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2016.03.12

3/12 2000年代保育園政策はどう展開されたか~待機児童問題の誤情報による責任論を回避するために

「国会議事録で調べると、民主党政権で子供手当ての財源確保のために公立保育園などの補助金を事業仕分けで削減したために待機児童が増えてた。地方も都市部も一律対応した民主党政権の負の遺産でした 」
というデマがツィッター上で流布しているみたいです。結果からいうとそういう事実はなく、むしろ、2009年頃から、首都圏の自治体では保育園を急増させているので、数字だけみると逆の現象になっています。

保育園を増やしたか減らしたかに関しては、自民党政権も民主党政権も功も罪も党内での意見の割れもあって、結果として保育園を増やす方に動いてきたというのが事実です。

日本の場合、保守政党がイデオロギーとは別に、私立保育園の一部を票田に組み込んでいるし、自治体首長や議員も保育園の政策をやっているので、イデオロギーや政党の対立によって待機児童問題に影響は与えていません。そこを無理に政局にするのも、どうかと思っています。

一方で、蓮舫参議院議員は「保育所関連施設を事業仕分けの対象にした、との間違いが時々見受けられますが、そもそも自民党が一般財源化したもので国の予算ではないためあり得ません」といい、玉木衆議院議員は「民主党が事業仕分けで保育所関連経費を削減したとのネット情報があるが、全くのデマだ。公立保育所の予算は小泉政権時代の「三位一体改革」で平成16年に運営費が、福田内閣時代の平成20年に整備費が、それぞれ一般財源化されており、そもそも国の予算ではなくなっている。」と反論しているが、どうも反論としては断片的な事実で反論しているだけで、一般財源化そのものは民主党も推進してきたことから、さらに誤解を広げる展開になるのだろうと思います。

民主党が待機児童対策など保育園政策に定見を持っていたかという謎は、中公新書の「民主党政権 失敗の検証」の「第五章子ども手当-チルドレンファストの蹉跌」を読んでもらいたいものです。そのなかでは、それほど保育園政策そのものに熱心ではなかったことが、子ども手当というわかりやすい政策に飛びつかれたことが書かれたことが明らかにされています。
民主党政権下の保育園整備は着実に推進されていますが、その原因は一部の良心的な議員が注目されないところで整備の仕組みを守って、2007年~今日まで続く保育園増設を基調とする待機児童対策が取り組まれてきた、ということが言えます。そのことは政権交代でも壊さずに来たということが言えると思います。

●十分な資料が手元にないので一部不正確な認識があるかも知れませんが、1990年代後半からの保育園政策を以下整理してみます。

1.保育園の制度改革は、1997年児童福祉法で行われた。このときは、保育コストの負担配分の見直しが中心テーマで、保護者の自己負担を大幅に増加させる内容だった。全国的な保育運動が展開され、保育園を考える親の会や私立保育園連盟、のちに参院議員になる小宮山洋子さんなどがチームになって取り組んだ結果、高齢者福祉のゴールドプランによるサービス整備の成功を模して、保育園の計画的整備が企画され、国と自治体で1995~2000年にかけてエンゼルプランを策定することになる。

2.1995年から規制緩和委員会が発足した。産業政策の規制緩和が一巡した1999年に、福祉や医療、労働政策など公共サービスを産業政策化する意図をもって規制緩和の対象に加えられる。第一波は2000年に、認可保育事業への営利企業の参入規制の撤廃、常勤でない保育士の配置規制の部分的撤廃、園庭規制の緩和、借地利用の緩和などから始まる。

3.1995年に地方分権がスタートし、税財源の自治体への移譲(使途を縛る補助金から使途を縛らない税や地方交付税に変える)が大きな課題として議論が始まる。市町村の税財源の移譲では、国の補助金のなかで大きな割合を占める保育園運営の補助金を、市町村への税源の移譲とワンセットでなくすことが検討される。これを「保育の一般財源化」と言われるもの。

4.以上3つの要素による保育制度改革の課題としてこんがらがりながら2000年代に持ち込まれる。そこに登場してきたのが小泉純一郎で、①新自由主義者としての規制や分権への改革姿勢、②キャリア系フェミニストたちとの交遊関係からの女性のキャリアアップ支援の視点、③財政再建が保育政策に影響を与える。

5.小泉政権が最も推進したのは、地方分権の一環として行われた保育の一般財源化(この時の地方財政の全面的な改革を「三位一体の改革」と呼ぶ)。当然、市町村によっては他の財政支出へのピンハネも懸念され、抵抗も強く、公立保育園への補助金だけが一般財源化された。公立保育園の国からの補助金は、地方交付税の「需要額」として参入されて税収または地方交付税に変わった。
改革のときには、地方交付税は、公立保育園に出していた補助金と同額になるようにする、という説明と算式が示されたが、同時に行われた地方交付税の総額カットでほんとうに交付税で公立保育園に出ていた財源が保障されているのかわからない結果となった。
その結果、公立保育園は増やせないし、民営化すると自治体は補助金として収入が安定するので、自治体の行政改革として民営化が推進されたこともある。
ただし、この改革の頃にはすでに、公立保育所の新設改築に建設費補助の制度がなくなって負担になっていたので、公立保育園の新設はほとんど行われなくなっている。
∴保育財政の一般財源化をした民主党政権、という批判はデタラメ。また一般財源化は保育園の整備を遅らせたという結果はない。むしろ民営化によって財源捻出して民間認可保育園の整備を行った事例はある。民主党国会議員たちはこの一点で抗弁していて、一面的には正しいが、多くの民主党議員が、一般財源化に反対していたかというと、ごく一部の議員に留まるし、それは抵抗勢力と言われた議員たちであった。

