2008.07.13

7/13 朝霞市の子ども政策を検証する

午後、今後の朝霞市を考える会のシンポジウム。子ども政策というテーマで、①保育園、②5年かかる小学校の建て替え問題、③障害児の地域での暮らし、④遊び場の4テーマ。私は保育園のところで話させてもらった。

●保育園の話の内容は、待機児童問題と民間委託の問題について中心的に話した。保育料とかもっと卑近な話はあるが、そういうのは私でなくても発言する人はいると思って、大幅にカットした。
今でこそ沈静化した待機児童問題だが、共働きを基本とするような地域社会の生活がなくて、マンションの乱造を認め続ければ、またいつ暴発するかわからないという話でまとめた。この6年の朝霞市の取り組みなども説明した。待機児童問題を解決したのは、ベクトルが違うが関係者の働きかけで、市役所にとっては想定外のいくつかの幸運が重なっていると思う。
民間委託の問題は、ふじみ野市のプール事故事件を引き合いに、発注者責任としての監督を市がやらないで業者任せにしていると、事故が発生したときに、発注を決めた職員が禁固刑=失職になる危険性があるということと、保護者やできれば子どももまじえた当事者の意思決定があって、委託先企業が決まるべきこと、実際の保育を見て業者を選択すべきことを指摘した。朝霞市の民間委託のやり方は、都内の自治体に比べてかなり手荒で、透明性がなく、業者との癒着が起きる余地がある。保育園は誰のためのものか、というものをもう一度きちんと確認して仕事の組み立て直しをしてもらいたいと思うが、しばらく市立の新設園はないと思うので、どうでもいい問題として扱われるだろう。

●第五小学校の建て替え問題は深刻である。早ければ今年の夏の入札で業者が決まれば、その秋から工事に入り、足かけ5年、子どもたちは工事と共存しながら勉強しなくてはならない。ちょっと工事ミスがあって工事が延びれば、ある学年は6年間、工事現場と隣り合わせで勉強し、体育の授業はバスでグラウンドに行く可能性もないわけではない。グラウンドがないからといって、サッカー部や野球部が解散させられてもいる。実際にサッカーや野球ができなくても、サッカーや野球の歴史や、名試合の検証なんかで活動のしようはあるはずで、何だかわけわからない。保護者グループが計画の見直しを求めてもびた一文譲らない市の教育委員会。21時からNHKスペシャルで中国の環境破壊が紹介されていたが、そこで出てきたダム建設を推進する地元政府と同じ態度である。

●自分たちで必要なものを自分たちで作って、自分たちで責任をもって運営する、障害児学童の報告はいつも頭が下がる。遊び場の課題では、プレーパークを作ろうと運動している方に話していただいたが、自然が多い朝霞の利点が全然生きていないこと、そういう中で何とかがんばって、たき火や公園利用の規制をくぐってやっているが、市職員が問題意識を共有してもらえていないため、担当者が変わるたびに振り出しに戻るので、苦労していると報告していただいた。

●今日、持っていき忘れた資料から。5歳以下の人口のうち、保育所に通所する子どもの割合は全国平均が31%、埼玉県が18%、朝霞市が16%。3歳未満児の入所している子どもの比率が、全国が17%、埼玉県が9%、朝霞市が12%。全国に比べて、埼玉県や朝霞市では、保育園に通う人たちがマイノリティーという結果が見える。埼玉県では3歳を境に保育園に通う人が倍になるが、朝霞市の場合低年齢から預ける人が多く、3歳未満児を中心に預かる家庭保育室の児童もあわせると、珍しく0歳から5歳までほとんど同じ数の子どもが預かられている寸胴型の年齢構成だと言える。保育園の保護者に3歳児神話はなくなったと言える。これは全国的にも珍しい状況である。保育園の定員は同規模自治体が1800人前後なのに対して、朝霞市は増やして1300人弱なのでまだまだ認可保育所は本当は足りない。ただ、専業主婦でおさまったり、他市に比べて手厚い補助が出る家庭保育室などに通園させているなどしてしのいでいるのだろう。

●しかし、その五小、セメントの粉塵とか舞い散る中で、喘息などの呼吸器系の慢性疾患を抱えた子どもにどのように対応していくのだろうか。まさか、そのようなことはないようにする、などという予定調和的な答弁をしているのではあるまいか。きれいになって開通した地下鉄副都心線も、駅や車内はセメントの粉臭くて、息苦しい。隣で取り壊しやセメントの流し込みをやっていて、粉っぽくならないはずがないと思うが、どうなのだろうか。そういうことを言うのはモンスターペアレンツなどと陰口を流して抑え込むつもりだろうか。

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2008.06.03

6/3 朝日新聞社説が劣悪保育所を誘導

朝日の社説が、保育所の規制を市町村に全面的に委ねる緩和策を全面的に肯定している。「住民の側から応援したい」って。保育所に子どもを預けている保護者の立場からすると余計なお世話という感じである。住民という言葉で一緒くたにするなと言うの。いもを洗うがごとき保育所に預けている身からすると、この現実が公定の基準にされる危険性を日々感じることがある。

この情報、上部団体の違う保育福祉労組のスタッフtamyさんブログからの情報。退職間際の記者が説教たれるような社説なんか読んでいないなぁ。いけないなぁと反省。

自治体はお金がない。その中で、保育所の設置基準を緩和する権限を与えてしまえば、お金を使わずに待機児童問題を解決するインセンティブが働く。保育士も施設も増やさず定員を増やし、保育所を収容所化することは目に見えている。そこに「それ見たことか」と、保育所批判派の住民たちが、子どもがかわいそうの大合唱をするのだうろ。朝霞市のように保育所に予算を使わず、交付税を他の予算に流用しているような自治体ではろくな結果が待っていないように思う。

そんなに今の最低基準が要求している水準は高いのだろうか。私の実感から言うと、この程度の基準を守らせることができない保育所というのはどうなのだろうかと思う。保育所の最低基準は、児童福祉施設最低基準に書かれている。そしてこの基準を満たすように、保育所の運営費が算定され、税金が支出され運営経費が保障されている。

保育所最低基準の柱は、保育士数と面積と調理室である。
保育士数は、0歳児3人に保育者1人、1歳児6人に1人、2歳児10人に1人、3歳児20人に1人、4~5歳児に30人に1人となっている。
なお、この基準にもとづいて保育所に補助されている運営費は、3人なら3人が11時間働くことを前提にしているから、勤務時間が8時間労働だとすると、3時間分は残業代無給か、常時いる人員は5分の3程度に戦力ダウンして運営せざるを得ないレベルでもある。
面積は、2歳児までが1人3.3平米。3歳児以上は1.98平米。畳1~2畳程度に子ども1人である。職員室は別だが、保育をするスペースに保育士たち職員のいる面積は含まれない。これが贅沢なのだろうか。
国が基準を作るということがおかしい、全国一律がおかしいというが、この程度の最低基準が守れないで、イモ洗いの保育所がいいということがわからない。あくまでも最低基準で、質の高い基準を自治体ごとに待機児童を発生させない範囲で追い求めることは今の制度でも十分可能である。

しかも市町村は保育所を運営しているし、民営にしてもあまりにもべったりした関係にある。第三者でもない市町村が自ら規制を作るということがどういうことになるのか。保育所に子どもを預けている保護者は自治体に異議申し立てをじっくりやっている時間もない。当の子どもたちは法律上も実質上も社会的にも発言権がない。社会福祉法がやれと言っているサービスの第三者評価すら多くの自治体で満足に実施していない。そんな環境で、国の基準をなくせということが理解できない。自治体と違うステージで最低の最低の基準をきちんと線引きするということは大事だ。

保育所は運営形態、施設の付属部分、職員の雇い方、ありとあらゆることを規制緩和してきている。公立保育所に関する運営費は市町村に財源が移されてもいる。それで問題解決しないのは市町村の能力の問題と政治力の問題ではないか。さらなる規制緩和という問題ではない。
それから、規制緩和派・小泉的構造改革派が目論んだ保育所の民営化・民間参入が進まないのは、保育予算を増やさないからだ。保育所の運営には、保育ロボットでも開発されなければ、労働集約型で経済的付加価値が発生する余地がほとんどなく、もらった補助金からどこで儲けるかは人件費の圧縮と食事などの手抜きしか考えられない。そして昨今のアルバイトやパートの人件費の高騰で、どう転んでも儲かる事業ではなくなっている。今の保育所のおかれた状況を考えると、公営→民営にシフトすることで保育予算を削減できるなどというのは勘違いで、病院問題と同じ、民間参入でもそうでなくても、保育予算を増やすしかないのだ。しかしその貴重な子育て財源を票目当てに雀の涙の児童手当でばらまいて、何だかわけのわからないことになっている。

またもう一つ言うと、基準を取り払ったら、公的な保育費用をどうやって算定し保育園に払うのかということになる。その基準がなければ劣悪な保育所ほど補助金もらって儲けてしまうインセンティブが働くことになる。私立学校の補助金が明確な基準のないまま官僚や都道府県の鉛筆舐めで決まる要素が大きい。朝日新聞は保育所の補助金をそんなふうにしたいのだろうか。

朝日新聞の規制緩和がらみで論説委員になった一丁上がりの記者なんて、子育てもしたことないだろうし、保育所の送迎程度はしたことあるかも知れないが、保育所の中に入って保育者と話し合ったり、他の子どもと関わったりなんかしていないのだろう。だからこんな社説が書けるのだ。実際に子どもを預けている人を無視して、規制緩和ちちんぷい神話にのっかって妄想で書いているような論説委員。名前ぐらい出せと思う。命を狙われるような記事を書いている記者が名前を公開する時代に、匿名で説教垂れるなどいいご身分だ。それでトラブルが起きても責任なんか取りはしないのに。

あるいは新聞販売こそ、規制緩和したらどうか。公定価格と販売店制度に安住して、値上げとページ数増→広告ページの割合の増による記事削減→ページ数減の記事減量→文字拡大による記事削減→値上げとページ数増を繰り返しているのは新聞社ではないか。産経新聞社のかたを持つわけではないが、値上げや紙面改革の宣伝を聞くたびに思う。

