7/15 多様な政党支持のある労働組合であっても政党支持していけないものか
ある自治体議員さんのフェイスブックに、三宅雪子衆議院議員が連合にラブコールを送っているという新聞記事を題材にこういう文章がありました。
自民党・公明党・共産党支持者から大多数の無党派の組合員から構成され「労働者の権利の擁護」のために活動する主旨のはずの労働組合である「連合」が、民主党一党支持を掲げていることは、憲法の思想信条の自由に抵触すると思う
こういう言説は皮肉以上の価値を持つとすれば、それは非常に危険な思想です。
社会団体はそもそも政党を支持して運動するということは好ましくないという前提が、戦前の大政翼賛会結成や労働組合の産業報国会への改編の論理であったわけです。政府が中立的な労働組合もどきを用意して、職場を指導していた社会主義者を「改心」させる、または排除する、ということだったわけです。
それは1980年代日本共産党が、政党支持の希薄化を志向していた連合結成を、産業報国会の再来とみて盛んに批判していたわけです。その後結成間もない連合は、1989年のおたかさんブームに巻き込まれる形で政治的とりわけ選挙に深く関わらざるを得なくなり、野党(当時)の応援団なっていきます(篠田徹「ニワトリからアヒルの再来?」)
話を戻すと、団体が構成員の政党支持の分布にしたがって政党支持を放棄するということは実にナンセンスな話で、団体が政党との間の政策や理念との取引の過程で、特定の政治家や政党を推薦したり支持したりすることを意思決定することは民主主義社会のなかでは当然の行為であろうと思います。むしろ団体に政党を支持してはならないという前提をつくることが、複数政党制を否定するか、政党との協議より役所に陳情することが常態化した官僚支配の国か、アメリカのにようにすべてが経済的な自由競争の論理で説明づけるような社会運営をしている国でもなければありえない現実です。
ヨーロッパの民主主義は社会を構成するさまざまな階層や要求を前提にした団体が政治参加して、その団体ごとの要求や政策を政党間での協議で調整しながら社会を運営していて、これは日本国憲法が否定するような社会体制ではありません。
また団体が特定の政治家や政党を支持することを運動とすることは、団体による運動の思想を啓発する役割もあり、こうした働きかけがなければ、社会を変えていくなどということはありえなくなります。
労働組合を出て政治家になった私として、こうして連合が民主党を応援しようが、全労連が結果的に共産党を応援しようが構わないしむしろ、民主主義の原理からして好ましいとぐらいに思っています。しかし、ではそうした労働組合の判断が本当に労働者階層や労働組合の利害に適うのか、それが問われているんだと思います。
利害に適っているのかという批判なら大いにやるべき段階に入っていると思います。それは労働組合にとって民主党でも社民党でも共産党でも100点でもなければ0点でもない結果になるだろうと思います。
ただしそれが単に民主党より社民党の方が労働者の政党だろうなどというような、過去の経緯や固定観念によりかかった議論ではなくて、労働問題に対する正確な問題意識や、労働組合員の利害だけではなくこの社会の賃金労働者の階層をたばねて代弁していく覚悟があるのか、そういう視点で政治家や政党を吟味して推薦すべき時代に移りつつあるのではないか、政権交代の夢が崩れた今の課題だと思っています。
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