11/15 効果の薄い医療費・介護の利用料負担率の引き上げは大問題
日本経団連や健康保険組合連合会(健保連)が、医療費や介護の自己負担を早く引き上げるよう政府に要請しています。大問題です。特に高齢者の医療を1割から2割負担に引き上げ、「無駄な利用」を抑制していこうという考えで、最もらしく聞こえます。
私はこうした主張は、効果が少ない割に、医療や介護の保険制度の役割を否定するものとして、危険視しています。
医療や介護の自己負担を引き上げて、医療や介護のムダつかいがなくなって、保険料や、国や自治体の財政負担が大幅に軽減されるのでしょうか。国全体で国民医療費は42兆円、介護費は10兆円かかっています。医療だけでみると、自己負担を引き上げて軽減できると見込まれる金額が3700億円で、金額で見ると大きいものの、全体からするとたった1%の削減効果しかなく、この程度の金額はあっという間に高齢者増や医療の高度化でかき消される程度の話です。
本当に財政的な効果があるかどうかではなくて、医療や介護を利用する人に、何らかの悪いイメージを投影して、敵視する政策と思わざるを得ません。
一方で、医療を必要とする人は、いざというときに持ち出すお金が増えていくわけですから、生活防衛のために消費を抑え、貯金をせっせせっせとすることになります。そのことが消費の伸び悩みになり、日本経済が縮小志向にならざるを得なくなります。また金融機関は膨大な高齢者の貯金の運用先を用意しなくてはならなくなり、社会は金融業の収益に多大な利益をつぎ込まなくては社会が安定しないことになります。
厚生年金加入者でさえ、老後、介護が必要になって、自宅介護が不可能になると、月々20万円前後の介護費用が取られて、年金はほぼなくなります。この話から、貯金していないと老後の医療も介護も満足に受けられない、と考えている人がたくさんいます。
高齢者がせっせと老後に向けて貯金する副作用としては、高齢者は貯金を抱え込まざるを得なくなり、その結果として、そのお金を狙う特殊詐欺のターゲットとされてしまうこともあります。
医療費の自己負担、介護の自己負担の比率を上げると、逆効果な面もあります。高額療養費の設定額にすぐ到達してしまい、慢性疾患や高度医療、高額な薬の投薬を受けている人にとっては、かえって医療費の使用が青天井になっているところがあります。
自己負担上げを主張している経団連や健保連は、この高額療養費の設定をさらに高めようという鬼のようなことを考えているみたいですが、それこそ、難しい病気やけがをした人が借金漬けの人生になりかねない、とんでもない話だと思います。
高齢者の医療費の自己負担がゼロだったときに、医療が濫用されて、診療所の待合室は集会所と化し、大病院は軽度の患者で埋め尽くされて大病院でなければできない医療に割ける資源が、ということがありました。医療費の自己負担を1割として、その問題は大きく改善されましたが、そのときの成功体験が強すぎるのではないかと思います。1割が2割になったからって、2割が3割になったからって、医療の必要性を患者自身が判断して使いすぎているから行かない、などということにはならないと思います。
とくに健康保険組合連合会が主張していることには問題と感じています。健康保険組合の加入者は、賃金労働者です。老後に財産を殖やすめぼしい資産を持たない人がほとんどです。そのなかで、老人が医療費を使いすぎるからという仮定で、自己負担を増やせ増やせの主張を、ときに高齢者に対する反感を利用して宣伝しています。国民を分断するとんでもない手法です。加入者がいずれは高齢化、あるいは退職して、国民健康保険や後期高齢者医療で、職場で過酷に働いていたときの体や心を傷つけてきたツケを払うことが、ポロッと見落とした議論をしています。
健康保険組合は、組合健保の財政から抜かれていく、高齢者の医療費の負担の平等化をする「前期高齢者交付金」の拠出金や、「後期高齢者医療」への負担を問題視していますが、私は高齢者どうしでは負担しきれない高齢者医療の負担を国民健康保険の加入者だけに押しつけないための重要な制度を批判するのは、加入者の老後に責任を持たない考え方だと思っています。
健康保険組合連合会の主張には、保険料の水準をどうするかばかりで、健康を害して職場に出勤できなくなったり、あるいは、不幸にも健康を害して退職に追い込まれて、健康保険組合を同時に脱退して、国民健康保険に移った人のことなどほとんど関心がありません。
大都市圏の市町村で国民健康保険財政を見ていると、高齢者の問題より、失業者や非正規労働者、ダブルワークしている生活困難なシングルの親たちなど貧困者の保険となっていて、職場で健康を害して退職するのは自己責任と言わんばかりに、現役世代で健康を害した方の負担がドーンとのしかかっていて、国民健康保険財政を通じて貧困者どうしで、所得が同じなら正社員の倍を超える高額の保険料で支えあっているのが現状です。そのしわ寄せを健康保険組合から国民健康保険に押しつけられているのではないか、と思うところです。
本当に健康保険組合の保険料負担がきついというのなら、健康保険組合を解散して、協会けんぽに合流していただけたらよいのではないかと思う面もあります。一部の、若者が入職してこない厳しい産業の健康保険組合以外は、協会けんぽより保険料は安く、また、国民健康保険よりはるかに保険料は安いはずです。
こんな議論になりがちなのは、元気な人にとって、医療や介護の議論が、保険料水準の話ばかりに矮小化されて、政治問題化されてきた問題がここにあると思います。保険料、医療水準、利用のときの負担のあり方をワンセットでバランスを取って、どこが一番負担しにくく、どこが日頃から負担しておけばということを考えたときに、医療や介護などは、利用料の負担をあまり過大にすべきではありません。
●市議会議員としては守備範囲を超える議論ですが、ベッドタウンの市民にとって重要な課題だと受け止めています。とくに同世代で、職場で過酷な労働に耐えた結果、職場にいられなくなり、地域で、国民健康保険加入者となって、療養生活を送っている人を少なからず接することがあります。健保連が組合員の保険料の話ばかりではなく、職場にいられなくなった人にまで想像をめぐらせた議論の展開をしてほしいと思っています。
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