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2011.09.10

9/9 朝霞基地跡地の国家公務員宿舎建設をめぐって報道が相次ぐ

朝霞基地跡地に国家公務員宿舎の建設が始まって、ようやくマスコミの報道が相次ぐ。
※31日のTBSを皮切りに、1日のテレビ朝日、7日のJ-CATSニュース、8日の夕刊フジ、9日の朝日新聞の天声人語。

建設着工したらもう事業は止まらないのがこの国の情けないところだ。もう3年早く報道してくれたら、と思っている。

●公務員宿舎について私の考え方をまとめておきたい。
公務員宿舎は基本的にいらないと私は考えている。ILO115号勧告(1961年)でも社宅は問題があると指摘している。戦前のタコ部屋労働や、女工哀史、1954年の近江絹糸争議などを見ると、まさに社宅が従業員を抑圧する装置として機能していて、その通りであると思う。ただし日本の戦後はそういう次元の話ではなく、まさに職場による人権保障として機能している面もある。住宅不足が高度成長期の末期まで続いたので、職場が住宅提供する意味は大きかったと思う。しかしそれも今は、バブル崩壊をもってその必要性はないと思う。

一方、国家公務員にも僻地勤務というのがある。代表的なものは自衛隊職員や、海上保安庁の職員、山間部の国土保全のための仕事をしているような職員、過疎地のハローワーク職員など。そういう職場で働く人には、当然宿舎はあった方がよいと思う。ILO勧告もそうした職員について社宅を提供することは否定していない。

公務員宿舎が存在する意味は、4つぐらいあると思う。①極端な僻地勤務や公務員賃金ではとても住めないような高価な土地に住まわせる必要があるなど、住宅確保が困難または住宅さがしが安定した勤務に支障をきたすような場合、②緊急時出動が必要など業務上、居住地を指定する必要がある場合、③現在住んでいる家を残しながら一時的な勤務地のために転居せざるを得ない、そして④厚遇するほど必要な公務員、である。

④については異論があるかと思うが、一流企業のトップに就職するような人材が、公務員賃金という統計上の世間の平均賃金で雇わなくてはならなくて、トップエリートにモチベーションをもってもらうために一定はこうした機能は必要だと思う。しかしその人たちの居住地は激務に耐えられる通勤距離の範囲で、勤務の効率性とのかねあいが求められるわけで、朝霞であるわけがない。

そういう観点で言うと、さいたま副都心に勤務する国家公務員が職場に住宅を提供してもらうためには①~③のどれかに該当することが必要じゃないかと思うが、の多くがこれに該当するかどうか疑わしいと思っている。

そもそも29万人しか国家公務員がいないのに22万戸も公務員住宅がある、ということは絶対に公務員宿舎じゃなければ生きられない職員がそんなにいるとは思えないし、実際に中堅ぐらいになると自分で住宅を確保するわけだから、必要数よりずっと多い公務員宿舎があるということなのだろう。

●どうしても国のカネでハコモノを作りたいという人たちが困っているなら、原発事故避難民の被災者住宅にしてはどうだろうか。あと10年になるか20年になるかわからないが、国策の犠牲者が長期的に安定できる環境を提供するのは意味がないわけではない。

●テレビ番組では他の公舎に入っている国家公務員のご家族にもインタビューしていて、「いやよ、石持ってなげられそうじゃない」と言っていた。そこまで行かないが、住民の中に根深いわだかまりが残ることは間違いないだろう。

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