あきれ果てたサヨク新聞である。浜口桂一郎氏のサヨ→リベ→ウヨ批判をなぞってしまう。

保育所問題は、えてして左翼やリベラル派においても、安易に社会的規制を否定してしまう議論に流れやすい。子育てなんて無縁の身勝手な生活しかしたことのない一部かつ多数派の左翼やリベラル派にとって、そこが生命を維持する生活の場であるというリアリティーがなく、政策談義のネタでしかないからだ。公共サービスがもたらす生活の質ということに左翼やリベラル派は観点がなく、サミットがどうだの国際情勢の議論ばっかりしていて、ほんとうに社会民主主義が根付かない国だと思う。

●保育所の問題点は、発言権のない子どもが当事者であることと、幼少期の影響が大人になるときにどの程度反映するのか、まだ検証もされていないし、評価も定まっていないということ。とりわけ前者については大きい。親がよかれと思うことと、科学的によいと思われることと、子ども当事者の選択権と受忍限度がどこにあるのかというのはほんとうにわかりにくい。したがって、世界的に追求している子どもの権利という考え方も、日本では子どもが非行に走る権利という程度にしか理解されていない。その結果、さまざまな議論を経て子どもの権利条例を作ろうとする自治体に、右翼議員の全国組織によるチェーンメールで妨害が入る。最近では、札幌市でそのようなことがあったようだ。条例作成に関与したPTA連合会の代表が、自ら潰す側に回ったりしている。保護者が子どもへの人権侵害に何も言えないのに、一方で学校に口出すと子どもへの抑圧になるような存在だったりして、PTAの存在って微妙。

●山口二郎北大教授が、自らのブログで、日本人は権利意識がなさすぎる、だから過労死だの、ワーキングプアだのの問題が起きていると言う。まさにそう思う。権利意識がないから、他人の権利なんかどうでもよいと思う人゛か多いのだろう。

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2008.05.09

5/8 保育所に入所を直接申し込む方式は保育ニーズの重い家庭が排除される

ほんとう、朝日新聞の能力低下には呆れるばかりだが、タクシー業界、保育所の議論にそれは典型的に現れている。これまた厚生労働省が抵抗勢力で、経済財政諮問会議が改革派という勧善懲悪の記事。

経済財政諮問会議が厚生労働省に保育所の直接入所方式をせよと強要している。確かにノーマルな保育需要には朗報のような話だが、ちょっと待てよと思うことがある。

直接入所方式を採れば、保育所にとって都合のよい家庭の子が優先されることは避けられない。障害児や低所得層の家庭などは保育所から放り出される。また、長時間保育より、短時間保育の子がよいということになるから、今のように自営業家庭の専業主婦が書類を偽造して入所するようなケースが最も歓迎されるようになる。逆に保育関係者のなかで、長時間保育は子どもの情操教育に良くないと固定観念が蔓延している中では、延長保育など忌避される。今でも、市立保育所は16時30分にお迎えに来るような家庭を歓迎しながら、3人子持ちでクルマもなくフルタイムで働いている保護者を駅から遠い保育所に入れたりしているような状況である。直接入所なんてなったら、便利な保育所はよりどりみどりで、一番面倒くさくない状況の家庭から優先して取るに決まっている。

そもそもの保育所数、保育所の面積、保育所の定員を増やさずして、規制緩和や直接入所で市場原理ちちんぷいなどとやって、ろくな結果は待っていない。

将来的には、税金が投入されている保育所に、重度の保育需要がある家庭が入れなくなっているという現実が山積されて、いま以上の役所の采配が復活するように思う。今の介護保険制度のように。

それでは何のための保育所なのかわからない。つまらない思いこみで制度いじりをすることがかえって実際に必要な人にとって逆行するということを、きちんと認識した方がいい。どう考えたっておかしな入所決定があることは事実で、そこには経済財政諮問会議の委員が大好きな与党系地方議員があれこれ口を挟んでいるからだ。やるべきことは、地方議員が保育所入所の口利きをやめることではないか。

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2008.04.27

4/26 天井につば

連合中央メーデーにでかける。高木会長が長時間労働を強要する会社をきちんと批判したことはよかった。右派と言われる同盟系出身の会長が2回続いているが、非正規雇用、未組織労働者、平和のことなど熱心である。

●当選した県議の選挙違反による選挙無効により、再選挙となった西5区(旧上福岡市)。応援に来た民主党の幹部が「役人の失敗を与党自民党は一緒になって隠す。クリーンな政治を」と訴えたようだ。
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000804260001

上福岡は知らないが、朝霞市あるいは埼玉4区内を見る限り、それは自民党も民主党も一緒。公共事業の乱発、じっとり湿った地域団体によりかかった選挙、行政に対抗できない地方議員の質、気に入らない首長はつまらない汚職の暴露戦術(これだけは共産党式)で、とても政権交代だの政策中心の政党とは思えないようなところがある。

●市内の幼稚園が松井和を呼んで、シングルマザーが増えたのがいけないとか、子どもを長時間保育所に預けるのがいけないなどと講演したらしい。

シングルマザーになるには、それなりの経緯があるだろうし(こういう議論をしているとシングルファーザーになる人のことなんかまずは考えられていない)、東上線に新幹線並みの速度を要求できない以上、朝霞の保育所の保育時間でも実態としては足りないぐらいである。それを松井氏の言い方して困っている家庭をさらに突き落とすような差別意識を植え付ける幼稚園はどうかと思った。
幼稚園に預けられる専業主婦も、離婚されれば子どもを抱えて無職で貧困に喘ぐというのが現実である。そのときに長時間保育うんぬん言っているツケを背負うのである。現実を覆い隠してきれい事ばかり言うものではないだろう。

話している内容は矛盾だ。親と子どもが一緒にいればいるほど愛情が育まれるなどと言うのが松井氏の論だろう。それならそもそも幼稚園に子どもを預けること自体やめた方がいい、ってことになる。松井氏は幼稚園で幼稚園の機能を否定する議論をしているのだ。

松井氏には長時間労働を禁止する運動でもやってもらいたい。何でみんなが長時間保育所に子どもを預けざるを得ないのか。今日できることは今日やらなくてはならない社会だからである。もう少し、明日できることは明日でいい、という社会にしないと、長時間保育所に預けるような働き方などなくならない。また夜間開いている店がある以上、夜間保育所だって社会に一定のニーズがある。北朝鮮みたいに夜間はお店を全部閉める、そんなことやれば可能だろう。
コンビニとか、夜間開いているスーパーを禁止するとか、欠品に怒らない運動とか、クレーム対応が翌日になっても怒らない社会づくりとか、大人も携帯電話禁止とか、そんなことをやってもらいたい。

1960年代モデルの専業主婦がいて「愛情につつまれた」家庭というのもどうか、などと反論始めたら、いくらでも挙げることができる。夫による妻の自由への束縛、夫が家庭から遊離して迎える老後、育児の孤立。結局、そういうことを何とかしなくてはと思う人は、就労こそしないものの、さまざまな地域活動などに参加し、就労以上の仕事をし始める。

ベッドタウンで、専業主婦のいる家庭と、共働きの家庭を分断するような、イデオロギー注入はいい加減やめてもらいたい。幼稚園から保護者にこんな意識を植え付けると、小学校、中学校のPTAでの行動、息子の嫁に対する接し方まで一生苦労するだろうに。

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2008.04.24

4/23 またまた規制緩和ちちんぷい

経済財政諮問会議が正社員化の数値目標を立てるという。

数値目標、という言葉になんとなく嘲笑したくなる気持ちが。根拠のない数値目標って、国家統制みたいな感じがあるし、米袋に石ころたくさん入れる社会主義国のノルマ制の滑稽さを思い出す。

さておき、内容も笑ってしまう。相変わらず職業訓練だとか、ジョブカードという教化所的なもののオンパレード。それからいつも出てくる保育所制度の規制緩和。もう規制なんかほとんどないのに、これ以上引き下げて、何がしたいのだろうか。劣悪業者に公費をばらまく話になるだけではないか。

保育の規制緩和で雇用拡大は実現できないと思う。
規制緩和で保育所が増える、保育所の保育時間が拡大できる、そんな保障はどこにあるのだろうか。保育所を増やすのにネックになっているのはカネと土地確保であり、規制を緩めてもカネや土地が天国から降ってくるわけがない。保育時間の拡大は、保育スタッフへの報酬増につながるが、そこもまともに手当てがされていない。

今日、保育所に入れない人が多いのも、保育所が時間延長をできないのも、規制緩和で保育コストを削ることばかりやってきたからだ。公費をきちんと盛ることなしに、保育園が良くなるわけがない。
あと、入所に地方議員の口利きや申請書類の偽装などが横行し、しかもその偽造や口利きをして入所した子どもの方が保護者が早くお迎えに来たりして、保育園側も歓迎していたりするから、なかなか本当に必要な人に順番が回ってこないという事情もある。

これまでデフレ経済で、人が余っていて人件費を買いたたけたから保育コストを削っても問題は起きなかったし保育事業への参入も楽だった。しかしこの間保育コストを削り続け、規制緩和で質の低い保育所を認めてきたその上で、景気が回復して他産業の人件費が上がれば、保育の担い手が逃散し、ますます保育所が不足する。また、保育士のうち保育をする人も減ることから、現場での人員不足が起き、無資格者や無経験者の保育スタッフが増え、おそらく事故も増えると思う。実際、すでに東京都の認証保育所でそういう問題が起き、認証を取り消された事例もある。

それから今日、保育所が時代に合わないのは、保育の規制にあるのではなく、保守の人間たちが母親に過剰な期待をするイデオロギーをまきちらしていることにあるのではないか。保育所が過剰に保護者に課題を持ち込む、例えば、生きる力だ、親育てだ、食育だという言葉のために、仕事で疲弊している保護者に専業主婦でも要求されない水準のことを要求される。働いて税金納めて、生き方まで保育所に説教されたら、バカバカしくなるものだ。

