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2011.07.31

7/31 中国に新幹線車両を売ったJR東日本の責任はないのか

中国の高速鉄道の事故の、中国鉄道省の対応に批判が集まって、それらの言うことはまことにその通りと思うが、そんな中国をくさす報道だけで事故再発防止ができるとは思わない。日本の足下を見ると、いろいろ考えなければならない問題があるのではないか。

めちゃくちゃな高速鉄道システムとなっていることが明らかだった中国に、あの新幹線車両を誰が売ったのか、という問題を問いたい。JR東海はトータルシステムで販売しないと安全確保ができないとして中国への販売をあきらめたが、JR東日本は中国に新幹線を売った。私はその責任が国内的に全く問われていないのが不思議でならない。さらには事故数日前にJR東海が記者会見するが、技術流失された上に国際特許の申請までされて、一体何をやっていたんだと問うべき問題だろう。

危ないユーザーに何を売ってもかまわないのか。運転技術がないお客様に、自動車を販売した販社は責任を問われて当然だろう。航空機業界なら、メーカーや販売元も責任が問われるだろう。

これが初めての経験ならまだ免罪できるが、つぎはぎだらけの高速鉄道システムの問題は、台湾新幹線でトラブルが続発したことですでに証明されていたから、免責されないだろう。

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2011.07.29

7/29 パンドラの箱

復興計画がようやくまとまったものの、財源については民主党の困った議員たちの圧力で骨抜きにされた。結局復興計画については、財源の見通しが立たないまま国や自治体の借金を増やすだけのものになりそうだ。

鳩山側近の松野頼久議員は、景気がこういうときに増税するのか、と批判していたが、本当にそうだろうか。増税は景気に中立である。お金のない人により配分されるのであれば、むしろ消費性向が高い層に配分されるため景気にはプラスに働く。被災地の復興で、建物を建てたり、道路を直したり、堤防を作り直したり、港湾を整備したり、福祉施設や病院を再建することは、まさに仕事もお金もない地域に、お金を配分し仕事を創出することになる。作られたものは他の地域の公共事業と違い、その地域にとって役に立ち、生産力を向上させる効果も持つ。むしろ松野氏のような大金持ちが増税を嫌って溜め込んでしまったり、ファンドに投資してしまうことの方が景気にはマイナスである。

ではそんなに過大な負担なのだろうか。今回提言にあったのは法人税と所得税が掲げられていた。それぞれ1割増程度の増税を10年程度続けるという内容。年収600万円程度の人で、年25万円程度の所得税だから、月2000円程度の増税でしかない。毎月2000円の1年後払いのカンパをすることがどうして景気を悪化させるのかわからない。首都圏であれば飲み代の1回分にもならない。

●繰り返し書くが、菅が居座っているから政局が安定しないのではない。参院のねじれがある以上そもそも政局は安定しないし、決定権のある与党の中が、国債償還を除く支出70兆円と、国債発行以外の収入40兆円の差額と向き合うことをしないで、先進国にふさわしい教育や福祉を形成していくビジョンが描けないでいる限り、いつまでたってもこの国の政治には生産的な議論は展開できないし、チキンレースが繰り返される。それでも三角大福江田三郎に値するような政治家がいれば何とかかんとかまとめられるかも知れないが、今の政治家は政治資金規正法と公職選挙法の重箱の隅を突く世界で生き残れた小人物ばかり。クラスメートの校則違反を指摘するのが趣味の学級委員みたいなのばかりだから、政局が安定するわけがない。

●しかし、民主党の党内事情を見ていると、もう終わったな、と感じざるを得ない。
民主党の大多数の議員が熱望している菅首相の退陣の後、いったい誰がまとめるのか、全然見えてこない。少なくとも小沢直系と仙谷・前原連合軍のどちらか主導権を握っても、分裂は避けられないだろう。社会保障と税の一体改革の賛否など、これからの日本社会の変化をどうとらえるか基本的な価値観が問われているのだと思う。

●民主党内では最も無難な鳩山氏が主導権を握れば分裂は避けられるが、あの通り信念のない人がリーダーになれば自民党からはつっこみどころ満載で党はしどろもどろ、支持率は1割を下回るところまで激しく低下するだろう。そしてまた引きずりおろし劇の始まり。だいたい辞めるとすぐ口走るような人が党首をやるべきではない。

●名前があがる馬淵氏が出ても、原口氏が出ても、増税反対という恐ろしく単細胞な主張をする一年生議員の支持を得るために、無理な政策を掲げること請け合いで、結局党首になって首相になっても、自民党や公明党に特例赤字国債法案を人質に取られて詰んでしまう。

●では自民党に政権が戻るかと言えば、今の自民党も、およそ保守政党とは思えないような、かつての社会党ですらやらないようなチキンレースを民主党に挑んでおり、そういうことでは自民党に国民が信頼を戻すとは思えない。国民が自民党に求めてきて信頼しているのは、社会を調整できる安定感。山本一太みたいな跳ね上がりは自民党の多様性の範囲であって、主流であってはいけない。自民党は、民主党を説得し、じっくり政策形成の主導権を、安定的に取り戻し、ああやっぱり自民党と思わせるようにしていくべきなのだが。

●そうなると自民党にも政権が戻らないとなれば、かなり混沌とした政局があと5年は続くことになる。そのパンドラの箱が開くのが菅退陣だと思う。代案がないのだから。こうして考えると、菅首相は、仙谷氏と小沢氏と両方を敵にすることで、微妙なバランスを形成しているんだと気づく。

