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2012.12.11

12/11 峰崎直樹内閣府参与が辞任

12月10日に、内閣府参与をされてきた峰崎直樹さんが辞任したということを知りました。

これまでの政治家としての人生と、その後の政府の任務へのご心労をお察しし、また政治に関わってきた労働組合職員出身者の先輩として、その労苦に敬意を表したいと思います。

●峰崎さんは私の政治的な人生に関わりの多いた方でした。

高校のときの学内での運動による疲弊、父親との確執に一区切りつけ、地方政治で政権交代を実現した北海道の政治文化に触れようと、北海道に渡ったのが18歳のとき。
その後1991年秋の学園祭で、大学生協の活動家たちが主催した政治討論会で社会党書記次長(事務局次長)として講師に来たのが峰崎さんでした。そこから親交が始まりました。

翌年、峰崎さんは参院議員に当選します。1995年頃だったと記憶していますが、社会党が自民党と連立したことへの批判と、当時相次いで露呈しはじめた公務員不祥事について、自治労組織内議員であった峰崎さんと議論を交わしました。その議論のなかで自治体職員が労働組合活動を通じて自らの職場を住民のために改革していく「自治研活動」を知り、自治労の再評価を始めるようになります。そのことはのちに東京で別の方から自治労職員の採用試験を受けるだけ受けてみないかと誘われたときに、積極的に受け入れた理由になっていきます。

自治労に入職してからは、新入職員なのに特定地域との深い関わりや特定の政治家との深い関わりがあると見られることは全国組織の職員として好ましくないことと、私も非常に多忙な毎日を送り、そのため峰崎さんとは積極的に議論をするようなことはあまりなくなったと思います。
また峰崎さんも、民主党には貴重な財政・金融の専門家として、党の実務を担われ、やがては財務副大臣として活躍することになり、とても多忙でありました。その後、2010年参院選をもって議員を引退され、どうしておられたのかと思っていたところ、昨年秋、私の市議選が終わった頃、峰崎さんからメールをいただき、その後も内閣府参与として、社会保障と税の一体改革に関わる仕事をされていると知らされました。


そして、再び交流か始まり経済政策の意見交換などをしてきたところの、今回の辞任となりました。

今だから言えますが、朝霞の国家公務員宿舎建設問題では、直接の担当副大臣ではありませんでしたが、建設反対運動のみなさんが陳情したときに、話を聞いていただくようお願いをしておいたところ、陳情を受け入れていただきました。

まさに1991年統一自治体選挙が私の具体的な選挙参加の第一歩であり、その直後から交流が始まり、峰崎さんが議員を引退したのが2010年、私が自治労を退職したのが2011年11月です。多大な影響を受け、私の政治的意識の形成と同時代を走ってきた峰崎さんがいよいよ公式な場から引退されるのかと思うと、政権中枢まで入られた峰崎さんと、自治体議員の一兵卒である私とを直接シンクロさせるのもどうかとは思いながら、感慨深いものです。

●民主党のダメな年金改革の議論をいちはやく軌道修正をかけ、2009年の総選挙のマニフェスト作成過程で財源論がないマニフェストに批判をした方です。そのことについて、新聞紙上で民主党の政策を批判する立場として対談された慶応大学の権丈善一先生も高く評価されています。

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