2023.11.03

11/3 朝霞市の子育て・保育政策で取り組んだこと

来年4月入所の保育園の入園申請の(広報の工夫のほとんどない不親切なタイトルや大事な情報順ではなく役所の都合のシーケンシャル順の掲載など課題の多いHP。)郵送分が昨日締切られました。窓口では11月17日まで受け付けるということなので、必要な方の申請漏れがないようにお願いいたします。

保育政策に関しては、我が子が保育園卒園からだいぶたち、もはや私には制度論的なものしか扱えなくなっていますが、もともと12年前の立候補時は当事者であり、かなりのウエイト割いて取り組んできました。今回その取り組みについてご紹介いたします。

1.保育所の待機児童問題の解消(保育所定員2011年度1600人→2023年度4043人)
 2011年頃の保育所の課題は待機児童問題が深刻なことでした。人口で朝霞8:朝霞台5の人口比率にもかかわらず、朝霞台地区は、北朝霞保育園と浜崎保育園しかなく、認可外保育所を朝霞市の独自補助金を使いながら利用するしかありませんでした。2人預けて月10万円前後、3人となると14万円ぐらいの保育料を払うことになり、本来国や自治体がやるべきことがやられていないことによる負担が「見えない税金」として横たわっていました。また認可外施設で働く保育士も時給での労働がほとんどで処遇が悪い状態でした。
 少子化だからという理由で、2010年ぐらいまでは、保育所の新増設は1自治体1園という不文律の規制がかかって、埼玉県内は保育所が十分に整備されてきませんでした。マンション分譲などで人口増加の著しい朝霞市では1995年から一気に待機児童が爆発して、比率で全国ランキングを記録したことがあります。
 これまで3期のなかで、国の政策転換、新設の補助金の制度変更もありつつ、朝霞市では保育園の新増設が進み、さらには認可外保育施設の認可保育所への転換などが進められて、4月で1歳、2歳児以外の待機児童問題は量的には解消してきました。また、フルタイム労働の夫婦が増加するなかでパート労働の保護者が押し出されることが増えてきたので、すべてを保育園が吸収するのではなく幼稚園との共存ができる対策を求めてきました。
 待機児童解消に向けては、マンションや住宅開発の情報の援用、母子手帳の交付を行う子育て包括支援センターからの統計的情報の活用、全ての未就学児童の保育状況の把握など、待機児童数を追っかけるだけではない先読みできる数字さがしを、担当課と模索してきました。
 地区別の入所バランスがあったりして遠隔地通所が発生しており、開発と地域別の保育整備が今後の課題です。

2.放課後児童クラブの定員不足の解消
 続いてやってきたのが放課後児童クラブの定員不足で、3年生以下でも入園できないという事態が発生しました。他学区の空き教室を使用した緊急対策に取り組み、その間に民間放課後児童クラブの開設促進と、公設放課後児童クラブの定員確保の対策を促し翌年には解決できました。
 その後、放課後児童クラブを必要とする児童数を保育所入所児童数から先読みすることを運用化し、待機児童問題はほぼ解消しておりますが、後述する障害児の受け入れ体制の不備など、見えにくい問題は続いています。
 また子どもが多い自治体なので、引き続き4年生以上の保育の確保は課題が続いています。一方で子どもが自分たちで遊ぶ空間と仲間を見つけていくことも発達において重要で、施設で囲い込まない育ちの応援をどうするかという考えが必要です。

3.保育で人権を守らせる仕組み
 2012年労働相談から引き継いだ、ある公立放課後児童クラブの運営状況は、聞くに堪えない内容でした。放課後の家庭に代わる生活空間である放課後児童クラブで時間割授業のような運営を行い、休み時間にしか子どもにトイレを行かせない、子どもは前の子のプライバシーも何もなく、トイレの前に長蛇の列をつくってトイレに行く、人手がなくて障害児にひどい言葉かけをする、などの驚くべき内容でした。
 是正を求め人権の再確立を求め、しばらく数年は職員の人権研修がありましたが、講師を引き受けてくださった方が家族の事業で多忙になると、また消えてしまっています。
 子どもの排泄に関して不必要な管理と人権問題を引き起こした、時間割授業のような保育のあり方は是正を求めていますが、これは運営団体が頑なに変えようとしません。こうした管理主義的な保育の方法が、国が定める放課後児童クラブのガイドラインに叶っているのか甚だ疑問です。
 障害児の受け入れに必要な職員を雇わず、社会福祉協議会へ支出している運営費用を、大量に市に返金してきました。市は意図してかせずか、この返金を収入として補正予算を組み、他の事業に使ってしまっているのです。現場では職員不足が常態化し、障害児をできるだけ受け入れないような運用がされ、受け入れた障害児や発達に課題のある子も基本的な職員数で対処しなければならず「迷惑な存在」として位置づけられてしまいがちで、ノーマライゼーションの考え方と全く逆行している現実を作っています。
 2021~2022年にかけて、会派として、公立放課後児童クラブの職員を雇わない問題を集中的に追及しました。最初は、障害児や発達に課題のある子の補助や休暇代替要因を誤魔化し、クラス編成最低数の職員数だけを出して足りているとごまかしの答弁を続けていました。職員数不足の背景には運営を委ねている社会福祉協議会の放課後児童クラブの運営に関する本部職員数が管理職除くと1人という状態で、十分に職員を集める努力がされていないことが浮上。2023年度から社会福祉協議会の本部職員の増強が始まっています。
 職員数不足は少しずつ解消していますが、派遣指導員を多用して、多額の派遣費用がかかっています。直雇用の指導員を確保していくよう解決していくことが必要です。
 また国の放課後児童クラブの運営ガイドラインから事業の点検をしていくことも必要だと考えています。

4.幼稚園の市の関与の拡大
 幼稚園の政策は、かつては教育委員会に属していたものの、補助金を出して終わりという仕事の実態でした。市内の幼稚園の園長さんから、障害児の受け入れでの支援策や、延長保育への支援、子育て政策への関与でご意見をいただきながらも、砂に水を撒くように幼稚園からの課題は消えていく状況でした。
 子ども子育て制度の発足を控えた2014年に、市は幼稚園の管轄を教育委員会から児童福祉行政に移管しました。当初幼稚園関係者は保育か、教育かという観点で強い反発がありましたが、一般行政部門に移管したことで、保育園と一体化した子ども政策のなかで幼稚園としての制度や位置づけを明確化し、市職員の訪問などが行われ、要望を聞き取ることも始まるようになりました。
 まだまだ不満は残っていたり、不十分な対応がないとは言えませんが、私としては、この方針は保育か教育かという観念論ではなく、総合的な子ども政策のなかで幼稚園の役割を再定義することが可能となったことと、幼稚園の専門的な担当部署が設定され市の関与が拡大できたとして、肯定してきました。

