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2017.02.03

2/3 保育園の待機児童数は仮置きでしかない~多様な社会の働き方と家庭のありようは定義しきれない

ここ3年ぐらい、横浜市の保育所待機児童ゼロ宣言が虚構だ、という批判から、保育園の待機児童数をごまかしている自治体がある、というような議論が好まれています。

確かにそういう現実の断片があるのかも知れませんが、待機児童数なんてそもそも定義不可能なのです。保育所に入る要件を満たす申込者数から入れた人の数を引いた数を「入所保留児童数」として算出し、そこから自己都合と言いたげな、希望園しか望まなかった人、育児休業中の人などを差し引いて、残数が「待機児童数」として計算されます。それがどの自治体も同じ基準で計算できるのでしょうか。

実は厚生労働省は、世田谷区などからの、待機児童数を正しく計算していない自治体がある、という声を受けて、待機児童数の正しい計算を検討する検討会を開いていますが、この議論がもはや迷走していて、自治体による待機児童数の定義はどう考えても画一化できない、としか思えない議論をしているのに、まだ結論を焦っています。

保育園を使うのには第一関門として「保育の必要性」が認められる必要があります。これは地域事情によって大きく違います。ここで門前払いを受けると、待機児童どころか、そもそも必要な子どもの数にも入りません。幼稚園がないような地域では、保育の必要性は幅広く取りますし、待機児童があふれて保育所が増設できない自治体は、育休やハローワークに行かない求職に保育の必要性を認めず門前払いをしていたりします。このあたり、何が正しいというのはないのではないかと思います。
その数字から、保育園に入れた子どもの数を差し引くと「入所保留児童数」ですが、この時点でブレがあるわけです。

次に、入所保留児童数から、育休中の人、求職活動中の人、希望園しか申請しない人を差し引くのですが、まず希望園しか申請しない人という定義があやふやです。特定の社会福祉法人にばっかり執着しているようないかにも「自己都合」な人もいれば、マイカーもなく自転車もこげない人が家と駅の近くの保育園しか選ばない社会的制約を受ける人もいます。そういうのを一緒くたに「希望園しか申請しない人」というのを定義するのは、通勤でのマイカーの利用が当たり前かそうでないか、自治体の保育園の整備の地域偏在なども影響しますし、個々の保護者の家庭環境、居住環境も影響して一概には定義できません。育休も自己都合の育休なのか保育園に入れないから育休なのかによって全然意味が変わってきます。
そうやって考えると、待機児童数が「正確」か「正確でないか」などと議論することは、無駄な論争だと私は見ています。

仮に保育園の待機児童数が正しく算出するために、厚労省が、詳細なマニュアル作って全国の自治体に統制して、何か意味があるのでしょうか。
むしろ過去の各自治体での待機児童数、入所保留児童数と計算違いが出てきて、その自治体の改善・悪化を測ることができなくなる危険性もあります。今度は保育園整備を怠った自治体が、厚労省の算出の基準が変わったからだ、などと言い逃れをする危険性もあります。

こういう議論につきあわず、社会構造の変化に真っ正面から向き合って、保育園を着実に整備できる仕組みを考えることに力を注いでほしいものです。

●複雑な社会の動きを指標化することはできても、それはしばしば仮定の前提をしたところからしかできないことがあります。どこかに必ず正しい数字がある、として模索する努力には頭が下がりますが、それが問題解決につながるための労力に見合うのか、考えてもらいたいと思います。

●住民から責められる、待機児童が解決できない責任を、誰かのせいにしたいから、となりの自治体は待機児童数を誤魔化しているなどという責任なすりつけ体質がある限り、どんなに正確な計算式を示したところで、その数字がまた正しくないなどという話になるだけです。ムダです。

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