2021.03.11

3/11 東日本大震災10年

東日本大震災が起きてから10年となりました。犠牲者を悼み、その後の困難にあわれた方々にお見舞いを申し上げます。

戦後の安定期が終わり、しばしば災害に見舞われることが起きるようになり、改めて人々が助け合い、支え合い、いたわり合うことの大事さを確認したいと思います。

市議会議員という立場では、防災や、災後の復旧のための様々な支援を考え抜いて、提起していかなくてはならない立場だと心得ています。

●全国の自治労の組合員が有給休暇を取得してボランティアに入り、現地の自治体業務の支援や、避難所運営支援にあたっていただきましたが、私はその支援者のマッチングとロジスティックで、福島の拠点で仕事をしました。このときに、親族をなくしたり、家を失ったりしながらも、ボランティアの受け入れにあたってくださった、受け入れ側自治体の職員のみなさん、また避難所など協力してくださった方々、現地の自治労関係者の気持ちを今でも重く受け止めています。そんなときなのに、旬の果物を差し入れていただいたことも思い出します。

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2021.02.25

2/24 「何のため」が抜け落ちているワクチン接種の議論

地方議員業界はいま、ワクチン接種の準備が話題です。この議論に噛んでいると、方法論ばかりどんどん些末な議論になっていて、ワクチン接種は何のためにするのか、という議論がどこかいっているんじゃないかと思わせるものがあります。

その背景には、ワイドショーやワイドショー化しているニュース番組の報道加熱があります。庶民感覚に近い、感情に障る問題や、疫学的な問題よりもどう並ばせられるか、という本質論ではない、些末な技術的問題を取り上げれば取り上げるほどチャンネルを切り替えてくれるからです。そういう報道に煽られた発信が、何のためにわざわざ国家的事業で接種をやるか、ということをすっ飛ばして、右向け、左向けと声があがるなかで、声の出る住民の感情を逆なでしないことが最高の仕事の価値になってしまい、自治体の現場は迷走している感じがしています。報道規制ができるわけがないので、実務に携わる人は、横目でそういう報道を気にしつつも、最大の効果が出るように接種の準備を進めるのが最善です。

集団接種へのネガティブなイメージから後ろ向きにとらえ、個別接種中心のやり方がもてはやされていますが、医師会の側が、混乱をしなやかに受け止める腹が団結力をもって決まっていないと、懸念材料が多いと私は見ています。これは何千人もの人を集める仕事をした人でないと、あるいは毎日何万もの物を届けることをコントロールした仕事をしている人でないと想像つかないかも知れません。

そして最近では、中央政界では、1回接種で済ませようかなどという政治の側の思いつきが提案され始めています。こういうのも、冷静に専門家が議論すべき話題です。

こうなってしまうのも、国家的に接種を進めるのは何でやるのか、どのくらいの人たちが接種を終わらせれば次の時代に向かえるのか、ということが共有されていないからだと思います。受付や予約アプリや集団か個別かとか、接種会場のつくりとか、まだ世界的にも使われ始めたばかりのワクチンの副反応を具体的に示せとか、反ワクチン派の存在の是非論とか、傍論とも言えるサービスの細かいテクニカルなことばかりに関心が向くのではないかと思います。

私は、自治体が医師会全体との信頼関係をきちんと構築できるかどうかが、混乱や不成功にならない一番のカギを握っていると思います。そのためには自治体側がきちんとしたグランドデザインを描いて、医師会と根気強い協議が必要です。また接種の人的資源は医師会ですが、接種のオペレーションは、大量の物や人を正確に動かす実務を日々になっている物流業者や、ときには自衛隊などに助言を仰ぐことが必要ではないかと思っています。

あと数日で来月末配布される「広報あさか」のなかに、次号は臨時議会の議会だよりが掲載されます。同じ会派の議員に全原稿を見せてもらいましたが、補正予算の柱であるワクチン接種に関する質疑は、多くの立場の議員から多面的な質疑が行われていて、現時点での市の絵姿が捉えられるよい資料になっていると思います。
ワクチン接種対応で朝霞市はどうなっているの、と思われる方は、ぜひご一読ください。
急がれる方は、youtubeで議場のライブが配信されています。時間はかかりますが、こちらをご覧ください。

