うように議決してくれないから、というのが戒厳令の理由で、野党に対して「従北」などのレッテルを貼っていることに、近年のトップリーダーにありがちな狭さを感じました。

日本国内でも、近年、目立つ首長選ほどおかしな現象が目立っています。ありもしない、あるいはあったとしても首長に比べれば全然権力のない存在の仮想敵を設定して、それが大衆の求めを邪魔している勢力だと規定して、敵意を煽り、SNSでさらに拡散・扇動して、選挙を勝ち抜き、さらに敵意を煽る人々を沸き立てセルということが続いています。

私は、行政の長を直接選挙で選ぶ政治制度に懐疑的です。強い大統領制をもつ国が混乱をもたらしています。アメリカ、ロシア、フランス、そして今回は韓国です。そうした体制で求められるのは話し合いではなく、トップの決断で、熟議がなくなりやすい仕組みです。
疑似大統領制をとる地方自治体の議会に関わっても、熟議や妥協という場面が見られず、ほとんどが首長への追随か拒否です。平場で政策を形成することは例外的な状況で、政策を実現したければ、議会で活動せず同僚議員との話し合うより、首長との関係性構築に血道を上げる少数派議員も珍しくありません。議員が自己決定権を放棄して、トップの決断にすがるような審議になっていきます。これは自民も非自民も変わりません。

そのような日本の議会を見ていると、韓国の議会は強いな、骨があるなと思うところです。一方で強い大統領制で、議会の仕事が統治責任から少し無責任なるなぁ、と思うところもあります。尹大統領の言い分のなかで、こんなものまで予算を否決するのか、ということがありました。議院内閣制であれば、議会から行政府の責任者を送り込みますから、議会も政府運営に一定の責任が生じざるを得ない長所があると思いました。

●日本の議会もダメかというと、戦前の帝国議会は、政府提出の法案が可決できたのは半分ぐらいということで、骨のある議会だった評価もできます。どうして戦後の地方議会がこんなかなぁ、というのを制度からも、議員へのあり方論からも考えることが多くあります。

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2024.10.16

10/15 衆院選はじまりました~実務が混乱だらけです

15日衆院選が始まりました。
比例区は立憲民主党推しですが、初日は、国民民主党の岸田候補のポスター掲示を同僚の本田議員や支持者、連合のみなさんと朝霞市内175ヵ所取り組みました。その後、8区市来候補のところで選挙運動用はがきを預かり、県内2ヵ所しかない差し出し指定局に持ち込む作業をしました。

15時からは連合埼玉の市町長との懇談会に、推薦議員一同とともに陪席しました。各市長からの政策アピールのなかでは、人口減をしなやかに受け止めて手を打つ狭山の小谷野市長、ユニセフの子どもにやさしいまちCFCIに挑戦することを表明した三芳町、ときがわ村とCO2排出量の関係で森林保全の協定を結んだ富士見市の星野市長の話には感銘を受けました。

●勝てるか勝てないかだけが解散理由となっている、首相による「国権の最高機関」に対する解散権の濫用とも言える今回の衆議院の解散、実務に携わると混乱ばかりです。
もちろん準備だとかいろいろありますが、選挙管理委員会とか、選挙はがきを送る郵便局とか、いつにない混乱が続いて、政治の側が迷惑をかけまくっている、と思います。

●ポスター掲示板の案内、朝霞市選管はかなり厳密に確認して地図やリストを提供してくれますが、今回はずれや違うところの案内が多く、運動員たちが混乱していました。ふだんからもっと雑な地図を提供している自治体もあるので責めるつもりはありません。運動員の人たちにはオリエンテーリングのつもりでがんばって、と申しています。やはり解散から公示までの日程が短すぎたと言えます。県選管にわずかな届出を代行して行きましたが、県選管の事務所もとにかく書類が散乱している、という感じで、いつもの神経質的な執務環境はありませんでした。

●安倍派の異様な増殖も、自由になるカネなんだろうなぁ、というからくりが見えた「裏金疑惑」。しかしほんとうの争点は、この後やってくるバブル崩壊みたいな事態への備えだけれども、どこの陣営もそれを言わないなぁと思っています。有り金はたいて借金までして、票を買うように、現金をばらまくような公約ばかり。

●左派人士、立候補届が締め切られ、辞退届も出せないタイミングで、野党共闘なんてまだ言っているのかと思うばかりです。
主には消費税ですが、税率維持して社会保障を何とか維持するのか、借金してでも減税して社会保障のことはできるはずだというだけの人と、基本的に共闘するのは難しいですし、したところで言った言わないの主導権争いになるだけです。今回は維新や、近年はインディーズ政党が参戦して攪乱するので、自民党に対する唯一の候補になりえず、野党共闘の効果は低下しています。