待機児童問題、保育所のサービスのミスマッチ、保育スタッフ不足、それぞれきちんとした真因分析が必要なのだが、子育てもしたことのない経済財政諮問会議の連中は、思いつきばかりで制度いじりをしたがる。

お金の出所も、サービスの担い手も考えない規制緩和ちちんぷい神話、いつまで続くんでしょうかね。

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2008.03.23

3/22 精神修養であることを要求される子育て

家族が友人と会ってきた。世田谷区の高級住宅地に隣接するK市の保育事情についてひどい話を聞いてきた。

ここの市の市立保育園は、毎日、子供服を1人5着、靴3足、エプロン3枚、タオル3枚、布おむつ10枚、毎日持参、持ち帰りさせられる(常時ストックがあればいいというものではないようだ)、その服にはペンで直接名前を記入してはいけなくて、名札を指定の場所に縫いつけなくてはいけないというらしい。パーカー、ロンパースは禁止。そして子どもは一日中着替えばっかりやっているようだ。
緊急連絡先は市民じゃなければダメだったり(これは地主の子優先と言っているに等しい!)、とにかく親につきつけられる要求は、課題であり苦行に近い。とにかく、1日も早く仕事を辞めて、保育園なんか来ない方がいい、と要求されているようなものだ。
保育園に預ける子どもはかわいそう、親の愛情をそうしたところで示せというメッセージなのだろうが、暖かい家庭であるはずの専業主婦がここまでのことをしているのか、とも思う。また、保育者と保護者がお互いに苦行合戦をしている保育所なんて、何か歪んでいるとしか思えない。こんなこと強要して保育者は親を育てているという自己満足なんだろうけど、保護者は、ここにしか預けるところがないという中での我慢比べでしかない。職場で保育事情なんか無関係に仕事を押しつけられる中で、ポッキリ親が折れてしまうのは時間の問題である。
子どもにいることによる職業人生の挫折。公的機関がつまらないことに拘ることで、家庭が滅茶苦茶にされている。こんな援助論が児童福祉の教育でされているとは思えず、職場慣習の悪弊でしかない。

さらにHPで確認したら、1歳になるまで、8時30分~17時までしか預けられない。子育てしている親は10時から15時までしか働けない。失業せよという宣告である。びっくり。

これが共産党の市長まで出しておきながら、こんな悪弊が残っているとはびっくりだ。

夜大阪の自治体議員と意見交換をしたが、その中でこの話をしたら、大阪では考えられない話だ、とびっくりされた。首都圏の保育園ような、親に対する修行的な義務を課せられることが大なり小なりあることは考えられないらしい。スタッフの数では東京より大阪の方が厳しいから、保育園をまわしていくための事情ではなく、単なる悪習悪弊なんだということらしい。

●本田由紀「家庭教育の隘路」を家族が読んでいて、横取りして読む。本書のなかでの家庭教育を強調する言説への皮肉や、論理的批判に笑ってしまう。

20世紀末から、家庭教育が強調されてきたのは、小泉構造改革のような競争至上主義的な経済運営をすれば、労組や業界団体、地域社会のなどの中間組織が弱体化し、利己主義や個人主義を助長するため、伝統や規範、道徳などの再強化が奨励されることにあるという。

学者はこう書くが、実際に家庭教育を押しつけられる側から見ると、家庭教育を強調する運動をやっている人たちは、エコノミックアニマルそのままで、欲望に付け入る商売をやっていたり、自ら欲望に溺れるようなことをしていながら、国・自治体の教育や子ども関連の審議会や地域団体などに首を突っ込んで、親のモラル、子どもの社会性の低下を嘆き、早寝早起き朝ご飯運動や親育て運動などを推進しているということの矛盾のなさがこれを表している。
そしてこれが、金持ちの多く住むところになると、受験教育の早期化や、教育パパの誕生などという現象に現れ、金持ちが少ない(DQN多発地帯というべき)ところでは、親育ての奨励、親のモラル低下の告発活動、早寝早起き朝ご飯、長田百合子の流行、ニートビジネスなどという現象に現れてくる。

家庭教育なんかやってなくて、なんとなく地域やクラスメートの紐帯の中にころがしていくと、大半の子どもは教師が期待するような結果にはならなくとも適当にうまく育った時代の方がまともだったんじゃないかと私は思う。子どもがニートになるんじゃないか、変質者になるんじゃないか、フリーターになるんじゃないかと脅かされて、ビクビクさせられながら、教育ママ化、教育パパ化させられるのはご免だと思う。

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2008.03.21

3/20 私鉄業界は子育てしている人は招かざる客のようです

ベビーカーのマナー向上だって・・・。安全確保対策ならわかりますが。マナーなんですかねぇ。

http://www.tobu.co.jp/file/1561/080319.pdf
(民鉄協会)

子どもを抱えた人が乗りやすい電車を開発してください。最近の新車には、子どもがつかまれるような高さに、子どもがつかまれるようなかたちになっている手すりが全くありません(東武もメトロも日立製のチープな新車のことです)。昔より不親切です。

夕方のラッシュ時間、混雑に相応するだけの本数の電車を動かしてください。それだけで子どもの安全は守られます。

保線の技術を上げて、意味のない揺れが起きないような保線工事をやってください。

沿線開発して系列不動産屋が儲けたいなら、きちんと保育所を整備してください。私鉄各社は電車で保育園通園しなければならないような沿線であることを知ってください。

余計なことですが、車いすも畳んで乗れというのでしょうかね。

民鉄協会のことを聞いていると、私鉄にとって子育てしている人は招かれざる客のようです。

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2008.02.15

2/15 ピントはずれの首相の新待機児童ゼロ作戦

首相が新しく新待機児童ゼロ作戦をやるという。4つあるうち3つがピントはずれである。
①子育て経験者を保育ママとして養成する
ベビーシッターを普及させようというものだが、密室の家庭内保育を、専門的教育を十分に受けていない人がやることの問題は大きい。日本社会の伝統は、子どもが群れて遊ぶことにある。強調されすぎる保護者責任の延長で在宅の保育をクローズアップさせることは、何か大きな踏み間違いをするように思えてならない。また我が国では保育士は不足しているのではなく、余っているのであり、劣悪な労働条件を忌避したり、就業を阻害する配偶者などの圧力で、労働力が十分に供給されないのが現実である。
この上、低賃金労働者が保育業界に流入すれば、ますます資格をとるのがばかばかしくなり、保育の質の低下や、スタッフ不足の悪循環は避けられないと思う。
②企業内保育所を地域開放する
やや的を得ているが、そもそも企業内保育所が少なく、企業がブランドイメージを作るために、誰も利用しない企業内保育所を都心においている程度の話である。待機児童ゼロに対する寄与は少ない。ただしその考え方そのものが間違っているわけではなく、企業内保育所がキャリアウーマンを中心に期待されているが、実際には、社宅にあなたは住みますか、ということと同じような問題を抱えているのではないかと思う。であるなら、地域の人々に開放する方が得策である。川崎市に富士通の労使がお金を出し合って作った保育所があるが、ここは最初から地域開放している。
③幼稚園と保育所の所管を内閣府に移し、一元的に運用する
長い目標として一元運用はいいが、現実に保育所に入れない問題が解決しないうちに一元運用されたら、専業主婦が子どもを預けて、土日も就労せざるを得ない保護者が保育所を使えないわ、施設は私立学校のように専業主婦文化に染め上げられるわ、ろくなことはないように思う。また政治的な動向に左右されやすい内閣府の管轄にすることはとても危険に思う。
④宅勤務普及のためモデル事業を推進する
これぐらいがまとも。でも日本の企業風土の良さも壊す可能性が大きい。個人情報保護法や、最近、企業が従業員にやたら強調する守秘義務みたいなことも緩和させていかないと、在宅で仕事をするなど容易なことではない。

基本的に保育所が足りないし、母性神話に踊らされたイデオロギーで運営されていることが、今日の問題に対応できないことになっている。そのことへの徹底的な問題提起がない限り、小手先の対応をしていも待機児童などなくらならない。

●北川・東国原の「せんたく」に安倍晋三の意をくんで総務大臣としてマスコミ弾圧に取り組んだ菅義偉が参加したという。気持ち悪い。若手だ改革だとファシズムのようなことをするのだろうか。超党派と称する美名のもとに寄って立つ立場をかなぐりすてて、勧善懲悪ですべての善を独占しようとする、大政翼賛会的運動に危機感を感じている。

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2008.01.11

1/11 帰るなといっても親が迎えに行かなければ・・・

言いたいことや意味はわかるけども、共働きの夫婦のことなんかちっとも考えてくれていないと思うのが、「首都直下地震 帰宅急がず待機を 国・都が新対策」。

保育園に子どもを残したり、介護の家族を残して、いつまで待機させられるのだろうか。地震研究家とか、それを統括する官僚たちが、働く人々を治安の対象としてしか見ないように思う。

帰宅させないなら、ベッドタウンで親の帰宅を待つ、子どもや保育士たちをどうするのか、考えてほしい。
また都がそんなこと考えても、きっと埼玉県内は馬耳東風ではないか。精神訓で親が帰宅することを要請されるだけだと思う。

●朝日新聞でショートスティの児童養護施設で子どもが亡くなった事件を追っかけていた。「母親の帰りを待つ」とか、気になる表現が目立つ。身近な保育園が夜間働く人の子の保育を受けないことがイレギュラーな保育すべてこうした施設に送り込むことになっていることも少しは取り上げてほしい。コンビニや夜間救急医療がある以上、夜働く人は必ずいる。

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2007.09.22

9/22 2年間保育所で育てられた子がみつかる

北九州市で2年間保育所に入れられっぱなしで育てられた子どもがみつかり、育児放棄として問題になっている。

育児放棄は問題だが、赤ちゃんポストで問題が表面化したように、この社会には子どもを育てられない親というのが必ずいる。それをどうしたらよいのか、受け止める力はこの社会にはまだない。(よっぽどバンコクのスラム街の方が上手に受け止めている。)

