10:/21 立憲民主党 枝野党首の最終演説
21日19:30から大宮駅前での枝野幸男さんの街頭演説に参加しました。前座、自治体議員のメッセージをいたしました。
🌑枝野さんの最終演説です(急ぎ打ち込んだものを録音から直しております)。
立憲民主党党首枝野幸男最終演説 2017年10月21日19:30~大宮駅前
地元にもどってまいりました枝野でございます。(拍手)
10月3日に、新しい党を作らせていただいて、党の代表、党首という立場でこの選挙に臨むことになりました。地元のみなさまにはご心配をおかけをし、そしてたいへん申し訳ないながら、この地元大宮で直接お訴えをする時間をほとんど取れませんでした。
多くの仲間の仲間の支持者のみなさんが、私にかわって、みなさんにお訴えをさせていただきましたが、最後の最後はやはり地元のみなさんにお訴えをさせていただきたい、そんな思いで帰ってきました。(拍手)
いろいろなことがこの1か月にありました。このままでは投票する政党がない、受け皿となる政党がない、自分たちの思いをちゃんと受け止める政党が必要だ、みなさんに24年、国会に送り出していただき、お育ていただいたおかげさまで、全国から枝野たてと声をいただきました。
無所属で選挙をやったほうが地元にもっと貼り付けて、自分の選挙を考えたらその方が楽かなと正直迷いました。迷いましたが、多くのみなさんから、今の政治このままでは困る、お前なんとかしろ、と声をかけていただいた、その声に背中を押されて党を立ち上げさせていただきました。全国を回ることになってなかなか地元に戻ることができませんでしたが、24年をお支えいただいた地元のみなさんが、こうして全国から背中をおしていただいる枝野幸男、そこから逃げるなと理解いただいていると思っていますがどうでしょうか。(拍手)
ありがとうございます。この選挙戦の間全国をまわり、今も新宿でたいへん多くの人に集まってもらうなかで演説をさせていただきました。10月2日に記者会見をし、3日に党を立ち上げたとき、想像してもいなかった事態でした。多くのみなさんから受け皿がないという声をいただきましたが、こんな短期間で、こんなに多くのみなさまにご期待いただける、そんな状況は想像していませんでした。私自身がいかに、多くの国民のみなさんがこれまでの政治が国民と遠いところにある、多くの国民のみなさんが自分たちの声が、自分たちの思いが、政治に届いていない、こんなにも多くのみなさんがそう考えていたのかということを、反省も含めて改めて痛感した選挙戦でありました。
国民の政治離れに関して、あしたの天気も心配ですが、投票率が低いんだ、低くなりそうだと報道などで伝えられています。国民の政治離れではなくて、政治が国民から離れてしまっていたのではないか、今求められているのは政治がもう一度その原点に、まっとうな方向に戻していく、私、立憲民主党の代表としてその先頭に立たせていただきたい、そう思っています。
政治が、遠いところにあるから、上の方から国民の暮らしのくらしのあしもとが見えてていないから、政策が国民のくらしに寄り添っていない。アベノミクス、株価は上がった、強いのものをより強くし、豊かなものをより豊かにした。いずれ強い者にひっぱり上げられて日本の社会全体が経済全体がひっぱりあげられると、豊かさは、豊かな人から普通の人にしたたり落ちていくと多くの人が期待したのではないでしょうか。しかしもう5年です。強い者に引ってみんなが上げられているのではなく、むしろ格差が拡大している、貧困の問題が深刻になっている、社会が分断されている、これが強い者をより強くしてきた、その結果なのではないでしょうか。
貧困や格差は当事者のみなさんの問題だけではありません。日本の経済がバブル崩壊以降ずと低迷している、日本の社会に分断と閉塞感がただよっている、その根本的な原因に私は格差と貧困がある、と思っています。例えば、意欲と能力のある若者が、ただでさえ少子化で若者の数が少ないのに、奨学金という名前の多額のローンを抱えないと進学ができない、そんな若者の比率が増えています。意欲と能力のある若者が経済的な理由でそれを断念する、こんな社会で、誰がこれからの社会を支え、ひっぱっていくのでしょうか、みなさん。(拍手)