●金子洋一だとか松野頼久だとか、財政問題に楽天的な政治家が跳梁跋扈した背景には、民主党結党期に、新しい公共が劇的に政府支出を減らして効率的で民主主義が進化した社会がやってくるんだ、というちちんぷい神話を、菅直人氏も含めた今の民主党指導層がまきちらした結果だと思う。しかしこうしたノリの原型は「もう日本は待ったなし」みたいな財政危機を必要以上に煽った議論から始まっていたりして、今彼らが言っていることがそもそも間違っていたと認めるべき話なのだが、過去を忘れることのできる議員と、そういう議員が何言ったか忘れて選んでしまう有権者の問題なのかなぁと思う。

●民主党の増税反対派の議員と、自民党の小泉チルドレンで、増税反対党で固まってくれると、長期的には政局が安定すると思う。戦前、日銀や郵貯に借金を押しつけ予算をありったけ毟っていった帝国陸軍、帝国海軍のようにいつかは全否定されることになろう。

●あと隠れているが、民主党の前原派や旧民社グループを中心に原発を増設し中国やベトナムに売り込もうという有力議員たちもたくさんおり、いずれはその人たちもねじれの原因を形成していくだろう。
私はこの人たちの存在は、民主党そのものの価値を失わせることになると思う。2010年3月にも書いたが、自民党だけを信じていればいいという時代を終えた契機は、チェルノブイリ原発事故を受けて広がった反原発運動にあると思っている。そのベースからおたかさんブーム、新党ブームを経て、市民運動をベースとした旧民主党結党の流れを経て、民主党を中心とした政権交代へと底流が流れている。

●サードパーティーの政党が進出するとも思えない。人材がいない。

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2011.07.25

7/25 畑革新県政が保育所を増やしたのか?

共産党推薦の原富陣営の街頭演説に出くわした。応援弁士が演説をしていた。

その演説の中で、上田知事への批判はそうなんだろう、と思ったが、畑革新県政を持ち上げたところで、私の認識と違和感を感じた。
彼らは保育園の増設はこの時代に進んだという言い方をしているのだが、むしろ事実は逆で、畑県政の時代に保育所の整備が追いつかなかったから、後に2000年頃の深刻な待機児童問題につながっていく。

むしろ畑県政から土屋県政に移行して、待機児童問題はじめ民生関係の政策に本格的に力が入ったというのが現実。上田県政の民生関係の政策の後退を批判するなら、土屋県政を比べるのべきものだ。

畑革新県政がけしからんと言っているのではなく、少数与党で、かつ出身の社会党がどんどん弱体化する(やがては畑県政のもとで少数与党内で公明党や共産党が出身の社会党を凌駕していく皮肉!)埼玉での畑県政が「革新色」を出すにはあまりにも限界が多かった。県議会で分裂していた自民党の山口敏夫系の保守と癒着することで県政運営をしていた。共産党が後半に罵倒した長洲神奈川県知事よりずっと非「革新」的知事であった畑についてこの期に及んでヨイショするべきものか、私は疑問に思っている。

また山口氏との政治的癒着は、畑県政末期に露呈した埼玉土曜会汚職や、ゴルフ場関係の黒い噂である。その山口の流れを汲むのが上田知事であり、畑県政をヨイショすることの意味はさまざまな問題をはらんでいるように感じる。

●畑和氏の政治的足跡については、同情する余地が多い。そもそも知事に担ぎ出された話も、社会党内の派閥抗争が原因で、社会党右派に属する畑氏を潰したい左派候補による陰謀であった。社会党にはそういう話が多すぎるし、やがて勢力が小さくなっていったのも、そういう小人事にばかり明け暮れていたことに原因がある。

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2011.07.23

7/23 自民党の受け取った個人献金の72%は電力会社の迂回献金

自民党の個人献金の72%が電力会社の役員、OBだったことが判明。献金した側で検証すると、役員の92%以上が自民党に個人献金をしていたとなっている。

思い起こせば政権交代前夜とも言える2009年に検察が、逮捕した小沢一郎氏の秘書に西松建設幹部からの個人献金を迂回献金の容疑があるとして捜査し、民主党政権が誕生した後も、調子が乗れば検察リークの情報が垂れ流されて、民主党が混乱に陥るということが繰り返されてきた。

そのとき自民党は盛んに民主党は金に汚いと罵ってきたし、そのことでその後の民主党の混乱が始まったと言える。

今回、東電と自民党の癒着が最大の問題だと思うが、もう一つ、西松建設事件を迂回献金と盛んに糾弾し、議員辞職まで迫った自民党には、東電幹部の高報酬とその裏側にあるほぼ全員による献金という事実上の迂回献金に対して、けじめをつけてもらいたいと思う。

●歴史的経緯もふまえないセコい有権者から政党交付金への批判が高まっているが、その時に出てくる美辞麗句として「自助努力」というものがある。政党や政治家は、会議を開いたり、調査をしたり、宣伝をしたりしなければならないのだから、それなりのコストはかかる。その費用について、自助努力というものが、具体的には何か私にはよくわからない。彼らは商売人ではない。商売人としてうまいなら商売人をやってもらえばいい。商売人とは異なる能力があって政治や政策に秀でいるから政治家をやってもらっているし、そういう人にやってもらいたい。

