2020.10.23

10/22 連合埼玉の政策要請に同席

22日午後、川越市内で、連合埼玉が、埼玉県西部の自治体の首長に政策要請する項目に関する懇談会が行われて同席してまいりました。

首長の出席自治体は、川越市、坂戸市、ふじみ野市、狭山市、和光市、毛呂山町、副市長の代理出席は朝霞市、志木市でした。

連合からの政策としては
・公共サービス基本条例の制定と公共サービスのチェックを高めること
・自治体発注業務で働く人の賃金を守る公契約条例を制定すること
・協同労働の仕組みを広げる取り組みをすること
・マイナンバーによる自治体事務の改善
・地域公共交通の維持のための助成金を創設すること
・親が養育できなくなった障害者が安心して生活できる障害者福祉を展開すること
・「身元保証等高齢者サポートサービス」に注意喚起を行い高齢者が安心できる施策を展開すること
・介護する家族等(ケアラー)への支援を行うこと
・学校にタイムカードを導入して教員の労働環境改善に取り組むこと
・児童虐待の通告義務を周知・啓発すること
・待機児童解消に取り組むこと
・性マイノリティーに対するパートナーシップ制度やハラスメント対策を行うこと
・悪質クレーム対策に取り組むこと
・投票率向上と投票所の改善を行うこと
などです。1月に改めて各自治体に市長要請が行われることとなります。
新型コロナウイルス対策に関しては折節、機動的に取り組みたいということで外してあるとのことです。

要請事項に関する各市長からの意見はいくつか挙がった後、各市長から政策的な問題提起やアピールが行われています。

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2020.09.09

9/8 思い通りにならないどころか、という時には

議会中なのに関係のない一般論を書きますが、職業人、不遇のときにどう身を処するかということを考えることがあります。

22歳で就職して、入職から4日目ぐらいの研修で、その会社の創業以来の核となる部門の営業部長の話を聞くことがありました。営業部長では2人しか当たらない常務取締役であり出世頭の一人でしたので、ポジティブな話かと思いましたが、与えられた時間いっぱい彼の話は「サラリーマンは不遇のときにどう身を処すべきか」ということに終始していたことを印象に思っています。面白い話やポジティブな話をしていただいた部長さんもいたように思いますが、退職して、さらに20年も経た今でも彼の話だけが頭に残っています。

活躍できているときには、忙しくて何も勉強できない。興味を深めることもできない。サラリーマンは仕事をすればときに不遇のときや面白くないポストがやってくるが、そのときこそ、時間を捻出できるのだから、興味を深めたり、知識を増やしたりする時間に充てよ、それを続けることができた人が、社会環境が変わったり、営業環境が変わったり、上役や部門の環境が変わったときに、ちゃんと活躍の場が見つかるものだ、というお話です。難しい話でも何でもないのですが、長い営業マン人生、嫌なことや、やりたいことをさせてもらえないときや、閑職に追われた時期もあったのかと思いながら聞きました。

もったいないことに私は、その会社を5年で退職してしまいましたが、その後働いているなかで、この営業部長さんの言葉を思い出しながら、時々膿んで腐ることがあっても、やってこれたと思うところがあります。上滑りしやすい20代、30代にイキがらずに鈍牛のように進めたのはこの方のおかげです。

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2020.05.03

5/3 市民生活を守るための立脚点としての憲法

憲法記念日。昨年の改選でようやく本格的な会派を組みましたが、会派名に政党名の一部を入れることに、政党色が着くなという思いはありましたが、立憲主義に違和感があるわけではなくてポジティブに捉えています。福祉政策に対する態度も、昨今の部活や校則などの文科相の見直しに呼応する諸改革も、選挙制度に関する意見も、議会改革も、すべて日本国憲法を立脚点に、そもそも論としてどうなんだと考えるようにしています。

