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2026.01.23

1/20 高市早苗は旧不敬罪である

夜に高市首相が解散の意思を表明した。マスメディアに情報が出て、1週間も放置したことは、政治を混乱させてとんでもないことである。メディアに出た直後に、真偽を明らかにすべきだったと思う。誰が指示したのか、1月12日には、総務省から選挙があるもしれないから準備せよ、などという事務連絡が発出された後、なんの意思表明もなく19日の、終業時間後にやって意思表明した。23日に解散し、各地の選挙管理委員会は正式に選挙の事務に入り、土日を挟んで27日に立候補受付など一連の手続きが、立候補妨害と言われないようにできるようにするためにとんでもないことをしてくれたものである。

改めて憲法を読むと、衆議院解散のトリガーは、憲法第69条によって衆議院か不信任を可決したときに、対抗として行うことだ。それ以外は何も書かれていない。あとは自然法や超法規的な権力の確定、権力の空白の予防みたいな議論しかできないが、現実に解散権が行使されて今さら違憲と言えないから、7条解散説として様々な理由づけをしている。憲法第7条は、衆議院の解散を天皇が国事行為としてできることが規定している。この意味は深い。三権分立の考え方からは衆議院に対して内閣を上位においてはならないなかで、解散を誰の名前で行うか、としたときに、欧州の立憲君主制の国と同様に、天皇の名で行うことにするのが妥当というものだろう。

自民党は解散権を「首相の専権事項」などというが、専権という点で厳密にいえば天皇にあり、憲法でその権限は、内閣の助言ということで立憲制のもとで抑制されているというのが正しい姿である。
高市首相が解散についてできることは、天皇に助言するまでで、専権などというのは不敬もほどがある、ということになる。
最近の右派は、権力をごちゃごちゃ言う人を無視して使うことが、愛国心みたいな話にしたがるが。そのなかで高市首相を礼賛する余り、不敬の領域に入っているということである。
そして、解散を天皇に助言するとなれば、きちんと国民に向き合って、意思表示を早くするべきもの。解散情報を1週間半も弄んで、選挙事務にあたる全国の自治体職員、選挙の準備にあたる政治スタッフを、本当にあるのかどうかということでやきもきさせるのは、愛国心のある人のすることではない。また、受験や雪害や年度末に向けての時期で様々なリスクのあるこの時期への想像力がなさすぎるとんでもない判断である。

英国でも首相による解散権の自由があるが、それでも国王からの不裁可のリスクと背中合わせであり、合理的な理由を国王に説明し尽くさなくてはならない。さらには解散の自由を制約する法律もある(EU加盟をめぐる保守党の混乱の打開以来、現在、無効化されている)。ほぼありえないことであるが、不裁可ともなれば、議会制民主主義の危機ということになるのだろう。日本の解散権を乱発してきた首相たちは、天皇に対するこうした敬意があったとは思えない。好き勝手に天皇の名を使って、議員の身分を奪ってきた、と言える。

また解散理由の高市内閣に代わって信任を受けていない、などと言うが、議員内閣制がわかっていない。議員内閣制のもとでは、議会選挙の結果をうけて、議会構成によって首相を指名して、内閣を構成する。したがって、予め首相になる人を決めて信任投票的に選挙をやるものではない。それが本当なら独裁国家と変わらない。
一党支配の長期政権のもとで、選挙の前に首相が決まっているような文化が強いが、そんなことは世界的に例外である。首相を指名するのは国会であって、選挙ではない。
属人的に政治指導者を崇めたり既存したりするけど、議会をバカにする政治文化、議事を重んじないインスタント社会のなかで、機知に富んだ判断ができず、制度開発ができず、現金的なものをばら撒く技合戦しかないここ数年の国政である。

