4/29 労働者の祭典でセンガタンと「がんばろう」
連合メーデーに参加しました。15歳ぐらいから労働問題に関心を持ち、労働組合の職員としての前歴、そして賃金労働者の家系に生まれた者として、できるかぎりこうしたことにはおつきあいしていきたいと思うからです。今回は息子たちも連れていきました。
最初は、連合埼玉メーデーで大宮へ。上田知事のあいさつがとてもよかった。波平さんのプリントアウトを示しながらサザエさんがテレビで始まった時代「波平さん54歳、当時の定年は55歳、平均寿命が63歳、昔は退職後8年のことだけ考えていればよかった」が、寿命が長くなるなかで、働くことと暮らすことの関わりを増やしていかなくてはならない、ウーマノミックスもいろいろな人の社会参加の拡大策もそういう視点でやっている、労働団体にも協力をお願いしたい、という内容で、競争至上主義的な上田知事1期目よりずっと政策への視点が成熟してきたと思いました(当時は社会情勢や、挑戦者としてのスタンスとして、あえて競争至上主義的な主張をしていた面もあったんだろうと思います)。
会場では、12月の総選挙で、秩父鉄道労組さんの関係で知り合いになった、秩父鉄道の急行電車に模した「ローカル戦士・センガタン」さんと再会。
会場の広さから子どもたちがいらいらし始めたので、昼前からはイベントスペースが広く取っている、原宿の中央メーデーに移動、青空のもと、前の職場、連合で福祉政策を担当している方々など様々な方に近況報告し懇親を深めました。
なんと、気仙沼の青年とともに朝霞市民の方がイベントブースを出しておられ、ワインとソーセージをおいしくいただきました。
働く人の生活の安定と、健康と福祉を祈念して、会場を後にしました。
●私にとってメーデー初参加は1987年だったか?次が1991年統一選の直後の札幌で、労働団体とは別に横路孝弘後援会が参加団体としてエリアが確保され、それにくっついていきました。お葬式デモは嫌だと孝弘さんの妻・横路由美子さんの音頭で「インターナショナル」を高らかに放歌しながら行進したことを覚えています。
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