養育してきた保育所に対して、北九州市は保育所に行政指導をする、と言っているが、保育所としても保育料も取れずに養育していたわけで、見るに見かねてということだったのではないかと思う。養育環境に問題があればともかく、それがなければ行政指導なんかされなくてはならないのかよくわからない。

もちろん、保育所が適切に保護者に自立を促していく取り組みが必要だが、それだって限界があろう。そうなると直接子どもを守るしかない。

ここで考えなくてはならないのは、北九州市は、生活保護の給付をうち切り、餓死や自殺者を次々に発生させている自治体であるということである。そういう福祉事務所が福祉行政を司ってきた自治体が、果たして、こうした家庭や子どもにどれだけ親身に相談に乗れるか疑わしい。もし反証材料があったら教えてほしい。生活保護行政の延長でいけば、説教して、怒鳴って、保護者を「鍛え」、子どもには施設に送り込んで一件落着ということをやっていないと言えるだろうか。

少なくとも、育児放棄状態になっている家庭を相談・ケアできず、こうして無認可保育所が我慢して対応してきたことを、市として恥じいるべきではないかと思う。

そうして入所する施設も、今はたいぶ良くなってきたみたいだが、かつては職員や上年齢の子の暴力がつきもので、子どもたちはひどい扱いを受けていた。そうした環境で大人になって屈折してしまっても、「親がいないから」の一言で片づけられ、施設の養育責任みたいなことは、誰も何も検証されてこなかった。97年の児童福祉法改正で、ようやく子どもの人権が児童福祉行政に取り込まれ、施設による児童虐待の対策が始まっている段階である。

それと今回はたまたま保育所側の人権侵害がなかったから良かったと思うが、かつてのベビーホテル問題のように、24時間預けられっぱなしの子どもが発生したときでも保育所での子どもの人権保障をどうするのか、ということについて、保護者責任を強調するばかりで、実質的に保障する手だてなどほとんど考えられていないと言っていい。子どもが直接申し立てできる「子どもオンブズマン」制度も、反動的な地方公務員幹部や地方議員、有力者が徹底的に設置を妨害するし、運良く設立されても何とか廃止したり、予算カットを目論んで他の行政施策では考えられないような厳しいチェックを入れ事実上の妨害がたえない。

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2007.08.23

8/22 井戸端会議のネタ提供の意味しかない保育料滞納率の全国調査

またまた保育園の保護者バッシングのにおいがする、保育料滞納90億円のニュース。
アンケートでは、親のモラルの低下が原因という回答を60%の自治体が行っている。そういう面もあるし、そういう保護者というのは印象深い存在なのだろう。
でも記事にしても、自治体の回答にしても、どこか提供者側に楯突く保護者は問題親と決めつける共通理解からスタートしているように感じる。

私が問題に思うのは、こうした滞納が大きくなるまでなぜ放置されるのか、それから、取り立てを始めたところで、その業務を臨時職員に押しつけたり、外注にして、自ら足を運ばない、自治体の福祉行政の担当者だ。実際に不払いの家庭に足を運んでみれば、そこの家庭が払えるか払えないのか、払えないならその背景にある家庭問題は何か、ということが見えてくる。親のモラルが低下したという回答を安直に選ぶ前に、いろいろ見えるものがあるはずだと思う。滞納が深刻になるまで放置しているというのは、多くの自治体の福祉行政の職員が、問題のある仮定を訪問したりしていないということで、よっぽど音を上げて市役所にやってくる重度者か、役所の福祉サービスを上手に利用する元気な市民しか相手にしていない証拠である。

そして、年金のときにも問題になったが、厚生労働省は、払えない人に減免を利用させよう、という指導である。厚生年金の保険料をピンハネしていた企業に対する指導と同じである。
結局、ペナルティーも科すことができない制度なのに、厚生労働省がそれをことさら問題にして調査する意味があるのだろうか。地方分権で保育は自治事務になったはず。したがって、保育料の滞納と回収は、自治体間競争と財政の住民自治で解決すべき問題であり、厚生労働省が出てきて問題だ、と指摘するものではない。
また、保育料の徴収率が落ちていることが、厚生労働省に何の迷惑がかかるのだろうか。厚生労働省は補助要綱にしたがって画一的に保育所運営費を払っているだけで、滞納分まで負担しているわけではない。
と考えていくと、こんな調査、厚生労働省がやる意味は何だろうか。親のモラルが低下している、ということを喧伝して、高橋史朗あたりが目論む「親学」なるイデオロギー教育をするための土壌を耕しているのだろうか。少なくとも効果としては「保育園に預けている保護者」に対する偏見をさらに強めるだけの調査のように思える。

それと年金を政治家のために何兆円も公共事業に流用した厚生労働省にそんなこと言われたくないように思う。もちろん私は銀行引落しで滞納したことないし、無認可保育所なので厚生労働省の補助金など受け取ってはいない。むしろ地方交付税の児童福祉費を自治体にピンハネされているぐらいだ。

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2007.07.31

7/31 時間より早く登園したら門前で立たさせる保育園

近隣のまちに住むブログ友だちが公立保育園にひどいめにあわされたようだ。
「共同合宿所 腹の立つことばかり」
こんな公立保育園があるから、民営化した方がサービスが良くなるなどと言われてしまうのだ。

共同合宿所の筆者は、保育園の送迎ボランティアをつなぎながら、育児と仕事を両立しているが、そのボランティアが何かの手違いで送迎できなくなってしまい、また他の親がお迎えの時間に遅れたことを捕まえて、ボランティアグループや保護者に厳しい文書が送られてきたというのだ。なかには延長保育を認められていない保護者が8:30より早く保育園に到着しても、「門の外で待っていてください」などと世間常識にはまったくかなわないバカなことが書いてあるという。19時まであいている保育園で、18:45には子どもに帰り支度させて、真っ暗な保育所の玄関の外側で座り込ませて親を待たせる保育園もあると聞く。

くだらないことに力を注ぐものである。
いくら自治体直営サービスを守る私の立場でも、こんなことしている保育園がもし民営化提案されても守ることができない。えてして民営化の提案がされてからじたばた保護者の味方になったりするものであるが、手遅れなのだ。こんなしょうもないことばかりやっている話を聴くと、どんどん国鉄方式で民営化されてもどうしようもない。労働条件を守りたいなら、正面から増員要求をすべきで、子どもや保護者に腹いせしてどうするんだと思う。
首都圏の保護者会運動は国の保育政策を問題視することに主要敵を見いだして保育所側と共闘していて(それはそれでいいところもいっぱいあるが)、保護者に対するモラルハラスメントに対しては、保護者集団として守る側に立つよりも、保育所と一緒になって非難する側にまわるという話もよく聴く。

もちろん保育士が親に会いたがっている子どもの姿を見て「もう少し早くお迎えに来てあげることはできますか?」ぐらいの働きかけはやってもいいと思う。しかし、お迎えの途中にスーパーがあっても「買い物してからお迎えに来るな」とか定時に退社して微妙な電車の乗り継ぎをうまくやり過ごして迎えに来ている保護者にモラルハラスメントや嫌味を言うような保育所ではどうしようもない(こうしたモラルハラスメントは、東京通勤者やマイカーのない人に厳しく効いてくるからほんとうに腹が立つ。マイカーで送迎している親など、買い物に寄っても買い物袋をマイカーの見えないところに隠してしまう)。
保育園に預ける時間が少なければ少ないほど、子どもに愛情をかけているという思いこみこそが危険だと思う。子どもによっては保護者といるより、保育所で他の子どもたちと一緒にいる方がいいという子どもだっているはずである。極端な話では、児童虐待の第一次的な予防はそう考え、そう行動できるかが問われているんじゃないかと思う。

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2007.07.04

7/4 保育園に預けて税金を払っている身からすれば、子育て支援事業が有料になるのは当たり前でしょう!

AERA「横浜市の保育園の園庭開放事業で子育て支援なのに有料」という記事は程度が低かった。横浜市の保育園が専業主婦の子向けに保育園開放事業を有料化したことを批判している。

有料化の内容は、月800円のパスポート制か11回1000円のチケット制になったこと。公園代わりに保育園を利用し、しかもランチまで出してくれるらしい。何が文句あるのだろうか。それで800円で何を文句言うのかという感じがしてならない。

2年近くずっと待機児童で、保育園に通わすのに月10万以上払って、やっと入れる認可保育園は交通の便が悪いところばかり(便のいいところは地域の有力者が欲しがる昼間っからカラオケやっているような娯楽系公共施設が取っていってしまう)で、タクシー代までかけている環境を経験した私からは、何をゼータク言ってるのだと思わざるを得ない。

保育園に子どもを預けている保護者は高い保育料を払い、住民税を夫婦で2人分払い、地域社会に昼間いないことで反論権を奪われていることをいいことに地域社会の陰では「育児放棄」「預けっぱなし」「モラル崩壊」などと差別的な言われ方をしている。高い保育料で保育士の人件費から施設の様々な経費まで負担しているのに、公園代わりに保育園を使う人たちがタダで当たり前という感覚は私には信じがたい内容である。

私もわがまちの子育て支援センターとか、タダで使える子育てがらみの施設を回ったが、児童虐待とか家庭再生という本来の役割はほとんどやっておらず、児童虐待などとほとんど無縁な、タダで使える公共施設について情報通の専業主婦たちのたまり場であった。生きることに必死な保護者が相談に来ているなんてような情景はほとんど観たことがない。

しかもこの記事のサイテーなところは、生活保護受給者の保育料がタダであることをやり玉に挙げていることだ。生活保護家庭から保育料を徴収したら、家賃の次に高い保育料とにらめっこして、子ども預けるお金があるなら家で静かにしていればいいと就労しようとしなくなる。おかしなことを言うものである。