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2026.01.19

1/18 会派の新年会にご参加・ご関心に感謝を申し上げます

昨日は、市議会立憲歩みの会の新年会に支持者のみなさま来ていただいて感謝しています。また来られなかった方でも関心を持っていただいた方には、会場でありませんがありがとうございます。昨年2月に市長選にチャレンジした小野寺のりこさんのご参加と激励、本田議員が参加しているダンスサークルのダンス披露、参加者どうしの歓談をしました。
立憲民主党所属の本田議員からは、新党は新党として、市政での関わり方は会派の綱領どおり進んでいく、と説明があって、参加者のみなさんはほっとしていました。
代表した私からは、2025年前半は市長選とその余波、後半は議会内での様々なできごとで本当に苦労し支持者のみなさまにご心配おかけした、事も楽な1年ではなさそうだけれども、みなさまに見守られていきたい、と申し上げました。

17日は情報収集と翌日の新年会の準備、いろいろなことがあったので精神的な休養を取りつつ、最近購入した本を読み進めました。

18日、新年会の前には医療的ケア児の支援の学習会。県内の関心ある自治体議員や当事者のご家族とともに、自治体施策でどこに穴を埋めたらよいのか、ということの点検をしました。
自助グループからホームヘルプを事業化した越谷の事業者の方が、制度化が進むと当事者などの横串の問題解決力が低下していくのが課題だ、と言ったのが印象的でした。PTA改革で、真っ先に加入脱退自由が議論されるようなことが象徴的ですが、非制度的な連帯が困ったことなしにできない社会が作り出す孤立は、これから出てくる課題、と思いました。

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2026.01.16

1/15 国会は国会、市議会は市議会です

14日夜に朝日新聞速報で、立憲民主党と公明党が合流する、というニュースが流れ、15日の両党の会議で、そのことが決められてしまいました。ステークホルダーに前触れもなく、こんな簡単に組織って変えるものなのだ、という衝撃とともに、これまで私自身、国政選挙のたびに応援をお願いしてきた関係で、応援していただいたみなさまには、その衝撃を察するに、申し訳ない思いです。みなさまの国政への思い・願いをどう伝えていこうかと思案し続けているところです。

私はこれまで、前職では民主党に近いところにいましたが政党籍をおかずにきました。2017年に民主党の名称変更である民進党が空中分解し立憲民主党ができてからは、党籍を持たずに国政選挙では立憲民主党を基本に応援し、6年前からは立憲民主党籍のある本田議員と市議会で会派「立憲歩みの会」を組んできました。そのようなことから、私たちの行く先にも多くの方に心配をいただいているのではないかと思います。

今回の合流も衆議院議員だけということなので、朝霞市議会では引き続きそのままの会派構成で進みます。

公明党さんとは福祉や衛生、学校教育、社会教育などの政策、議会運営の改革では多くの共通する問題意識を持っています。一方で、現市長を積極的に支える責任を負う公明党と、前の市長選で対抗する候補を応援しチェック機能を担っている私ども「立憲歩みの会」とでは、市政に対する議場での役割は大きく異なります。そこは引き続き継続していくべきだと思います。また市議会ですから、支持者である朝霞市民との距離感でいうと、国政の変化にあわせてころころ変えるべきものでもありません。
引き続き、朝霞市議会の「立憲歩みの会」と「公明党市議団」はそれぞれの役割で、市政が最大の効果を出せるように奮闘していくことになろと思います。

●公器である野党第一党が、党員やサポーター、所属自治体議員への組織内討議も、ステークホルダーへの予告もなく、合併したり解散したりするものなのでしょうかね。北海道拓殖銀行や山一証券でさえ、前触れというものがありました。
前職が労働組合の事務局だったので、組織の合併・解散というのは総会の手続きを経るものだと習ってきましたし、最初に応援した日本社会党は、政権政党になるための党改革と新党運動は、党員や地方の友党関係者、一般国民相手にも何年も議論して進んできたものだと思っています。しかし、今回、党大会もなく新党に移る話をし、両院議員総会という国会議員の会議だけで決めて、個々の議員が離党して新党に行く、という毎度の「自己責任論」での処理をしたわけです。「党首選挙への選挙権が得られますよ」と党員拡大をしてきた同党ですが、大事なときこそ党首選も党大会もせず、両院議員総会だけで決めてしまう、というのが組織としての問題です。これは民主党からの習い性です。
突然発表できた秘密を守られた、ということがネット言論空間では評価されているみたいなのですが、営利企業のような私的財産でもない世界で、それが評価点なのでしょうか。そのぐらいマスコミに見放されていたということではないのでしょうか。

