4/20 故村山富市元首相のお別れ会に参列しました
半年前に亡くなった村山富市元首相のお別れの会に参列してまいりました。
私の前職の自治労の組合雇用の職員出身の政治家大先輩であり、父の故郷・大分県で初の天下取りした英雄です。ムヒカ大統領ではないけど、無理せず背伸びせず、借りを作らず次の時代に道を拓く機会にその担い手が回ってくる政治家でした。
永遠の秘書官という古田元岐阜県知事のあいさつのなかで「ナポリサミットでのクリントン大統領との会談は大成功だった。社会主義者の政権と酷評を聞かされていた大統領が、様々なテーマを予定以上の時間で話をして強い信頼関係ができた」という言葉が、GHQにも期待されたのに失敗た戦後の社会党政権も挽回するような話でした。
ご遺族のあいさつの、富市さんの妻の代役や秘書のようなことをしてきた娘の中原ゆりさんの話が心を打つものでした。「お父さんは怒らんのかと聞きましたが、怒ってもいいことなかろう、怒ると自分も傷つくじゃろ、といわれた」「人が失敗したときには、その弱みをつくのではなく、よりそえ、弱さによりそうことが信頼関係だし、話を聞いてやれ」などなど。昔から「怒らんかったのか」と聞いたら「訓練したんじゃ」とも答えたそうです。退職後も大分で生活するなかで、様々なことを人任せにしなかったのも「自分のことは自分でせんと」と言っていたそうです。
政治の定石とは違う信頼を大事にしたことが、歴史の評価に耐えうる変わった政権だったんだな、と思うことばかりです。
●私は2回お目にかかったことがあります。
1度目は、出張中の新幹線車中でお会いしました。
2度目は、自治労の長野大会(2000年)、首相も議員も退職して、SPがつかないなかで、地元県警から若手職員の警備(弾よけ)をつけてくれと要請されて、同僚とともに務めました。終了後、飲み屋さんの座敷で「ご苦労さん」と食事をしながらよもやま話をしました。
大分が初めて出した首相だったので、自治労に転職した直後、大分に帰ったときに、親戚の店の営業に同行し、叔母に「村山さんところの会社に入った甥なんよ」と紹介とされて歩いたことがあります。
●村山談話という成果については、多くの方が語っていますが、私も同感です。アジア諸国と対話をする信頼関係のベースを創ったものです。こを踏襲していることが、アジア外交の安定に寄与しているものだと考えています。
●平和・外交以外成果が語られていませんが、市民、有識者、官僚、議員で創った介護保険制度のキックは村山内閣です。これがなければ、東京23区以外、嫁がジゴクの思いをして介護していた時代が続いていたと思います。
●権力というものと、どのように向き合い、何のために使うのか、考えさせてくれる存在です。
●私も怒らないように訓練中ですが、とてもとても村山さんの人格にはたどりつけません。
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