一方で、日本国憲法の限界もあります。
一つは地方分権があいまいなことで、内務官僚鈴木俊一が書いたと言われている、事実上、戦前の統治メカニズムを引きずっている地方自治法にいろいろな制約を委ねていることです。今回の非常時では、国会では盛んに議論された一方、地方議会が議論をしない方向に閉じていき、行政改革の論理に振り回されて機能として不十分なことに、地方自治法の行政優位の制度設計の限界が表出しています。また議会というのは税金の使い道を決める場なのに、地方自治法にもとづく自治体議会は予算編成権もありません。議員どうしが丁々発止で議論して予算をまとめるべきところ、首長におねだりして政策実現する姿は民主主義としてあまりエレガントではありません。
不動産に関しては青天井の財産権が、暮らしや環境を壊している現実があります。これは解釈でいけるかも知れません。他の物件にそこまでの青天井の財産権を認めているわけではありませんから。
衆議院の解散に関しても、行政権力がやりたい放題議会を解散している国なんてそんなにありません。ここも改正なのか解釈変更なのか、普通の議院内閣制の国の運用に落ち着けるべきです。

私は自治労で役所の非正規労働者の運動に関わりましたが、彼らの雇用が行政処分で契約ではないという極めて観念的な行政法学者の解釈によって、労働者としての正当な保護を受けられずにいます。団結権はともかく、団体交渉権すら頭から否定されることもあります。ところが雇われるときには、憲法第15条を持ち出されて、国民の公務員の選任権なんて言って、権利を制限する憲法の条項だけ丁寧に適用したりします。そのなかで雇用の安定や継続性をほとんど無視する法解釈がまかり通っています。時給900円前後でこき使っている人相手に、労務の提供に対する報酬以外に何があるんだと思ったりするのです。このあたりは憲法をちゃんと理解することが必要だと思っています。

一番議論になる安全保障と憲法は、今のところいじる必要はないと考えています。
ただし頭の体操として、日米安保体制がローコストで最大のメリットがあるから、諸矛盾を沖縄におしつけつつも、今の憲法で間尺が足りています。この安定の矛盾が我慢されなくなったり抑圧できなくなったり、またはこれから考えられうることですが、アメリカが国力を落とし、日米安保体制のメリットが担保されないと見えてしまったときに、日米安保をやめるか見直すかとなります。そのときに、今の憲法の9条の骨格・理念は残しながらも、今の9条では間尺に合わないことになる可能性は考えておかなくてはならないと思います。極度の緊張感と負担をもたらす自主防衛論が台頭したときに、どうセーブするかが課題です。

●最近読んで、憲法関連の本で有益だったのは、美濃部達吉「憲法読本」です。1911年、明治憲法の解説の講演をまとめたもので、明治時代にこんなに近代的な法理解を解説していたんだというのに驚きです。戦後、日本国憲法がいかに立派でも、9条以外ほとんど意識されてきませんでした。安倍首相が憲法をおもちゃにするようになって自覚した立憲主義の基本的な認識ですが、1911年にはすでに美濃部達吉さんによって紹介されています。100年近く日本社会は、岩波書店の編集者と一部の研究者以外は忘れ去ってきたんだと思います。

●新型コロナウイルスに「補償と自粛はセット」というスローガンがあります。そのことから市内で財産権をベースにこの演説をした方がおられたようです。ネットでも財産権でこの話をする人がちらほらいます。でも私は間違っていると思っています。
一つは、財産権だとすると、竹中平蔵みたいに何億円も社長収入のある人が自粛させられて儲からなくなったら、国家は毎日その資本家に何百万も補償しなければなりません。逆に一文無しには、一銭も補償しなくてよいことになります。どう考えてもおかしいです。
財産権は、国家の利益のために財産を取り上げることを防止することが目的なわけですから、対価なく歩道整備に土地を召し上げず、正当な対価を払えないときには、歩道整備の土地確保を断念すれば済みます。新型コロナウイルス対策は、補償できないから自粛要請ができないで済まされる話なのか、ということだと思います。自粛を要請するのは人々の生存権を保障しなければならない国家の立場があるからです。
じゃあ補償も何もなくていいのかという話です。自粛にともなう補償は、社会権の話です。竹中平蔵に毎日何百万も補償するのはおかしいけど、自粛で生活が成り立たない人や、事業の継続ができない人を支えるというのは、損失補償じゃなくて、社会権のはずです。 こうした社会権が、何か、利得的な関係性の財産権より下みたいに感じることが、まだ日本社会は、北欧・西欧の先進国に追いつけない理由なんだろうと思ったりします。