私は、子育てに関する社会サービスの質がもっと高くなるべきだと思う。そのためには、今、コストに見合わないぐらい安い、タダのサービスはもっと見直されるべきだと思う。子育て支援だからといって何でもタダだと思うことがおかしいのではないか。記者の感覚を疑ってしまうものだ。

●あと親が娘を関わり続ける家族の「逆転介護」の記事。介護じゃなくて、子どものまんまなんでしょ。

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2007.06.05

6/4 読売の保育園保護者バッシング

調べものをしていて職場にあった金曜日の読売新聞をひっくり返してぶったまげた。

「モラルを問う 保育園困惑勝手な親 仕事休みでも預けたい/遠足代払わない」という見出しで、遠足代や保育料を滞納する親の問題にからめて、仕事の休日に子どもを預ける保護者や、病児を預けようとする保護者などを一緒くたにして批判している。そして識者のコメントとして「先生を尊敬しない年代」ということを書いている。

保育料や遠足代の滞納と、仕事の休日に子どもを預けることの是非論や病児保育の是非論は次元が違うだろ。仕事の休日に預けてならないというなら、公費を投入している幼稚園の存在はどう考えたらいいのだろうか。こちらは専業主婦の家庭の子を対象に、保育料は保育園より安く、さらに送迎バス付きだ。この記事のスタンスに立てば、幼稚園こそ存在そのものがモラル違反なんてことになる。そんなバカな話にはならない。そういう不毛な議論設定はやめた方がいい。

さらに記事ではおもしろおかしく保護者が「ストレスがたまる」と言って休みの日にも預けていると非難している。これまた社会福祉に対する勉強不足ではないか。この事例は明らかに児童虐待の予備軍である。「子どもと一緒に過ごすべきだ」「親子の時間が少ないと将来人間関係がうまく作れない」などとコメントを書いているが、勝手な理屈もいいところだ。これは虐待をひきおこす環境に子どもをより長く置けという判断である。児童福祉の専門家としての保育園長がいったいこの保護者や家庭にどんな支援をしているのか、疑問に感じたし、後段の人間関係云々については、母子密着より集団保育の方が効果的ではないのだろうか。

病児を預けようとする保護者を非難するまえに、子どもが病気なのに保護者の休暇を取らせない会社こそ、モラルどころか犯罪的な存在であり厳しく制裁してほしいところだ(もちろんこの場合は母親の職場だけではなく父親の職場も含めて)。クビになることを覚悟して病気の面倒を見ることと、病気を誤魔化して子どもに負担かけてでも預けてクビを回避することと、家族の維持のためにはどちらが重要事項なのだろうか。

職場はそうした事情を斟酌することもなく、病児を受け入れる社会資本もないのに、保護者ばかりをバッシングするのはどうだろうか。家族の風邪で仕事を失ってみろ、といいたい。そこをはきちがえた議論を、マスコミや保育関係者はやりすぎる。証言に立っている保育園の園長たちも愚劣だ。そんなに客を信用できないなら、仕事をやめてもらいたい。子どもや保護者の力を信じる前に、疑うことに力を入れるなら、現場なんかにいない方がいい。

そういう話と、保育料を払えるのに払わない親と同列にモラルがないなどとかき立てる読売新聞の社会部の生活感覚の質を疑う。子育ても家事もやったことのない人なのだろう。

それとこれは朝霞市の保育関係者でもよく議論されることだ。勝手な議論するのもいいが、病児保育をやっている施設のリストを見れば、九州など西日本では、もはや読売のこのくだらない記事がいかにナンセンスか教えてくれる(封建的に思われる九州で、人口5万人以上の都市にはほとんど存在する充実ぶりには驚く)。遅れているのは関東と東海。とくに埼玉は人口比で実施している施設が少なすぎる。

●19時のNHKニュースが、年金問題で与党のコメントばかり次から次に10分近く流す。野党の批判は一切取り上げないし、野党が批判していることを「足の引っ張り合い」というような論理のすり替えや、野党が社保庁の改革に反対する勢力であるという、与党発言だけを流す。これが安倍・菅義偉のいう「公正」「中立」なのだろうか。

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2007.05.15

5/15 育児放棄の助長という前に

熊本赤ちゃんポストに3歳の子が入っていたというニュースについて。
このポストを黙認したはずの厚生労働省をはじめ、世間は、育児放棄という言われ方をするが、それでいいのだろうか。
あるいは、このポスト不要論が強まると思うが、それでいいのだろうか。

第1に不審なのは、このニュース、いったい誰が流しているのか、ということだ。これについて新聞やテレビは全く明らかにしていないが、知りうるのは、第1発見をする病院関係者か、通報を受ける警察か児童相談所である。児童相談所はこうした情報の漏洩に非常に神経質な役所であるし、マスコミとの交際もほとんどない。病院も深刻な内部対立でもなければ情報を漏らすことは自殺行為であり、考えにくい。県警察が保護責任者遺棄罪の立件を検討しているというからあやしい。
余談だが、この問題についてインタビューを受けた安倍晋三は適切だった。「私は正確な情報を入手できる立場にないので、何も言えない。子育てがいきづまったら、児童相談所などに相談してほしい」という内容のコメント。病院が公表してもない個人情報を、内閣総理大臣が収集しているというのは、表面的にはあってはならないことである。また過剰に価値観を入れなかったのが良かった。

第2になぜ3歳児がことさら問題にされるのか。
所管になる厚生労働省の雇用均等・児童家庭局の大谷泰夫局長が「心配していたことが起きてしまった」という発言を早い段階でしているが、法律で0歳と3歳の扱いに何が違うのだろうかがわからない。当初赤ちゃんポストを違法といえないと黙認し、法的解釈を回避したのに、何を言うのかという感じがしてならない。

第3に一斉にマスコミ社会部は「子捨て助長」などと書き立てる。
マスコミで働いている人たちは、配偶者や親に子育てどころか保育園の送迎まで任せきりにしておいてよく言うよという感じがしてならない。子捨て助長と非難するけど、現実には子捨てはあるし、育児放棄や保護者による児童虐待は後を絶たない。子捨て助長している、と非難してこういう施設を無くしても、子捨てはなくならない。どこかの誰かの子捨てを非難して、自分が今子捨てをしないで済む状況に安心しているだけである。

正直、外国でこのポストがあることを知ったとき、私は少しおぞましく捉えた。戦後の孤児対策からスタートした日本の児童福祉行政は、養育されない子どもの救済において世界的にもよくできたシステムであり、そこまで必要か、という思いがあった。そこで児童相談所にたどりつければいいことに間違いはない。しかし、その周辺システム、とくに基礎自治体レベルでの対応能力があまりにも貧弱である。いつでも子どもを手放す場がある、という窮極の手段を明確にしていくことは、その手前でできる様々な児童家庭福祉を再検討する機会になるし、充実させる力学が働く。そのことは決して悪いことではない。
ありえないという予定調和の論理の中での限られた発想では事足りない社会になっている。窮極の事態から、いろいろ考えるクセをつけた方がいい。

今回、3歳の子が持ち込まれたことを悪く捉えるのもいいが、私は別の観点を持っている。
親子関係が行き詰まって、救済すべきは0歳だけではないと思う。そういう意味では、3歳児の子捨てというのはほんとうにありえないことなのか、もう一度考えるべきだと思う。またポストのドアの小ささから、子どもの養育状況についてもいろいろ考えてしまう。

また、連れてきたというのが父親だという。父親と子どもの関係というものを考えさせてくれる機会をつくってくれたのではないか。周辺関係がたぶんずっとわからないと思うが、子どもを「もてあます」のが母親である、子どもを抱えているのは母親である、という固定観念も壊してくれたと思う。

ひょっとすると、父子家庭であることも考えられる。
離婚率が増加している中で、母子家庭の貧困について格差社会の議論がらみで注目されてきた。逆風が吹いているが、経済的支援を守ろうとする人たちや、逆に就労を推進していこうという人たちがいろいろ議論して話題をつくってくれている。名の通った当事者団体もある。
しかし、父子家庭の問題は、ほとんど考えてもくれなかったし、当然議論どころか想像もされてこなかったと言ってよい。「子連れ狼」をモデルにしたような冗談話のレベルでしか語られなかった。
母子家庭のような貧困問題もあるが、貧困より、残業を拒否できないなど「お父さん」が課せられている社会的役割を果たすと、実質上の育児放棄になってしまうという問題があるからだろう。詳しくは、「日米のシングルファーザーたち」という本を読んでもらえばわかると思う。父子家庭のお父さんは経済的にはまだましなものの、時間と、将来のない今とのたたかいで必死で、たぶん少しのつまづきで育児放棄や、一家心中を発生させてしまうような社会環境に囲まれている。
友人にもシングルファーザーがいるが、ほんとうによくたたかっている。それなのに自分では子どもに関われないことをものすごく悩んでいる。

赤ちゃんを産んで路頭に迷っているかわいそうなお母さん、という固定観念だけではない、育児のつまづきについてもう少しいろいろ考えてみるべきだろう。

どうであれ、育児放棄と非難している前に、その子どもにとって最善の利益とは何なのか、もう少し考えてほしい。話題でいっぱいになるような場所に、お気楽気分で子どもを連れてきた親などいるだろうかと思う。少なくとも今日より明日の前進を考えて、連れてきたのではないかと思う。

育児放棄を助長する、と批判できる人は、育児放棄がそこにある問題だということに無自覚なだけなのではないか。私は子どもをかわいいとおもいながらも、時にはもうたまらない、と思うこともある。育児放棄にまで突っ走ってしまう親を、どうしたものかと思いながらも、しかしまったくもってありえないこととは思えない自分もいるのだ。
児童手当をばらまけば子育て支援だと思っているようなバカにはわからないだろうなぁ。

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2007.05.14

5/14 ベビーシッター制度拡大を考える

子どもが発熱。私も咳き込む。午後、仕事を休み看病。

●少子化対策をやる「子どもと家族を応援する日本重点戦略会議」で、3歳児未満の保育ママ(在宅保育)拡充をめざすというニュースが夕刊に書かれていた。
記事の中で低コストで保育の普及をはかれるというような書き方をしているが、保育所で多人数保育をやるのと、家庭で1:1で保育するのと、どうして子どもの数に対して人手がかかる家庭の方がコストが安くなるのかわからない。その種明かしは、資格職でなくてよいということらしい。