そして献金という政党にとって最も通常に行う献金という「自助努力」がどういうものなのか。国民各階層にコネクションを持っていると見られていた自民党でさえ、個人献金の大半が原発がらみの利権だったということが明らかになった。そのことから、「自助努力」というのは300億円程度の政党交付金をけちる以上に弊害がありそうだということが見えてくる。もう一度政策決定の透明化と献金を求める政治家の行動を抑制するために政党交付金を再評価した方がいいと思う。

●政党交付金をもらっている政党の側も、政党が公器であるという自覚がほしい。シンクタンクも無く平気で矛盾するような政策を思いつきで乱発したり、選挙区を衆議院議員個人に私物化させるようなシステムを持っている政党が交付金をもらうなんてことについて、納税者がごろついた不満を持たない方がおかしい。

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7/22 経団連セミナー「誰が金を払っていると思っているんだ」

日本経団連のセミナーで「誰が税金を払っていると思っているんだ」という発言があったという。

経済力を作り、税金の元となるお金を作る企画をしているのはこの国で確かに経済界であろうと思うが、高度成長期のような最適な回し方をしてこの国を豊かにしているのは日本経団連だとは、とてもじゃないが思えない。

民主党政権になってからも、何かというと法人税減税を求め、産業政策と言えば税制を複雑にする政策減税を要求しているばかりで、プライマリーバランスが崩れているという現実に、自分たちにだけ金をくれ、金をくれなきゃ怠業(海外移転)と脅かしつける。

消費税を上げなくてはこの国を維持できないと私も日本経団連の政策同様に思うが、しかし自分たちだけ、しかもそれは大手企業だけ恩恵を受けるようなかたちで減税せよというのでは、あまり納得を得られないように思う。なかには、この景気のもと、小規模、零細法人はほとんど法人税を払っていなくて、大企業ばかり法人税を払わされてたまらないという話もあるが、それは法人税を負担すべき人たちどうしの負担割合の話であって、法人税全体を減税するという乱暴なことではなく、負担のフラット化を進めるための外形標準課税の拡大など検討してからの話だろう。
一方の連合は抵抗勢力のように言われるが、少なくとも今の日本社会のおかれた状況のもとで、今は減税せよなどとは要求していない。必要なコストは払います、というスタンスに変化している。大して高給取りとも思えない国家公務員も、震災対策に追われながら、震災対策として10%の賃金カットを受けた。それも労使の話し合いの合意として受けている。

社会全体が我慢を強いられている中での経団連の上記発言である。国難は東日本大震災で決定的となったが、1998年頃から深刻になっている。背景にあるのは、各企業の合理的行動の追求による「合成の誤謬」で国内市場が収縮してしまったことにある。経営危機を理由に、リストラを繰り返し、企業だけが内部留保を蓄え投機資金が水ぶくれする一方、労働者や零細企業経営者など人にお金が渡らず、消費から発生する有効需要が圧倒的に不足しているからではないか。

そこでの今回のセミナーでの発言である。本音が出たのであろうが、産経のこの記事や関連記事、本来は民主党政権に痛烈な記事になるはずなのに、読んでみれば財界トップたちの発言が、国民世論とのずれや責任転嫁としか感じられないような発言が目立つ。二大政党が機能しない、厳しい東北、そしてグローバリゼーションのようなものの中で無産者・生活者をかえりみず金融資本に富を集中させる財界の存在、そうしたものが昭和初期にほんとうに似てきている。今は国民世論が財界を敵視するところにまで至っていないが、つまらない世論の変化でいつそこに矛先が向かっていくかわからない。そうしたことに自覚がない発言が目立つところ、非常に危険な状態だと思っている。

●話を戻して最初の、金主の言うことを聞け、という発言はこの国の企業中心の社会の体質を表しているなぁと思う。職場であれば雇用関係、家族であれば婚姻関係や親子関係を使って、金主は誰かと人を黙らせてきたように思う。しかしそれは雇用や家族の連帯が背景にあっての話であって、そうしたもの、特に雇用をめぐる連帯感が崩壊しつつある中で、ナンセンスである。さらにはワーキングプアという自己を再生産するコスト以下の賃金で働かされているような人たちが雇用労働者の3分の1にもなろうとする中で、財界だけが金主のような言い方をしたら笑われるか、国賊として敵視されるのではないか。

●70年代ぐらいまでの専業主婦なら「誰が金を」と言われたら我慢したかも知れない。80年代ぐらいの専業主婦なら「誰が金を」と言われたら「もっと稼いでこい」と言われ馬車馬のように働かされただろう。90年後半ぐらいからの既婚女性は「誰が金を」と言われたら、「あんただけが働いていると思わないでよ」と逆襲され、離婚届を突きつけられるだろう。また相手が専業主婦であればDV相談に持ち込まれるリスク大である。

●エリート層の能力不足は政界だけではない。今回のセミナーの記事を見る限り財界もそう。その他諸々の業界の指導層でもそう。企画力がなくて、人脈でエゴの押し込みしかやっていない。財界はたまたま選挙や権力闘争のようなつぶし合いがないのが政界よりましに見えるだけ。

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2011.07.20

7/20 続・政党支持の自由考

先日、民間の社会団体の「政党支持の自由」についてナンセンスと書いたが、もっと大きなナンセンスは政党の党員であるにもかかわらず、無所属と届け出て立候補する自治体議員候補たちである。

