5/31 小野教授のアベノミクスの評価
前職の仕事の取材以来、12年にわたる親交を続けてきた大阪大学経済学研究所の小野善康教授(前内閣府社会経済研究所所長)が上京されるというので、学士会館に会場を取り、何人かの友人とともに、アベノミクスの理解についてお話をお伺いいたしました。
金融緩和のリフレーション派も、新自由主義(新古典派)も、m(貨幣の量)/p(物価)の関係を操作することしか発想がないという点では同じ穴のむじなで、金融緩和はmを人為的に増やし、新自由主義は競争激化政策でpを小さくすることで、この比率を高めてお金を使いやすくするというものです。
しかし成熟社会では、これを放置しておいても現金保有になりがちで、貯金ばっかり増えてしまう、投資先のない投資資金が増えてしまうという結果になっていきます。
この金融緩和について、吉川洋以降の世代のマクロ経済学の学者は採用しないし奨めもしないだろう、ということでした。
私を含めた参加者の最大の関心は、アベノミクスの弊害がどのように現れてくるかということでした。
それが恐慌的なものなのか、副作用的な混乱なのか、ということだと思います。安倍政権に批判的な人には、それを終わらせるために経済政策が破綻してもらいたいという願望から、アベノミクスに対して大恐慌が起きるというような批判が加えられます。ここのところ株価の乱高下もあり、関心の高いところです。
これに対して小野教授は、 大恐慌でいえばもう20年続いている状況で、それは戦後の経済学の発達で、政策調整されて緩和しつつ続いているという前提の上で、もっと別の要因で経済破綻のような大恐慌が起きる危険性は高まっているが、金融緩和自体は、景気にもデフレにも何の効果もないので、逆にそれ自体で大恐慌は起きず、この1週間のように、株価や金融資産の暴騰・暴落を繰り返す不安定な相場がだらだら続くだろう、ということです。
したがって大恐慌待望論で安倍政権をやめさせることなど考えず、代わりうる政権が何をして国内に幸福をもたらすか考えるべきという話となっています。
最後に本当の無駄とは何かという話になり、「多くの人が労働に参加できない状況が社会の最も無駄な姿で、個々の効率性のために、社会全体で多大な「無駄」が生じている状況をどう解決するのかが課題」とお話をいただきました。
●生活保護の絞り込みのようなことが行われていますが、真剣にその結果を得たいなら雇用、それも社会的な弱者でも就労可能な職場や社会参加の場の確保ではないか、と改めて認識しました。そこを内包しない社会が続く限り、非効率な人は生産の現場から外に放り出し、それは政府によって養うという最も非効率な解決策を採るしかなく、生活保護の補完性の原理から、そこには豊かな市場が形成され得ないということになります。
問題は、そういう非効率な人を包み込んだ職場の生産性で、市場競争に耐えうる範囲なら民間で何とかなりますが、耐えられない負担になってくると、やはり社会的な事業や公的な事業で働く/社会参加をする機会をつくっていくしかないのかと思います。
●参加した民間企業の労務担当者は、アベノミクスで株価が上がって、組合が野党支持の政治方針を徹底しようとしても、従業員たちが安倍政権に好意的だという話をしてくれました。大手企業の場合、従業員で自社持ち株組合を運営しており、この間の2倍に上がった株高で財産が増えたと喜んでいる、精算したはずの退職者まで、持ち株組合の払い出し状況を再確認される、というのです。上場企業で働いたことのない私には、すっかり気づきの遅れていた話でした。
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