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2024.10.12

10/11 2025年度予算編成への要望を行政に提出しました

S__16539663_011日14時、朝霞市議会立憲歩みの会として、私と本田議員で神田副市長を訪ね、2025年度予算編成への要望書を提出しました。
本来は議会で思うところがあれば議会自身で予算をということですが、日本の法律では予算編成権は市長がほぼ独占しており、市長の予算編成で斟酌してもらうしかありません。毎年9月から10月にこうして要請しています。

私どもは市政野党と位置づけられているので、改善指摘事項の大半を要望書に盛り込み、回答書を要求せず、来年3月頃の予算が提案される市議会で、実施に移されるかチェックして評価するものとなります。

今年は2項目を削除、7項目を追加して、97項目となりました。
追加項目としては、7月31日の水害を受けての災害後の支援体制の強化、部活動で高名な教員が継続的な暴力で逮捕されたことから学校での子どもの人権確保対策、障害者福祉の質的向上、社会福祉協議会の仕事の質の向上を求めるものなどを中心に新規項目を作っています。

基本的な視点は人権や福祉や教育を重視してきた会派の綱領を下敷きに、市役所各課の事業に対する毎議会での一般質問、議案質疑で問題を照射したところをとりまとめている内容となります。

【要望書本文】

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2024.10.10

10/9 衆院解散に思うこと

衆院が解散されました。衆議院の解散を容認する憲法解釈でも、大義が必要ということなのですが、全然理由がなくて、今解散しないと自民党政権が継続できないから、ということしか見えてこない解散です。2014年からそんな解散ばかりになりました。いつ解散するかわからないようにして、万年資金力不足・人材不足の野党の体力を奪い続け、首相を交代させて期待感のあるうちに衆院を解散して与党形成をする、という憲法や民主主義の原則を空洞化させるような解散です。万年自民党支配システムです。そして常在戦場となる衆議院は、与野党で政策をまとめることが非常に困難になります。政治の生産性の低さの原因でもあります。
そのことの問題は過日記事にしましたので読んでいただければと思います。

今回、私のご縁のある衆議院議員では、菅直人さんと中川正春さんが引退されました。
菅さんは高校生のときから、いかにも労組でないし、二世でもないし、というところで応援もしましたし、注目もしてきた政治家です。「あの手この手」という言葉がキーワードの政治家でした。その突破力のような機転が徒になって、政権取って迷走することが多かったものの、突破力は東日本大震災の対応では混乱しつつも前に進んだと思っています。今はそこまで混乱こそしていませんが、今日の能登地震にどんな資源を投下すべきかも判断しない政治と対比してしまうところがあります。
引退はだいぶ寂しいことになります。良い意味で学生運動を経験した議員がこれでいなくなってくるのだと思うところでもあります。

中川正春さんは直接の接点は名刺を交換したぐらいですが、津の市議をしている岩脇市議からはその人格の高潔さを何度も聞かされました。ご子息が近所に住んでいたこともある、ということも親近感をもっていました。小選挙区制になってばくち打ち体質の政治家が極端に増えたなぁ、というなかで落ち着いてものをいいながら、小選挙区で勝ち上がる、貴重な存在だったと思います。

さて、総選挙ですが、裏金問題にしても、解散にしても、税制の話でも、石破首相の迷走が見られます。これでどうやって有権者が審判したらよいのだ、と思うばかりです。政党の好き嫌いしか選びようがありません。
私は姓党籍はないものの、長年、国政では社会党、民主党、立憲民主党と応援してきました。その立憲民主党のテイストが1990年代末ぐらいのままで、いまいち刷新感に欠けるのが課題です。現職の党首を交代させたのもあまり良い印象はありません。政権交代を掲げていますが、ホップ・ステップ・ジャンプのまだホップをめざす段階じゃないかと思います。それが大事です。
だからといって、国民民主や維新が立憲民主党に代わりうる野党第一党になれるかというと、国民民主は税の政策に端的に表れていますが、一部の階層の声しか代弁していないなと思います。そういう役割は必要だとは思いますが。また、維新は全国的にトラブルが多くダーティーすぎます。維新の政治家たちに共通するオラオラ体質の語り口に問題があるのではないかと思っています。

