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2012.09.23

9/23 NHK「負けて勝つ」の違和感

終戦直後の歴史は謎が多いので、ドラマそのものの真実性についてはあれこれいうことは難しいと思いますが、NHKドラマ「負けて勝つ」の描き方に違和感だらけです。歴史ドラマの近代というと明治維新、日露戦争、戦争の惨禍だけでしたので、戦後の混乱収拾にあたった吉田茂を題材にするのは非常におもしろい選択だと思って見ていましたが、どうもそういう描き方でいいのかと思うことが多々ありです。やっぱり視聴率を稼ぐドラマにするためには、政治家は実務家としてではなくマッチョな男に書かなくてはドラマにならないものなのだろうかと頭を抱えてしまいました。

いくつか指摘したいと思います。

①社会党(右派)の片山政権が誕生し、そこに吉田が社会党左派に手を突っ込んで攪乱し、予算案を予算委員会否決して瓦解させるわけですが、そうした策士として動いたところなど、描ききらないといけなかったのではないかと思います。もちろんGHQ内の権力闘争が影響しているということは間違いありませんが、日本政治のなかでの混乱が全く描かれていないで、専ら芦田をバカっぽく描くことでよかったのか疑問です。
また新憲法下初の総選挙で片山内閣が誕生しているということは、終戦直後の歴史の中では無視できません。片山内閣から、戦後の経済企画庁的なものや、官僚出身大臣の役割づけが始まっている面も否めません。

②池田勇人や佐藤栄作など高級官僚を政治家に転身させるシーンがあって非常に脳天気な会話が展開します。しかし明治維新以来、官僚は選挙を経る政治家になることを卑しいこととみており、最も優秀な官僚が政治家に転身していくというのはむしろ役割としての詰め腹に近いものがあって、悲壮感が漂っていたのではないかと思うのです。それが立候補を決意するシーンが、維新の会のパーティーや、民主党青年部の集会じゃあるまいし、なんだかいきがった盛り上がりを演出していて、違うんでないのと思いました。
まして1949年総選挙は、競争率2.74倍、選挙区によっては民自、民主、社会の各党が定員いっぱい立候補させることも珍しくない時代でした。社会が混乱状態であったため、候補者間、政党間の票の移動もかなり激しい時代でした。保守から革新まで名望家によるあいまいな集票機構から、支持団体による有権者の組織化への移行過程が始まったばかりで、官僚の集票機構が未確立な時代。吉田が付いているから高級官僚が楽勝という時代でもなかったように思います。

それ以前の回でも、

③どうでもよい登場人物がいること。吉田にあいさつしているだけの細川護煕や麻生太郎なんてテロップ入れてまで紹介する必要があるのかと思いました。先の社会党政権が黙殺されていることとの対比で、うーん。

④そもそも吉田茂が、維新の志士みたいに高潔な国士として描いているのが、非常につまらなくしている。愛国者であったし、同時代の他の政治家より私欲は少なかったと思います。しかし保坂正康にしても何にしても今まで読んできた吉田茂伝の印象からは、もっと狡猾で策士で、一方では共産党の徳田一球との論戦を楽しみ高く評価するような無邪気なところもあります。
これからをどう描いていくのかということですが、何度かくぐりぬける総選挙でも少数政権を余儀なくされ、政権後半はもっぱら独立以外思うようにやれた政策はなく、吉田自身がしんどい思いをしていくのですが、そういうのがどう描かれているのか。日本が占領から独立させたところで吉田を「やりとげた男」としてドラマを結末させてしまうのか、センスが試されると思っています。

●終戦直後の選挙の結果です。
1946.4.10 464議席 各県1~2の大選挙区 2770人立候補 競争率5.9倍 投票率72.08%
       自由140 進歩94 協同14 社会92  共産5  諸派38  無所属81
1947.4.25 460議席 中選挙区制に戻す 1590人立候補 競争率3.4倍 投票率67.95%
       自由131 民主121 国民協同29 社会143 共産4  諸派25 無所属13
1949.1.23 466議席 片山・吉田内閣の崩壊による吉田選挙管理内閣による解散 1364人立候補 競争率2.9倍 投票率74.04%
       民自264 民主69 国民協同14 社会48  労農7 共産35 諸派17 無所属12
1952.10.1 466議席 1242人立候補 競争率2.7倍 投票率76.43%
       自由240 改進85 右派社会57 左派社会54 労農4  諸派7 無所属19
1953.4.19 466議席 1027人立候補 競争率2.2倍 投票率74.22%
       吉田自由199 鳩山自由35 改進76 右派社会66 左派社会72 労農5 共産1 諸派1 無所属11
1955.2.27 467議席 1017人立候補 競争率2.2倍 投票率75.84%
       自由112 民主185 右派社会67 左派社会89 労農4 共産2 諸派2 無所属6

●こうして数字を見ると、1955年の保守合同までは、しばしば社会党の全てまたは片割れが保守の第二党を超える議席を確保しており、再び政権参加することは不思議でも何でもない事態だったのだということがわかります。なぜその社会党が政権を取る道を通れず、左傾化していって今みたいになってしまったのか、ということが、日本の民主主義が西欧の民主主義と際だった違いを作っていった過程でもあります。似たような経緯をたどっているのがイタリアです。

●総選挙の定数に対する立候補者数は、戦後の中選挙区制のもとで、業界団体や労働組合などに有権者が組織化され、そうした団体の組み合わせで候補者調整が行われるようになっていく過程の中で候補者数は絞られ、1967年から1993年まで2倍を超えていません。

●よく若者の無関心から投票率が下がっているという言われ方をしますが、衆議院議員選挙においては例外を除いて60~70%台で推移しています。

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