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2012.04.21

4/21 人口の逆ピラミッドだけが恐いのか

高齢社会になっているなぁ、とこの朝霞市でも自覚することがあります。高齢者が増える時代に何とかしなくてはという焦りは当然のようにありますし、いろいろ大変なのだと思います。

しかしという話があります。また引きで申し訳有りませんが、濱口桂一郎さんのブログで紹介されていた、「社会保障の教育推進に関する検討会」での権丈善一慶大教授の発言です。

「・・・最近というか、ここの1~2年、社会保障と税の一体改革とかいう話が出てきた中で、最近まで増税の必要などないと言っていた与党の政治家たちはどうやって増税の必要性を説明しようかと考えた挙げ句、昔、この国で使われていた手段を使いはじめたようなんですね。人口構造が、昔は胴上げ型だったのが、騎馬戦型に、将来は肩車型になるから、さぁ大変だという、あの話ですね。ああいうのは、昔、言葉は違えどいっぱい言われていましたけど、あの手のキャンペーンからは、世代間の対立とか、将来に対する恐怖心、社会保障に対する不信感というようなことばかりが生まれてしまって、少しもいいことなかったわけです。だから、そういうキャンペーンは、社会保障や税制の改革には逆効果だから止めましょうよと、私は10年以上前に書いています。

 だから、次回の検討会では、勤労世代とか就業者が支えている、おじいちゃん、おばあちゃんのところに、子どもや大学生も乗せてもらいたいですね。少子高齢化という現象は、高齢者が増えていったとしても、子どもは減っていくことなのですから、人口構造が、胴上げの時代にも、騎馬戦の時代にも、就業者1人当たりの人口というような指標は、さほど変わらないわけです。将来の肩車型社会になったとしても、やるべきことをやっていけば、さほどおそれる必要もない。

 それと、「サザエさん」の波平さんって54歳なんですよね。定年の一年前の設定でしたから。でも、54歳の波平さんよりも、今の郷ひろみさんの方が年上なんですよね。だから、例えば65歳というある年齢を固定して、それ以上の人たちが、昔は何人で、それが今は何人になって、将来はという話をしてなんの意味があるのか。ああいうキャンペーンはやめた方がいい。」

高齢者がたくさんいて大変だという話は、同じく扶養しなければならない子どもなどの数も乗せていかないと、今と昔とこれからの比較が意味がないという話は押さえておくべきことのように思います。私など権丈先生より一歩前にでて、感覚的な世代間格差を煽る議論には要注意、それこそが社会保障の崩壊をねらった工作ではないか、という疑いを持ちながら話をいつも聞いています。

それはさておき、ここからは権丈先生の文中の「就業者1人あたりの人口」という話です。
同規模の自治体と朝霞市の財政と人口構造を調べていたときに、朝霞市の際だった特徴は、多摩市、狭山市、浦安市などと比較して、子どもの数が多くて、その分就業者の比率が少ないことでした。浦安市とは5%以上も就業者人口が少ないのです。つまり就業者1人あたり高齢者数は少ないものの子どもの数が多く、子どもも入れれば浦安や多摩よりずっと騎馬戦型の人口構造をしているということです。
それだけ朝霞市は同規模他市より税収が少なく、一方で子育て・教育に支出を増やさざるを得ない環境におかれています。
国家公務員宿舎建設の話のときに反対運動に取り組まれた方々が朝霞市の決算書を調べながら、人口が増えるほど支出が増えるというのはこういう現象をとらえてのことだったと思います。

同規模の他都市より子育て関係の施策がやってもやっても追いつかないのは、子育て世代が住み着きやすい諸条件があるということで、その最大のものが東京への近さと地価のバランスなのだと思います。
ですから本当は甘い都市計画でマンションブームを招かずに成長を管理していくべきだったのではないかと思いますが、今は後の祭りで、せっかく朝霞に住んでいただいている人たちが安定した生活を送り、そして子どもたちが流出しないように、着実な都市経営をしていかなくてはならないのでしょう。

高齢社会が支えられないことはない、という権丈先生の本論とはずれますが、一つの地域だけ切り取って見れば、子どもが多ければ、人口が多ければという時代ではない、という話にもなるということです。

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