引き続き、市議会の私の会派がめざす、人間の安全保障を意識した政策配置(人々の孤立と敵意を引き出さない社会保障や教育政策)、公正な分配、持続可能性の高い社会づくりをめざす政治勢力を伸びたらと思って総選挙にも関与する予定です。

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2024.10.08

10/5 地方分権を再確認する勉強をしてきました~自治研全国集会への参加

労働組合の組織内議員にしていただいている自治労が主催している「地方自治研究全国集会(自治研全国集会)」が島根県松江市で開かれ、3日の日程で参加してきました。

子育て政策にしても、防災にしても、国が、国が、という話で満ちあふれている、地方分権の考えに立ち返って、自治体として主体的に地域の課題を解決すべき、という石上自治労委員長、開催地の連合島根会長、丸山島根県知事の冒頭のあいさつに共通したものでした。

全体会では、し尿のくみ取りを業務としている東大阪市の外郭団体の組合員、前田さんが雰囲気の悪かった職場改革に取り組みながら、防災のためのし尿処理の仕事の意味の再発見と、防災への啓発活動に取り組み、水洗化で終わった技術とされそうなし尿処理の役割を再発見していく話がありました。
朝霞市議会立憲歩みの会でも、し尿処理に関して再評価したり、防災での重点化を求めているので、我が意をえたりの話でした。

分科会は、公共交通を選びました。主の講師は名古屋大学の加藤博和教授で、解像度の低い救済論が横行する公共交通談義になりがちな話題に、会場を刺激するキーワードをバンバン投げ込みました。
・おとなたちが公共交通を見限りマイカーで自由に走り回っている地域で、子どもたちはコンビニ一つ大人の力を借りないと行けない。そんなところに子どもたちが脱出しようとしない方がおかしい。消滅決定都市である。
・元気なときに時刻表を調べたり待ったり運賃を払うのを面倒くさがってマイカーを乗り回している人が、足が悪くなってもっとしんどい公共交通を使うことはほとんどない。若いうちから公共交通を使うようなまちづくりをしなければならない。
・都市部において、流行しているデマンド交通は既存の公共交通を浸食して、滅ぼしていく可能性がある。申し込んだり時間合わせするぐらいならバス停で待っている方が楽ではないか。
・バスもタクシーも運転士は確保できないなかで、より人的資源を食い潰さない方法を選ばざるを得ない。
・公共交通への依存度が高い地域の方が、BMIが低い(健康度が高い傾向)。
・公共交通をもっと快適で充実できて運転士の賃金改善にも必要なのは、市民1人あたり月数十円の負担だ。これを保険ぐらいに思ってもらうことができないだろうか。
・大事なことは「鉄道を残す」「バスを残す」ではなくて、「おでかけ」できる条件を創ることではないか。
・「おでかけ」できる環境を創るのは国なのか。地域が主体的にやらなければどうしようもないではないか。
・量的なアンケートをしても(回答者は模範的であろうとするので)「乗る乗る」詐欺みたいな情報しか出てこない。膝詰めで「おでかけ」がどういうものか聞き出さないと、利害を調整しないと、必要な交通は創れない。
・地域公共交通会議で、関係者がTODOリストを創っていくことが大事。
加藤先生の提起の後、松江市交通局と一畑バスの路線再編とバス事業の改革の話、過疎地でのオンデマンド交通の構築、大阪交通労組からの交通事業の存廃の判断の検討方法などの報告があり、それぞれ刺激を受けてきました。

●朝霞市ではデマンド交通が、単なるタクシー補助の拡大として、いつでもどこでも運転士を使い倒せるかのような言説で何度も請願が出てきましたが、運転士をいくらで雇い、それをどのように効率よく多くの人に使ってもらうか、過疎地という非効率な現場で苦労さている工夫に触れました。どのケースも、どこかの部分はバスのように時間や方面の制約を受けるような運営をしていて、「いつでもどこでも」ではないんだな、と再確認したものです。

