6/4 政治・統治の犠牲になる社会にしないために~天安門事件30年
天安門事件から30年、感慨深いものです。高校を卒業して大学に進学したこの年、共産圏の民主化が進んで、世の中が大きく変わると実感した1年のはじまりでした。近年、天安門事件の裏側での中国の権力層のさまざまな判断が明らかにされつつあります。結果的には本当に残念な事件でした。
その後の中国の発展、限定的ではあっても民主的な制度の導入を見ると、天安門事件の悲劇が全て無意味だということではなかったと思いますが、それでもいまだに犠牲者数はわからず、犠牲者の近親者たちには監視がつきまとっている、などというニュースを聞くと、権力の集中が、生命の有無すら見えなくできる怖さを痛感させられます。
天安門事件に続く東欧革命含めて、世の中が変わったという衝撃は大きくありました。ムリを重ねた体制というのは簡単なことで滅びるものだと思ったものです。
日本でも、衆参の与野党構成のねじれは1989年の参院選で社会党と連合の会が躍進するところから始まり、2013年の参院選まで続きます。戦後、政治は自民党だけのものだったという常識が覆った年でもあります。
その後の1990年代は、人々がより自由になるための社会改良が進んだ10年間ではなかったかと思いました。1980年代まで、保守でない側は、戦争の道への逆コースにおびえ、抵抗闘争との距離感が存在意義でしたが、1990年代は積極的に権力に関与し、自由や自発的な活動を保障するための制度改革が進められたと思います。とくに1993年から2001年までの8年間は、政治の多元化が進み、社会合意で制度が変わったことも多かったと思います。
そうしたことを思い返しながら、社会改良への思いを抱きつつ、無名の天安門事件の犠牲者に祈りたいと思います。そして政治運動に関わる者として、政治・統治の論理で犠牲になる人ができるだけ少ない社会にしておかなければ、と思っています。
●あわせて65年前は、近江絹糸闘争が始まった年。経営が女工を精神的に支配するために信教の自由を奪って特定の宗教を寮で押しつけ、組合結成されないように移動・接見の自由を制限したことに反発して、職場の民主化を求めて、ゼンセン同盟が100日を超えるストライキを打った闘争。記録映画や小説にもなっている戦後の大きな労働争議の一つ。
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