●立憲民主に近いんじゃないの、ということで国民民主党の候補のポスターを貼るということにあれこれお叱りもいただいています。しかし部分的だけれども選挙協力というのはこういうものです。私たちが踏み台になり、浮かぶ瀬もありです。
その批判を甘んじてポスターを貼る話をまとめ、準備作業をしているなかで、玉木党首の安楽死発言はほんとうにいただけません。生命倫理に関わる政策の態度は慎重にするべきです。
結局、税金を払いたくないという人に迎合する政策を打ち出すと、自分が直接みない誰かの命を犠牲にしても構わない、という思想が入り込みやすくなります。このことは十分に注意を払うべきです。

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2024.10.10

10/9 衆院解散に思うこと

衆院が解散されました。衆議院の解散を容認する憲法解釈でも、大義が必要ということなのですが、全然理由がなくて、今解散しないと自民党政権が継続できないから、ということしか見えてこない解散です。2014年からそんな解散ばかりになりました。いつ解散するかわからないようにして、万年資金力不足・人材不足の野党の体力を奪い続け、首相を交代させて期待感のあるうちに衆院を解散して与党形成をする、という憲法や民主主義の原則を空洞化させるような解散です。万年自民党支配システムです。そして常在戦場となる衆議院は、与野党で政策をまとめることが非常に困難になります。政治の生産性の低さの原因でもあります。
そのことの問題は過日記事にしましたので読んでいただければと思います。

今回、私のご縁のある衆議院議員では、菅直人さんと中川正春さんが引退されました。
菅さんは高校生のときから、いかにも労組でないし、二世でもないし、というところで応援もしましたし、注目もしてきた政治家です。「あの手この手」という言葉がキーワードの政治家でした。その突破力のような機転が徒になって、政権取って迷走することが多かったものの、突破力は東日本大震災の対応では混乱しつつも前に進んだと思っています。今はそこまで混乱こそしていませんが、今日の能登地震にどんな資源を投下すべきかも判断しない政治と対比してしまうところがあります。
引退はだいぶ寂しいことになります。良い意味で学生運動を経験した議員がこれでいなくなってくるのだと思うところでもあります。

中川正春さんは直接の接点は名刺を交換したぐらいですが、津の市議をしている岩脇市議からはその人格の高潔さを何度も聞かされました。ご子息が近所に住んでいたこともある、ということも親近感をもっていました。小選挙区制になってばくち打ち体質の政治家が極端に増えたなぁ、というなかで落ち着いてものをいいながら、小選挙区で勝ち上がる、貴重な存在だったと思います。

さて、総選挙ですが、裏金問題にしても、解散にしても、税制の話でも、石破首相の迷走が見られます。これでどうやって有権者が審判したらよいのだ、と思うばかりです。政党の好き嫌いしか選びようがありません。
私は姓党籍はないものの、長年、国政では社会党、民主党、立憲民主党と応援してきました。その立憲民主党のテイストが1990年代末ぐらいのままで、いまいち刷新感に欠けるのが課題です。現職の党首を交代させたのもあまり良い印象はありません。政権交代を掲げていますが、ホップ・ステップ・ジャンプのまだホップをめざす段階じゃないかと思います。それが大事です。
だからといって、国民民主や維新が立憲民主党に代わりうる野党第一党になれるかというと、国民民主は税の政策に端的に表れていますが、一部の階層の声しか代弁していないなと思います。そういう役割は必要だとは思いますが。また、維新は全国的にトラブルが多くダーティーすぎます。維新の政治家たちに共通するオラオラ体質の語り口に問題があるのではないかと思っています。

引き続き、市議会の私の会派がめざす、人間の安全保障を意識した政策配置(人々の孤立と敵意を引き出さない社会保障や教育政策)、公正な分配、持続可能性の高い社会づくりをめざす政治勢力を伸びたらと思って総選挙にも関与する予定です。