学歴を誤魔化すと経歴詐称で当選無効になったりするのに、もっと政治的には意味の大きい党籍を隠して立候補することが詐称でも虚偽でもなくまかり通っているということが不思議でならない。公選法の締め付けが厳しいと思う私でも、こうした政治的基本情報の虚偽は許したくない。

自治体と政党は無関係という意見もあるだろうが、それを言えるのは、心底無所属の議員か、地域政党に所属している議員だけである。自ら中央の政党のどこかに位置しているのに、無所属といって、まるで政治的に無垢であるかのように立候補するのは、問題である。
まして、選挙の最終段階にある、投票所の記入所にある名簿は、候補者氏名と政党名しか書いていないほど、所属する政党名というのは政治的主張や信義を意味づけているものである。

もちろんこうした騙しは国政もないわけではないが選挙協力をめぐってのごく例外である。知事については不明な部分も多いが、議員から転身する知事候補は党籍を抜いて無所属立候補する、と報道されていることからそれなりの儀式を経て無所属となっていると思う。

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2011.07.17

7/15 私が環境派に簡単に与しないわけ

原発事故に関する放射能飛散の問題に関して盛んにインターネットで「発信」している人が近未来小説として書いた文章らしいのだが、これはないだろう。

#mirai311 最近、外歩いてると、障害者の人を探してる自分がいるのに気づいたのよ。だって、このままだと、東京中、奇形とかカタワだらけになっちゃうのよ。そういう世の中でも耐えていけるかなあって。で、想像をリアルにするために、探しちゃうのよ、そういう人。#twinovel
7月4日

放射能の影響を過小評価するな、という気持ちはわかるが、そのために人を脅かすために、話を恐い物見たさの世界に引きずり込むことはどうかと思っている。

●環境派の主張に理解できても、好きになれないのは、こういうことを平気で言うところがあるからだ。あんまり詳しく言いたくないが、こういうことだ。

●放射能の問題に取り組んでいる人たちの考え方にいくつかおかしいと思うところがある。
「母親として」危険に対処したい、という言葉を使う人がいる。そういう性的役割分業意識丸出しの言葉を使うものか。放射能の問題は社会問題ではないか。努力した母親の子だけが報われる、という展開は、高度成長の家庭モデルにおける教育ママの役割と同じで、放射能に対してはいいかも知れないが、子どもにとってあんまりよろしくないように思う。
なんか、この期に及んで、サヨクっぽい人から、高度成長期の企業内福祉・家庭内福祉に安住できた時代の価値観がわなわな湧いて出てくることにがっかりさせられている。
この国は社会問題がいつまでたっても社会化されない。個人の努力にすり替えられる。障害者福祉、高齢者福祉、児童福祉、教育、放射能被害、公害、薬害、食品添加物、製品の安全、交通事故、就職もかな、みんな母親の能力の問題にされる。守れた側は母親としての才能の自慢話になり、守れなかった側は母親の無能としてさいなまされることになる。

●最初に紹介した文章を書けるセンス、世の中の困っている人に本気で関わったことがないんじゃないだろうかと思う。当事者がそうしたネタにされてどう感じるかという想像力が貧困するぎる。

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2011.07.15

7/15 首長を人質に取る選挙運動

7つある選挙のうち、最もおもしろくない埼玉県知事選挙が始まった。東京新聞埼玉版に気になる記事があった。現職陣営の動きについて。

 前回知事選と同様に、民主、自民、公明各党の県組織の支持を受ける。県内のほぼ全市町村では、各首長が参加する支援組織が初めて立ち上がった。前回よりも組織は手厚くなり、陣営幹部は「少なくとも、前回の百九万を超える得票を目指したい」と話した。

選挙違反ではないのだが、ほぼ全市町村の首長が参加する支援組織など作るというのは、どんなものなのかと思う。県との関係を悪くしたくない市町村長にとって、すでに当選者が決まっているような選挙において、応援することは避けられないのではないか。

自民党も民主党もだらしなくて、まともな対立候補がないことが最大の問題だが、国に地方主権とか言ってきた候補者が、どうせ結論が見えている選挙で、市町村長に踏み絵のような動員の仕方をすることに、ファシズム臭がプンプンしてイヤな感じがする。

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7/14 代案なき首相不信任案はファシズムの道

朝日新聞の松下さんという論説委員が面白いことを書いている。

私と同じように菅首相の問題を指摘しつつも、支えるべき人まで含めて辞めろ、退陣せよという状況に苦言を呈している。その批判は同僚の論説委員室にも向けられていることも良い。

代案なき不信任案の危険さについて私も過去書いたが、松下論説委員も同様の指摘をしており、ファシズムの入口だと言いきっている。
ファシズムの最大の特徴は、政治的主張が同じ社会に複数存在する前提が否定され政党が無くなることだが、今や政治について一般市民が口にすることは政党なんかなくなって、という言葉である。

今の憲法も、谷垣や大島や山口や小沢や鳩山が、思想も展望もない不信任案を出すとも思わなかっただろう。しかしこれが歴史性や慣習を全く無視して、やれることはやるという欲望追認型の民主主義の姿なのだろう。

先日、中国が新幹線技術の特許申請をしているということでJR東海があわてふためき神戸製鋼を責める事件があったが、運用やマナーの中で、ありえないで済まされてきたシステムが、チキンレースが当たり前になり、ルールをむき出しで使うような状況になって、もう一度社会の安全弁を再点検する必要があるのだろう。

