7/15 私が環境派に簡単に与しないわけ
原発事故に関する放射能飛散の問題に関して盛んにインターネットで「発信」している人が近未来小説として書いた文章らしいのだが、これはないだろう。
#mirai311 最近、外歩いてると、障害者の人を探してる自分がいるのに気づいたのよ。だって、このままだと、東京中、奇形とかカタワだらけになっちゃうのよ。そういう世の中でも耐えていけるかなあって。で、想像をリアルにするために、探しちゃうのよ、そういう人。#twinovel
7月4日
放射能の影響を過小評価するな、という気持ちはわかるが、そのために人を脅かすために、話を恐い物見たさの世界に引きずり込むことはどうかと思っている。
●環境派の主張に理解できても、好きになれないのは、こういうことを平気で言うところがあるからだ。あんまり詳しく言いたくないが、こういうことだ。
●放射能の問題に取り組んでいる人たちの考え方にいくつかおかしいと思うところがある。
「母親として」危険に対処したい、という言葉を使う人がいる。そういう性的役割分業意識丸出しの言葉を使うものか。放射能の問題は社会問題ではないか。努力した母親の子だけが報われる、という展開は、高度成長の家庭モデルにおける教育ママの役割と同じで、放射能に対してはいいかも知れないが、子どもにとってあんまりよろしくないように思う。
なんか、この期に及んで、サヨクっぽい人から、高度成長期の企業内福祉・家庭内福祉に安住できた時代の価値観がわなわな湧いて出てくることにがっかりさせられている。
この国は社会問題がいつまでたっても社会化されない。個人の努力にすり替えられる。障害者福祉、高齢者福祉、児童福祉、教育、放射能被害、公害、薬害、食品添加物、製品の安全、交通事故、就職もかな、みんな母親の能力の問題にされる。守れた側は母親としての才能の自慢話になり、守れなかった側は母親の無能としてさいなまされることになる。
●最初に紹介した文章を書けるセンス、世の中の困っている人に本気で関わったことがないんじゃないだろうかと思う。当事者がそうしたネタにされてどう感じるかという想像力が貧困するぎる。
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コメント
引用されている文章は、自分が障害者になったら耐えていけるだろうか、という意味かと一瞬読んでしまいましたが、そうではなく、この人は障害者を見るのも嫌だけれども今後放射能の影響で障害者や奇形の人間が激増して嫌でも見なくてはならなくなるので今から障害者を見て耐性を付けておこう、といっているわけですね。
善意に解釈すれば、本当にそうなる前に一刻も早い対策をせよという含意があるのかもしれませんが、こんな感覚が出てくるようでは反原発運動は原発事故を受けてむしろ意識のあり方が後退してしまったような気がします。
投稿: pulin | 2011.07.17 09:40
pulinさま
コメントありがとうございます。まったく同感です。
環境派でも反原発派でも、多様性を容認して運動されている良心的な方がたくさんいるのですが、その例外にダーウィニズムが根底にあるのか「お母さん」を動員する段になると、こういう言葉遣いをする人が必ずいますね。
投稿: 管理人 | 2011.07.23 08:39
この文章を書いた人は、障害をもつ人に対する想像力が欠如しているのだと思います。
原発事故後、放射能へのこういう反応をする若い人たちがいる事は知っていますが、それは、環境問題とは別のものです。それを環境派などというのは認識がずれている気がします。
投稿: shiminA | 2011.07.24 02:34
本当に、なんで「母親として」だけなんでしょうねー。父親も併せ、「親として」ならわかりますけれど。
原発事故後に加速する性的役割分担の傾向を批判する声が、著名なフェミニストの先生から聞こえてこないのもがっかりです。
投稿: ななみ | 2011.11.10 07:21