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2024.10.01

9/30 「解散権は首相の専権事項」はウソ。ましてや首相になってない人が

自民党の総裁選で石破さんが当選し、「主要」閣僚の人選まではなかなかやるのう、と思ってみていましたが、ほんとうに残念なことが2つ。

一つは、人権に関わる閣僚選び、ミステイクとしか思えません。
1人は法務大臣に牧原秀樹を選んだこと。「虎に翼」が話題になったり、袴田事件でえん罪・無罪判決が出るなかで、奇矯な法理解の主張を声高にしてSNSでトラブルを起こしてきた議員がなるべきポストではないように思います。死刑囚への執行命令書にサインをする立場です。
もう1人はこども家庭庁の担当大臣に三原じゅんこを選んだこと。この担当大臣ができてから、こどもの人権に関する行政理解は大きく前進していますが、三原さんは厳しいしつけをしてもかまわないようなものいいをしたことがあり、この役所を管轄する大臣としてどうかと思わざるを得ません。

もう一つは、また総裁選直後に解散・総選挙をすることです。とくに今回は最短日程で、ひどいものです。

まず、首相が党利党略で衆議院を解散してよいのか、という問題があります。そんなこと続けていれば、基本、永久に与党が勝ち続けます。立命館大学に小堀先生という政治学の教授がいて、OECD加盟国の議会解散を調査した論文を書いています。首相に解散権のある国でも、王や大統領の拒否権があったり、王や大統領を説得する必要がある国ばかりで、日本の次に自由に解散している英国でも、王が解散権の濫用を牽制したことがあります。首相が「専権事項だ」なんて嘯いて、これほど好き勝手に「国権の最高機関」を解散しているのは日本ぐらいです。
※小堀「日本型衆議院解散像とOECD加盟諸国における解散事例」(2020)

憲法を読むと、天皇以外が解散できる条項は憲法第69条のみ。衆議院で不信任決議がされたときの対抗手段として首相が解散できるとなっています。7条の天皇の国事行為は、自民党が負けないときに選挙をするんだ、なんて政治的能動的な解散をよいなんて読み取れるものではありません。解散権自由のお墨付きを与えている憲法学の宮沢、芦部説だって、いくつかの重要な解散理由が必要、と指摘していて、自民党が負けないためなんて理由はあり得ないものです。

「首相の専権事項」なんて言ったのは、1986年中曽根内閣が国会も開かずに解散した衆参同日選挙に際して、後藤田官房長官が言い出したことで、憲法の制度設計になかった考え方ということも書かれています。むしろ首相の任意解散権は、明治憲法下、天皇が首相の「輔弼」で議会解散権を行使していた時代の名残に、天皇の政治的行為が全面的に制限されたことを戦後もそのまま残し、天皇に成り代わって勝手に議会を解散している、と見た方がよいようです。

本来、総理大臣は、国民が衆議院選挙をやって国会議員を選び、国会議員が首相を選ぶ順番になるべきです。国権の最高機関として国会が最もやるべき仕事は、首相を選び、内閣を構成させることです。最初に私党である自由民主党で首相を選び、それに翼賛するような議員をそろえるために衆院解散する、なんてことは民主主義の考え方からはとんでもないことです。2014、2017、2021年とそんな衆院選ばかり続いて、今度で4回目です。そして思いつきから投票日までの日数がだんだん短くなってきて闇討ちみたいな解散になっています。

そして今回は、まだ首相になっていない私党の頭領が、勝手に解散日や選挙日まで指定している。政治の私物化、越権行為にほかなりません。選挙日程に関しては、中央選管すら越権しています。1950年代の法改正で、中央に関しては、都道府県や市町村と違い、選挙管理機関が行政権から独立していない問題があります。

選挙実務面の悪影響もひどいものです。だまし討ちみたいな選挙日程なので、選挙管理委員会はギリギリの仕事をすることになると思います。投票用紙、ポスター掲示場の設置、投票所の確保などではものすごく苦労すると思います。さらには候補者からの問い合わせもたまらないのではないかと思います。在外選挙権は行使できない可能性もあります。憲法訴訟をすべき問題です。
それを支える、全国の印刷業者、看板業者などはたまったものではありません。ロジスティックを軽視して、政治的決断を誇示するような政治は、問題になっている兵庫県知事と何が違うのでしょうか。
もちろん組織性のある自治体の選管はこんなものでしょうが、候補者陣営などたまりません。印刷物の調製、選挙カーや事務所、電話回線の確保、さらにそれを配ったり差し出しできる体制づくりなど、2週間もないスケジュールでやらざるを得ません。政党からくだってくる政策を待ちながら、印刷物を作らざるを得ません。間に合わないことが常態化するので、候補者がヤマネコ減税を言い出したりするのが平気になっています。

地方議会はめったに解散がないのでよくわかるのですが、任期がきちんと決まっていると、選挙が近い時期以外は、考え方の違う会派の人たちといろいろな妥協や調製ができるものです。日本の国政が生産性が低い、企画力がないとバカにされるのは、実は解散権の濫用で「常在戦場」として常時敵対意識を刺激しなければ、衆議院議員は生き残れないからです。いつ選挙があるかわからないのに敵対党派と仲良くしたり妥協するなんてありえませんから。