5.保育所入所決定のシステム化・申請のオンライン化
 保育所が増加するなかで、保育所入所決定に至る市役所の事務が肥大化して、他の事務がままならなくなっています。また量的に事務が増えるなかで、入所申請時期がどんどん前倒しになっており、半年も前から手続きに入らなくてはなりません。これらは量的な処理であり、集中的な業務であり、システム化していくべきと考えています。
 2023年7月、会派を超えて先進地の塩尻市を見学して、一般質問などを通じて市にその報告をしながら、入所決定のシステム化、その前処理の書類提出のオンライン化の検討を求めています。
 その検討を求める家庭で、入所決定システムはすでに稼働していて、この数年不誠実な答弁がされていたことが判明しました(市を弁護すると不完全なシステムでチューニングしてようやくここ2年、マッチングがある程度ちゃんとできるようになったということです)。そこはさておき、入所決定がシステムとして動いて合理化されているので、あとは入力業務の省略化含むオンライン申請の検討です。

6.子どもや保護者が問題を調べてもらえる第三者機関の設置
 保育園の運営団体が多様化してくると、今までの朝霞市の保育行政の常識による行政指導だけで適切な保育がされる保障がありません。また子ども子育て新制度への移行で保護者負担の集金をめぐるトラブルが小さなものも含めて頻発していました。そうしたものをすべて保育園の設置を推進したり、事業者の立場もわかりすぎる行政が集めて指導するということに限界があると見ました。
 兵庫県川西市に子どもの人権オンブズパーソンをはじめとする、子どもや保護者がこのやり方おかしいし問題だということを提起し、専門家に分析してもらって、その上で問題があれば解決を助言してもらえたり、ときに勧告などを通じて運営の是正を求められる機関の設置を初当選以来12年提案してきました。
 ポジティブな話が大好きな市役所には、こうしたネガティブな情報を集める機関の設置は後ろ向きで停滞しています。

7.産後ケアとしてのヘルパー派遣
 初当選の2011年は、子育て真っ最中で、一番大変な出産直後の家庭の維持を経験したばかりでした。男性が家事をしない/できない日本社会のなかで、産院から返されてきた体調が十分でない母親が家事に追われていることを想像するなかで、初当選の頃から必要性を訴えている政策です。
 「産後ケア」の一環として産後家庭の家事援助を和光市、新座市など近隣市では実現していますが、朝霞市ではベビーマッサージや心のケアだけに留まって、具体的な家事の支援は放置されたままです。
 近年、父親の産後の育児休業取得が増え、家事をする男性も増えていますが、それでもまだ母親にかかる負担は少なくない状況で、産後ケアとしてのヘルパー派遣は課題として残されたままです。
 せっかく朝霞市に転居して、出産して、これからというときに家庭内がつらい経験で埋められてしまうことが、朝霞市の印象としてどうなのか、男性幹部ばかりの市役所ではまだまだ通らない話なのかも知れません。

8.母子手帳の交付しかしない子育て包括支援センター
 出産と産後の家庭を守るという観点で、子育て包括支援センターが設置され、母子手帳の交付を集約化し、専門職が事情を聞きながら家庭の課題に支援策を組み立ているような制度が始まっています。
 しかし上記7が実現していないような、相談しても実際のサービスや、支援団体を紹介してくれるのはごくわずかで、結果として母子手帳の交付が不便になったという声ばかりが大きくなってしまいました。
 朝霞市ではただ母子手帳の交付の便利さだけが話題になりがちで、政策的にはまったく不十分な状態です。そのなかで子育て包括支援センターを、行くのが不便だからという理由で、機能も見直さず増設する話だけが進んでしまっています。
 増設する以上、他市でやっているような相談した後の、そのご家庭が困っている課題に応じて、行政や民間団体のサービスを配置して、子育てのつまずきを一つでも減らしていくような相談機関に育てることが急務です。市内で活動実績がある多胎児保護者や、外国人や帰国した子どもを持つ保護者の支援する団体など、いまだに紹介をためらっているみたいで、問題だと思っています。

9.子ども子育て会議の設置と運営
 子ども子育て新制度がスタートする2015年に向けて、2013年9月の市議会の条例可決で市の児童福祉政策の審議は「子ども子育て会議」に集約されました。総合化されたことはよかったものの、他市の事例を見ると、保育所のあり方なり、放課後児童クラブのあり方なり、幼稚園のあり方なり、子どもの居場所づくり、子どもの貧困など全部の課題の詳細を議論することは不可能で、分科会を設置しているところが多くありました。
 議案の出た2013年の9月市議会では、子ども子育て会議に分科会設置ができない内容だったので、市議会に分科会設置を可能とする修正案を出しましたが、残念なことに6人の賛成のみでいったんは否決されました。
 運営してみると会議体として規模が大きくて細かい制度に関する議論が難しいことに直面、2018年、市は私が出した修正案とほぼ同じ条例改正を提案してきました。部会を設置できるようにして、専門分野は部会の話し合いをするようになっています。
 子ども子育て会議の運営に関しても、年若い遠慮しがちな保護者委員がいるなかで、声の大きい委員の発言に任せてる現状があったことから、運営の改善も度々市議会で指摘してまいりました。司会である会長との事前協議、会議術の研修、発言に任せるのではなく議題ごとに当事者を指名して発言してもらうことなど要望してまいりましたが、まだ改善がされていません。


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2023.10.09

10/8 子どもの自立と保護を公権力がどう支えるか

埼玉県議会で、児童虐待禁止条例の改正が自民党から提案されて、その提案があまりにも粗雑で大騒動になっています。
条例改正の内容としては、小学校3年生の子どもを大人のいない状態にしておくと保護者が児童虐待に問われること、そうした子どもがいたら通報しなければならないことが追加されるものです。

一般的に聞けばは聞き流してしまう話になりかねませんが、子どもだけの状態におかざるを得ない場面というのは日常のなかでいろいろあります。子どもが一人になる様々なケースを、非自民の民主フォーラムの辻こうじ議員、無所属県民会議の八子議員がどこからが違法で、どこからが許容範囲なのか質疑をしたところ、提案者側の自民党の議員の答弁では、ごみ出しで少しの間でも子どもだけにすれば虐待に該当するという答弁が行われて、保護者や子育てを経験した人たちから、非現実的だし、子育てが行き詰まるとして大きな批判になっています。マスコミの報道にもなっています。(埼玉新聞,テレビ朝日,毎日新聞 )