私は、保育ママでもベビーシッターでも、選択肢が増えるのは構わないと思う。しかし、それをコストが安いからとか、資格がいらないとかいう議論にするのは本末転倒だと思う。人手がかかるのにコストが安いということは人件費を安くすることであり、そこに資格を問わないというのは、ワンコールワーカーに密室で子どもを預けることになる。そのことの危険性は、10年ぐらい前にアメリカでベビーシッターによる児童虐待事件の頻発となって表れている。現実、日本でも無認可保育所に届け出制がなく、行政の監督責任もなかった時代には、児童虐待事件が起きて、時には死亡するようなこともあった。

資格職でなくてよいというなら、すでに「ファミリーサポートセンター事業」という、有償ボランティアがやる極めて安価な仕組みがあって、こちらは資格はいらないけども、見てくれる人たちは地域社会のネットワークの中に位置づけられている。そこに安全弁がある。
そうした、よくよく熟慮されたシステムの上に、抜け穴になるようなシステムを作ることがよくわからない。保育産業に参入したい人材派遣業の利権でもうごめいているのではないか。介護保険の導入時に人材派遣業系のヘルパー業者にぬるいやりかたを取った。結果として、介護保険財政をだまし取られている結果になっている。福祉系事業は、労働コストのピンハネができれば資本もなく儲かる産業になる。たえずこうしたピンハネ系産業に狙われている。

また、地域社会が崩壊したり、クルマ社会の移行で、生活の中で子ども集団の形成が難しいと言われている。教育再生などで、子どもにおとなが何かを教え込むことばかりが注目されているが、実は子どもは子どもどうしでいろいろなやり方をぬすみあったり、成長の競い合いをしてみたり、もめたり、考えたりする中で、生きる術や、コミュニケーションを体得していくことの方が多いし、効果的だ。今、地域の子ども集団がつくれなくなってきて、その代替機能を保育所や幼稚園がやっている。施設保育を核にしている日本の制度は、そういう意味では捨てたものではない。子どもを面倒を誰かが見てほしいと思うが、誰でもいいってもんじゃない。

●「ふるさと納税」を美談で語る政治家が多い。いい加減にしてもらいたい。住むということは地域社会に負荷をかけている。それを住んでいる人たちで分担するのが住民税だ。ゆかりある土地ならどこでも納税あまり好ましくない。自治体のイメージアップのために、電通だとか無駄な企業に血税が使われる可能性だってある。人を育ててきた地方の財政支援なら、地方交付税の基準財政需要額の算定に、もっと子どもの数と高齢者の数を反映するようにすべきだろう。
父の郷里の自治体は、ブランド度の高い自治体である。前市長が公共事業をやり散らかした残骸を片づけながら広告代理店より、地域住民自身がいい街だと実感できるものにお金を使ってきた。九州でも交通不便な地域だが、評価は高い。
朝霞市は、地域ブランド、彩夏祭とコンサルタント会社や広告代理店ばかりが喜びそうなお金の使い方が目立つ。たぶん、多くの自治体は朝霞のようにして税金を集めようとするのだろう。
ところで政調会長の中川昭一氏、現住所は帯広市だが、ふるさとは東京。どういう選択肢をするのだろうか。

●抱き合わせで検討されているNPO寄付の税控除(所得控除どころではない)もどうだろうか。一見中立的に見えるこの施策も、高額納税者ほど自由になるのだから金持ちにおもねるNPOが集金力を高める。自治体で先行事例もあるが、これは納税した1%など上限限定した範囲のものだから影響力を排除できている。税額控除となるともっと多額になり、危険性が高い。
ホームレスを支援する団体より、街の美化を訴えホームレスを排除するような市民活動の方が資金が集まることになる可能性がある。どこが税控除団体になるかということは税務署が決める。市民社会が自ら作り上げたものに、過度に行政が関わるべきではない。カエサルのものはカエサルにではないか。

●国民投票法可決。憲法改正しか国民投票ができない、ということの民主主義の限界。また、18歳選挙権に道開かれず。昔は18歳の3分の2が働いていたんだと説得できるが、この20年間の文部科学省の利権あさりともいえる私立大学の乱造で、18歳は納税者から税金で遊ぶ世代に代わってしまった。
それから、この主務大臣は菅義偉。この間のマスコミ弾圧、公務員制度改革、ふるさと納税と、安倍晋三的なるものの忠実な実行者なんだとまざまざと感じる。

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2007.05.10

5/10 赤ちゃんポストが考えさせてくれるもの

熊本の慈恵病院の赤ちゃんポストの運用が始まった。
官房長官が「保護者が子どもを置き去りにする行為はあってはならない。自らの手で親が育てるのが基本だ」と批判的なコメントをしたと報じられている。

しかしねぇ。
慈恵病院の院長が、今回のような窮極の救済手段をぶちあげなければ、望まない妊娠や、喜びだった妊娠の後に人生の流転があって育てるのに厳しい状況に陥った人やその子をどうしていく、なんてだれもまじめに考える機会をつくらなかった。おっと「まじめに考える」とは、この社会ではそういう人をスポイルするようなニュアンスで表現してきた。
それこそ、ふだんは男女平等を党是とするリベ系のエリート女たちでさえ、よほど徹底した女権運動をやっている人でもなければ、その大半は「よく考えもしないで」「自業自得」と言った言葉を本音では吐く。
慈恵病院が、こうして社会に衝撃を与えるまで、「子どもを捨てさせないために相談を充実しよう」「ひとり親でも立派な子どもを育てられる社会にしよう」なんて誰がまともに言っただろうか。ひとり親なんていない方がいいんだ、捨て子なんてあることがいけないんだ、と思考停止してきただけだ。
福祉事務所や職安や母子保健を、こうした親子のためにどうしたらいいか、という課題について、はれ物に触るような人権感覚しか学ばず、積極的な対処は各々の職員の善意に任せてきた。

話は政治的な方向になってしまうが、
新左翼だったのに自民党幹部だった親の後釜で政治家になって、NAISの会だ民主党の若手とどうだこうだと、ちやほやされて官房長官になった塩崎氏。一説では、親の跡継ぎは嫌だといったという話もあったかな(本当の話かな。二世議員の大半はいやいや議員にさせられた、というエピソードをつくる人が多いが、神戸の河上民雄さん以外ほんとうにそうだという人に会ったことはない。逆にお父さんを尊敬していることを公言して二世議員になった人の方がすがすがしい)。
自らのおかれた境遇から、子どもの人生に親自身の因果を報いるのは良くない、と考えるのか、単に運命は仕方がないとたまたま自分の恵まれた生活環境に安住するのか、今後の政策展開が試されていると思う。

あと関心をもって見なければならないのは、日本会議の右翼議員たち。家庭だ親の責任だ母性だと強く訴えてきたのに、赤ちゃんポストに何も反応がない。反フェミニズムの立場で声高に中絶反対を熱心にやってきた立場だし、赤ちゃんポストを否定しきれないのだろう。社会は必ず複雑な事情で生まれてくる子どもがいるからだ。そういう状況の子どもを産んではダメ、中絶もダメだということになれば、アフガニスタンのタリバンのように、神や正義の名のもとに、父親のわからない子を妊娠した女を胎児ともども殺すという論理しか出てこないはずだ。

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2007.05.08

5/7 キャリアロスいいじゃない

寒暖の差で声が出ない。カラオケの歌いすぎか、選挙最終日みたいな声をしている。仕事の電話に苦労した。
声楽やっている人はこういうときにどうしているんだろうか、などと考える。

営団地下鉄が4月からクーラーを入れていて、寒くて仕方がない。当然、のどにいいわけがないので腹立たしい。

●AERA「パパ育児ノイローゼ」は駄作。
せっかく、いい視点の題材があるのに、結局は男の「キャリアロス」を絶対に認めないんだよ。女には両立を生き方を強制すべきではないとして提示しながら、男には仕事も絶対両立しなければならないと義務づける。女の書く記事だよまったく、などと憤慨。
子育てと仕事の両立なんてきれいごとできるわけがない。周囲に迷惑かけまくるし、サービス残業などのバッファーがなくなる。子どもの風邪で突然の休暇が入るし、飲み会のドタキャンなんて日常茶飯事。そんな人間、この働き者・過剰サービス社会が評価できるわけがないではないか。
ホームレスが、温情溢れる児童福祉行政を交わしながら捨て子を育てる、チャップリンの「キッド」を見れば、もっといろんなこと相対的に考えられるんじゃないかと思う。

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2007.04.20

4/19 満足とは

昨日、3ヵ月前の子どもの写真が送っていただいた。その表情と今の表情を見比べて、少し落ち込む。3ヵ月前の方がおとなだ。
20年前、私の通っていた高校は、日本で一二を争う話題の学校だった(教育内容ではなく存在が)。冒険心の強い私のような子もいたけど、過去の経緯が縷々あって「子どものためによかれと思って」親に勧められて入ってくる子も少なくなかった。そんな子たちは、新天地である学校を拒絶するか、戻れない現実に盲従するかどちらかの対応に分かれていたように思う。
この4月、私は「子どものためによかれ」と思って新しい選択をしたが、それがどうだったのか。心が揺れ動いている。

多くの科学者たちがいろいろな試験を通じて理解を広げているものの、子どもの世界は、理屈や科学で解明できていないことばかりだ。たとえば、離乳食をめぐる最新の研究、それを数年後を追っかける厚生労働省の保健の方針、現場ではるか昔の子ども観で母子保健を指導する保健行政、これだけを見るだけで、科学は一面しか捉えることができていなかったことがよくわかる。