最後に、能登の災害の惨状を見ると、一番政治を必要としている人がこんな状態にときに選挙をやるのか、と思うばかりです。

すぐには解散しない、と法意識の高さをアピールしていた石破さんですが、こんなことになって残念極まりありません。

●追記。
突発的な選挙を容認する感覚としてあるのが、選挙=民主主義、選挙の勝利=何やってもよいのが民主主義、みたいな図式でしか理解されていないところがありますが、民主主義に必要なことは意見の違う人の存在を前提とした議論と最も納得性の高い妥協(合意形成)です。
昨年、政治学の世界で流行した本に「民主主義を装う権威主義」という本があって、今の世界の独裁者は、必ずしも選挙をしないとか一党支配をするのではなく、不公正な政治を日常的にやりながら、選挙を通して敵味方をあぶり出して独裁体制を強化する、という手法がとられ、典型例として中央アジアのソ連から独立した国々が紹介されています。選挙干渉、バラマキ、日常的な敵対党派への攻撃をして、選挙のときだけ自由にやりながら、選挙で敵味方をあぶり出して独裁体制を強化していく、というものです。ここから見えてくるものは、議論や社会運動のない民主主義は簡単に独裁体制になりやすいということです。
日本の場合、国会議員が多くて、自民党もいつも分裂含みの政局をしながら、党内で牽制したり、公明党からの牽制が働いたり、官僚が絶大な詳細政策の決定権を握っているなかで、簡単に独裁体制になってはいません。それでも日本も、選挙が行政権の長によっていつやってもいいんだ、ということになっていて、国会議員が解散権の行使にびくびくしている政治体制のなかで、いつ首相が独裁者に転じてもおかしくないようなところがあります。

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2024.08.15

8/15 79回目の終戦の日・首相退陣と総選挙

79回目の終戦の日を迎えました。
先の大戦に思いをはせ、今年も千鳥ヶ淵にお参りに行ってまいります。

●昨日、岸田首相が退陣を表明しました。支持率をここまで下げて首相を続けられたことや、安倍前首相が始めた憲法を踏みにじる国会との関係をさらにパワーアップしたことなど、あまり良い首相とは思えませんでした。強引な手法であっても白を黒と言わせたがる安倍派を無力化したこと、最後に、強制不妊手術をした過去の政府の判断に謝罪をしたことは評価されるべきことかと思います。

前回の衆議院議員選挙が終わってから3年になろうとしています。戦後、首相による国会の解散は平均すると3年であることから、そろそろ衆院解散があってもおかしくありません。
自民党政治の矛盾や、安倍政権のやったことの歪みが解消されていないこと、ミクロでは自民党を支える社会団体の弱体化からことから、長期的なトレンドは自民党の支持率が低下する傾向にあると思います。そうしたなかで、派手に総裁選をやって、(自民党員しか投票していないのですが)みんなで選んだ新首相の支持率が高い総裁選の直後に衆院解散、そして自公で300議席以上の獲得、という流れにもっていくのだろうと思います。

日本国憲法は国民が選んだ国会議員が首相を選ぶ、つまり衆院選→首相選出、という手続きになっています。しかし、首相の一方的な解散権が好き放題行使され自民党政権が続くなかで、自民党のなかで首相を選び、その新首相が都合のよい議会を創るためにイメージダウンが始まる前に解散して政権を安定させる、首相選出→衆議院解散という手続きが続いています。

野党も野党で頭が回っているのか、首相の支持率が落ちると「衆院解散に追い込む」などとおかしな常套句を言います。そして首相が勝手に交代されて、一番支持率のよいときに解散を打たれ、衆院解散に追い込んだ上に惨敗するわけです。海外では首相がなっていないときに野党が言うべきは「首相の総辞職を求める」です。
自民党の都合の良いときに解散打たれて惨敗して、首相解散権の制限と提言したのに、また支持率のトレンドがちょっと良くなると「衆院解散に追い込む」なんて自社なれあい政治のときの常套句を言いだすことに、過去との矛盾も考えずに常套句に飛びつく民主党の体質は変らないと思うところがあります。