私も批判している方々と同じ受け止めをしています。改正条例は廃案にした方がよいと思います。悪質なネグレクトは今も児童虐待防止法で法的に対応するものとなっています。それ以上のネグレクトの定義拡大と子どもの安全確保策は、県民生活の自由にも関わる案件だったり、子どもの育ちの自立と関わる問題で、もっと慎重に取り扱うべき問題です。
議会の議事テクニカルな話としては、詰め切れていない話が多いので、もう一度、委員会に条例改正を再付託して、次回の県議会以降に継続審議にするのが穏当な対処法だと思います。

子どもの育ちのなかで、親をはじめとするおとなの保護から離れていくことはきれいに線を引ける問題ではなくて、だんだん手を離れていくものです。子どもだけの集団や、子どもだけの時間のなかで、本を読んだり、遊びを体得したり、身近な未知の世界に触れながら、問題解決する力を体得していくものです。もちろんそこにリスクはゼロではありませんが、リスクを避けられる限り、子ども自身の力を信じていく時間と空間が必要です。またそれが有意義な時間にもなります。
もちろん、その逆で、かなり長期間保護を求める子どももいて保護してやらねばならず、それが人間社会の多様性があります。

子どものためだけではありません。生活を維持していく必要もあるし、おとなも平常心を作る時間も必要です。そういう意味では、すべて子どもを保護下に置けというのは無理筋の話で、埼玉県のように核家族が多い地域では、現実離れした話とも言えます。私自身がそれを経験しています。

子どもがひとりでいたり、子どもだけの場所があったりすることを、どこから放置の虐待「ネグレクト」と定義するかは、難しい問題で、県議会の答弁で常識外れな定義は虐待ではない、と提案者側が言い切らない限り、この条例は、こうした子どもの自立に向かった力をそぐことになると思います。
また国の子ども家庭庁で推進している、こどもの居場所づくりという政策目標にも矛盾する条例になる可能性もあります。学校と家庭しかない子どもの居場所が人によっては苦痛しかないという現実に、学校でも家庭でもない子どもの社会空間をどうやって形成するかという政策が動かなくなる可能性があります。

おとな社会からの子どもへの管理の欲求というのは、今ものすごく広がっているなと思っています。これは今回の自民党に限らず、市議会の放課後児童クラブの運営のあり方の議論なども、子どもが自分で生活する空間を見つけていくことのリスク要因を高く見積もりすぎて、ハコからハコに子どもを移し替える話ばかりが増殖してしまっています。これは非自民の側の議員が突っつきすぎて起きている現象で、公権力に近いところにいてもの言う人が、子どもの自立と安全とのバランスをどう見守るかというセンスが問われていると思います。

地元の自民党所属の市議会議員と意見交換をしましたが、県議会議員からは今回の条例改正の動機は「パチンコ店の駐車場の車内で子どもが放置される」ようなネグレクト事例を想定して作った、と説明を受けている、と聞きました。朝霞市とその周辺での過去の深刻な虐待事例は、子どもを置いて旅行に行ってしまった話がありました。その限りにおいては私も問題は共有できますが、そこで保護者の責任だけに帰すアプローチをするのが自民党らしいと感じています。
過去の虐待事例からは、産んでしまった、産ませてしまった親たちの子育ての技能支援や、息抜き、子育ての苦労の共有など福祉的なアプローチが重要で、親としてしっかりしろ、犯罪になるぞ、というおどかしではあまりうまくいかないだろうと見ています(この観点で、ただ単に母子手帳の交付事務の便利さだけが評価項目に成り下がっている朝霞市の子育て包括支援センターの仕事のあり方は大問題だと思っています)。

政治家なので政治的な話もします。
今回、そうしたなかで反対運動が起こり、廃案をめざすことになるわけですが、廃案のエネルギーを高めていくために、提案した県議会自民党に、統一教会などの影を指摘するツィッターの投稿が目立ちました。
擁護するのではありませんが、そのような流れではないと見ています。先に申したように駐車場での車内放置案件のような、善意が発端だとみています。提案者にならなかった6人の自民党の議員名を見ていると、もっと強烈な右翼議員もいて、右翼イデオロギーから出てきた条例というよりも、県民の生活の自由に関わる条例を、自分たちの通俗道徳のなかで雑に処理して提案、説明、答弁した結果、こんなことになっていると見ています。

この3年ぐらい埼玉県議会では自民党が、議員立法で条例をたくさん作っています(非自民の私としては自民党の宣伝みたいになって癪ですが)。そのことはこの夏の自治体学会の分科会でも、地方議会の議員立法のあり方の一つの題材として県議会自民党の議員がパネリストとして登壇し、取り上げられ、議員立法のあり方として研究材料になっています。
こうして誕生した条例は、(内容の妥当性や十分さは横においても)エスカレーターで歩くのを禁止したり、ヤングケアラーへの支援、犯罪被害者への支援、住宅確保が困難な人への支援などがあり、非自民の側が問題提起することが得意だった課題を、自民党的にアレンジして、数の力を誇示するように実現してきたのが現在の県議会の状況です。
議員自身が話し合って政策を作り、社会問題を解決していこうという流れは、行政にお願いや正解を要求するような行動しかなかった地方議会人としては、自律した前向きなものです。ただし、そのやり方に問題があり、さらに今回の条例に関しては作業が雑だったのではないか、ということと、意見の違う議員との共同作業が足りなかったのではないか、と指摘したいと思います。
昔、議会改革のイベントで、議員立法をがんばろうという基調に対して、鳥取県知事をされた片山善博さんが「条例って、住民に義務や負担を課すことができる本質があるから、ただ作ればいいと考えるのは危険だ」と警鐘を鳴らしたのを思い出します。何かの正義を条例で解決しようとするときには、その必要性や副作用などを慎重に検討する必要があるのだろうと思います。
議会なので、考え方の違う政党の議員もいるのですから、もっと話し合って、問題点や副作用が起きそうなところをバグ潰しのように検証してもらい、できるだけ歩み寄って条例を作るというお作法が必要だったのではないかと思います。これみよがしの党派による正義の独占は政治論としてありえますが、県民生活に関われ政策ではこのような間違いを起こすのだと思います。

本来それらを是正するのが県議会の委員会審議だと思うのですが、深刻な問題提起をしても継続審議にもせず、止まらない状況や、答弁者が法を作るときに意識するべき「可罰的違法性」みたいなものを考慮していなかったのではないかと思わざるをえない展開などを聞いていると、数で結論を急ぐ正義のあり方の問題を改めて認識するものです。

