7/14 代案なき首相不信任案はファシズムの道
朝日新聞の松下さんという論説委員が面白いことを書いている。
私と同じように菅首相の問題を指摘しつつも、支えるべき人まで含めて辞めろ、退陣せよという状況に苦言を呈している。その批判は同僚の論説委員室にも向けられていることも良い。
代案なき不信任案の危険さについて私も過去書いたが、松下論説委員も同様の指摘をしており、ファシズムの入口だと言いきっている。
ファシズムの最大の特徴は、政治的主張が同じ社会に複数存在する前提が否定され政党が無くなることだが、今や政治について一般市民が口にすることは政党なんかなくなって、という言葉である。
今の憲法も、谷垣や大島や山口や小沢や鳩山が、思想も展望もない不信任案を出すとも思わなかっただろう。しかしこれが歴史性や慣習を全く無視して、やれることはやるという欲望追認型の民主主義の姿なのだろう。
先日、中国が新幹線技術の特許申請をしているということでJR東海があわてふためき神戸製鋼を責める事件があったが、運用やマナーの中で、ありえないで済まされてきたシステムが、チキンレースが当たり前になり、ルールをむき出しで使うような状況になって、もう一度社会の安全弁を再点検する必要があるのだろう。
この中でドイツ基本法(旧西ドイツ憲法的存在からからそのまま統合ドイツの憲法的存在になっている)が、替わりの首相の指名なき不信任案の提出を禁止していることは大いに学ぶべきである。
朝日新聞 社説余滴 「菅おろし」にみる政治の病 松下秀雄
とにかく早く辞めろ、さあ退け、の大合唱だ。私たちの論説委員室でも、声量はしだいに高まっている。この「菅おろし」の過熱ぶりに、私は強い違和感を覚える。
菅直人首相の続投を唱えているのではない。「退陣3条件」を整え、来月には辞めてもらうしかないだろう。
それでも、ふだんは立場の違う政治家やメディアなどが寄ってたかって引きずりおろす様子は、溺れる犬をたたくようにみえて気にくわない。
こんなやり方に、日本政治の病理が見える。
原発を例にとろう。
「いずれは脱原発」と考える私からみれば、菅さんの言っていることは、そうずれてはいない。自然エネルギーの普及は急務だし、原発のストレステストもやるべきだ。
もちろん文句はある。指示が遅い、内閣の足並みをそろえてくれ・・・ 。それを批判するのは当然としても、「とにかく辞めろ」と騒げば、原発を守りたい人たちと同じ動きになる。脱原発に向かう次のりーダーの目星もつけずに菅おろしを急げば、原発推進派を利する。合理的ではない。
「けしがらん」の一点のみで手を組むのは危うい。
典型例が戦前のドイツだ。多くの政党が政府を倒そうとするばかりで、議会は首相を選べなくなった。その混迷をついて、ナチスが台頭する。
おそらく現代の日本も、同じ罠にはまりかけている。
先月の内閣不信任騒動を思い出そう。自民党とともに、民主党の小沢一郎元代表のグループも不信任案に賛成しそうだった。でも政策がまったく異なる両者の共闘は、たぶんそこまでだ。ドイツの例となんと似ていることか。
思えば、民主党は最初から罠にはまっていたのかもしれない。自民党を政権からおろして、とって代わる一点で集まった政党だから、政権に就くと目標を見失い、まとまれずに自壊している。
次の政権を「つくる」ための議論より、「おろす」ことに血道を上げる。そんな理性的でない対応こそが、日本政治の病理であり、短命政権と
政治の混迷を招いてきた。
ドイツは戦後、過去を反省して、後任を決めないと首相を不信任できない「建設的不信任」制度を設けた。
日本も、その精神に倣ってはどうか。ポスト菅は誰か。新首相のもとで与野党はどう協力し、何を実現させるか。菅おろしに明け暮れるより、 「次」の議論を進めるのだ。 (政治社説担当)
2010.7.14朝刊
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