●三権分立という考え方からいうと、多くの国では議会での不信任決議→対抗策としての国会解散、という制度になっています。したがって首相による解散がこんなに乱発されているのは日本、イタリアで、制度としてあっても滅多にやらないのはイギリス、カナダとなります。
新首相を選んで、それに協賛する議会を選ぶというのは、戦前の帝国憲法下の首相と議会の関係でした。この時代は、首相の選任権が最終的に天皇にあり、ある政党の首相が運営に失敗すると「憲政の常道」で対抗政党の首相が天皇によって任命され、衆院が解散される、ということが繰り返されました。それが新与党によるひどい利益誘導選挙をもたらし、潰し合いの政争を繰り返して問題解決能力を失い、軍部の政治進出を招き、先の大戦の悲劇となって終わったところがあります。
戦後、最初の衆院解散は、野党の指摘やGHQの指摘を受けて、首相不信任を決議した上で行っています。しかしそれ以後は一方的解散を繰り返し、野党も安倍政権が出てくるまでこれといって批判することもありませんでした。
憲法のすき間を突き、首相による一方的な解散を容認してきたのは、戦前の政治の前提を蒸し返したいところから来ているのではないかと見てます。
イギリスも国会解散は自由(一時期制約をかけていました)ですが、国王が首相と頻繁に意見を聴き、最終的な判断者として儀式的にでも振る舞っていることから、その権威の前にデタラメな解散はできない、ということを書かれた本があります。朝霞市立図書館に所蔵されています。

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2024.07.11

7/10 災害援助にあたる消防職員に報いを~一部事務組合議会

1月にあった能登半島地震のような大規模災害では、消防職員も全国動員で現地に派遣されることがあります。とりわけ、災害急性期に派遣されるので、重労働かつ、遺体にふれる機会も多く、水道やトイレが使えないほどの環境のなかでの過酷な任務であることがほとんどです。
国会でも3月22日の総務委員会で、自衛隊や警察の1日1620円の手当が低いのではないか、また消防は自治体任せになっていて、さらに低い手当だったり、手当が無いのではないか、ということが岸まきこ参議院議員が問い、総務大臣が全国調査をする、と答弁をしています。

それを受けて質問しました。

朝霞市の消防は、和光市、志木市、新座市とともに「朝霞地区一部事務組合」という広域自治体が運営しています。構成する四市から5人ずつ議員が出て、そこにも議会があり、会派の大きさなどで順繰りに議員が割り当てられ、私も、2023年12月の市議選以降2年間、議員をしています。その議会で質問です。

答弁では、四市の一部事務組合では、国の動員による「緊急消防援助隊」の動員に対する手当は、出張にともなう日当、時間外や休日が該当すればそれらの手当、過酷任務にあればそれぞれの特殊勤務手当が出るが、出動そのものに対する手当はない状況であることが明らかにされ、今後、周辺自治体の状況を確認しながら調査したいという答弁でした。
初めての問題提起であるので、直ちにやれということはできませんが、国費も全額出ることになっており、横浜市や四日市市を紹介しながら出すべきという問題提起をしました。今後を見守りたいと思います。

もう一つは、消防職員の現場の声を拾う、消防職員委員会制度の運用状況を確認しました。
日本では、消防職員は労働組合を作ってはならないとされていて、国連で問題視されています。公務員制度改革のなかで何度か「団結権」の容認が試みられましたが、そのたびに様々な障害が出て、流れてきています。
1995年にその代償として、総務大臣が消防本部ごとに管理者と消防職員との間で、勤務条件、職場環境などについて定期的に話し合う「消防職員委員会」制度が提起され、1996年から制度化されています。消防職員委員会制度について、四市の一部事務組合でどのように運用されているのか確認しました。
答弁では、職種別に代表が出て、年に1回、様々な要望や問題提起の対応について話し合っている。この1年では12件の問題提起があり、うち5件を検討に、1件を実施に向けての検討を開始することにした、という答弁がありました。
四市では、消防以外の自治体職員が、労働組合がなかったり、あっても極めて組織率が低かったりすることを考えると、消防職員委員会の動きは想定以上に活発だと受け止めました。
日々の業務は、安全確保や現場での混乱を起こさないよう、どうしても指揮命令系統の統制が重要な職場だけに、現場の声を伝える重要な機会として大事にしてほしい、ということを伝えて質問を終えました。

●飯倉議員から、国や県が推進する消防広域化に対しての質問がありました。答弁は状況を見守るということに留められていました。広域化で司令部などのシステム維持経費は低下する一方、地域や地理的情報に対する理解が低下したり、職員の広域異動などの問題も起きてくるので、私も問題だと思っています。埼玉県西部の隣接する消防本部が実施に移していますが、よい話を聞きません。
私も注視していきたいと思います。