政治家をやっていると、一般人がつい口をつく、多数派の他人の自由を奪うことになる無自覚な意見にしばしばさらされることがあります。そこに公権力が動くべき問題があるときには何かすることになりまが、まずは起きていることを、社会全体や自由や民主主義からはどうとらえるべきかと相対化して、問題の原因を抽出していくことが必要です。そのために本を読んだり、勉強会出たり、学識経験者に意見求めて整理をする必要があります。その作業を甘くみて急ぎすぎて、自分の思い込みを思い込みと相対化せずに政策を作ってしまうと、今回のように現実離れした話になるなと思っています。
私も、地域の方々と話をしていると、あの人はネグレクトしているよね、親としての資質がどうかと思う、みたいな会話をされることがあります。そういう会話を蓄積して、無責任な問題親が最近は多い、みたいな像をつくって議論するとこういうことになるんだろうなと思っています。その親がどうしてネグレクトをしているのか、ということに着目していかずに逮捕するぞみたいな脅かしだけでは問題解決にはならないだろうと思っています。

県議会自民党の暴走に、自民党の国会議員の何人か(県内では柴山代議士と牧原代議士)が懸念を示して手を突っ込もうとしています。止めてくれればありがたいのですが、地方自治という観点からは問題ではないかと思います。また両代議士は、この条例以上に、もっと保守的な家族のあり方まで手を突っ込んでくる政策を提唱しています。注意が必要だと思います。

最後に県議会のあり方です。自民党が数の力をごりごりやれるのは、所沢、越谷、川越などの一部の選挙区以外、県議会で定数1~2人の選挙区ばかりで占められ、衆議院みたいに比例復活という制度がないため、長く政権政党にあって、町内会や商工会やPTAなどの社会団体の役員経験者に応援されやすい自民党以外の候補者が出にくい環境があるからです。そのなかで低投票率、無競争という環境のなかで自民党が6割もの議席を取っているところがあります。
国政選挙の比例代表の得票結果などを見ると、必ずしも埼玉県は自民党が6割も議席を占められるほどの県民の支持はありません。数の力で良いことをやろうとすることは過渡的にあったとしても、県民の多くの考え方を反映していないかも知れない、という謙虚さが必要だと思います。

●先の統一選で当選した、朝霞市選挙区の県議は、この議案にどうするつもりなのでしょうか。一人は自民党なので党議に拘束されますが、もう一方は自民党に入りたがっているという話を聞いています。試されると思います。

●改正条例が成立したとき、「可罰的違法性」という法律を超える判断が入るので、県議会委員会の答弁で違法だと例示された、ごみ出しに子どもを独りにしたぐらいで違法、通報されて役所が動く、ということは直ちに起きないと思います。
一方、罰則のない法律の運用であることなのですが、離婚訴訟や、事故における損害賠償訴訟などで、この条例改正が参照されて判断に入る可能性は否定できません。また長期的には、親の自己責任を強調し、子どもにおとなの保護を埋め尽くすべきという英米のような議論になっていけば、この改正条項が引っ張りだされ、どのように法の運用が展開されるかはわからない条例改正だと思います。

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2023.05.29

5/28 保護者と政府の間でいったりきたりするお金の論争しかない「こども政策」

岸田政権の打ち出す「少子化対策」の財源倍増が迷走しています。
岸田首相が消費税増税しないと言ってしまったので、消費税以外の財源を探さなくてはならなくなりました。
続いて医療・介護などの社会保険料を増やすと言ってみたものの、社会保険料こそ子育て世帯にずっしりかかっている負担なので、社会的批判を浴び、28日の新聞記事では茂木自民党幹事長がしないと言い出しています。
その次は所得税・住民税の子どもに対する扶養控除の廃止ですが、最近は、年少扶養控除を廃止した経緯が過去の話になり、わからなくなっているなかで、年収高めのSNS発信者たちによって批判に晒されています。その力を利用して某野党党首が扶養控除廃止に噛みつく状況で、これも決断しにくくなってきているのではないかと思います。
子どもが産まれないと社会保障は維持できない、なんて話をして、高齢者の医療費や介護利用料の自己負担分を引き上げることも言われていますが、それで出てくる財源などせいぜい数千億程度で、とても子育て予算倍増という規模にはなりません。むしろ、高齢者やその予備軍の将来不安が恐怖感から消費を控え貯金に走らせ、生産活動に回るお金が減っていくことで、現役世代の雇用の機会を奪っていきます。デフレをもたらした小泉構造改革の再現です。

結局、どこからも財源が作れない、というなかで、とりあえず予算を「倍増させる」という矛盾を解消するために赤字国債に依存することになり、子育て政策として勝手に大人たちが使った予算を、当の子どもたちが将来ずっしり負担させられる状況です。
「桃太郎電鉄」という、全国各地旅して物件を買って利殖していくゲームがあります。1ターンごとに負けたプレイヤーに「ボンビー」というのがついて、「お前のためだ、使ってやろう」と財産をむしり取っていく罰ゲームがありますが、そんな展開になりつつあります。

●野党党首が、盛んに子どもの扶養控除の全廃の方針に批判を加えているのですが、これが児童手当に置き換わる場合、子どもの貧困をなくしたいなどと言っている野党にとって批判しきれるのか疑問です。
所得税の納税者の8割ぐらいが5%~10%の所得税率でおさまっていると言われていますが、その人たちから扶養控除を取り上げたとき、地方税込みで子ども1人年7万円の負担増ですが、一方で児童手当が月1万円であれば12万円の給付増です。残り2割のバラモン層に寄り添うのかという感じの批判だと思います。
子育て世帯への現金給付は、子どもの貧困問題が出発点です。様々な負担免除や給付がなくなる住民税非課税より上、世帯世帯年収400万円ぐらいまでを想定した問題意識が出発点なのに、年収1000万円ぐらいの人の感覚ばかりが話題になります。

●私がもっと腹立たしいのは、親と政府の間をいったり来たりしているお金の損得の話ばかりに、政党間の「子育て支援」の政策論争が行われていることです。親に現金をつぎ込んで「産めよ殖やせよ」インセンティブの話ばかりしていて、よい結果が出るのだろうかというのは疑問です。
こどもを力づけ、子育てしている人を支えるというのはどういうことなのか、何に寄り添っているのかさっぱりわからない議論ばかりです。選挙運動ばかりやって子どもを見ていない人たちと言われても仕方がありません。

もっと地域に子どもの居場所を、そのためのスタッフを、子どもが相談して問題解決を手伝ってもらえる大人を、子育てでパニックを起こしている家庭によりそうスタッフを、収入のない親のもとに産まれても、給食や教材を受け取るときに肩身の狭い思いをしない社会を、子どもに住居がなくならないように、ということがより「子どものため」ではないのかと思います。こどもにとって当たり外れの激しい、家庭に押しつけるだけではない子育て環境を作っていくことだと思うのですが、その話を具体化することは後回しで、扶養手当と児童手当の話ばっかりです。

