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2016.04.04

4/1 新年度スタート

新年度が始まりました。
転勤や転居などされる方のご心労を思う季節です。
議会報告をお送りしている方には、転送されなくなって返送されてはじめて転勤・転居がわかる方もいます。そのときにも宛先を見ながらしみじみしています。
また、お世話になった市職員が退職される季節でもあります。私は、政策的なことで無理難題言うことが多く、そういうことを反論したいのに黙って聞いて工夫してくださってきたみなさまにお礼を申し上げます。

●私にとって今年の年度替わりの一番の変化は、保育園の送り迎えがなくなったことです。子どもの成長を喜ぶ一方で、保育園の当事者なくなったことが寂しい思いをしています。

私が、労働組合で保育政策に関わり、期待を見いだしたのは29歳のとき、組合の仕事で保育政策を担当を命じられたときです。現場を回ったり、研究者と保育士との共同研究活動などに付き添い、児童福祉が、子どもを正邪で善導するのではなく、子どもや子どもをとりまく環境で欠けているものを補い、社会としての統合を保っていくという仕事を見て、何でこのことをもっと早く発見できなかったのだろう、という惜しさからどんどんのめり込んでいきました。

当時、上司が始まったばかりの介護保険制度の対応策などで追われているなか、できるだけ自分で判断せよ、といいつけられ、忙しくも、楽しく深めていった世界でした。待機児童対策などのために必要な改革を認めつつ、日本の保育制度の長所を守り、全国14万人いた保育労働者の組合員の雇用と職場の安全を守る、という合わせ技を突破するのに苦労した思い出があります。臨時職員の採用規制の緩和は業務の需要変化に対応する分やらざるを得ないと判断しましたが、そのことが後々の全面規制撤廃につながっていくのかと思うと後悔するところが多くあります。
とくに私のいた組合は、都会では弱く、どうしても少子化・人口減少している地方が現場で、規制緩和が保育園の廃園はじめ合理化につながりやすく、そうしたことと、待機児童を生んでいる大都市圏との課題をバランスとりながら前に進むことも、求められていました。
この頃、ちゃんとした待機児童対策が国や自治体で取られていれば、と思うことばかりです。

そこから5年経て、上の子を育てることになりましたが、期待していた近所の保育園は大型マンションの新築ではじき飛ばされ(その頃、子どもが急増していた朝霞台地区で認可保育園は北朝霞・浜崎・泉水しかなく)、以後、下の子の都合も含めて8年間待機児童問題の当事者でもあったし、認可保育園以外の選択肢がある意味を痛感した時期もありました。

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