3/31 市長提出議案の審議が終わりました~3月定例市議会
市長任期の影響で遅く始まり、圧縮日程で24日から審議を続けてきた市議会ですが、31日に市長提出議案の審議が終わりました。
4月1日の朝までに決めなければ、問題が起きる議案がいくつかありました。
31日は、45議案の討論、採決が行われ、最大の議案である2025年度一般会計予算はじめ6会計の予算などが可決しています。
市長選の後なので、だらだらと現状追認しても良くない一方、こんな日程なので妨害とみられる抵抗まではできないという選択肢のなかで、悩み抜く議会でした。
私の属する「立憲歩みの会」としては、介護保険と後期高齢者医療以外の4会計、2024年度最終補正予算、副市長選任の同意、保育園や地域包括支援センターの規制緩和の3条例、公平委員会委員の同意の10議案に反対しました。
一般会計予算は「骨格予算」として経常的な経費しか出さない、という前提で議会の審議日程を省略させられたのに、出てきたものがほぼフルスペックの予算であったこと、子どもの人権に関して社会の求める水準が上がっているし、朝霞市でも子どもの人権侵害が事件化したのに、その充実を図らないことなどを問題視しました。
国民健康保険予算は、人頭税的な「均等割」の大幅値上げのロードマップを、地方自治法違反のような県の統制に服して続けていることを問題視しました。
水道事業会計と下水道事業会計は、借金増と現金減が同時に起きているキャッシュフローのマイナスに手を打たない予算となっていることを経営問題として指摘し、反対しました。上下水道の料金に、甘言を弄するような判断を続けて、適正な料金にすることがタブーになっている環境を作ってしまった側の問題でもあります。
この運営をあと5~10年続けると、誰かに経営を委ねて、料金は市民の意向など全く反映されないことになるリスクがあります。
2024年度一般会計補正予算は、国の臨時交付金の使い方です。1月には使途を報告して国から権利を受け取っておきながら、年度内補正、年度またぎ補正、次年度予算でバラバラ使われていてわかりにくくしていること、残金がまだ1億1千万もあって、その使い道に関して何ら情報公開もないことを財政民主主義の観点から問題にしました。
保育園や地域包括支援センターの規制緩和に関する3条例は、国の問題ですが、自治体によって判断を変えるべき内容にもかかわらず「従うべき基準」として押しつけてきていることを問題視しました。
人事案件としては、副市長任命の同意に関しては、人物はともかく、早期提案を19日の議会運営委員会で要求し、議長経由で要望しているにもかかわらず、最終日に上程してその日のうちに質疑、採決をせよという提案のやり方を問題視しました。
その前の質疑は率直なやりとりが提案者である松下市長とできてよかったのではないかと思います。答弁も率直でした。
公平委員会委員の選任は、人物に問題があるのではなく、委員構成や委員任期の長期化に全く問題意識がない提案であったことを問題にしました。職員のトラブルを解決する機関なので、労使関係のバランス、専門性など配慮した人事に切り替えていくべきときです。
また改めてご報告いたします。
●今回反対が増えたのは構造的な問題もあります。
20年ぶり、本格的な政権交代としては32年ぶりのできごとなので、関係者のみなさんが事務手続きを暗中模索でやってきたため、日程や議案の内容、提案手続き、説明資料の提供などで「これでよいのか」ということが多かったからではないかとも見ています。市長就任が3月17日なので、とりあえず継続、という判断をしておかざるを得ないこともあったと思います。
また私ども議会も、市長選の直後なので、お互い、お前たち何のために闘ったんだ、という問題を突きつけられることもあり、一般会計予算と人事案件には厳しい立場を取らざるを得なかったと思います。逆の結果だったときも、いくつかの議案で同様のことになっていったと思います。
反対を投じた議席に対して「ノーサイド」を要求されましたが、違和感がありました。勝った側が負けた側を追い込みすぎないことを求める言葉で、負けた側に求められるものなのかなぁ、と思ったところもありました。討論の言葉が厳しめだったことへの反応だったのだろうと受け止めています。
●神田直人副市長が3月31日をもって退任されました。
私たちの会派は、厳しい富岡市長の感情を逆なでする存在だったため、自分たちでも、予算要望をはじめ、意識的にワンクッション置く副市長に様々なコミュニケーションをお願いしてきました。
予算要望は、紙で渡しているので、実際には予算要望は、市のあり方、市役所のあり方、市職員のマネジメントについて、意見交換することが多くありました。議場でも言葉にしないコミュニケーションを表情やボディーランゲージで受けることも多くありました。
市役所の中のバランサー役で、いろいろなことを調整していただいておられました。議会日程の関係で遅めの時間になりましたが、そのことの恩義に感じる職員たちに見送られて退庁していきました。
私が民間人である20年前の基地跡地利用の議論が始まった頃からの存じ上げており、田中元副市長とともに、この2人が解決のキーマンだなぁ、と感じたとき以来ずっとお世話になりっぱなしでした。
昨日の田辺議員の質疑のなかでも、ほんとうは移行期もう1年ぐらいされたらよかったとみなさん思っているのではないか、という声がありました。惜しまれながらの退任でしたが、ご本人の強い意向だとも聞いています。これからの人生が幸多からんことを願っています。
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