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2012.04.10

4/10 改革のための総論がポピュリズム

濱口桂一郎先生が、東浩紀氏を批判していて、そうなんだろうと思う。

東浩紀氏はtwitterで
「ポピュリズムには反対だけど、大衆の善良な意志は信じる(キリッとかいう立場は論理的に存在しえないんですよ。ポピュリズムを肯定するか、エリート主義にいくか、どちらかしかありえないのです。だからぼくは、民主主義者としてポピュリズムを否定しない(否定できない)ってだけ」

と書いたことに対して、
「問題をポピュリズムに流されるか、エリート主義に行くかという二者択一でしか考えられないところが、(総論政治学者や総論政治評論家や総論政治部記者と同断の)総論しか頭の中にない哲学者という種族の宿痾なのだろう。(中略)
誰にもこだわりの「各論」てのがある。「総論」に巻き取られると不愉快になる「各論」が。

大事なのは、そういう「おおむね大衆ときどき専門家」な人々の「民意」をどこでもってつかまえるべきなのか、ってこと。

ポピュリズムがだめなのは、その人々の「おおむね大衆」の低次元の「総論」だけをすくい取って「これが民意」だ、ってやるところ。

決して馬鹿なだけじゃない大衆の馬鹿なところだけをすくい取るのがポピュリズムだ。

レベルの低い「民意」をすくい取られた大衆が、しかし自分の専門分野について「とはいえ、こいつはおかしいんじゃないか」と感じるその違和感をきちんと言語化するのが、言葉を商売道具にして生計を立てている連中の最低限の義務だろうに。」
と批判している。

私自身も自治労という今日、社会の敵のように扱われた場で守るべき人を守る理屈を考え行動するOJTによって、総論で話をごまかすポピュリズムをだいぶ治してきたが、「総論」に絡め取られる弱さというものを時折実感している。

●こうした体質は維新だけの問題ではない。

●一方、政治の行動原理の中に、特に日本のように候補者個人を選ぶ選挙制度において、どうしても政治家をやっていく上で、ポピュリズム的言辞を使っていくことに巻き込まれる場面がある。また議員のように同調圧力が強い環境にいると、さらに他人によってその流れに流されて居いく場面がある。私はできるだけそうしたものに一線を引きたいと思っているが、どうしてもやむを得ない場合、できるだけ無意味な傷をつけない理屈になるよう解毒する役割を努めていきたい。

●先日偶然見た討論番組で、東氏が「福祉など整備すると、日本の場合ただ甘える人が増えるだけになる」という発言をしていて、研究者にしてはずいぶん乱暴で粗雑なものの考え方をしているんだ、と思った。総論みたいな話になるが現代思想に携わる人たちの福祉に関する鈍感さにはいつも驚かされるし、総論的な話になってしまうが、左派市民派(リベサヨ)を製造しふりまわした害毒は大きいと思うことが多い。

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