10/9 衆院解散に思うこと
衆院が解散されました。衆議院の解散を容認する憲法解釈でも、大義が必要ということなのですが、全然理由がなくて、今解散しないと自民党政権が継続できないから、ということしか見えてこない解散です。2014年からそんな解散ばかりになりました。いつ解散するかわからないようにして、万年資金力不足・人材不足の野党の体力を奪い続け、首相を交代させて期待感のあるうちに衆院を解散して与党形成をする、という憲法や民主主義の原則を空洞化させるような解散です。万年自民党支配システムです。そして常在戦場となる衆議院は、与野党で政策をまとめることが非常に困難になります。政治の生産性の低さの原因でもあります。
そのことの問題は過日記事にしましたので読んでいただければと思います。
今回、私のご縁のある衆議院議員では、菅直人さんと中川正春さんが引退されました。
菅さんは高校生のときから、いかにも労組でないし、二世でもないし、というところで応援もしましたし、注目もしてきた政治家です。「あの手この手」という言葉がキーワードの政治家でした。その突破力のような機転が徒になって、政権取って迷走することが多かったものの、突破力は東日本大震災の対応では混乱しつつも前に進んだと思っています。今はそこまで混乱こそしていませんが、今日の能登地震にどんな資源を投下すべきかも判断しない政治と対比してしまうところがあります。
引退はだいぶ寂しいことになります。良い意味で学生運動を経験した議員がこれでいなくなってくるのだと思うところでもあります。
中川正春さんは直接の接点は名刺を交換したぐらいですが、津の市議をしている岩脇市議からはその人格の高潔さを何度も聞かされました。ご子息が近所に住んでいたこともある、ということも親近感をもっていました。小選挙区制になってばくち打ち体質の政治家が極端に増えたなぁ、というなかで落ち着いてものをいいながら、小選挙区で勝ち上がる、貴重な存在だったと思います。
さて、総選挙ですが、裏金問題にしても、解散にしても、税制の話でも、石破首相の迷走が見られます。これでどうやって有権者が審判したらよいのだ、と思うばかりです。政党の好き嫌いしか選びようがありません。
私は姓党籍はないものの、長年、国政では社会党、民主党、立憲民主党と応援してきました。その立憲民主党のテイストが1990年代末ぐらいのままで、いまいち刷新感に欠けるのが課題です。現職の党首を交代させたのもあまり良い印象はありません。政権交代を掲げていますが、ホップ・ステップ・ジャンプのまだホップをめざす段階じゃないかと思います。それが大事です。
だからといって、国民民主や維新が立憲民主党に代わりうる野党第一党になれるかというと、国民民主は税の政策に端的に表れていますが、一部の階層の声しか代弁していないなと思います。そういう役割は必要だとは思いますが。また、維新は全国的にトラブルが多くダーティーすぎます。維新の政治家たちに共通するオラオラ体質の語り口に問題があるのではないかと思っています。
引き続き、市議会の私の会派がめざす、人間の安全保障を意識した政策配置(人々の孤立と敵意を引き出さない社会保障や教育政策)、公正な分配、持続可能性の高い社会づくりをめざす政治勢力を伸びたらと思って総選挙にも関与する予定です。
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