« 6/26 6月議会が閉会しました | トップページ | 7/6 ラジオパーソナリティーの反原発デモに労働組合でもなく10万人集まっているという表現から考えさせられたこと »

2012.07.05

7/3 陸前高田市議会の資料保存の取り組みに学ぶ自治体議会の記録と情報公開のあり方

今日、法政大学の廣瀬先生の講義を聴きました。法政大学では東日本大震災による津波で水に浸かった陸前高田市議会の資料の復元作業をしているということを紹介され、市議会の資料を残す意味について考えさせられました。

自治体の行政側の資料というのは、政策を実行するための資料です。もちろん政策の立案過程も行政は行いますから情報はあるはずですが、やはり実行するための様々な資料に比べてそうしたものは、残す義務があるとは限らないものです。

一方議会は、様々な情報、諸条件の中で、ある目的のためにどうしてその政策が選択されたのか、議案質疑、一般質問、討論、表決というプロセスの各段階で議論するタイミングがあり、その政策が選択された理由について記録し後世に残す機能があるということです。

廣瀬先生はその話から、議会が市民に情報を公開し共有していくことの重要性を話していただきましたが、私も同様に思っています。

議会に入って一つ疑問に感じていることは、議会では質問・質疑は盛んに行われていますが、どうしてその議案に賛成したのか、反対したのか、という理由付けを行う討論、それから、討論は討論でも賛成を反対にしたり、反対を賛成にしたりする議論の過程についてはあまり時間が割かれていません。全員賛成の議案の場合には、討論を省略するようになっています。
後世、どうしてその政策が議案として選択されたのか、本当は賛成も含めてきっちり残していくことが重要なんだろうということを改めて確認したお話でした。

●日本の意思決定の会議は、もやはり質問大会になりがちで、これは労組でも、学生自治会でも、マンション管理組合でも同様。発言者としての有能さは、質問を通じての問題発見能力であり、提案者にどうしても反対していかなくてはならないときには、自ら対案を出して対抗するよりも、提案者を質問攻めにして立ち往生させた方が有効ということになってしまう。したがって今回の消費税騒動にしてもしかり、自民党の対抗戦術にしてもしかり、過去には日本社会党のやり方もしかり、政権取るまでの民主党しかり、日本での対抗勢力は建設的な能力は一切問われないどころか、むしろあえて捨て去ることが求められる。そのことが日本の議論の文化が嫉妬深い文化に覆われ、提案する側は妥協を一切認めない完成度の高い提案しかできない、そんなこところに日本社会の閉塞があるのではないかとも感じた。

|

« 6/26 6月議会が閉会しました | トップページ | 7/6 ラジオパーソナリティーの反原発デモに労働組合でもなく10万人集まっているという表現から考えさせられたこと »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 6/26 6月議会が閉会しました | トップページ | 7/6 ラジオパーソナリティーの反原発デモに労働組合でもなく10万人集まっているという表現から考えさせられたこと »