2/5 国や自治体の計画の数値目標至上主義はソ連の間違いの再現ではないか
来年度予算に盛り込む・削除する事業の内容が朝霞市から届けられました。
12日の全員協議会まで精査していきますが、自治体の総合計画の下部に位置づけられる実施計画の目標数値の設定の仕方を見ていて、ため息が出ることが多くあります。
例えば、市が設定しているある審議会の予算の目標は、と見て見ると、「答申率100%」って…諮問したことの答申がすべて返ってくることを前提にしているなら、参加している委員って何だろうなぁ、と思ったりもします。
●それで思うところがありますが、小泉政権の頃から今も、国や自治体のやる仕事に「数値目標」設定する、「達成率」など声高に言うことが流行しています。国など新しい方向が出ると、中身の話より「数値目標」や何だと手法の議論ばっかり盛り上がって、それが自己目的化しています。
ところが数値目標は、えてして、解決したい課題と関係なく、目先のわかっている手段を対象に、事業執行だけを点検するものです。しかし自治体の仕事は、向かってくる対象も問題も森羅万象であり、人間相手に様々な知見が錯綜しながら、対話を中心に解決していく仕事がたくさんあります。役所がよかれと思った数値目標は問題解決の助けにならないことがたくさんあります。とくに、重大な業務になればなるほど、そうなります。
その結果、数値目標の達成度だけ測ると、市民の誰もが重大問題に向き合っていると理解している仕事は成果が上がらずダメな評価になって、50年60年前から効果も上げないのに同じことを漫然と続けている方が消化率の高くて達成率はAなんてことになりがちです。ちらしを6万枚配ったら達成率100%なんて目標もありました。
解決したい問題に目標値を設定すれば今度は「いじめゼロ」みたいに問題を直視しない、反論できない正しさしかない、方法論・運動論のないスローガンが蔓延します。
こうした間違いは、ソ連経済のノルマが石ころばっかり入った麦だの何だので経験してきたことなのに、ソ連より開明的な社会と言われてきた日本で今頃になって真似しています。
自治体の計画は、何をもって課題と使命を認識し、刻々と変わる状況に、何を手段とするべきなのか、そんなことを改めて考えさせられます。
●ソ連だって数値目標を国民に押しつけて働かせるノルマ至上主義は間違いだと1960年頃から認識して、産業連関表など導入して、近代経済学のシステムを徐々に導入していたのですがねぇ。
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