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2020.11.25

11/25 直接民主主義の渇望と憂国忌

三島由紀夫がクーデターを企て自殺して50年となります。憂国忌という日です。
秋に、1968年、TBSが全共闘の闘士と三島由紀夫が論争した映像を再構成した映画「全共闘VS三島由紀夫」を拝見する機会があり、議論で浮き彫りになったのは、三島由紀夫が、自衛隊員にも受け入れられなかった右翼クーデターを企てたのは直接民主主義への渇望であることを覚らされてきました。

戦後の民主主義は、民主主義の原理的な理解からは奇妙な体裁をとっており、政治末期の美濃部達吉の「憲法講話」に書かれている標準的な民主主義イデオロギーをベースに、GHQが戦後改革として行った強い民主主義の諸制度をもっています。一方で、実際の運用や個々の制度は、昭和初期・翼賛体制下での総力戦体制のもとで作られた、官僚が企画し官僚が決定する様々な仕組みが並立しています。民は自治がなく要求することを民主主義とし、官は要求にもとづき経済成長の余力をもってよきにはからう体制であったと言えるものです。その制度のもとで、意見集約機構として「国民政党」としての自由民主党だけが政権政党として存在し、労働組合以外のありとあらゆる社会団体の支援と意見集約をうけながら、その政治的安定の上に官僚が調整するシステムを戦後の日本人は所与のものとして受け入れてきたし、それが崩れる複数政党制に実質的に移行しようとすると、政治が不安定になって落ち着かない、ということになっているのではないかと思います。

そうしたシステムの安定と閉塞に対する対抗理論として、民主主義の徹底というのが政治運動になっていくのは必然で、民主党政権から全共闘、三島クーデターまでその志向の延長のなかにいる、ということになっていくのかと思います。

その民主主義の徹底という志向のなかでは、直接的民主主義が、政権交代という中途半端な民主主義や、妥協とかけひきの議会主義より魅力的に見えたり、自己の内面の参加意識をくすぐるものがあって、参院比例区や市議選の大選挙区制では議席を射止めるなど、一定の支持を受けるようになりましたが、人々の内面の政治的興奮とそれによる参加意識がもたらす副作用や毒というものに無自覚なのだろうと思います。そうした直接的民主主義は、より強いもの、より破壊力の強いものを求めていくことになります。
現に、1920~1940年の戦間期には、人々の参加意識におもねることで、戦争は止まらなかった、全体主義が受け入れられたという受け止めをしています。

●直接的民主主義は、そのむきだしの政治参加の欲求から、統治は問題を抱える当事者が求める問題解決より、よりわかりやすい事態打開力となるので、社会的弱者や課題を抱えている社会集団の意思は少数意見としてむきだしの力や疑似科学の前に斥けられることになるように思うところです。また外交政策は先鋭化せざるを得ません。
私が課題を抱える当事者の決定への参加にこだわるので、そうした先鋭化や事態打開力の暴力性から一線を引くことになります。誤解があるといけないのですが、直接的民主主義というより、自己統治として民主主義が機能することは、これからも大事にしていかなければならないと思います。

●一方で、直接的民主主義の渇望から孤軍奮闘している活動家には、左翼であれ右翼であれ、人物的な魅力的なものを感じることが多くあります。三島由紀夫も、今も生きる全共闘世代の人たちも、大いに魅力的な存在です。

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2020.10.23

10/22 連合埼玉の政策要請に同席

22日午後、川越市内で、連合埼玉が、埼玉県西部の自治体の首長に政策要請する項目に関する懇談会が行われて同席してまいりました。

首長の出席自治体は、川越市、坂戸市、ふじみ野市、狭山市、和光市、毛呂山町、副市長の代理出席は朝霞市、志木市でした。

連合からの政策としては
・公共サービス基本条例の制定と公共サービスのチェックを高めること
・自治体発注業務で働く人の賃金を守る公契約条例を制定すること
・協同労働の仕組みを広げる取り組みをすること
・マイナンバーによる自治体事務の改善
・地域公共交通の維持のための助成金を創設すること
・親が養育できなくなった障害者が安心して生活できる障害者福祉を展開すること
・「身元保証等高齢者サポートサービス」に注意喚起を行い高齢者が安心できる施策を展開すること
・介護する家族等(ケアラー)への支援を行うこと
・学校にタイムカードを導入して教員の労働環境改善に取り組むこと
・児童虐待の通告義務を周知・啓発すること
・待機児童解消に取り組むこと
・性マイノリティーに対するパートナーシップ制度やハラスメント対策を行うこと
・悪質クレーム対策に取り組むこと
・投票率向上と投票所の改善を行うこと
などです。1月に改めて各自治体に市長要請が行われることとなります。
新型コロナウイルス対策に関しては折節、機動的に取り組みたいということで外してあるとのことです。