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2020.03.24

3/24 小学生のご卒業おめでとうございます

きょう、新型コロナウイルス対策で出席できませんでしたが、市立小学校の卒業式でした。私が子どもの頃は、私学に行く子はごくわずかで、中学校に繰り上がる儀式みたいな世界でしたが、これで地元の子とは別れ別れになる子も今では少なくなく、大事なお別れの儀式になったと思います。

新型コロナウイルス対策による休校の衝撃は、中学三年生より小学六年生の方が、受けた衝撃が大きかったように思います。小学生からも卒業式に関する要望をいただいたぐらいです。当初は開催もどうかという感じでしたが、少し大人たちも落ち着いてきて、儀式ができたのにはほっとしています。
よい門出になりますよう、祈っています。

中学校の卒業式のコメントの繰り返しになりますが、学校にうまくなじめなかった子にとっては、心機一転とする機会になれば、と願っています。まだまだ人生、先は長いです。

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2020.03.13

3/13 中学生の卒業をお祝い申し上げます

きょうは市内の市立中学校の卒業式の日です。卒業生のみなさまと保護者・ご家族のみなさま、ご卒業おめでとうごさいます。

新型コロナウイルス対策で、卒業式の開催も危ぶまれましたが、同級生との別れを惜しみ、思い出を大切にする機会として開催できたことは、よかったと思っています。ただ、来賓はもちろんのこと、育ててきた保護者のみなさまの臨席がかなわなかったことは、私も残念に思っていますが、罹患するリスクの高いより年齢層の高い方や疾患をお持ちの保護者、ご家族がこの場で新型コロナウイルスに感染することのリスクを避けて、後味の悪い思いをしないため、と受け止めてください。私もそのように理解しています。お祝いを、いろいろなかたちで工夫してあげてほしいと思っています。

多くの人にとって、中学時代には、強い思い出と、思想信条・職業・地位に関係なくつながりあえる仲間ができます。そうした仲間とまたいつか再開して、旧交をあたためることがありますよう、願っています。

また中学時代に、つらい、イヤだなと思って過ごさざるを得なかった卒業生にとっては、また環境を新たにし、新たな人々と出会う再出発になると思います。これからも大変なこともあるかと思いますが、次の人生に向けて歩き出しほしいと切に祈っています。

この年の生徒は、小学校1年生の入学も、東日本大震災とそれにともなう原発事故で、生活が不安と混乱気味のなかで入学式を迎えています。そのことも思いをはせながら、ご卒業をお祝いしたいと思います。

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2020.03.11

3/11 2つの災禍のあと

昨日は、東京大空襲から75年、きょうは東日本大震災から9年です。犠牲者を悼み、被害者にはお見舞い申し上げます。
私が子どもの頃、戦争の悲しみを伝えるときには、東京大空襲が必ず出ましたが、直接体験した人がだんだんいなくなり、伝えられることがなくなっていると感じます。戦災孤児への福祉、大規模火災、空襲に対する戦時国際法など、今日にもまだ残された課題はたくさんあります。
東日本大震災では、日曜日のNHKスペシャルで取り上げられた、大槌町職員の被災の話は、もちろん一般市民の災害対策が最重要と踏まえた上で、どれだけ災害後の対応に必要な人たちを守るか、問われてると感じました。

●朝霞市も新型コロナウイルス対応で、弱々しくもしつこい災害に晒され続けていて、いろいろなことに我慢している方々、会いたい人に会えずに我慢されてる方々、ときに内向きな行動が続くなかでのストレス、ときにおきる感染症がらみの社会的バッシングを見ることのストレスなど、たまらない思いをしているし、解決された状態が見えないところに立たされていることに、つらい思いをされているのだろうと思っています。

朝霞市も、新型コロナウイルスが高齢者に重篤な症状を起こすことから、高齢者の多くが通う福祉施設を中心に追加で閉所を始めています。高齢者を施設や病院に入れているご家族には、面会ができなくなって不安な思いをされているのだろうと思います。