この中でドイツ基本法(旧西ドイツ憲法的存在からからそのまま統合ドイツの憲法的存在になっている)が、替わりの首相の指名なき不信任案の提出を禁止していることは大いに学ぶべきである。

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2011.07.14

7/13 「政党支持の自由」考

「政党支持の自由」という私にとってうさんくさい言葉をめぐって親友とやりとりをしていて、少し自分なりに整理した方がいいと思う。

私はこの言葉を高校生ぐらいから聞いているが、これはまさに日本共産党の影響力の強い労働組合から市民運動まで社会団体が何かと言いたがる言葉であって、こういう言葉を使う運動体が近づいてきたときには警戒してしまう。

私の立場を先に言っておくと、社会団体が、特定の政党を支持しようが、特定の政治家を支持しようが構わないと思っている。開かれた社会合意の場は、議会をはじめとする政治であり、そうしたところに要求を持ち込むためには民主主義社会である以上、政治を利用し取引するというは、一定の社会的要求や社会的目的のある団体である以上、何も不思議ではないし自然なことだ。
もちろん、その社会団体が政党に従属しないことや、その政党や政治家の支持の決定にあたっては一定の民主的手続きが必要だということは言うまでもない。

一方、社会的要求や社会的目的を掲げながら「政党支持の自由」などということを前面に立てている社会団体とは、一体何を実現したいのか、民主主義社会を前提にしている以上、不思議で仕方がない。
一つはこれまでの日本社会がそうだったが、立法府をすっとばして、さらには行政府内でも議院から送り込まれた政府員をとばして、プロパーの行政の高級職員、いわゆる官僚と言われる人々の政策決定権の強い社会において、社会団体と官僚との協議が意思決定の大半を占めることを前提としたシステムがあることだ。しかし高度成長が望めず、安定した一党が長期政権を担うことが望めなくなった今日、そうした官僚と社会団体との関係は多元的なものに変わらざるを得ない。
もう一つは、絶対に実現しない運動をする社会団体である。要求が実現しないときには、政府が悪い、与党が悪いと結論づければ、運動体の求心力は当面維持できる。そうである限り、「政党支持の自由」としておいても短期間は不都合なことはない。

そういう意味で、今や社会団体にとって「政党支持の自由」を掲げることは、社会での意思決定の放棄を意味する議論ではないかと思っている。

さらには歴史的文脈で考えてしまう。
私は、「政党支持の自由」という言い方が何か選挙を通じた民主主義社会を否定しているようなニュアンスを感じてしまう。政党というものに支持を表明することは、非常に汚れた行為である、という感覚に裏付けられているように思う。
これは戦前の普通選挙実現の前後の歴史をたどると、日本人の中にどうしてそういう意識が形成されたか見えてくる。普通選挙の導入で、政治家の権力が拡大することを恐れた内務省官僚は、選挙粛正同盟という国民運動を使って、政治家というものは、政党というものは、日陰者に扱っておかないと悪さばかりする、という悪宣伝を行い、官僚と政治家の上下関係を明確にした。最後には、選挙粛正同盟が大政翼賛会に変身して、政党は解散させられる。

今日もそうした政党への感覚による弊害が出てきて、政党や政治家は、思想を持たず国民世論とマスコミの論調にばかり依拠した機会主義的な行動しか取らなくなってしまった。いま一度必要なのは、政党や政治家と国民や社会団体との十分なコミュニケーションであり、熟議である。それなのに「政党支持の自由」なんて政党や政治家を突き放して、社会の合意形成の場である政治においてお客様感覚で高見の見物しかしなければ、政治が世の中のニーズを十分満たせるわけがないのは当たり前だ。

もちろん社会団体が、考え方が一致しない上に、戦術も戦略も、イデオロギー的な定義づけもなく特定の政党とおつきあいするだけの十分な理由や動機がないまま、ずるずると関係を続けていくことはどうかと思う。労組という業界において、共産党に近い労組は、連合系労組に対して「政党支持の自由を認めず、民主党や社民党とべったり」という批判をするが、労組内の政治的自由で言ったら、役員はともかく一般組合員の政党支持などそんなに縛っていない。しかし一方で共産党に近い労組では、機関紙等で共産党以外の政党や政治家については罵倒され続けており、表向き「政党支持の自由」なんて言っても、組合の会議で、私は民主党や社民党を支持しています、なんて言えるような雰囲気はない。

政党を必要なものとして、民主的な改良を加えていくべきで、政治忌避みたいな雰囲気に安住して「政党支持の自由」なんて言葉を掲げてしまうことは、民主主義の構造そのものをおかしくしていくような感じがしている。

●そま正夫「日本選挙制度史」など、昭和初期の普通選挙制のスタートをもって、内務省主導で盛んに政党不信を煽る世論形成が行われ、選挙規制が行われ、政治家や政党に対するネガティブな国民感情が形成されたことが明らかにされている。その国民運動を担ったのが、選挙粛正同盟だが、これが後々大政翼賛会に衣替えする。

●一方、日本共産党は、戦前は弾圧の、戦後は一貫して日本の権力にとって監視対象であったので、無党派や、戦前には他の党派を名乗る様々なダミー組織を作ってきた過去がある。その戦術の延長に「政党支持の自由」があるのだろう。