具体的なこどもや子育てしている人への支援で、あちこちヒアリングしている小倉少子化担当相とその周辺という状況で、みみっちい自分たちの収入層の損得の話ばかりしている野党国会議員には、誰がいるんだろうか、と思うばかりです。
子どもに直接的な支援をしている団体や活動者からどんな政策提言を集約して、政策に変えているのか、全然見えてきません。
お金のやり取りに終始した政策論争の先、政権とっても、自民党政権がやりちらかした財政ギャップを埋めるための増税を押しつけられるだけになるのではないかと見ています。

●政策化が終わったら一瞬で関心がなくなる負担の損得の話よりも、地域で子どもの支援に関わっている人や団体の声を拾い、集約して政策化の努力をすることが、野党の足腰の強化になるし、その情報が政党の政策スタッフに流れ込んで、政党の政策スタッフのなかで揉まれて次の国政選挙の公約に反映されていくといのうが、地方議員を含めての政党のブランディングになるのではないかと思うのですが・・・。

●財源の話では、消費税1%で2兆円です。全ての給食無償化で5000億円未満、大学の学費が増える原因なとった21世紀初頭の予算カットも5000億円ぐらいと言われています。全国の自治体が1700余りで、ここに子ども関係のスタッフを雇え・非正規職員の処遇改善しろと5億円ずつ配っても9000億円です。すべての人から集めることになります。働き盛りの世代や、病気であったり介護を必要とする高齢者を狙い撃ちにした負担増ではありません。
こういう数字の前に、増税するのも選択肢だと思いますが、少なくとも消費税減税して景気対策ちちんぷいという話ではないと思います。

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2023.02.01

2/1 年収1000万円の人に月5000円出すか出さないかにだけ盛り上がる国会

「児童手当の支給拡大」をめぐって与野党ともに毎日、毎日、多大な時間を使って手柄合戦をしています。児童手当に所得制限があること自体が良いことか悪いことかなんて大雑把な話のもとに、子育て支援の様々な政策に議論し、合意形成していかなくてはならない労力が、みんな取られています。
今回の支給拡大って、家族のなかで最も収入のある人が年収約1000万円以上である人に、月5000円の児童手当を支給するかどうかということに、与野党とも言い争っているのですが、違和感ありませんか。

子どもができてくる家庭の大半は、家族のなかで最大の収入がある人が年収200~600万円ぐらいで、とりわけ年収400万円以下が増えていることは、社会保障と経済を議論する多くの人が課題認識としていることです。それを背景に、子どもの貧困問題がクローズアップされて、子ども食堂の経営から、社会保障政策としての児童手当、児童扶養手当の議論が、盛んになっている状況があります。
今回の児童手当の拡大の論争には、子どもを多くつくるこの世代の話は全くありません。

今回、児童手当にクローズアップされた背景に「少子化対策」というスローガンがありましたが、月5000円もらえるから子どもを産んだり、もらえなから産み控えするなどバースコントロールをするものなのでしょうか。特に年収1000万円もある人にとって。
経済生活ではもっと大きな、賃金収入がどうなるかはあるとは思いますが、どのような人生にしていくか、どのような家庭にしていきたいかという考えが各家庭で判断されたなかで、職業や社会生活などとの関係をみながら、子どもは産めるかどうかの判断がされていて、月5000円など変数としてはほとんど影響がないと思います。もちろんそこまで計画せずに、予期せぬ妊娠を受け入れていく割合も少なくはありません。そうしたもの含めて、子どもがどう産まれてくるかということの洞察が必要です。

子育て政策を盛んに提言している山口慎太郎さんという経済学者は、経済的に豊かな家庭に経済支援しても、さらにお金のかかる子育てに使ってしまうということを新聞インタビューで話しています。私もそうだろうと思っています。
  2023年1月朝日新聞「現金給付より5倍有効各国専門家が薦める出生率向上」
子どもをふやしたい、子どもを幸福にしたいとするなら、現金を撒くのではなくて、子どもを産んでも負担感のない社会システムを作ることにお金を使え、と提言もされていて、ゼニカネでは幸せにならないかも知れないが、子育てに対するしんどさ、二度とゴメンという感覚を軽減できていくのだろうと思います。
他の論文では、少子化対策という政策目標での多くの施策が成果が上がらない、と断言していて、もう少し落ち着いて幸福な子育てができる社会ってどんなものかと考えて欲しいところです。産めよ殖やせよ、ではなくて。

問題は財源です。子ども関連施策はものすごい予算を食べていきます。介護保険のような、サービス供給量に連動した負担の自動計算システムがなく、全て、その年に調達するにしろ、国債に依存するにしろ最終的に税金で払うことになります。国民の幸福度が上がり、より問題解決に有効な手段を、意識的に選択して選んでいかないと、「子育てしているからカネをくれ」という声に呼応してばら撒いているだけでは、皮肉なことに子どもたちが私たちが子育てのためと言って食い荒らしたツケを、将来負担させられます。少なくとも、子どもたちがおとなになったときに、問題解決しなければならない問題から、税金で対処できる範囲が狭まることは避けられません。

もちろんお金がたんまりあれば、月5000円程度を出し渋る話は、システムを複雑化させるだけですから、取っ払ったらいいとは思いますが、優先課題があって、財源がなくて、というなかで、手柄合戦にそんなに盛り上がることなんですか、と思うばかりです。

少子化対策のために、子どもたちの払う税金の大半が借金返済になってしまった、なんて笑える話ではありません。

●長年、子ども政策を家庭に処理させてきた自民党が子育て政策に弱いのは仕方ないと思います。問題は、そういう社会を作り替えよう、という野党の側に、子ども政策の対案形成力がないことです。あっちが5000円ならこっちは10000円という、レベルの低い営業活動しかできていません。産後のパニックに陥っている核家族、障害児が誕生した家庭、多胎育児に大変な思いをしている家庭、海外から帰ってきてパニックに陥っている子ども、いじめにあった子どもの支援、不登校になった子どもへの支援と教育、他の先進国だったら解決できる問題がいまだに家庭の自助努力に押し込まれています。そんな話にどうしたいという議論を国会で与党にふっかけているの見たことがありません。児童手当の水準の話ばっかりです。
この問題は与党のチェックだけしていればいい問題ではないと思います。権丈先生も指摘していますが、最大野党のなかで厚生労働省関係の施策を握っているのが、一本取る政局志向しかない人たちなので、どうしようもないというのは諦めの境地です。
そういうなかで、自民党は、自見はなこ、橋本岳、小倉少子化担当相というオルタナティブが育ちはじめています。

