2019.10.23

10/23 福祉施設の泥掻きを少しだけ~台風19号被災

朝霞市の地域福祉計画策定でお世話になった、埼玉県立大学の新井先生の声かけで、川越市の「けやきの郷」という障害者の作業施設が水没したことの復旧を少しだけ手伝ってきました。

現状、まず泥をよける段階で、この作業が重労働で、ふだん重たいものを持ち慣れていない仕事の人だと、1~2時間でへたってきます。そんな作業を他の法人の福祉施設の非番の職員たちが、大量におしかけで黙々と朝から夕方まで作業しています。まだ泥を土嚢に詰めて、よけていくという作業が中心なので、一般人も飛び入り参加できると思います。多くの方に参加してもらえたら、と思うような状況でした。
作業着じゃなくても汚れて大丈夫な軽装で、長靴は必須、厚手のゴム手袋はあった方がよい、マスクはあってもなくてもという感じでした。川越墓園わきのボランティア受付で受け付け、施設まで10~15分ほど自力で歩いて向かいます。現地で周囲の手伝っている人に作業内容を聞いて見よう見まねで飛び込みで作業するような状況です。

※熊本地震でも千葉の水害でも何もできていなかったので、近場で応援することができました。

この施設の成り立ちを、帰宅後、新井先生に紹介されました。施設の建設の反対運動が続いたなかで、ようやく開けたこと、障害者たちを危険視する人たちがいるなかで、仕事や作業を作り、障害者たちが自分で何かをすることを地域に求めていったこと、そのようなことのなかから障害者たちの不適応行動が減っていったことなどが書かれています。
現在は、輸送用のパレットなどを作っています。

障害者が集まる場所を作ろうとすると、まだまだ偏見の多い埼玉県内。こうした施設の挑戦には学びたいものがたくさんあるはずです。立ち直ったら見に行きたいと思います。

●災害復旧に多くの人が取り組むなか、選挙の準備作業が続き、ずっと後ろめたい思いをしていました。少しだけその後ろめたさから解放されたような感じがしています。

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2019.07.15

7/15 アウトソーシングで「させる」仕事が増える時代に見るべき映画「ある精肉店のはなし」の上映

昔の関西の下町のまま、牛を飼いながら牛肉を売る牛肉店の日々のくらしを追いながら、人々に必要なものを育て売る仕事をしている人への人権感覚を問う「ある精肉店のはなし」を、市の生涯学習の事業として上映されます。しかも監督の纐纈あやさんがお見えになります。
23日午後から。事前申し込みが必要ですが・・・検索しても出ない。

私たちも生活のなかで、他人にやってもらってできていることがあります。にもかかわらず、その仕事が汚れる仕事だったり、ときに残酷なことをともなう仕事だったりすると、ついつい「させる」対象にし、バカにしたり、そもそも存在しないものと扱ってしまいます。
先日、テレビで羽田空港の清掃の品質を高めている掃除員(中国残留孤児の親族)のことが取り上げられていましたが、その方がプロ意識を遺憾なく見せつつ「中国でも日本でも掃除の仕事は差別されているんだな、と思う。掃除していてもいない存在にされているもの」と言うシーンがありました。私的なある場所の段差を埋めるスロープをつけるときに、関係する人でお金を持ち寄らなくてはならなくて、そのときに反対された方から、「私が重い荷物を上げ下げしたり、車いすを上げ下げするわけじゃないもの、なんで出さなきゃいけないの、運送業者は仕事でしょ」と抗議されたことがあるのですが、そんな感じです。
日本社会でも、地域でも、学校でも、市役所でも、いろいろな作業を自分たちでしなくなってアウトソーシングが進むなか、そんなシーンが多くなったなぁ、と思って見ています。
また、仕事を押しつけるだけならまだしも、トラブルを、発注者責任や発生者責任を引き受けずアウトソーシングしたところに押しつけ逃げ回るような場面も見ます。見苦しいなと思っています。