●1995年が最後のあだ花の選挙だったように、その後日本共産党は凋落の一途をたどっており、一方ではその頃から、労組を除く社会団体が政党との距離感がニュートラルになった。政策実現型のNPO活動が誕生したり、二大政党の一翼を担う民主党が市民運動と一定の近い距離を保ってきたことから、最近の市民運動にとって政党や政治は道具として利用するものと認識されており、今や「政党支持の自由」とわざわざ言う必要はなくなっているように思う。多くの市民運動は、超党派で上手に政治家と関係を作っているなぁと感じている。かえって「政党支持の自由」なんて言って、政治家との関係が作れないことが今時の市民運動にとっての桎梏になると思う。

●スウェーデンでは、義務教育課程から、選挙時に学校に政党からの説明員を呼んで、政策等を説明させ、模擬投票をさせる(NPORight'sスタディーツアー映像 1分25秒~2分55秒あたり)。政党の青年部活動も活発で、政党本体の意思決定に異議を唱え修正案を提出する力も持っている。そういう国の民主主義と、大のおとなが政党支持の自由なんて無意味な護符に安心して政治的能力を形成できないでいる国の民主主義とついつい比べてしまう。

●私の政党との距離について立場を明らかにしなければならない。今の私は無所属。仕事先のあっせんで民主党にサポーター登録しているが、年1000円の会費が民主党の資金になっているのと、たまに定例の党首選挙があれば投票できるぐらいで、意思決定に参加する場所もないし政党からあれこれ指図されることもない。かつては旧民主党の地方組織づくりに関わった関係で1998年から5年ほど民主党の党籍を持っていたが、当時は小泉構造改革に明確に対決しなかったことと、衆院小選挙区ごとの封建制の党組織に改変されたときに小選挙区内の民主党と考え方も行動も人脈も合わなかった上に、向こうも迷惑そうだったので、党籍を外してもらった。
そうは言っても、欧州のような保守・社民の二大政党プラス中小政党というような政治構造が望ましいと思っているので、政党そのものを否定していない。まともに機能する社民主義政党が現れればその中で活躍したいという希望もある。(あんまり言いたくないが、残念なことに日本の社民党は、ケインズもわからなければ、福祉国家がどういうものかも福祉政策もあまりわかっていなくて、平和運動とフェミニズム運動と、気むずかしい左翼文化人のサロンとしての専門商店と化しているので、私には合わない。)

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2011.07.11

7/11 政局がらみの決議を挙げるヒマな県議会

菅首相の能力その他いろいろあるのはわかるが、こんなどうでもいい話にうつつを抜かしている埼玉県議会議員たちのバカさ加減にあきれかえる。

埼玉県議会、菅内閣早期退陣求める意見書を可決
. 埼玉県議会は8日、「菅直人内閣の早期退陣を求める意見書」を自民、公明両党などの賛成多数で可決した。
 民主、共産、社民各党は反対した。県議会事務局によると、都道府県議会で菅内閣の退陣を直接求めた意見書が可決されたのは初めて。意見書は「菅首相の下では原発事故の収束も、震災・津波被害からの早期復旧・復興も、我が国の経済の立て直しも到底不可能」と強調している。埼玉県議会(定数94)は自民55人、公明9人で、両党で定数の68%を占める。
(2011年7月9日21時02分 読売新聞)

●15年ぐらい前、落選中の仙谷氏と飲んだことがある。生活的な対応に追われる市議や法律を作り官僚に伍していかなくてはならない国会議員と違い、県議会議員は政局に専念できるから、政界で影響力を作りたければ県議を目指すべき、とお話されたことを思い出す。そういうトレーニングの一環なのだろう。

●埼玉県って役所の存在、何のためにあるのか私にはわからない。土屋知事時代は、市町村がやりたがらない、保育所を増やしたり、DV政策が前進させたりするような効果を見てきたが、そういうことに熱を入れなくなった今、売却益ねらいの沿線の土地持ちしかよろこばないようなムダな地下鉄を作ろうとしたり、政局がらみの行動しかしないダメな県議を養っている役所としか認識できない。なまじ県があるから、旧国では同じ武蔵であるはずの東京との格差ばかりが際だっている。県庁のある浦和というのが、これまた県西部や県東部の人たちからは不便な場所で、パスポートを取りに行くにも東京都内の方が便利だったりする。
うちの選挙区なんかいい例だが、東京で公認されないような政治家ばかりが送り込まれてくるし。

●今日知ったが、今月末埼玉県知事選挙らしい。上田清司にまともな対抗馬すら出ないらしい。つまらない展開だが、県が何のためにあるのかわからないから、そんなに情熱を燃やすものでもないのだろう。どの程度投票率が下回るのかが見物だ。

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2011.07.03

7/3 電力料金に原発事故リスク分を加算した方がいい

原発撤退のコストについて、小出しに報道がされている。

20年後の電気料金、原発撤退なら月2千円増(読売新聞)

月2000円で安心が買えるなら、それでいいじゃないかと私は思う。
本文中にもあるが、事故リスク含めて原発存続のコストが電力価格に上乗せされたら、こんなものでは済まないはず。原発の事故リスクのコストについて、誰も計算に入れてこなかったことから、脱原発によってコストが上がるという話が展開してしまっている。

私は昨今の反原発派にも問題があって、原発事故のコストを価格に転嫁するな、とか発送電分離、などコスト比較ができなくなるような議論を展開し、結果として原発存続の方がコストが安い、という現実を作り出してしまっているように思う。