●富裕層に5000円配る話だけでは申し訳ないと思うのか、低所得者にさらに1万円みたいなこと言う野党議員がいます。野党が現金給付の拡大を提唱しても、考え方もイデオロギーもいりませんから、選挙直前に、自公政権の政策協議で公明党あたりが押し込んで、公明党の成果として実施されてしまう結果になります。実現した後、私たちが本来言い始めたんだ、なんて言っても後の祭。さらにたちのわるいことは、政権交代期に、そうした自公政権の財政的な帳尻あわせを度外視してきたツケを、野党が与党になったときに、追い込まれるように増税させられるんです。こうした悪循環をどう断ち切るのか、真剣に考えるべきです。
子どもに直接届く現物サービスなら、自民党はなかなか呑みませんから、こんな野党が自爆するような話にはなりません。

●所得制限でいうと、月5000円より優先して見直すべきものがあります。
①高校全入時代においては、高校卒業が義務教育課程修了のような意味を持ってしまっていますから、私は高校無償化はもっと広げていくべきだと思います。これは子どもが子ども自身の選択として、自分のサービスを受けるもので、保護者が享受するサービスではないからです。富裕層でも、親の先入観で子どもの進路を制限・制約してしまうこともまま見られることだからです。
②経済的支援というと貧困家庭に直結しやすいひとり親が課題なのに、そこに出される児童扶養手当はもっともっと低い所得制限になっています。フェミニズムの議論では養育費徴収強化が流行していますが、離婚に至る相手も貧困である割合が高く養育費の支払能力がない人がたくさんいます。むしろ高所得者の月5000円より、本当に必要なのは、ひとり親家庭の対象拡大や支給額の改善ではないかと思います。
③障害や医療に関して、自治体独自の負担軽減策がありますが、その多くは「住民税非課税世帯」です。年収100~150万円前後でサービスが切られます。ここには誰も何もいいません。何の支援サービスも受けられない家庭がその上にたんまりいるのです。この人たちは恵まれた人たちなのでしょうか。年収1000万円より、切実な階層のはずです。

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2023.01.23

1/21 「少子化対策」という話とその語られ方が異様です

「異次元の少子化対策」という岸田首相の言葉を契機に、公的な子育て支援をどうするかという議論がデタラメ・ぐちゃぐちゃになっている感じがします。そこで議論されている政策が、ほんとうに「少子化」を克服できるのか、子どものいる空間が幸福になるのか、結果が考慮されている議論がされている感じがしていません。

日本は子どもに使う公的予算が少ないと指摘されて、研究者も子育て予算をもっとと指摘しますが、そういう話がいつしか「子育て世帯のオレにカネくれ」という話にしか展開しない情けなさ。現金を撒くから金額の規模も巨額になり、他の子どもやその家庭の幸福度を上げるサービスをつくり検討する余力が、財源的にも人員的にも消耗してなくなっていたりするのが今の状況だと思います。

統一選を前に、有権者に現金をばらまきたい政治家たちが、お金を撒いていいことをしたと言われたい、それだけなんでしょうね、ということで、子育ての負担感、子どもの閉塞感が解決される道筋はまったくないと言うしかありません。その展望のなさが、子どもに対して積極的にならない生活態度を形成していると感じるものです。政治家が子育て政策に疎く、短期間で検討すると現金を撒くことがすぐ出てしまう、その足下を見て、年収1000万円超ぐらいの人たちがSNSで、「子育て罰」などと自分たちが被害者ポジションに置いて、月5000円をくれくれ言っているのですが、年収とそれで受け取る収入の落差にずれている感じがしています。

低所得者と同じく月5000円受け取れて、子育て環境が劇的に改善するのでしょうか。子どもを殖やそうという気になるのでしょうか。あまり関係ないように思います。
むしろこの年収1000万円ぐらいの子育てしている人たちには、実際に子育てで困ったことを思い出してもらって、何が欠けているのか整理して発言してもらえたらと思っています。そしてそのことは、低所得者にも共通の新たな支援サービスとしてわかりやすく共有できるのではないかと思います。産前産後の家事支援とか、幼稚園の入園支援情報の提供とか、いろいろあると思います。
※事実上義務教育のようになっている高校の授業料無償化に関しては所得制限を外すべきだと思います。

子育て政策など、この10年でようやく政策のメインストリームになったばかりで、未整備な施策だらけということです。以前は学校しかありませんでした。ようやく保育園や学童保育がまともに整備されるようになった段階です。障害児や医療的ケアの必要な子どもの育ちの支援は、多くの自治体でまだまだです。貧困家庭の支援も、まだまだです。まだまだお金と人手をかけて育てていかなくてはならない話の多い分野ですが、せっかく捻出した子育て財源を、月数千円とか、単発で数万円とかばら撒いて、結果的には何も環境が変わらないみたいな話にしたくないと思っています。

政策用語もどうかと思っています。子育て支援だったり子ども支援というのが政策として正しいのであって、「少子化対策」って「産めよ殖やせよ」をマイルドにした言葉ですよね。かつてナチスは、いろいろな条件で結婚に至らない「アーリア人」女性を施設に集めて、軍の優秀な将校に種付けさせていたことがありました。地球環境が壊れている問題も、人類の人口の増加による要素が大きく、無理に人を殖やすという話はナンセンスなのではないかと思います。
子どもを産んで殖やしても、幸福度の高い仕事や賃金のある程度ある仕事が減っているなかで、子どもたちが幸福な人生を送る確証もなく、ブルシットジョブの人たちの経済奴隷にされるのではないか、と心配してしまう状況も課題です。

少子化で、心配なのは年金と経済成長ですが、年金は払う人と受け取る人の比率が長寿化でおかしくなっているわけですから、現役世代の比率を高める線引きのし直しをすることが必要だと思います。もちろん老化は人によって進み方が違うので、しなやかな制度にすることは前提です。60歳前後で人が亡くなっていた時代は50歳定年、75歳ぐらいまで生きるようになったら60歳定年と、過去には設定し直しています。
経済成長には期待しても結果が出るのに20年かかる人口増以外の方法での有効需要が生まれる施策を打つのが先決で、学費の無償化や老後のリスクにかかるコストを税が吸収するなどして、貯金をしなくてよい社会構造をつくり、消費性向を高める施策が必要です。

子どもに関しては前述したように、子育ての負担感、疎外感、義務感をなくすための施策が必要で、それは現金給付よりも先にやることがたくさんあると思います。赤字国債を原資にやるわけですから、ちゃんとした政策を作って取り組む必要があると思います。