過労自殺、サービス残業、仕事と家庭生活の両立ができない、命まで絶ってしまっている、こんな社会のなかで、一方では正規雇用で働きたいのに非正規しか口がない。そういう人たちが厚生労働省の統計にもとづいても働いている人の5人に1人います。人を雇う側からすればいつでも首が切れる非正規は便利です。低賃金で働いてくれる、目先の経営には助かります。でも働くということはどういうことですか。自分と家族の暮らしの営みを支えていくというのが働くということではないではないですか。そのみなさんのくらしは日々連続をしています。途中で途切れたりしていません。いつ首になるかわからない働きではまっとうな暮らしを支えていくことができないではないですか、そんな人が5人に1人もいる。30年、40年前は、とくに希望してパートやアルバイトで働く人がいても、働くといったら正社員で働くのが当たり前だった時代がありました。そのまっとうな社会ににこの国を戻していかないと、当たりのくらしができない人が5人に1人もいて、どうして社会に活力が生まれてくるのでしょうか。(拍手)
分厚い中間層といわれていた中間的な所得の人が減って、貧困が増えています。年収300万の人がリストラになって年収100万になったら、もともとカツカツの生活な人が減った分だけ消費が減ります。逆に年収100万150万で非正規でカツカツの生活をしていた人が、正社員になって収入に倍になった、それでもカツカツの生活ですから増えた分、消費が増えます。日本の経済がバブル崩壊以降低迷しているのは、国内で物が売れないから消費が低迷しているからです。格差が拡大すれば、分厚い中間層といわれる人が減って、その分、収入が低い人が増えたら、それだけ買い物したくても消費できない人が増えてしまっているのですから、物が売れないのは当たり前なんです。消費が低迷するのは当たり前なんです。経済を回復させてから格差を是正するのではありません。格差を是正しなければ物が売れない、消費は拡大しない、経済が回復しない、順番が逆だということを、私はみなさんに自信をもってみなさんに訴えたいと思います。(拍手)
たとえば、介護の現場で働いている人たち、あるいは保育士さん、需要はたくさんあります。介護のサービスは不足しています、保育が不足しています。不足をしているのに人が集まらない。賃金が安いからです。おかしいんです。
値段というのは、需要と供給のバランスで決まります。ほしい人がたくさんいて売っているものが少なければ値段が上がる。賃金も一緒です。介護のサービスが足りなくて、介護で職員が足りなければ、賃金を上げてもっとその仕事をしてください、そうならないとおかしいのが経済の原理なんです。
ところが介護の施設には空きベッドが1割あるんです。介護のサービスを待っている人がゴマンといるんです。しかし働いてくれる人がいないから。空きベッドで待機している高齢者がいる。おかしいではないですか。もっとしっかり給料を払って、もっとそうした仕事についてもらえるようにわを広げていかなくてはならないのではないでしょうか。限られた予算です、限られた財源です。介護も保育も医療もすぐにバラ色のような未来をつくれるだなんて無責任なことをいうつもりはありません。でも限られた予算、財源、優先順位をちゃんとつけましょうよ。今の日本で必要なことはなんなのか、強い者をより強くするのか、あるいは、例えば、公共事業でも、地域の安全を高めたり、あるいは災害復旧したり、古くなって補修が必要な道路や橋を直したり、こういうところは待ったなしです。でもどんな道路でもどんな公共施設でも、ないよりあった方がいいに決まっています。何よりあった方がいいものと、少子高齢化のなかで、サービスが足りない、困っている人たちがいる、そうしたところの人件費をちゃんと上げる、どちらが優先順位が高いのか私ははっきりしている、後者だと思いますがいかがでしょうか。(拍手)
当事者の問題だけではないのです。所得の低い人たちの賃金が上がれば、さっき言ったとおり、それは消費にまわって経済の活性化につながります。高齢者のみなさんのなかには、老後のためにと、大きな額ではないかもしれないけれども老後の蓄えをもっていらっしゃる人が少なからずいます。歳をとってもまだ先が不安だから老後のために蓄えたお金が使えないんです。元気なうちに使えた方がご本人に幸せです。そうして、将来の不安が小さくなることで消費につながっていきます。保育と、経済のために、景気のために、子どもが生まれるわけではありません。しかし安心して子どもをうみ育てることができる環境が整って、希望がする人が諦めいですむようになって、子どもが増えれば、否応なく消費につながって経済回復が良くなっていくんです。草の根からのくらしの足下からの経済体制に大きく転換しなければならない。少なくともこれまでの上からではなく 暮らしの下から押し上げる、こういう選択肢を示さなくてはならない、私は、そんな思いで立憲民主党の旗を掲げました。(拍手)