自分を含めて東電ユーザーには申し訳ないが、事故コストを電力料金に(全部か一部かは議論のしどころだが)転嫁してはじめて、コスト論での原発存続論をつぶせるのではないかと思っている。これを全額政府の金や、発送電分離の送電事業売却資金でまかなったとしたら、原発利用の痛みは全く自覚されないまま、原発問題がうやむやのまま推進され続けることになるではないかと思う。

●発送電の分離には正直のところ反対。
結果として同じ電気を購入し、同じ経路をたどり入手している電力なのに、送電施設だけ売却してどこからか現金を捻出するという話に、何か変だと思っている。落とし穴や副作用はないと思えない。小泉構造改革のようなものを感じる。あのときも小泉元首相はサヨク的な価値観のうち個人主義的な部分を強調し、絶叫していたわけで、地獄の道はなんとかでしきつめられている、という話ではないか。同じく原発の事故補償について東電だけで何とかしろと言う一方で電力料金の値上げけしからん、と言っているような人はおそらく発送電分離による現金捻出を念頭に置いているのだと思うが、それでいいのかと思っている。
また、推進論者は、発送電分離をすれば送電会社が自然エネルギーを買い取ってくれると楽観的な見通しを示しているが、現実にはまだコストの高い自然エネルギーによる電力を優先して購入するとは思えず、逆に、経営上の都合で送電業者が受け取り拒否した場合、どうなるのか、という議論がされていない。

現時点では自然エネルギーによる電力の強制買い取り制度などを実現すべきで、そのためにはある程度公的な地位を持った会社がきちんと存在する必要があると思う。さらには今のような完全民間企業ではなくて、利用者とのコミュニケーションで成立するような仕組みが、経営的には非効率でも公的な存在である以上、必要ではないかと思う。

地域小電力への対応が必要だが、これはある独占を緩めて対応する必要があっても地域で作った電力をその地域で消費する仕組みを前提に考えるべきで、発送電分離で間に送電業者が居座ることの弊害をむしろ危惧している。売り物になる送電業者というのは、それなりの独占性があってこそのものだからだ。

また電力がバラバラの会社をたどって供給されることの不安はぬぐえない。今、私のところに通じている某社インターネット回線がそうだが、結果として発生してしまった停電などに、何時間にもわたって会社間で責任のなすりあいのやりとりにつきあわされる危険性がある。

●会社をバラバラにして売ったり買ったり事業譲渡して現金を作るような行為はある程度必要と認めながらも、そのようなことを全面的に正当化するような議論について、私は倫理的な問題を感じている。全員ではないが、反原発運動をやっているようなヒューマニストたちが、数年前、従業員や顧客や商品をそっちのけで会社や土地を切り刻んで金融商品的に取引することを「ハゲタカ」などと呼んで蔑んでいたのは何だったのかと問いかけたい。

●昨日の白が今日は黒みたいなご都合主義的な展開が多いのは政治だけではなく、社会全体がそうなっている。イデオロギーは嫌いだが、運動に携わる者、もう少しは思想が必要だと思う。

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2011.07.01

7/1 節電が間違えている

今、テレビで節電に工夫している企業が紹介されているが、昼休みに一斉消灯しているのにパソコンはつけっぱなし。

何かおかしいと思うと、いろいろ気づくことがある。

どこのコンビニもスーパーも蛍光灯を抜いているのに、棚の冷房は何の工夫もしていない。

地下鉄に乗ればやはり電灯を暗くしているのに、ドアの上のテレビはつけっぱなし。

節電を呼びかけるテレビが、昼のピーク時間に暇人相手の電波を垂れ流している(夏の電力消費のピーク時間帯の13時から16時なんて再放送か、おしゃべり垂れ流しの番組しかないのだから、やめたらいい。放送が必要だというならラジオだけでも十分)。

電気が余っている夜間に、コンビニを閉めろとか、自販機を止めろという政治家に拍手喝采を送る人たちの存在。

消費電力から見れば、明かりなんて微々たるもの。もっと電力を食べているものが不可侵になっている。
節電運動が、大東亜戦争さながらの、暗がりのなかの我慢比べ、精神戦のようです。

●NHKの解説番組で、何かあれば「海外移転」と国民を脅かす女性解説委員がいる。今日は電力不足をネタに「海外移転」。何だかなぁ。
また、原発依存度が低い海外で、そんなに電気が余っているのかね。日本の電力不足を超えるほどの海外移転は起きないと思う。

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6/30 気がつかなかったが自治体の非常勤職員に関する訴訟の情報

自治体の非常勤職員に払われたボーナスや退職金が違法支出だという訴訟について2つ動きが。

和泉市のオンブズマン団体役員(市議の妻)が訴えについて、市の支出行為には過失があり、返還させるまでのものではないと上告を却下されて判決確定した、というもの。

枚方市で多くの非常勤職員を、すでに払われたボーナスや退職金が違法支出だから個々の非常勤職員が返還せよと、生活不安のどん底に突き落としたオンブズマン(行政書士)が再度挑戦した枚方市議会議員選挙で落選。

前者については、ヤミ手当などと罵倒していたのに裁判後半では法的根拠のないボーナスや退職金は本人にとって不幸、などと珍奇ないいわけをして裁判闘争を続けていたので、これで決着して原告にとってもよかったのではないかと思う。
これで、自治体の非常勤職員のボーナスや退職金の支給の違法性をめぐる裁判はほぼかたがついた。

