11/14 東京都に編入されない運命が決まった日
14日は埼玉県民の日でした。関西から転居して保育園長している友人が応援に来て「県民の日ってなんやねん」という問いかけをされて改めて考える機会になりました。
1871(明治4)年11月14日に埼玉県と、武蔵国を継承した品川県から入間県が分離して誕生した日を埼玉県誕生の日として1971年に制定された日で、県内の公立学校は休校となり、大手私鉄は一日乗車券を廉価で販売されます。
今の地域がほぼすべて埼玉県となったのは、埼玉県と入間県が合併した1876年。
品川県の一部で元々は北豊島郡に近い地域であった朝霞・志木・新座・和光の4市域と、旧保谷市域、練馬区大泉地域は「新座(にいくら)郡」として入間県に組み込まれ、埼玉県になる運命が始まります。
これに対して、大泉地域は1891(明治24)年に離脱して北豊島郡旧上土支田村に合併して東京都に合流する道を開きます。1907(明治40)年には保谷市域が北多摩郡に離脱します。
埼玉県となることが確定した朝霞地区4市。東京に近くて都内と何かと行政サービスが比較されるのに、全国企業の本社が集中し法人事業税を中心に潤沢な財源がある東京都の恩恵を受けられず、地方財政計画の範囲のなかでの行政サービスができない運命が定められた日でもあります。保育士の加配、保育事業への独自の補助財源、正規職員の多い放課後児童クラブなど、東京都は違うなぁ、と見ることも多くあります。
そういう点では、天から降ってくる税収は限られているので、自分たちで政策を取捨選択してやりくりすべき自治体であるし、逆に、自治体の運営を自分たちで考える重要さに気づけば、自治の論理を作りやすいところでもあります。
東京都の自治体を見ていると、都市計画は首都として都が強い主導権があるので、時代の要請にあわない都市計画道路の建設がかなり強いイニシアティブで進められるなぁ、なんて見ています。天から降ってくる財源ですから、市町村に削り込む権限はあまりなさそうです。
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