要請事項に関する各市長からの意見はいくつか挙がった後、各市長から政策的な問題提起やアピールが行われています。

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2020.09.09

9/8 思い通りにならないどころか、という時には

議会中なのに関係のない一般論を書きますが、職業人、不遇のときにどう身を処するかということを考えることがあります。

22歳で就職して、入職から4日目ぐらいの研修で、その会社の創業以来の核となる部門の営業部長の話を聞くことがありました。営業部長では2人しか当たらない常務取締役であり出世頭の一人でしたので、ポジティブな話かと思いましたが、与えられた時間いっぱい彼の話は「サラリーマンは不遇のときにどう身を処すべきか」ということに終始していたことを印象に思っています。面白い話やポジティブな話をしていただいた部長さんもいたように思いますが、退職して、さらに20年も経た今でも彼の話だけが頭に残っています。

活躍できているときには、忙しくて何も勉強できない。興味を深めることもできない。サラリーマンは仕事をすればときに不遇のときや面白くないポストがやってくるが、そのときこそ、時間を捻出できるのだから、興味を深めたり、知識を増やしたりする時間に充てよ、それを続けることができた人が、社会環境が変わったり、営業環境が変わったり、上役や部門の環境が変わったときに、ちゃんと活躍の場が見つかるものだ、というお話です。難しい話でも何でもないのですが、長い営業マン人生、嫌なことや、やりたいことをさせてもらえないときや、閑職に追われた時期もあったのかと思いながら聞きました。

もったいないことに私は、その会社を5年で退職してしまいましたが、その後働いているなかで、この営業部長さんの言葉を思い出しながら、時々膿んで腐ることがあっても、やってこれたと思うところがあります。上滑りしやすい20代、30代にイキがらずに鈍牛のように進めたのはこの方のおかげです。

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2020.05.03

5/3 市民生活を守るための立脚点としての憲法

憲法記念日。昨年の改選でようやく本格的な会派を組みましたが、会派名に政党名の一部を入れることに、政党色が着くなという思いはありましたが、立憲主義に違和感があるわけではなくてポジティブに捉えています。福祉政策に対する態度も、昨今の部活や校則などの文科相の見直しに呼応する諸改革も、選挙制度に関する意見も、議会改革も、すべて日本国憲法を立脚点に、そもそも論としてどうなんだと考えるようにしています。

一方で、日本国憲法の限界もあります。
一つは地方分権があいまいなことで、内務官僚鈴木俊一が書いたと言われている、事実上、戦前の統治メカニズムを引きずっている地方自治法にいろいろな制約を委ねていることです。今回の非常時では、国会では盛んに議論された一方、地方議会が議論をしない方向に閉じていき、行政改革の論理に振り回されて機能として不十分なことに、地方自治法の行政優位の制度設計の限界が表出しています。また議会というのは税金の使い道を決める場なのに、地方自治法にもとづく自治体議会は予算編成権もありません。議員どうしが丁々発止で議論して予算をまとめるべきところ、首長におねだりして政策実現する姿は民主主義としてあまりエレガントではありません。
不動産に関しては青天井の財産権が、暮らしや環境を壊している現実があります。これは解釈でいけるかも知れません。他の物件にそこまでの青天井の財産権を認めているわけではありませんから。
衆議院の解散に関しても、行政権力がやりたい放題議会を解散している国なんてそんなにありません。ここも改正なのか解釈変更なのか、普通の議院内閣制の国の運用に落ち着けるべきです。

私は自治労で役所の非正規労働者の運動に関わりましたが、彼らの雇用が行政処分で契約ではないという極めて観念的な行政法学者の解釈によって、労働者としての正当な保護を受けられずにいます。団結権はともかく、団体交渉権すら頭から否定されることもあります。ところが雇われるときには、憲法第15条を持ち出されて、国民の公務員の選任権なんて言って、権利を制限する憲法の条項だけ丁寧に適用したりします。そのなかで雇用の安定や継続性をほとんど無視する法解釈がまかり通っています。時給900円前後でこき使っている人相手に、労務の提供に対する報酬以外に何があるんだと思ったりするのです。このあたりは憲法をちゃんと理解することが必要だと思っています。

