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2012.01.23

1/20 子ども医療費の無料化についてヒアリング

子育て支援課に、子ども医療費の無料化対象年齢の引き上げ(通院で小学→中学)にかかる経費や今後の政策的見通しについてヒアリングを行いました。

「新日本婦人の会」の市内組織から請願が出されて継続審査になっているものについて、いずれまた判断を求められるので、どのように考えるべきか基礎データをおさえておきたかったからです。
このテーマ、市民のニーズが高く、またアラフォーの同世代がちょうどこの問題にさしかかって、市政に無関心の人でも関心の高い政策の一つです。

子どもの病気やけがは本人の責任にしにくいものばかりなので、必要性やニーズは理解しています。
ところが病気のリスクはみんなの課題として扱う、西欧諸国のような「高福祉高負担」へ、という合意が無い中で、自治体だけのふんばりで無料化を拡大できるのかどうか、人気取り施策としてだけ後先考えずにやられるのは注意深く対応しなければならないと思っています。
また、また、志木市民病院の小児科が休止になることから、今後の貴重になる小児科医療の資源を無料化によってどのように消費することになるのか考えなくてはならないと思っています。「コンビニ医療」という言葉がありそれで医療が崩壊するという指摘がある一方で、病気の早期発見の効果があるという意見もあり、そのあたりの見極めをしていきたいと思います。
約6000万円の予算措置が必要で、無料化のために、ただでさえ薄めの朝霞市の子ども施策を6000万円削ったなんてことにならないようにしなければなりません。財源を確保するためにはタテ割行政を超えた判断が不可欠です。

現在、朝霞市では入院だけが無料化になっています。中学生が入院するというのは相当なできごとなのでそこにターゲットをあてるのは一つの政策判断だったと思います。私はこれにぜんそくや慢性疾患等、ひんぱんに通院し、医療費が他の家庭より高くならざるを得ない場合や、失業やひとり親家庭などで収入が限られている人などについては、緊急に対策を打つ必要があると思っています。

また無保険者の子どもをどうするのかも考えなくてはなりません。無保険者の子は、無料化の前提であるレセプト審査・支払の対象になりませんから、そもそも無料化の制度に入ってきません。全体からは少数ですが悪質滞納者の子をどう扱うのか、という問題もあります。

無料化は、医療内容に対する保護者のチェック機能を弱める力が働きます。行われている診療、出された薬が、ありがたいもらいものになってしまいます。介護保険の議論で利用料1割負担が残されたのは、利用者と介護事業者との適切な緊張関係をつくる、という目的があったからだと思います。そうした単に誰が得して損するかという議論を超えた、小児医療がどうあるべきか、という議論も必要だと思っています。

稼ぐことのできない子どもの医療費をどうするのか、というのは本来、社会保障制度の根幹にかかわる話で、国として検討し、社会保障と税の一体改革の中に織り込んでいくべき課題じゃないかと思います。ただしそれが単に国がどこからか財源作ってやれ、というただの責任転嫁であってはならないとも思います。

そんなことを考えながら、対応を判断したいと思います。

●無料化を中学生で線引きするのは実際は単なる決めで意味のないことです。稼得能力のない子ども、という位置づけをしたら、厳しいといいながらも何とか就職先に困らないのはやはり高卒で、ほとんどの子どもが高校まで通うという実態からは、子ども施策の対象は18歳までと考えておくべきです。この問題も、やがては高校生まで無料化にすべきという議論になるはずです。

●こうした議論の一方で、高校授業料無償化の議論では、ばらまき批判や「保護者の責任」論が、民主党自体への批判とないまぜで行われ、批判的な論調が強くあります。「中学生まで」「高校生まで」という定義づけだけで中身のないかけひきで議論することは無意味です。稼ぐことのできない人の社会保障や教育をだれが支えるのか、という一貫した責任感や理念を政治が喪失しているからだと思います。目の前の損得や、長くどっぷりつかった「常識」というしがらみのもとで、「常識」外におかれてしまった人がどのような生活をしているか、ということの想像力を欠如させていることの問題があると思います。

●なんてあれこれ考えていると「ばかっ、面倒なこと考えず有権者がほしいというものはほしいと言えばいいんだよ」と言われそうです。しかしそういう政治スタイルの限界が、小沢一郎氏ではないかと思っています。彼は優秀だと思います。しかし子分に対し、有権者がほしいものをほしいと言わせて育ててきた政治感覚が、先の総選挙のマニフェストの事実上の破たんにつながったのだと思います。

●半年前に買ったばかりの靴のかかとがすりへって、ピンヒール状態になっているのを、仕事の「勲章だ」なんて喜んでいたら、足の腱鞘炎になるわ、腰痛は再発するわで、はては背中全体が痛み出すわ、とんでもない状態になりました。自己管理ができていませんでした。整形外科に通い、社会保障費の増大に寄与してしまい迷惑かけました(経済学的にはこのコストを医師や看護師、製薬会社が貯金しなければ景気回復の一助にもなるわけですが)。また楽しみにしていたいくつかの週末の学習会も薬効が出るまでキャンセル。これも申し訳ありませんでした。さっそく、靴は修理に出しました。

●選挙で応援してくれた貴重な企業人である、メーカーの重役を訪ねました。円高がしんどいと。私もそう思う。良い円高があるなんて識者の発言に、お互い疑問を呈しました。

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