●消防に関わる議会質問は難しいと思っています。むやみに中身に手を突っ込んだり、結果を性急に求めることをやれば現場は混乱しますし、その混乱は士気の低下や事故の原因にもなり得ます。一方で、専門性ゆえに光の当たらない問題もあって、そこを放置するとやはり事故や士気の低下が起きたりします。一般行政事務より一歩引きつつ、見守るような質問にしていかざるを得ないと思っています。

●朝霞地区一部事務組合の消防本部は、全国的にもレベルの高い方の消防本部です(区域内に大規模な重化学工業などがないので専門性よりも一般的な消防や救急の能力としてです)。その能力を維持していくことを大事にしていきたいと思います。

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2024.07.09

7/8 自治体議員向けに決算審議の研修をしました

8日午後、近隣市の新人を中心に自治体議員さん向けに、9月定例市議会で取り組む決算審議の講座を開きました。私からは、決算審査の重要性と、チェックすべき数字などをお話しました。
北本の櫻井市議から計画行政と財政の関係、本田市議から、利用契約制度に移行するなかでの福祉財政のチェック法をあわせて研修しました。

●都知事選挙、蓮舫陣営惨敗でした。民主党~立憲民主党の都連の選挙体制がどうなっているのか知りませんが、私が深くかかわった2003年都知事選と全然進歩しない戦術だったなぁと思っています。有名人依存の候補擁立、事前の政治活動なき立候補、1日1~2回程度のいつもの場所ばかりの演説会の設定(それも大半がもともと民主党が強い中央線沿線ばかり)ということで、結果としては城東、城北地域で石丸候補にも大きく差を付けられるという結果でした。
一方で、あの当時から改善されているのは、知事に与している都議がいなくなったので、都議と市区町村議員の動きができていたことです。

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2024.05.05

5/3 人間を支える社会権と言論の自由と~憲法記念日の市内行動

S__14032904_03日、会派「立憲歩みの会」として、10時から約1時間ずつ、朝霞駅南口、東口、朝霞台駅南口、志木駅東口、南口の5か所で憲法記念日の街頭演説を行いました。

会派の綱領(政策の大目標)にある、憲法の社会権として、人間を自由にする教育・福祉を整備する責任が自治体にあるし、自治体議員にあるという話とともに、今年は、28日投開票の衆院補選で同僚議員が暴れ回った現実を見て、街頭での実力行使が政治を支配してはならない、という話をしてまいりました。
同僚の本田議員からは、朝の連続テレビ小説「虎に翼」から個人の自由の尊厳の話もされました。

憲法改正に態度不鮮明だった岸田首相が、政局の都合だと思われますが、突然、今国会までに憲法改正を発議するような匂いのある発言をし始めました。これに対して国民の支持は薄く、岸田首相の態度への批判もいたしました。政府や統治機構を国民がどう制御するかと定義する憲法を、どうするかということは国民合意が必要で、政局でやったり、敵味方のあぶり出しが自己目的化したかたちでやるものではありません。

●かつて憲法の改正の是非論では、自衛隊の位置づけがテーマで改正が必要なのは9条ぐらい、他は国論を二分しないとか言われていました。改正の賛成派、反対派とも、カルトな人たちを除けば、戦後の民主主義は擁護しつつ、安全保障だけどうするかという論題だったと思います。
しかし気づいたらです。自民党の憲法改正草案に書かれているのは、人権条項の切り落としや政府の制約を外す話など、戦後の改憲派もが共有してきた自由と民主主義に関する価値まで動かそうとしています。とにかく憲法改正ありきという流れのなかで、本筋の安全保障の憲法改正そっちのけで、国民はしょうがないだろうと考えると思ってか、人権条項の切り落としや政府の誓約を外す方を優先して改正するような話になりやすい状況です。
昨日も水俣病の被害者と政府との対話が、政府によって一方的に打ち切られる事件がありました。自治体のデジタル化は、政府が作ったシステムに乗らなくてはならず、自治体事務の自治に対する侵害かも知れません。近年作られる法律や予算は、自治体の自治事務を国が指図するような政令委任が増えています。政府は予備費を莫大に見積もる予算を用意し、国民の代表による審議を受けないで、税金からやりたい放題、選挙対策に浪費しています。
じわりじわりと、国が何でも決める社会に戻されようとしている危機感を持たざるを得ません。それに対して「スンッ」と、スマートに誰かが決めることは受け入れるものでしょ、という社会があるなぁ、とも感じています。原因は、政権交代というわかりやすい社会変革を、陣笠議員の思いつき提案と受け入れられないときのひどい抵抗、安っぽいスローガンで、壊されてしまった民主党政権の失敗にあるのですが。