●この件については寝耳に水の、多くの国会議員たちも混乱しているようです。今現在、党首も幹事長も、ステークホルダーに向けたメッセージは何も出していません(何党が主体なのかわかりませんが、衆院選の候補者募集のSNS投稿はしていますが)。枝野幸男さんのツィートが最も誠実に対応していると思います。
枝野さんは、高市政権の暴走と、「リベラル」の「のれん」が政治的な攻撃対象の旗印にしかならないなかで、それに対抗していかなくては、経済も平和もおかしくなるのではないか、と考える立憲民主党と公明党が共闘していかなくては、日本政治がおかしくなる、という問題意識はよくよく理解できます。そのなかで改めて立憲民主党が大事にしてきた人を大切にする政治の価値を残していきたい、という表明です(このブログの続きを読むに転載しました)。

●国政公明党がこうした決断をしたのは、すごいと思っています。
同じく組織政党である社会党も共産党も、党勢やイデオロギー的影響力が低下しているのに、ほとんど改革できずに、今に至って自然消滅の危機に立っています。(社民党は立憲民主党に合流という組織判断をしていますが、それでも完全なかたちではありません)。得票数の低下の始まりの段階で、危機意識を働かせて合流という判断をしたことになります。

●すぐやってくる国政選挙ですが、埼玉4区内はよほどの情勢変化がない限り、既定の選挙協力での協力を行うつもりです。
これまで熱心な支持者にもご協力をお願いし、その依頼はしますが、おそらく、組織アノミーを起こして、今までどおり十分の協力は得られないのではないかと思っています。
比例区については、現在、白紙です。これまで党籍もないのに、これまでの政治行動への誠実さと、日本政治のためと見返りも求めず一方的に応援してきました。勝手なことやって、謝罪も説得も来ないところを応援すべきなのでしょうか。迷うところです。

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2026.01.14

1/14 ひどい衆議院解散

週末、突如、高市首相が衆院を解散するという話が流れ出した。理由は不明確です。
しかも、言い出した本人は何もいわずに外交兼ねた帰省で国に帰って、誰も真意がわからないで混乱し続けています。

その選挙日程も、できるだけ論争をさせず、候補者を立てさせさせず、目くらまししてチャッチャを済まそうと、2月8日投票、1月27日告示という日程を設定しようとしています。解散は23日にしようということですから、そこからでしか各地の選挙管理委員会は具体的な事務ができません。各議員が選挙区帰って書類を準備して、供託金を払って、27日朝までに届出書類を準備したり、ポスターやビラをチェックしてもらわなきゃならない、というとんでもない障害物レースが待っています。

選挙って、ただ拡声器でわめきちらして、投票させて、議員を作ればいいものなのでしょうか。

私はこれまで首相による一方的な衆院の任意解散は憲法違反の疑いがあり、と書いてきました。
憲法のどこを読んでも、首相を選任する衆議院を、選ばれる側が勝手に解散してよいとは書いてありません。戦前の天皇の大権を抑制するために「内閣の助言にもとづき」と書いてあることを利用して、天皇の名前を使って勝手に解散しているだけです。

憲法学も、首相の一方的な解散を認める学説(7条解散説)が主流ではあっても、今回のように国政が行き詰まっていない、大きな政策変更があるわけでもない解散など認めた学説はごくごく少数の異端です。
あえて解散が容認される事情を言えば、国民民主や維新の踏み絵的な条件闘争が国難でそれに振り回される政局を打開するため、ということでしょうが、そんなこと記者会見で言えるのでしょうか。

解散・総選挙が乱発され、そのことで、国政は落ち着いて妥協を探ったり、合意形成をすることができなくなっています。わかりやすいけども体系の位置づけも根拠もない放漫財政しか呼ばない目くらましみたいな政策だけが「これなら○○党は選挙が勝てる」という政治業界人&熱烈な支持者の声に振り回されて、国政は混乱し続けています。
対決より対案などという言葉が流行りますが、いつ選挙があるかわからないような政治で、選挙で埋没してしまわないよう対決わけです。合意形成をしたければ、議員を勝手にクビにるすことは滅多にしない、という信頼が不可欠です。
対決型政治のなかで、大衆を慰撫するために使われる財源となっている赤字国債の利率はじりじり上がり続けて、利息だけで税収の4分の1が持って行かれるような状態です。