一番議論になる安全保障と憲法は、今のところいじる必要はないと考えています。
ただし頭の体操として、日米安保体制がローコストで最大のメリットがあるから、諸矛盾を沖縄におしつけつつも、今の憲法で間尺が足りています。この安定の矛盾が我慢されなくなったり抑圧できなくなったり、またはこれから考えられうることですが、アメリカが国力を落とし、日米安保体制のメリットが担保されないと見えてしまったときに、日米安保をやめるか見直すかとなります。そのときに、今の憲法の9条の骨格・理念は残しながらも、今の9条では間尺に合わないことになる可能性は考えておかなくてはならないと思います。極度の緊張感と負担をもたらす自主防衛論が台頭したときに、どうセーブするかが課題です。

●最近読んで、憲法関連の本で有益だったのは、美濃部達吉「憲法読本」です。1911年、明治憲法の解説の講演をまとめたもので、明治時代にこんなに近代的な法理解を解説していたんだというのに驚きです。戦後、日本国憲法がいかに立派でも、9条以外ほとんど意識されてきませんでした。安倍首相が憲法をおもちゃにするようになって自覚した立憲主義の基本的な認識ですが、1911年にはすでに美濃部達吉さんによって紹介されています。100年近く日本社会は、岩波書店の編集者と一部の研究者以外は忘れ去ってきたんだと思います。

●新型コロナウイルスに「補償と自粛はセット」というスローガンがあります。そのことから市内で財産権をベースにこの演説をした方がおられたようです。ネットでも財産権でこの話をする人がちらほらいます。でも私は間違っていると思っています。
一つは、財産権だとすると、竹中平蔵みたいに何億円も社長収入のある人が自粛させられて儲からなくなったら、国家は毎日その資本家に何百万も補償しなければなりません。逆に一文無しには、一銭も補償しなくてよいことになります。どう考えてもおかしいです。
財産権は、国家の利益のために財産を取り上げることを防止することが目的なわけですから、対価なく歩道整備に土地を召し上げず、正当な対価を払えないときには、歩道整備の土地確保を断念すれば済みます。新型コロナウイルス対策は、補償できないから自粛要請ができないで済まされる話なのか、ということだと思います。自粛を要請するのは人々の生存権を保障しなければならない国家の立場があるからです。
じゃあ補償も何もなくていいのかという話です。自粛にともなう補償は、社会権の話です。竹中平蔵に毎日何百万も補償するのはおかしいけど、自粛で生活が成り立たない人や、事業の継続ができない人を支えるというのは、損失補償じゃなくて、社会権のはずです。 こうした社会権が、何か、利得的な関係性の財産権より下みたいに感じることが、まだ日本社会は、北欧・西欧の先進国に追いつけない理由なんだろうと思ったりします。

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2020.03.24

3/24 小学生のご卒業おめでとうございます

きょう、新型コロナウイルス対策で出席できませんでしたが、市立小学校の卒業式でした。私が子どもの頃は、私学に行く子はごくわずかで、中学校に繰り上がる儀式みたいな世界でしたが、これで地元の子とは別れ別れになる子も今では少なくなく、大事なお別れの儀式になったと思います。

新型コロナウイルス対策による休校の衝撃は、中学三年生より小学六年生の方が、受けた衝撃が大きかったように思います。小学生からも卒業式に関する要望をいただいたぐらいです。当初は開催もどうかという感じでしたが、少し大人たちも落ち着いてきて、儀式ができたのにはほっとしています。
よい門出になりますよう、祈っています。

中学校の卒業式のコメントの繰り返しになりますが、学校にうまくなじめなかった子にとっては、心機一転とする機会になれば、と願っています。まだまだ人生、先は長いです。

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2020.03.13

3/13 中学生の卒業をお祝い申し上げます

きょうは市内の市立中学校の卒業式の日です。卒業生のみなさまと保護者・ご家族のみなさま、ご卒業おめでとうごさいます。

新型コロナウイルス対策で、卒業式の開催も危ぶまれましたが、同級生との別れを惜しみ、思い出を大切にする機会として開催できたことは、よかったと思っています。ただ、来賓はもちろんのこと、育ててきた保護者のみなさまの臨席がかなわなかったことは、私も残念に思っていますが、罹患するリスクの高いより年齢層の高い方や疾患をお持ちの保護者、ご家族がこの場で新型コロナウイルスに感染することのリスクを避けて、後味の悪い思いをしないため、と受け止めてください。私もそのように理解しています。お祝いを、いろいろなかたちで工夫してあげてほしいと思っています。