●憲法の一押しを本田議員は自由権の基本となる憲法第13条を挙げました。
私は、憲法第21条を挙げています。結社の自由というのが、民主主義と自由の最も根幹にあたると考えているからです。

●一方で、憲法の条文による課題としては、①あいまいでやりたい放題の首相の任意解散権で国会運営が不安定化・対立しやすく生産的な民主主義とならない問題(下院の解散がこんなに多い国は、解散による選挙しかなかった英国と、政権が不安定なイタリアだけです)、②性少数者の家族を容認すると解釈することの抵抗の根拠とされる第24条の「両性」という言葉、③裁判所の独立性を言いながら最高裁の裁判官を内閣が任命するシステム(定期的な政権交代があるか、欧州のような与野党合意を前提とする内閣があれば問題は起きにくいのですが)が課題だと思っています。その他は憲法に適合した政府運営がされているか、という問題があります。

●ほかに市内では、公明党さんも憲法記念日の街頭演説をされていました。こちらの方が歴史は長く、敬意を表したいと思います。

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2024.04.24

4/24 議員報酬が反社会的行為の資金源に

20240423toyamamaki_twittwer 東京15区(江東区)衆院補選で、外山まき議員が所属するつばさの党の候補と黒川敦彦(姓は同じで市内で私と誤解されていますが、親類縁者でも何でもありません)党首が、選挙運動の自由を楯に、他陣営の演説に乱入し、拡声器で暴言を浴びせかけて、妨害して回っていることが社会問題になっています。昨日4/23には総務大臣が、法律違反ではないかと指摘しました。警察も、選挙介入と言われないために手を出さないだけで、違法行為の責任をどう取らせるかが突きつけられています。反社会的行為です。

選挙に関する妨害行動は、選挙結果に影響を及ぼすので、大手のマスコミはなかなか報じませんが、今回は朝日、時事、産経などが取り上げています。それぐらい社会問題となっていますし、公職選挙法のあり方、選挙と民主主義のあり方の根本に関わる、選挙と言論の自由のあり方など、多面的で、副作用がともなう議論が始まってしまっています。

そのなかで、昨日写真のようなツィートが流れてきました。黒川敦彦党首と側近が、外山まきが体調悪くて江東区に応援に来ないのでキャバクラ通い放題、と内容で騒いでいる映像と、それに呼応して外山まき議員が、キャバクラ行く金があったら貸している金返せ、と呼応するツィートです。このツィートからは、唯一の党所属議員である外山まき議員の議員報酬が、黒川敦彦党首の資金源になっていることを示しています。

外山まき議員とつばさの党は、かねてから公務員の賃金が「シロアリ」などと称して金食い虫のように宣伝してきました。
多少の贅沢でも萎縮している公務員たちを非難しておきながら、私的な財産となったものとはいえ、議員報酬を、反社会的な行為に使われて、市民が納得できるとは思いません。

このSNS記事を深読みすると、公費を原資にしたキャバクラ通いを前提にした痴話げんかに見せて、外山まき議員が、今回の選挙にまつわる様々な妨害行動に関与していない、というアリバイづくりに見えます。できるだけ江東区では表に出ないようにしているようですが、一連の行動として問題にされている19日の都知事宅前での学歴問題での抗議行動の拡声器によるコールは外山まき議員のものと思われます。24日の反創価学会の街頭活動でも姿を見せています。拡声器で騒ぐことはできる健康状態であることを伺わせます。

親類縁者でもない同姓の者の反社会的行為を指摘することは、自分の姓である黒川という名前を貶めることになりますが、市民に事態を見ていただいて、選んだ2000人余りの方の投票行動がどうなっているか、そのための演出の舞台装置に協力した人の責任がどういうものか考えていただきたいため記事にしています。

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2023.10.11

10/10 県議会の条例改正が止まりました

すでに盛んにマスコミで報道されていますが、県議会の虐待禁止条例改正案は、取り下げとなりました。子どもの自立と子育てしている人の息苦しさを解消していくためにはこれでよかったと思います。
私や、私と政治運動をしている支援者のところにも、盛んに問い合わせが入りました。

県議会自民党の記者会見を1時間拝見しましたが、前提、考え方、提案内容の間違いは認めず、説明の仕方、解釈の設定の仕方の間違いしか認めていないので、引き続き12月以降の定例県議会に再提案される可能性が高いとみておいた方がよいと思います。
せっかく取り下げをしたのですから、改めて自らが設定した児童虐待に対する解決策にバイアスがかかっていなかったか十分検証して、過去の立法過程の積み残しという法整備的な視点だけではなく、問題解決として妥当だったのか、埼玉県という立地やおかれた生活環境に妥当なのか、改めて整理してほしいと思います。

