1/14 ひどい衆議院解散
週末、突如、高市首相が衆院を解散するという話が流れ出した。理由は不明確です。
しかも、言い出した本人は何もいわずに外交兼ねた帰省で国に帰って、誰も真意がわからないで混乱し続けています。
その選挙日程も、できるだけ論争をさせず、候補者を立てさせさせず、目くらまししてチャッチャを済まそうと、2月8日投票、1月27日告示という日程を設定しようとしています。解散は23日にしようということですから、そこからでしか各地の選挙管理委員会は具体的な事務ができません。各議員が選挙区帰って書類を準備して、供託金を払って、27日朝までに届出書類を準備したり、ポスターやビラをチェックしてもらわなきゃならない、というとんでもない障害物レースが待っています。
選挙って、ただ拡声器でわめきちらして、投票させて、議員を作ればいいものなのでしょうか。
私はこれまで首相による一方的な衆院の任意解散は憲法違反の疑いがあり、と書いてきました。
憲法のどこを読んでも、首相を選任する衆議院を、選ばれる側が勝手に解散してよいとは書いてありません。戦前の天皇の大権を抑制するために「内閣の助言にもとづき」と書いてあることを利用して、天皇の名前を使って勝手に解散しているだけです。
憲法学も、首相の一方的な解散を認める学説(7条解散説)が主流ではあっても、今回のように国政が行き詰まっていない、大きな政策変更があるわけでもない解散など認めた学説はごくごく少数の異端です。
あえて解散が容認される事情を言えば、国民民主や維新の踏み絵的な条件闘争が国難でそれに振り回される政局を打開するため、ということでしょうが、そんなこと記者会見で言えるのでしょうか。
解散・総選挙が乱発され、そのことで、国政は落ち着いて妥協を探ったり、合意形成をすることができなくなっています。わかりやすいけども体系の位置づけも根拠もない放漫財政しか呼ばない目くらましみたいな政策だけが「これなら○○党は選挙が勝てる」という政治業界人&熱烈な支持者の声に振り回されて、国政は混乱し続けています。
対決より対案などという言葉が流行りますが、いつ選挙があるかわからないような政治で、選挙で埋没してしまわないよう対決わけです。合意形成をしたければ、議員を勝手にクビにるすことは滅多にしない、という信頼が不可欠です。
対決型政治のなかで、大衆を慰撫するために使われる財源となっている赤字国債の利率はじりじり上がり続けて、利息だけで税収の4分の1が持って行かれるような状態です。
首相の任意解散権のモデルは英国議会にあると言われていますが、英国議会は解散を乱発していません。政局が行き詰まったときだけです。
英国では、下院の解散権は王権に属し、最終的な王の裁可がなければ解散できません。日本の帝国憲法のような失敗をしていないので、王は首相の解散の提案を拒否することも、不可能ではない、という近代前のルールが残るなかで、国王に拒否されるような解散は国王に持っていけない、という微妙な緊張関係があります。日本のように天皇の名前を首相が使いたい放題で解散する、などということではありません。
「解散権は首相の専権事項」などという言葉がありますが、まともな民主政の国でそんな運用しているのでしょうか。さらにはこの言葉の裏には、首相は、国会や国民を騙しても構わない、それが権力や政治というものだ、という悪い開き直りも感じる言葉で、下品そのものです。
●市役所のなかは今回の解散報道をめぐって職員たちがピリピリしています。補正予算を作るところから始まる、自治体の国政選挙の負担、とくに今回はタイムスケジュール的な負担がたまらないものになっています。
●首相が人を弄ぶようにきちんと意思を伝えないために、官邸官僚たちの勝手な情報に全国の選挙関係者が振り回されて、後からとんでもないことにならないように先回りして仕事を始めています。そのことが行政のガバナンスをおかしくするものだ、と考えないものなのでしょうか。戦前の現場で戦線を拡大していった軍部と同じことさせられているのです。
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