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2014.05.25

5/25 いくつかの読書

アフィリエイトがほしいわけではないので、そういう紹介ではありませんが、いくつか本を紹介したいと思います。

結城博康『孤独死のリアル』(講談社現代新書)
自治体で介護担当職員、ケアマネージャーをされていた著者が実体験にもとづく、孤独死のレポートと政策提言。どうしたらよいのか、という道筋をつけてくれるのではないかと思います。
孤独死を避けられないことで、必ずしも不幸なことではない、としつつ、孤独死に行く過程、死んだ後の遺体や部屋の状況が悲惨となるケースとそうならないケースがある、と紹介し、生前の見守りの体制づくりや、本人の積極的な生活への関わりをどう引き出すか、介護にとどまらず、様々な関わりづくりが必要であることを紹介しています。
朝霞市にとって気になることは分譲マンションでの孤独死をどうするかです。

一方、マンションでは、多くの場合、資産価値が下がるため、孤立死が発生しても公にしたがらない。孤立死が実際に起きているのに、予防や啓発活動が行われないため、ますます増えていく、といったことになりがちだ。
マンションでは、隣に誰が住んでいるかまったく知らない住民も多く、部屋もオートロック式で外部から侵入ができないように遮断されている。管理組合も業者へ全面委託していて活動が形骸化していることがほとんどである。

と現状を示し、札幌市でマンションに介入していく行政事例を紹介しています。
朝霞市のマンションも購入層の大半は働き盛り層でしたが、やがてそれは団子になって高齢化します。また、次の購入層は退職金購入層で、マンションブームから20年経た今、そろそろ重度介護や、場合によっては天寿を全うする場面がやってきます。分譲マンションでの孤独死の問題を直視しないと、大変なことになるのではないか、と思います。
現状の新聞配達やヤクルトでの安否確認も分譲マンションでは届きにくいところがあるのではないかと思います。私も、新しい関わりを作る必要があるのではないか、と議会では問題提起をしています。

濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)
定年延長と高齢者雇用が必要な社会になっているのに、どうして進まないのか、という疑問に答えてくれる本です。1980年代のジャパンアズナンバーワンの誤解とそれにもとづくシステムが、労使ともに染みついていて、解決を難しくしている、ということを改めて認識しました。
今日流れている中高年の悲哀という点では、第四章二「中高年を狙い撃ちした成果主義」が読み物です。1973年オイルショック以降の、失業回避の社内配転、グループ企業内配転で、不況を乗り切ったと同時に定着していった職能給制度が、職務の対価ではなくて、潜在的能力も含めた「職務遂行能力」と見合うか、ということが問われていったことの展開は、おさえておいた方がよい中身です。
入社後、一定レベルになると知的熟練が進まなくなっているはずなのに、企業経営がうまくいっていた時代は、その分配として「知的熟練があった」と見なしていたものが、企業経営がうまくいかなくなって分配できる原資がなくなると、見合うだけの「知的熟練があったのか」問い返され、成果主義でリストラされることになっている歴史が紹介されています。
濱口氏が大事なことだというのは、こうした問題がありながらも雇用改革だけで話が進まないのは、年功型賃金が悪いっていったって、社会保障や教育など社会を再生産するコストを個々の該当する労働者に背負わせるのか、国民全体の財布でやるのか、その議論を整理しない限り、実現できない、ということも書かれています。
またまた参考になる一冊です。

全国夜間保育園連盟・櫻井慶一『夜間保育と子どもたち 30年のあゆみ』北大路書房
待機児童対策が注目され、保育園が増設されると、保育政策への関心の高まり、個々の保育所の問題の顕在化で「預かるだの保育」「保育の質」ということが神学論争的に展開されています。傾聴すべきものもありますが、なかには、保育所や幼稚園選びを保護者のステータスやスティグマにしてしまうような危険な議論の仕方もあったり、保育園どうしの業界内の争いから端に発したレッテル貼りが横行していたり、注意して聞かなくてはならないものも少なくありません。
そういう神学論争華々しい渦に巻き込まれている保育業界の中で、最も過酷な状況にあるのは夜間保育園とその利用者ではないか、と思っています。

看護師や鉄道従業員、最近は小売業界など、夜間働かなくてはならない職種は少なくありません。利用者は日中享受しているサービスでも、欠品回避のために、コンビニの弁当工場などそうですが、夜働く仕事もあります。
そうした人たちを支える夜間保育園の経営者が、様々な努力を重ねるなかで、研究者も入れた15年にわたる調査で、夜間保育園に子どもを預けても子どもはおかしくならない、という報告書が何度か出されています。そうした取り組みをまとめた本で、恐らく、夜間保育の実態について知ることのできる稀書ではないかと思います。

すべてのことは子どもを中心において考えるのです。私(報告者の1人)は、この考え方に特に依存はありません。(中略)保育士と保護者の共通の判断基準である「子どものために」が決めゼリフになるのです。(中略)「子どものために夜遅い時間は預けないほうがいいですよ」「子どものために、休日ぐらい子どもと一緒にいてくれませんか」保育士が意識しているかいないかにかかわらず、保護者に、今の仕事は辞めて別の仕事に就きなさいと勧めているのです。

15年間の研究成果によると、「子どもの発達状態には、『保育の形態や時間帯』ではなく、『家庭における育児環境』および『保護者への育児への自信やサポートの有無』などの要因が強く関連していました」。深夜に及ぶ夜間保育であっても、質の高い保育が提供されれば、子どもに望ましい影響が見られ、夜間保育園児と昼間保育園児とを比較しても、子どもの発達状態に差はみられないとの結論でした。まさに神話崩壊です。よって正しくは「児童福祉の観点から、夜間保育は望ましくない」のではなく、「子どもの置かれた環境(状態)が望ましくない」のであって、この状態を前提として「児童福祉の観点から、すなわち児童の健全育成の観点から夜間保育をすることでより望ましい状態に変える」が正解です。

ここからが2000年に朝霞市民を事故に遭わせた経験から耳の痛いところです。
現実に目の前にいる、闇に漂う子どもたち、を見て見ぬふりはできません。夜間保育が制度かされていなかった時代に、劣悪な環境下であったベビーホテルで死亡事故が相次いだこと、あるいは深夜家庭で留守番をしていた兄弟児が火事で亡くなったこと、など放置してよい事例ではありません。それこそ児童福祉の放棄であり、保育園の福祉施設としての意義を失わせているものです。

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