6.小泉政権は、公共サービスの商業化をめざすブレーンたちに取り囲まれていたので、この政権のもとでは保育園の規制緩和圧力が続けられ、利用者や事業者と経産省や経済財政諮問会議の間に厚労省が挟まって微調整的に規制緩和を繰り返す状況が続く。
しかし、規制緩和しても儲かる事業ではないので、規制緩和→保育園が増えない→さらにブレーンたちが規制緩和が足りないからだ、と叫び続ける悪循環構造が続く。
保育園に関していうと、この規制緩和の少なくない話が保育士の働かせ方・給料の支払い方をめぐる規制緩和であったので、非正規労働の保育士の処遇がどんどん悪くなる。

7.保育園の計画的整備の方は、少子化対策や、児童虐待の対応、発達障害の発見などが論点として浮上し、保育に限定した「エンゼルプラン」から、2005年前後に、それらの視点を含む「次世代育成支援地域行動計画」で保育園整備が進められることになった。児童福祉行政が総合化する効果はあったものの、一方、論点が拡散して、保育基盤の整備計画としての色彩は薄まった。

8.1997年以降のデフレ経済による税収減と、経済政策の考え方の変化で、緊縮財政が至上の価値を持っていたので、保育所整備にお金がかかるのをわかりきっていたのに、規制緩和や地方分権でなんとかなる論が横行し、正面切った整備は行われなかった。むしろ、1990年代前半は大都市部でも保育園が余ってきたので、少子化でいらないはず、という前提も残っていた。

9.4~8の状況は、主に小泉純一郎元首相と、その勝ち組的ブレーンによる政策の失敗が大きいが、それに対して野党第一党の民主党や、それ以下の野党が、きちんと反撃して政策を対置できたかというと、地方分権は推進、規制緩和による構造改革も推進、財政の効率化という緊縮財政化も推進、と主張し、保育園政策に関しては、共産党が旧来型の保育園整備を訴えていたほかは、民主党内も一部の女性議員や厚労省に縁の深い議員以外は、「規制緩和ちちんぷい神話」を信じていた。2005~6年頃まで、民主党は保育園整備が遅れた主犯ではないが、助犯だった。

10.非正規化や就職難など若者の労働条件の悪化、格差の拡大などから、小泉政権の構造改革に疑義が呈せられたのが、2005~6年ぐらい。このあたりから民主党内でも、規制緩和一辺倒の社会変革を訴えることから転換がはじまる。
同じことは自民党もあり、小泉政権から安倍政権の移行のなかでは、「再チャレンジ」という言葉などに、競争至上主義や規制緩和からの政策転換を模索することが始まる。保育園に関しても規制緩和の圧力は弱まる。

11.福田・麻生政権のもとで、子育てあんしん基金がスタートし、毎年国が300~500億円を都道府県に積立金として押し込み、都道府県はそれを財源に自由なタイミングで保育園整備を進めることが可能になる。制度創設当初はうまく使われずに都道府県に蓄積された可能性はある。
この基金の制度に批判的な野党議員もいたが、後年の大都市部の保育園整備を見ると、この基金があったから機動的に対応できた結果から、今では同基金に対する批判は見当たらない。

12.民主党が政権をめざす過程で小沢一郎の自由党と合流。前原党首の失敗により、小沢氏が主導する政党となるなかで、明瞭な政策として「子ども手当」が打ち上げられ、現金給付の子育て支援が同党の目玉となる。そのなかで保育園政策がきちんと検証されて新政権の政策となることはなかった。お金渡すことが「子育て支援」という位置づけに留まった。また財源を作ることも一部議員が主張したが、小沢一郎周辺に斥けられた。

