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2017.03.10

3/10 森友事件は何でも教育が解決できると考えることがベースにある

森友学園問題がマスコミを賑わせています。世の中、うまく立ち回るとこんなふうに土地を手に入れられるんだなぁ、という感じがしていて、日々、公共用地を高く買わざるを得なかったり、借りざるを得なかったり、NPO活動団体から活動する拠点が手に入らないと悩みを打ち明けられ、そして何より住宅価格の高騰に人生を捧げてしまう勤労者の側から見ると、うんざりしてきます。ほんとう自分はうまく立ち回れない無産者だとつくづく実感します。

土地の取得の不公正さの話はメディアやルポライターの力に委ねたいと思いますが、とても教育者として必要な知力もなさそうな理事長が、教育を騙り、そこに右派の政治家や評論家が群がる構図を見ていると、教育界って不幸な環境におかれているな、と思います。

日本社会は、個人の禁欲的努力を最大限に評価し、リスク分散や社会連帯による問題解決をあまり重視してきませんでした。その結果、人を教育して人を力づける方法論を中心に考えてきたので、何でもかんでも教育のせいにしてきたところがあるのではないか、と思うところがあります。これは右派も左派も同じです。

そういうなかで、右派の政治家や評論家が、こんな迷言吐く人物の学校経営に過剰な価値を見いだして、(最低限見積もって)煽ってきたのではないか、と思うところがあります。

教育や学校教育の効能と限界をきちんと見るべきではないかと思います。

●教員が授業のみならず、いろいろルールを増殖させて統制する生徒指導から、過剰な活動に問題が呈せられる部活まで、みんなこうした何でも教育で解決させようという思考回路が背景にあるのだと思います。

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