見る人の多くが、そういうことを振り返る機会になればと思います。

●残念なことがあります。私も推奨したいと思って市のホームページを当たりましたが、残念なことに検索してみても何してみても無くなっていました(15日7時現在)。
何度も口酸っぱく言っているのですが、募集定員がいっぱいになったからと、イベントは終わったからと、公開する意味がなくなったからと、市の公文書にあたるものを消したり削除したり捨てたりするのはやめませんか、ということではないかと思います。特にホームページ上のものはオフィススペースを取らないということで、近年、市が情報提供を集中させているものです。この件は進行中であり、PTA等で動員もかけられていましたから、後で行ったよ、いい映画だったよというときにも必要なホームページの記事ではないかと思います。
他市ではそんな乱暴なことしているかなと思うところです。

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2019.02.28

2/28 あすの予算への質疑の準備中です。

前回の記事から時間があきました。23日の予算説明会にご参加くださった方々へのお礼が遅れて申し訳ありませんでした。インターンで来ている学生からの30年後の朝霞市を考えて10年後にめがけての政策をレビューするというところで意外に盛り上がったのに驚きました。

23日以降、来年度予算案と条例と資料をにらめっこしながら、問題点を洗い出し、エントリする質問項目を洗い出すことに明け暮れていました。また質問項目をエントリすると、答弁原稿を市長に見てもらわなくてはならない市職員たちが取材にやってきてその対応にも追われます。市職員どうしの順番争いも大変で、その整理もまた大変です。もちろん答弁原稿を書いて市長になんだとチェックされる職員たちも同情しなければなりません。
しかし職員の手を煩わせると手を抜けば、市の業務が安きに流れたり、トラブルが粉飾されたり、立場の弱い人に面倒なことを押しつけるような問題が出てくるので、あいつに言われたくないという力学を働かせるために、心を鬼にして臨んでいます。

3月1日に本会議で、5~6日は建設常任委員会で質疑を繰り出します。本会議はインターネット中継や録画公開もされているので、よかったらご覧ください。
1日9:00~の本会議は、最初に予算案に対して、柏谷議員、石川議員、岡崎議員、遠藤議員、大橋議員の次に質疑をいたします。
その後、特別会計では介護保険の予算、条例案では大半の条例案に質疑を行う予定です。

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2019.01.01

1/1 新年おめでとうございます

年が明けました。新年おめでとうございます。
今年も引き続き、活動へのご支援やご理解いただけたらありがたいと思っています。

政治家としては今年は選挙・選挙・選挙の1年になりそうです。
朝霞市に関係するところでは、4月に県議会議員、7月に知事と参議院議員、12月に市議会議員の選挙があります。
その他、統一自治体議員選挙の年なので、朝霞市以外の多くの自治体で市議選、市長選などもあります。近隣では和光市と葛飾区を除く東京23区で議会選挙があります。
政治学で最近話題になっているいのしし年現象というのがあり、地方選挙で疲弊する政治業界が参院選に力が入りきらず、参院選で思わぬところが勝つ、と言われる年です。閉塞する政治業界、流れが変わるかな、と思うところです。
そのなかで、お願いできる支援者にはお願いすることがあるかと思いますが、なにとぞよろしくお願いいたします。
私自身も2019年12月17日で2期目の任期満了を迎えることになります。

市民生活に関することでは、朝霞市では、さまざまな諸計画の策定が始まる1年です。子どもや保育の政策、高齢者福祉や介護の計画、総合計画の後期計画などです。総合計画では、市の施策の枠組みが固められるために、市としてもいろいろな人の話を聞くことができているかチェックしていきながら、問題解決型の施策内容になるかどうかを確認していきたいと思います。
公共交通に関しては、これまでのバラバラな政策展開、個々の事業者との単発の協議申し入れの体制から、総合公共交通会議が設置され、交通事業者、規制当局、自治体、地域団体などと包括的な協議の体制が発足する見込みです。民営バスやタクシーへの働きかけができるようになります。ただ設置してよかった、ではなくて、それぞれの機関が連携して解決しなければならないことが前向きに取り組まれているかチェックしなければならないと思っています。