●政策の柱に、子どもの権利という観点が無くて、経済的なお金と欲求の消化の取引みたいな、商取引の力関係を前提にした話しかないからだろうなぁと思います。

●市議会でも現金バラマキ型の政策が入っている予算には反対することが多いのですが、そうすると、市民がお金を必要としているのに反対するなんて考えられない、みたいなこと言われたりします。結果として、政策に関与する政治や行政の注意力がバラマキに熱中して、他の子ども政策が実現するのを遅らせている結果になるばかりです。ましてや子どもには直接届かない施策です。こうした政治業界の議論のされ方が、安直にばら撒く選択肢を選ばせて、問題解決が遠のくばかりです。
原資は赤字国債で、今の子どもたちが働き盛りになったら、処理に追われる借金を残してやっていることに注意を払うことも必要です。その時代に政策選択の幅が狭まりかねません。

●見返りがないと騒ぎ立てる高所得者に、2019年からの保育無償化で年間30万近い保育料・幼稚園授業料が無償になっていると指摘したいのですが、無償化すると実経費がわからなくなって、受け取っている権利がわからなくなる話だなぁと思いました。介護保険が一部自己負担を残しているのは、権利性の確認と、費用に対する自覚を求めているからなのでしょうね。

●扶養控除の復活を言う人がいて、ほんとにう日本人は税控除が大好きだなぁと思いますが、計算してみてください。非課税世帯は恩恵ゼロ、最低税率の世帯は38万×5%の年間1万9000円(月額1583円)しか戻らないのに対し、最高税率の世帯は38万円×45%で17万1000円(月額14250円)も戻ってくる話です。税制による実質的な格差拡大策であり、新自由主義的価値観にもとづく主張です。
左翼でもこんな格差拡大策を提唱する人がいますし、大学の先生で提唱している人もいますが、これは2009年子ども手当拡大のときに、扶養控除よりも給付と議論して整理した「先行研究」を踏まえないものだなぁ、と受け止めております。

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2019.11.29

11/29 「子どもたちの未来」と今のためにも

選挙カーでは、応援のウグイスに入る方が「子どもたちの未来のためにくろかわは」という言葉で宣伝をしてくれました。そこに「子どもたちの今も」と付け加えてもらうようにお願いしました。

ここ10年ぐらい「子どもたちの未来のために」という言葉が行政や政策関係者の刷り込みのようなキャッチフレーズになっています。子どもたちへの財政支出や公的な価値を高めるために大事な概念です。私も全く同意します。
加えて、子ども自身になってみれば、日々起きていることが解決されずに悩まれていることも多いと思います。成長していくことを応援することが「未来のために」であれば、非合理的な不条理を押しつけられることや、劣悪処遇、危険な交通環境、犯罪、いじめ、虐待から子どもたちが守られるべきことは今の問題であるし、遊び場やたまり場の確保ということでは、未来のためではなく今のため、ということだと思っています。

応援に来た方はそのことをよく理解しているのではっと気づいて、以後「子どもたちの未来と今のため」と言ってくれました。

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2018.12.30

12/30 放課後児童クラブの職員配置と規制のありか

25日の閣議で、放課後児童クラブの職員配置規制が、国として基準を残しつつ、自治体の条例改正で緩和できる制度に変更することが決められ、今後法改正と政令の改正で実施に移されます。このことをめぐって放課後児童クラブに係わる方々から不安視されていますが、朝霞市としては12月定例市議会で、私を含む何人かの議員の質問に対して、職員配置基準を変える条例を提出することはない、と明言しています。

現状より職員配置が割り込むことは基本ありえないと考えていただいて結構です。

ただこの改正に関して、国に対して抗議をする動きがあるのですが、どうもずれた議論があるなぁ、と思うところがあります。
改正の内容は、職員配置の規制を国が一方的に規制してビタ一文ずらしてはならない、という内容から、国が規制案は示すし基本はこれでやってもらいたいが自治体が独自に条例を設定したら、(下にも上にも)規制を独自設定できる、という内容です。国が示す基準を「従うべき」→「参酌すべき」と書き換えることになります。

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2018.12.03

12/1 天皇即位でいただく10連休の保育や失業の課題

天皇退位と新天皇即位の祝賀として来年4月27日から5月6日まで10連休になることが政府から発表されています。年度替わりで多くの人が多忙な4月に新元号にならずに済んでほっとしていますが、GWに休暇が追加されたことは、やや危険ではないかと思っています。

一つには、月替わりに人生を行き詰まる人が多いこと。そのときに役所を開けられないというのは、月替わりで提供されるセーフティーネットが底割れすることになります。月末、突然職場が資金繰りにつまり、閉鎖され、宿舎付きの雇用であると家まで失います。そうしたときに役所が対応可能なのか。
昨日、山一証券の破綻のルポがNHKスペシャルで取り上げられていましたが、その後二の舞を避けるために金融再生法ができ。金融のセーフティーネットはできあがっています。でも人間のセーフティーネットは全然考えてもらえないんですよね。
朝霞市役所でも、通常の閉庁日と同様、守衛室経由で待機職員が出動するというスキームにするような予定にしています。しかし休日の守衛室が、そう事情を理解自宅待機している職員につなぐことは、難しいのではないかと思われます。その状態が10日間も続くのです。

もう一つは、保育園が通常の土曜日である27日以外、9日間あきません。公務員と工場労働者、事務系正社員は問題が少ないと思いますが、デパートやスーパーなど小売店や飲食店や遊園地に働く人しかおとながいないご家庭、警察、消防、病院、鉄道など土曜も日曜も交代勤務に組み込まれている人のご家庭などの、乳幼児の保育が底割れしかねません。子どもを預けられる信頼できる人が近くにいなければ、自宅にかぎかけて乳幼児を家で長時間寝かせておくしかありません。
初出馬のときに仕事でお世話になったUAゼンセン東京都支部長にごあいさつにうかがったところ、朝霞市には700人ぐらい組合員がいて大半は小売関係と聞かされています。そのうちどのくらいが保育園利用者かわかりませんが、大変なことになります。
国家が一方的に決定した休日の追加で、乳幼児たちが育児放棄にせざるを得ないなんてあってよいのでしょうか。各自治体で特別な対応が求められるように思います。

学校に関しては、急な転校では、ひとまず5月7日に学区内の学校に登校させて、事後処理的に手続きを進める対応をとる見込みです。

上記のようなことを12日午後の市議会の一般質問で取り上げる予定です。

●このことを一般質問するとツィートに挙げたら、貧困問題に取り組む「舫」の稲葉剛さんが取り上げてくれました。きちんと正面向いて対応すると、先進事例になると思います。

●10連休、保育でどうしようとお悩みの方、ご家庭の実情をメールで送っていただけたらと思います。直接の対応はできるかどうかわかりませんが、議会の質問を通じて対応を促す力になると思います。

