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2015.08.15

8/15 終戦の日の祈り

本日、先の大戦に日本が無条件降伏を表明して70年。終戦の日です。
(実は、無責任な軍の放棄的な撤退で、満州や千島・サハリンなどではその後も戦闘状態が続きながら撤退が行われ、膨大な惨禍がつくられています)。
犠牲になった人、運命の変更をしなければならなかった人たちに思いを馳せながら、祈る日とします。

昨日14日、首相の談話が公表されています。悪文としかいいようのない内容です。新たに出す意味はなく、その意味を再確認しようとすれば、戦後初めての首相談話である村山談話に立ち返らざるを得ない内容だと思います。

中国や韓国がこれまで我が国に戦争への反省を迫ることがありましたが、村山談話のとおりだ、と言えば論争は収束したものが、今回、未来に謝罪させないという内容が入ったことで、再び、両国から、本気で謝罪の気持ちがあるのか、未来に向かって過ちは繰り返さないのか、と問いただされることになります。
全く逆効果で、一部の国民の自尊心を慰撫するために何もかも打ち壊しにしてしまった談話になってしまったのではないかと思います。

●5年ぐらい前だと思いますが、1945年8月15日の玉音放送の後がどんな日だったか、ということを当時青年だった人たちに大量にインタビューした番組がありました(もう録画はないだろう)。泣く人、喜ぶ人、戦争中として禁じられたことを始める人、ゼイタクとされた鮮やかな洋服を着る人、いろいろな当時を語られていた。明治憲法は続いたし、治安維持法はあったし、国家総動員法があったし、軍の武装解除もこれからだし、まだまだの時代なのに乗り越えていく人がいたと知る機会でした。

●追記 1995年の村山談話が、村山富市元首相や社会党の趣味で書かれたかのようなデマを言う人がいます。村山談話の意義をきちんと理解している人には、当たり前の話ですが、改めて談話が作られ閣議決定した過程を証言する記事がありましたのでご紹介いたします。
「村山談話」を書いた元官僚・谷野作太郎氏、その誕生秘話と意義を明かす
「後日、橋本先生にお会いした折、このことを話題にしたところ、「あれはどうみても無謀な戦争だった。赤紙一枚で戦争に駆り立てられた兵士たちの関係者も、自分たちの親、兄……たちは、そのような無謀な戦争の犠牲者だったと思っている。だから“敗戦”で、遺族会も一向にかまわない。その方が潔い」とおしゃっていました。「君たちは遺族会を色眼鏡で見すぎる」とお小言もいただきました。
 あの談話が出た当時、あれは社会党の党首・村山富市氏が個人的感慨を述べたにすぎないという向きもありましたが、閣議決定も経ている、以上の経緯からも、あれは「村山談話」というより政府が一体としたその考え方を表明した「日本国総理大臣談話」と言うべきです。」

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