その上で、陋習やエセ科学(脳科学など)、根拠のない精神主義みたいなものが本物の子育てのように語られたりもしている。「子どものため」という言葉の意味はほんとうのところよくわからないことなのだ。「子どものため」を語る保護者、保護者に「子どものため」と善導する子ども関係者、それのどれが本当のことを語っているのか、当の子どもも大人と同じように語れないので、本当のことはわからない。本当のことがわからないから、子どもの世界があるんだ、という理解をしていかなくてはならないのだろう。

根拠のないはずのものを形にしたがるからこんなことが起きるんだ、という話では、昨日の毎日の鷲田清一さんのコメントが参考になる。

●「満足死」を読む。高知県の佐賀町、疋田医師の地域医療のレポート。
介護保険制度の導入の理念「ぴんぴんころり」を思い出す。生活死から生物死まで1週間とすること、ということをどれだけ実現し、生活の中で死んでいくのか、ということを実践していった話。地域の医師の往診なくして満足死はありえないと思った。
老いと家族をとりまく考え方に若干の考えの違いを感じるものの、大枠での死のとらえ方については同感した。
家族の側についての社会状況の変化では井上治代「子の世話にならずに死にたい」と抱き合わせて読むといいと思う。

●伊藤一長長崎市長が亡くなった。テレビの映像で流れていたが、霊柩車を見送る市民の多いことに、やはり名君だったんだと感じる。あれほど惜しまれた政治家が最近いただろうか。
自民党の地方議員から市長になって、選挙のときには本島等さんとの差別化のために「安全保障の問題は国の課題なので」と避けて当選したが、当選直後、あそこまで見事な反核兵器運動をされるとは思わず、毎夏の原爆の日の慰霊で読み上げるメッセージも感動的な内容だった。

●自分の暴力を他人の責任にする、卑劣な暴力犯が相次ぐ。池袋の通り魔も、心神耗弱がどの程度かわからないが、加害者が行った意見陳述はひどいものだったらしい。

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2007.04.17

4/16 腑に落ちないこと

腑に落ちないことが2つ。

①野球会社(プロ野球球団というのか?)がアマチュア野球界にお金をばらまいていたことが問題になり、その中で専修大学北上高校の野球部が解散することになったというニュースが流れる。

部活動は、結社の自由じゃないのか。しかもその選択権は、野球をやりたいという当の高校生たちにあるのではないか。何かおかしい。そもそも結社の自由の精神が尊重されていれば、カネまみれの大人がむらがるような構図にはならないはずである。

また、この問題では、いつも野球をやってきた当人たちが、記者会見で矢面に立たされたり、部活を潰されたりしているが、お金を受け取っているのは親族であったり、コーチであったり、野球をやっている子どもたちを出汁にして金権球界に住み着いてきた大人たちである。その人たちは、名前も公開されていないし、世間の制裁も受けていない。

そもそもこの問題、何が問題なのかが明確になっていない。野球会社の本質が興業である以上、お金で選手を買うということはある程度は避けられない。それがプロ就職後ならいいのか、内定後ならいいのか、就職活動中ならいいのか、養成期間ならいいのか、考え方が整理されて公開されておらず、政治倫理みたいな水準の議論しかされていない。
また本人がもらっていいのか、親がもらっていいのか、そのあたりも整理されていない。

②北朝鮮の核廃棄が全然進んでいない。
北朝鮮とのいたずらな対立や、それを政治問題化しようとすること、さらには首相のように選挙のネタにしようということには反対の私でも、いちゃもんをつけて核廃棄に取り組まない北朝鮮いらだつ。アメリカが、金融制裁のカードを手放して、核廃棄が進まない事態を楽観していることも、どうかと思うところだ。
今回の北朝鮮の核廃棄が進まなかったのは、六ヵ国協議の枠外で進められた米朝二国間協議を許してしまったことにあると言ってよい。東アジアの安全保障が不安定化しても無能なヒルのクビが飛ぶだけである。

「大量破壊兵器がある」と言って泥沼のイラク戦争に突入して、さらには日本の自衛隊まで連れていかれたが、実際は大量破壊兵器の証拠すら見つけられなかったが、実際に大量破壊兵器があると認めており(実用に耐えうるかどうかは別だが)証拠まである北朝鮮に、アメリカは何ら軍事制裁を行わないどころか、経済制裁のカードまで捨ててしまったダブルスタンダードも大問題である。

イラクはぬれぎぬのえん罪で、国の中が大混乱にさせられてしまった。中東で一番開明的な国民が、宗教対立という最も未開明的な政治的対立の渦中におかれてしまった。それはアメリカの犯罪的行為によるものである。

日本の右翼は、温家宝首相の来日にぶすぶすいちゃもんつけることに血道を挙げるが、そんなつまらないこと言っている間に、北朝鮮の核廃棄は空中に浮かび、東アジアの安全保障が不安定になっている。民族主義者たちはこの事態に何の不安も抱かず、無定見なネオコンの迷走の結果として行われた米朝二国間協議の失敗に怒りの声も挙げないのだろうか。無意味な、嫌韓、嫌中に血道を挙げる前に、やるべきことがあるんじゃないか。アメリカ大使館前に右翼の街宣車が列をなして、「ヒルのクビを切れ」とやっているとは聞いたことがない。

●AERA今週号が面白い。佐藤優本人についての特集で、佐藤優が浦高生だった頃、旧社会党系青年団体、社会主義青年同盟に入っていたことが紹介されている。母親が浦和の社会党の熱心な支持者だということは繰り返し自著で知っていたが、本人もその関係の場にいたとは。しかも77年という社会主義協会派全盛の頃。埼玉という土地柄もあってか、宇野理論にも詳しいのか。
この組織にいたからと一概に規定できないが、労農派の社会主義運動からは、しばしば優秀な裏方が誕生していると感じる。大衆性はないが、ずっしり重く、陰影に富むような感じだ。
それから「貞操わめく清廉議員」も。離婚後300日以内出生の子の父親をめぐる法改正で、うごめく政界の見取り図としてわかりやすい。

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2007.04.14

4/14 健康増進ならマイカー使わせるな

朝、保育園のお見送りをする。子どもと親の事情で、家から遠い保育園に通っている。私の住む町の保育行政は、公立保育園は8ヵ月しか預からず、1歳児段階での定員は0歳の持ち上がり分にプラス1人しかないので、見事にはじき飛ばされたことが原因だ。それから、16時30分以降はお金はかかりませんが延長保育です、などと威張られたり、口コミで怠慢とも思えるような保育内容を聞いたから、そんなところには預けたら、精神衛生上良くないと思ったからだ。

私の住む町の保育料は認可保育園でも全国でもトップクラスの金額だ。しかも民設園だということで給食費の補助が一部を公立なら無料でやっていることを差別待遇で出さないみたいで、一部自己負担が上積みされることになった。
県境を超えて都内は全国最低で県内の半分ぐらい。だから都内の人に朝霞の保育料を話すとびっくりされる。でも、市のパンフレットの最初の方のページで、保育にはこんなにコストがかかっています、などと恩着せみたいなグラフが掲載されている。冗談じゃない。こういう表現は下品だし、そんな下品なこと言うなら、その前に保育所に預けている家庭とそうでない家庭の払っている住民税の差額も表現してくれ、と思う。

で、お見送りを終わって、保育園の最寄りの過疎地で、バスも1時間に2本あるかないかのところ、駅に向かうバスをひたすら待つ。バス停の前には市営の健康増進センターがある。といってもそれは温水プール施設。目の前を次から次にマイカーがやってきて、たくさんの人が入っていく。もちろん駐車場もいっぱい。マイカーでやってきて、中には加えたばこで降りてきて煙をまき散らす。どこが健康増進なものか。単なる遊興施設じゃないか。税金使って泳ぐなら、その前に歩け!と思う。

仕事で保育園を使って、全国トップクラスの5万円近い保育料を払って、住民税を納めているのに、バスが思うように来なくてタクシー代を払ったり、ときには遅刻して休暇切符を切られたりしている。このバスも鯖読みダイヤで、時間にルーズだ。

他方、遊興施設の利用料は400円。駐車場は200台分もあってこれはタダ。毎日通っても1万円程度しか費用負担がない。しかもバスでしか来れないような人はまず来ない。ほとんど資産格差の問題。マイカー持てるような人だけが遊びにくる。
※市の施設全般に言えるが、マイカー族を優遇している。マイカーでやってきた人には駐車場をタダで使わせるのに、公共交通を使ってやってきた人に何の優遇もしない。

保育園の送迎に路上にクルマを止めたら近隣の市外郭団体の職員に注意される。そこの職員たちも市役所が農家から借り上げている駐車場をタダで使っている。余談だが、市が借りた駐車場周辺の畑の賃借料は市街化調整区域にもかかわらず賃料の相場が高いらしく、保育園側で土地を借りようとしても価格が折り合えないでいるらしい。市が200台分の駐車場をいったいいくらで借りているのか、調べてみたい気になる。

私のようなマイカーのない人間は、バスを使って不便に耐える。バスがほんとうに来ないから、1日1回は、自宅→保育園・保育園→駅・駅→保育園・保育園→自宅の行路のどこかはタクシーを乗らざるを得ない。
10年ぐらい前の参議院議員選挙で民主党の候補の実働部隊がないからと、朝霞地区の街頭行動、とりわけ応援演説をさせてもらったが、そのときに駅前で「税金を納めるだけの人と使うだけの人、そんな分断を克服したい」と絶叫させていただいたが、10年経って公共事業が減ったのなんの言っても、本質的には何も変わっていない。それを実感させられて、気分はブルーだった。

●たいそうな理念的な保育方針とか、教育方針とか、そういったものより、本当に日々の生活の場を整えて、誰にも門戸を開けるということだけでもできることが、たいしたことなんじゃないかと感じるこの頃。
感動的な保育方針を具体化できるのはほんとうに運まで含めて恵まれた保育者だけだと思う。

普通の保育園でよい、ただ預かるだけの保育園でもよい。そこでただ、差別しない、先入観を持たない、預ける家庭の背景事情を尊重する、それだけでもできている保育所も保育者も少ない(それがどんなことかは石田衣良「池袋ウエストゲートパーク6 灰色のピーターパン」の「駅前無認可ガーデン」を読んでほしい)。