一方で、人と人が接触をすることが不安になる環境のなかで、人と合わないと仕事にならない仕事や任務をされている方々に頭が下がる思いです。

出口が早く見えないかな、出口が見えたら一気に世の中を明るくしたい、そんな思いでいます。

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2020.02.29

2/29 突然共同体を失った子どもと教員に幸あれ

昨日は、議案調査の合間に、2日からの閉校の対応に、朝霞市議会において数少ない当事者議員として追われた一日でした。
関係者が一日中会議をしているあいま、情報すら取りに行くなという雰囲気しかないなか、徹夜で運用を検討し疲弊する教育行政当局相手に、情報収集と最小限の圧力で、対応を迫るという鬼みたいなことをしました。それでも、保護者が勤務調整に必要なネット上の情報発信は16時を回り、2日閉校の日程は動かせず、最後の数人の非常勤職員の賃金支払も未確定のまま、この程度ということしかできませんでした。

夕方、知人のネット記事を見て、中学から私学に行く小学生の子どもが、突然、クラスという共同体を失った精神的な混乱が書かれていました。胸を締め付けられる思いをしました。私にとっては、祖父母から聞かされてきた引き揚げと同じ重みがある、当事者にとっては強い喪失感の強いできごとだったと思います。

危険だから小中学校にあすから登校するな、ということは国家権力を動かしているオッサンたちには、「危機管理」や国家統治の上で些細な問題に見えているのかも知れません。自治体の長にとっては大変なことだと思っても任務と考えがちなのかも知れません。
しかし良いことか残念なことか、日本社会は(そうでないこともいることを前提に)ほとんどの子どもにとって共同体は家族と学校しかありません。その共同体を喪失する決定に、せめてもう2~3日の時間を考えてやれなかったのかと思うばかりです。共同体というのは、思想信条が違おうが、何しようが、関わり合う存在です。私も選挙を通じて、何十年も前の同級生たちにそのことは思い知らされました。

つくづく、今の政権に、権力を動かすことで社会を失う人がいる重みを考える人たちがいるのか、と考えさせられた一日でした。
共同体を突然喪失した子どもたちや、その教員たちに幸あれ、と祈るばかりです。

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2020.01.01

1/1 新年おめでとうございます

新年おめでとうございます。家族の事情でニコライ堂のお参りに行けず、心の中でみなさまによい時代になるようお祈りしています。

今年の特色としては、公共施設がオリンピックの開催地ということで思うように予約できず、連休明けから思うように報告会的なことができない可能性がありそうです。そのなかで、2月下旬の土日のどこかで、会派として、みなさまに予算説明会をしたいと思います。

今年は自らにふりかかる選挙は(今のところ)なく、落ち着いて市民と向き合い、政策に取り組める1年になるかな、と思っています。会派を組んだ同僚議員と、結果を焦らず公正さを重視した行動を続けていきたいと思います。
一方、再来年は年明け市長選で、様々な動きが始まりそうですが、議員として市長からの独立性をきちんと守り、市政における法と正義と人権の守護者として働いてまいりたいと思います。
遠回りだけども、そういうことを積み重ねて、市役所が、政治的にフェアで、人の声に謙虚で、公正で深い思考に導かれた仕事ができる場所にじわじわと変えていけたらと思います。

昨年は、選挙選挙選挙選挙と、最後に私自身の選挙で、落ち着かない一年でした。みなさまにも騒々しい一年であったと存じております。私の選挙では、自分自身に取り憑いたマイナス思考 、支持者の年齢の上昇、低い投票数のもとでの市議選で、望外に得票を伸ばせたことはありがたく思っています。見えるところ見えないところで協力いただいた多くの方に今でも感謝の思いでおります。

人間五十年。昭和の中頃までの平均的な寿命でした。今年はその歳になります。長生きできるようになって、70歳まで現役とされる時代ですが、もう余生に入りつつあるかも知れません。北海道で選挙事務所の門を叩いた1990年から30年も政治に関わっていることになります。そろそろ違うこともできるようにならなきゃ、と思っているところでもあります。

●今年は多くの小売店で正月営業をやめています。たった1日ですが、よいことではないかと思っています。

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2019.10.23

10/23 福祉施設の泥掻きを少しだけ~台風19号被災

朝霞市の地域福祉計画策定でお世話になった、埼玉県立大学の新井先生の声かけで、川越市の「けやきの郷」という障害者の作業施設が水没したことの復旧を少しだけ手伝ってきました。