多くの人にとって、中学時代には、強い思い出と、思想信条・職業・地位に関係なくつながりあえる仲間ができます。そうした仲間とまたいつか再開して、旧交をあたためることがありますよう、願っています。

また中学時代に、つらい、イヤだなと思って過ごさざるを得なかった卒業生にとっては、また環境を新たにし、新たな人々と出会う再出発になると思います。これからも大変なこともあるかと思いますが、次の人生に向けて歩き出しほしいと切に祈っています。

この年の生徒は、小学校1年生の入学も、東日本大震災とそれにともなう原発事故で、生活が不安と混乱気味のなかで入学式を迎えています。そのことも思いをはせながら、ご卒業をお祝いしたいと思います。

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2020.03.11

3/11 2つの災禍のあと

昨日は、東京大空襲から75年、きょうは東日本大震災から9年です。犠牲者を悼み、被害者にはお見舞い申し上げます。
私が子どもの頃、戦争の悲しみを伝えるときには、東京大空襲が必ず出ましたが、直接体験した人がだんだんいなくなり、伝えられることがなくなっていると感じます。戦災孤児への福祉、大規模火災、空襲に対する戦時国際法など、今日にもまだ残された課題はたくさんあります。
東日本大震災では、日曜日のNHKスペシャルで取り上げられた、大槌町職員の被災の話は、もちろん一般市民の災害対策が最重要と踏まえた上で、どれだけ災害後の対応に必要な人たちを守るか、問われてると感じました。

●朝霞市も新型コロナウイルス対応で、弱々しくもしつこい災害に晒され続けていて、いろいろなことに我慢している方々、会いたい人に会えずに我慢されてる方々、ときに内向きな行動が続くなかでのストレス、ときにおきる感染症がらみの社会的バッシングを見ることのストレスなど、たまらない思いをしているし、解決された状態が見えないところに立たされていることに、つらい思いをされているのだろうと思っています。

朝霞市も、新型コロナウイルスが高齢者に重篤な症状を起こすことから、高齢者の多くが通う福祉施設を中心に追加で閉所を始めています。高齢者を施設や病院に入れているご家族には、面会ができなくなって不安な思いをされているのだろうと思います。

一方で、人と人が接触をすることが不安になる環境のなかで、人と合わないと仕事にならない仕事や任務をされている方々に頭が下がる思いです。

出口が早く見えないかな、出口が見えたら一気に世の中を明るくしたい、そんな思いでいます。

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2020.02.29

2/29 突然共同体を失った子どもと教員に幸あれ

昨日は、議案調査の合間に、2日からの閉校の対応に、朝霞市議会において数少ない当事者議員として追われた一日でした。
関係者が一日中会議をしているあいま、情報すら取りに行くなという雰囲気しかないなか、徹夜で運用を検討し疲弊する教育行政当局相手に、情報収集と最小限の圧力で、対応を迫るという鬼みたいなことをしました。それでも、保護者が勤務調整に必要なネット上の情報発信は16時を回り、2日閉校の日程は動かせず、最後の数人の非常勤職員の賃金支払も未確定のまま、この程度ということしかできませんでした。

夕方、知人のネット記事を見て、中学から私学に行く小学生の子どもが、突然、クラスという共同体を失った精神的な混乱が書かれていました。胸を締め付けられる思いをしました。私にとっては、祖父母から聞かされてきた引き揚げと同じ重みがある、当事者にとっては強い喪失感の強いできごとだったと思います。

危険だから小中学校にあすから登校するな、ということは国家権力を動かしているオッサンたちには、「危機管理」や国家統治の上で些細な問題に見えているのかも知れません。自治体の長にとっては大変なことだと思っても任務と考えがちなのかも知れません。
しかし良いことか残念なことか、日本社会は(そうでないこともいることを前提に)ほとんどの子どもにとって共同体は家族と学校しかありません。その共同体を喪失する決定に、せめてもう2~3日の時間を考えてやれなかったのかと思うばかりです。共同体というのは、思想信条が違おうが、何しようが、関わり合う存在です。私も選挙を通じて、何十年も前の同級生たちにそのことは思い知らされました。

つくづく、今の政権に、権力を動かすことで社会を失う人がいる重みを考える人たちがいるのか、と考えさせられた一日でした。
共同体を突然喪失した子どもたちや、その教員たちに幸あれ、と祈るばかりです。

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