●こども家庭庁の発足で、子ども関連政策を国が強化させていることはよいのですが、これまで自治体が競い合って施策を引き上げてきた子ども政策が「隣の自治体とサービスが違うのはおかしい」という言葉で、地方自治を揚棄するようなキーワードが流行していることが気になっています(もちろん東京だけが億ションバンバン売って、金持ちだけ全国からかき集めて、その経済的・財政的余力で子育て政策を広げて、都外との格差を誇示されると、呪詛に近いものを思うところはありますが)。
私自身、1999~2001年厚労省保育課などと向き合う仕事をしていましたが、国の政策変更を要求するばかりでは、ものすごいパワーと機会がやってくる時間が必要で、ときには政策のイデオロギー変更という、妨害者の多い現実に取り組まなくてはなりません。子どもはその間に育ち終わっちゃうよ、と思ったものです。
身近な政策に関しては、自分たちで何が必要かを構築していくことで、こんなことができると示していくことも必要です。
そういうなかで、今回の自治研では、そのことが一貫していたのでよかったと思っています。

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2024.10.04

10/3 市長による専決処分が連絡されています

10月に入りました。

議会を通さずに議会の議決事項を決定できる市長による「専決処分」が2件案内されました。
1点目はワクチン接種の被害者に対する国の補償による補正予算で、自治体が支払いの窓口となることから、補正予算で執行する必要と、国から急ぎの対応を求められていることによるものです。1日に処分したことの連絡を受けています。
2点目は衆院選の解散に関係するものです。規模としては5800万円です。3日に処分したことの連絡を受けています。

地方自治法では、市長が「専決処分」で行ったものは、最も近い市議会で追認するための「専決処分の承認」の議案を提出しなければなりません。12月市議会の議題になるものと見られます。

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2024.10.01

9/30 「解散権は首相の専権事項」はウソ。ましてや首相になってない人が

自民党の総裁選で石破さんが当選し、「主要」閣僚の人選まではなかなかやるのう、と思ってみていましたが、ほんとうに残念なことが2つ。

一つは、人権に関わる閣僚選び、ミステイクとしか思えません。
1人は法務大臣に牧原秀樹を選んだこと。「虎に翼」が話題になったり、袴田事件でえん罪・無罪判決が出るなかで、奇矯な法理解の主張を声高にしてSNSでトラブルを起こしてきた議員がなるべきポストではないように思います。死刑囚への執行命令書にサインをする立場です。
もう1人はこども家庭庁の担当大臣に三原じゅんこを選んだこと。この担当大臣ができてから、こどもの人権に関する行政理解は大きく前進していますが、三原さんは厳しいしつけをしてもかまわないようなものいいをしたことがあり、この役所を管轄する大臣としてどうかと思わざるを得ません。

もう一つは、また総裁選直後に解散・総選挙をすることです。とくに今回は最短日程で、ひどいものです。

まず、首相が党利党略で衆議院を解散してよいのか、という問題があります。そんなこと続けていれば、基本、永久に与党が勝ち続けます。立命館大学に小堀先生という政治学の教授がいて、OECD加盟国の議会解散を調査した論文を書いています。首相に解散権のある国でも、王や大統領の拒否権があったり、王や大統領を説得する必要がある国ばかりで、日本の次に自由に解散している英国でも、王が解散権の濫用を牽制したことがあります。首相が「専権事項だ」なんて嘯いて、これほど好き勝手に「国権の最高機関」を解散しているのは日本ぐらいです。
※小堀「日本型衆議院解散像とOECD加盟諸国における解散事例」(2020)

憲法を読むと、天皇以外が解散できる条項は憲法第69条のみ。衆議院で不信任決議がされたときの対抗手段として首相が解散できるとなっています。7条の天皇の国事行為は、自民党が負けないときに選挙をするんだ、なんて政治的能動的な解散をよいなんて読み取れるものではありません。解散権自由のお墨付きを与えている憲法学の宮沢、芦部説だって、いくつかの重要な解散理由が必要、と指摘していて、自民党が負けないためなんて理由はあり得ないものです。

「首相の専権事項」なんて言ったのは、1986年中曽根内閣が国会も開かずに解散した衆参同日選挙に際して、後藤田官房長官が言い出したことで、憲法の制度設計になかった考え方ということも書かれています。むしろ首相の任意解散権は、明治憲法下、天皇が首相の「輔弼」で議会解散権を行使していた時代の名残に、天皇の政治的行為が全面的に制限されたことを戦後もそのまま残し、天皇に成り代わって勝手に議会を解散している、と見た方がよいようです。