現状、まず泥をよける段階で、この作業が重労働で、ふだん重たいものを持ち慣れていない仕事の人だと、1~2時間でへたってきます。そんな作業を他の法人の福祉施設の非番の職員たちが、大量におしかけで黙々と朝から夕方まで作業しています。まだ泥を土嚢に詰めて、よけていくという作業が中心なので、一般人も飛び入り参加できると思います。多くの方に参加してもらえたら、と思うような状況でした。
作業着じゃなくても汚れて大丈夫な軽装で、長靴は必須、厚手のゴム手袋はあった方がよい、マスクはあってもなくてもという感じでした。川越墓園わきのボランティア受付で受け付け、施設まで10~15分ほど自力で歩いて向かいます。現地で周囲の手伝っている人に作業内容を聞いて見よう見まねで飛び込みで作業するような状況です。

※熊本地震でも千葉の水害でも何もできていなかったので、近場で応援することができました。

この施設の成り立ちを、帰宅後、新井先生に紹介されました。施設の建設の反対運動が続いたなかで、ようやく開けたこと、障害者たちを危険視する人たちがいるなかで、仕事や作業を作り、障害者たちが自分で何かをすることを地域に求めていったこと、そのようなことのなかから障害者たちの不適応行動が減っていったことなどが書かれています。
現在は、輸送用のパレットなどを作っています。

障害者が集まる場所を作ろうとすると、まだまだ偏見の多い埼玉県内。こうした施設の挑戦には学びたいものがたくさんあるはずです。立ち直ったら見に行きたいと思います。

●災害復旧に多くの人が取り組むなか、選挙の準備作業が続き、ずっと後ろめたい思いをしていました。少しだけその後ろめたさから解放されたような感じがしています。

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2019.07.15

7/15 アウトソーシングで「させる」仕事が増える時代に見るべき映画「ある精肉店のはなし」の上映

昔の関西の下町のまま、牛を飼いながら牛肉を売る牛肉店の日々のくらしを追いながら、人々に必要なものを育て売る仕事をしている人への人権感覚を問う「ある精肉店のはなし」を、市の生涯学習の事業として上映されます。しかも監督の纐纈あやさんがお見えになります。
23日午後から。事前申し込みが必要ですが・・・検索しても出ない。

私たちも生活のなかで、他人にやってもらってできていることがあります。にもかかわらず、その仕事が汚れる仕事だったり、ときに残酷なことをともなう仕事だったりすると、ついつい「させる」対象にし、バカにしたり、そもそも存在しないものと扱ってしまいます。
先日、テレビで羽田空港の清掃の品質を高めている掃除員(中国残留孤児の親族)のことが取り上げられていましたが、その方がプロ意識を遺憾なく見せつつ「中国でも日本でも掃除の仕事は差別されているんだな、と思う。掃除していてもいない存在にされているもの」と言うシーンがありました。私的なある場所の段差を埋めるスロープをつけるときに、関係する人でお金を持ち寄らなくてはならなくて、そのときに反対された方から、「私が重い荷物を上げ下げしたり、車いすを上げ下げするわけじゃないもの、なんで出さなきゃいけないの、運送業者は仕事でしょ」と抗議されたことがあるのですが、そんな感じです。
日本社会でも、地域でも、学校でも、市役所でも、いろいろな作業を自分たちでしなくなってアウトソーシングが進むなか、そんなシーンが多くなったなぁ、と思って見ています。
また、仕事を押しつけるだけならまだしも、トラブルを、発注者責任や発生者責任を引き受けずアウトソーシングしたところに押しつけ逃げ回るような場面も見ます。見苦しいなと思っています。

見る人の多くが、そういうことを振り返る機会になればと思います。

●残念なことがあります。私も推奨したいと思って市のホームページを当たりましたが、残念なことに検索してみても何してみても無くなっていました(15日7時現在)。
何度も口酸っぱく言っているのですが、募集定員がいっぱいになったからと、イベントは終わったからと、公開する意味がなくなったからと、市の公文書にあたるものを消したり削除したり捨てたりするのはやめませんか、ということではないかと思います。特にホームページ上のものはオフィススペースを取らないということで、近年、市が情報提供を集中させているものです。この件は進行中であり、PTA等で動員もかけられていましたから、後で行ったよ、いい映画だったよというときにも必要なホームページの記事ではないかと思います。
他市ではそんな乱暴なことしているかなと思うところです。

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