全員の合意がないと改革ができない朝霞市議会の運営面の改革は積み残しだらけです。包括的な改革はできませんでしたし、選挙を1年前にいまさら合意できることは限られています。小技の話を除き、2期目はこの仕組みのままかなと思いながら、発言する機会は十分に与えられているので、そこを通じて、行政や同僚議員に発見した問題のたねをまきつづけたいと思います。

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2018.12.31

12/31 この一年ありがとうございます

もう年末です。
28日の年末最後の開庁日、今月末で退任となる田中副市長に、ごあいさつに伺いました。ゆっくり遅めではありますが、田中副市長が政策企画室長になって以来、基地跡地の市内の対立を解消し、朝霞市の市民参加や情報公開が進めてきました。そのことの感謝の意を伝えました。

やり残したこどはたくさんあります。
12月定例市議会の一般質問の報告まとめ記事がまだで申し訳ないです。お正月中にまとめたいと思います。

今年は色々なことに自信を失うことの多く、仕事の遅い一年でした。
最近、ようやくその状況を脱して持ち直しつつあり、一緒に作業した仲間から励ましの言葉をいただいたり、おしゃべりをしながら進むべき方向が見いだしたりできたりすることができてきました。人と話していくということが、何よりも力になったように思います。

こうしたことにおつきあいくださった方々には本当に頭が下がります。感謝しています。
また、静かに見守って応援してくださる有権者の方々にも感謝しております。
そんなことを感じる1年でした。

●昨年後半ぐらいから、本や新聞、資料などを読む集中力が続かず、テキトーなこと言っているのではないかと自分でイライラすることが多くありました。老眼だということが判明し、夏にはオーダーメイドで老眼鏡を作りました。このことで欲求不満のかなりが解決したように思います。

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2018.11.11

11/10 ごみステーションの作業をしました~朝霞の森秋祭

20181110asakanomori_akimatsuri毎年11月第二土曜日に開かれる「朝霞の森秋祭」のごみステーションの主担当として、子どもの保育園時代の父親仲間と協力してきました。

今年も、参加者自身による徹底した分別収集のご協力で、ごみ排出量を90㍑袋で12袋、ペットボトル3かご、缶1かごに収まりました。これは月曜日にクリーンセンターに搬入されます。
なおこの分別収集は、再資源化が不可能なごみが多いために再資源化ではなく、ごみ処理施設に搬入する車両の積載量の限界におさめるために取り組んでいます。
月曜日にクリーンセンターに持ち込みされます。

本来はごみはお持ち帰りを、とお願いしたいのですが、原則的な対応をしていると放置ごみが出て、夕暮れより後にごみ拾いをするのは不可能、と判断して始めた作業です。

P_20181110_1451031昨年2000人の参加者は、今年はどう少なく見積もっても4000人、多い人で1万人という声もあるほど、多くの方にご来場いただきました。主催者側の一翼を担う者として楽しんでいただいたのなら、心底ありがたいです。

100円焼きそばに長蛇の列ができたり、参加者にもお待たせするような場面がありましたが、ごみ排出でもひっきりなしに作業が続いたりして、今年は作業の質が全く変わったというのが、多くのスタッフたちなどの感想でした。次に向けてのやり方の改良がまた必要だと思いました。進化しつづける広場です。

ごみステーションは、いろいろな人とおしゃべりできたり、人間観察できるのが楽しみな作業です。

●運営に関わった多くの市民の方も苦労されたと思います。主催者とともにねぎらいたいと思います。楽しいと思っていただいた参加者や、こうしたら、と思う参加者は来年以降は、運営委員会のスタッフとして参加していただけるといいなと思いました。

●市のHPや運営委員会HPでは記録できないのでご紹介します。公職関係では、確認した限りですが、穂坂衆議院議員、醍醐県議会議員、岡崎市議、斉藤市議、山下市議、福川市議、松下市議、石川市議がご来場くださいました(掲載もれがあったらごめんなさい)。また行政からは田中副市長から開会のごあいさつをいただき、三好教育長も来ていただきました。