競争を煽れば社会が良くなる、社会は自己責任だ、といって突き放す。政治の責任放棄です。確かに競争のない社会は進歩しません。でも競争の前提には公平・公正なルールがなければなりません。公平・公正なルールのもとでそれがしっかり守られて、公正な競争になって社会は発展させします。公平公正なルールを作り、守らせる責任は、政治の責任ではないですか。人生のそれぞれの人生の責任は自己責任かもしれない。でも人生を通じて自己責任を貫ける人はどれだけいるでしょうか。どんな人でも高齢者になれば介護が必要になります。夫婦2人で、シングルマザーシングルファザー、仕事も子育ても両立させていくことは困難があって、自分の力ではどうにもならない。今健康でそこそこ稼いで勝ち組だと思っているあなたも、もしかしたらあした大きな病気になるかも知れない、事故にあって体が不自由になるかも知れない、人生を通じて自分の力だけでやっていける、そんな人がどれだけいるでしようか。どんな人でも自分の力だけではどうにもならないときがある、そのときのためにあるのが政治だと思います。残念ながらこの間の政治は、公平公正さのルールと、自分の力でどうにもならないときのために政治がある、という根本が忘れられているから強い者だけが強くなって、だから格差が拡大して経済も低迷して、社会が分断されているのではないか、それに対するもう一つの選択肢を示していきたいと思います。(拍手)
新しい党の名前を立憲民主党と名付けました。立憲とつけることには異論もたくさんありました。堅苦しい、古くさい、憲法の憲の字が難しくて書けない。でも、立憲主義というのは戦後70年、いい意味で忘れられてきましたが、私たちの社会の根本です。どんな権力も好き勝手にやってはいけない、朕は国家なりなんていう王様がいましたが、好き勝手にやる権力は許されない。どんな権力もルールにもとづいて使わなければならない、そのルールの名前を憲法と呼んでいます。憲法というルールにもとづいて権力は使わなくてはならないというこの考え方を立憲主義といいます。立憲主義は近代社会であれば当たり前の大前提。主義主張イデオロギーとは関係ない。みんなが守らなくてはならなない、権力は無限定ではない、これが安保法制で壊されている。日本の社会と政治はここから建て直さなくてはならなりません。
明治憲法のもとでも、立憲改進党とか立憲政友会とか、明治憲法のなかでも立憲主義はちゃんと意識されてきたんです。戦後70年、みんなが忘れてきた、忘れていることをいいことに勝手に壊したのが安保法制です。集団的自衛権は憲法違反だから使えない、誰が言ったのではありません、アメリカから押しつけられたわけでも野党の先輩たちがむりやり押し切ったわけでもありません、歴代自民党政権自らが言ってきた、それが自分の国の領土や領海が攻められたときは自衛隊にがんばって国を守ってもらう、これは個別的自衛権で許される。でも、自分の国が攻められてもないのに外国の戦争のお手伝いをする、集団的自衛権は憲法違反だ、自民党政権が歴代言い続けてきたルールなんです。この国の総理大臣が使ってもよい自衛権は個別的自衛権までのはずなんです。勝手に換えたのが安保法制なんです。平和の問題として深刻である以上に、あるいはそれ以上にルールにもとづいて権力を使えという、当たり前のことを言わなければならない状況、だから私は注文を付け続けている、ここをしっかりと取り戻さなければならない、だから私たちは党名の頭に立憲とつけさせていただきました。
そして、民主主義が私ははき違えられていると思います。政策が上からになっているのは、政治の姿勢が上からになっている。数をもっているから、権力をもっているから、何をしてもいいんだ、反対意見があってもこんな人たちに負けるわけにはいかないといって排除排斥をする、そういう政治姿勢ではないですか。強いリーダーシップといえば聞こえがいい。確かに物事の変化のスピードが激しい。ゆっくり相談して手続きをできないケースもあります、全面的に否定しません。でも民主主義とは何ですか、読んで字のごとく、主権者である国民が主役の政治です。国民が決める政治です。1億2千万の国民が相談できないからこうやって選挙をやって議員を選んでいるのではないですか、そして、議員のなかで選ばれた人に行政権を委ねているのではないですか。1億2000万の意見がなかなか一致しない、議論を尽くしても一致しない、だから最後に多数決で決めるのではないですか。最初から数を持っているから話を聞かない、それは本当の民主主義でありません。(拍手)
だいたい、期日前に枝野幸男と書いていただいている方もいます、あした書いていただけると思います。でもみなさん投票するときに当選したら、何をやってもいいですよ、好きなようにやっていいですよ、と白紙委任するつもりで投票していますかみなさん、違うでしょう。白紙委任ではなくて、ちゃんと自分たちの思い、自分たちの現場の暮らし、自分たちの声にそうしたものに寄り添ってしっかりものを決めていこう、そうした条件つきで一票を投じているのではないですか。