●安倍政権のお友達政治家の圧力で、新元号の内定発表が4月下旬になってから、という毎日新聞の報道がありました。朝霞市役所も1週間でコンピューターシステムや印刷物の元号変更に対応しなければなりません。1ヵ月はほしいところでした。
役所のシステム担当者、各部門のシステム責任者たちは、改正プログラム入れ替えと動作検証で新元号・天皇即位を祝う間もなく、休日出勤になるみたいです。前回の元号改正に立ち会った職員も少なからずいますが、当時はコンピューターシステムなど会計や住民基本台帳など限られた世界で、それぞれが単独に動くシステムだった時代のものです。全然、質的に違うことをしなくてはならないようです。

●政府は消費を喚起したいつもりでしょうが、宿舎も航空便も大型休暇は変動相場制の料金で高くて、なかなか出かけられないんですよね。また製造業の仕事も公務員も減って、休みの日こそ働かなくてはならない仕事が増えています。そういうなかで大型連続休暇ばかり作りたがる今の政府、時代のセンスに合っているのでしょうか。疑問です。

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2018.11.15

11/15 問題だらけの保育料無償化にたたかう全国市長会を応援します

安倍政権がぶち上げた、消費税増税にともなう保育料無償化の財源確保をめぐって、全国市長会と財務省、総務省、内閣府、厚労省との攻防が激しくなっており、検討する分科会に参加している各市長からさまざまな情報発信がされています。

私は保育料無償化はいつかは必要と考えるものの、消費税財源としてやるには優先順位がはるかに低いと考えています。その理由として、①現状の保育料が所得に応じて負担する仕組みになっている、②保育政策の優先課題は待機児童対策に財源を投入すべき、③次の優先課題は保育士の人材確保のために普通の仕事なみの賃金に引き上げることが不可欠、といった点が指摘できると思います。
保育料の無償化は、現状の所得に応じた保育料が無償化になるので高所得者ほど恩恵が出ます。それは格差の逆配分になります。内部留保をため込む法人への税が減税されて消費税が上がる、と批判されているあの現象と同じことになると思います。

さらにここにきて国は、①保育料の無償化財源の半分を自治体の持ち出し負担とせよ、②保育園の給食の主食費以外も自己負担にする、という提案が出されてきています。
これで朝霞市でも数億円の財源捻出が必要になり、ねこの不妊手術も、風疹やインフルエンザのワクチン接種も、市の独自施策と言われているものはバッサリ切らざるを得なくなると思います。国は交付税措置するだの、地方消費税の増収だの言いますが、交付税措置は、地方交付税の総額を増やすわけではないので、保育に増えてごみ処理で減算するみたいなことが行われます。地方消費税は市が購入する様々な物品や工事契約につきまとうので、それでかなりが取られるので十分な金額ではありません。

こうした問題に、現在、全国市長会の「社会文教委員会・子ども子育て検討会議合同会議」というところで自治体の意見として、国が押しつける自治体負担に対して、委員となっている各市長が果敢に国に考えを改めるように取り組んでいます。
私もその流れを応援したいと思います。

●朝霞市としても、この保育料無償化の自治体負担分の財源確保が見通せないなかで、待機児童対策に数年アクセル踏めなくなるようです。多くの人が働きながら子育てする機会を失うことでの人生の損失が発生します。

●保育料は安ければ安いほどいい、という方もいますが、一方で待機児童がこれだけあるなかで、保育料をもう少し上げて対策を進めてほしい、とも言われます。私も高所得層はもう少し負担してもらって、待機児童対策と保育園給食の主食費を保育料に織り込めないかと考えて、行政に提言しましたが、保育料無償化が提案されて、すべてが無になった感じがしています。

●全額無償となるサービスというのは、国に逆らえないシステムになることも考慮しなければなりません。日本の教育レベルが低いのは、現場に改革の責任と権能がなく、国にしか制度の決定権がないからです。

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2017.08.23

8/22 政治家が打ち上げる保育料無料化って…

最近、新しさを掲げる政治家たちから保育料無料化をぶち上げられます。保育料だけ見れば、消費税1%もいらないというのです。しかしちょっと待ってよ、と思っています。子ども保険などという制度を入れて、出てくるのが保育料無料化しかないなんて話もあります。それだけの財源調達やってそれですか、という感じがしないでもありません。
私ももっと保育園が重視される政治をやれやれ言ってきた側だし、私自身の保育料負担は、地域的に認可外保育しか選択肢はなく、11年の未就学児を育ててるうち8年間利用し、自動車2台買えるぐらい超過負担をしてきたので、保育料は安いに超したことはないと思っています。しかし、保育料を下げることに多大な財源を使ってしまって、他に解決すべき保育園にまつわる様々な政策課題が解決できるのか、疑問です。
端的に言うと、優先順位がおかしくて、票を取るためにわかりやすい政策だけを打ち上げて、財源弾切れ、待機児童問題や質の問題が放置されたまままた40年問題が放置される、ということになりかねません。

保育園に関する財政は、市町村の超過負担によって支えられています。保育園が思うように整備できないのは、この超過負担の財源がなく、様々な支出を削ってひっぱがして調達している現実があり、最近のベッドタウンでは、よほど金回りのよい自治体以外、様々な子育て世帯や障害者のいる世帯に出す〇〇補助金みたいなのを切って、公共施設の新築・改築どころか修繕すら先延ばしにして、標準の行政サービスを提供するのがやっと、という状況です。
そこに保育料を無料化したらどのようなことが起きるのか。
保育需要は少しだと思いますが上がるでしょう。保育園は1施設でそんなに人を入れられません。60人とか90人とかの規模です。朝霞市で未就学児が8000人いて、保育所利用率がわずか1%上がるだけでも保育園が1つ必要になります。新たに必要となる保育園の建設費はほとんど国・県の負担ですが、運営経費は1園で市負担分だけで5000万円が必要になります。ここは無料化した保育料の倍ぐらいの予算がいります。まずこの問題にぶち当たります。
無料化されるのは保護者負担だけですから、その裏側で国や自治体が負担している保育財源は、今の日本政府や自治体の財政からは簡単に出てきません。待機児童問題が放置されたまま無料化すると、想像するだけで変なことが起きそうです。

高齢者や障害者福祉サービスとのバランスが必要です。高齢者の福祉・医療は1割負担、ある程度の所得の人は2割負担、さらに来年度からは高所得者には3割負担が入ります。年金収入だけで他に収入もない高齢者世帯が、保育園と同等のサービスを受けると、介護度により3万5千円~6万円払っていることになります(高所得者限定ですが来年度からはさらに1.5倍になる人がいる)。保育園の利用理由の大半が経済活動のためだとすると、収入のない人の介護利用料を上げ続けて高齢者に貯金しなきゃならない強迫観念を与え続けていることとのバランスが問われてくると思います。

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