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2018.10.24

10/21 勤労者の声を伝えていかなきゃ

労働組合関係の予定が続きました。市内行事の参加の間をぬって、出席してきました。
こうした会議や行事に参加しつつ、労働組合の職員を出自にもつ議員として、連合にとどまらず、あらゆる勤労者の将来不安を取り除くことに取り組んでいくことを自己確認してまいりました。市内に労働組合があるような職場が少ないベッドタウンでは、勤労者住民が多いのに、勤労者代表の議席がなかなかつくりにくいところがあります。保育所や放課後児童クラブの整備は加速されてきましたが、勤労者の声を伝える立場としては、まだまだあ朝霞市政には課題は多いと思っています。

20181019jichiro_saitama_78_119日、午前中は出身の自治労の埼玉県本部の定期大会に招かれました。昨年は総選挙とぶつかり、来賓がほとんどいないなかで、山本まさの県議とともに長めのあいさつをする機会をいただきましたが、今年は、自治労本部川本委員長や、相原くみ子参議院議員、連合埼玉副会長など多数の来賓がおり、紹介にとどまりましたが、ロビーで様々な方々と意見交換する意義は高くありました。
同世代の保育士出身の県本部書記長(事務局長役)の奮闘も垣間見ることができました。がんばれ、と思っています。

20181019rengo_seibu午後は、連合埼玉西部地区の市長・町長との懇談会に立ち会い出席いたしました。連合が、各自治体に政策要請する前段の意見交換の場です。
議員として出席して、他市長の戦略を伺うことができて有意義でした。交通にいまいちな自治体ほど、いろいろ考えておられると思いました。朝霞市からは田中副市長が出席し、ふるさと納税の流出に困惑していることと、東京オリンピック関連のシティープロモーション、市の発注事業に従事する全従業員の賃金調査を開始していることなどの紹介がされました。

21日午後は、連合埼玉に推薦受けている議員でつくる議員団の会議がありました。近藤連合会長からは、連合への取り組み報告をきちんとすることで連携強化する強い意志を感じるコメントがされました。後座で、統一自治体選挙を控え、日々のインターネット活動の講演があり、参考にしつつ反省点もありました。

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2018.08.16

8/15 終戦の日に祈りつつ今の時代のおかれた状況を考える

終戦の日、旧総評系の平和フォーラム主催の戦没者追悼式に参列してまいりました。私の祖父母世代は、中年世代として戦争の災禍をくぐり抜け、一方は青島からの引き揚げ者として戦後の混乱を体験、一方はみなし軍医として徴兵されています。
背中合わせだったことを振り返りつつ、なおも過酷な思いをされた人たちに思いをはせ、お祈りをしてきました。

2年前、夜学の大学院に行きながら、マンションの増殖を検討しながら「ベッドタウンシステム」を考える機会を得ました。
私たちが当たり前のように考えている、職住の極端な分離によるベッドタウン、通勤電車、工業化による雇用労働の定着、プロ野球の誕生、社会民主主義・無産政党の躍進、専業主婦の発生、理想の子育ての大衆化などの現象は、1935年頃から広がります。
1945年8月15日正午から新しい日本が始まったという認識が強くてそれ自体は否定しきれないのですが、社会システムの変化としては、1935年ぐらいから始まったと捉えて、1992年からのバブル崩壊はその終焉であり、その後は新しい社会システムへの変化に向けて動き出しているとみるようになってきました。
戦後改革の多くは、1935~1945年にかけて、新しい時代に必要とされた官僚の制度設計の積み残しをGHQやニューディール政策の理論をひっさげたGHQの一部が採用して推進していったものが少なくありません。

そうした社会システムの変化と、官僚と軍人と農家ばかりを前提にした社会システムとの矛盾は、先の大戦によって何もかも破壊し尽くされて可能になった、という情けない経緯を持ちます。それくらい固定観念や、自分と違う暮らしや生き方をしている人にあわせて変えていく寛容さや他者への敬意というのは、持ちにくいものです。
バブル崩壊で1935年から続いたシステムは変更を求められていると思います。その不安定ななかに私たちは生きているなかでの、また再び社会混乱と結びつきやすい環境におかれているのだと思います。
そのときに、暴虐の政治や、戦争という手段で乗り越えない、こらえ性が試される時代に入っているのかも知れません。

