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2017.06.18

6/17 政権は国会などいらないとメッセージを国民に送っているという言葉にハッとさせられる

昨日、報道特集を見ていたら、共謀罪国会の問題を取り上げていて、そのなかで金平茂樹キャスターが、
「今回の国会運営を見ていると、国会での議論なんか意味がないんだ、という強い意思を感じ続けた、国民も国を企業組織であるかのようにとらえ社長は2人はいらない、という感覚なのだろう」
というようなことをコメントしていました。
私の共謀罪国会の気持ち悪さは、これなんだな、と思いました。議論の場でごちゃごちゃ言うなよ、どうでもいいからサッサと決めろよ、というリクツが、行政の過ちの可能性に、歯止めをかけられない状況で、これは国に限った話ではありません。

政府はときとして、国民の自由や人権を制限することを判断しなければなりません。税法や刑法というのはその最も典型的なものです。社長が決めたからさっさと決まる、という政府にしてはならない、ということなのではないかと思います。
1990年代から、日本は開かれた社会をめざして改革が続けられてきたように思います。情報公開法、政府のパブコメの実施、18歳選挙権の実現、衆議院議員選挙の選挙運動方法の緩和、自治体の政策決定過程の市民参加、自治体議会の改革などなどです。
ところが民主党政権の終了から、完全にこの流れに逆ねじがまわってきて、強引に決める、決めた過程の文書を隠す、上が決めたことに諫言する側近がいない、などの現象が、国でも地方自治体でも顕著に見られるようになってきました。よく関与する自治体議会改革の運動での議論でも、改革ツールの様々な自慢はするのに、肝心要の行政にきちんとタガをはめたり、文句を言うことを「非効率」と言い放つ、改革の旗手も珍しくなくなりました。ずっとごろっと違和感をもっていました。
朝霞市議会でも、私の任期2期目に流れる基調は、議論なんかだらだらやるな、さっさと決めろ、という雰囲気です。合意形成はどうすべきか、というところがすっ飛ばされた数の論理を強行しようとする場面が目立ちます。

それは独裁とまで断定できないにしても、議会があったところで行政府をチェックしたり時に問題があって止めたりすることを役割として放棄したら、議会の機能は停止です。まさに民主主義からの逃走なんだろうとみています。

●ロシアのエリツィン政権期、ロシアの国会で乱闘が乱発して、多くの日本人は野蛮な国だなぁ、と思ったのかも知れませんが、小室直樹さんはロシアが民主化している証拠だ、と言い切り、その理由として。議場で決めるということに意味があると思っているから、議場で乱闘するようになったのだ、と何かで書いています。
今の日本の国会はまさにその逆の状況で、どうせ国会で何やってもどうにもならない、さっさと決めろという与党支持の国民の声、自分の国に無力感だらけの野党支持者のうんざりした気持ち、引き延ばし戦術をくり出すしかない反対側の存在、議会人として議会が無力だと証明せざるを得ない状況に、情けない思いをしているところです。
そのようななかで、議会人である限り、議場に出される議案、請願、意見書に「これでいいんだ」と面倒くさがらすに、一つ一つ丁寧に判断をして、後世恥ずかしくないような行動を取っていきたいと思っています。

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