これは自民党に投票している人もおなじではないですか。白紙委任で選挙で勝ったら何をしてもいいといって投票している人はいないのではないと思います。それなのに、数を持っているから俺たちの言うことを聞け、それは民主主義のはき違えです。国民が主役の政治、まさに主権者である国民のみなさんが判断できるようにまずは情報公開を徹底しなければならないはずです。森友・加計に税金に使われ方の問題です。それ自体が問題ですが、森友・加計に象徴される情報を隠す、それどころか追及されて開き直る、これでは主権者として判断できないではないですか。
そして安保法制もそうです。特定機密保護法や、あるいは共謀罪や、国民のみなさんの意見に耳を傾ける姿勢を感じられましたか。反対意見を聞いていいものを取り入れようなんて姿勢を感じられましたか、反対意見に説明し説得し納得してもらうというという姿勢を感じましたか。数持っているんだから少数意見は言うことを聞け、そういう姿勢ではないですか。だから国民が政治に対して不信を強めてしっているんです。だから投票率が半分とか半分ちょっととか、政治離れのような現象を起こしている。でもこれは違う、政治が国民から離れてしまっているのだと私は思います。(拍手)
まっとうな政治を、まずは立憲主義を取り戻しましょう、そして本当の意味の民主主義をともに取り戻しましょう。立憲民主党を立ち上げたのは、私、枝野幸男が多くの人が枝野たてという背中をおしていただいたからです。まさに国民の声、主権者の声が立憲民主党をつくった原動力です。だから私たちの原点として、少しでも遠くにいってしまったと思われている政治を本来の国民のところに少しでも近づける、それが使命・責任だと思います。
右とか左とかいうのは、もう20世紀の古い考え方です。今問われているのは、上からの政治上からの政策か、それとも草の根の声によりそった本当の民主主義、くらしの足下に光を当てて社会を下からおしあげるかが、上からか下からか問われていのではないかと思います。新しい軸で、上からの政治ではなく、右でも左でもなく前に進む新しい選択肢を私は掲げて前に進んでいきたいと考えています。(拍手)
選挙を運動は今日までです。でも、立憲民主党の挑戦は、枝野幸男の挑戦は、いよいよあしたから本格的にスタートします。簡単なことだと思っていません。私も24年国会に送っていただいて、みなさんのおかげで貴重な経験をさせてもらった、その経験を生かしていきたい。一方で、国民から遠くに遠くにいってしまった政治の責任の一端もあったのではないかと思います。そうした空気に染められたのではないかと思っています。でも間違いなく、どんどん国民に遠ざかった政治に対して、国民によりそわなくてはならない、国民の声に近づかなくてはならない、その一歩をあした踏み出したいと思います。
地元で24年お支えをいただているみなさん、みなさんのおかげで、旗を掲げて立って新しいステージに立たせていただいています。高いところから恐縮ですが、みなさまのおかげさまだと思います。この選挙、私が不在のなかを多くのみなさまに支えてもらってきょうまで闘っていただきましたが、この旗を掲げた枝野幸男がまさか負けるわけにはいきません。しっかりとこの選挙、みなさんの力で、小選挙区で勝たせていただいて、1人でも多くの仲間をあした当選してもらって、そして国会のなかでっかりと新しい存在として影響力を与えていく、そうした力を立憲民主党として持たせていただきたいと思います。
そのためには、まだ投票に行っていない方、必ず行ってください、まわりの人に一人でも多く声をかけてください。新しい民主主義を、政治家が勝手につくる民主主義ではなくて、みなさんが主役のほんとうの民主主義を、私、枝野幸男は踏み出します。この歩み、みなさんも一緒に踏み出していきませんか、これからもこの変わらぬ初心を掲げながら、新しい旗を掲げて前に進んでいきます。ぜひみなさん一緒に進んでください、枝野幸男と一緒に前に進んでください。私も期待にこたえられるように全力を尽くしてがんばります、がんばります。一緒にがんばりましょう。ありがとうこざいます、ありがとうこざいます、ありがとうございます。私にはあなたの力が必要です、あなたの力が必要です、あなたの力が必要です。一緒にかんばましょう。私も頑張ります。ありがとうございました。ありがとうございました。(コール)
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