後者についてはご愁傷様としか言いようがないが、彼の書いてきたもの、やってきたことを見てきた限りにおいては、公的な立場に立たなくてよかったのではないかと思う。

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6/30 社会保障と税の一体改革に抵抗して何になるんだ

ようやく社会保障と税の一体改革が政府案としてまとまりそう。
私は不完全なものであるとわかっていながら、従来の社会保障政策ではとらえきれない構造問題をとらえなおした考え方として画期的なものとして前向きに受け止めている。特に、従来手薄だった、貧困、若者、子育てにも福祉の光を当てようとすること、医療の再建に向かおうとすること、現物サービスを中心に社会保障を立て直そうとしていることは大きく評価したい。

景気が悪い、税金がない、支えれば自立できる人が放置されてダメになる、努力すべき人が努力できないから景気が悪い、そんな悪循環を繰り返すのをやめられることになるだろう。

ところが、この改革については消費税増税と抱き合わせとなっていて、これが政治家にはえらくおきに召さないようで、民主党内での議論が大混乱に陥っている。
私は消費税増税を忌避して、支援すべき人が支えられず、世間的には「ダメ人間」になってしまうことをこれ以上放置しておいてよいのかと思う。そういう人を放置しておいて、この社会が消費税の重税感なんて戯言を言っている感覚の方が理解できないでいる。
景気が悪いときに消費税増税なんてけしからん、という議論があるが、社会保障の充実のための消費税増税なら、それは結局現物給付なら雇用創出に直接結びつき、現金給付なら所得の再分配として機能して、結局は国民のどこかに帰ってくる。増税が富の収奪なんてとんでもない、必ず国民のどこかに返されている。したがって富の集中につながらない増税であれば、増税は景気に中立である。
さらにその上に、社会保障によって支えられた人が自立していく過程があり、将来不安からの解放から、投資先もないのに貯蓄量が異様に高くて、投資先に困って国債を買うなどということは解消されるだろう。

個々の社会保障の内容についてここでは詳細に述べないが、日本が先進国の生活水準を維持していくためにはこの一体改革は不可欠な内容である。今のままでは、介護や保育などは、サービス供給量が需要に追いつかず、私も含めてどうしても必要な人にとっては、私費負担で様々なサービスを調達している。そのことは、見えない税金を払わされていることで、それと比べると5%の消費税増税などは微々たる話で、こんなに社会を混乱させてまで止めるような話とは言えない。

●何度も書いたが、消費税増税が庶民いじめというのは、会社が完全に従業員を抱え込み、その従業員が女房子どもを食べさせることができた時代の感覚である。その感覚からすれば、消費税を払うのは主に女房子どもであり、自分がよもや政府のお世話になっているなんて感覚がないからである。
ところが1990年代後半からの社会の変化は、会社や夫が世の中全体を抱え込めなくなっていて、公的な社会サービスの不足により貧困や失業や保育や介護や医療の必要な人の課題がいつまでも解決されないことが露わになってきている。
そうなると、消費税数パーセントけちっても、公的な社会サービスが足りなくていいんだ、という開き直りが本当の庶民いじめということになる。そういうことに気づかないバカが一部の政局に溺れ中の民主党議員と、日本共産党である(※日本共産党なんか本当は頭がいいんだから、そろそろ政策転換したらいいのに。彼らが有権者から求められてきた福祉課題の多くはこの一体改革で解決されるんだから。原発政策みたいにばれないように軌道修正すればいいんじゃないの?と思う)。
消費税0.5%上げれば保育所の待機児童問題はほぼ解消できるし、1~2%上げれば生活保護財源も困らなくなるし、第2のセーフティーネットだって作るのは容易になる。介護の人材不足も、1~2%上げれば介護労働者のめざましい待遇改善が可能になり、介護の人材不足は大幅に緩和されるだろう。
そういうことにいつまでも気づかずに、選挙事務所におしかけてくる社会の世話になっていない自覚の元気な年寄り有権者だけを意識して、消費税増税は富の収奪だ、などと言って、時には竹中平蔵みたいに経済競争させておけばどこかからお金が降ってくるような経済理論や、日銀に国債を無尽蔵に押しつければインフレがおきて経済成長するなどというような珍奇な経済理論を引き出して、政局ゲームやっているような人間たちが、社会の意思決定の場で、主体性はなくても邪魔する力をもってのさばっていることが問題なのではないかと思っている。彼らの存在は確実に国力を低下させている。
政治の責任ある立場にいる人がそうした珍奇な議論に酔いしれていることは、国民を見殺しにしていることに近いのではないかと思う。

●知人から社会保障と税の一体改革についての民主党内の議論について聞かせていただいた。増税反対でこの改革を葬り去ろうというのは、何の信念もない主張しかしていないようにしか見えなかった。
政権交代が起きたのは、反貧困運動によって、小泉構造改革の問題点が限界にきていることが明らかになったからであろう。民主党はその時点で、少なくとも社会保障や雇用政策に起因する問題について解決することが社会的責務となったのではないか。しかし、民主党内の議論は何だと思う。一方で少数だがきちんとした議論をした政治家がいたこともわかり、しかもかつて自分が応援に何度も行った議員でもあったと知り、救われた思いがしている。

●消費税の忌避論というのは、ほんとうにおたかさんブームの影と言える。

●この改革が前に進むかどうか、自民党次第という心もとない状況にある。民主党議員が好き勝手なことやっているのは、そうしたことで社会保障と税の一体改革が頓挫したときに責任をなすりつける相手がいるからなのだろう。

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