13.2009年民主党政権が発足し、政策決定は小沢一郎を中心とする幹事長室が握ってしまい、幹事長室の意思決定に入れてもらえない反小沢派は、事業仕分けなど行政改革を推進する。そのなかで保育園への補助金にムダが多いという指摘から、事業仕分けのやり玉に挙げられる。事業仕分けをしかけた側は、小泉政権のような文脈で取り上げたと思われるし、実際の事業仕分けの報告書でも、審議内容とは関係なく、小泉政権的な評価軸で「見直し」と結論づけられている。しどろもどろ説明する厚労省の保育課長を糺弾する場面だけがハイライトとして伝えられたりもした。
一方でこの事業仕分けの場において、仕分け人から保育士の低賃金構造が指摘され、財務省官僚が非難を受ける場面があったが、記録には残っていない。
※私のブログ 「国の事業仕分け:保育所運営費補助金が安すぎる、保育士の待遇改善をせよという展開に」に記載。
この顛末では、民主党のメインストリームにいる政治家たちが、保育園にムダがあって、小泉政権的な改革をしようとしていた意図は否定できないだろう。一方、それはギリギリのところで歯止めがかり、その後事業仕分けの結果を受けての、保育財政を緊縮させる動きは見られなかったことから、民主党は保育園を壊した結果はなく、むしろ事業仕分けと関係のないところで、「子育てあんしん基金」などによる保育園整備を守りきったということが言える。
∴事業仕分けを使って保育園への財政に締め付けをしようとした民主党の意図はあったものの、事業仕分けの結果がそうならず、さらには事業仕分けの結果をそのまま適用できる保育事情でもなく、影響はなかった。むしろ事業仕分けと、幹事長室独裁という正面からの政策決定が面倒な状況のなか、民主党政権の予算編成のなかで、保育園整備費用を守れていた、という事情の解明が必要である。

14.民主党政権発足当初は、厚労省に全面的に批判的(だったと言った方がよいか)な、長妻厚労大臣であり、このときにはムダ排除が大臣として重視したテーマであった。ところが鳩山首相が沖縄問題の処理で失脚し、菅首相に移行するなかで、民主党政権の厚労行政への対応が変化し、穏健改革派の細川、小宮山大臣になるなかで、福祉行政のムダというテーマは退き、必要とされる課題は推進していくという姿勢に変化。保育園に関してもこの頃から財源確保をどうするか、という話題になる。
菅直人が財務大臣時代にG7財務相会合で約束させられた増税をともなう財政再建が発端で、社会保障と税の一体改革が登場。一体とする増税分の使途説明として保育政策が最重点化され提案される。
増税が出てきた頃から、小泉構造改革的な政策的スタンスを取る議員は、増税反対を口実に、民主党から離党を始めて、維新やみんなの党などの第三勢力に移り、そこで、再び保育園政策も、規制緩和の旗振り役の八代尚宏教授の影響を受けた若手研究者鈴木亘などを迎え入れ、規制緩和をベースとする保育園政策を訴え始めるが、現在のところあまり影響力はなくなっている。

15.ところが社会保障と税の一体改革が、財政再建の話にシフトしていくなかで、予算の刈り込みが行われ、保育・介護労働者の処遇改善、国保の軽減など、社会保障の充実はどんどん縮小され、同じ社会保障でもサービス形成とそれによる雇用創出・改善につながらない、年金財政に使途がシフト。年金への財政投入は資本取引にしかならないので、ほとんど財政再建のための増税になってしまった。
※社会保障というと年金のソントクの議論しかしない日本の世論のもとでは、社会保障のためといって金融に資金を流すのはたやすい。

16.民主党政権が終わり、自民党の安倍政権に移行するなかで、①子育てあんしん基金を経由した保育園整備は続き、②インフレ基調・労働力確保が政権の課題となるなかで、保育園政策に対しての後退は見られない。ただし、安倍政権のインフレ誘導策が、実質賃金を低下させ、とりわけ保育士に関しては賃金がほとんど上がらないことから、周辺の労働力が逼迫しはじめた仕事より賃金面、労働環境面での見劣りが目立ったこと、2009年頃からの首都圏での急ピッチな保育園整備の結果としての保育士不足が深刻化、労働力確保から保育園整備の壁が意識されるようになった。
安倍政権は、「戦後レジーム」に対する無理な政策変更を強行するために、社会保障と税の一体改革で獲得した増税分を、選挙対策のための、国民や連立与党の歓心を買うための政策に使わざるを得ず、その結果、また使途が刈り込まれることとなっている。
安倍政権が、社会保障と税の一体改革を空洞化させる過程で、一体改革は無責任なスキームになっている。そのなかで保育園政策や介護保険制度は、毎年、制度が約束と違ういじられ方をしている。

17.このなかで、保育園の増加・減少への政治の影響では、小泉元首相が構造改革によって解決を図ることで資源投入が遅れた問題点を挙げるほかは、実際には影響なく、ペースが追いつかなくても2006年以降、保育園整備は前進してきたと言ってよいと思う。
むしろ問題は政治以外のところで、現行制度で拡充を図りたい厚労省、財政再建のために年金以外の社会保障財源を刈り込みたい財務省、保育業界を産業政策化して影響力下に置きたい経産省と経済財政諮問会議とがせめぎあうなか、そのときどきの財源確保の状況によって、保育園政策の展開が変化してきた、と見取った方がよい。そのなかで、待機児童問題の犯人は誰かと言えば、保育園の財源確保を阻害した者ということになる。

うっ、子ども子育て新制度については書き忘れ。あとで加筆します。

●ところで「三位一体の改革」の三位一体っておかしい用法。2004年の地方財政改革では、3点セットという意味しかない。もとの宗教的表現では、不可分な本質が3つの現象で現れていることを意味しているので、不適切な認識と比喩だと思っています。

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