« 8/13 市議会の議員報酬のあり方 | トップページ | 8/17 泊原発と北海道議会 »

2011.08.16

8/15 終戦の日、政治の混乱がもたらすもの

終戦の日。戦争による多くの犠牲者に冥福を祈り、二度とあのようなことを起こすまい、と思う。

政治の混乱が、どうも似たようなところに時代が持って行かれそうな気がして、将来が不安でならない。子が戦争に連れて行かれるとかそういう個人的な不安もあるが、世の中全体が自由から逃避して、排外的な安全意識と、精神主義的な統一感を求める時代が来るのではないかとおそれている。水木しげるが妖怪より恐いといっているものが、イヤであり、恐い。

そうした予兆現象みたいなものが、政治の混乱と、有権者の冷ややかさに現れはじめている。

非政治家の世界では、国がまとまるべきと言ったり、政党嫌いを露骨に表現してよいことになって、多様な意見で構成される社会のためのシステムが簡単に壊されているような感じがしている。大阪の橋下みたいな人物をテレビにでているからというだけで陶酔する有権者が少なくないことがそれに現れている。

政治の世界は、政局レベルの関心事しかない。政党政治を全面否定しようとしている勢力が台頭している横で、政党どうし、政党内でチキンレースを繰り広げ、ときにはその政党政治を否定しかねない連中にまで触手を伸ばしてまた勢いづかせる、なんて展開も1930年代終盤とそっくり。
近代社会の独裁は、選挙を通じてやってくることを忘れてはならないと思う。

統一感と統制感があふれるそうした全体主義的な社会は、長期的にはとても破局しやすい社会である。破局の後の混乱などを考えると、終戦までの日本の近代史のあやまちをきちんと確認しておく必要があるのだろう。特に大正デモクラシーから昭和初期にかけて民主主義的な政治慣習が確立したところからあっという間に全体主義になっていったあたりは重要だと思う。

●野田財務相が、A級戦犯は犯罪者じゃない、などと発言した。東京裁判のまがまがしさを含め、是非論さまざま展開すればきりがない話だが、アメリカを「同盟国」などと呼んで頼っている国のリーダーとして、そういうことを言ってよいのか、私は疑問に思う。
今の日本は、アメリカ主導の東京裁判を認め、その処罰には文句を言わず、反省の上に「自由主義圏」の民主主義国としての安定を保障してやる、という国際合意におかれてやってきた。
A級戦犯は犯罪者でないとすると、東京裁判は間違っていたという立場に立つことになる。それは戦後、左翼が必要以上に役割を負わされ担ってきた「反米」の立場であり、右翼で言うヤルタ・ポツダム体制の打破、ということになる。
それでいいのか心配である。

|

« 8/13 市議会の議員報酬のあり方 | トップページ | 8/17 泊原発と北海道議会 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 8/13 市議会の議員報酬のあり方 | トップページ | 8/17 泊原発と北海道議会 »