10/12 職員には母となる人をなじる子育て支援施設
ある公的な子育て関係の施設を運営している職場の話で、年度途中に突然妊娠した職員に、非難ごうごうだという話をききました。
何重の意味でもひどい職場だなぁ、と思いました。
私もバースコントロールはむしろ肯定する立場ですが、しかし、つきつめれば、妊娠したり、産まれたりすることは、予測のつかないことが多く、運命を受け入れることと背中合わせではないかと思うのです。どうしても産んではならない事情があるのでなければ、できるだけ子どもを産み育てることは自然な流れのなかで進んでいくことが望ましいのではないでしょうか。
したがって、いつ妊娠する、いつ出産するというのは、徹底的に子どもを産まないようにしない限り、偶発的なものであって当たり前ではないかと思うのです。そして職場は、スーパーバイザーでもなければそういうことを前提に労働者を働かせるべきものであって、そのために過去の女性労働者が仕事と育児の両立に苦労してきたのではないかと思います。
まったく残念な話です。さらにそこが子育てに関わる施設であるということに私は呆れかえっています。
そこにいる子どもたちは、そういう運命的なめぐりあわせをへてこの世に生を得ています。社会はそういうことを繰り返しながら次の世代、次の世代に継承されて今日の人類があるわけです。
ところが、そうやって存在している子どもを毎日目の前にして、子どもにとっての社会や制度の役割を考える職場にありながら、そこの職員たちは、これから産む人に、その無計画性を指弾しているということなのだから、いったい社会的な子育てのあり方ということにどう向き合っていたのか問われるべきじゃないかと思います。
また、そういう施設であれば、子どもを預けている保護者に対して、どんなふうに見ているのか考えると恐ろしくなります。
こういう事業者に、子育て施設の運営を自治体はさせるべきではありません。
●こうしたことを平気でやっている職場の管理者には、小林美希さんの書いた「職場流産」を読んでもらいたい。また、全国の看護職場に徹夜勤務2人体制月8回までという勤務ダイヤの考え方が広がった1968年の新潟県立病院の「ニッパチ闘争」の発端は、1965年の看護師の妊娠した看護師が勤務中に非業の死亡をした問題から始まっている。そういう歴史も認識すべきだ。
●労働組合があればお産をする同僚が出てきたときに、労使が制度として乗り越えていくことを考えていくはずなのだが、労働組合のない、田中真紀子流に言うところの使用人しかいない職場は、妊娠した本人の不始末をなじってしまう。そういうことは非常に下品なことである。ようするに、職場の将来も考えずに○月にナマでセックスしよって、と同僚は非難しているのである。
そうした感覚の行き着く先、最悪のケースは、妊娠した職員が後ろめたい思いしながら、ストレスのもと重労働にたえ、流産するか、退職するかどちらかになる。
そうなったら職場は呪われると思う。
●我が市の公立保育所も、生まれ月によって結果的に入所が選別されるようなハードルになっている。
●単なる母体や、出産する人の生活を守るために普及させたはずのバースコントロールが、どうしてこんな風にモンスター化して、通俗道徳と結びついて、かえって母体にストレスをかけるような存在になってしまったのだろうか。三砂ちづるの「オニババ化する女たち」はその1つの解を得たように思ったが、三砂氏が最近出た本があまり良くなくて残念。
●ここのところ岡沢憲芙早大教授のスウェーデン関係の著書の再読かねて拾い読み続けているのですが、スウェーデンの子育てに関する社会的資源が全然日本と違います。
日本の子育てって、最も日本人的なねっとりした嫉み文化とのたたかいで、それは子育てや教育に対する社会的資源の貧困さと重なりあっています。そうした嫉みによる子育て環境は、政策技術で解決すべきものが、保護者の精神性や思想性の問題にすりかえられていることが多くて、持てる保護者の立派さがたたえられる一方、持てるものがない保護者は可能性が奪われた中で子育てや教育をしていることになります。役所は子育てに関する政策技術的な問題解決のために努力をしないで、財政の出動をともなう仕事をしないためのリクツを探す努力に費やされます。そうした流れを追認しているのが、消費税反対を政局化する政治家たちです。
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コメント
>日本の子育てって、最も日本人的なねっとりした嫉み文化とのたたかいで、それは子育てや教育に対する社会的資源の貧困さと重なりあっています。そうした嫉みによる子育て環境は、政策技術で解決すべきものが、保護者の精神性や思想性の問題にすりかえられていることが多くて、持てる保護者の立派さがたたえられる一方、持てるものがない保護者は可能性が奪われた中で子育てや教育をしていることになります。
>役所は子育てに関する政策技術的な問題解決のために努力をしないで、財政の出動をともなう仕事をしないためのリクツを探す努力に費やされます。そうした流れを追認しているのが、消費税反対を政局化する政治家たちです。
ふざけるじゃねえぞ。財務省の走狗と化した屑野郎。
子育て環境の問題を保護者の精神性や思想性の問題にすり替えている輩のほとんどが消費税の税率引上げに賛成していることを知らないか。
いわゆる西欧型社会民主主義者は、福祉の充実のために消費税の増税を容認しているからこそ、非正規従業員や貧困層から見放されるんだよ。お前ら、財界と財務省に利用されていること、そして非正規従業員や貧困層から憎悪の目で見られていることに早く気付け。
消費税の増税の代わりの財源は何か、だって?
決まっているじゃないか。日本国債を日本銀行に直接引受させるんだよ。
国債の日銀直接引受はやれない? やるんだよ。
投稿: 国道134号鎌倉 | 2012.10.12 22:33