« 1/6 富岡市長6選目の出馬はせず~朝霞市長選 | トップページ | 1/17 阪神淡路大震災30年、犠牲者を追悼し、苦難の道があった方々にお見舞い申し上げます »

2025.01.12

1/10 思い起こせば24年も結果がわかる選挙だった朝霞市長選

労働組合の県組織の新年会をいくつか出席しました。一つは連合埼玉さんです。もう一つは自治労埼玉県本部です。ほんとうは年初には本田議員と産業別組合の県組織にあいさつして回っているのですが、今年は市長選の準備でそれどころではなく、改めて機会を見つけてうかがいたいと思います。

1月6日富岡市長が立候補をとりやめ、引退を表明してから、長年富岡市長を推薦してきた労働界からは、今回は中立でいくから、という内示を受けています。それでよいと思います。労働界の身内の候補でなければ、結果に任せた方がよいように思います。

最近、街頭活動をしていますが、市長選に関して、いつから本格的な市長選をやっていないのか、と検証してみたら、2001年の市長選で、塩味市長と渡辺県議が激突したのが最後で、2005年の富岡市長の交代となった選挙から、2005年、2009年、2013年はチャレンジャー的市民相手で楽勝の選挙、2017年は無投票、2021年は革新色の強い小山弁護士相手に負けはないだろうという選挙でした(それでも革新系が束になっても朝霞では7000票しか出ないと言われていたので、想定外の得票でした)。
市民が直接市政を選べない状態が約四半世紀も続いてしまったのです。

非常に報復主義的な交際をしてくる富岡市長のもとで、対立候補が出にくいことと、保守系会派がどんどん集約されて減っていくなかで、富岡市長の対立候補が出にくいという状況もありました。あわせて革新系も、強い富岡市長に裏で取引したり、逆に先鋭的な主張になりすぎて、社共一つ立場がまとまらず、とてもじゃないけど市長選を出せる状況ではない、ということも続きました。

市議たちはみんな足下を見られて、5回の選挙すべてで、見送り三振を重ねてしまったということだと思います。

その結果として、市長にすべて取引的な関わりをつきつけられ、市議が実現したい政策より多くの支持協力をさせられ続けてきたということになります。そういう地域社会では、政権批判は自由にできず、どんなしょぼい政策成果もありがたがる言葉の賛辞を大量につけて受け取らなくてはならない、ということが起きていました。

今回はようやく市議たちが主体的に候補者を見つけて闘っているので、その流れは変わると思います。

●録画したNHK-BS世界のドキュメンタリー「禁じられたモスクワ 経済制裁下の市民生活」を見て、身に詰まされる番組でした。社会的な発言は政権に迎合的なことしか言えない、野党はいろいろなエサで分断されて無力、候補者擁立も統一ロシアで選挙を出ない限り日常生活のいろいろな面で不都合が起きるから出てこない、今のロシア。一方で経済制裁で入手できないはずの贅沢品が入手できて、贅沢とイベントで自国へのプライドがくすぐられる程度に享楽主義的な生活は政府も保障して、政治にまともな問題意識を持った人だけが孤立するように社会を作ってある。選挙はちゃんとやっているが、やっているからこそさらに統一ロシアの権威付けにしかなっていない現実。
朝霞市は、権威にかかわらず、公的な議論ができる自治体に変われるだろうか。

●過去の市長選の結果

2001年2月25日告示3月4日投票
有権者数 91.632人 投票率41.44%
当選 塩味達次郎③ 17,923
   渡辺利昭 13,762
   中村秀治 5,770=共産推

2005年2月20日告示27日投票
有権者数 97,145人 投票率22.65%
当選 富岡勝則① 18,888
   小田切清作 2,199

2009年2月22日告示3月1日投票
有権者数 99,509人 投票率25.88%
当選 富岡勝則② 20.165
   田村雄二 3,958

2013年2月17日告示24日投票
有権者数 投票率22.69%
当選 富岡勝則③ 20,031
   田村雄二 2,572

2017年2月19日告示無投票
当選 富岡勝則④

2021年2月21日告示28日投票
有権者数 114,719人 投票率31.24%
当選 富岡勝則⑤ 23,319
   小山香 12,076

|

« 1/6 富岡市長6選目の出馬はせず~朝霞市長選 | トップページ | 1/17 阪神淡路大震災30年、犠牲者を追悼し、苦難の道があった方々にお見舞い申し上げます »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 1/6 富岡市長6選目の出馬はせず~朝霞市長選 | トップページ | 1/17 阪神淡路大震災30年、犠牲者を追悼し、苦難の道があった方々にお見舞い申し上げます »