あるいは泥だらけになったりうんちを漏らした服を水で濡らしもしないで親に突っ返すような、つまらないサボタージュを「親の自覚のため」と豪語してしまう保育者もいる。そこで濡らしてビニルに放り込んでおくだけで、後の洗濯の手間が全然違う。その分子どもと関わってあげられる。
保育園の帰り道にスーパーがあるからと立ち寄っただけで怒られる保育園があるという。保育園の大荷物担いで子どもを連れてスーパーに行くことがどれだけストレスを掛けているのか、立ち寄りで買えば10分で済むことが30分かかり、かえって子どもたちの食事の時間を遅らせてしまう。

「親が親たれ」「子育てとは…」などという神学を説くヒマがあったら、たいした労力を使わなくてできることなら、他人の役に立つことをやっておくべきではないかと思う。

年度替わり、いろいろ保育園について考えてしまう。

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2007.04.10

4/10 民法改正で早川議員が痩せている

テレビに出ていた早川忠孝代議士が痩せている。離婚後300日以内に生まれた子どもの父親をどうするかという課題に取り組んでいたが、ここ数日、首相、政調会長、右派系議員たちのバッシングに苦しんでいるのだろう。

重ねて言うが、貞操観念がどうのこうの言っている人たちは問題のとらえ方を間違えている。親の累は親の代で問題を解決すべきだろう。民法で貞操保持を破った人間には、慰謝料を請求され制裁されることになっており、それで十分な制裁ではないだろうか。貞操に何の責任もない子どもに制裁することを放置して構わないとすることは本当におかしな思考回路だ。

DV被害者など、思うように離婚が成立しない場合などどうなるのだろうか。首相は「議論を深める必要がある」などと言葉を濁しているが、これは人権蹂躙のようなことが起こったとしても法改正必要なしという立場だろう。女系天皇容認を覆したときも、安倍晋三が「議論を深める必要がある」と中立を装い議論を混乱させた前科がある。真っ赤な顔で仕事をする政調会長は倫理を語る存在として論外である。

これまで早川議員はあまり好きでなかった。復古調の議論も多かった。しかし今回の民法改正、人権問題など、法務関係の議論になると、まともな判断をしている。本当、早川議員の努力には敬意を表したい。

●今日、訪問介護の大手3社に介護報酬の不正請求したことが摘発された。摘発を受け事業者指定の取り消し逃れで処分が下る前に摘発された事務所を閉鎖したりもしている。介護報酬が無駄遣いされているということで、本来的な介護予防の意味が強い、軽度の要介護者の介護報酬がばっさり削られたのも、こうした事業者が、本人の能力を温存するための介護という目的を忘れて、介護サービスの押し売りをしていたことが原因である。
また出自が人材派遣業という、労働力を消耗品のように使う産業であることも今回の問題の背景にあると思う。
訪問介護(福祉全般に思うが)は、大手事業者には向いていないと改めて確認したように思う。やはり「地域公共サービス」なんだ。

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2007.04.04

4/4 実態に目を向けて

保育園が変わり、隣に市の基幹的な社会福祉法人の施設がある。送迎をして、同じ社会福祉業界の人たちの保育園に対するまなざしの冷たさをいろいろと感じるできごとがあった。こんな感性の人たちに、セーフティーネットとしての福祉サービスをゆだねて良いのだろうか。指定管理者の指定を受けるので苦労していたときは同情したがそれは間違いだったかも知れない。

保育園を考える親の会の会報が届く。この会の運動にはほんとうに頭が下がる。労働運動がもっとしっかりしなければならないのに、私が保育政策を担当していた時は、この会の議論に甘えっぱなしだった。

保育問題入門という記事で、規制緩和を含めた一連の保育制度改革のおさらいが書かれている。1995年のエンゼルプランで保育サービスの計画的整備が全国的に始まり、1997年の児童福祉法の成立で考え方が整理された。2000年ぐらいから今度は経済政策としての保育所の規制緩和が始まり、規制の切り売りが始まる。2001年ぐらいから規制緩和と並行して第三者評価や職員の資格の整理などが行われる。

「よくなったことと、悔やまれること」として

よくなったことは、「利用者のニーズに応える」ということがしきりに言われるようになった結果、認可保育園の0歳児保育や延長保育がめざましく充実してきたことです。また保育者の意識改革も進みました。「子どものため」を盾に立てて、就労支援に消極的だった保育園も、「親を支援しなければ、子どもたちの育ちも支えられない」をかけ言葉に、親たちの働く実態に目を向け、自ら変わっていったのです。

と書いてある。少なくとも、厚生労働省をはじめ、全国的な保育関係団体、保育分野の研究者などは、この前提を共有しながら、政策の利害対立を調整できるようになってきた。よく勉強している保育者はもちろんのこと、自治体の自主財源の少ない地域など、ギリギリの行政サービスのリストラをつきつけられたり、近隣地域で目の当たりにしてきた保育関係者もそういう考えている。

しかし朝霞を含めてまだまだ首都圏の一部の地域では、子ども関係者の中に、変わらないまま「盾に立て」る議論が根強い。先日もある行政資料のチェックを頼まれて、その中では、困っている人の保育ニーズより、保育サービスの濫用のことをことさら問題にして書いている割合が多く、それは違う視点から考えなくてはならないんじゃないの、と突っ込みを入れた会議の顧問格で社会福祉の重鎮の発言も、原稿では濫用論に同意したことになっていた。もちろん、社会福祉の大家が、全国レベルで共有されている前提を無視した発言を公的な場でするとは思えず、再確認してもらった。

発達段階論のような科学の色を装って強硬に自説を曲げない人もいる。きっと地域の同業者、価値観の異ならない人たちどうしで保護者(お客様)批判を千年一日続けているのだろう。自分のはめた枠に入らない子どもや保護者が嫌いなんだろうな。
子育てや保育の規制緩和に一貫して反対してきたけど、こういう底意地の悪い人たちに接すると、ついつい暴力的な規制緩和論に加担したくなってしまうときがある。

●とても尊敬する方にこのブログでご迷惑をおかけてしまった。反省。

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2007.03.10

3/10 右の人たちの学習課題

●梅原猛「水底の歌」を読み終える。柿本人麿の死因と死んだ場所、そしてそうなった原因を探った論文。
ここでも梅原の得意分野である、持統天皇=藤原不比等による万世一系の天皇制の確立期における、藤原氏の政敵またはスケープゴートになった人の探究が行われている。柿本人麿は古事記や日本書紀のもとになった歴史観を作る役割が与えられ活躍したが、藤原氏の王朝支配の邪魔になり、女性問題を口実に左遷され、やがては死罪となったのではないかと分析していく。

梅原氏の歴史がすべてとは思わないが、それをかみしめながら、昨年の皇位継承順位をめぐる議論を振り返ると、日本会議などナショナリズムの諸グループが主張していたことは、全く日本の伝統ということとは無関係で、明治イデオロギーっぽいものに憧憬を抱く、思いこみでしかないことがわかる。
愛国心云々するなら、もっと歴史研究をやるべきで、ほんとうの日本の伝統はどこからどのように始まっているのか、と思う。
右だタカ派だと言われて今再評価されている中曽根元首相が紙一重で安っぽい右翼にならないで済んだのは、梅原氏など教養人との交流をやっていたからだということもわかる。

●朝日の夕刊に「人脈記・安倍政権の空気」という連載が載っている。安倍晋三周辺にいる人たちの人脈紹介。朝日にしては安倍人脈を美化している。菅総務相の行いが悪いので、マスコミへの恫喝を受けての取引記事が朝日にまで及んでいるのかと勘ぐってしまう。
5回目になる土曜日は、教育というテーマで「そもそも教育基本法が良くないから」という下村博文官房副長官が登場する。そして下村は「戦後政治は共同体や家族主義を壊してきた。母親が母乳を冷凍して仕事にでかけ、父親が休んでそれを赤ちゃんに飲ませるだなんて、やはり母親の愛情が教育の出発点ですよ」と語っている。自民党に多いよなぁ。民主党もか。批判の矛先はまさに我が家だ。
父親が休んで赤ちゃんに母乳を飲ませるなんて、この時代にしては家族がちゃんと機能しているんじゃないの。母親がどうにもならないときにどうしようもない男の方が多いと思う。それを誤魔化すために、女は家のことちゃんとやっていればいい、とか、家庭をおろそかにしなければ外で働いていい、という言葉がある。下村議員のような考え方をするような人って、男はそういう言葉を吐いて子どもと向き合うところから逃げたらいいのかな。
下村議員のような議論の建て方って、父親の方の愛情ってどこいっちゃうのか、と思う。それから、男だ女だ通り越して親は親だし、実の親かそうでない親かを通り越してその子どもにとってきちんと育ててくれる育ての親だろうし、そうした人たちの子どもとの関わり方を大切にしていくことが共同体じゃないんかね。

男だ女だ、生まれ持った不合理をおしつけることの根拠が日本の伝統というなら、ほんとうの日本の伝統をよく見た方がいい。もちろんフェミニストたちが主張するような社会ではないが、明治イデオロギーとは少し異なる社会が出てくるのではないか。
明治以降であっても戦前という切り口では、乳母なんて考え方があったり、日本の半分以上の人口が農村社会で暮らしていたことから、母親が愛情をたっぷり自分の子どもにかけて育てるなんてできなかった。その現実をもう少し見た方がいいし、その状態で社会や子育てがどのように成り立ってきたのか、調べてみたらどうかと思う。そこにほんとうの共同体の姿が見えてくるんじゃないかと思う。それがこれからの男も女も忙しくなる時代にどうしたらいいかの処方箋が見えてくるんじゃないかと思う。

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2007.02.21

2/21 子育てしていると思い通りにさせようという人が群がる

おとなりの市に住んでいる人が書いているブログ「共同合宿所」に、仕事を辞めることにした保育園の保護者仲間のことを書いている。働くこと