本来、総理大臣は、国民が衆議院選挙をやって国会議員を選び、国会議員が首相を選ぶ順番になるべきです。国権の最高機関として国会が最もやるべき仕事は、首相を選び、内閣を構成させることです。最初に私党である自由民主党で首相を選び、それに翼賛するような議員をそろえるために衆院解散する、なんてことは民主主義の考え方からはとんでもないことです。2014、2017、2021年とそんな衆院選ばかり続いて、今度で4回目です。そして思いつきから投票日までの日数がだんだん短くなってきて闇討ちみたいな解散になっています。

そして今回は、まだ首相になっていない私党の頭領が、勝手に解散日や選挙日まで指定している。政治の私物化、越権行為にほかなりません。選挙日程に関しては、中央選管すら越権しています。1950年代の法改正で、中央に関しては、都道府県や市町村と違い、選挙管理機関が行政権から独立していない問題があります。

選挙実務面の悪影響もひどいものです。だまし討ちみたいな選挙日程なので、選挙管理委員会はギリギリの仕事をすることになると思います。投票用紙、ポスター掲示場の設置、投票所の確保などではものすごく苦労すると思います。さらには候補者からの問い合わせもたまらないのではないかと思います。在外選挙権は行使できない可能性もあります。憲法訴訟をすべき問題です。
それを支える、全国の印刷業者、看板業者などはたまったものではありません。ロジスティックを軽視して、政治的決断を誇示するような政治は、問題になっている兵庫県知事と何が違うのでしょうか。
もちろん組織性のある自治体の選管はこんなものでしょうが、候補者陣営などたまりません。印刷物の調製、選挙カーや事務所、電話回線の確保、さらにそれを配ったり差し出しできる体制づくりなど、2週間もないスケジュールでやらざるを得ません。政党からくだってくる政策を待ちながら、印刷物を作らざるを得ません。間に合わないことが常態化するので、候補者がヤマネコ減税を言い出したりするのが平気になっています。

地方議会はめったに解散がないのでよくわかるのですが、任期がきちんと決まっていると、選挙が近い時期以外は、考え方の違う会派の人たちといろいろな妥協や調製ができるものです。日本の国政が生産性が低い、企画力がないとバカにされるのは、実は解散権の濫用で「常在戦場」として常時敵対意識を刺激しなければ、衆議院議員は生き残れないからです。いつ選挙があるかわからないのに敵対党派と仲良くしたり妥協するなんてありえませんから。

最後に、能登の災害の惨状を見ると、一番政治を必要としている人がこんな状態にときに選挙をやるのか、と思うばかりです。

すぐには解散しない、と法意識の高さをアピールしていた石破さんですが、こんなことになって残念極まりありません。

●追記。
突発的な選挙を容認する感覚としてあるのが、選挙=民主主義、選挙の勝利=何やってもよいのが民主主義、みたいな図式でしか理解されていないところがありますが、民主主義に必要なことは意見の違う人の存在を前提とした議論と最も納得性の高い妥協(合意形成)です。
昨年、政治学の世界で流行した本に「民主主義を装う権威主義」という本があって、今の世界の独裁者は、必ずしも選挙をしないとか一党支配をするのではなく、不公正な政治を日常的にやりながら、選挙を通して敵味方をあぶり出して独裁体制を強化する、という手法がとられ、典型例として中央アジアのソ連から独立した国々が紹介されています。選挙干渉、バラマキ、日常的な敵対党派への攻撃をして、選挙のときだけ自由にやりながら、選挙で敵味方をあぶり出して独裁体制を強化していく、というものです。ここから見えてくるものは、議論や社会運動のない民主主義は簡単に独裁体制になりやすいということです。
日本の場合、国会議員が多くて、自民党もいつも分裂含みの政局をしながら、党内で牽制したり、公明党からの牽制が働いたり、官僚が絶大な詳細政策の決定権を握っているなかで、簡単に独裁体制になってはいません。それでも日本も、選挙が行政権の長によっていつやってもいいんだ、ということになっていて、国会議員が解散権の行使にびくびくしている政治体制のなかで、いつ首相が独裁者に転じてもおかしくないようなところがあります。

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