6/2 生活保護規制強化に関する追記
さきの記事に関連しておもしろい文章を発見しました。
hamachanブログEU労働法雑記帳に「頭の整理のために」として、生活保護と年金について書かれています。その中で、
「こんなにお金を一杯持っているんだから」というのがたくさんお金を供出する理屈であるというのは、そもそも累進課税をはじめとするマクロ的再分配政策の原理なのでしょう。それはそれとしてまことに筋の通った議論ではあります。ところが、それを親族にお金の輸血が必要なときにのみ限ると、たまたま親族に生保を受けてる人がいるお金持ちはそれを当該親族に供出しなければならないけれども、たまたまそういう人がいないひとはそういうめんどくさいことをしなくてもいいということになります。ついでに言えば、たまたま姻族にそういう人がいる場合には、めんどくさいことにならないようにさっさと離婚してまうとお金を堕さなくてもよくなるというのもあるかも知れません。何にせよ、こういう「親族だから養え」論というのは、近代化の遅れたアジア諸国等でよく見られる現象で、一族の誰かが成功すると、どこからともなく一族と称する連中がうようよ湧いてきて山のように徒食するという事態が観察されるわけですが、今日の日本の有力なマスコミや政治家の皆さんは、日本をそういう社会にしたいとでもいうような異様な迫力を感じさせるものもありますね。
社会が近代化するということは、そういう発想を払拭して、お金をたくさん稼ぐ人はたくさん稼いで、それをたくさん納税して、それが(親族であろうがなかろうが)働けない人々の生活維持のための原資に使われるという社会のあり方に移行するということにはずであったのですけど・・・。
と書いています。
今回、生活保護の規制強化を求めた片山さつきに拍手喝采を送っている右派の人たちに、文中の「近代化の遅れたアジア諸国等でよく見られる現象」という言葉をかみしめていただけたらと思います。
●自治体議会は6月の定例市議会に突入しつつあります。恐らく全国の市町村議会で、生活保護の不正受給について多くの質問が繰り広げられるのだと思いますが、ほどほどにされた方がいいと思います。この手の追及は、かつて年金政局で雁首ならへて未納がばれたように、やがては自分のところに降りかかってきたりするものです。
●年金政局のときも政治家がたたきあって最後は誰も悪くないみたいな結論になったし、社会保険庁バッシングも、最後は徴収した年金保険料をピンハネした企業経営者を免罪するだけで、年金額が回復したわけではないし、社会保障の運用について、適度なチェックを超えて、追いつめすぎると、なんだか誰が本当に責任を取ったんだかわけのわからない展開になって、ろくなことにはなりません。社会保障の政策というのは誰を救いたいかの一点をきちんと把握してやるべきことです。憎悪のために使うべきものではありません。
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