議会改革の観点では、議員立法のあり方に検証材料を与えたと思います。記者会見では、パブリックコメントの実績を伏せ、研究者からのヒアリングはぼかし、国会の法制局が求める立法過程を踏んだのか、気になる場面が何度かありました。「政策法務」というのですが、県民の自由を制限し、義務を課すことの色が強い条例ほど、このダンドリをしながら、自由で民主主義を前提とする社会を壊さないように気をつけなくてはならないのではないかと思います。革命政権なら別なのかも知れませんが。
また、立法過程の公開性の確保も課題だと思います。提出までに、何から何まで敵対党派と話し合え、というのも党派間の政策競争を失わせますし、提出された議場での議論がなくなって、議会の公開性の問題にも関わりますが、一方で児童虐待の対応というようなセンシティブで党派を超えて問題を認識し対処すべき条例の場合、敵対党派も含めて検討し、多面的な批判に備えておく必要があるのではないかと思います。

埼玉県民には、やはり地方選挙は重要と口を酸っぱくして言いたいです。
国政選挙では投票率も高く、特定の政党が猛威を振るっている選挙でも、だいたいバランスのよい判断をしているなと見ています。
しかし、地方選挙では投票率が半分になり、コネクションワールドの中にいる人ばかりが出てきて、今回のようなバイアスが修正されないまま県民生活に影響を与える判断がされてしまうリスクが出ています。かつては、余計な議論なんかするなというタイプの議員が議場を占めていたので、余計なことは起きませんでしたが、近年、良いことやろうという議員が増えたなかで、今回のような暴走議案が出るということがありえます。
埼玉県民の「天下泰平・鼓腹撃壌」みたいな政治センス、何かと政治的文脈に結びつけてギスギスする地域よりよいのかなと思ったりしますが、もう少し政治への関与・監視が必要です。

県議会自民党は、パブリックコメントで反対意見はなかった、と言うのを自分たちの提案の正当性を示すことに使っています。
朝霞市でも感じていますが、近年パブリックコメントに提出される意見がほとんどありません。その結果、行政は一時期より説明しようとする意欲、市民と課題共有をして前に進むという意欲が低下しているのを感じます。庁内会議で決めた(役人だけで決めた)というのが提案の正統性を示す言葉として平気で使われる場面が増えました。
為政者が作った意見表明の場に、きちんと参画してものを言う、ということが大事です。

今回、埼玉県PTA連合会が厳しい対応をされました。近年、高度成長期のままの動員型のPTAやその連合会の運営に様々な問題が指摘されています。新自由主義の価値観のもとで育っている今の保護者世代からは、そのような中間組織はコスパ・タイパ的な議論から、そもそもいらない、加入自由なんだという意見がSNSでは目立っています。それはそうかも知れませんが、これらの組織に批判されている問題にに対する自己改革は不可欠にしても、こうした中間組織が意見を言う機能はきちんとあった方がよいと改めて確認したものです。

●強引に日本会議や統一教会の意図と結びつける議論がSNSでは流行していますが、今回の動きは自民党県議団の改革派の動きです。変な陰謀論で説明づけると、再提出されその説明が巧妙で、半分ぐらいの県民の心を掴んでしまったときに、その批判は「政治的先入観の単なる戯言」と一蹴されてしまう可能性もあります。敵を見誤るな、ということだと思います。
逆に善意の立法精神が過剰だったということなので、そこからきちんとアプローチして軌道修正を求めるべきものです。過去には県議団の改革派の流れのなかで、弱者救済の様々な条例が作られています。
政局論でいえば、この自民党県議団の改革派の流れが潰れれば、昔の議論させないで人事と権力闘争しかしない自民党県議団に戻る可能性もあります。
ただそれでも、改革派といえどもベースにあるのは「近年の保護者は無責任」と見る価値観があり、これは保守系団体共通の家族観の問題点とは見ています。

●朝霞市選挙区の県議会議員はほっと胸をなで下ろしているでしょう。自民党入りしたいという話が絶えません。一方で子ども関係の市内団体を自らが運営に関与する統括団体の参加に加え勢力拡大しています。そのなかで、今回の条例改正が採決まで持ち込まれれば、加入団体の構成員と自らの政治的進路との間で厳しい判断が迫られたのではないかと思います。

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