7/16 ABCDのPDCAで自治体の仕事は関東軍化する
行政評価って苦手で、いったい何を評価しようとしているのかわからないし、実際には、CだのDだのついたからってやめられるわけでも、財政などの行政資源の関係から変えられるわけでもなかったりすることがあります。対象者である市民の協力がなければどうにもならないこともあります。
今日、市のある委員会で行政評価の結果を見せられましたが、まさにそれを感じました。
大項目はすべて「A」、計画目標を達成しています、というもの。
そうであるなら、問題はすべて解決されて、メデタシメデタシ、となるのが評価結果のはず。ところが委員誰もがそんなことも思っていません。Aの羅列のリストを見て、「なんと言ったらいいのか」って顔をしています。
私は行政が目標管理をやるのは無意味とは思いませんが、あまり意味があると思っていません。行政がやるべきは、言葉で表すような「何が解決されたか」「どんな効果が挙げられたか」ということで、それは目標管理という手法にはそぐわない、と感じています。
ただし、その自治体の公務員が仕事しないなら、ひとまず目標管理ではないかとは思いますが。
逆にいうと目標管理をやたら数値化してやっているということは、上や地域が自治体職員に働いていないという思いがあるから導入される、ということかも知れません。
少なくとも朝霞市の職員は、目標に従順だし、組合もつくらず職制の言うことには素直な職場ですから、目標管理なんてことはいらないように思います。個々の職員の仕事をしているかどうかの評価なんて目標管理じゃなくたって、同僚ならクセまで含めて、わかるようなものです。
朝霞市の職員に今必要なのは、問題を問題として認識し、その問題を解決するための方法を洗い出して、その中で解決に近づける道筋を見つけ、うまのくいかなそうだったら、違う道筋をまた見つけ、問題を解決したり課題を実現することではないかと思います。
例えば、朝霞市は児童館6館を立てていく方針がありますが、児童館をあと1館を何としても建てようとするのが目標管理になります。でも、児童館を作るか作らないかは、建築業者しか意味のない議論です。本当に必要なのは、子ども達が子ども集団として過ごして、有意義な地域になるかどうかです。そのために児童館なのか、公園なのか、安らぐ路地づくりなのか、学校の放課後開放なのか、駅前広場での表現活動への使用緩和を認めていくことなのか、いろいろなアプローチがあるわけで、それは目標管理では、とらえられないように思います。
さらにその目標管理に対して、ABCDなんて最終評価をすると、評価している方もされている方も端から見ている市民も、完全に思考停止に陥るんだなと思いました。
そしてまた仕事の消化量をABCDで評価して、PDCAサイクルなんてやると、関東軍みたいな、最悪の組織至上主義、仕事のやり方を変えてみようとか、アプローチを変えてみようとか、そういうことはできなくなってしまうのかも知れません。
自治体には、その仕事何のためにするの、というギロンがもっと必要です。
また最近は、細かいことを指摘する市民たちが、目につきやすい「いけないこと」にクレームするので、職員どうしがおしゃべりしなくなったように思いますが、そういうところも、「何のためにする仕事なのか」というふりかえりをするには、良くない職場風土になっているのかも知れません。
やや今どきの行政に関わる議論のなかでは、あまのじゃくな話ですが…。
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