2/19 しんけんつらい訃報
市長選の結果のショックを解消できずにいます。
そのなか、きのうまで一緒にいた仲間である小池貴訓議員が18日朝、急死したとの訃報を受けました。
めいっぱいのお悔やみを申し上げます。そしてお礼と悲しみの気持ちでいっぱいです。
亡くなる前日、つまり負けた開票日の翌朝、雑踏に立つ私に、SNSで退行的な考えを書いたものを見て「くろかわさんがダメなんかじゃない」と一所懸命励ましてくれたことへのお返しがまだです。その後、キリのよいところまでと、駅の反対側のみんなとの合流が遅れたら、私がどこかに行ってしまったのではないか心配して、小池さんはわざわざ迎えて迎えに来てくれました。
その後の合同演説会の小池議員のマイクの言葉は見事でした。
それが最後の別れで、24時間もたたない後に再会できなくなったことに、ショックをうけています。
5年前に初めて議会に来てくれたときには、野党議員の生命線である質問時間の刈り込みばかり言ってくるので、正直、苦手でした。
しかし、最大会派のなかで、私に話をしてくれるようになった最初の方の議員だったと思います。私の控室が入口に最も近いところにあるので、いつものぞいていって、話を一つ二つ置いていってくださるのが楽しみでした。
「敵を愛せ」という言葉があります。小池さんの行動様式でした。しなやかで、いろいろな人をきちんと観ていて、間接の軟骨のようにいろいろな人のつなぎ役になってくださっていることとにふれ、人なつっこくしてくださることに感銘を受け続けました。
市議選での結果に続き、市長選の準備で自信喪失している私に、小池さんは「くろかわさんはわたしがもっていないものをもっている」と言ってくださいましたが、その中身を聞かせてもらのうことはないままでした。
むしろ小池さんこそ、私にできないことばかりもっています。
今の市議会、議長経験者級の議員と新人議員ばかりで、数少ない中堅議員として、新人と長老の間に入って、持ち前の柔らかな話し方と、柔軟性で、いろいろなことを調整してくれました。最もコミュニケーションが難しい議員にも、信頼関係を勝ち取ってくるような人でした。
議会だよりをナントカ改革しようとして、編集委員長のときに研修予算をつけて、道筋を私に託してもくれました。3月10日に初めての技術研修をします。
今回の市長選でも、小野寺陣営についてくれなさそうな人を招いて、力ある人を引き込んでくれました。
今回、ウグイスをしてくださる小池さんの配偶者と3回、選挙カーでご一緒しました。降りてからご夫婦と一緒に話をさせてもらいましたが、楽しくて幸せなご夫婦でうらやましかったです。いつまでもあの感じが続いてほしかったです。
急にこのようなことになるとは思いもよりませんでした。
守り切れなくて申し訳ない思いばかりです。
小池貴訓さん、
天国から私たちの街を見守ってください。
●市民に希望も見せられず、無為に市議会に置いてけぼりになり残って生きていることが、しんどい日々でもあります。