首相の任意解散権のモデルは英国議会にあると言われていますが、英国議会は解散を乱発していません。政局が行き詰まったときだけです。
英国では、下院の解散権は王権に属し、最終的な王の裁可がなければ解散できません。日本の帝国憲法のような失敗をしていないので、王は首相の解散の提案を拒否することも、不可能ではない、という近代前のルールが残るなかで、国王に拒否されるような解散は国王に持っていけない、という微妙な緊張関係があります。日本のように天皇の名前を首相が使いたい放題で解散する、などということではありません。

「解散権は首相の専権事項」などという言葉がありますが、まともな民主政の国でそんな運用しているのでしょうか。さらにはこの言葉の裏には、首相は、国会や国民を騙しても構わない、それが権力や政治というものだ、という悪い開き直りも感じる言葉で、下品そのものです。

●市役所のなかは今回の解散報道をめぐって職員たちがピリピリしています。補正予算を作るところから始まる、自治体の国政選挙の負担、とくに今回はタイムスケジュール的な負担がたまらないものになっています。

●首相が人を弄ぶようにきちんと意思を伝えないために、官邸官僚たちの勝手な情報に全国の選挙関係者が振り回されて、後からとんでもないことにならないように先回りして仕事を始めています。そのことが行政のガバナンスをおかしくするものだ、と考えないものなのでしょうか。戦前の現場で戦線を拡大していった軍部と同じことさせられているのです。

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2026.01.06

1/5 

新年早々、米国トランプ大統領がベネズエラに軍事的行動を行った国際法違反を起こしました。国際情勢や安全保障政策は不得手な分野ですが、問題行動です。罪状とされたものは、米国に直接的にさしせまった脅威はなく、外交で解決すべき問題です。

政治が荒れる時代の一つの移行過程かも知れません。政治が荒れるということは平和が崩れる可能性が高いと思っています。

●大統領がどうして抑制がきかないか、ということの問題は、自治体の首長が強すぎる問題とよく似ています。過去には自治体内での独裁的な首長がしばしば話題になりましたし、最近は問題首長がしょうもない問題を起こしながら居座り続けることが問題になっています。

行政の長を直接選出する制度にで選ばれた首長は、議員内閣制と違って、議会への説明責任、議会からの信任がなくても、応答責任が担保されていない(投票に行く)大衆による支持だけで権限行使ができてしまって、慎重さを不要とするところがあります。行政権限を使って何でも形にしてしまうことができるし、議会を無力化することはたやすい。

一人で決めていることが、その一人を直接選挙することで、あたかもすべての民主主義を代表しているかのような顔ができてしまう。そしてその一人に敵対すると民主主義の敵であるかのような演出も可能になっていく、そんなところがあります。政治に多元性が失われ、社会は硬直し、象徴を美化し権力の継続のために政治のエネルギーは注力されていきます。政治なんてくだらないと無視を決め込む人と、象徴と権力に自己を仮託していく熱狂的な人との分断がものすごく強く出てきます。
そういう権力は議会なんかどうでもよい、無駄な時間、というような捉え方をします。
権力という、人の自由を制限し、財産を召し上げられるパワーの制御装置について、もう少し注意が必要じゃないかと思う昨今です。

多元的な人々を統合していくことができる民主主義の有無は、選挙の有無ではなくて、選挙にもづく議会が活発にしているかどうかだと思うところです。

●今はトランプ大統領の手荒さに批判が起きていますが、1週間もすれば、日米関係に「配慮」して、ベネズエラの政権がいかに悪かったかという話にすりかえられて、勧善懲悪話にもっていかれて、国際法違反は問題にしにくくなるのではないかと思っています。
日本が今あるのは国際法の秩序のバランスの上にあり、これを尊重せずに勧善懲悪の物語にもっていけば、周辺の軍事大国はいかようにでも周辺の秩序を守らない正当性を与えることになるでしょう。

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