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2018.06.18

6/18 震災にお見舞い申し上げます

大阪北摂地域を中心に、大きな地震に見舞われています。被害が大きくならないことをお祈り申し上げます。
残念なことに死者が出たようです。お悔やみ申し上げます。

●北摂地域には議員の知人が多く、現場で奮闘しているのだろうと想像しています。落ち着いたら、そのときどうであったかお伺いして、役立てたいと思います。

●犠牲者の1人が学校施設によるものと聞きました。これから朝霞市内の小中学校の状況について確認していきたいと思います。
本当は通学路全般を点検できるとよいのですが、民間施設などは働きかけることしかできないと思います。
それでも、通学生の保護者は、スクールガード活動や、各学校のアンケート調査などが行われているかと思いますが、そこを通じて危険箇所の確認と集約をしていただけたらと思います。

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2018.06.01

6/1 東上線の通勤電車化の遺稿が復元へ~ときわ台駅修復

ときわ台駅が改築しているというので心配していたら、むしろ復元されました。いたばしTIMESさんより。
日頃東上線の貧弱な投資に、ここにお金使うなら、とざらっと思うところもありますが、でも、東上線沿線の人口増や街の姿を作り替えてきた、通勤電車化の第一歩となった貴重な遺構として、こうして保存してくれることを喜びたいです。

東上線が、新河岸川の川運の近代化として汽車による物の運搬をしていた鉄道から、東京圏の通勤輸送の電車に切り替わったきっかけが1935年ダイヤ改正。このとき開設されたのがときわ台駅。そしてときわ台の住宅地の販売を鹿島建設が始めます。鹿島出版社による「郊外住宅地の系譜」では、戦前最後の住宅地開発で、東京圏では初めて電気ガス水道完備で開発された住宅地です。

この頃、日本社会としても産業化が進展しはじめ、賃金労働者がまとまった数で出てき始めた時代です。
1937年には賃金労働者の増大を背景に社会大衆党(日本社会党の原型になる政党)が、東京、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡の大都市の選挙区を中心に議会進出を果たします。

ときわ台の住宅開発と駅開設を機に、上板橋までの複線化を進め、東上線は、池袋とときわ台の次の上板橋の間で日中10分間隔、成増までが20分間隔、志木までが40分間隔の定間隔運転を開始し、現在と同じ池袋・志木間を27分で運転しています。
その時刻表は、朝霞市博物館に寄贈されて保存されています。ときどき何かがあると公開されています。

賃金労働者という「大衆」の出現により、レジャーも必要とされ、その結果朝霞市に作られようとしたのが根津公園であり、その土地が戦争によって基地になっていって今があります。

東上線は戦中戦後の混乱を経て、1960年頃から高度成長とからみあいながら東京が膨張するなかで、再び通勤電車化が加速します。朝霞市や近隣市の人口爆発が始まるのが1960→1961年の人口増から見られます。ラッシュ時に、複線の限界の運転本数と言われる1時間24本に達したのが1963年。その後は4両、6両、8両、10両と車両の増結と24本から29本への微増発と車両の高性能化でしのぎ、本格的な通勤地獄の解決は、1982年の営団地下鉄有楽町線の成増開業まで待たなくてはなりませんでした。

●こうした歴史は、鉄道マニアの記録や、東武博物館の館長などの記録で残っています。朝霞市博物館でも一昨年、東上線100周年として企画展示を行っています。
問題は、沿線自治体で都市がどのように通勤者を当て込んで住宅や都市の開発が進められていったか、そこにはどういう住民との関わりがあったのか、それが気になるところです。折しも社会で公文書管理に関心が持たれていますが、今は何とも思っていないことが、振り返ったときに検証できなくなっている危険性がないとは言えません。
例えば、朝霞市ではなぜ、東上線沿線の近隣市のように米軍基地跡地に大規模団地が誘致されなかったのか、都市計画のゾーニングはどんな経緯があってこうなったのか、検証できるのでしょうか。人口2万人の時代までの歴史しかわからなくなっている可能性は否定できません。

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